世間で有名な(どちらかというとトンデモと判断されやすい)生物学者の中には、今西進化論という進化論の影響を受けている人たちがいます。このブログでたびたび批判する池田清彦や最近の有名どころでは福岡伸一がいます。福岡氏と今西進化論の関係についてはa-geminiさんのところに詳しく書かれています。
福岡伸一と今西錦司(1)
福岡伸一と今西錦司(2)
福岡伸一と今西錦司(3)
では、彼らが影響を受けた今西進化論とはどういったものなのでしょうか。
簡単に言うと、種全体が変わるべき時が来たら一斉に変化するというのが今西進化論の主張です。この“変わるべき時”というのが難物なのですがそれは置いといて僕が疑問に思うことを今西進化論に好意的なサイトからいくつか引用します。
>そして、種という構造です。種と個体は同時にでき、同一のものとします。個体はもちろん、個体差というものがあるが、種というレベルで考えるとどの個体にも差違はないのです。
水系レベルで違いのある淡水魚類の勉強をしていると、とてもこんなことは言えませんね。今西氏は同種の地域ごとの差には目を向けなかったのでしょうか。
>どれもが同じ個体であり、どれが残り、どれが生殖にいたらないうちに死んでも、種にとっては影響はない。
絶滅危惧種を例にするなら、年老いて繁殖できない個体が死ぬのと繁殖可能な個体が死ぬのではその種の存続に大きく影響しますね。とくにワシタカ類のように一度に産む子の数が少なく、子が性成熟するまでに長い時間を要する種では繁殖可能な個体が死ぬことの影響は大きいのですよ。
>今西は自説を、棲みわけの密度化による進化論と説明します。その核になる理論は、元一つという、変わりながら変わらない実体、弁証法的に運動しつつ、変化しないものを想定していることです(ある種の進化・出現によって(正)、まずその種が自身による環境変化の影響を受け、またその周囲の種にとっての環境も変化します(反)。そして、共存(棲みわけ)か競争か、いずれにしてもそれを調整する運動がおこるのです(合))。
まあ、弁証法だなんだかんだ言う前に輪状種について何ら答えない時点で終わってますね。輪状種とは、連続的に分布していながらも分布の端の個体同士では交配できない種のことなどを指します。輪状種はお互いに近接した個体群とは交配できるのですが、分布の端と端など極端に離れている場合は交配できません。この事例は種が黒から白へ徐々に変わっていくテープのようにグラデーションを持つことを意味します。
ここで輪状種の存在と今西進化論の主張を比べてみましょう。今西進化論では種は変わるべき時に一斉に変わる、つまりグラデーションはあり得ないはずなんですね。しかし、輪状種の発見例というのは確かに存在します。ここでは、ムシクイという鳥とシャクガを例にあげておきます。
Highlights: 輪になって変わろう
異時的隔離がもたらす時間的輪状種
輪状種が発見された正確な年代がわからなかったので今西氏が輪状種の存在について知っていたのかはわかりませんが、今西進化論の支持者は輪状種について何も言わないというのはおかしなことではないでしょうか。このような態度はニセ科学と通づるところがあります。
今回参考にしたサイトには今西自然学の効用(環境保全の視点から)というのがありますが、少なくとも繁殖可能な個体であるか否かを無視している時点で使えないヘボ学問ですね。生態学のつもりというなら“有効個体”くらいおさえておくべきでしょうに。
結論
現実の自然現象とかい離したままの論理などゴミくず以下。寝言は寝てから言いましょう。反証に答えないのはニセ科学への一歩では?
福岡伸一と今西錦司(1)
福岡伸一と今西錦司(2)
福岡伸一と今西錦司(3)
では、彼らが影響を受けた今西進化論とはどういったものなのでしょうか。
簡単に言うと、種全体が変わるべき時が来たら一斉に変化するというのが今西進化論の主張です。この“変わるべき時”というのが難物なのですがそれは置いといて僕が疑問に思うことを今西進化論に好意的なサイトからいくつか引用します。
>そして、種という構造です。種と個体は同時にでき、同一のものとします。個体はもちろん、個体差というものがあるが、種というレベルで考えるとどの個体にも差違はないのです。
水系レベルで違いのある淡水魚類の勉強をしていると、とてもこんなことは言えませんね。今西氏は同種の地域ごとの差には目を向けなかったのでしょうか。
>どれもが同じ個体であり、どれが残り、どれが生殖にいたらないうちに死んでも、種にとっては影響はない。
絶滅危惧種を例にするなら、年老いて繁殖できない個体が死ぬのと繁殖可能な個体が死ぬのではその種の存続に大きく影響しますね。とくにワシタカ類のように一度に産む子の数が少なく、子が性成熟するまでに長い時間を要する種では繁殖可能な個体が死ぬことの影響は大きいのですよ。
>今西は自説を、棲みわけの密度化による進化論と説明します。その核になる理論は、元一つという、変わりながら変わらない実体、弁証法的に運動しつつ、変化しないものを想定していることです(ある種の進化・出現によって(正)、まずその種が自身による環境変化の影響を受け、またその周囲の種にとっての環境も変化します(反)。そして、共存(棲みわけ)か競争か、いずれにしてもそれを調整する運動がおこるのです(合))。
まあ、弁証法だなんだかんだ言う前に輪状種について何ら答えない時点で終わってますね。輪状種とは、連続的に分布していながらも分布の端の個体同士では交配できない種のことなどを指します。輪状種はお互いに近接した個体群とは交配できるのですが、分布の端と端など極端に離れている場合は交配できません。この事例は種が黒から白へ徐々に変わっていくテープのようにグラデーションを持つことを意味します。
ここで輪状種の存在と今西進化論の主張を比べてみましょう。今西進化論では種は変わるべき時に一斉に変わる、つまりグラデーションはあり得ないはずなんですね。しかし、輪状種の発見例というのは確かに存在します。ここでは、ムシクイという鳥とシャクガを例にあげておきます。
Highlights: 輪になって変わろう
異時的隔離がもたらす時間的輪状種
輪状種が発見された正確な年代がわからなかったので今西氏が輪状種の存在について知っていたのかはわかりませんが、今西進化論の支持者は輪状種について何も言わないというのはおかしなことではないでしょうか。このような態度はニセ科学と通づるところがあります。
今回参考にしたサイトには今西自然学の効用(環境保全の視点から)というのがありますが、少なくとも繁殖可能な個体であるか否かを無視している時点で使えないヘボ学問ですね。生態学のつもりというなら“有効個体”くらいおさえておくべきでしょうに。
結論
現実の自然現象とかい離したままの論理などゴミくず以下。寝言は寝てから言いましょう。反証に答えないのはニセ科学への一歩では?
一応今西にシンパシーを持つものとしてフォローしておきますと、
>水系レベルでの違い
隔離(地理的隔離、時間的隔離、社会的隔離etc)の総合として、すみわけを提唱していますので、遺伝的交流がひくい地域ポピュレーションごとの違いは、今西の説と別に矛盾しません。
>絶滅危惧種
ここでいう個体差は、(おそらく)年齢区分が同じ個体間での話です。
>輪状種
この問題について今西自身の著作で読んだことがないので、コメントが難しいのですが、「変わるべくして変わる」を強い意味で捉えすぎているように思えます。グラデーションの範囲で、変わるべくして変わってもいいんではないでしょうか?
今西の著作における種というものは、種内個体間関係(と時々それを構成する個体)として定義されていることを念頭におく必要があります。
情報どうもありがとうございます。こんど探して読んでみます。生物科学のバックナンバーでもあさってみるか。
>種内個体間関係(と時々それを構成する個体)として定義されていることを念頭におく必要があります。
その種内個体間関係としてどのような具体例があるのでしょうか?
連絡
Highlights: 輪になって変わろうのリンクが上手くいっておりません。どうもお気に入りなどから直接アクセスはできないようなので、「輪状種 ムシクイ」でググってください。
具体的な研究を読まれたいのでしたら、1940年代の都井岬の半野生馬を調査した「都井岬のウマ」「御崎馬の社会調査」あたりを読まれたらよいかと思います。
その後にしたニホンザルの調査に関しては、お手つきが目立ち、当時から弟子筋からも批判されまくっていますから、批判も込みじゃないと霊長類学が誤解されそうですね。
戦前の論考は種間関係、つまり生態学とか生物地理的な話が多く、いまいち今西の考えている「種」は分かりません。そして生態的なモノも全部社会的なものとして描写しようとしていたそうですが、全く成功していませんし。
今西の歴史的意義に関しては、杉山幸丸編「霊長類生態学」にある佐倉統の批判的な論文が、現状決定版だと思います。