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超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

超心理と物理学

2008-04-26 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(12)>
第12章:超心理と物理学

懐疑論者のハイマンは、超心理が存在すると物理理論が成立
しなくなると主張したが、当の物理学者の多くが、理論自体の
拡張可能性を指摘している。

哲学者のダニエル・デネットは、心物二元論は物理的に不可能だ
としたが、物理学者のローゼンブルームとクットナーは、それに
反論している。

物理学の発展は基本法則が改訂される歴史でもある。ブロードは、
懐疑論者が前提としている基本法則は「超心理現象は起きない」
ことそのものだ、と指摘する。

物理学は本来「物」の記述であるが、その拡張は心や意識にまで
およぶ可能性もある。超心理は、物と心を結ぶ要になる貴重な
現象なのかもしれない。


懐疑論者のスタンス

2008-04-25 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(11)>
第11章:懐疑論者のスタンス

超心理学のデータを前にして懐疑論者たちはどのような
スタンスをとっているのか。1951年に、ラインの実験
データを吟味した心理学者(でニューロンの学習則を
提案した)ドナルド・ヘッブは、ラインの研究が受け入れ
難いのは、自分の「偏見」のせいだと吐露している。

結局のところ、懐疑論のスタンスはホノートンがまとめた
次の3つに集約されよう。

(1)統計的分析に誤りがあって、実は有意でない。
これは、心理学者の懐疑論者によって何度も主張され、
そのたびごとに、統計学者によって問題がないと正当化
されている。もはやこのスタンスはとり続けられない。

(2)実験方法のどこかに欠陥があるにちがいない。
超心理学者は具体的な指摘には対処してきている。
現状の批判は、きっとどこかに欠陥があるのだという
消極的な指摘にとどまっている。

(3)そんな現象はあるはずがないと、頭から否定する。
超心理現象が科学的な基本原理と矛盾するというのだが、
絶対に矛盾すると、はっきり示されたわけではない。


現代科学と古典科学:意識の意義

2008-04-23 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-11)>
第10章:現代科学と古典科学
(11)意識の意義

私たちは何故意識をもつのだろうか。人間の行動のほとんどは
無意識であるが、新規の環境で習慣的でない行動をするときには
とりわけ意識が重要になる。

意識に何の効力もないのであれば、進化の過程で生物が意識を
もったというのは奇妙である。むしろ、意識をもつことで環境へ
の適応能力があがり、生存競争に有利になったと考えるべき
だろう。脳は物質世界でうまくふるまう必要性のゆえに、意識を
創発させたのかもしれない。


現代科学と古典科学:意識力

2008-04-22 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-10)>
第10章:現代科学と古典科学
(10)意識力

超心理現象が存在するならば、心が心に働きかけ、心が物に
働きかけることが可能であるということだ。心は、物に従属
した何の効力もない随伴現象(エピフェノメナ)ではありえない。

随伴現象は、古典科学の世界観である唯物論の帰結であり、
現代科学の進展とともに、考え直されるべきである。能動的な
力をもった意識観が求められるのだ。


現代科学と古典科学:意識革命

2008-04-21 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-9)>
第10章:現代科学と古典科学
(9)意識革命

70年代には、先のスーペリーらの主張により、
心の独自性を認める考え方が注目されるように
なった。それは「意識革命」と言える潮流となって
今日に至る。

量子物理学者のヘンリー・スタップは、300年間
哲学者までが古典物理的な世界観に染まったと
指摘し、量子物理学がいかに新しい「意識の議論」
を可能にするか、を論じている。

※たしかにアリゾナ州ツーソンの意識国際会議や
 論文誌JCSの発刊等で、意識への注目度は上昇
 しているが、「革命」というのは大げさだろう。


現代科学と古典科学:自由意志について

2008-04-20 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-8)>
第10章:現代科学と古典科学
(8)自由意志について

真の自由なる選択は、物的な信号に左右されないことであるが、
その存在を示すことは難しい。自由に選択したと思っているだけ
かもしれない。

ベンジャミン・リベットの実験では、命令によって指を曲げるのに
5分の1秒かかるのに対し、自由に指を曲げたと思う瞬間よりも
3分の1秒前に脳波に前駆信号が出ることがわかった。これは
時間的にかなり前に自由意志の準備がなされていることになる。

自由に指を曲げたという意志の一部は、思い込みにすぎないの
かもしれない。しかし、リベットは自由意志による「指曲げの拒否」
の可能性は依然として残されていると言う。

リベットの別な実験では、2分の1秒前の皮膚刺激知覚を大脳
刺激によって消し去ることができた。このことから、人間は0.5秒
前の過去に生きていると言われるが、0.5秒後の将来を予知し
ながら生きているのかもしれない。ラディンの数秒先の未来が感知
できるとする「予感実験」の知見とも整合的である。

※リベットの実験は確実に観測できる現象なのに対し、ラディンの
 予感実験は多くの観測値を積算して初めて現れる不確実な現象
 なので、類比的に論じるのは、少々こじつけのような気がするが。


現代科学と古典科学:心身関係について

2008-04-19 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-7)>
第10章:現代科学と古典科学
(7)心身関係について

心に独自な世界があるとすると、物(身体)とどのように
かかわりあっているのか。唯物論では、物の相互作用として
因果が語られ、そこに心が入る余地が無くなっている。

しかし、かつてデイヴィッド・ヒュームが指摘したように、
論理的には、あらゆるものがあらゆるものの原因となりうる
のであり、観察が因果関係を決めるのである。

ある事象が起きる前には、ある特定の事象が必ず伴っている
とすれば、それは必要条件であり、原因と呼べる可能性がある。
私の腕が動く原因に「私の意志」を設定できないというのは、
心を世界から排除した物だけの世界観の帰結であるのだ。


現代科学と古典科学:唯物論について

2008-04-17 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-6)>
第10章:現代科学と古典科学
(6)唯物論について

世界には物しかないという唯物論は、デカルトやニュートンに
端を発し、ディドロやヴォルテールによって普及してきた。
心理学においては20世紀の前半に、行動主義という唯物論の
世界観が席巻したため、現代でも唯物論は、神経科学や心理学
に深く根付いている。

唯物論に反して心に独自の世界を認める主張は、たとえば、
科学哲学者のカール・ポパーが行なっている。彼はダーウィン
の著作から、生物進化の生存競争の過程で心的力が獲得された
という主張を見出して取り上げた。この背後には、知覚や感情や
意志判断が、生存に有意な物理的効力があるという考えがある
と指摘している。


現代科学と古典科学:因果の流れについて

2008-04-16 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-5)>
第10章:現代科学と古典科学
(5)因果の流れについて

諸科学では、複雑な全体から部分への因果の流れはないことに
なっている。しかしそれでは、意識は説明の倹約のために導入
された(道具的)存在になってしまう。神経生理学者ロジャー・
スペリーや生物学者ドナルド・キャンベルは、部分から全体だけ
でなく全体から部分への因果も認める主張をしている。

人間の文化は人間の行動を制約しているが、それは全体から
部分への因果ではないか。それと同様に意識も身体へと働き
かけられるのではないか。

※これが認められないのであれば、私の意志で私の手を動かす
 ことはできないことになり、自由意志は幻想だということだ。


現代科学と古典科学:還元性について

2008-04-15 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-4)>
第10章:現代科学と古典科学
(4)還元性について

還元性は、諸科学において当然のこととして扱われている。人間は
細胞の集まりであり、細胞は生化学プロセスであり、化学のプロセス
は量子物理学で説明できる、ということだ。心理学は生物学の応用と
いうことになる。

しかし、何かが集まったところで、部分から説明できない「創発的な
特性」が生まれるという考え方も、あながち否定できない。意識は
脳の生理学の応用なのだろうか。脳の生理学では説明できない、
特有の性質があるように思える。


現代科学と古典科学:局所性について

2008-04-14 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-3)>
第10章:現代科学と古典科学
(3)局所性について

離れた物体同士は、他の粒子(あるいは力)による近接作用によってのみ、
互いに影響しあうとする、古典物理学における局所性の概念は、量子論に
よって破られた。かねてより、量子論は離れた粒子同士の相関を理論的に
予測していたが、1980年代にフランスの光学研究所の物理学者アラン・
アスペが、測定法を高速に変えることで、離れた位置の物体の特性が互い
に通信をすることなく相関することを示した。物体が離れていても、あたかも
ひとつの物体のようにそれらの特性が「からみあって」いるのである。

この相関の現れ方は、テレパシー実験のターゲットとコールの間の相関と
類比的にとらえることもできそうだ。


現代科学と古典科学:観測者の役割について

2008-04-13 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-2)>
第10章:現代科学と古典科学
(2)観測者の役割について

古典物理学における観測者から独立して存在する物理系の概念は、
量子論によって観測に依存する物理系へと様変わりした。状態の
重ねあわせとして発展した(波動関数が記述する)存在は、関数が
予測する確率に従って、「観測によって」どれかひとつの状態へ
と確定する。「観測」とは何かが問題であるが、物理学の内部で
合理的に観測を起こさせる理論的変更が難しいので、理論家の
一部は「意識」が観測の役割をするのではと考えている。

超心理学では乱数発生器実験を開拓したシュミットが、観測時に
心理的影響で確率分布が変わるという要素を量子力学に導入した。
また、プリンター用紙に印字した誰も見ていない記録を、過去遡及
的に念力で変更するという実験を成功させた。

観測理論による超心理の説明:
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/5-6.htm

過去遡及的PK実験:
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-5.htm


現代科学と古典科学:決定論について

2008-04-10 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-1)>
第10章:現代科学と古典科学
(1)決定論について

古典物理学における決定論の原理は、量子論によって不確定性に
とってかわった。量子論では、物理系のとりうる状態は、波動関数
の重ねあわせという形式で推移し、その波動関数は互いに干渉する。

状態は決定されておらず、ただ波動関数の振幅で示される確率分布
に従って観測される。不確定性は観測が不正確なのではない。むしろ
存在自体が揺らいだ、確率的なものなのである、


現代科学と古典科学:古典物理学の特徴

2008-04-09 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-0)>
第10章:現代科学と古典科学
(0)古典物理学の特徴

20世紀初頭までに完成したと思われていた物理学は、今では
古典物理学と呼ばれているが、次のような基本原理がある。

・決定論:孤立系の未来は、その現状態が完全にわかっていれば
 原理的に確実に予測できる。
・観測独立:観測行為はうまくすれば、その対象となる系の状態に
 影響を与えることなしに行なえる。
・局所性:すべては、時空間の近傍によってのみ影響を与え合う。
・還元性:複雑なものでも、その部分が説明できれば、その組み
 合わせで説明できる。
・因果の上昇性:上と関連するが、因果の流れは、その部分から
 複雑な全体へと一方通行である。
・唯物論:世界のあらゆるものは、素粒子の相互作用(4つの力)
 で説明できる。

しかし、その後、相対論・量子論の発見により、現代物理学と
呼ばれる体系に拡張され、上の各要素のいくつかは疑問が
呈される状態になっている。また、相対論と量子論の統合は
まだ確立されておらず、現代物理学は未完成状態である。

ということは、超心理現象が古典物理学の基本原理に抵触した
としても、現代物理学やまたその拡張と折り合いがつかない
とは言えないだろう。


科学者社会の否定の根源は何か

2008-04-08 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(9)>
第9章:科学者社会の否定の根源は何か

1970年代の2つ調査で、ESPはありそうか、というアンケートに
対して、500人以上の科学者で56%、1000人以上の科学者で
67%が肯定的な回答を寄せている。

一方で、学術会議のような「権威のある科学者」では、そうではない。
1981年のマクレノンの調査では、肯定的回答は30%未満に下がる。
自然科学者で30%程度、社会科学者では20%程度になっている。

心理学者のシャウテンは、研究費の試算をしたところ、超心理学の
100年間の研究費は、現代の米国の心理学研究費の2か月分であった。
これは懐疑論者からニセ科学と言われるような研究に資金を出しにくい
社会的圧力があるからだろう。

その理由は、超心理現象が説明がつかないからではない。現在の科学
のなかには、現象が認められているのに、説明がついていない現象は
たくさんある。問題は、超心理現象が本流科学に抵触するように感じ
られるからである。でも本当にそれらの間に矛盾があるのだろうか。

※この章には、さらにアインシュタインが超心理現象に一目おいていた
 という趣旨の記述があるが省略。