6月19日 テレビ朝日「グッド!モーニング」 池上彰のニュース検定
感染症は人々の生活を一新させてきた。
その代表例が“花の都”パリである。
世界で最も観光客が多い年として知られているが
19世紀までは全く違っていた。
当時
パリの人口は急増し
悪臭が立ちこめる汚い都市だったのである。
狭い道路に面した家には風呂やトイレはない。
人々は汚物を外に投げていたのである。
それは通りに放置され
雨が降ると川に流れた。
水は浄水場を通ることなく下流の人たちの生活用水として利用された。
つまりパリは感染症が広がる典型的な環境だったのである。
そんな19世紀のパリを襲ったのがコレラである。
急激な下痢や嘔吐の症状に見舞われるコレラは
それまでインドの風土病とみられていたが
宗主国のイギリスを経由してパリで流行した。
1832年には大流行し1万8,000人が犠牲になった。
とりわけ衛生状態の悪い地域から多くの死者が出た。
コレラを封じ込めるには街をきれいにしなければならない。
当時の皇帝ナポレオン3世が打ち出した構想が
パリ大改造だったのである。
実際に動いたのは県知事だったジョルジュ・オスマンだった。
オスマンは1853年から17年間にわたってパリを要する政務県の知事を務めた。
地下に巨大な上下水道を整備し
街の衛生状況を整備したうえで
景観にもこだわった。
細い路地を取り壊して道路を拡幅し
それに沿って同じデザインの建物を4万棟も建てたのである。
そしてパリは“花の都”へと生まれ変わった。
この手法は
スペイン・バルセロナやスウェーデン・ストックホルムなど
外国の都市の改造にも影響を与えた。
コレラが世界の街づくりのきっかけとなったのである。