城山三郎さんという作家の本が好きで、何度も読み返しています。
わたしの父親の世代の人で、子供の頃死に別れて、父の言葉を聞いたことがないあたしには、父の言葉のように作品にふれているのかもしれません。
”無所属”とか”毎日が日曜日”とか、城山さんの作品に出てくる言葉です。
作品を読んでいると、まったくその通り、無所属で生きることは素晴らしいと思えるのですが、 会社を辞めてハタと気づきました。
城山さんには、大変厳しい世界だと思いますが、作家という収入源、自己表現の場がある。その上での、無所属なんだと。
あたしには、そんな才能は皆無。
退職金などで残った、多少ある預貯金を軸に暮らしを立てていくしかない。一生愛読書していく本は、わずかばかりの残高のある貯金通帳です。
ブログのどこかで書きましたが、他人より秀でているところといえば、毎日お酒を飲み続けることだけだったのですが、これも、体調不良で、最近は人並み以下。
普通のおバカに残っているものは、まだ多少動く体、健康だけのようです。
この健康の有難さは、6月~8月の痛風発作の再発で、ひどい痛みとともによくよく再認識しました。
週3日働いているアルバイト先に、シルバー人材センターの方が来ていて先日話をしました。
その方は、80歳を超えているとのこと。とても、そんな歳には見えません。
若いころは工事現場を渡り歩いた職人さんらしく、年金もないから、働くしかない。健康であればなんとか生きていけるもんだと笑っていました。
自分がしてきた行動の結果、年金がないことで悔んだり、必要以上に不安がったりせず、今できることを精いっぱいやりながら生きていく姿勢には見習うべきものがあります。
こういう方を見ていると、老後破綻というのは、資金が〇〇千万円以上あれば大丈夫とか、ないからダメだということではなく、自分の人生をどう捉え、どう行動するかによるのではないかと思うようになりました。
健康で、ポジティブに生きればなんとかなる。今は、そう思っています。
あたしは、生きるのが上手ではないので、会社勤めを続けていれば、再雇用で65歳まで、よたよたになって働き、具合が悪くなった頃に、後悔、恨み言を言う男です。
数年分の給料を失ったと考えれば悲惨で、不安も広がりますが、定年が55歳とか57歳だったころのことを思えば、まずまず働いたわけで、そう悲観することでもありません。
今の状態は、やりたいことをすればいい。
やりたくないことはやらなくていい。
数年分の給料と引き換えに、少し早く気楽で、自分主体の時間を手に入れました。
どうしてもやりたいことがあって、それにお金がかかるなら、まだまだ働けるのだから、アルバイトでも、起業でもして、稼げばいい。自分次第です。
どんな状況になっても、年相応に健康であれば、シルバー人材センターの方のように、高齢者のバイトも皆無ではありません。
無所属の基本は健康管理ですね。
早寝早起き、適度な運動といった毎日の習慣を自分でコントロールしていく必要があり、現在もいろいろやっているところです。
かといって、カミさんのように、人間ドックや健診ばかり受け管理しても、健康にはなれません。
検査をしても、治そうという行動がなくっちゃ。