まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

静かな年の瀬

2015年12月31日 | 家事・雑草との日々

今年は、子どもたちも家に来て、日中は家の外回りの掃除やワンコの散歩を手伝ってくれました。

今の時間、母子の遠くの話し声を聞きながら、あたしは、ひとり静かな年の瀬を送っています。
静かな時間って、幸せですね。

みなさまも、よいお年を!

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房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅 営業キロ15.3Km) その2

2015年12月31日 | 房総駅間ひとりウォーク
青堀駅を出て、小糸川を渡ると君津市です。どんどん田舎の風景が少なくなってきました。
 
地図を見ていたら、川を渡ってじきの青蓮寺というお寺に、近江屋甚兵衛の墓という表示があったので、のぞいてみました。
 
 
 
江戸時代の浅草海苔の商人でしたが、海苔の養殖を研究し、この地で海苔養殖を成功させ、「上総海苔」を全国に普及させた功労者だとか。甚兵衛55歳のとき、養殖の事業に乗り出した。海苔版伊能忠敬のような人ですね。
人は、情熱があれば、歳というのはあまり関係がないのですね。きっと。
 
傍に立つ、「朝凪や 沖黒々と 海苔たたみ」という句碑に歌われた情景が見えるようでした。
 
こういう偉人の故事を聞くと、あたしもまだまだやれることは関心をもってやらなくちゃ、と反省です。
 
 
 
君津駅が近くなってきました。
 
『時刻表確認!』『スピード落とせ!』の看板が目に留まりました。
列車運行は、いろいろな運行システムで管理はされていても、最後は、人間の判断。運転士さんは、この辺りで「時刻表確認、ヨシ!」とやっているのしょうか。
いつも、正確で安全な運行に感謝です。
 
 

君津駅は、周辺は開発され、駅舎も都会的な駅でした。
 
 
 
君津市のキャラ、きみつの森に住む小さな動物『きみぴょん』というらしいですが、明るくて、可愛いですね。
 
 
 
上総一宮以来、久しく見つけられなかった、デザインマンホールを見つけました。君津市は、ミツバツツジが描かれています。『きみぴょん』もミツバツツジをモチーフに作られたのだとか。
 
君津駅-木更津駅間キロは7Kmで、外房、内房線で一番長い。日も短いので、寄り道せず、頑張って歩きました。

 
 
夕暮れと競争するように、ひたすら歩いて、木更津駅前に。
さすが、明るく活気のある駅前です。
今回は回れませんでしたが、證誠寺の狸が迎えてくれました。
 
 
 
駅前のスパークルシティ2階にある、かずさFMのスタジオを見学。残念ながら、オンエア中ではありせんでしたが、その瞬間も聴いているラジオの放送局前に立っているというのもかんだか不思議な感じでした。
スタジオを見たら、かずさFM、今まで以上に身近になりました。
 
 
 
16時30分過ぎ、木更津駅に到着。
真っ暗になる前に到着できて、よかったぁ。
 
画像の奥側に、駅そばがあったので、久しぶりに食べてみました。
素朴だけど、美味しかった。
 
今年のイベント的なウォークは、これで最後。

来年も時速4キロの時間の旅を企画して、今まで気づかなかったことを見つける旅を続けたいと思っています。
 
房総駅間ひとりウォークは、1月中旬、木更津駅、證誠寺あたりから歩き出します。
 
JR内房線 大貫駅~木更津駅 営業キロ15.3Km)    2015年12月14日
実際に歩いた歩数 38,642歩(27.3Km)
 
 
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房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅 営業キロ15.3Km) その1

2015年12月30日 | 房総駅間ひとりウォーク
11月のウォークで、大貫駅構内の案内板でみた、「田沼意次ゆかりの地、小久保藩陣屋跡」というところが気になっていました。

調べてみると、佐貫駅方向へ1Kmちょっと戻った富津市中央公民館周辺がその場所だとわかり、今回は、ここから歩き始めました。
 

 
小久保藩陣屋は、古代(5世紀後半)の弁天山古墳に隣接してあったようです。後ろの盛り上がって見える部分が古墳。
その向こうには、東京湾観音さんの後ろ姿を遠望できました。
 
現地にたっていた説明書きを読むと、幕末まで静岡県の相良をおさめていた、田沼意次(曾祖父らしい)の直系子孫、意尊(おきたか)が、大政奉還によって、居所がなくなってしまった徳川16代宗家家達(いえさと)の静岡入りと入れ替わりで、ここ千葉の小久保村に入り、陣屋を作り、施政した場所だとのこと。明治4年には、廃藩置県により、小久保藩は消滅。
 
実際の史実はよくわかりませんが、辞令一枚で移動させらる総合職サラリーマンの悲哀のようなものが感じられた顕彰碑でした。
 
 
 
古墳の上の建物内に、竪穴式石室が展示されていました。
上部に突起のある作りは、畿内の大王陵級のものにみられるもので、東日本では、たいへん珍しいものだそうです。
悲しいかな、あたしには、巨大な石以外のものには感じられませんでした
 
県道157号(大貫-青堀線)を中心に、青堀駅方面へ歩きました。
 
 
道沿いに、あやしいほどりっぱな建物発見。
富津市役所でした。
 
 
 
隣には、千葉の本局のようなりっぱな郵便局。消防署も。
 
だいぶ財政的に厳しい市だと地元紙などでは報道されているけれど、こういうのを目のあたりにすると、この償却だけでも大変そう。
 
あたしの住む小さな町でも、りっぱ過ぎる庁舎が建っていますが、公務員が事務をするだけの場所に、あまりにもお金をかけ過ぎでは?と、しばし、ため息でした。
 
郵便局もお金を扱っている部分はともかく、大手の宅配物流企業は、プレハブのような建物で汗を流しているのを見かけます。日本郵政は、上場したといっても、まだ公務員気質なのかなぁ。
 
地図でみると、青堀駅に向かう途中(小糸川下流域周辺)は、古代須恵国といわれる文化圏があったらしく、たくさんの古墳がありました。
 
道沿いにあった、九条塚古墳、内裏塚古墳に立ちよりました。
 
内裏塚古墳は、南関東最大の前方後円墳だそうで、偶然ですが、いい思い出ができました。
 
古代房総には、都にもその美しさが聞こえた美人が二人いたそうで、その一人が、須恵の珠奈という、容姿端正で妖艶な女性だそうです。古墳の上には、『珠名塚碑』というのが建っていました。

ちなみに、もうひとりは、現市川市の真間の手児奈。こちらは、清純で花のようにほほえんでいたとか。万葉歌人の世界です。
 
近くに、飯野藩陣屋跡という近世三大陣屋跡が残っていると説明書きにあったので、回ってみました。
 
飯野藩、初代保科正貞は、徳川家康が伯父さん、という名門であったらしく、1648年から、1871年の廃藩置県まで、223年間にわたって、当地や関西の領地をおさめていたようです。保科正之の会津藩は、本家筋にあたるんだとか。
 
 
 
現在、建物等は残っていませんでしたが、陣屋を囲むお濠に沿って歩いていると、これは当時は、本格的だったろうなぁという感じがしました。
 
県内にある〇〇陣屋跡というところは他にも知っていますが、これほど広大な敷地は初めてです。
 
 

飯野陣屋大手口。
 
 
 
敷地奥には、飯野神社。
立ち寄って過ごした時間は、今の人の生活の中に、歴史が感じられ、静かな楽しい時間になりました。
 
 
 
 
青堀駅前に建つ、『古墳の里 ふれあい館』
電車の車窓からも見えたので、立ち寄り。無人の資料館兼休憩所のような施設でした。

周辺の古墳マップなどもあり、青堀駅を起点に、古墳めぐりをする場合は、寄ってみるのもいいかもしれません。
 
 
12時半過ぎ、青堀駅に到着。17000歩あまり。ちょっと、寄り道しすぎたかな!?
 
 
 
青堀駅前には、こんな風景も。
外房で見た戦争時の掩体壕かな、と思ったのですが、説明書きには、上野塚古墳との説明。
駅周辺開発で、掘り起こした後を保存していたものでした。
 
房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅)  その2へ続く
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天は見てるぞ!

2015年12月24日 | 日記
『駅間ひとりウォーク』で、富津市の大貫駅から木更津市の木更津駅までのJR線沿線をぶらついてきました。
ウォークの様子は、別にまとめますが、今回は、ラジオと地域の話をちょこっと。

富津市、君津市、袖ケ浦市、木更津市辺りは、コミュニティFM放送、『かずさエフエム〜Breeze Radio〜』があって、電波でカバーしています。
ローカルな話題が多く、あたし的には、ベイエフエム同様、お気に入りの放送局。
 
ベイエフエムは、首都圏ではメジャーリーグ入りしている放送局。
千葉市に本社を置き、千葉県内全域をカバーし、関東圏では知っている方もいると思いますが、かずさFM は、マイナーリーグ。
 
野球でいったら、2Aくらいでしょうか。
県内でも、限られた地域でしか電波で聴くことはできません(でした)。

最近は、インターネットラジオが普及し、あたしの居住地、東上総エリアでも快適に聞けますが、以前(2009年に開局)は、木更津市周辺まで、当時は、『FMべる』といったこの放送局の電波を拾いに行ったことも、懐かしい思い出になりました。

ちょっと安房まで足を延ばして、勝山や保田で美味しい魚をいただいたり、水仙、頼朝桜を見たり。

温泉といっても、思いっきり、マイナーリーグですが、南房総には、古い温泉もいくつかあり、日帰り入浴。
ラジオ放送を聴きながら、そんな時間をずいぶん楽しんできました。

テンション高いときは、荒波の外房ですが、疲れちゃったときは、内海とラジオ。
 
ほんと、助けられたし、こらからは、テンション上がることはないだろうから、西上総から、安房の海浜で時間を潰すことが多くなるのかな。

今回、自分の足で歩いてみると、最近の君津や木更津は都市化して、『アカヌケ』してて、駅周辺は、「こりゃ、東京じゃねぇんけ?」という変わりよう。
「びっくりポンです」
 
むかし、むかし、千葉県を『房の国(ふさのくに)』といったころ、安房、上総、下総に分かれていたんだそうです。
 
その名残は、今もあって、『房総』ということばや、『安房、上総、下総』という大まかなくくりも残っています。
 
県のキャラクター『チーバ君』を可哀そうですが、横切りし、お尻のあたりまでが、安房。
 
胸のあたりまでが上総。
 
その上が、下総という感じでしょうか。
 
福島を旅していると、放送で、『会津、中通り、浜通り』という言葉をよく耳にしますが、そんな文化圏に近いくくりです。
 
『上総国』は、今回歩いた東京湾側のエリアは、苦しい中にも、伸びしろがあるようですが、あたしの住む東上総、内陸から太平洋側のエリアは、苦しい中で、過疎化、高齢化。衰退の一歩です。

わが家も、3人の子たちが他所へいって働き、今は、『いいと思って一緒になった』カミさんと、死んだばあちゃんが可愛がっていたワンコ。こんな家族構成です。
 
東上総に、もっと光を!
そう、強く思いました。
(行政の関係だと思いますが、上総国を東西に分けるようになってきました)
 
東京湾を道路でつなぐことはできても、例えば、鴨川市とカリフォルニアあたりを道路でつなぐ(=生活圏を一緒にする)なんてことは、現実的ではないです。
 
そうなると、半島は、島国と一緒。
 
住むには、いいところですが、生活基盤(仕事)が厳しい。

定年退職した、あたし年齢の人の『終の棲家』では、地域は負のスパイラル。
難しいですね。
 
かずさエフエムは開局当初からはだんぜん進化し、放送を聴いていると、普段は、ベイエフエムのようなメジャー級の雰囲気。
 
おお、いいじゃん、と思っていると、CMが途中で止まってしまい、あれっ、ラジオの電池きれたかな、と思っていると、「なんか、止まってしまったみたいですね。もう一度、初めから流しますね」なんてのがあったり、木更津周辺を営業エリアにしている日東バスという会社の歌だと思うんですが、『ニコニコ日東バスの歌』なんてのが流れたり。
 
やっぱ、おらげん、放送局。
親しみがわきます。
 
『ニコニコ日東バスの歌』、いいなぁ、と思っていたら、今朝のテレビニュースで、日東バスのドライバーが、「早く帰りたいから」という理由で、停留所を飛ばしてました、なんて不祥事がTBS『あさチャン!』報道されていました。
 
おいおい、頼むよ。
房総の内陸部は、たしかに、人口より、猿や鹿、猪の数の方が多いけれど、そんな中で暮らす、ライフラインのバスなんだからさ。
 
外で仕事をする人の心構え!

山間地で、ひとりで作業する気持ちは、あたしにはよく分かるけど、『天は、見てるぞ!』
 
その天って、最近、自分自身なのかもって、気がしてきました。
 
 
 
 
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弁護士まで着服とは

2015年12月22日 | 日記

数日前の読売新聞に、この3年間で、成年後見人制度等を悪用した弁護士による着服20億円超、23人起訴、という記事が載っていました。

高い専門性のある法律家や医師も人であり、欲もあり、間違いも起こすということはわかりますが、倫理や公平性の観点から、あたしたちを守ってくれる優秀な人たちだとの思いが今もあります。

その立ち場の人が、認知症等で判断が十分できない弱い立場の人の財産を私していまう。自分の中では、たいへん嘆かわしい思いがしたニュースでした。

人は、最後は自分を信じて、自分で判断し、その結果は受け入れて生きていくしかないのでしょうが、困ったときは、可能であれば、自分より広い視野、専門的な知識をもった人に導いてもらいたいと思うものではないしょうか。

そんな時、頼るべき職業、立場の人たちへの信頼性がないというのは、さびしい社会です。

弁護士数は、35000人余りだそうなので、一部の、という話なのでしょうが、会見で泣き叫んだりするインチキ臭い政治家が多くなってきた今、医師や弁護士などまでも、うさん臭い社会になってしまっては、ほんと、なにを拠り所にして生きていったらよいのか分からなくなってしまいます。

神さま、仏さまは、こころの支えにはなりますが、いくら信心しても、病気はなおせませんし、法律トラブルも解決できません。

お金が絡んでくると、なんで、人は殺伐としてくるんですかね。
お金がゼロでは、生きていけませんが、生きていくのに、お金がすべてではないと思うんですが。

裸にて 生まれてきたに なに不足

 

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