まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

防災無線受信機 17年ぶりの電池替え

2015年08月30日 | 家事・雑草との日々
9月1日、防災の日が近づいてきました。
9月1日の日付は、大正12年9月1日に発生した関東大震災にちなんだものだそうです。

自分が主体性をもって生きるようになってから体験した大きな災害は、昭和62(1987)年12月17日の千葉県東方沖地震。
平成2(1990)年12月11日、近くの街で起きた竜巻。
そして、まだ生々しい記憶のある、平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災。
仕事では、この間、複数の仲間が病気や事故で亡くなりました。
時は流れましたねぇ。

いくつかの大きな災害を経験して感じたのは、混乱が大きければ大きいほど、便利な道具は脆弱だということです。
最後は、人と人、手から手が、一番信頼性が高いように思います。

わが家にある防災グッズといっても、ほとんど準備していないような状態ですが、思い立って、棚の上で埃だらけになっている防災受信機の掃除・点検を行いました。

こういう受信機は、田舎特有のものなのかもしれませんが、各家に受信機があって、平常は行政からのお知らせなどを流し、火事、災害時等は防災緊急放送が流されます。

2階の洗面台の棚の上のちょっと届かない場所に設置してあるので、最近はほとんどいじった記憶もなく、放置状態でした。
埃取りをしながら、そうそう、以前は停電時の予備電池を入れ替えてなぁと気づき、電池ボックスをあけてみたら、茶色い液がたら~~ん。液漏れです。



電池の使用推奨期限を見たら、06-98。
たぶんこれ、6月―1998年だと思います。いやいや17年ぶりの電池交換です。

端子部分をサンドペーパーで擦って掃除したら、通電したので新しい電池を入れました。
本体には、電池の交換は6か月毎が目安です、と表示されています。6か月のところ17年も放置してあった、やろうと思ってもなかなかできることじゃありませんね(*_*;

大きな災害が起きて停電になったとき、少しの間はこの予備電池で行政からの情報を受信できます。手帳に記録して、これからは定期的に交換して行こうと思います。

それにしても、17年間も電池を交換していなかったことには、不覚でした。自分でもびっくりです。
時々替えていたような記憶があるのは、30歳代のころの記憶だったんですね(笑)
仕事にかまけて、こういうことも全然やっていなかったんだなぁと大いに反省の電池交換でした。


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ワンコ その後

2015年08月29日 | ワンコとの日々

一月前、咳連発で、もうだめかい!と動揺したのが嘘のように、今は元気になりました。

今日も、まだ痛風の後遺症を引きずっているあたしを引っ張って、稲刈りが盛んのいつもの散歩道を歩いてきました。
いやぁ、歩くのが楽しそうだわ。(結構、結構!)

犬年齢を人換算すれば、あたしと同じくらいです。でも、ワンコはどんどん時間が過ぎていく。
思いの丈、生きられるように、応援してやりたいなぁ。

犬ドクターに指導された、『胴輪』はとても有効だったかも。

首を圧迫しないだけでなく、引っ張り癖もなおってきたように思います。

改めて考えると、盲導犬などはみんなハーネスですね。

そうとうバカワンコですが、無所属の時間を共に過ごす、かけがえのないツレです。

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老化を自覚

2015年08月27日 | 不健康な日々

ラジオ体操を生活の中に取り入れたいと考えて、もう随分と長い時間がたちましたが、まだまだ習慣化には程遠い日々です。

うまく続かない原因は、第二体操ができないことにあります。ラジオにあわせて体操を始めても、第2体操になるとぜんぜんできません。できなければ、やる気も削げます。

子供のころ、学校やラジオ体操会では、なぜか第一体操しかしなかった。その後、千葉県民体操(菜の花体操といった。あの体操はいまどうなったの?)が入ってきて、学校ではラジオ体操をしなくなりました。
そんな時代が、子の時代まで続いたように記憶しています。あたしは、ラジオ体操第二ができませんが、子たちは、ラジオ体操自体できないかもしれません。(今度聞いてみよっと)
会社に入ってからは、その組織独自の体操があり、それに長い間馴染んできました。

できないことを言い訳にしてやらない、はあたし得意技のひとつですが、痛風をきっかけに、7月から、リブート。
携帯PCは、庭でもWi-Fiが通じるので、動画を見ながら、取り組んできました。

何日も動画を見ながら練習し、暇なときには、イメージトレーニングもし、頭の中ではできるようになったのですが、ラジオ放送に合わせてやると、一テンポ遅れてしまったり、違う動きをしてしまったり、どうもうまく動けません。なかなか覚えられない。
今朝も苦笑いです。
これ、明らかな老化ですね。

50代になってから、ほとんど体を動かすことがなかったので、こういう認識がなかったのですが、意識していることが、スムーズに行動に移せないのは危険なことで、これからは、このことをよく自覚して日々を過ごさなくては、と思います。

40代の自分であれば、数回教えてもらい、イメージできれば、問題なく行動に移せたので、実は、気持ちの上では、そんな気持ちで今までいました。
実際は、車の運転などにしても、”そうとう鈍く”なってきているということだと思います。

 もうひとつ、物忘れがひどくなってきました。

例えば、携帯を持って行こうと思いつつ、別のことをちょっとすると、携帯、忘れちゃう。なにやってんだろって感じで、ひとり苦笑いしてしまうときもあります((+_+))

カミさんいわく、歳をとったら、一つ一つです!
物忘れについては、カミさんも同じらしい。

こういう状態は、不健康というより、年相応の衰えで、しっかり受け入れて生きていけばいいのかもしれませんね。

 

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まずい!どうも早朝高血圧のようだ

2015年08月26日 | 不健康な日々

左足親指の付け根関節の痛みはなくなりましたが、痛風の後遺症で、まだ足の甲の部分に腫れがあり、鈍痛が続いています。今回の発作の痛みは強烈だっただけに、なかなか収束しません。

『リバウンド王の再チャレンジ』(2015年07月24日(金))に書いた、毎朝の体重測定と記録はひと月続きました。血圧も微妙なところで推移しているので、この際、体重測定とセットではかって記録することにしました。

体重の方は、7月下旬に、75Kgでスタートし、今朝は72.5Kg(このところ72.5~73.5Kgを行ったり来たり)。毎日体重計にのり、意識しただけですが、まずまずの効果です。

あたしの場合、標準体重までの減りシロはまだまだそうとうあるので、やせたというより、普通に少し近づいたという感じで、油断すれば、すぐもとに戻ってしまいます(笑)

おせんべいをもう一枚食べたいのを、あっ、いかん、と我慢し、まだ十分歩けないので、日に何度もラジオ体操をしたり、緩くやっている毎日ですが、グラフができてくると、右肩は上げたくはないですね(笑)

血圧の方なんですが、これが、毎日、思いのほか高いんです。

現在は、7月の痛風発作から、ドクターとも相談して降圧薬は止めて様子を見ていますが、日中帯の血圧は、130mmHg前後‐80mmHg前後、心拍数70前後で、家でも、病院の看護士がはかっても似たような数字です。ドクターも薬止めてみようか、というくらいですから、これは、“普通”の範囲に入っているのではないかと思っています。

この1月、毎日はかってきた、朝、起床後1時間以内の血圧は、150mmHg前後‐85mmHg前後、心拍数60前後。これは、ちょっと高いですよね。今まで朝血圧をはかる習慣はなく、気づきませんでしたが、これって、早朝高血圧というらしいですね。

血圧は、夜寝ている間は低く、朝方から午前中にかけてゆっくりと上昇し、昼間は高くなっていくのが正常らしいですが、あたしの場合は、朝最高でだんだん低くなり、寝る前には120mmHgだい後‐70mmHgだいに下がってきます。

こりゃ、ちょっとまずいような気がしてきました。起床時間から午前中は、高血圧による、脳卒中や心筋梗塞などが発生するリスクが高いようです。

毎日はかっていると、週1日くらいの間隔で正常なときもあり、原因はよくわかりません。

まあ、すぐにどうこうというほど高い数字ではないので、あと1~2か月、寝る前の水分を加減したり、寝る前は暗くしてゆったり過ごす時間を作ったりしながら、測定を続けて、この状態が長く続くようなら、自分ではかったデータをもって、ドクターに相談してみようかとも思っています。

足の具合が本調子ではなく、元気に歩けないのも遠因の1つかもしれません。

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戦争と歴史

2015年08月25日 | 日記
歴史は常に勝者によって作られる。歴史とは合意の上に成り立つ作り話に他ならない。 

勝てば官軍。

歴史は戦争に勝った方の立場、論理で作られ、常識になっていくということを言ったいろいろな言葉があります。勝った方とは、実際の戦争だけに限らず、絶対的な経済的な優位性も含まれるように思います。

先日今年の終戦の日が過ぎましたが、依然、日中、日韓(朝)の歴史認識の隔たりが大きく埋まりそうにありません。
日本は、西欧に対しては、太平洋戦争の敗戦国ですが、中国、朝鮮に対しては、戦後、昭和の時代までは、経済的に絶対的な優位に立ってきました。そんな中で、とってきた歴史認識が、今の隔たりの根っこにあるようにも感じます。

日本の技術力等を貪欲に取り込み、今は経済的には、日本を追い越し、彼らが優位に立ちました。
こんどは、彼らの視点での歴史が常識になっていく時代かもしれません。

子供のころから生活の中で歴史教育を行えば、それが常識になり、真実になる。国際的に、圧倒的な経済的優位性ができれば、その国の真実が、歴史になる。

戦争は、政治的には、どちらの側から見ても、大義があり、被害者意識があると思います。

でも、そんな政治的な思惑とは別に、実際に戦っている庶民には、おそらく目の前の苦しい生活と現実の被害しかない。

平和な時には子が親の弔(とむら)いをする。戦となれば、親が子の弔いをせねばならぬ。
とは、どっかで読んだ言葉ですが、庶民にとって、子、若い世代は、『希望』です。戦争は、希望を奪い取り、絶望を押し付けます。

大正末期から昭和一桁生まれの人たちは、太平洋戦争を前線で戦いました。昭和10年代生まれの人たちは戦後を語ることはできても、戦争体験はありません。昭和20年代生まれ以降は、“戦争を知らないおやじたち”です。昭和90年の今年、70歳の人は、戦争の実体験がありません。昭和30年代生まれのあたしには、戦争・戦後混乱期の凄まじさ、悲惨さは、想像もできません。
例年8月近くになると城山三郎さんなどの小説を引っ張り出して読んでみたり、近くの戦争遺跡を訪ねて、間接的に思いを馳せるのがせいぜいです。
戦争だけに限らず、その場を体験したことのない人間は、観念的に分かったつもりになり、同じ間違いを起こしやすい。

個々には面識も、なんの感情もない個人が、血を流し殺しあう戦争は憎しみのスパイラスしか生まないと感じます。

日本人が原爆を使ったアメリカを非難すれば、アメリカ人は、パールハーバーの奇襲攻撃や負けを受け入れず行った特攻攻撃でたくさんの人命がなくなったことを非難するでしょう。
憎しみは憎しみをうみ、出口はありません。
勝者の論理で戦争の歴史は書けても、実際に血が流される生活者の歴史とは違う場合も多い。

争わないのが一番ですが、人間どうもそうはいかない生き物のようです。
戦争の実体験のないあたしにもわかるのは、血を流しても殴り合いまでは和解の余地はあるが、命のやり取りをする戦争からは憎しみしか生まれないということで、たぶんこれは間違いない。

戦争を知らない世代の人間が中心となって、なにかと物騒な話題の多いこの頃ですが、子が親をおくり、お盆などにはささやかでも家族が寄り集まって先祖を偲べる様な平和な社会が続いてほしいと願います。


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