まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

寝ているのも退屈だ

2016年02月28日 | 不健康な日々

闘病生活(?)1週間、ようやく喉や鼻炎の不快感も頭痛も軽減して、何かをやってみようという気になってきました。

215日から始まる週に、カミさんが風邪をわが家に連れてきました。カミさんの方は、週末の21日の土曜日あたりにピークをむかえ、23日月曜には、復活の狼煙をあげて、出勤していきました。

そして、そこから始まった1週間が、あたしの闘病生活(?)。

症状は、ひどい喉の痛み、鼻水タラタラの鼻炎、咳。熱はそう高くはならなかったのですが、頭が重く、やる気なし。
仕事らしい仕事もしていないの、思う存分布団にもぐっていればいいわけで、気楽極まりない身分なのですが、さすがに、”なんもやる気はないけど、退屈”でした。

モウロウとする頭でやりだしたのが、思い浮かんだ気持ちを五七五にまとめて楽しむひとり遊び。

以下がこの1週間の様子です。

22日 小さな家なので、結局逃げ切れませんでした。

     あれこれと 希望が多い パートナー

     うつすなよ あっちへ行けと 逃げ回り

21日(土) カミさんがだいぶ弱ってきたので、医者に連れていきました。あたしのは、ここでもらった可能性もあり。

     待ち時間 待合室で また悪化

23日(月)  カミさんは、まだ具合が悪そうでしたが、復活の大狼煙をあげて、出勤していきました。このころから、あたしは、上記の症状が出始め、最低限の事だけして、あとは寝床生活。

     カミさんは 元気に復帰 戦後処理 

     ひとりなら、風邪をひいても せわあない

そんな心境でした。

24日~26日 喉の痛み、鼻炎、咳で、絶不調。

     滅びゆく 頭の上に 湯気のぼり

     おいワンコ おまえはなぜに 風邪ひかぬ

     ワンワンと 階下で俺を 呼んでいる

     昼時の ひとり粥の 味気なさ

     散歩時 今日もなしかと 無念の目

     どてら着て 母のぬくもり 思い出す

27日(土) ようやくピークごえ。

     痰が切れ 終わり近いか 寝床の日

     当たり前 なくして気付く ありがたさ

そして、今日。
ホームセンターに買い物にでたり、ようやくブログも開いてみる気になりました。

『当たり前 なくして気付く ありがたさ』

これホントですね。

でも、あたしゃ喉元過ぎるとすぐ忘れちゃうんですよね。ここまできたら、死ぬまでこんな繰り返しなんでしょうね、きっと。

 

 

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房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その2

2016年02月21日 | 房総駅間ひとりウォーク
マップに、飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)という大きな神社があったので立ち寄って見ました。
  
 
  
中世以降上総総社として称されているとのこと。
なかなかりっぱな、歴史を感じさせてくれた境内でした。
 
 
 
 『放生池』
今はいい感じの庭園ですが、江戸末期まで、この付近は海岸線で、大祭の際には、殺生を止めて作善のために、捉えた生類は放流していたのだそうです。
そんな名残で、現在は池という形で残っているのだとか。

 
 浜野駅に向かう途中で見つけた、内房線単線時代の痕跡。
赤煉瓦に、昭和の時代を感じます。
1個1個苦労して積んだんだろうなぁ。
 
 
 
 浜野駅です。千葉市中央区村田町。
この駅からは千葉市です。
表に、駅名の看板がなく、明徳浜野幼稚園の看板が目立ちました。
 
 
 
神社ののぼりばたが見えたので立ち寄ってみたら、『蘇我比神社(そがひめじんじゃ)』という、蘇我の地名のもとになっている古社でした。(ラッキー!)

日本武尊の東征の際の伝説(房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅)その1参照
)で、弟橘姫と共に入水した蘇我大臣の娘の蘇我比だけがこの付近の浜に打ち上げられ、里人の手で助けられた。
のちに、応神天皇は、蘇我氏をこの地の国造として派遣し、おさめさせた。
それで、蘇我という地名になったのだと、由来書きにありました。

浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫で、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったという別の伝説もあるようですが、これだと、木更津の地で日本武尊の詠んだ歌が、なんだか空回りしてしまう。
弟橘姫のおかげで困難を超えられた、かけがえのない弟橘姫を失てしまった、と傷心の日本武尊が、実は、ちょっと先の海岸で、弟橘姫は復活してましたぁって知ったら、海が鎮まったのは、単にお天気せいかい!ってことになってしまい、現実的過ぎる。
”お話し”としては、弟橘姫が命を引き換えに海を鎮めて、日本武尊を助けた。この方が、いいのではないかと思ったりします。(どっちでもいいですが)
 
 
 
浜野駅から、海岸方向へ出て、ジェフユナイテッド千葉とフクダ電子アリーナの雰囲気を感じるために、蘇我スポーツ公園に回りました。

おっ、ジェフユナイテッド株式会社!
JEF(ジェフ)は、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本) Furukawa(=古河)の略称に由来するんですね。
こんなことも、初めてしました。
 
 
 
 おっ、フクダ電子アリーナ!でかい!

あたしの街の運動場がスポーツ施設の物差しなので、圧倒される大きさです。

フクダ電子は、県内の企業かな?程度の認識だったのですが、今回、東京に本拠を置く、医療機器を製造・販売するメーカーだと知りました。

途中、スポーツクラブの子供たちがサッカーをしている姿をみて、元気をもらい、いよいよゴールまじか。
 
 
 
15時30分頃、蘇我駅に。
高架上の駅入口に、ジェフユナイテッドのカラーが見えます。ゴールです。

歩数は、29,000歩余り。線路沿いに歩ける道が多かったので、思いの他早く歩ききれました。
まだ明るいし、元気も残っている。

思い残すのは、外房・内房線全駅徒歩完歩といっても、蘇我起点。

この際、外房・内房線の起点、千葉駅まで、歩いちゃおう!

おまけで、東京の中心部と変わらないくらい賑やかになった、千葉の市街とぶらつき始めました。
 
 
 
 JR本千葉駅。
千葉県庁側は、今のJRさん風ですが、
反対側の看板は、「お~~っ、俺らの時代の看板が残っていました。」

でも、街はほんと、賑やかだわ!
  
 

「えらいもんだ。最近は、千葉も東京も変わんねぇなぁ。」

大きな顔(頭)に、百均のキャップを被り、耳には時代遅れの電波のラジオの耳栓をして、ベイエフムを聞き、時代遅れのデザインの背負い袋を背負ったオヤジ。

誰も気にしてない!
こっちも、ぜんぜん、関係ない!

今のこの地の雰囲気、風景には、およそ馴染まないけど、千葉(中心部)は、”馴染まない”ヒトも受け入れてくれる都会になったんだなぁ、びっくりポンの街歩きでした。

ちょっと、自信を取り戻したゴールでした。
次もひとりで企画したい!

JR内房線  姉ヶ崎駅 ~蘇我駅 営業キロ15.1Km+千葉駅) 2016年2月9日
実際に歩いた歩数 39,294歩(27.5Km)
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房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その1

2016年02月20日 | 房総駅間ひとりウォーク
月一回のペースで歩き始めた『房総駅間ひとりウォーク』の最終日。
JR内房線の姉ヶ崎駅から、JR蘇我駅を目指して、今日、元気よく歩き始めることができました。

昨年の今頃は、爪をはがしてしまったり、ひとりウォークをした後体調を崩して寝込んだり、夏は痛風で悩まされたり、いろいろなことがあった1年でしたが、よく歩き通せたと思います。
今、今日があるのが有難い!
それが、すべてですね。

姉ヶ崎駅を出て、線路と並行している県道24号線を、市原市の中心である五井駅に向けて歩いていると、県道から枝分かれした旧道との境に、民家にへばりつくように『馬頭尊』という石柱が残っていました。

馬頭尊や馬頭観音は、旅の安全を祈願して街道沿いに立てられたものだから、この周辺も近世の街道があり、にぎわっていたのだと思います。

 
表には、『馬頭尊 寛政八年丙辰年』、裏には、『作場道 上総国市原郡姉崎村内山谷 願主若者中』とあったので、今から200年くらい前に、姉崎村の人たちによって建てられたもののようです。
側面には、『房州道 木更津 ****』『江戸 ****』(*は読み取れず)などの文字もあったので、主要な交差点だったのかもしれません。
 
 
 
房総内陸部の大多喜町麻綿原高原に源を発し、五井で東京湾にそそぐ、養老川にかかる中瀬橋を渡ると、遠くに五井駅のシンボルタワー、市原市民プラザののっぽビルが見えてきました。

 

歩きはじめて2時間ほど、JR五井駅に到着。

五井は、JR駅では、市原市役所の最寄り駅であり、小湊鉄道の始発駅。
内房線の中間駅では、もっとも利用客数が多いのだとか。

奥に見える市原市民プラザ内には、Web放送をしていないので、なかなか聞くことはできないんですが、ローカルラジオ放送局、市原FMのスタジオがあるらしい。(帰ってきてから、かずさFMのアナウンスで知りました。小湊鉄道を歩くときには、生電波を聞いてみたいと思っています。)
 
 
 小湊鉄道の、田舎の風景によく合うキハ200形気動車。
最近、上総牛久駅~養老渓谷駅間で、里山トロッコの運行も行っているらしい。
機会と作って、乗ってみたいなぁ。
 
(里山トロッコのページ ↓ )
http://www.kominato.co.jp/satoyamatorocco/index.html

いつか、この沿線ものんびり時速4キロで歩いてみたい。
  
 
 
五井~八幡宿間も、線路と並行して、歩きやすい道がのびていました。
君塚地区の公園のペンチを借りて、お昼。


ご近所の方が、ウォーキングやジョギングを楽しんでいる姿を見ながら、おにぎりをパクついていたら、野鳥が足元まで遊びにきました。

ぜんぜん、怖がりません。
鳥の方がよく人なれしているのか、あたしの方が自然に溶け込んじゃっていたのか。

しばし、無言の会話を楽しませてもらいました。
 
 

八幡宿駅に到着。

中山道に同じ名前の大きな宿場がありますが、市原の八幡宿は、佐倉(成田)街道の宿場の一つだったようです。


房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その2へつづく。
 
 
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必要なものだけあれば

2016年02月20日 | 日記

子どもの頃は昼間は草むらに寝転がり、青空に浮かぶ雲を眺めて自分の伸びしろのようなものを感じてみたり、夜空の星を眺めて、ウルトラマンのM78星雲はどっかにあるのかな、と胸をふくらませた時間を送っていたように思い出します。

高校、大学、社会人とすすみ、人間社会の混沌に知らぬ間に飲み込まれ、空を見上げるゆとりもすっかり忘れてしまいました。

ワンコと散歩しいると、冬空に、ときどきで形を変える、きれいな月がとても新鮮です。これを記録してみようかな、と思い立ち、1月から『月観表』を自作し、見えた月の形などを書き込んで楽しんできましたが、見えない日がとても多いことに疑問を持ちました。

今日様は、だいたい決まった時間に東から上って、西に沈む。月もきっとそうだろうという思い込みです。

月の出入時刻を調べてみたら、毎日50分くらい変動していて、午前中に月出時刻があったり、23時過ぎだったりしている。高度も40度くらいから70度以上。
毎日、ワンコといっしょの同じ時間帯で見ようとしていたのが、そもそも無理な話でした。

「まてよ」これは、中学生くらいの理科で習ったかな?!

生きていくのに必要ないこと、興味のないことは、ほとんど忘れてしまいますね。

使わないものはなくてもいい、必要ないことは知らなくてもいい。 それで十分なんですね。きっと。

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ミモザの黄色 春の予感

2016年02月18日 | 少し働く日々

 

バイト先にある、ミモザの花が満開になってきました。びっしり黄色い花を付けた様子は、まだちょっと寒いけど、春なんだなぁと感じさせてくれます。

昨年末までは、暖冬だったため、このブログでも書きましたが、1月中旬には、早々に黄色い色がつき始めました。暖かかったので、大急ぎで開花の準備をしたのでしょうが、その後は、ガッツリ寒い冬がきて、咲きかけた花が寒々と寒風に耐えていました。
ここへきて、三寒四温とまではいかなくても、五寒二温くらいになってきたので、春を感じて咲いたのでしょう。

梅、早咲き桜も満開になってきました。寒い寒いと縮こまっていたら、暦は進んでもう、18日。2月はあと10日ほどで終わってしまいます。「一月往ぬる 二月げる 三月去る」という言葉もありますが、うかうかしていると、ソメイヨシノが咲き始めますね。
花木に元気をもらって、家の外仕事もどんどんやらなくては。

 組織に組み込まれていると、暑くても寒くても会社に当たり前に出るのでしょうが、自由人になると、つい、仕事より、暑さ寒さが優先になってしまいます。
自分自身でモチベーションを高めていかないと、引き籠りオヤジになっちゃいますね@ちょっと反省(笑)

 

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