まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR行川アイランド駅~JR安房鴨川駅 営業キロ12.8Km)  前編                            

2015年05月31日 | 房総駅間ひとりウォーク

行川アイランド駅を後にして、国道128号線、おせんころがしトンネルの手前で右に入り、大沢集落内の旧道を歩きました。

集落内を過ぎると、再び国道128号線と交差しましたが、国道を横切り、海沿いに旧道が伸びていたので、そこを歩くことにしました。

 

すれ違った車は1台きりで、大海原を望むいい感じの道でした。台風7号の影響で、荒れ気味だったのが少し残念です。穏やかなお天気であれば、いい感じの散歩道だと思います。

 

大海原を望む旧道がたどり着いたところは、安房小湊の日蓮宗大本山、小湊山誕生寺の裏手でした。

ここは、何度か訪ねて来ていますが、立派なお寺ですね。
ここの檀家になったら、結構お金がかかりそう、などと不謹慎なことを考えながら、今日の安全を誓い、お参り。
もうじき母の一周忌もあり、自由業と言えばかっこいいですが、実態はシルバーフリーターなので、現実的なことが頭をよぎってしまいました(笑)

誕生寺から、国道128号線を歩き、14時過ぎ、安房小湊駅に到着しました。

 

そろそろお疲れモードで、駅前の看板をぼんやり眺めていたら、「世界一 誕生時の鬼がわら」と書いてあるのを発見。
どうせ直ぐに忘れてしまうのでしょうが、またひとつ物知りになりました(笑)

安房天津駅を目指し、国道128号線の歩道を歩いていると、

 

交差点でこんな案内板を見つけました。
内浦山県民の森を案内するものだと思うのですが、「???」ちょっと違和感ありです。

横文字併記は、さすが国際空港のある千葉の発想なのですが、日本語のローマ字読みとEntという英語の合体。
横文字全然ダメの私にはとても分かり易い日本語英語の表示なのですが、これで英語圏の人に通じるのかな?と苦笑いです。まあ、田舎らしくて、と思えばいいですね。

 

豊明殿という温泉宿の先に、『とんねるすいぞくかん』という地元の方たちがおもてなしと遊び心で作ったと思われる絵画の水族館があり、長いトンネルの中を楽しく歩くことができました。
とても長い歩道トンネルなので、中で寂しくならないように作ってくれたのかな?

後編に続く

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房総駅間ひとりウォーク(JR鵜原(うばら)駅~JR行川アイランド駅 営業キロ6.3Km) 後編

2015年05月30日 | 房総駅間ひとりウォーク

屈指の透明度を誇り、「日本の渚百選」等にも選ばれている守谷海岸にでました。海は荒れていましたが、砂浜も海も確かにきれいです。
海岸の入口に、草に埋もれつつありましたが、親子のモニュメントが建っていました。1992年(平成4年)に天皇陛下をむかえ行われた「第12回全国豊かな海づくり大会」の顕彰碑でした。

子供の頃、海水浴は楽しい夏のイベントで、火脹れのように日焼けをしても、毎年何度も海に出かけたものですが、最近は、プール、冷房などが普及したこともあり、海への関心はすっかり薄れて来ているように思います。時の流れですね。

城山三郎さんの小説『男たちの好日』のモデルは、ここ守谷出身の森矗昶(のぶてる)氏(ヨード製造から森コンツェルン(電気化学工業)という新興財閥を立ち上げた。森英介氏祖父。)だそうです。すごい人の所縁の地でもあるんですね。

戦争は、庶民レベルでは悲惨なことしかありませんが、庶民の生活を犠牲する反面、『戦争景気』というように、一面の経済成長・技術革新をもたらすことも事実なようです。貧しいから戦いに入る、戦っている人たちと別の次元で、経済成長・技術革新が起こる。長い時間軸でみれば、その経済成長・技術革新は、貧しい人に戻ってくることもあるわけですが、失う物が大きすぎますよね。

清海小学校脇のトンネルを立ち入り禁止にしてあった日本冶金という会社は、森コンツェルン系の企業で、閉園した行川アイランドを運営していました。この周辺には逸話の多い企業のようです。

 

海岸から歩いて7~8分で、上総興津駅に着きました。JR東海の東海道本線に『興津駅』(東海道五十三次17番目の宿場町)があることから、外房線は、『上総』の名称を付けているようです。

下調べをしていたときウィキペディアこんな記事を読みました。
===ウィキペディア 東海道本線 興津駅 引用===

(略)清見寺では境内の一部が鉄道敷地として召し上げられ、(略)現在でもその名残で、東京側から見ると興津駅を過ぎた先で、清見寺の総門と本堂の間を東海道本線が横切っているのを見る事ができる。

=======

上総興津駅を出て線路沿いに歩いていたら、こちらにも同じような風景を見つけ、びっくりです。

 

日蓮宗妙覚寺という古刹ですが、右画像で、入り口の門があって奥に車止めが小さく見えると思います。参道を歩いてみると、左画像のように、参道をJR外房線が横切り、その奥にまた参道が伸びて本堂に続いています。東海道本線興津駅付近の清見寺の記述とよく似ています。

外房線も、上総の国と安房の国の境まできました。これからは、上総〇〇から安房〇〇の名称がつく駅が多くなってきます。

 

国道128号線沿いに、行川アイランド(なめがわアイランド:日本冶金工業の関連企業)の跡地が見えてきました。

子供の頃の遠足などでは思い出の多いレジャー施設だったのですが、鴨川シ―ワールド、TDLなどもでき、レジャー嗜好が移り変わる中で、2001年8月に閉園。今は草むらに寂しくバス停がたち、入り口だったトンネルは、閉鎖されていました。
房総では、イノシシ、猿などと並び、キョンによる農作物の被害が大きくなっていますが、ここで飼育されていたものの一部が1980年代以降に逃げ出し野生化したといわれています。変なところで、逸話を残しています。

 

国道を挟んで、行川アイランド跡地の前にある、行川アイランド駅です。
現在の利用者数は、県内のJR駅の中では最も少ないらしい。ちょうど下り特急わかしおが駅をゆっくり通過しました。行川アイランドの最盛期には、この小さな駅にも特急がとまり、たくさんの人たちの笑顔がみえました。子供の頃の賑わいを知っているだけに、ちょっと寂しいかも、です。

毎日何も変わっていないようでも、時の流れの中で、人の嗜好、生活スタイル、道路等は少しずつ変わり、気が付くと、えってほど大きく変わっているものなのかもしれませんね。

鵜原駅~行川(なめがわ)アイランド駅 営業キロ6.3Km)    2015年5月20日
実際に歩いた歩数 18,131歩(12.9Km)

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房総駅間ひとりウォーク(JR鵜原(うばら)駅~JR行川アイランド駅 営業キロ6.3Km) 前編

2015年05月29日 | 房総駅間ひとりウォーク

今回は、前回撮り忘れたJR鵜原駅舎を撮影し、徒歩7分ほどの所にある景勝地、『鵜原理想郷ハイキングコース(2.3Km)』を歩くことから始めました。

鵜原理想郷は、大正時代、大木遠吉鉄道大臣の秘書をしていた後藤杉久氏が、大木大臣の後援を得て鵜原理想郷土地株式会社を設立、別荘地として開発・分譲。当時は、大臣などの別荘が多く建ち、大臣村と呼ばれたそうです。
今風に言えば、高級リゾート地計画とでもいうのでしょうか。その後、諸般の事情で開発計画が中止となり、その名前が今に残っているらしいです。
現在は静かな場所ですが、当時はたくさん人の夢とロマンで沸き立ったところだったのでしょう。

時代は下り、太平洋戦争末期には、鵜原にもモーターボートを使った特攻部隊、第55震洋隊 (神浦性太(少尉) 昭和20年5月25日  千葉県勝浦鵜原)があったという記録があります。
鵜原特攻基地と呼ばれ、機体の数が揃わず海洋戦に回された数多くの青年余剰兵がこの地で従事したのだそうです。

理想郷というリゾートの夢を描いたその同じ場所で、若者たちが、米艦に、爆弾を積んだボートで自滅攻撃をかけるために過ごした時間もある。
実際の戦争遺跡の場所は私には分かりませんが、現地周辺に立って、戦時への思いも馳せてみたいと考えました。

駅を出て右手に進むと案内板があり、これにを頼りに、鵜原館の方向へ進みました。

 

トンネルを抜けて右折すると、すぐに、顕彰碑があったので立ち止まってみると、後藤杉久氏がこの地を開発したという碑でした。

 

更に進むと、鵜原理想郷の無料駐車場があり、コースの案内などが書かれた看板が建っていました。その先を右折して、鵜原館さんの敷地内を通って、山道のハイキングコースに入ります。

『私有地につき立ち入り禁止』、『入場(通行)料をお支払ください』が一般的な中で、私有地でも、ウォーキングはOKしてくれるのは有難いですね。

コースの途中に、

 

こんな感じの案内板や道標の石柱があったのですが、今一つ分かりづらく、手弱女平(たおやめだいら)という見どころを一つ飛ばしてしまったり、毛戸岬に行くつもりが、道に迷って毛戸浦の海岸へ降りてしまったりしました。

 

毛戸浦の海岸は、太平洋の荒波に浸食されたこんな感じのリアス式海岸でした。

この入り江で、思いがけず防空壕のような穴を複数みかけました。

 

漁師さんたちが使っているような感じではありません。一つは、ブロックでしっかり塞がれています。もしかしたら、戦争中に特攻兵器などを格納してあった跡かもしれないと気づき、しばらく入江で海をながめました。

こんな人知れない入江から、二十歳前後の若者が、爆弾を積んだボートで「お国のために死んで来い」と送り出されたのでは、たまりません(想像!)。
幸い、この地から特攻により亡くなった人はいないようですが、飛行機がないから、船で突っ込め、船がないから、潜水服を着て竹竿に爆弾を付けて、海の中からつつけ!
まさしく戦争は狂気ですね。
特攻で命を捨てるなら、若い人ではなく責任者世代(GG世代)でしょ!
これからを創っていける若い人の生きる時間を、特攻攻撃などという形で奪うことは間違いです。特攻までいく前に、間違って戦争を起こしてしまったとしても、間違いを早く認め、収束を図ることが大事。これに気づかなくなってしまうから、戦争は、狂気なんですね。

 

コースに戻り毛戸岬から見た景色は、なかなかのものでした。この画像は、迷子でパスしてしまった手弱女平(たおやめだいら)を、悔し紛れに、安物のデジカメのズームを最高にして撮りました。

一緒に歩いていた方(鵜原駅に降り立ったのは私とこの人の2人だけでした)とも話したのですが、案内が分かりにくいのが残念でした。
既存の石柱の文字が読めないのでペイントしてくれると多少いいかなと思うのですが・・・。自然の維持にはお金がかかりますね。

 

理想郷を下りて、鵜原海岸に出ました。
台風7号の影響で、海は大荒れです。
そんな中で見つけたのが、海に立つ鳥居。房総の海岸ではときどき見られます。
房総で観光的に残るお祭りのほとんどは、海と神輿の競演で、神が海から渡ってきたという伝説が多いと思います。神というのは、自分たちのできない事を可能にする技術や知識をもっている人、その技術や知識は、病も治し、農耕を広め、飢えをなくし、蓄えも与えたかもしれません。
遭難した地なのか、探索目的でたどり着いた地なのかはわかりませんが、ひたすら純粋なネイティブ房の国人は、文化・技術を持った人たちを神と崇めたのではないか?神様を信じていない不届き者の私は、海にたつ鳥居を見てそんな事を考えました。(単なる妄想です!)

 

鵜原海岸を後に、国道128号線を歩いていると、『清海小学校』という文字か目に入ってきました。
学校や保育所があるのなら、旧道かもしれないと思い、左の脇道に入ってみると、すぐに海岸線で、理想郷から遠望した岸壁の穴の場所に偶然たどり着きました。

 

かなり大きな人工的な穴です。画像には映っていませんが、この右側には、大きなトンネルがあり、日本冶金さんが、入り口を閉鎖してありました。
戦争遺跡かもしれないと思い、帰宅してWebをみてみたら、1945年5月に勝浦市立清海小学校の校庭で撮影された第55震洋特別攻撃隊の集合写真というものを見つけることができました。
この場所でも、きっと、激しく戦時を生きた時間があったんですね。

この穴や大きなトンネルを眺めていると、戦時のたくさんの人の辛い思いと共に、時間を遡り、引き込まれて行くような、悲しいというか、寂しいというか、複雑な気持ちになりました。

後編につづく。

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新緑散策

2015年05月28日 | ぶらぶらウォーキングの日々

千葉県立養老渓谷奥清澄自然公園内の梅ケ瀬に、日高誠実(のぶざね)邸跡を訪ねてきました。紅葉も大変きれいな所のようですが、今は、春燃ゆで、新緑がたまらなくきれいでした。

小湊鉄道養老渓谷駅からハイキングコースがあります。関東ふれあいの道にもなっていることから、適度に画像のような道標があり、マップがなくても、気ままに歩けました。

養老渓谷駅側からこんな橋をゆったり渡り、

 

いい感じの道端のお地蔵(延命地蔵)さんにお参りした後、前のベンチを借り、お昼。
関係者の方の働きかけで、周囲もとてもよく維持されており、感心しました。

 

分かれ道で、案内板がありました。マムシ、イノシシ、猿、蜂、山ビルなどがいるので、自己責任で歩いてね、という内容の注意板も設置されていました。
自然は豊かですが、確かにいろいろ出そうな雰囲気です。

日高邸跡は梅ケ瀬渓谷の奥にあるとのことなので、梅ケ瀬渓谷側に進むと、段々、山深く、緑が多くなってきました。
もみじの並木で、ここは紅葉すると凄そうです。この辺りまでは、車でも行けそうですが、紅葉の時期などは、すれ違いが厳しいかもしれませんね。
脱輪したり、こすったりすることを考えたら、ゆっくり歩いた方がよさそうです。
この道の先に、かなり広い駐車場もありました。

 

駐車場から先は、梅ケ瀬川沿いに人が歩けるだけの小路が伸びています。

途中の竹藪では、タケノコの頭を食いちぎったり、根元を掘り上げた痕跡がたくさん残っていました。
イノシシが出たらどうしよう?と、ちょっと弱気にはなったのですが、梅ケ瀬川の石を渡って、何度も川を渡りながら、新緑、川の中を泳ぐ小魚を見て楽しみ、川音、鳥の鳴き声を聞きながら、のんびりと歩いている内に、イノシシや猿のことは忘れてしまいました。
イノシシや猿も変なオヤジがごそごそ歩いていたら、怖がって逃げますよね(笑)

 

渓谷の源流辺り(行き止り)に日高邸跡は残っていました。あまり訪れる人がいないのか、木の顕彰碑は、朽ちてぼろぼろ。跡地の中央には、石の顕彰碑もありました。

 

当時の建物の礎石でしょうか、建物の痕跡です。よく、こういう場所を見つけ、建物を建てたなぁと感心しきりでした。
当時は、自然豊かで、今ほど猿や鹿、イノシシの被害もなかったのでしょうから、案外暮らしやすかったんですかね。現在は被害が多いようで、畑や田んぼを囲んだ電気柵がそこここに設置されていました。

現地にあった案内板によると、日高誠実氏は、日向国鍋島藩の出身で、幕末から明治にかけ生きた人物。勝海舟、伊藤博文、山県有朋らとも親交があったようです。
50歳の時に陸軍を辞め、当地を奈良県の月ヶ瀬のような、東海の名勝地・理想郷にする夢を持って開拓。
梅林の造成、林業、畜産、養魚を振興させる取組みを行いながら、国漢、英数、書道、剣道を教えて地域の人材育成に努めたとありました。
塾生はのべ千人にも及んだとのこと、すごい所に、すごい人がいたもんです。

お天気も良いので、ふっと思いついて出かけた2万歩余りの散策でしたが、この周辺は、歩きやすそうな他のコースもたくさんありましたので、また出かけてみようと思っています。

 

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老眼鏡

2015年05月26日 | 日記

今日は、房総の山歩きをしてきました。その話題は、また別に書くとして、最近めっきりだなぁと感じるのが老眼です。

近視なので、眼鏡を外せば近くは見えるのですが、『メガネ君』生活は長く、強い乱視もあり、眼鏡を外して長時間文章を読んだりするのも、結構疲れます。

40代後半から、遠近両用ってのに変えて結構しのいできましたが、遠近両用の近部分は見える範囲が狭いので、手元作業を続けるときは、これも、けっこう疲れるようになってきました。

昨年、まだ金回りのよかった時に、思いついて、乱視矯正の入った老眼鏡(手元作業用)を買ってあったのですが、このところこれを重宝するようになりました。
本を読んだり、PCを使ったりするときはとても楽です。
近くはよく見えるので、ついかけたまま外へ出かけてしまうことがあるのですが、車を運転するときなどは要注意ですね。小さな手持ちカバンを買って、2つの眼鏡ケースと近視用のサングラス(車運転時のみ)はいつもこれに入れ、眼鏡バッグにしています。外に出るときは、カバンを持つ!を習慣化。
最初は結構面倒でしたが、習慣化で普通になってきました。

メガネという道具によって、『ドキンちゃん』の私もここまで普通に生活してこれましたが、これからは、近視と乱視に加え、老眼とも長い付き合いになります。
まあ、これは10年近くをかけて自分に言い聞かせて準備してきたので、なんとか順応できそうです。

今のところ大丈夫ですが、目だけでなく、その内歯もオシャカになってしまい、人工の入歯って時期も来るんですね。
このあたりも平常心で普通に受け入れられる心の準備というか、時の流れを感じながら、少しずつ変化に順応していかなければと思っています、

ちなみに、カミさんも目が悪く、コンタクトでしか矯正できないようで、今はコンタクトをしつつ、眼科医で処方してもらった老眼鏡を鼻眼鏡でかけ、新聞なんか読んでます。

時間が流れれば、歳をとる。当たり前なことですが、これが老化なんだと最近感じています。

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