まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

なかなか生活のペースがつかめない

2023年03月11日 | ワンコとの日々

ワンコ先生がいなくなって一週間。
なかなか生活のペースがつかめない。

庭先の濡れ縁の警備台、日中過ごしていた小屋の警備詰め所を片付けた。

長い間お世話になったドクターへ亡くなった連絡とお礼の電話をした。

ワンコ先生を15年前に譲っていただいたNPOにも亡くなった連絡とお礼のメールを送り、未開封で残っていた食料は、NPOに今暮らしているワンコ先生の後輩たちに食べてもらう手配ができた。

この一週間にやってことだ。

朝起きても、どこにもワンコ先生の気配はない。

シルバーバイトが早く終わって、今日はワンコ先生をいっぱいかまってあげようと車で走り出し、あっ、家に帰ってももういないんだと気づく。

気が抜けてしまっている。

ワンコ先生が元気な頃は、ほんと、面倒くさいやつだなぁと思っていたのに、勝手なものである。

会社を終えて無所属となってからのこの数年は、ワンコ先生と過ごした時間がそれだけ濃厚だったってことだろう。

こんな物足らなさの生活に慣れるまでは、しばらくかかりそうだ。

近いうちに、時間を作って役場に犬鑑札を返しに行かなければと考えている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ先生、虹の橋の袂で

2023年03月05日 | ワンコとの日々

3月3日(金)朝、ワンコ先生が虹の橋に向けて旅立だった。

享年、16歳。

昨日(3月4日)、いつも畑作業に連れ出した際に遊んでいた開墾した畑の隅に、子たちの家族も駆けつけてくれて、家族で埋葬。

そして、天国の手前の緑の草原に旅立っていった。

死因は、餓死。

そのもとは、お腹に大きな腫瘍ができ、尿路を圧迫し、循環不全、多臓器不全。
一言でいえば、老衰。

食べても、飲んでも排泄ができずの通院であったけれど、一月あまり、ほぼ連日、ドクターのお世話になった。

虹の橋の袂って場所は、食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で暮らせるところらしい。

これって、浄土信仰の受け止め方だけれど、確かに、こう思うと心が安らぐ。

うちのワン先生、人は好きでも、犬付き合いは苦手。

シェルターにいたときのように家族は平気でも、社会生活での関係性は、ジイサンマン同様『人間関係不得手』なんだろうな。

まあ、苦痛かもしれないけれど、ワンコ先生をいじめたり、吠えかかる者ばかりではないよ。

今まで通り、じっくり、謙虚に。

きっと、シェルターにいたときのように、ワンコ先生の友達も見つかるよ。

「ワンコ先生、どうした、どうした」とすぐに助けには行けないけれど、しばらくそこで「待て!」今まで通り、地味に暮らしなさい。

そのうち、ジイかバアが逝くから。

でも、まだ、「待て!」だよ。

(いつも笑っていたね。 上二枚は2歳頃。下は7歳ころかな)

三人揃って、虹の橋を渡ろう。
そう思ってジイ、バアは生きてゆくよ。

ほんと、ありがとう。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ先生の危篤

2023年02月24日 | ワンコとの日々

おそらくだけれど、もうじきワンコ先生の実年齢は16歳オーバー。

今年明け頃から、食が落ちたり、オシッコの出が悪そうな様子は見えたものの、この一週間でガタンと来た。

いよいよ排泄ができない。

もちろん、食べる意欲もない。

昨日、バアサンマンが祝日でもやっている医者どんを検索し、遠くの街まで連れて行って尿を抜いてもらったとのこと。

で、結果は・・・。

お腹に大きな腫瘍ができて、排泄を困難にしているらしい。

外科手術という選択もあるけれど、心臓も弱ってきていて、術中に亡くなるということも十分あるとのことだったとか。

まあ。
そうだろうなぁ。

自分もおんなじようなもんだし。

今朝はまずまず元気だったけれど、15時過ぎにシルバーバイトから帰ってみると、ワンコ先生の外の仕事場で、小雨が降る中、小屋(警備の箱)にもはいらず、うずくまる様にして、ジイサンマンの気配を感じるなり、「助けてくれぇ」って、弱く吠えた。

もう、ヘロヘロで、立つのがやっと。
(おい、おい、である。)

雨に濡れた体を拭いていやり、夜のワンコ先生の居場所、玄関に寝床を移動して作って休ませた。

もう、よたよたで、ふらふら。

意識朦朧。
こりゃ、そうとうだめだわ。

排泄もできず、吐き下しもする力もなく。
辛くて、辛くて。
なんだろう。

ワンコ先生の生き方は地味だけれど、自分(生をうけた意味)にしっかり向き合っていてすごいや!と思う。

『生老病死』

四苦八苦の四苦だけれど、まさしく。
しっかり受け止めている。

夜中でも、数時間おきに、苦しい、「ジイ、バア。助けて」と吠える。

うちのジイ、バアは、夜ふかし型と早朝型で、『貧乏人の不夜城』ではあるけれど、流石に辛い。

でも、これが直近に迫ったジイ、バアの明日の姿。
そんな話をバアサンマンにしたら、痛く、深々と納得していた。

振り返れば、私(と家族)のために生まれてきた命がワンコ先生に違いない。

今、意識混沌の中で、ふう、ふう、なんだろうな。

(これは、昨日投稿予定の記事でした)

※今日も交通誘導のシルバーバイトに駆り出されていたため、帰った今現在、ワンコ先生は、バアサンマンの車と共にいません。
昨晩もだいぶ苦しんでいた。
バアサンマン、今日はバイトが休みなので良かったけれど、あったら辛い。

だぶん、だけれど、医者どんに連れて行ったのかなと思う。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコ先生の冬越し

2022年12月26日 | ワンコとの日々

ワンコ先生がわが家へ来たときは、もうしっかりした青年犬だったから、たぶん生まれたのは平成19年の春頃なんだと思う。

この冬は16年目の冬越しである。

後半の時間は、私が無所属となり、家事をすることになったから、ワンコ先生と一緒にいる時間も増えた。

毎日散歩に連れ出してくれ、暑い夏には畑の木陰で一緒に過ごし、大雪の日には雪の中を飛び跳ねて歩き回ったこともあった。
結局、犬の世話をするというより、私自身がワンコ先生に励まされてきた。

おかげで無聊をかこつながらも、家に引きこもりになることもなく、お天道様の下で過ごす習慣がついた。

昨今のワンコ先生、目はあまり見えないようで、耳も衰えた。

それでも、臭覚と気配で毎日留守番をしてくれている。

私が帰宅すると、足にすり寄ってにおいをかぎ、「あっ、おかえり」っとシッポをふって迎えてくれる。

けなげである。

カミサンの発案で、昨年から夜は、玄関にお気に入りの布団を持ち込んで、すやすやお休み。


このごろは眠ってばかりいる。

ながく一緒にくらしていると、ワンコ先生も人の言葉をだいぶ理解しているように感じるけれど、こちらもワンコ先生のワンワン、ワオーの言葉の意味もだいぶわかるようになってきた。

「トイレだ、外に出してくれ」
「ご飯の時間だぞ、くわせろ」
「外は寒いぞ、おらの布団だしてくれ」
「雷怖い、雨だぞ。家に入れてくれ」
「寒いよ、おらもはやく家に入れてくれ」
「おかえり、散歩にいこうよ」
「(だれかきた)怖いから一応ちょっと吠えとこ。ワン!」

家人に対してはほんと要求が多く、面倒な先生だけれど、日中は日向で配達のおねえさんや検針のみなさんに可愛がられ、のんびり過ごしている。

犬の友達はいないけれど、家に定期的にくるみなさんとはけっこう仲良しの様子。

目、耳は衰えたけれど、食欲はあり、足腰はまだしっかりしていて、散歩も楽しくできる。

ほんと幸せなことだと思う。

ワンコ先生に自分の老いの姿を重ねている面もあるけれど、この寒い冬をなんとか乗り越えて、またジイサンどうし、新しい1年を一緒にすごしたい。

一日一日、今日一日である。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠ってばかりいる

2021年06月20日 | ワンコとの日々

近頃のワンコ先生は、眠っている時間が長くなった。

眠り込んでいて、近くによっても気づかず、びっくりして起き出すことが多い。(笑)

ワンコ先生は、仔犬の頃からお腹を出して仰向けにのびてすやすや昼寝をし、寝入ってしまうことが多いのんきものなので、近くによっても気つかないのは、歳のせいではなくのんきなのかもしれないけれど、まあ、よく眠る。

あと少しで満14歳。

保健所犬なので、本当のところは分からないのだけれど、うちにやってきたときはまだ少年犬だったので、今年の後半のどこかで14歳を迎えるのは間違いない。

ググってみたら、中型犬の14歳は、人の72歳くらいになるらしい。

このくらいの年齢までくると、ワンコ先生の1年は、人の4歳となるらしい。急速に時間を消費していく。
残りの時間を本当に大切に過ごさせたい。

最近は、視力がかなり落ちてきてあまりものが見えないようだけれど、足腰はまだ丈夫で、毎日大好きな畦道散歩に精を出している。起きているときは、まだ元気なのがありがたい。

人も、赤ちゃんの頃は実にすやすやと眠っている時間が長い。

少年期、青年期も朝なかなか起きられず、眠い日が多い。それでも、新しいこと、興味津々のことが多く、眠る間をおしんて遊びあるく。

壮年期は、眠る時間を意識することなく、駆け足の日々が続く。

そして、老年期、熟睡できる時間がすくなってくる(今の自分)けれど、それを超えれば、また眠ってばかりいるひとときを経て終焉となる。

ワンコ先生の日々の姿に、自分の姿が重さなり、ほんと愛おしく感じる。

一日一日、できるだけ時間を作って一緒に過ごしていこうと思う。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする