とある雑誌をながめていたら、「2022年(今年)の1月から健康保険法が改正され、傷病手当金制度が変わりました」という記事が目に止まった。
私は幸いというか、たまたまというか、この制度のお世話になることなく会社員生活を終わったのだけれど、まわりにはガンなどの私傷病でこの制度を使い、休職期間を満了して職場を去っていった方も少なからずいた。
これまでは私傷病により休業し、給料がでなくなったとき、給料の2/3程度が健康保険から支給され、開始から1年6ヶ月で打ち切りという内容だった。
ガンを始めとする私傷病は、その治療期間も長く、1年6ヶ月で完治すればいいけれど、そうはいかない場合の方が多い。
仕事をなくしてしまって、収入の道が途絶えたら、私傷病以前の死活問題である。
今回の改正は、「仕事を休んで傷病手当金が支給された日だけを通算して1年6ヶ月まで支給」と変わったのだそうだ。
主治療期間後復職し、仕事をしながら定期的に通院治療をするという現実に即した改定で「そうそう、こういう話がもっとほしい!」とはたと膝を打ったしだい。(笑)
制度にかかる原資は同じでも、働く人たちに希望や元気を与える施策ではないか。
経済変動の一局面という見方もあるけれど、昨今の値上げ攻勢はただ事ではない。
そんな中、一部の企業を除き大方の人の収入は増えず、「なんで今?というこのタイミングで」基礎年金の積立期間延長(受給開始年齢の先延ばし)が話題となり、年金生活者にあっては、受給額が減ってしまっている。
たくさんの行政コストをかけて徴税し、それを今度はバラマキ。
もらった方たちはありがたいだろうけれど、恩恵から漏れた下々は夢も希望も明るさもない。
消費税を下げてくれれば、わざわざ税を集める必要も、それをまた行政を通じて配ることもなく、生まれたばかりの赤ちゃんから高齢者の方まで、あまねくラクになるのに。
国防のために増税をしよう。
少子高齢化の対策のために、後期高齢者健康保険に負担を求めよう。
車を大事に使って長く乗ると、ペナルティの税額がかかる。
走った分だけ税金を上げよう。(働く場の少ない田舎の車社会で暮らす自分はまた凹む)
使えるものでも使い捨てて、物はどんどん買い換えろ。それが経済成長につながる。
年寄りは長生きするな。生きるなら年金などあてにせず、死ぬまで働け。
そんな社会の現状を祖父母、父母の生活で見せられた若い人たちが、果たして結婚をし、子を育て、日本の将来を担ってくれるんだろうか。
いつの世もそうといえるけれど、平々凡々、まじめに日々働く中間層が国の中核。ここが、自分の意に反して、薄く広くたくさんの負担を強いられる。
苦しければ、『われら中間層』は、上に突き抜けるより、平々凡々、下に落ちていく。
苦しまない自衛策は、身軽でいること。そんな社会では、家庭も、子供もない、自分の身一つが一番と考えるのはあながち間違ってもいないだろう。
かのゴルバチョフは、自国の苦しい現状の中で、自国側の核兵器縮減という逆手で世界の核の驚異を一時期縮小させたとか。
前に突き進むだけがバランスのとり方ではないということだろう。
傷病手当金の改定のように、現状に合わなくなった制度を現行化するだけでも、生活者の希望になってくるものだってたくさんある。
前総理がやってくれた、携帯電話料金の値下げなどもそんなひとつ。
私的には、あれでスマホに乗り換え、以来、生活も随分便利になっている。
今盛んにやっている統一教会問題も大切だけれど、問題の本質は、そもそも日本の教育の中できちんとした宗教観を教え込まないことにあると思う。
表現は違えど、まっとうな宗教には、『利他』の思想が中心にある。
教育と宗教の関わりは、日本では難しいところだけれど、そこをきちんとしなければ、同様の被害者はまた形を変えて出てくる。
世の中厳しいのはわかるけれども、お上は目先の問題ばかりでなく、もう少し長いスパンで民々が希望を持てる話題の提示の仕方をしてほしい。m(__)m