今どきは『硬貨』というけれど、庶民にとっての硬貨は近世でいう「銭勘定」の銭(時代劇でいう◯文(1文=約12円くらいらしい))ではないかと思う。
金融機関、とりわけ郵貯まで硬貨取扱手数料をとることで、社会には結構な波紋がでているようだ。
大手の神社仏閣では門前町の商人たちとの間でお賽銭の小銭をお釣りとして紙幣と交換しようという取り組みも出始めているらしい。
私的に単に銭と小判(小銭とお札)を変えるだけなら助け合い、好意の問題ですむ。
なんでもお金に換算しようとする今どきとは違い、お互いに助け合おうという、実に日本人的な、近世的(昭和的)なホッとする動きでもある。
ちなみに、わが産土神のような小さな神社でも年間数万円のお賽銭が集まるらしいけれど、こんな神社は当然門前はウリボーしかいないから、庶民のご厚志の一部を郵貯さんに上納することとなる。
まさしく、お上。
それも悪代官の感がある。
歴史はあるけれど小さな字田舎の神社へのご厚志を狙っているお賽銭泥棒もいるらしく、定期的に賽銭箱や入り口を壊されたりという事故も少なからずあるようで、役員さんは頭を抱えている。
ダミーの防犯カメラを設置してみたが、翌週には根こそぎ壊されていたと発案者は相当がっかりしていた。
大手の神社仏閣は、こういっちゃなんだけれど、商売っ気もあるので、お賽銭を電子マネーで、なんて動きもあるようだけれど、電子マネーは今の宮司さんなどの心を打つかもしれないけれど、神仏には届かないような気がする。
利他と言ったって、自分の生活が立ち行かなくてはなかなかできない。
それでも自分の幸せを感じ、字田舎の神社仏閣に、親や子や他人のことを慮って投げ入れるお金は、『小銭』程度というのが現実的で、そんな庶民の思いが神仏を支えているのではないかと思う。
このブログで日本郵政のことをなんども批判的に書いているけれど、私的には郵便局が作ってきた文化には今に即した方向で残ってほしいと思っている。郵便局ファンである。
でも、簡保の不正勧誘、後をたたない郵便物等の放棄隠匿、現場管理者クラスの不正・詐欺行為、旧特定局長さんたちの家賃収入とお給料の世襲的な問題。
郵貯だけは頑張っているな、と思っていた矢先の今回の硬貨手数料の設定。
村上龍さんのカンブリア宮殿をいつも見ているけれど、後継者たちは創業の精神で再生を図っている。
郵貯創業精神は、「国民への貯蓄奨励や、民間銀行などのサービスが行き渡らない地域も含めた全国均一の金融サービスを提供する」ではなかったのか。
苦しくなったからといって自分の身を削らず、国民から召し上げるお上根性では潰れちゃうよ。
郵貯ならではのサービスがあれば、まだまだファンはたくさんいるのに。