まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その2

2016年02月21日 | 房総駅間ひとりウォーク
マップに、飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)という大きな神社があったので立ち寄って見ました。
  
 
  
中世以降上総総社として称されているとのこと。
なかなかりっぱな、歴史を感じさせてくれた境内でした。
 
 
 
 『放生池』
今はいい感じの庭園ですが、江戸末期まで、この付近は海岸線で、大祭の際には、殺生を止めて作善のために、捉えた生類は放流していたのだそうです。
そんな名残で、現在は池という形で残っているのだとか。

 
 浜野駅に向かう途中で見つけた、内房線単線時代の痕跡。
赤煉瓦に、昭和の時代を感じます。
1個1個苦労して積んだんだろうなぁ。
 
 
 
 浜野駅です。千葉市中央区村田町。
この駅からは千葉市です。
表に、駅名の看板がなく、明徳浜野幼稚園の看板が目立ちました。
 
 
 
神社ののぼりばたが見えたので立ち寄ってみたら、『蘇我比神社(そがひめじんじゃ)』という、蘇我の地名のもとになっている古社でした。(ラッキー!)

日本武尊の東征の際の伝説(房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅)その1参照
)で、弟橘姫と共に入水した蘇我大臣の娘の蘇我比だけがこの付近の浜に打ち上げられ、里人の手で助けられた。
のちに、応神天皇は、蘇我氏をこの地の国造として派遣し、おさめさせた。
それで、蘇我という地名になったのだと、由来書きにありました。

浜に打ち上げられ蘇生したのは弟橘姫で、弟橘姫が「我、蘇(よみがえ)り」と言ったので「蘇我」という地名となったという別の伝説もあるようですが、これだと、木更津の地で日本武尊の詠んだ歌が、なんだか空回りしてしまう。
弟橘姫のおかげで困難を超えられた、かけがえのない弟橘姫を失てしまった、と傷心の日本武尊が、実は、ちょっと先の海岸で、弟橘姫は復活してましたぁって知ったら、海が鎮まったのは、単にお天気せいかい!ってことになってしまい、現実的過ぎる。
”お話し”としては、弟橘姫が命を引き換えに海を鎮めて、日本武尊を助けた。この方が、いいのではないかと思ったりします。(どっちでもいいですが)
 
 
 
浜野駅から、海岸方向へ出て、ジェフユナイテッド千葉とフクダ電子アリーナの雰囲気を感じるために、蘇我スポーツ公園に回りました。

おっ、ジェフユナイテッド株式会社!
JEF(ジェフ)は、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本) Furukawa(=古河)の略称に由来するんですね。
こんなことも、初めてしました。
 
 
 
 おっ、フクダ電子アリーナ!でかい!

あたしの街の運動場がスポーツ施設の物差しなので、圧倒される大きさです。

フクダ電子は、県内の企業かな?程度の認識だったのですが、今回、東京に本拠を置く、医療機器を製造・販売するメーカーだと知りました。

途中、スポーツクラブの子供たちがサッカーをしている姿をみて、元気をもらい、いよいよゴールまじか。
 
 
 
15時30分頃、蘇我駅に。
高架上の駅入口に、ジェフユナイテッドのカラーが見えます。ゴールです。

歩数は、29,000歩余り。線路沿いに歩ける道が多かったので、思いの他早く歩ききれました。
まだ明るいし、元気も残っている。

思い残すのは、外房・内房線全駅徒歩完歩といっても、蘇我起点。

この際、外房・内房線の起点、千葉駅まで、歩いちゃおう!

おまけで、東京の中心部と変わらないくらい賑やかになった、千葉の市街とぶらつき始めました。
 
 
 
 JR本千葉駅。
千葉県庁側は、今のJRさん風ですが、
反対側の看板は、「お~~っ、俺らの時代の看板が残っていました。」

でも、街はほんと、賑やかだわ!
  
 

「えらいもんだ。最近は、千葉も東京も変わんねぇなぁ。」

大きな顔(頭)に、百均のキャップを被り、耳には時代遅れの電波のラジオの耳栓をして、ベイエフムを聞き、時代遅れのデザインの背負い袋を背負ったオヤジ。

誰も気にしてない!
こっちも、ぜんぜん、関係ない!

今のこの地の雰囲気、風景には、およそ馴染まないけど、千葉(中心部)は、”馴染まない”ヒトも受け入れてくれる都会になったんだなぁ、びっくりポンの街歩きでした。

ちょっと、自信を取り戻したゴールでした。
次もひとりで企画したい!

JR内房線  姉ヶ崎駅 ~蘇我駅 営業キロ15.1Km+千葉駅) 2016年2月9日
実際に歩いた歩数 39,294歩(27.5Km)
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房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その1

2016年02月20日 | 房総駅間ひとりウォーク
月一回のペースで歩き始めた『房総駅間ひとりウォーク』の最終日。
JR内房線の姉ヶ崎駅から、JR蘇我駅を目指して、今日、元気よく歩き始めることができました。

昨年の今頃は、爪をはがしてしまったり、ひとりウォークをした後体調を崩して寝込んだり、夏は痛風で悩まされたり、いろいろなことがあった1年でしたが、よく歩き通せたと思います。
今、今日があるのが有難い!
それが、すべてですね。

姉ヶ崎駅を出て、線路と並行している県道24号線を、市原市の中心である五井駅に向けて歩いていると、県道から枝分かれした旧道との境に、民家にへばりつくように『馬頭尊』という石柱が残っていました。

馬頭尊や馬頭観音は、旅の安全を祈願して街道沿いに立てられたものだから、この周辺も近世の街道があり、にぎわっていたのだと思います。

 
表には、『馬頭尊 寛政八年丙辰年』、裏には、『作場道 上総国市原郡姉崎村内山谷 願主若者中』とあったので、今から200年くらい前に、姉崎村の人たちによって建てられたもののようです。
側面には、『房州道 木更津 ****』『江戸 ****』(*は読み取れず)などの文字もあったので、主要な交差点だったのかもしれません。
 
 
 
房総内陸部の大多喜町麻綿原高原に源を発し、五井で東京湾にそそぐ、養老川にかかる中瀬橋を渡ると、遠くに五井駅のシンボルタワー、市原市民プラザののっぽビルが見えてきました。

 

歩きはじめて2時間ほど、JR五井駅に到着。

五井は、JR駅では、市原市役所の最寄り駅であり、小湊鉄道の始発駅。
内房線の中間駅では、もっとも利用客数が多いのだとか。

奥に見える市原市民プラザ内には、Web放送をしていないので、なかなか聞くことはできないんですが、ローカルラジオ放送局、市原FMのスタジオがあるらしい。(帰ってきてから、かずさFMのアナウンスで知りました。小湊鉄道を歩くときには、生電波を聞いてみたいと思っています。)
 
 
 小湊鉄道の、田舎の風景によく合うキハ200形気動車。
最近、上総牛久駅~養老渓谷駅間で、里山トロッコの運行も行っているらしい。
機会と作って、乗ってみたいなぁ。
 
(里山トロッコのページ ↓ )
http://www.kominato.co.jp/satoyamatorocco/index.html

いつか、この沿線ものんびり時速4キロで歩いてみたい。
  
 
 
五井~八幡宿間も、線路と並行して、歩きやすい道がのびていました。
君塚地区の公園のペンチを借りて、お昼。


ご近所の方が、ウォーキングやジョギングを楽しんでいる姿を見ながら、おにぎりをパクついていたら、野鳥が足元まで遊びにきました。

ぜんぜん、怖がりません。
鳥の方がよく人なれしているのか、あたしの方が自然に溶け込んじゃっていたのか。

しばし、無言の会話を楽しませてもらいました。
 
 

八幡宿駅に到着。

中山道に同じ名前の大きな宿場がありますが、市原の八幡宿は、佐倉(成田)街道の宿場の一つだったようです。


房総駅間ひとりウォーク(JR姉ヶ崎駅~JR蘇我駅 営業キロ15.1Km) その2へつづく。
 
 
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房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その2

2016年01月30日 | 房総駅間ひとりウォーク
巌根駅を出て、小櫃川を渡ると、袖ケ浦市です。
 
 
 
袖ケ浦の名は、木更津の日本武尊伝説で、海を鎮めるために入水した弟橘媛の袖が海岸一帯に流れついたということに由来するとか。
ロマンチックな話ですが、今、その海岸線には、工業地帯が広がっています。
  
 
 
袖ケ浦火力発電所が遠くに見えてきました。
 
工業地帯からの税収が多いのか、袖ケ浦市は、財政も豊らしく、浦安市、成田市に次いで、県内3位だとか。
これも、初めて知りました。
千葉市は、政令指定都市なので、除外されているのでしょうが、君津、市原あたりの方が豊かな感じを持っていました。
 
千葉県の車のナンバーは、野田、柏、習志野、千葉、成田、袖ケ浦です。

安房、上総、下総と言った時代と文化を残しながらも、今の国わりは、新しい経済圏でのくくり。
時の流れとともに、変わっているのがよくわかります。
 
『チーバ君』の腰から下、安房、上総は、車のナンバーでみると、『袖ケ浦の国』になっているんですね。
 
千葉港(みなと)辺りまでは、電力をはじめ、石油製品などたくさんの工業品を生み出してくれているエリアです。
3・11の福島のように、なくてはならないものだけれど、危険いっぱいの内房エリアですね。
 
 
 
 袖ケ浦市のマンホールの蓋を発見。
市の木シイ,市の花ヤマユリ,市の鳥ウグイスがデザインされていました。
 
 
 
15時過ぎ、袖ケ浦駅に到着。2014年10月に完成した奇麗な新駅舎でした。

姉ヶ崎まであと二駅。JRの営業キロで、10Km近くを歩かなくては。

開発地が多いためか、線路沿いに道路がのびていたので、ひたすら前進!

 
 
16時過ぎ、袖ケ浦市内の2つ目の駅、長浦駅に到着。

この駅も、2014年にできた新駅舎でした。
 
財政豊かな市の顔らしく、2駅とも、ほんと立派な駅です。
 
 
 東屋のようなものが見えたので、休憩で立ち寄て見ると、「弘法清水を復元しました」という案内板とともに、井戸が復元されていました。

むかし、弘法大師(空海)が、杖を立てたところ、海の中から真水がわきだしたという伝説の井戸。
実際の井戸は、現在は、埋め立てられて工業地帯となっている場所付近にあったようです。
 
こういう偶然見つかる逸話とか、古い道標などは時速4Kmの旅でなければ絶対に出会えないものですね。
 
時間もかかるし、行動範囲も狭いけれども、歩きの楽しみです。

お祭りの際には、神輿をこの井戸で清めるなど、地域の人たちが大事に守り伝えている場所のようでした。
 
 
 
こんな道を、どんどん歩きました。
画像中央付近の小さな看板は、市原市境を示すものです。
 
いよいよ、房総駅間ひとりウォークも、あと数駅歩けば、スタート駅の蘇我駅に到着。
気を引き締めて、事故、ケガのない時間を過ごしたい!そんな思いがわいてきました。
 
 
カラー版の市原市のマンホールの蓋が見つかりました。
市の木イチョウ、市の花コスモス、市の鳥ウグイスがバランスよく配置されています。
 
マンホールの蓋は、その街の特徴を出しているものが多く、この1年のウォークを通じ、見つけるのも楽しみになってきました。
Webで見ていると、結構『この道の達人』もいらしゃるんですね(笑)
 
 

17時30分、市原市、姉ヶ崎駅に到着。

今日歩いた距離の半分は、スタートの木更津駅周辺散策が主で、あとはひたすら線路沿いを歩いた一日でした。
寒くて出不精になり、今月はあまり歩いていません。
 
ようやく、今年のスタートが切れたのかな。そんな一日でした。

JR内房線  木更津駅 ~姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) 2016年1月19日
実際に歩いた歩数 40,195歩(28.5Km)
 
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この記事を書きながら(1月29日)聴いていた『かずさFM』が、木更津総合高校野球部の春の選抜出場が決まったというニュースを流していました。
2年連続、3回目だとか。
あたしの時代には、木更津中央って言ってたけど、メジャーになるには、目的がはっきりしている私立がやっぱり強いですね。
勝って、日本一になれば、地域貢献にもなる。頑張ってほしいなぁ。
 
目的をもって突き進むなら、私立(民営)。
ゆったり、人材を育てるなら公立(官業)。
うまくバランスをとっていかなければならない時代なのかもしれませんね。
 
 
 
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房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その1

2016年01月29日 | 房総駅間ひとりウォーク
木更津から千葉へ向かう内房線沿線は、都市化してきていて、下調べをしていても、あまり立ち寄ってみたい場所がみあたりません。
木更津は内房の歴史ある大きな街ですが、いつもは車やバイクで通り抜けばかり。街をゆっくり散策したことがありませんでした。
今回は、木更津駅周辺の散策に時間を割いてみることにしました。
 
 

西口、かずさFMのある、アクア木更津近くで見つけた壁画に、『木高』の文字が見えました。地元の木更津高校の生徒さんたちの作品でしょうか。

東口に回り、最初に、太田山公園に行ってみることにしました。太田山公園は、日本武尊と弟橘媛の悲恋伝説にちなみ、恋の森とも呼ばれているようで、山頂には剣の形をした『きみさらずタワー』が見えます。
 
 

この案内板を曲がって、山の上にのぼってくと、『きみさらずタワー』の下にでました。
 
  
 
上で、向き合っているお二人が、日本武尊と弟橘媛ですね。
むかしむかし、日本武尊が三浦半島から房総へ渡ろうとしたとき、弟橘媛が荒れ狂う海に入水して鎮め、無事に渡ることができたという伝説の地。

               君去らず 袖しが浦に 立つ波の
             その面影を 見るぞ悲しき

日本武尊が弟橘媛をおもい、詠んだ歌。『君去らず』が木更津の由来もなったのだとか。
 
 
 
 展望台に立つと、雪をかぶった富士も遠望でき、
 
 

この日は、風が強く、空気が澄んでいたため、アクアライン、その向こうに広がる東京が不気味なほどきっくり見えて、SF映画の一場面のようでした。
夜ここに入れるのかどうかわかりませんが、ここなら、夜景も最高にきれいでしょうね。
 
 
 
 江戸時代中期の農家・安西家の住宅を移築したものが公開されていました。
 
 
 
小学生の校外授業で、子どもたちが見学にきており、元気を分けてもらいました。賑やかなのはいいなぁ。
 
 
  
矢那川沿いの桜並木。並木のボリュームも距離もあるので、満開時は、さぞ見事だろうなぁ。
 
 

マップを見たら、木更津高校が近いので、回ってみました。
明治の頃に千葉県で3番目に設立された学校だけあって、赤煉瓦の正門に歴史と伝統を感じます。
千葉真一さん、中尾彬さん、ハマコーさんや浜田靖一さんなども通った学校です。彼らもこの正門を、毎日いろいろな思いで通っていたんだろうな。そして、今はそれぞれの道へ。学校って不思議な空間だと感じます。
 
 
 
駅西口に戻り、日蓮宗の光明寺にある『切られ与三郎の墓』を見学。
歌舞伎の『与話情浮名横櫛』のモデルになった人物のお墓だとのことですが、世間に疎いあたしは、タイトルも読めないレベルで、ピンとこない。
「よわなさけうきなのよこぐし」と読むらしいが、調べてみたら、子どもの頃、大人たちがよく歌っていた、春日八郎さんのヒット曲、『お富さん』の話なのだそうだ。

「粋な黒塀 見こしの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだはずだよ お富さん・・・♪」これなら、分かる。そんな話のモデルが、木更津だと初めて知りました。

證誠寺に向かう途中、日本武尊が祀られているという、八剱(やつるぎ)八幡神社に立ち寄り、今日の安全祈願。
 
 
  
童謡『證誠寺の狸囃子』、木更津市のマンホールにもデザインされている狸の、證誠寺に到着。
現在はさっぱりしたもので、とても狸が住んでいそうにない。野口雨情が作詞した大正時代の頃は、うっそうとしていたのかもしれないなぁ。

 
 
 海側に出て、木更津甚句の記念碑、中の島公園にも寄ってみるつもりでいたが、足がのびず、時間が押してきたので木更津散策を断念。港にとまっていた大きな船を眺めながら、巌根駅へ。
 
 

巌根小学校付近を歩いていて見つけた線路のレール。
跡というより、そのまま埋もれている。帰宅してから調べたら、木更津は陸上・航空自衛隊の基地があり、その引き込み線として使われていたものらしい。この線路は、航空自衛隊第一補給処専用線(高柳線)の廃線跡のようだ。
木更津には将来オスプレイも飛んでくるようになるらしい。事故無く、平和な時間が続くよう祈りたい。
 
 
14時過ぎ、巌根駅へ到着。20,078歩。
 
 房総駅間ひとりウォーク(JR木更津駅~JR姉ヶ崎駅 営業キロ16.2Km) その2へ続く。
 
 
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房総駅間ひとりウォーク(JR大貫駅~JR木更津駅 営業キロ15.3Km) その2

2015年12月31日 | 房総駅間ひとりウォーク
青堀駅を出て、小糸川を渡ると君津市です。どんどん田舎の風景が少なくなってきました。
 
地図を見ていたら、川を渡ってじきの青蓮寺というお寺に、近江屋甚兵衛の墓という表示があったので、のぞいてみました。
 
 
 
江戸時代の浅草海苔の商人でしたが、海苔の養殖を研究し、この地で海苔養殖を成功させ、「上総海苔」を全国に普及させた功労者だとか。甚兵衛55歳のとき、養殖の事業に乗り出した。海苔版伊能忠敬のような人ですね。
人は、情熱があれば、歳というのはあまり関係がないのですね。きっと。
 
傍に立つ、「朝凪や 沖黒々と 海苔たたみ」という句碑に歌われた情景が見えるようでした。
 
こういう偉人の故事を聞くと、あたしもまだまだやれることは関心をもってやらなくちゃ、と反省です。
 
 
 
君津駅が近くなってきました。
 
『時刻表確認!』『スピード落とせ!』の看板が目に留まりました。
列車運行は、いろいろな運行システムで管理はされていても、最後は、人間の判断。運転士さんは、この辺りで「時刻表確認、ヨシ!」とやっているのしょうか。
いつも、正確で安全な運行に感謝です。
 
 

君津駅は、周辺は開発され、駅舎も都会的な駅でした。
 
 
 
君津市のキャラ、きみつの森に住む小さな動物『きみぴょん』というらしいですが、明るくて、可愛いですね。
 
 
 
上総一宮以来、久しく見つけられなかった、デザインマンホールを見つけました。君津市は、ミツバツツジが描かれています。『きみぴょん』もミツバツツジをモチーフに作られたのだとか。
 
君津駅-木更津駅間キロは7Kmで、外房、内房線で一番長い。日も短いので、寄り道せず、頑張って歩きました。

 
 
夕暮れと競争するように、ひたすら歩いて、木更津駅前に。
さすが、明るく活気のある駅前です。
今回は回れませんでしたが、證誠寺の狸が迎えてくれました。
 
 
 
駅前のスパークルシティ2階にある、かずさFMのスタジオを見学。残念ながら、オンエア中ではありせんでしたが、その瞬間も聴いているラジオの放送局前に立っているというのもかんだか不思議な感じでした。
スタジオを見たら、かずさFM、今まで以上に身近になりました。
 
 
 
16時30分過ぎ、木更津駅に到着。
真っ暗になる前に到着できて、よかったぁ。
 
画像の奥側に、駅そばがあったので、久しぶりに食べてみました。
素朴だけど、美味しかった。
 
今年のイベント的なウォークは、これで最後。

来年も時速4キロの時間の旅を企画して、今まで気づかなかったことを見つける旅を続けたいと思っています。
 
房総駅間ひとりウォークは、1月中旬、木更津駅、證誠寺あたりから歩き出します。
 
JR内房線 大貫駅~木更津駅 営業キロ15.3Km)    2015年12月14日
実際に歩いた歩数 38,642歩(27.3Km)
 
 
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