まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

今日は、オオユレ

2024年02月29日 | 日記

令和6年のお正月から、日本海側でオオユレの災害があったが、今日は房総が揺れた。

記憶にある限りでの大災害、『房総東方沖地震』『東日本大震災』当時の揺れではないものの、「数時間おきにかなり強い、老人性めまいか!」ってくらいの揺れが起きている。(笑)

地震、やばい!

昔から、怖いものの例えは、『地震、雷、火事、親父』

よくいったもんだである。

地震=地球の息吹。

昭和の子供ころのSFアニメの世界を振り返ると、『ドラエモンのどこでもドア』時代以前のものは、今、ジジイになってほんとになったと思う。

「流星号と呼べばくる乗り物」

今は、スマホで言語入力でタクシーも呼べる。
これって、それに近い。

空飛ぶ車、これも現実になってきていて、それを目指す動きが強い。

そんなことを考えていると、小説『日本沈没』も、現実になるかもしれないと思ったりする。

人の思い(小説)を支持してくれる圧倒的多数の読者がいれば、それはいずれはその方向にゆく。

それが『人』の社会なのかも、と思う。

『日本沈没』が現実となった時、房総はいっと先に水没する。
これは、小説の世界ではなく、たぶん、科学的にもそうなんだろう。

で、今の自分の覚悟はっていうと、子たち、今後の可能性のある人たちには残せすものは残して、この地球というか、宇宙というか、そんなご先祖様たちから与えられた『今』が『自分の舞台』

あと、長くても20数年、最短次の瞬間という現実を自覚するようになった今、生まれ育った、今までの時間、原風景を離れることはできない。
一緒に沈みたい。

沈没ってなっても、たぶん、避難はしない迷惑ジイサンになるんだろうなぁ。

僕らの地球号

おらが房州

大事にしなくちゃ。

僕らの地球号乗員の、一人ひとりの、日々の積み重ねだと思う。

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タッパソーラーラジオ筐体修理

2024年02月22日 | ラジオな日々

今日は、雨ぶりでシルバーバイトが流れたので、朝からソーラーラジオの筐体、といっても、100均のタッパなんだけれど、を工作して、修理を楽しんだ。

割れてしまったタッパとぴったり同じ大きさの物が手に入れば、蓋についているラジオ部分をそのまま使い、本体部分だけを換えて『終了!』ってことにしたかったのだけれど、意外に100均では、まったく同じ大きさというものは見つからず、いったん全体を取り外してつけかえることにした。

今回は、ソーラーパネルを蓋の上に取り付けた。
この方が、太陽にあたリやすいので、きっと効率はよくなる。んだろうとを思う。



よい工作道具をもっていないので、いつもながらスイッチ類の穴あけ工作に苦戦。

手先が器用な人間ではないし、モノを地道にコツコツやって、きれいに仕上げるというタイプでもない。むしろ、その逆。

こういう作業を他からさせられると、案外、責任感というものがはたらくのか、頑張れるときもあるけれど、自発的に始めた場合は、大体が、「あ〜〜。もう」ってなって、結果は、『修理』ではなく、『破壊』に終わることが多い。

そのくせ、なんでも興味をもって、自分でやろうとするから、始末が悪い。

長い時間の経験則で、『日常使いのモノでは、高いモノは買わない』という思考が強くなった。

安いモノならば、壊してしまっても、分解して組み立てられなくなっても、もう○年使ったよなぁ。とモノに感謝をして捨てることができる。(笑)

安いモノには使い方があって、割り切って、欲しい機能を備えたモノを選んで買って使えば、その機能は十分だと思う。

で、最初は、カッターでしこしこ削っていたのだけれど、途中から面倒になり、ハンダゴテで焼き切って作業。

これは、早い!
が、きれいにはできないわな。(笑)
しかも、部屋中、臭い。(笑)換気&換気

ドリルであけたスピーカーの穴の位置も、全体的に、ちょい、ずれ。(笑)

でも、まあ、こんなもんしょ。

ほぼ一日、これで遊んだ。
楽しかった。

=====

今回筐体につかったタッパは、数店歩いてみて、最後の「Can☆Do(キャンドゥ)」さんで買った。

同じ容量の物が、某ホームセンターでは、千円くらいの値がついているものもあった。

本来の使い方で言えば、食品等をいれて保存するための同じような容器が、なぜ10倍も値段が違うんだろう。

「品質が違います、10倍持ちますよ」って感じかもしれないけれど。
100均のタッパだって、丁寧に使えば、5年位は使えるだろう。

『樹脂製品で、50年?』

先人たちの生活道具、焼き物や塗り物ならば、それもありかな。手入れをしていけば、百年も千年ももつかも、とおもうけれど。

モノの値段って、どうなっているんだろう?
誰が、儲けているんだろう?

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すごい企業努力だなぁと、感心した出来事 byDaiso

2024年02月13日 | ラジオな日々

タッパソーラーラジオのその後 2018年04月06日 | ラジオな日々』の頃から使ってきたラジオ。

蓄電池用にリチウムイオン電池を入れていたのだけれど、久々に電源を入れたら、「あらら」通電しない。

ひとまずの対処で、電池交換と思い、タッパの蓋をはがそうとしたら、本体部分が紫外線等で劣化し、「ばきっ!」と、見事に割れた。

使えるものは、納得の行くまで使うという思い込みの激しいジイサンマン。

わがやの暇になったバアサンマンの、『断捨離』などという言葉に踊らされ、自分がバカはバカなりに、その時一生懸命作ったモノを、外形の破損くらいで「ポイ」する気にはとてもなれない。

シルバーバイトで街に出た帰り、作成した時分にこのタッパーソーラーラジオのタッパーを買ったDaisoさんに立ち寄った。

同じブツを買いたいため。

手持ちのソーラーパネルが付いている底面の寸法をはかってメモしていったものの、店内ではタッパ上側をはかって買ってしまった。
タッパ上側は、寸法通り。\(^o^)/

が、帰宅して、修理を始めてみると、底面につけるソーラーパネルがでっぱって、こりゃ、ダメだわ。(TOT)(笑)

税込み110円のものだから、厳密に測定もしなかったのだけれど、すっかり油断、騙された。(笑)

というより、『すごい企業努力だなぁと、感心した!』

値上げ、値上げ。

株価は右肩上がり。

取られる一方の、一次産業的な生き方の、日々真面目に、という庶民生活の自分は、疲弊するばかり。

でも、そんな中でも、こんなに企業努力してくれ、生活を助けてくれる企業もあるんだなぁと感動してしまった。

これ、本来の使い方だったら、この寸法減でも、全然問題なし。

個々数年の値上げ値上げの中でも、いつもどおりの違和感のない商品を、同じ価格で提供してくれるって、すごいことだと思う。

収入ベースぜんぜん上がらないの時勢。

値上げ分は、庶民の銭は、どこにいってしまっているんだろう。

まわりまわって、某政党の活動資金?

値上げの部分は、社会のバランスと取るために使ってほしいかな、と。

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「なるほどなぁ」と、家計の負担感を実感

2024年02月08日 | 日記

日本経済新聞のWebニュースで、『23年の実質賃金2.5%減、2年連続減 90年以降で最低水準』という記事を読んで、Google先生にもう少し詳しく聞いてみた。

すると、内閣府の『第2-1-5図 一人当たり名目賃金・実質賃金の推移』(https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je22/h06_hz020105.html)というデータを発見。

1991年を100とした指数で、「この20年間、みごとな横ばい」(TOT)

に加え、2年連続減ということらしい。

ここ数年、じわじわと物価高が進み、収入はいっこうに増えないから、わが家の家計簿も、じわじわ右肩上がりで、「おらの、明るい老後はどこにあるんだろう」と不安感。

預貯金を切り崩して、とまではいかないけれど、月半分ほど働いているシルバーバイトの収入は、まさに焼け石に水!

「じゅっ!」て感じで無くなっていく。

この切実な生活感は、内閣府のグラフなど眺めると、「なるほどなぁ」という、家計の実感に変わった。

お上(内閣府)は、こういうことをきちんと把握しているのに、制度、仕組みを変えようとする気はないようで、国会では、政治家が「賃上げ」の議論を盛んにしている。

「最賃」は、国の施策の中で変わるけれど、自由主義経済の日本では、社会全体の「賃上げ」は、各経営者が判断し、行うもの。

国会での政治家先生のお話を聞いていると、日本はいつから『赤い旗の国』のように、統制経済とか、計画経済になったんだろうと不思議に思う。

国の施策としてできるのは、『異次元の賃上げ』ではなく、減税であったり、社会保険料の引き下げによって、企業を含む国民生活を下支えする、仕組みの見直しでは?
お上が召し上げていた分は、経営者や個人の手元に残り、これが賃上げになっていくのでは?

と思ったりするのだけれど、お上は、まだまだ庶民から召しあげようと考えているよう。(笑)

これでは、零細、個人企業でのシルバーバイトのお給料が上がることはまずないし、少し上がったところで、大企業などの賃上げを転嫁する物価高の進みの方が早くて、追いつかない。

今のお上、なんだかやっている方向性が逆のよう。

物流問題にしても、時間規制をして働けないようにしてどうするんだろう。

人手不足なのならば、もっと一人がたくさん働けるような環境にして、給料を稼げる仕組みを作る。

タクシーなども、変な制度を入れるより、もっと台数を減らして、ネット技術なども活用して、ひとりが稼げる金額を多くする。

その方が、働きたいという人が増えるのでは、と思ったりする。

たくさんお金を稼げるところには、人が集まる。

難しい問題もたくさんあるんだろうけれど、そういうのが理屈だと思う。

今のお上、なんだかやっている方向性が逆のよう、と感じるのは私だけ?

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Lubuntuに、Libre Office安定版が降ってきた

2024年02月07日 | Lubuntu学習帳

PCはもうすっかりLubuntu使いになり、Windowsがどんどん遠くなってきている。

自分にとってのパソコンとは、昭和の子供の頃のイメージで言えば、「えんぴつ」「けしごむ」「かみ(広告の裏など)」

少し成長して、「そろばん」「ふせん」「コクヨのめもちょう」「辞典」「ノート」「手帳(To Do)」「電卓」

便利な道具であり、今もそう変わらない。

ところが、1990年代後半から、ワープロやパソコンの出始めは、それを使いこなす方にばかり時間を取られ、気がつけば、今はすっかり商用ベースに乗っかっている。

この傾向はずっと続いて、MSさんの新しいOSが出る度に、操作の書籍を買い、Officeソフトの操作書籍を買い、道具の使い方を覚えた頃には、また、新しい物が出て・・・。

「こういうの、日々の道具としてはどうよ?」

昭和の頃の道具は、一旦手に入れれば、使い方の工夫はあるにしても、匠(その人)の技。(笑)

そんな時間だったのを、MSさんが『Windows 10 → Windows 11』への移行スペックの格上げで、置き去りグループを作ってくれたことで、断ち切ってくれたのでは?と、このごろ思う。

『Windows 10 → Windows 11』置き去りグループのPCしかないわが家。

生活面では、主たる仕事も終え、PCは趣味道楽100%のツール。

宅内には、複数台のPCがあり、置き去りにされても、買い換えるお金もないし、必要もない。

で、Linux(Ubuntu系)を、10年落ち近いPCで、本格的に使い始めた。

使えば、使うほど、いい。

いいものを公にするのは、実は、私的には不本意。(笑)

使う人が増えれば、Windows同様、トラブルも増えるし、私個人のストレスも増える。

だからWindows 10 のサポートがきれたら、お金のある人は、10万円も出せば、サポート付きの新品PCが買えますので、これ、一択でお願いします。(笑)

Windows 11は、機能の充実した素晴らしいOSです。

古いものは、セキュリティーが心配なので、廃棄しましょう。

で、
廃棄先:https://www.renet.jp/ (リネットジャパン)←ここ良いですよ。無料です。

で、こっそりですが、

・Lubuntuって、Ubuntuなんです。
ベースはUbuntuで、運営的にもしっかりした組織体&利用者も多い。
サーバーでの経営では、収益化もしているよう。

・私的使用での、デスクトップでは、『Lubuntu』『Xubuntu』
どちらも、10年落ちくらいの古いPCで十分動きますが、『Lubuntu』の方が『単純・明快
』かと。

もう、どうしようもなく古いPCですが、Lubuntuさんは、ちゃんとセキュリティーアップデートもしてくれるし、Google Chromeの自動更新も問題なし。

この度、Libre Office 7.6(安定版)が降ってきました。

今まで使ってきたLibre Office 7.3でも、なにも困ることはなかったのだけれど、「無料だって、ちゃんと更新してくれる」ってのが、ありがたい。

医者どんに、「この薬をのみなさい」って言われるのって、だいたいが『新薬』&タカ!

「これ、ほんと、効く?」

ある意味、「収入先細りの老人イジメじゃないか」なんて、ジイサンになったせいか、僻みっぽい。

これって、MSさんの方針的だわな。(笑)
世の中の流れは、そんな方向だけれど・・・。

個人使用のLubuntuって、ジェネリック薬品みたい。

ジェネリック薬品は、長い間使われてきて、その効果も副作用もだいたい分かっていて、製造方法も公開されている。

しかも、安い。
薬の利用者にも、医療保険を支える納税者にも”やさしい”

目先の派手なことはできなくても、プログラムがオープンで、使い込まれたOS、アプリは安心だ。

ありがたい。

Libre Officeも同様。
個での日常使いではなんでもできるし、私的利用では、任意の寄付以外は何も要求されず、しっかりアップデートしてくれる。

古いPCでも使えるこんないい話は、あまりひとには言わないでおこう。(^o^)

長い間使ってきたLibre Officeには、年1回、金額は些少だけれど、寄付をしている。

寄付=感謝、評価

毎月強要されないのがいい。
Lubuntuにも、そうしていきたい。

パソコンというものにふれ、インターネットにはじめて接した1995年頃。

インターネットの社会は、共有、みんなに利便性を与えるって感じだった。

それにまた付加価値をつけてという繰り返しで、ものすごい創造性の時間だったように思う。

今のインターネット社会は、「カネ、カネ、カネ、・・・・」
ひぐらしの鳴き声が響き渡っているようにも思う。

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