And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

僕は見た、狂気によって破壊された僕の世代の

2015-08-10 14:25:27 | 日記
今年の秋ベルリンへ行く予定があり、ベルリンといえば「寒い国から帰ってきたスパイ」だなと本買ってきた。たぶん前に読んでるし買うのも少なくも二度目、もしかしたら三度目かもしれない。でも中身忘れているからまあいいかと思う。SFはそんなに好きでもないし愛着もないのだが絶版で手に入らなくなったりするので本棚に並べておくが、推理も含めたサスペンス系は読んだらどこかぶん投げてしまい、また読みたくなるようなことがあったらーそうはないがー探さないでまた買ってしまう。純文のたとえば芥川全集が文庫になったときは揃えて、短編2,3読んであとは飾りになるとかあるから、それに比べたらいいのか悪いのか。文庫は本棚に置いても見栄えよくないけど積んでおくのもじゃまくさい。でも芥川、夏目の全集は重たい単行本なら間違いなく読まないが、文庫なら何かの隙間に読むので文庫のほうがいいに決まってる。「失われて時を求めて」は文庫になってなかったら読み返すこともなかった。大きな書店行くといまだ外箱のついた個人全集があるのに驚く。単行本で新刊を買ったなんて大江健三郎くらいか。ベストセラーも芥川賞受賞作も買わないので。それよりヴァージニア・ウルフ「波」を新訳で文庫にしてくれ、ドス・パソス「USA」を全訳してくれと読みたいものはいくつもある。となるとやはり文庫だ。そういっておいて西脇順三郎全集が3セットもあるのをどう言い訳するか。

もう一度死体の数を数えよう

2015-08-07 21:55:59 | 日記
ノーマン・メイラーの「裸者と死者」を読んでいくと自分も島の奥へ歩いて行くような気にさせられる。それは第二次世界大戦のフイルムを観ているようで、隣にいる人間が誰だろうと関係なく、自分は生き延びなければという意識を持つ。なかなか進まないのは読み進んでいっても楽しいことがないとわかっているからだ。読むにはもう何十年も古本を探すしかなく、探すことは読む意思をはっきり持ってるということだ。果たして欲しがるものはいるのか?映画「ジョニーは戦場へ行った」当時話題になったが、今借りて観る人はそういないだろう。音楽もそう、ディランやシカゴがデビュー当時プロテストソングを歌っても、いつの間にか歌われなくなり、若いことが悪いかのように忘れていく。でも現実に起ころうとしていることは文学でも音楽でも止められない。そういった意味では文学は無力だ。サルトルのいうように。ではどうすべきか。若い人に特攻隊という名の自爆テロをもう二度とさせないために若い人間自身が主張しなければならないが、何の影響力も責任も持たないブログを書く自分は、悪いが文学に映画に逃げるしかない。


8月の午後のこわれたヴァイオリン

2015-08-06 09:06:21 | 日記
バックハウス、ケンプなど二世代前のピアニストのことは何の興味もなかったのだが、ケンプのバッハ名演集を買ったときにとてもよかったので、また何かあったら買ってみようと思っていた。学生の頃はポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージなど全盛でやはり聴くなら現代のピアニストと思っていたが、その3人ももはや巨匠を通り過ぎて引退かみたいになっている。現代の生きのいいピアニストを探さないでケンプを聴こうとしているのは自分が爺になっているのかという気もする。そんなこと気にもせず、ケンプのグラムフォンボックスセットを買った。ケンプの珍しいオルガン演奏も入っていてその中にオルゲルビュッヒラインの中の曲でも特に好きな曲「主イエス・キリストよ,われ汝に呼ばわる」が入っていた。名演集でもピアノ編曲版が入っていてそれも何度聴いたかわからないくらい好きだったのだが、オルガンがまたいい。というのもヴァルヒャなどは演奏が早くて味わう暇もなく演奏が終わってしまうのだが、ケンプはゆっくり弾く。ゴルトベルク変奏曲は装飾音を外してゆっくり弾くが、リピートも省略しないので心地よいと思っていてもだんだん飽きてくる。でもそれがケンプのよさだ。それでとベートーヴェンを聴くとこれは物足りない。ギレリスのようにキンキンと響くのが好き。後期は昔ポリーニのレコード買って曲が好きになったので、今でもポリーニ。シューベルトなんか興味ないけど入っているからいつか聴くか。変わりダネは「エリーゼのために」が入ってたこと。今まで最初から全部聴いたことなかった。ケンプファンには悪いが、たとえていうなら通りすがりのおじさんのための感想文。この程度しか書けない。

もしもあの世に行けたなら

2015-08-02 13:35:35 | 日記
テレビドラマ「24」を観たのはDVD買ったときにおまけで1話が付いていて、そういうのは滅多に観ないのだけれど、たまたま観たら面白くてすぐ続きをレンタルした。その最初の1から最後まで新作が出るとほとんど行くことのないレンタルショップ行って借りてきた。1度観たらもう観ることないと思っていたが、CSでやっていてこういうのは途中から観ても面白いからと暇つぶしに録画して観たら、ストーリーほとんど忘れていてまた面白かった。冷静に現実離れしてるだとか、恋愛はいいから先に進めとか冷めて観たりするが、なんで面白いのか考えると吹き替えにあるのではないかと思う。こういうテレビドラマは映画と違い素人の役者使ったりせず、本当にうまい声優使うからのめり込めるのではと。ジャック・バウアーだってたぶん英語では冷静にしゃべっているんだろうなと思う。それは昔から独自のものにしてしまってるものなのだろう。ドクタースミスは熊倉一雄でないとだめなんだ。ケーリは山田康雄でカービーは羽佐間道夫でないとだめ。英語しゃべったらだめ。「宇宙大作戦」のアジア系パイロットの名前はスールーでなくてミスターカトー。ドクタースミスに逆らうロボットはフライデー。最近のドラマでも吹き替えがやらなくて字幕で観たら全然つまらなかった。ということは吹き替えドラマは一つのジャンルになっているのか。昔は映画もドラマも吹き替え当たり前、カット当たり前だった。映画はともかくドラマもカットがあったなんてDVD買って初めて知った。今のBS,CSがある時代に育った世代はどうなんだろう、吹き替えは。古い世代には映画も昔の吹き替えが付いているのを売りにしているDVDもあるが、映画はさすが映画館で観るものだと思うから字幕で観る。昔はひょっこりひょうたん島のとらさんとヒッチコックとドクタースミスが同じ声でも何の疑問も感じなかった。出るまで何度でも書くがテレビ版「マッシュ」早くDVDにしてくれ。



ぼくはルネ・シャールの詩のことを思う

2015-08-01 20:45:47 | 日記
しばらく何も書いていないので、もしこれを定期的に読んでくれている人がいるのなら応えなければならない。でもそんなことを考えるのは書き出した意図に反する。別に誰に読んでもらわなくても構わない。題名もポピュラーな固有名詞を使わず、検索にも引っかからないようにと思っていたのだが。書くことがないということは面白い音楽にも本にも巡り会っていないということ。最近「巨匠とマルガリータ」が文庫で出たのを知って買ったが最初の100ページ行く前にストップした。中途になってる「未成年」と「裸者と死者」も気になるのだが、CSで戦後70年の特集でドキュメンタリーがいろいろあるので、それを録り貯めて観ているうち本を読む時間も音楽を聴く時間もなくなってしまう。それに比べて観たかった映画がついにDVDにというのもないし、オーネット・コールマンが死んだからといって未だCD化されていないインパルス盤が出るわけでもないし。「巨匠とマルガリータ」は一度読んで面白いのはわかっているのだが、それすら読まずに最近何をしているのだろうと思う。岩波文庫、吉川訳の「失われた時を求めて」の8冊目も買ってしばらく経つが、読み出したらすぐ終わってしまうのに順番が回ってこない。せっかくiPadにウォレス・スティーブンス全詩集入れたのに読んでない。「巨匠とマルガリータ」の最初にポンテオ・ピラトとイエス・キリストが出てくる。ピラトはキリストを処刑すべきなのか思い悩むが聖書ではピラトに関してほんの数行しか記述がない。ピラトのことを調べたくなるが、聖書以外に書かれていることはキリスト教的には伝説、作り話となる。しかし歴史書的なものではキリスト教関係も含めて出ている。東方諸教会ではピラトはその後悔い改めキリスト教に改宗したとなってる。肖像画などあるわけなく記述も少ないことがかえっていろんなことを考えさせられる。
通りで怪我した犬に
それはぼく自身なのだ