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ロンドンから徒然に

イアン・フレミングの初版本

2008-11-05 | 文学
(昨晩から今朝にかけてずっとインターネットが繋がらず、ブログをアップできませんでした。その間にオバマの勝利が確定しましたね。文章は昨晩のままアップします。)

 TVでは1日中ずっとアメリカの大統領選のニュースをやっています。候補者のふたりのみならず、ブッシュはもちろんのこと、時々昔のケネディの映像が流れたりしています。
 考えてみたら、ケネディの頃はソ連との冷戦の真っ最中で、それがいつの間にかブッシュの頃はテロに置き換わって、そういう敵を想定することで国民の求心力を高めていたのでしょう。
 それがここに来て一番大きな敵は、目に見えない“経済危機”に変わりました。国民はさてどんな選択をするのでしょう。

 昨日007のことを書いたばかりです。最初の映画の頃は冷戦という環境があったので、敵の想定にそう説明を要することもなく、描きやすかったのでしょうが、だんだん世の中が複雑になるに連れて、“悪”の定義も難しくなり、設定に苦心している様子も時々見られました。
 それだけに、魅力的なキャラクターの創造に成功すると良い映画として印象に残るのですが、失敗すると派手さだけを売りものにした底の浅いものになりかねませんでした。

 それもこれも、映画がシリーズとして長引くに連れ、原作となったイアン・フレミングの作品が底を突いてしまったことから起こっています。まあ、言ってみれば『サザエさん』みたいなもので(笑)主人公のキャラクターが残ったまま、脚本がオリジナルで制作されるわけですね。
 実は子供の頃、原作の007シリーズに夢中になりました。何だか読んではいけない大人の本を読んでいるようなスリルを覚えながら興奮したものです。

 せっかくロンドンにいるので、どうせなら一度オリジナルで読んでみようかと思い、古本屋を覘くと、ショー・ウィンドウになんと初版本がありました。想像はついたのですが、値段をみると気楽に読むには到底手の届かない値段ばかりで、中には100万円近くするものもありました。
 どうして『ドクター・ノオ』より『ムーンレイカー』の方が高いんだろう、なんて疑問に思ってふと気づきましたが、こちらは映画の順番の思い入れが強いけれど、必ずしも原作の順番通りに映画化されたわけではないんですよね。



 さてさて原作もシナリオもない今回のアメリカ選挙、どんな小説や映画よりももしかしたら面白いかもしれません。この2年間の動きを辿ってみると、最初の頃はヒラリーとジュリアーノの戦いだったはずが、いつの間にか主役がすっかり交代して、オバマとマケインで争っているんですからね。

 誰が勝っても経済危機を乗り越えるシナリオだけはしっかり書いて欲しいものです。