植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

めだかの新種入荷しましたっ

2022年07月16日 | メダカ
メダカは死にます。メダカに限らず、どんな生き物でもいずれ死にます。しかし、自分で育てる以上、出来るだけ天寿を全うさせる努力と知恵は惜しまない様にしております。メダカの寿命は約3年、順調に育って大きくなって数多くの子孫を残して、ある日突然水の中で動かなくなります。餌も食べないまま1,2日経つと静かに死んでいく、それはワタシ達人間でもある意味理想形であります。

毎日チェックし、最善を尽くしているつもりでも、メダカは死にます。その多くは、水質と水替え作業によるトラブルに起因いたします。

生まれたばかりの稚魚(針子)は、体が小さく弱いので強めの水流にあたったり、ネットで乱暴に掬うだけで弱ります。水替えはおよそ孵化後ひと月ほど経ってからです。出来るだけ環境を変えず、徐々に水コケで緑色に変わっていくまで水替えせず、少しづつ足し水をするのが基本です。一方でゆっくり確実に水質は悪化します。成長が早く餌もたくさん食べるので、体は小さくても想像以上に糞が増えるのです。

ワタシは、新種の作出、花屋への納品、自然死の補充から既存のメダカたちを繁殖させております。すでにして、ミユキメダカ・楊貴妃系赤メダカ・オロチ系黒メダカを様々増やし、多くの交雑種を生み出しておりますが、系統だって繁殖させているわけでは無いので、たとえ新種のメダカが出来ていても気づかないのであります。

今年は、ヤフオクで2回に分けて珍しいメダカの卵あるいは、最近売り出し中の新型メダカの卵を落札いたしました。「黒蜂ヒレ長・夜桜紅・スーパーゴールド・ドラゴンブルー・三色ラメ・サタン黄、紅帝・紅花花魁」等名前を聞いただけでもわくわくするような品種であります。また、鮮やかな赤メダカが欲しかったので、赤系のメダカをいくつか選んだのです。これらは大体卵10~30個でヤフオクに出品され千円前後で落札されています。

加えて、オロチ・紅白・紅帝という、普及してきた定番のメダカは、さほど高値にならず100個単位で入手しました。都合約500個のメダカの卵を8千円ほどで、落札・入手して8個の容器で孵化させ養育しております。気が付けば40日経過し、一つの容器(黒蜂)で半分がいっぺんに死んでしまいました。痛恨であります。昨日までみんな元気だったのに( ノД`)シクシク…。
水質の悪化は、個体数×容器の大きさ(水量)×日数×水温によって変わってくるので、全く安心できないのです。目安は1か月・底が見えなくなる・臭気が上がる・一匹死ぬ、といったところで異変に気付かないと一晩で大量死に繋がるのです。

ともあれ、急遽、最初に仕入れた他の容器の水は取り換えました。2回目の一群は3週間ほど間が空いているのであと2週間ほどはそのまま餌だけやっておきます。

今年は、まじめに死なせないようにしなければなりません。容器を一緒にせず種別の飼育とし、同じ種の繁殖に特化致したいと思います。種類の違うメダカを掛け合わす新種の作出は来年以降にいたします。
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東電の経営陣は責任を取ってくださいね

2022年07月15日 | 時事
東電の株主代表訴訟が、地裁では原告側の全面勝訴となりました。
あの東日本大震災で、日本と東北の復興を遅らせ、世界からは食品が危険と烙印を捺され、巨額な原発処分費用と復興費ををすべて電気料値上げと特別増税の形で国民に背負わせた、あの福島原発の危機管理の不備を問われた裁判でありました。

これまで、刑事裁判では、「想定外・予見不可能」であったとか、原子力規制委員会の「長期評価」 は不正確だったとか、の理由で逃げ回り、検察が不起訴処分を繰り返した 不可解な経過をたどりました。これは政府の原発推進・安全神話に間違いがあったと断じられてとばっちりが来るのを恐れたのでしょう。その後の原発再開の動きを見るまでもなく、半官半民の電力業界とのずぶずぶな関係を物語るものでもあります。あの地域にかつて巨大地震が起きたことがある、10m以上の津波が来る可能性を指摘されながら、予備電源や発電装置などを津波の及ばぬ高さの場所に置き換えるだけ、のことをけちった結果でありました。

それを想定外と言うのは、評価を軽視し、自分たちがまともな危機管理判断が出来なかったか、知っていて自分たちの任期中には起きるわけがないと、備えを怠ったかのいずれかであります。そこは明白な落ち度で、安全確保義務を怠った責任を問われるのは当たり前と言えましたが、刑事事件としてはなかなか結審までたどり着きません。

そこで民事事件で地裁が、はっきりと「経営陣の責任を認め賠償を命じる」判決を下しました。13兆円を会社(東電)に支払え、という判決で、これをみた法律の専門家は、支払えるわけもないので意味がないという意見もあるようです。こんな判決が出ると、公共的事業者の経営陣に大きな萎縮効果を生む などと馬鹿な事を言うのです。いざというときには責任を取らねばならないという緊張感があってこそ、経営者の職責が果たせるのです。アメリカの「懲罰的な賠償額・罰金」とは意味が違います。

本来、賠償額は、原告側(被害者)の損害額をもって賠償させるので、被告の支払い能力を斟酌する必要はありません。この人たちは、もうとっくに資産は、金融資産などは隠しているでしょうし、本人以外の名義などにするなどして、処分しているでしょうから、自己破産してお終いとするかもしれません。すると、会社が支払っていた「役員賠償責任保険 」から、上限9億円ほど下りて来るのでそちらからは支払いを受けることが出来ます。

焼け石に水、と言えばその通り。しかしながら、東京電力の旧経営陣が安心の老後を送っている一方、被災して失意のうちに亡くなった方が大勢います。当時の原発の収拾にあたった関係者の被爆などで多くの方が、がんを発症し、今も苦しんでいます。

大企業の元経営陣が、様々な庇護のもとに、のうのうと余生を送るというのはどう考えても間尺に合わないのです。彼らは、現役時代強大な権力・権限を有し、社会的な名声を得て莫大な報酬を受け取っていたはずです。大きな権益は、それに見合った功績と責任があってこそであります。100万円の給料の人は、それくらいしか仕事の価値が無く、期待もされていないという意味です。1億円を貰う人間は、一億円に見合う働きをし、卓越した危機管理や先見性を求められるのです。

福島原発の「電源喪失→炉心メルトダウン→爆発と放射能の大規模拡散」は避けられた、というのは専門家の一致した見解であります。それを怠って未曽有の大災害を引き起こした責任は重く、死ぬまでたとえ千円でも一万円でもその補償を支払い続けるのがせめてもの償いではなかろうか。原発を安全だと推進した議員たち、政府関係者、旧原子力安全・保安院も同罪であろうと思います 
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たかが印泥・印肉と言うなかれ 書作品の良し悪しにも繋がる

2022年07月14日 | 篆刻
先日、ヤフオクで性懲りもなく落札した印泥が届きました。手持ちの印泥だけで40個ほどになっていて、もはやワタシが死ぬまで消費し尽せないほど大量になっているのです。ですが、篆刻印を作って差し上げた方のほとんどは、いい印泥が欲しいあるいは印泥自体持っていない、というのです。

従って、有料無料はともかくとして、一定の需要(行き先)があるのでストックがあっても困りません。よい印泥は、何と言っても変色・変質しないというのが大前提なので収納箱に沢山入れてそのままにしていても心配はありません。とはいえ使用している印泥はたまに取り出して混ぜたり状態によってはメンテナンスが必要になります。

また、印泥によっては全く色合いが違ってくるので、ワタシは、書作品によって印泥を使い分けるという書道家なみの構えをとっているのです。などと、言いながら自分の収集癖を正当化しております💦💦

届いた印泥は3つ、いずれも現在市販されている新しいもので「未使用品」であります。こうなると、その定価は、おおよそ把握できるのであります。


左上の「耘萍石泉印泥2両装(60g)」は光明という最もポピュラーでお求めやすいもの、色合いはやや明るめで深みがありません。大体5千円程度の売値でしょうが、李耘萍女子の印泥は捺し易くムラやダマにならないのが特徴なので、初心者向けとして、十分使えます。

右上はこのブログでも何度も紹介している、市販品では最上級の印泥「高式熊印泥珍品1両装」であります。これも耘萍さんが監修し、印泥の第一人者高式熊さんが認めた印泥です。この上に「超級」というものがありますが、さらに高価になります。この印泥だとネットではおよそ1両装(30g)で2万円前後で販売されています。珍品・貢品あたりになると、朱というより橙色に近く、高貴でやや明るめの色合いであります。こうした最上級クラスの印泥で古いものは、表面に小さい金箔が張られていたりもします。

右下は「潜泉特制珍品硃砂 30克装(30g)」の未使用品であります。これは(上海)西冷印社が販売している6段階の等級の一番上位に来る高級なもので、1両装だいたい15千円前後いたします。色は鮮明で落ち着きや深みのある朱が引き立ちます。

この3個の印泥まとめてが、9,500円で落札出来たのであります。市価およそ4万円見当ですから、1/4ほどで入手したことになるので、気分は悪かろう訳はありません。

参考までにいくつかの色の違いをお見せします。上の3つはいずれもワタシの摸刻印ですがシャチハタ朱肉です。


下の印は、左から古い蘇州姜思序堂の珍珠印泥・金龍朱肉 特級印色・八宝印泥貢品になります。いずれも良品で作品の落款に相応しいものでありますが、色の違いは歴然であります。

因みにワタシが持っている最も高価で入手困難な印泥は「北京栄寶斎」の古い印泥であります。(偽物が多いのですが、これは真正のものだと確信しています)。その朱色は写真では分かりにくいのですが、ほんのりピンクがかって美しい朱なのです。

下の写真の上の印が永宝斎で捺したもの。更に印そのものは日本篆刻界では知らない人が居ない異端の天才篆刻家「酒井子遠」先生の作なのです。
こうした印泥の色合いで作品の出来・評価が左右されたりするのです。良質で美しい色の印泥を追求することが誠に大事なのです。
それにしても、ワタシのコレクションと撮影技術の格差が激しくて申し訳ありません。
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田黄石 か 田黄石のようなものか

2022年07月13日 | 篆刻
今日は田黄石について語ろうと思います。

言わずと知れた印材の最高峰で、数百年前から本場中国でも田黄を挙って有難がり、宝石並みの値段で「目方で」取引されたものです。
中国の印の素材では「中国三宝」と言われる、鶏血石、芙蓉石の中ではとびぬけて価値が高く、印材の皇帝と言って差し支えないでしょう。その美しさや彫り心地の良さ(実際は彫ったことはありませんが)、入手の難しさから価格が高騰し、真正のものは最低でも5万円は出さないとヤフオクでも落札出来ません。まして、最近の円安物価高のあおりか入札価格が徐々に上がっているのです。

ワタシは、田黄石らしきものは10個以上所蔵しておりますが、残念ながら予算の都合もあって、そのほとんどは、数千円からせいぜい1万円程度の落札価格なのであります。ですから、紛れもない田黄石というものが手持ちの印材にあるかどうか確信が持てません。というより本物は無いと思います(´;ω;`)。

専門誌やネット・雑誌などで銘品を目にする機会はあっても、実際手に取って確認しているわけではないので、どんな石が本物なのかわからないのです。「墨スペシャル」という書道専門誌からの転載写真がこれ。


田黄石の特徴は①黄金色・琥珀色・柑橘系の色合いに近い ②純度が高く混じりけが無い透明感のある石 ③自然石の形を残している(切り出しの材ではない) ④自然の形を生かした「薄意(山水人物などを浅く浮き彫りに彫ったもの)」が施されている ⑤温潤な風合いとしっとりすべすべした肌理の細かい独特の触感がある(らしい) ⑥印面に「 蘿蔔紋(らふくもん)ー掘りたて大根の切り口に似ている」や紅筋がある等であります。

紐を入れたり、角の丸みを落とすとその材の重量は減ります。金などの貴金属同様、目方で販売される田黄石は、出来るだけ重量を減らさないようにするのです。つまり自然の形に近いほど本物の可能性が高いという理屈になります。

稀に、惜しげもなく方形に切り揃え、上部に獅子紐などを施し、細密な飾りや詩句を側面に入れたものもありますが、これらは博物館レベルで、ヤフオクでは最低でも50万円以上するものです。

問題は、すでにその産地である寿山の麓の田黄坂の水田や畑の中に埋まっていた狭義の田黄の原石は掘りつくされ、新たな供給は皆無であることから、非常に高値であることと、その為膨大な数のまがい品・人造石・類似品・新田黄石などが出回っているということです。つまり、たいして金を出せないワタシレベルが引っかかる石はほぼ全てがコレであります。

先日も、ヤフオクで田黄という説明の無い印材の出品物が目に留まり、「これはもしかしたらもしかする」と思ったのです。決して古いものでは無いようですが、美しく磨かれ全体に薄意があり、更に183gとボリュームがあって、良石に見えました。落札まで残り15分で、入札は0件、ウオッチも5,6人でありました。最低価格5000円でありました。念のため6,000円で入札して「いただき」だとほくそえんでいたのです。ところが、すぐに上回る入札がありました。??これはもう少し行こう、と17,000円を入れたら、他の人がもっと高値で最低額を入れていたのでした。もうダメです、あかんヤツでありました。

結局落札額は136,000円、そうですか・・済みませんでした。考えが甘かったのです。やはり本物のあるいは本物らしい田黄石はワタシごときの出る幕はありませんでした。

そこで手持ちの田黄石に似たような石を掲載いたします。

いずれも印面が彫られていて、由来などを刻んだ側款もあります。上の石は、自然石を象った印で、丁寧な細工が施されています。ワタシは、これは田黄石ではないが、老坑・旧坑と言われるような鉱脈から出てきた良質な寿山石であろうと思います。下のは篆刻も紐もやや雑であまい感じです。色合いはくすんでいてぼんやりとした模様も流れています。下の二つは人造石かまたはよく似た天然石を探してきて似せて作ったものでしょう。


この二つも、光沢やつやがあり薄意もそれなりに彫られています。右はひび割れていて多分一部接着しているようです。近所の篆刻家さんに見せたところ、もしかしたら質が悪くて割れがあるけれど、一応田黄石かもしれませんねとコメントを頂きました。多分固い地面に落としたはずみにヒビが入り欠け、一部が割れたのを修復したのでしょう。人造石では決して出来ない傷ですし、わざわざ人造石を接着剤で修復するはずもありません。天然石で、田黄石に近いような石ですが、ひびがあって割れているものですから価値は低く、ワタシが落札できたのでしょう。

写真下の右(再掲)は印面に刻字あり、なかなか素敵な印影で「閑雲野鶴」と彫られかなりの腕の方が彫ったものと思います。セーム皮で磨くとピカピカになるので、これもひょっとしたら自然石かもしれないのです。人工石はぐずぐずした彫り心地で、細く削ると山が崩れるます。

左の石は真正の「人造石」でワタシが摸刻したもの、柔らかくて簡単に彫れますが、繊細な細い朱文は出せません。細かな白い擦過傷も出て、磨いても艶が出ないのです。左右の艶の差は歴然としています。右の石はやや透明度が低く、暗い飴色なので、もしかしたら田黄石によく似た自然石で、案外値打ちのあるものかもしれません。

ともあれ、ワタシの田黄石探しの旅、本物の田黄をこの掌に乗せるという夢は続くのであります。
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今日鎌倉へ行ってきました~♪ 縁は繋ぐもの

2022年07月12日 | 篆刻
まだ学生の頃は、デートにせよ合同ハイキングにせよ、鎌倉や北鎌倉を散策したりハイキングコースを尋ねたりしたものです。18歳のワタシは、油絵などにも興味があって絵をかいたりしたのです。通算何人かの女性とも連れだって、明月院(紫陽花寺)などを訪ねたのをぼんやりと思い出しました。少年から大人に変わっていく年頃であったのでしょう。

さだまさしさんの「縁切寺」という名曲が流れていたのもこの時代で、「今日鎌倉へ行ってきました。二人で初めて歩いた街へ ~♬」という歌詞通り、あの頃、手を繋いで歩いた数人の女性たちとは全く縁が切れています。

就職が決まった時、結果としてお世話になった方を裏切ることになり、その方に亡父が上京してワタシの不始末のお詫びをしたのも鎌倉の料亭でありました。

それから30年ほど後に、スケッチブックを手に、金沢文庫や・八景園、鎌倉と、平日に写生したのも今となっては懐かしいです。その時、金融機関勤めであったワタシは、「出向先から戻って自宅待機」という不名誉な境遇であったのです。

そして昨日は、10数年ぶりに鎌倉を訪れました。三男が鎌倉八幡宮で結婚式を挙げることになり、夫婦で貸衣装の衣装合わせに小町通の衣装屋さんに出かけたのでした。訳あって今年は、なんと3回目のモーニングの衣装合わせでありました。

その時ふと思いついたのです。「ウジンさんに会いたい」冬のソナタのユジンさんではありません(笑)。篆刻家の雨人先生であります。彼は鎌倉篆助というお店を持ち、世界で最も早く印を彫るという特技を持った気鋭の篆刻家さんです。ワタシは、かつて独学で篆刻を始めた時、YouTubeでこの方の動画で印刀の使い方を学んだのでした。またワタシが集めた篆刻印の中で1本だけ「雨人刻」の印がありました。膨大なストックの中の1本なので探しても見つかりませんでしょうが。篆刻に関しては雨人さんがワタシの師匠なんです。


貸衣装屋さんの担当の女子は、母が書道家なんです、とさらっと答える、そんな文化や伝統が深く息づく街であります。早々に衣装を決めて申し込みを終え、彼女が教えてくれた老舗の蕎麦屋「山路」さんで、それはそれは美味しい、コシの効いたそばをすすりながら、これから寄る所があると、家内を先に帰し、北鎌倉で下車して鎌倉篆助さんを訪ねました。北鎌倉駅から徒歩数分のこじんまりしたお店で、雨人先生もいらっしゃいました。

気さくな明るい方で、15分ほど立ち話をしました。内容は、知り合いの篆刻家の先生のことなど、取り留めもない篆刻に関わる話で、初対面で素性もわからぬこのお爺さんに、嫌な顔もせず聞いてくれました。記念にと思って、短冊などを飾れる、機織りだか紙漉きだかの古い木の部品を分けてもらいましたが、やはり篆刻家さんならば、遊印の一つも頼むのだったか、と帰りの東海道線で思い直したのは遅かりし、10秒で彫り上げるという刀捌きを見たかったかなと。帰りに名刺を置き、何か将来縁が繋げればと期待しつつ帰路についたのです。


この秋には自分の息子が鎌倉で挙式することも、なにか鎌倉との縁を感じます。これまでの人生の節目で幾度も来ることになった「鎌倉」、これからもそこで新たな縁や人との交わりを紡いで、縁切りならぬ縁繋ぎということもありうべしと、微かな期待を感じて大変有意義な一日でありました。



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