植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

風邪と同じようなもの、ってなんだろう

2022年01月26日 | コロナ
 現在のおっかない流行病、それがふつうの年配の考える事であります。
テレビやでは政治家や評論家、はたまた医療関係者などがさかんに「風邪」と同じ程度で恐れることは無いと言っております。ウイズコロナなので、経済を止めるなどもってのほか、蔓延防止は何の意味も無いのだと。

 あの尾身さんは、ついに「人流はあまり関係ない、人数が問題だ」と意味不明の発言をしてだいぶ注目され、政府関係者は打ち消すのに躍起となっています。今までさんざん人流を抑えると言っていたのは何であったのか。人流が増えると人数も増える、人数は人流に比例するのではなかろうかと思うのですが。だいぶ尾身さんも「尾身苦労株」に毒されてきたのでしょうか。

 もし風邪とたいして変わらないなら、飲食店の営業時間などの制限も不要であります。まん延防止等重点措置というものが、そもそもコロナの感染拡大にどれだけ効果があったか分析しろ、と言っています。そのつもりなら、同じような規模とロケーションの複数の都市や地域で「マンボウ・緊急事態・無対策」の3モデルを意図的に決め、徹底的な人流の把握や飲食店などの営業環境を厳密に把握して情報を収集しなければ分析などやりようもありません。

 奈良県の知事は、もと自衛隊の官僚で、まん延防止などなんの意味も無いので一切政府には申請しないのだそうです。奈良県はだいぶ重症患者が増えていて病床使用率などガイドラインなら緊急事態に該当するレベルなんです。そもそも奈良県は夜遅くまで営業する飲食店は少ないのでマンボウやっても変わらないだろう、重症者が増えたら軽い患者を自宅に隔離して病床を空けるからいいと軽く考えているふしがあります。奈良県はたいして感染者がいないし、風邪やインフルエンザレベルなので酒を飲んでも外出してもいいんだ、という誤ったメッセージに繋がらなければいいと思いますね。

 飲食店で言えば、自粛指示にたてついてでも違法な深夜営業する、感染対策を万全にしているのだから商売は続けさせろ、マンボウに従って補助金貰える方が儲かる、など経営者は、損得勘定で好き勝手なことを言うだけで、肝心なお客の感染などはどうでもいいのです。家庭内感染や施設での感染が、クラスターの発生源であるという意見も多いのです。飲食店は悪くないのだと。しかし、過去、すすき野や歌舞伎町など繁華街で感染が広まった源となったのは紛れもない事実、若い人が無防備に遊び酒を飲みカラオケに行って広げた感染が巡りまわって家族や医療現場にクラスターを起こしているのです。

 ワタシ達が心がけ、社会全体での確認事項は、感染力が強いし、死なないまでもきつい病気だから、飲食店で大勢で長時間酒を飲むことは、感染拡大につながるのでやめておこうというだけでいいと思います。外に出かければ多くの人と触れ合い近接するので、急がない用事ならやめておけば、と言うことであります。そしてコロナは、ワクチンも効き目が落ちて、感染したら最悪死に至り強い後遺症が残るので、絶対的な「治療薬」が出来て安心できるまで、感染対策をして自粛してね、という強いメッセージ性こそ、その最も大きな意味であると思うのです。

 風邪と比べたり引き合いに出すことがナンセンスで、誤った認識や油断を生んでいるのだと思います。

 更に、マンボウや緊急事態宣言が経済を止める、と脅かす人が居ます。例えば個人なら、年金生活者・公務員・学生・主婦・大手の会社員などは、それによって収入は変わらず、多少不自由ながらも酒を飲むとかカラオケに行くなどの遊興以外にはほとんど影響はありません。株式も電車も、物流も一般の食べ物屋さんなどの小売店もマイナスの影響は若干あったとしても、止まりはしません。自粛が経済を殺すという誇大・大げさな論理でコロナへの感染リスクを認容しようというのは、ある人ひとりが困っている、という相談を受けた人が「社会ではみんな困っている」と喧伝するようなものであります。

 旅行や観光、飲み屋さんが痛手を被るだけで、全体としては1割程度に過ぎないのです。それが、風邪ぐらいのものだから、経済を回すんだと、様々な制限制約はかけるな、と声高に言うのです。

 国会ではワクチンなどの対策が遅いと野党が攻撃し、しっかりやってる、検討してる、と岸田さんが答弁するばかり。どうせ今からワクチンのブースター接種など間に合うわけがありませんよ。PCRだっていつまでたっても検査体制は先進国最低水準から抜け出しません。

「世界も同じですが、日本政府は、コロナに無力で敗北しています。病院も薬剤メーカーも自治体も救急車も何もあてにしないでください。お金も払底していますのでバラマキもやめます。人に感染させても自分は平気だ、風邪のようなものだ、と思うならば好きに行動していいです。熱が出たら風邪薬飲んで寝てください。
 風邪とは全く違うやっかいな感染症と思うなら、外出を控え大勢が集まるような場所やイベントはやめておきましょう。数週間辛抱すればピークアウトしてお花見も出来ます。仲間と好きなだけお酒を飲むのはそれからでいいではありませんか」位の事が言えないんでしょうか。
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篆刻と印材集めを再開する

2022年01月25日 | 篆刻
 年初来、何かと慌ただしく過ごしておりました。子供たちが帰省し、泊りで川奈ホテルのゴルフを愉しみ、寄席に行ってきたりでありました。自治会の賀詞交換など相変わらず雑事もあります。更に、懸案であったブドウの剪定と棚の補修・消毒などがようやく終わって、はたと我に返って、やっと書と篆刻の日々が戻ってきました。

 また、ヤフオクで篆刻関連の品を次々に落札するうち、彫るより石が集まるペースが大幅に上回った結果、ワタシの仕事場に印材が溢れてきたのです。練習で彫り摸刻したものならどんどん段ボールに投げ入れるだけなので、倉庫に積んでおけばどうということもありません。問題は、作品や販売用に保管している単価の高い印材と、観賞用の印であります。中には数万円のものもあり、いまだその石の種類や価値が定まらない高そうな印材などが山ほどあります。また、きちんとした篆刻家さんの銘入り篆刻印のコレクションも数百に及びます。

 もともと整理能力に問題があるワタシですから、さすがにこれはマズイと思うに至りました。まずは、ヤフオクの入札を抑制する、どんどん摸刻して手持ちを減らす、整理棚を整理してきちんと収納することを始めました。そこで印箱に入っていない印を傷つかないように保存するための「コレクション用・収納用」の大型の印保管箱をヤフオクで落札するという、一見合理的な行動に出ました。10連式の箱が計5箱、これで一個づつ入れても50個の印が収納出来ます。それに安心して更に印材を落札し、もっと品物が増えるという矛盾は抱えておりますが、ともかく大事なお宝だけでもひとまとめにしておけば、訪問者にコレクションを見せるのも容易になるという目論見でもありますな。

 右のものを左にうつすだけの愚かな行為とならないよう今度こそちゃんと整理しようと思いますが・・・

 篆刻自体は、落語家さんの篆刻印を彫って仕上げをした後は、直近3週間で4.5個彫っただけ、ちょっと集中力もなく、出来栄えも思わしくありませんでした。数日前から腰を据えて気合を入れ直しました。とりあえずは「徐三庚」の銘刻の摸刻であります。

 「徐三庚」さんは中国清代の著名な篆刻家で、やせぎすで神経質そうな風貌そのままに、非常に極細で「枯れた細枝」のような朱文を得意としております。その超絶技巧なゆえ伝統的な技法や趣意を逸脱していると評価されることもあります。しかし、技術を学ぶ(刀法)にはもってこい、不足なしであります。この人の印を本物そっくりに彫る技量が備わるということは、稀代の技法を持った篆刻家に近づくということですから。

 篆刻は、時代や書体を選び集字する「字法」、印面に空間を生かして配置するレイアウト「章法」、そしてそれに基づいて作成した印稿通りに彫っていく「刀法」の三法を習得せよと教えられます。摸刻は、一級の印稿が出来ているので刀法がメインとはいえ、自然と章法も身に付いていくと思います。

そして、数個白文(文字が白くなる陰刻)をやってから、久々に本格的な朱文の摸刻をいたしました。やや大きめで字数が多いので二日がかりでありました。下の写真の白文は肩慣らし(笑)で2,30分でざっと彫ったほったものです。右上の印がその朱文です。

これを、昨日、より丁寧に仕上げました。やはり本物に似せて手を加えるとぐっとしまって見えます。ワタシにしては上出来であります。更に線を細くするのも可能でありますが、これ以上は無駄というもの、別の新たな印に取り掛かって行こうと思います。

最後に最近届いた篆刻印材であります。性懲りもなくきれいな石、珍しい石を見かけると辛抱できないのです。
 右の印は「青田石」の中で珍重される「蘭花」の藍色の点(釘と呼びます)がちりばめられております。
 左上の印は、「無極」と印字があり「秋堂」の側款が刻まれています。ヤフオクの説明文には「艾葉」とありました。秋堂という名前は中国清の時代、18世紀末の篆刻家に見つかります。この方の名前が刻まれた印の出品はヤフオクでも数点ありますが、共通するのは「田黄石」「艾葉緑」、芙蓉石など非常に高価な石を使い、見事な薄意・紐が施されていて、2~17万円ほどの高値での最低価格が提示されている点であります。
 もしこれが真正の200年以上前の「秋堂」さんの作の印で艾葉緑ならば、大変なお宝でしょうが、真贋は不明であります。
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なでしこジャパンの参謀になりたい

2022年01月24日 | スポーツ
本日は、女子サッカーであります。今夜11時からDAZNにて観戦いたします。

 なでしこジャパン、AFCアジアカップの2戦目が行われるのです。相手はベトナムで、男子は伸張著しい国ではありますが、女子はまぁ、格下で楽な相手であります。初戦のミャンマー戦では、大黒柱の岩渕真奈ちゃんがコロナ陽性で出場出来ませんでした。目をつぶっていても勝てる相手でしたが、池田監督になってから初めての国際試合で、フル代表として初めて出場する選手も数人いたせいか、緊張感や気負いで動きがぎこちなく、近距離でのシュートが枠内に飛ばず、上に「ふかし」気味でありました。高倉前監督とは、かなり陣容が変わりました。常連であった中島、杉田、鮫島などの主力を外しました。また高倉さんが好きでなかったのか、ほとんど招集しなかった点取り屋の田中美南ちゃんを先発に使っています。

 ミヤンマーのキーパーは、もみあげがあり、がっちりとした体形で顔も胸も男のようでした。俊敏で男のようなファインセーブを連発してましたが、ホントに女選手だったか疑わしいのであります。アフリカや北朝鮮などで、こういうのはよくある話であります。結果は5-0の圧勝でも、多くの決定的なチャンスを逃したのは、いささか不安な出だしでもありました。

 以前からサッカーはストライカーと同等に、守備的な中盤(ボランチ)が最も重要だと思っています。相手のゴールに向かって前が向けるポジションで、相手の攻撃の芽を摘み、ボールを奪い攻撃を組み立てる「司令塔」であるべきなのです。池田監督がU-20優勝当時のメンバーを選手を中心に呼んでいるのはそれはそれでいいのですが、昔の澤さん、その後を継いだ中島選手などが居なくなった今、まだその役割を満たす選手が見えません。ワタシのイチオシ「猶本光」や、すでにフル代表で実績がある「杉田妃和 」を使うべきだと思います。いずれも選手として脂がのっていますし、上背があり守備技術や攻撃センス・シュート力などバランスが取れた優れた選手です。

 現に、怪我で途中交代した選手の後の猶本は、女子には稀な、フリーキックを直接叩き込むゴールを決め、チームの連携もずっと良くなりました。杉田はまだ25歳で、体が強くなでしこの中心になりうる選手です。早いうちに召集してもらいたいものです。

 所詮アジア大会は、Wカップの出場権がかかっているとはいえ、さほど厳しい相手は少ない前哨戦であります。今夜も、勝ちは揺るがないのです。チ・ソヨン率いる韓国や中国・北朝鮮あたりも昔ほど強くはありません。中二日のタイトな日程で、最終的には強敵のオーストラリアと当たることになりましょう。結果休むことが出来た真奈ちゃんも間もなく合流するでしょう。大会3連覇を達成しないことには、次のWカップでの上位進出はおぼつきません。

 日本の男女に共通する課題は決定力不足です。エースストライカーが不在で、安定して継続的にシュートが決められる選手がいません。直接FKでゴールを狙える高度なキッカーもいません。何よりカウンター攻撃が仕掛けられず、せっかく中盤より前に運んでいるのに、わざわざ後ろに戻す「バックパス」を多用する悪癖があります。相手にとって、前線でプレスをかけられたり、守備が整わない間に速攻をされるのが一番嫌なはずなのにそれが出来ません。

 その解決のヒントの一つは、昨年暮れの皇后杯にあります。日テレ東京ベルディ・メニーナが、並みいる強豪女子プロチームを倒して、ベスト4に進みました。中高生だけのアマチュアチームですが、足元の技術が高く、とりわけドリブルを多用した早い仕掛けや突進力が武器になりました。マイボールになったら、すぐ前に素早くパスし、更に走力を生かして、一人で持ち込んで突破するという攻撃を繰り返しました。

 ボールを持てて、相手を抜き去るだけのドリブルをする速さとテクニックを持った選手を多用するべきでしょう。(勿論持ち過ぎはいけませんが) ペナルティーエリア内にドリブルしていけばPKだって貰えます。メニーナでいうと木村彩那ちゃんがそんなスキルを持っていました。ボランチでボールキープがうまく、前線に飛び出して速い攻撃も出来る選手です。この「7番」の選手は近いうちにフル代表に入るでしょうね。

 なでしこジャパンでは、身体的な不利を、細かなパスワークと足元の技術で対抗しようとしたのが高倉監督ですが、残念ながら世界の強豪国はすでに組織力と高い足元の技術を磨いていて、太刀打ちできませんでした。もしワタシが強化コーチであり作戦参謀ならば①突進するドリブルテクニックを磨く ②パスと前に進むランスピードを速くする ③筋トレによって強く正確なシュートを蹴る、を実践させます。

 もう一つ忘れてならないのが強いボールを自在に止める、あるいは落とすトラップ技術です。あの世界で最も素晴らしい評価を受けていたジダンやメッシの最も優れた能力は、どんなボールでもピタッと足元や自分の思う位置に落とすトラップにあると思います。それが出来るから次のシュートやパスが理想的に無理なく行えます。パスの相手も、完全にトラップをしてくれるから近い距離でも早く強いパスを出せるのです。

 サッカーの基本はトラップにあり、であります。

 
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次世代を作ろうとしないものは花も咲かない

2022年01月23日 | 植物
今年に入って、書と篆刻にかける時間が減っております。
本来ワタシの生活の中心になるべき園芸に重点を戻すべきだと思うからであります。植物全般、手間をかけただけその結果は歴然と出て来るのです。植え放しほったらかしで、十分育つ草木はありますが、水やりを忘れず適宜施肥し、剪定し、殺菌や殺虫して愛情を注いで育てれば、それに応えてくれるものなのです。

 昨年一年は、自治会の仕事に余計な神経と時間をとられ、篆刻に傾注した分、洋ランなど手間をかけるべき植物をずいぶん枯らしてしまいました。すでに処分した鉢植えは10個以上、残っているものも弱っています。今年は少しでも手をかけて蘇らせてやりたいと願うのです。

 一方、年初にあたって「今年こそ花を咲かせたい」「今年こそ実をつけさせたい」という植物がたくさんあります。ワタシの植物園(笑)・果樹園に来て数年経っても一度も開花しない植物があるのです。開花しなければ果物はなりません。毎年、今年は咲くに違いない、きっと受粉して実が生るだろうと期待して裏切られているのです。

 そこで現在の状態(落葉しているものなどで美しくはありません)から一部写真付きで紹介します。

 アイスクリームバナナの木です。耐寒性があり日本で地植えできるという品種で、丸2年経過、隣家の2階の窓の高さに届くほど生長しましたが、ついに花はさかずじまいでありました。以前植えたアケビバナナは植えたその年から開花したのです。

これは、農薬メーカーに勤務する次男推奨のすもも「貴陽」です。植え付け後5年以上で、2年続けて開花しましたが花粉量が少ない品種で自家受粉いたしません。昨年もさんざんほかの品種の花を取ってきては人工授粉を試みましたが、いまだ一つも実がついておりません。幾度も伐採を思い立つもその都度来年こそ、と思い直して今年最後のチャレンジです。樹勢が強くアブラムシが大量に発生するので今年ダメだったら伐り倒します。

この写真の奥には「サルナシ」というキウイフルーツの仲間を植えていますが、こちらも丸三年花が咲かず実も当然なりません。

これは「ラカンマキ」ダイソーで買ってきた10本300円の寄せ植えで、やっと1mほどの高さに育ちました。ワタシがまだ幼稚園通いしていた九州の温泉町の道すがら、この木に小さな実がついていて食べられたのです。人の家の軒先なので厳密には盗み食いでありました。あの頃みんな貧しく、甘いものに飢えていました。そんなノスタルジックな思いもあって、ワタシの店舗の前の植え込みに植えてあります。いつ花が咲くのか皆目見当もつきません。

これは、2年経過の「ヌアール・ドゥ・カロン」というフランス原産のイチジクです。元来イチジクは強健で、ぐんぐん大きくなり、植えたその年から実が生るものですが、この品種は成長が遅く実つきには年数がかかるそうです。世界で一番甘いと言われる滅多に入手できない苗木でしたから、今年なんとかイチジクが生って欲しいと願うのです。

この葉っぱが枯れた代物は「チユウキンレン」というとても珍しい植物です。6年ほど前に、開花株を1万円という大金をはたいて入手した植物で、一度開花すると半年の間、タケノコのような黄色い花が咲き続けます。鉢植えから株分けし本体を地植えしましたが、未だ花が咲きません。株が充実すると咲くらしいのです。ワタシの眼には十分太くなっているのですが・・・

まだまだこんなものではありません。
・ポポー  樹齢6年、2,3年えんじ色の花が咲くも受粉せず。伐り倒したけれど根が残っていてまた大きくなってきました。その根性に免じて再度チャンスを与えようと思います。

・イランイランの木  非耐寒性の為大きい鉢植えで屋内で冬越し、もう4年経つのに一度も花を見ません。昨年茶色い枯れた蕊のようなものを一つだけ発見したのですが花だったかどうか確認できておりません。

・ロンガン 一昨年初めて実が付いた熱帯植物です。去年は花が咲きませんでした。今は廊下で冬越しさせておりますが、はたして今年再開花するか。

 こうした花が咲かない原因は大きくは4通りです。①環境が悪いので花芽が付かない。つまり、水不足や肥料不足、あるいは気温や日照が適していないために、自分の個体を維持するのがやっとで子孫を残そうという状態にない。②植物が開花できるほどの樹齢に達していない、根や幹が充実していない。③逆にとても水や肥料が潤沢・過剰にあると危機感が無くなり子孫を残そうとしない。④自家受粉しない、雄花雌花の開花がそろわない、雄木・雌木のどちらかが欠けている。ということになります。

 これは、正規雇用に付けず収入が乏しいために、所帯を持ち子供を作る余裕が無い、政治や社会がそうした人をサポートできていない日本にも当てはまります。戦後教育も未熟で偏っていたため、普通に結婚して家族を増やす重要性が置き去りにされました。一方で引きこもってネットやゲームに埋没するパラサイトは、自分の部屋に食事が運ばれるので満足しています。これではお相手など見つかるはずもありません。働いていても、親元ですべてを親がやってくれる生活に安住出来るので結婚願望は無くなります。そして、自立しない人が日本には大勢いるのです。

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運と確率 コロナと宝くじ

2022年01月22日 | コロナ
 宝くじが知らない間に12億円とか言っています。知り合いにも何人か宝くじを定期的に買っています。口ぐでは「宝くじでもあたらないかなぁ」「お金が欲しいわぁ」です。計算すればすぐわかるのは、人口2,30万人の小都市の住民全員が一枚ずつ買ったとして、たった1人しか1等が当たらないということ。すでに50%ほど懸け金が抜かれているので、全員トータルすると1億円手にするために2億円支払うという、全国的集団馬鹿のマネー(ロス)ゲームなのです。

 宝くじを買うのは、大体があまりお金に恵まれていない人、換言すればついていない人生を送ってる人も多いのです。あなたの人生、宝くじが簡単に当たるほどくじ運が良くて、ラッキーでしたか?。だったら宝くじなどに頼らなくても、いい生活が出来ているでしょう。ワタシは自分のツキを宝くじ程度で使うのが嫌だし、そもそも確率1/2のじゃんけんすら勝つ気がしません。

 相場や株など運によって上下するものもやらないとしています。確率を考えた時、絶対手を出さはいほうがいいものがありますね。例えばギャンブル。学生の頃一度買った馬券の馬が最下位とその上の順位となった時から、一度も買いません。マージャンも時間の無駄・大の大人がタバコを吸いビールを飲みながら深夜まで麻雀卓に座りきりでいることが「バカらしい」、4人の小遣いがぐるぐる回っているに過ぎない、と思ってすっぱりやめました。好きだったパチンコは娯楽だと言い聞かせ、若い頃から悪い習慣となっていましたが、これも、ようやく10年ほど前に手が切れました。
 ギャンブル程儲かる確率が低く、生活や家庭が破綻する確率が高いものを知りません。

 ワタシは、「ライフメーター」というものを体内に埋め込んでおります。ペースメーカーでは無いです。危険度が上がるとメーターの針が右に振れ、危ないレベルになると「警告音」が鳴ります。(あくまでワタシの脳内だけですが)。動物は危険を察知し、回避する能力にたけています。肉食動物でも自分より強い相手には向かっていきませんし、賢い鳥は、羽を傷めるような細い糸やネットには近づきません。

 ライフメーター。例えば冷暖房が聞いた自室で、リクライニングチェアに腰掛け、心穏やかに音楽などを聴いている時、死ぬ確率は限りなく0に近いのですが、トイレや風呂に入ればそれがかなり大きく振れます。入浴中や用足しで亡くなる(倒れる)確率はとても高いのです。それが、表に出て道を歩く、車に乗ってドライブするとまた右に寄っていきます。自転車やバイクはさらに激しく針が揺れますね。リスクは屋内より戸外が高くなるのは明らかです。
 さらに、この寒空にサーフボードを持って海に向かったり、冬山に登ったりすれば、危険度マックスに近づきたぶん警告音が鳴り続けますね。

 そこでコロナであります。ワイフとともに一歩も家を出無い籠城生活ならば、感染確率はほぼ0です。ワタシは基本的に、ワイフ以外とは一切会話も接触も無い生活です。知り合いとあっても数メートル先から挨拶する程度であります。心配性のワイフも、屋外で犬友と立ち話、スーパーなどのレジで二言三言会話する以外は、人流の多いところには出向きません。いくら感染力が強くても、オミクロンにはかからずに済むはずであります。

 ところが世間ではそうはいきません。エッセンシャルワーカーという人たちは、いくらコロナが流行し感染爆発しても働きに行く人たちだそうです。その定義は曖昧で線引きなどできないと思いますが。しかし、コロナの感染リスクが極めて高い医療関係・介護老人施設などはお気の毒であります。そういう人たちのためには政府や自治体はあらゆる防護策と支援体制を図るべきでしょうね。

 では一般人はどうか。これは最終的には自己責任・自己判断に尽きます。ある種の人たちが言うように、経済優先でオミクロンは風邪のような物、おそるるに足らず、という側面はあるでしょう。だからといって無防備に行動し、感染すれば一定の確率で症状が出てその中で少なくても重症化し、死ぬこともあるのも事実。自分は感染しても無症状で終わると楽観的な(重症化する確率は低いのさ)気持ちで、メーターが激しく動くような行動をとっているのです。

 そもそも極めて感染力が強い変異株、あんたは軽い症状かも知れないが、あんたからうつされた人たちが無症状で済むのか?。責任も取れないくせに、自分勝手に動く人がなんと多い事か。
 生死を彷徨うな重症化率が今までのコロナの1/10であっても、その10倍が感染したら、病院で酸素吸入などが必要になる人は減らない、というのが客観的科学的根拠となります。

 確率がどんなに低い時でも運の悪い人は、死ぬときは死ぬ。しかし、運頼みの人生は、決していい結果を生まないだろうというのが、ワタシの乏しい知識と人生から得た教訓であります。ライフメーターが限りなく0に近いところに留まるような行動や生活を心がける人が、分別ある常識的な人であり、間違いなくその平均寿命は長くなる、というのは数学苦手な文系のわたしにもわかりますよ。
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