植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

雅号は篩石 印材は緑石

2021年08月21日 | 篆刻
相変わらずなんの為にもならないお題で失礼します。

 今日から、篆刻(家)用の雅号を使おうと思います。これまでは、書道の落款に入れる雅号を「嘉苑」としており、篆刻印の側款(印材側面への署名等)にも共通でこれを刻んでいたのです。ちゃんとした書道団体や大家の先生に師事していればそうもいきませんが、基本的には自由の国、本人の気持ち次第でどうとでも付けられます。雅号など何回変えても構わないのです。

 書道ならば、だいたい社会人の有段者が雅号を落款に入れるようになります。ワタシは無段無級、なにもありませんが、師の「藤原先生」が好きになさい、と仰ったので勝手に雅号を付けました。もっとも、作品展や書道展に出品するでもなく、そもそも、いまだにまともな作品作りをしておりませんのであっても無くても同じなのです。

 篆刻印も意味は同じ、人様に差し上げるだけで「嘉苑刻」を入れるのはサービス、というよりかっこをつけてるだけなのです。なんとなく有難味が出るかな、といった程度。しかし、最近ふと思ったのは、篆刻家を目指すならば雅号も篆刻家らしいものがいいのではなかろうか、ということでありました。

 有名な方の雅号ならば、奥谷九林、酒井子遠、中島蘭台さんなどが思い浮かびますが、山や川、雲や海など自然由来の字が多く、「妙石、蒼石」などやはり「石」の一文字を使う方も多いのです。ワタシは迷わず「篩石」でありますな。石を篩うで「シセキ」が良かろうと思います。60歳前に園芸を本格的に始めた時、それまで駐車場であった場所をほじくり、瓦礫と砂礫・石ばかりの土を手作業で約3年篩って畑にしたのであります。
 だとすると「ほじくる=穿」でもいいか。正確に言えばほじくったのは土で、篩った結果排除したのが石だったのです。穿石と書いてセンセキ、どちらも捨てがたいのですが、おそらくセンセキさんは何人も使っていると思われます。

 虚仮の一念(一心)岩を通すと言います。心に秘めたわが道(篆刻家を目指す)を虚仮の一念で進みたいと思うのです。 


 さて、その石、印材のお話であります。篆刻印に関しては、石だけでなく広くは陶印、竹・木、銅印なども作られます。それぞれ特徴や趣があるのですが、ワタシは石しか興味ありません。

 このブログでは何回か印材(石)については説明してきましたが、非常に珍重されて三宝と言われる「芙蓉石・田黄石・鶏血石」のお話でした。これに加えて「昌化石」も高級印材となります。

 市販される一般的な印材は、そのほとんどが青田石と寿山石で安価な分、見た目も安っぽくて品質もまちまちです。これ以外にも中国産出の篆刻用印材が無数に存在します。その名前の多くは、その石が採掘された場所(省・村などの地名、山など)と、外観によってつけられています。おそらく成分などはどうでもいいのでしょう。寿山石でも多岐に分かれ、中には見た目が美しく珍しい石が含まれ、その代表が田黄であります。

 見たこともありませんが、名石として前述の4種以外にも「酔芙蓉」「蘭花青田」「水晶凍」「艾葉緑凍石」などマニア垂涎の超高級石があるそうですが、ワタシにはおそらく死ぬまで縁が無かろうと思います。因みに「凍」がつく石は透明感があって磨くとツヤツヤになるものを指します。「滑石」となると石の中では最も柔らかく、爪で傷がつきます。高級な石は、緻密で重量感があり、光沢があって硬い、というのが共通点ですね。

 例えば艾葉緑というのは、艾(よもぎ)の葉のような美しい色の石の事で、清の時代には掘りつくされ、途絶えてしまったと聞きます。ヤフオクでもたまに見かけますが、数万円から数十万円、しかも真贋不明なので手が出ません。  昔から緑色の石は洋の東西を問わず、パワーストーンとか幸運を呼び込むとか言われて好まれ、高値だったのでしょう。そこで、ワタシの無数にある印材から緑色系統のものを選んでみました。
 
 下の写真は、雅安緑といわれる石で、深い透明の緑色に金色がかった黄土色や灰色の成分が混じって面白い模様を出します。ガラス質・金属成分が含まれていて「ガリガリ」とした彫り心地で、あまり細かな細工には向きません。模様と紐(持ち手の飾り彫り)によっては1顆(印材はで数えたりします)で1万円以上するものもあるようです。

 次は、緑石ではもっとも有名な「広東緑石」です。白と緑・黄色などのグラデーションが奇麗で産出量も限られてることから5千円以上で売られています。左の石は色が薄い安物「翡翠」ですが、硬くて刃が立ちません。篆刻向きではありませんね。

以下の印材は、さほど高価ではありませんがやはり緑色系の高級印材です。左から広東緑石、沈陽凍石、丹東凍石、西蔵彩凍石、と思われます。一番右だけは微妙でありますが、広東緑石に似せた人造石ではなかろうかと思います。実際彫ってみたら変なぐにゃっとしたような感触でしたが、一応ちゃんと彫れました。
いつまでも粗悪な安い印材で間に合わせてないで、たまにはお高い緑石を彫り、新たに名付けた「篩石」の側款をいれてみようか、と思います。
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なんの疑問を持たぬ不思議 パラリンピック実施の狂気

2021年08月20日 | コロナ
親子・家族で感染し、お母さんが亡くなった、とか妊婦さんが「自宅療養中」出産したが新生児は死亡、という報道がなされています。救急車で病院に運んでもらえない、入院すべき重篤なコロナ患者を受け入れる病院が無い、というのが首都圏では当たり前の光景になっているのです。自宅療養中に亡くなった数が少なく出ているのは、とりあえず救急車が出動し、搬送中や病院に到着して亡くなったのが確認された人は、病院で亡くなったので自宅療養で死んだ人にカウントされないからです。

 医療現場の実態がどうであれ、医療崩壊しているか否かは置いといて、ほとんどの緊急的な治療を要する感染者は、まともな手当ても診断も無しに自宅に放置されている、というのが大都市の現状なのです。ぼんやりしていた小池さんも、さすがにこれではまずいと思ったか、救急隊の判断で一方的に搬送できる入院施設を設けると言い始めました。おせーよ であります。

 頼みの綱(笑)の菅さんは、他国のロックダウンがそれほど効果が無かったと主張していました。だから、日本でも都市封鎖・人流の強制的な制限はやらないのだと。あくまでお願いベース、という無策無責任を貫いているのです

 以前ワタシがコンビニを建ててセブンイレブンに貸したときのことを思い出しました。開店後数か月トイレの異臭に気づいて調べると、便器にべったりと汚物がついておりました。すぐに店長を呼んで指摘したら、「せっかく奇麗に清掃しても、次に使う人が汚したら同じだ。」と屁理屈を捏ねました。だから、掃除するんです、誰かが汚すから掃除してまた汚くなったら掃除する、それの繰り返しなんです。

 この首相は、いつか、自然にあるいは誰かが終息させてくれるのをただ待ってるように見えます。自分の興味は総選挙と総裁選で、心ここにあらずの体であります。

 そうしてパラリンピック。現下の感染状況は次のようであります。
一日25千人を超えてきました。このグラフを見て感じるのは、今までの日々の感染者に比べて3倍ほどの人数になっていること、波が始まってからピークまで最低2か月とすると、あとひと月ほどは今の増加トレンド(急激な右肩上がり)が続くであろうということです。恐らく間もなく一日4,5万人新規感染者という日が来るでしょう。さらに問題なのは、第5波が仮に収まったとして、そのボトムの根っこにある感染者数(減り切らない感染者)が今まで以上に高止まりするだろうということです。それは、第6波が始まれば、更に大きく急激になることを意味します。

 オリンピック開催を控た頃は、各地で運動会をやれ地域の行事も中止するな、とお触れが出ました。五輪終了後もサッカー、プロ野球再開し浮かれ気分であります。しかし、オリンピックの警備に当たった警察官だけで5.60人感染者が出たそうです。インターハイでは野球・サッカーともにクラスターが発生しています。小中学校でも全国でクラスターが起きているのです。

 ところがオリンピックが終わったとたんに、県境をまたぐな、帰省はするなと言い始めました。企業には在宅勤務にして7割減らせと呼びつけました。いくらワクチンだ、混合カクテルが有効だといっても、圧倒的にその数が足らず、感染者と医療体制の不備に追いつきようも無いのです。ワクチン接種に至っては、かつて一日100万件と豪語したのに、このろころ40万件前後で推移しているのです。

 それで、今度はパラリンピックです。何のためらいもなく実施する様です。オリンピックと比べると関係者はおおよそ1/4になるようです。でも、そこには各国から介護者・家族も訪れます。警備員と警察だって障害者だから差別できないので多くが動員されるでしょう。ボランティアに加えて医療関係者(オリンピックは5千人)が集まります。

 あろうことか、これに児童の集団観戦(感染)まで計画されているのです。もはや狂気の沙汰であります。支離滅裂であります。戦争時には学童疎開させました。それが、いわば少年兵を戦地に送ると言うの??。パラリンピックに振り向ける医療関係者がいるならば、コロナ医療に集めるべきではないのか?人口の数パーセントの障がい者のスポーツの為に、国民全体がリスクを負い、我慢を強いられ、多くの負担をし、医療の人員を割かれるのです。

何十年か先、コロナのことが検証され歴史に記述される日がくるでしょう。その時には、もう手遅れで多くの犠牲者が単なる数字として記されます。実際何が起きてこんな狂った対策を取ったかは、消されてるでしょう。なぜなら、今の政府は、コロナの会議や種々の決定のプロセスは、議事録を作らず公文書に残さない方針なのですから。

 


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自治会は誰の為?? 好きでやってるわけではない(中編の下)

2021年08月19日 | 雑感
まだ、自治会のお話で恐縮です。

 自治会長になったら、想像以上の負担であります。例えば、月一回の定例会(理事会)は、その招集案内文の作成をいたします。先月の実績・出来事から今月来月の予定、ここ一か月に起きた伝えるべき出来事の報告、予算外の支出などいくつも項目が出てきます。月に一回呼び出される「自治連」の会議の内容も盛り込まなければなりません。
 誰が亡くなった、どこそこで苦情があったなどの情報は、きりが無いのです。もし、次月の理事会がコロナに配慮して「休会」ならば、さらに理事全体に周知しておくこと、承諾を得ることなども明記しなければなりません。会長が一存で決めることなど何一つあってはならないのです。

 ワタシの前任は、どうやらコロナを理由に丸1年、ずっと理事会を開催していませんでした。何かあれば、書面によって事後承諾としていたようです。去年に比べたら、今年の感染の方がはるかに危険で身近に蔓延してきているので、前年同様集まらない、とすれば事足ります。

 しかし、それでいいんだろうか。前任は、コロナを口実にして、会長の為すべきことを放棄(楽を)していたのではなかろうか、という疑念が払拭できないのです。現に、この春の総会では、数件の未済事案を持ち出され「何もしていなかった」と数名の理事・会員からこきおろされ(糾弾され)ていました。彼は、もともと地元の方ではなく、越してきて7,8年、何もわからないうちに自治会長に祭り上げられたのかもしれません。きっと彼は心の内で「こっちも好きで会長になったわけじゃない。嫌なら、いつでも返上します、誰かやってください。」と思ってるに相違ありません。

「うへー、えらいことを引き受けてしまった。」これが正直な心持でした。どしろうとの自治会長(ワタシ)が海千山千の古株の中に放り込まれ、過去2年の執行部の不作為・怠慢というべき懸案事項の尻ぬぐいを押し付けられたのですからね。

 会長のみならず、自治会の理事は、二年更新で順番に回ってくるので、早ければ約10年おき、長くても20年は経たないうちに、当番となります。家庭や健康・仕事などの事情で、自治会の仕事が出来ない、責任が持てないなら断ることもあります。後期高齢者で、一人暮らしの世帯に役をやってくれとは頼めません。

 すると次の順の家に頼むことになります。無理やり理事を強要すれば、トラブルが発生、自治会脱会という最悪のパターンもありうるのです。つまり誰かが引き受ける羽目になるので、道理が分かっている方々は、「お互い様」と渋々ながら承諾することになります。従って、理事の多くは不承不承、いやいや、渋々ながらも、2年間我慢してつきあってくれるのです。

 最近の傾向(自治会存続のポイント)が、理事を引き受けるか、という前に自治会加入を拒む若い人が増えている現実もあります。他所から越してきた家族、アパートの独身者、高齢の親が亡くなって残った親族、などは自治会に入りたがらないのです。数千円から地域によって1万円以上の自治会費がかかります。それ以外に共同募金やらなんやらで3,4回寄付を求められます。

 普段家に居ない、病気だなどという理屈は通りません。自治会側からは、加入しなければ「回覧板を回さない」「ゴミの収集の対象にならない」などと脅し文句を言う人さえいると聞きました。
 さらに、自治会に入っても意地悪な人や横暴な人がいて嫌気がさして脱会する、という人もいるのです。理事など引き受けるもんか、と思っても不思議はなく、理事になるくらいなら自治会抜けるとまで言う人もいます。

 こうした構造的な障害が自治会運営の根底にあり、やり方次第で、地域住民間の断絶・不仲、孤独死などの問題にも波及するのです。

 予定の字数を越えました。続きは後編にいたします。

 

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自治会は誰の為? うっとうしい面々(中編)

2021年08月18日 | 雑感
昨日に続いて「自治会」を語ろうと思います。
最も悩ましいこと、それが人事・人間関係でありました。

まだ、会長になって5か月であります。当町内はかなり前から2年交代制で、30人ほどの理事は二年ごとに全員入替いたします。以前横浜のマンションに住んでいた時の管理組合の理事は、同じ2年で順番に当番が回ってきましたが、半分のみ改選し、残りはもう1年任期があります。経験のある理事会役員が一遍にいなくなることで運営が滞ることを避けた賢明なやり方です。管理組合の理事長も1年交代でしたから負担が少なくて済みますし、理事会の私物化、会計の不正も防げるのです。

 2年交代で総とっかえした場合、従前のやり方が分からなくなる、引継ぎがスムースに行われないことを懸念して、その前の執行部(会長・副会長など)が「相談役」として残る、という仕組みになっておりました。一見よくできたシステムですが、これが曲者なのです。新しい自治会長になったとき、いろいろ疑問に思ったりそれまでの自治会の問題点があっても、口にしにくいのです。

 前の会長の前で今までのやり方は批判できず、相談役は今までのやり方を押し付けようとします。するとなにも改善が出来ません。本来相談役は1年任期であったのが中には5年以上という方もいらっしゃいます。

 更に「自治会」理事とは違う系統の「委員」の存在です。民生委員、美化委員・育成会委員・ごみ減量委員など、2年任期はおろか終生委員のような人が多く参加しているのです。そうした人たちは、自分の役割を長年守ってきているので「実績と過去の記憶とプライド」を持っています。すると、自分たちの守備範囲は聖域化して誰にも触らせず、そのくせ、自分たちに直接かかわらい事案にも「住民」の立場で好き勝手に口出しするのです。(そうじゃない人も勿論いますが)

 そうした方たちが、理事会に何年も同じ顔ぶれで出席しては、混ぜっ返す、新しい意見を批判するなど、運営上の妨げになっているのに気づきました。今までやってきたいいことを踏襲するのは当然ですが、もはや時代遅れの行事・悪習・特定の人たちだけの利権など改善すべき点も多いのです。新たにかかわる理事や役員が、今までと違う目で、外から得た知識や経験を生かす試みが組織に取って大変有用だと思うのです。組織の活性化ですね。

 これに加えて、市を数十か所の地区に分けて、その地区の各町の自治会を束ねる「自治会連絡協議会」なるものが存在します。自治連などとも呼びます。こちらは、執行部(役員)と各自治会長で構成されるのですが、こちらはほとんどメンバーが長年変わりません。同じ会長が十年以上その席に座り、周りは全員自分の子分であります。その地区の会長は、あて職含め、さまざまな公職・役職を兼務しています。自治会長ですら音を上げるような煩雑な仕事なのに、その何倍も大変だろうと思います。

 その仕事は多岐にわたり、市長はじめ、市の幹部や議員さんとも懇意になり大変な激務であろうと想像します。基本的には無報酬で誰しもやりたがらない自治連の会長職を長年同じ人が引き受けると言うのは、その、犠牲的な献身、功績、努力、知見すべてが高く評価されるべきでありましょう。

 しかし。ワタシは思うのです。トップが一人座り続けることの組織に対するデメリットであります。どこかの政党のように、絶対的な総裁が居て、優秀な人材、上部に対して臆せず建設的な意見具申をする若手、批判的な集団、それらを遠ざけ押し黙らせることの弊害であります。更に、大きなお金や権限、特別な関係者などとの間で引き起こす、公金(準公金)の私物化、不透明な取引などが歴史的に繰り返されているのです。

 比べるには規模は小さくても、交代制がない自治会長にもあてはまります。当町のように2年任期ならば、それは防げますが、十数年以上もの間、同じ人物が自治会長を続けているところが何か所もあるのです。聞いた話では、そうした自治会では会計報告すら行われないところもあるそうです。

 さて、また続きは次回に譲りましょう。

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自治会は誰の為? だんだん見えてくる日本の特異性(前編)

2021年08月17日 | 雑感
日本全国で、自治会に関する悩みは深いようであります。

 ワタシは長年、地元の活動にはとんと興味もなく、若い頃から、残業ばかりの厳しい金融機関の仕事に就いていて、それどころではなかったのです。婦人会や自治会の用事も、全て家内任せでしたから、自治会や地元の行事などは家内に聞けば大体わかります。町内の住人の情報は、懇意にしている情報通「ほか弁デカ」さんなどから世間話を通じて入ってきます。自治会長の役を引き受けて以来、家内からの進言なしではやっていけません。

 最近ぐちが多くなった夫(下町奉行同心=ワタシ)を見て、すっかり最近では自治会長代行の役割を買って出ている家内(岡っ引き)がネットで調べてみると、出るは出るは、チェックしきれない程多くのボヤキや悩み・問題点が出回っているようです。

 そもそも「自治会」という組織は世界ではあまり例のない形態のようです。先進国なら、マンションやアパート単位で「管理組合」に似た任意団体とかグループが出来るのはよくあるらしいのですが、自治会というような形で、国全体の都市に共通する制度はないようです。また、後進国では部族・一族単位での共同体での自治が主流という国もあります。昨日ブログで書いたアフガニスタンがその典型であります。古くからの部族社会が国全体に無数にあって、中央集権とは無縁の「村長・部族長」による統治で成り立ってるのです。

 アジアでは、中国・韓国・北朝鮮にも似たような「隣組」組織があるのですが、その主目的は「相互監視」であります。住民同士でお互いに監視し、政府に批判的な言動・思想の人間を密告する、というのを奨励しているのです。

 そこで、わが国。日本ではほとんどの市町村で自治会が組織されており、町内の調整事や連絡係、町内共通の問題の相談所となっているのです。「共助」組織の代表といえます。一番大きな仕事と言えば市町村の施策を実施・運営・周知させる役割でしょう。市町村からの情報や指示、行政的な出来事などを住民に伝えるのです。また、子供の育成や高齢者対策にも直接的にかかわります。

 万一の災害時の避難や物資の手配にも自治会は大きな役割を期待されています。更に、町内のごみ収集・集積は、美化・衛生の観点から非常に重要な役割であります。また、各種募金も自治会の仕事で、班長に頼んで自治会費と同様集金して納めるのです。
 逆に、地元住民の意見や要望は、自治会を通じて行政に届けられ、組織だった改善や問題の解決が図られます。個人の声では動かないものも、自治会からさらに上部団体に繋がり、地域全体の意見が行政を動かす、というわけです。

 一方で、宗教や選挙といった思想信条に関わるものには一切関与しない、というのも重要であります。少数の人を押さえつけ、特定の人物や考え方を押し付けてはならないという基本的な考え方が徹底しています。(もっとも、地方の選挙ともなると、ごく一部の市町村では自治会が選挙の主戦場となることもあるのです)

 こんな事を書き連ねると、自治会はなんて素晴らしいのだと思われるかもしれません。確かに、日本固有の自治会によって、一般の町民は、何不自由なく安心して暮らせるし、楽しいコミュニティがありお互いに情報と関係を共有しながら、誰からも強制されずに自由に生活できます。

だからといって、もろ手を挙げて歓迎できるかというとそうでもないのです。
以下は次回に続きます。
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