植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

こんないい時期は長くは続きませんが それでもよかろう

2021年04月25日 | 植物
朝晩はいくらか冷えますが、暖かで穏やかな時候になりました。
やりたい書道・篆刻の時間がなかなか取れず、コロナの影響や自治会の雑事が増えて、このところ夢見が良くありません。

しかし、誰が何と言おうが一番いい季節であります。
そこで、心静かに煩わしさを紛らわすにもってこいの今日のお題は「無題」今朝のマーガーデン風景であります。
GWの前後はワタシの大好きなバラたちが一斉に咲きそろいます。ほとんどが四季咲きの芳香種、その年で一番見事なのがこの時期です。そばに寄ればバラの香りがふんわりと香ります。

屋上では青空に舞うかのごとき赤いツバメ、スプレケリア(ツバメ水仙)が
咲いております。

あちこちの植え込みに植えている「アイリス」「ジャーマンアイリス」なども今が盛りであります。


この日陰になる一角は、侘助、アマドコロ、ユキノシタ、ヤブラン、黒龍などを植え、「水盤」を置いてあります。メジロ、シジュウカラ、スズメなどがここにきては水浴びをしていくのです。

5年がかりで育てたクサイチゴも毎日赤く色付きワタシのおやつになります。今年はこれがお菓子屋さんのケーキになりました。

シラーの群生。小さな紫と黄色い花が小宇宙のような世界を見せてくれます。

胡蝶蘭は、いくつか枯らしてしまいましたが、それでもいくつかの鉢が健気に
咲いてくれました。

マイガーデンにはいつも何かしらいい香りがいたします。水仙が終わりこれからニオイバンマツリがどんどん咲いてむせるような香りとなります。

それからも「バイカウツギ」「クチナシ」「リリー」と次々に馥郁とした香りで満たされるのです。

こんな憂き世であり、残された人生もわずかづつ確実に短くなっております.
一年の間でも、こんないい時期は短いのです。自身の人生の中でも今のような境遇になったのはごく最近であります。植物たちに囲まれ、柔らかな日差しと花の香りに満たされていれば何の不満はありましょうや。
至福であります。
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自分に合った筆を見つける これが上達の王道です

2021年04月24日 | 書道
ここのところ忙しさにかまけて書道の稽古がおざなりになっておりました。

 ヤフオクで落とした古筆3本が届きました。書道筆は一時夢中で落札し本数が限度を超えたので、自重しておりました。また、昨年暮れに手持ちの高級筆(相当古いもの)の最上級の羊毛と硬質毛を使った兼毫筆のオーダー筆を作って貰ったので、高級な中古筆の落札を封印しておりました。

 ところが、ひょっとみつけたのが高名な書道家先生の所蔵筆が数件出品されていたものだったのです。それが熊野筆の老舗一休園作の超高級筆の一群で、3本ずつ4件がオークションにかけられていました。その中にあったのが「寿昌」と「墨吐龍」で、最高級の羊毛「細嫩光鋒(さいどんこうごう) 」を使って一本数万円から数十万円もする名筆なのです。 特に「寿昌」はワタシも持っていないのでいつか入手したい最上級の銘筆なのです。

 それぞれ、3,4万円で入札しましたが、愛好家も多く価値をご存じなので、残念ながら落札出来ませんでした。5万円ほど出せばいけたのですが、夜10時過ぎまで高値入札を競うのは精神的にも懐的にもきついので、断念いたしました。ところが一件だけ、落札できたものがありました。「喜歳記念筆」3本で25千円、他の人がワタシと同額入札までであきらめたのですね。ワタシの経験では、書道具・篆刻印などは、中に1級品が入っていれば、ほかの品物群も相当な価値があるものである確率が高いのです。筆は多分ありきたりな安物では無かろうと考えて入札したのです。

 届いた筆は、ワタシが考えていたものとちょっと違いました。喜寿の記念筆だから、周囲の人や書道店から贈呈されたものでほとんど使用していなかったのではなかろうかと想像していました。昭和乙丑、つまりS60年に喜寿となった書家さんの中古自用筆であります。

 よく調べてみるとこれらの三本はいわゆるオーダーで、書家さんが穂先の形状や毛の種類を指示した特製品と見えました。普通の筆より筆管が細く長いこと、うち二本は穂先の先端に近い部分が通常の平筆・細嫩光鋒と比べて中心部に少し茶色の毛が配され、二段にわずかにとがった形状で作られていたのです。

 この二本は、高級羊毛筆ではなく、兼毫筆 でありました。筆に刻まれた筆の説明書きは「宿浄兼毫絶品」「宿浄兼白絶品」とあり、数十年寝かせた高級羊毛に長鼬や天尾ムジナあたりの毛をブレンドしたという意味です。してみると、今年一月ワタシが豊橋筆の老舗「筆庵」に特注したものと、もしかすると同じような発想・コンセプトであったと思えるのです。「二十九号」は現在では、筆の長さ太さを表す数字で1号から順番に大きくなり、9号だと「書初」など大書用の太筆になります。しかし、かなり古い時代はある種の筆の規格分類のために標記した時代があったのです。29号はおそらく、製造元の一休園が、特注筆の中で同品質や材質を仕訳した筆の規格番号(あるいはグレード)だったろうと想像いたします。

 実は、ワタシはこんな筆を昨年暮れに発注したのです。細嫩光鋒クラスの羊毛長峰筆が持つ、墨持ちの良さや味わいのある字と、筆先がまとまり切っ先鋭く起筆が出来る扱いやすい鼬などの硬毛筆の良さを併せ持つ兼毫筆が欲しいと注文したのです。ワタシのような中級者と、同じような筆を大家の書家が作らせて実際に使っていたのが驚きでありました。

 筆の根元の固さ(どうしても使い込むと墨が根元に固まるのです)からみてもかなり使い込んでいるように感じました。おそらく普段使い、練習用としていたのではないかと。早速書いてみました。
まぁ。素人の試し書きなので書の出来はともかく、筆先がきいて強い力で紙に書けるという印象でありました。
 下のは、やはり筆庵で以前買った、隷書・篆書向きの中筆で書いたものです。

 やはり、筆の種類・毛質・形状によって書き味や字の線が明らかに異なるのです。そして、書体によって筆を使い分けるのが上手に書く技の一つでもあります。最高級品の「寿昌」は残念ながら入手できませんでした。しかしそんな高級筆があってももったいなくて使えません。

 もう、筆に不満不足はありません。雅号も「嘉苑」といたしました。プロが愛用したと思しき特注筆を練習に使えるのでありますから、これで上達しなければワタシが未熟なのです。 
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篆刻家に憧れて 印はプライスレス

2021年04月23日 | 篆刻
先だって、ヤフオクで3万円ほどの詩箋を落札して予算オーバーし自粛しておりましたが、ほとぼりが冷めたので、またちょっとづつ安物買いを始めております。目安が5千円、それで週に2.3件を落札するというのが健全な娯楽であります。パチンコで半日で5万円も「溶かす」などと比べたら100倍リーズナブルであります。

 ヤフオクでは、現在は篆刻印にほぼ限定しております。ワタシは遅まきながら篆刻家になりたい、と心底思っております。あちこち依頼があって、日がな一日印材に向かい無心に刻みたい、憧れますね。
 毎日1円から数十万円ほどの価格で出品されるのが篆刻印です。そうしたものをつぶさにチェックし、これぞというものに入札します。ワタシに限らず安いもの、大量なものに紛れたお宝が発掘できると、それはシアワセな気持ちになれるものです。

 先日2件篆刻印を落札いたしました。「 高橋翠溪作 篆刻印1個」
これであります。
4100円。高橋翠溪さんのことはネットでも出てこないので、かなり古い時代の、おそらくプロの篆刻家さんだろうと思います。非常に精緻に細かく刻まれた文字は「澄川」です。雅号か二文字熟語かはわかりませんが、通常文字の部分を浮き彫りにする「陽刻(または朱文)」という手間のかかる彫りに加え、その浮き出た文字の内側ををさらに「陰刻(白文)」にするという手の込んだデザインでした。寿山石と思われる赤みが強い模様のある印材で、2層に分かれた上部の灰白色の部分だけに斜めに2頭の獅子が丁寧に彫られております。側款は「翠溪刻」のみ、明治頃のかなり古い時代のもののように古色を感じる銘品でありました。

 これは、さほど値打ちものとはいえないかもしれませんが、石の様子を愉しみ、紐(持ち手の彫り)を眺め、側款と印面の彫の技術と風情を堪能出来る逸品で非常に満足がいくものでした。

もう一つは「まとめ売り! 篆刻 印材 印章」60個余りで3,300円しかも送料無料!
これら30本ほどが、未使用の印材で、白筋が走った白石(凍石)や凝った紐、複雑で多彩な細かな模様の石材など、市販される普及品と一線を画すような印材が多数ありました。石の価値を市販品として安く見積もっても新品で軽く2万円以上いたします。

 同時に約30本の刻印済みの印が入っておりました。試しに押印してみると、どれも見事な印影であります。ほとんどの印には側款が施されており、一目で篆刻家の手によるものと見受けられました。
(縦横上下を押し間違いしております。恥ずかしい)


なかでも目を引いたのが、黄土色の中に濃い朱色が走る小さめの角印です。印箱にも入っておらず他の使用済み印と一緒に紛れておりましたが、全部並べてみると同じ印材を使った高さの揃った三顆印(引首・姓名・雅号の3つのセット)でした。

左から鈴木ナントカさんの姓名印、引首印「日新」、雅号印、と思われます。その側款が「子遠刻」となっておりました。これは篆刻初心者のワタシでも知っているチョー有名な「酒井子遠」先生ではないでしょうか!!!。この先生は、自由奔放な作風で天才と言われた篆刻家で、今でもこの人の作の印を愛用する前衛書道家さんや画家さんが数多いるそうです。来歴は割愛しますが、とにかく人気が高く、ヤフオクでたまに見かけても数万円で落札され、前から是非見てみたいと思っていたワタシの手には入りませんでした。今もし、先生に印作成を依頼出来たら一個5万円ではきかないでしょうね。

 60個3300円(しつこい笑)の中に紛れ込んでいたのです。もし真正の「子遠刻」篆刻印なら、最低でも3本数万円で取引されるものです。ワタシはこれは本物だと直感しました。まとめて落札した他の印も、そういう目で改めて見ると、篆刻家さん作の価値の高い印と思え、とても印面を削って再利用するわけにはいきません。以前から収集した多くの側款入りの古印と一緒にまとめて、篆刻作者と使用者、刻印された文字などをもう一度ちゃんと確認し、「専門家の作品」として蒐集品に整理しようと思います。

 将来処分した時にどれほどの価値となるかは大した問題ではありません。今、掌中にある名作・銘品の印の感触や色姿を愉しみ、意趣・技法・デザインを学ぶだけでも、落札額の何十倍の価値があります。あぁラッキー、ありがたやヤフオク。
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創造的生活 自分で作ったものが喜ばれる

2021年04月22日 | 植物
ワタシが色々と趣味を広げているので、多くの方がお世辞で「金がとれる」とか、商売にすればいいというようなことを仰います。よくわかっております。商売はそんなに甘いものでは無く、素人がちょっと真面目に取り組んだからと言って、お金を頂戴できると思ったら大間違いであります。若い頃は、少しばかり手先が器用だったせいか「器用貧乏」と言われたことが幾度がありました。(貧乏は余計だろ笑)

 最近ではやはりお世辞半分で「すごーい、槐松亭さんは、何でもできるんですね」というお褒めの言葉を頂くこともたまにあります。いえいえ違いますよ。定年してから書道と篆刻を学び、昔好きだった水彩画を描き、メダカを育て、園芸をやりDIYも少し、あとは蕎麦打ちくらいで、他には何もできません。体を動かすスポーツ全般はゴルフ以外まったくやらなくなりました。音痴ではないけれど、楽器は何も演奏できません。茶道・華道・算盤どれも未経験、やりたかった陶芸にもいまだ触れもしません。

 浅く広く、中途半端に手を出していると言えばその通りなので、到底お金を稼ぐというような気持にもレベルにも達しておりません。しかし、今までなかったものが自分の努力や工夫で形になる、ということ自体が大いなる喜びなのです。それで、欲しい人にはただで差し上げるということにしております。貰い物をして怒る人や気分を害する人はいません。案外喜んで受け取ってくれるのです。自分で書いた書や、畑でとれたものはどんどん差し上げます。篆刻印も欲しい方にはすぐに彫ってあげます。こちらも喜んでもらえればいい気分ですからお互いハッピーです。

 今週は、メダカと「クサイチゴ」を取り扱うことになりました。昨年メダカが増えすぎたので知り合いのカナちゃんの花屋さんに、ミックスメダカのパックで売って貰ったのです。割合好評だったらしく、今年も明日から少しづつ持ち込みます。1パック500円くらい、ワタシの手許にはプラパックのコスト分だけを貰います。いいのです、ワタシにとっては増えるメダカの口減らし、カナちゃんのところで売り上げがわずかに増え、メダカの飼育をする人が安く買えるのですから、皆さんにとってメリットがあるのです。

 先日は、ワタシの倅の同級生が始めた石田君のケーキ屋さん「ドミネジョア」に、ウチで採れた「クサイチゴ」を持ち込みました。彼の作り出すケーキは素材そのものにこだわっていて純粋で混じりけのない素晴らしい味なのです。クロワッサンも美味しくて、予約して買いに行くほどです。お寺の息子さんが国立大学を出て長年修行して1年前に開店しました。今時いないくらいまじめで優しい男、やせっぽちできれいな目をしています。

 彼は地元のフルーツを使い、甘さを控えた素朴でシンプルなお菓子というコンセプト、ウチで育てたクサイチゴが似つかわしい、と思ったのです。クサイチゴは日本の山野に自生している野イチゴですが、ちょっと栽培が難しく、繊細なのです。日持ちしないので八百屋さんやスーパーではまず見かけません。作ってる人間(山で見つけた人)だけが口にできる素朴なラズベリーです。ルビーのようにキラキラ輝き、森の宝石と言っていいくらいです。甘さや酸味は控えめですが瑞々しさとプチプチした食感、独特の風味があります。見た目がきれいなので真っ白な生クリームに映えると思います。


有機栽培無農薬で苦節5年(笑)、ようやくいちご畑と言えるほど育って収穫できるようになったのが昨年でした。石田君から、新作のフランボワーズに早速使った、追加で欲しい、というメールが来ました。望むところ、面目躍如であります。今まで果物を栽培してもほとんど家内からはOKが出ず、鼻で笑われていたのです。これから100個ほど採って持参しようと思います。勿論タダです。ワタシが栽培したクサイチゴが上に乗ったケーキを是非に拝みたい、その一念でありますな。

 若い人が生活に窮々とし、混迷と沈滞の日本にした責任の一端はワタシ達の世代にあります。せめて若者たちにいくらかでも足しになれば、と思うのであります。

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聖徳太子の教えと子孫は身近にある

2021年04月21日 | 雑感
今年は「聖徳太子」生誕1400年だそうです。

 ワタシ達の御先祖は、3世紀のころまでは弥生時代で、文字が無く、わずかに中国から渡来したと言われる印や貨幣・木片などに漢字が刻まれた出土品が出ているだけであります。
だからといって「言語」が無かったわけはなく、大小100以上に分かれた小国家・部族などで現在の方言のような会話が行われていたのでしょう。文字に関して言えば、何も記録や文字らしきものが発見されていないだけで、祭祀、部族間の決め事、農作物の管理などに原始的な数字や記号や文字があったと考えるのが自然で、それは脆い粘土板や葉っぱ、木片に記されたとしてもいつしか土に還っていったのだろうと思います。

 言語は、中国語との関連性が低く、起源が異なるということが分かっています。モンゴル人とかエスキモーとかと顔が似ている、朝鮮語と共通点がある、南のパプア人の言語との類似点が多いなどと諸説あります。もとをたどれば、アジア大陸や無数にある太平洋の島などから流れ着いた原始人たちが、だんだん交わって独自の言語・文化圏を作っていったのでしょう。島国なので「ガラパゴス化」していたため、文字の発生や発達が遅れ、文化的にもヨーロッパや中国など大陸の文明圏の民族と比べたら、はるかに未熟な民族・国家だったのですね。
 
 さて聖徳太子の時代は、西暦600年前後となります。この頃には、漢字が公用語として使用されるようになり約100年後には最古の歴史書「日本書紀」が著されました。この時期にはすでに大和民族としておよそ国家統一がなされ、天皇が統べる体制になっていたのです。

 日本書紀の記述内容がすべて正しいとは限りませんが、それ以外に手がかりや資料がない以上「正史」として扱われることになりました。中身はやはり天皇一族の起源から当時の持統天皇までの系譜や治世が中心となりますから、天皇家にとって都合がいいように脚色されていたとしても不思議はありません。

 当時の人口は約5百万人と推計されています。おそらく国が統一されるまでの戦争、あるいは天皇一族の皇位継承を争う戦乱が長く、頻繁に起きたのです。その結果、平均寿命はおよそ30歳、男子は2百万人女性3百万人という構成がそれを物語っています。多くの男たちが若くして戦乱や小国家の衝突、跡目争いで討ち死にしたのでしょう。

 以前このブログで、ワタシの母方の先祖は聖徳太子の弟だったかもしれない、と書きました。「代々先祖は宮司と漢学者だった」、と宮司をしていた祖父が家系図を広げて、説明してくれたことがありました。母方の姓は宇都宮といいます。聖徳太子のような王侯貴族は、生活力があり側室もたくさん居たでしょうから兄弟姉妹・子孫も非常に多く分岐しています。大和民族が当時5百万人だそうです。もっとさかのぼった神代の時代や神武天皇の頃はさらに人口はわずかで、数万人くらいだったのです。

 神武天皇(紀元前711年誕生)から現代まで126代となるそうです。推計10万人足らずの人口の国家で初代天皇から、推古天皇が33代です。そのもとで聖徳太子は活躍したのが1400年前、20歳で子供を設けたとしておよそ70代くらい世代交代したきたのかもしれません。つまり天皇の血筋をひく日本人は薄まったと言え傍流を合わせると、現在ではとんでもない数がいると推定されます。(計算は苦手です) そういう意味では、祖父が言っていた聖徳太子の弟の末裔という話も荒唐無稽と言い切れないのです。

 天下無敵の三流官庁厚労省は、自粛を自ら呼びかけながら、多人数で歓送迎会を行いコロナ感染者を増やした様です。するとこんどは引っ越しの際段ボールに詰め込んだ保存用公文書を「誤って」廃棄したそうであります。おまけに「業者が間違えた」とうその言い訳をしています。

 ご先祖様(かもしれない)のお兄さんの聖徳太子が制定した日本最古の憲法は十七条憲法です。「和を以て貴しとなす」というあの条文は、とりわけ政治と公務に従事する人たちに向けた心得です。その第五条には役人たちは飲み食いの貪りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない、と定めてあります。

 わが国の官僚たちは、業者から接待漬けになり、仲間内では深夜まで飲み食いしております。 嘘ついて自分たちのミスを隠すなど言語道断、公文書の廃棄や改ざんは、歴史を捻じ曲げることになる最も戒めるべき悪事であります。


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