植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

紙も印も植物もみんな繋がっている

2021年04月05日 | 篆刻
 先日、勢いで落札した「詩箋」が思ったより小さく期待したほどのものではありませんでした。2件で26千円の金額は、一件1万円以内というルールを逸脱したので、お小遣いが無くならない様しばらくは落札したつもりで自粛します。

 とはいえ、その便箋や漢詩を書くように作られた300枚ほどの用紙は数十年前のものに関わらずシミもなく状態はいいものでした。虫よけに使われるお香(防虫香)の香りも残り大事に保存されていたのでしょう。これからしばらくは小筆を使った小さな漢字を書く練習を使用と思います。中国でも日本でも昔は紙は貴重品だったのです。小さな紙に小さく書くというのが当たり前なので、博物館に収蔵されている歴史的文書は驚くほど小さいものでもあります。落款は当然小さく書きますから、半紙1枚に20~40文字ほどの漢詩を楷書、行草書で書くというのはとても有効な練習になるだろうと思います。

 また、半紙より小さな紙、色紙・詩箋のサイズでの作品作りにはバランスをとって小さな落款印も必要になります。姓名印を押さず、雅印・遊印のみとすることも多いので、このところは1㎝角内外の印をいくつか練習がてら彫っております。目がかすみぼやけるので、このくらい小さな印を彫るのは難儀なのです。目薬と拡大鏡は欠かせません(笑)

 こうした印材は、ヤフオクでまとめて落としている刻印済み「数十個」をすりつぶして再利用しています。姓名印はよほどのことが無ければすべて印面を平らに磨きます。おそらく物故された書道や篆刻をしていた人の名前です。その思いが込められてるかもしれない印は、彫りなおして大事に使うのがリスペクトの証しだろうと思っております。

 ただし、名のある書家・画家・篆刻家さんによるもの(滅多にありませんが)はとりあえずそのままコレクションとして残しておきます。彫の技術・印影の美しさを学ぶためにいくつかの印も同様に保存してあります。
 姓名・雅号いがいの印は自用に使えますし、彫られた文字を読み解き意味を理解するのも、書の世界では非常に重要なのだろうと思います。
 
 先だって入手した篆刻印は、30本ほど彫られている中古印でありました。側款には「邦園」の作者名がありました「高田邦園」さんという名の知れた篆刻家さんかもしれません。もう一種はまだ読めませんが、やはり篆刻家さんによるものと思われます。「樹石」という雅号を持つ書道家さんが専門家にいくつも頼んでいたのでしょう。姓や本名はあえて省きますが、時子さんという印もいくつか混じっていて奥さんかな、と推測しました。「ナントカ茜書道教育会」という団体印もありました。夫婦で書道の会を主宰していたのでしょうか。篆刻そのものは、とても素晴らしいもので丁寧に意趣を込めた彫りでとても参考になります。

 その多くの印を解読していて「畼禍」と彫られた遊印がありました。田へんに「易」と書いて「畼」チヨウ、あるいは「のびる」などと読みます。(読めなかったので調べました)。当用漢字ではなく、田畑が荒れているとか、雑草を取り除くとかの意味なんですが、のびのびするなどの意味にも使われたそうです。秦の始皇帝の軍勢が魏の国を攻め「畼」を「抜いた」という記述があるので、それに由来する故事なのかもしれませんが、ワタシは素養が無いのでわかりません。どうでもいいことですか。

 面白いのは、草を取るのとのびのびするという意味です。これは、雑草を除くと気分がいいというようなことなのか、と草取りしながら考えます。これは農耕民族にとって非常に大事な資質であったのです。草取りや土いじりが楽しくのびのびとした気持ちになる、というのが遺伝子レベルで沁みついているからこそ日本人が島国で繁栄してきた礎石であったと思います。
 また「葩」という字を使った引首印「幽葩」というのもありました。「ユウハ」と読むのでしょうか。葩は、はなびらの意で華やかなことを表します。「蘇軾」の寒菊をうたった漢詩に「輕肌弱骨散幽葩」という一文があり、この2字を引用したのかもしれません。小さな花という意味か、花の後にこそ価値がある、といった意味か・・・。  一番右の印は「清心」であります。

 雅号が「樹石」で、「畼」「葩」と漢詩の素養を備えた植物や自然に思い入れの深い書道家(かつお金持ち)とお見受けいたしました。昔の「書家」とはそうした人を指したようです。いい勉強をさせていただきました。

今日の終わりは八角蓮の若葉であります。
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