植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

弘法さんは筆を選んだらしいが ワタシは筆ペンでも書く

2024年03月22日 | 書道
3月21日、昨日はワタシが世話人の一人になっている菩提寺の「御影供法要」の日でありました。宗教的な事には全く疎いワタシが、何の日だか知るはずもなく、ただ決められた輪袈裟・法衣に数珠を持ってお寺に向かったのです。

それは、高野山金剛峰寺の開祖空海上人が、自分で籠って成仏した日、御入定 と呼ばれる日であったのです。空海さん(弘法大師)は、自分の身体は滅びても永遠に衆生を救う化身となって生き続けると決めたのだそうで、真言宗を信じる人たちは、空海さんは死んだのではなく「今なお弘法大師は生きている」と言うのです。

それを俗世界で言う「命日」にあたる3/21に関係者が集いお坊さん二人が長々とお経を唱えるというイベントに繋がっているのですね。手紙のような書付を甲高い声で読んで、空海さんに声をかけていくというのを始めて見ました。

さて、そこで弘法大師と言えば書道の神様でもあります。いや仏様か。
日本の三筆といえば、空海、橘逸勢、嵯峨天皇で、最も優れた能書家として知られています。ワタシも9年前から師匠について書道を一から学ぶようになりましたが、その教材・古典として「風信帖(ふうしんじょう)」を半年ばかりずっと臨書しました。その時はそんなすごい人とは思わずに書き写していたのです(笑)。↓臨書の一部(下手ですみません)

このところは体調の問題やら篆刻へシフトしたことなどから、書道筆を持つことが極端に減っていたのです。そこで「何もしないで腕がなまるのを放置できない」と考えて、簡単にどこでも書ける「筆ペン」習字に専らかかっております。筆ペンは「書道にあらず」と仰る専門家さんや先輩方もいます。しかし、いちいち硯や墨壺に墨を満たし、大きな書筆で半紙から条幅に大書していく、終わったら筆を墨が残らないよう丁寧に洗い残った半端な墨は捨て器を洗うという手間は、倍以上のスペースと時間と労力を要するのです。

一方筆ペンは机さえあればどこでも書けるし、面倒な準備も後片付けも無し。ただキャップをとり終わったら締めるだけのことで大変手軽であります。自慢ではありませんが、若い頃、金融機関勤務のであったワタシは、その筆ペンを40年以上愛用してきました。暇さえあれば練習し、手書きの掲示物などは筆ペン一本。そうしているうちに、字が上手と言う評価を受けるようになったのですから筆ペンも侮れないのです。

そして先日、いつも楽しんで参加している書道の「オープンチャット」に練習書きした楷書を投稿しました。

勿論「ぺんてる筆ペン(極細)」で書いたものです。これには予想以上の反響があり多くの方の書き込みが続きました。そこで一番の収穫は「ぺんてる」筆ペンの愛用者がチャットのメンバーの中にも意外に多く、自分がこれまで使ってきたことが間違ってなかったという事が実感できた事です。


筆ペンも書道のうち、筆ペンで書いてヘタにはならない、などと様々な意見が出ましたが、最後の締めくくりが「弘法は筆を選ばず」という一言でありました。何を使っても上手な人は上手に書けるのですね。
もっとも弘法大師さんは、実際は筆には事の他こだわりが強く、お弟子さんに沢山筆を集めさせて気に入る筆が見つかるまで試したそうです。弘法さんですら筆を選んだということになりますね。

そんなわけで、高野山の1200年前の高僧だった空海上人にはなにかと縁を感じるものです。2年ほど前には高野山の若き修行僧に頼まれて姓名印・雅印を彫りました。今年は、世話人で高野山金剛峰寺への旅行をするそうであります。ワタシは空海さんの足元の下にも及びませんが、せめて筆ペンで人並みの書のレベルを保ちたいと願っているのです。
コメント (2)
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