植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

池袋で少し芸術・文化の匂いと味を感じた

2021年11月21日 | 雑感
 知り合いの日本画家さん「荒木雅代さん」が個展を開いていると葉書を頂いたので、その最終日に出かけることにいたしました。

 60歳過ぎて年金生活に入ったらやることがなくて困るという世間の話とは真逆であります。朝から草取りブログ、篆刻、メダカの世話とやることに切れ目がなく、テレビを観たり昼寝をしたりなどの時間がありません。のんびり散歩する暇があったら書道、飲みに出かける時間があったら掃除と自治会の仕事いった按配なのです。このところはゴルフが続き、トイレのリフォームの手配で四苦八苦しているなどのせいでもあります。

 それで、当地平塚から個展が開かれている池袋までの片道1時間半の道のりを考えるとなかなか日程がとれず最終日となったのです。幸いにして今は「新宿湘南ライン」という便利な路線が出来て乗り換えなしに行けるので駅に向かったのはいいが、そこでいきなり「車両故障」で電車が動かないという事態ぶつかりました。2週間前にも改札の前を通り過ぎることがありましたが、その時も改札の内外に人だかりができて電車が止まってる騒ぎに遭遇しました。

 これは、もうJRの「リスク管理」が希薄なことにつきます。昔からJRで人身事故が発生すると小一時間はストップします。京浜急行は15分もあれば運転再開、事故の発生から復旧まで時間優先で動くという体制が半官半民の旧国鉄は機能しないのです。東海道線は以前は東京駅が始発駅・終点でありました。ところが20年前に、上野駅どまりだった宇都宮・高崎・常磐線と相互乗り入れに踏み切りました。一本の列車が切れ目なく長距離を走るのは、乗り換えや操車のオペレーションからみて、一見合理的なのです。上野東京ラインと言われる東海道線の全長が267km で、日本では2番目に長い路線になりました。

 しかし、一方でその線路上でわずか一つの車両トラブルや線路の事故障害が生じた時、網羅する全線で一斉に車両が動きが取れないという事態に直結するのです。 大宮から大船までつながる京浜東北線がそうなので、これを利用していたころ頻繁に起こる運行トラブルにうんざりいたしました。一年中なにかしら遅れたり止まったりするのは、路線間が長く折り返し運転が出来ないからであります。列車の遅延や運行トラブルの数は、その路線距離と運行列車総数に比例します。その数が多ければ多いほど、復旧の時間もかかります。つまり一度に莫大な旅客利用者の時間を奪い時には商談や大事な約束事を潰す結果になります。

 路線を細切れにして、構内に操車スペースを確保できていれば、折り返し運転や迂回が容易になるのですが、操車場を潰して商業施設にしたり売却するという鉄道会社の経営・利得優先のために、利用客が不便を強いられしわ寄せがきているということをもう少し考えるべきでしょうね。

 さて、おかげで、一本で70分で辿り着くはずの池袋は、12時20分に着いた平塚駅で30分ほど足止めされた挙句、直通の新宿湘南ラインは運休になり、品川乗り換えでようやくたどり着いたのは2時半でありました。ざっと1時間ロスしたことになります。それだけあれば、習字の練習、印の一つが彫れる時間なのです。一度に何千人何万人の時を奪う罪は大きいのではないかと思うのですが・・・・

 そして、ようやく池袋に辿り着きました。この地に降り立つのはおそらく12、3年ぶり、現役で特殊な仕事に就いていた(債務者への債権回収)時以来であります。
 あの頃は、まだ池袋はいささか雑然とした街並みで、怪しげな人もたむろする下町であったような気がします。ホテルメトロポリタンや東京芸術劇場 が出来てからずいぶん池袋も洗練され、若い人が行き交う街になった印象を強くしました。新宿渋谷などの、欲望や猥雑、狂気・若いエネルギーに満ちた集団の跋扈する雑踏とは一線を画すような佇まいでありました。

  荒木さんには、絵に入れる落款印をいくつか提供しているのですが、そのお母さまが中学時代の同級生という縁であります。西池袋の交差点を突っ切るとそこは昔ながらの下町の風情を残す住宅街が残っております。その一角にある小さな画廊に彼女の作品が並べられておりました。

 直接お目にかかるのは初めてですが、すでに印を何度か贈り、lineでのやりとりもしているので初対面とも言えないのです。絵のいくつかを写真に収め、少し落款の入れ方に「けちをつけ」あとはお母様の話をして早々においとましました。夕食のお弁当を東武デパートで買う、そして夜は自治会の会合に出るので、ゆっくり出来ないのです。
 ワタシの目に留まったのはこの絵です。ワタシの彫った印を使ってもらっていました。7年前の作ですから、まだ画家としての作品では初期作でしょうか。「游」あそびと読むのか、小品で、その麻紙一杯に配した人物と花(アルストロメリアか)の構図が気鋭の若い作家の心意気に繋がるような気がしました。


彼女は若い女性と幼子の絵を得意にしているようです。値段を記されていないので「販売目的」かは聞きそびれましたが、ワタシの理解では個展は売ることを前提としております。一つぐらい買う約束してもいいのですが、我が家は、元は電設工事業、応接間とか洋室などが無い古い「しもた屋」で、飾るところが無いのです。

 デパ地下で少し並んでいたお菓子屋さんでフランス洋菓子ビスキュイテリエ ブルトンヌを土産に帰宅しました。見た目も味も格別、さすが東京は売ってるものが違いますね。
コメント
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