植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

メダカのゆりかご 意味と意義を考える

2021年05月15日 | 動物
人間が、生きる意味は?などというムツカシイ話は偉い防さんや哲学者さんに任せておけばいいことです。しかし生活している以上、何かしら意味や意義のあることを行い、無為無駄な時間を費消することは極力避けたいと思いますなぁ。

 もうだいぶ前のことですが、開店したてのウチの店舗に入居したコンビニの店長に、便器が汚れて臭っている、と指摘したことがありました。彼は、運営に金がかかることを嫌い、ずぼらで手惜しみする質の人物でした。屁理屈を捏ねて、非を認めない負けず嫌いの人物でもありました。

 即座に「しょっちゅう見張って掃除するわけにはいかない。きれいに掃除しても次の人が汚したら無駄になる。」と抗弁しました。たいがい人の意見や行為には寛容であるワタシも、この言葉だけは許せない、忘れがたきものでした。この理屈なら世の中清掃という単語は無用になります。無駄どころか、きれいにして、次の人が気持ちよく用足しできるという大きな意味があるのです。汚れたらまた掃除する、その繰り返しが正しい人間の営みであろうと思いました。

 ということで、有意義な日課は草むしりです。雑草は畑でも鉢植えでも場所を嫌わず、いくら抜いても容赦なく生え茂ります。ワタシは「どうせまた次々に生えるのだ」とは思いません。草むしりの効用、それはまず、見た目がきれいになり、植えている植物に水や光、土の栄養分がいきわたります。雑草が繁茂して種をばら撒くのを未然に防ぐという大事な意義もあります。一方ワタシにとっては、時に無我・夢想の境地となり、嫌なこと煩瑣・些末事などを忘れさせてくれます。また、手を動かしながらブログの構想を練る(笑)、ガーデニングで次にやるべきことに思いめぐらせるなど、貴重な時間でもあります。

 今朝も、メダカのプールを洗い、水を入れ替え、場所替えしました。(ほば毎日ですが)。2千匹以上となった屋上のメダカたちは、繁殖期を迎えせっせと子作りに励んでいます。産卵床用に新たに投入したのは「ココナッツファイバー 」で、主に観葉植物のマルチングなど園芸コーナーで売られております。これを煮沸して「あく抜き」をし、洗ってしばらく水にさらしたものです。自然由来の植物繊維なのでメダカが好んで潜り込み、産卵してくれます。



 なぜ、そうまでしてメダカを繁殖させるか?。それ自体にはほとんど目的も意味もありません。増えすぎると花屋さんで売ってもらう、3年ほどの寿命のメダカの目減りを防ぐ、新種を作出するなどの後付けの理由はありますが、あえて言えば、①メダカが抱卵しているから、②孵化したメダカ(針子といいます)が大人メダカに食べられるのが忍びないからです。

 メダカプールにはほとんどスネール(サカマキガイ )が紛れ込んでいます。孵化した芥子粒よりも小さい幼生はメダカのエサになりますが、一方で大きく生長したサカマキガイ は、メダカの卵を食べることもあるようです。「きしょい」ので暇さえあれば駆除し、卵を取り除きますが、まぁ根絶は無理です。

 親メダカたちは、誕生したばかりの稚魚を捕食します。親たちは口に入るものは何でもエサだと思っています。選り好みしていたら生き残れませんし、結果的に無駄に大繁殖しないというのも自然の摂理なのです。

 「親はね、なぜか卵は食べないんです、なーんでか?、それはね、メダカの口に入りきらない大きさだから。」

 1週間ほど沈めた産卵床を別の小さな容器に移し替え孵化を待ちます。孵化率や誕生後の歩留まりなどは気にしません。1週間ほどで孵ってくるのですが、ここにすでにスネールの赤ちゃんも居ます。そのままだとメダカより先に大きくなり卵を産み付けるのです。ざるやネットで稚魚と選別するのは不可能です。それを食べる大人メダカを投入するわけにも参りません。やったら沖縄のマングースと一緒になりますね。


 そこは根気よく稚魚をスプーンで一匹づつ掬うのであります。スプーンの水にスネールの幼生が残っていないよう注意し、さらに別のプールに移し替えします。これを一人メダカ掬いと呼んでおります。生まれた稚魚を安全に大きく育て、スネール退治と両立させるという立派な意味のある作業です。これが済めばメダカのゆりかごということになります。そこで1,2か月水替えしないで大きくなるのを待つのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする