風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/エル[ELLE]

2018年01月26日 | 映画


かなり倒錯した性を描いていますが、けっして「過激」ではありません。
イザベル・ユベール(65歳)は、多くの女優が断ったこのミシェルの役を逆オファーしたそうです。
彼女を含め、登場人物がセックスを欲求だけで「処理」している感じです。
ゲーム会社の社長をしているミシェルはすごい大金持ちです。
彼女がどのようにして成功したのか映画は触れません。
彼女は、同僚で仲の良い女性の夫と性的関係を持っています。
80歳を越えている彼女の母親は、ツバメと結婚を考えています。
息子は、幼稚です。
別れた夫は若い女と関係を持っています。
そんなある日、彼女は覆面をした男に自宅でレイプされます。
超高級セレブなのに家にセキュリティが無いのですから変な話です。
しかも、「警察は信用できない」と、鍵を取り替えただけ、セキュリティを導入するわけでも無く、
何事も無かったように平然と生活します。
ミシェルは、隣の家の若い男・パトリックに性的関心を抱き、パーティに招待し、
足で彼の股間を愛撫したり、双眼鏡で彼の姿を見てオナニーしたりします。
ミシェルは、彼とのレイププレイを期待します。
彼女は、それまで拒否していた父親に面会に行きます。
その知らせを受けた彼は、自死します。
彼女は、彼の自死を予想、期待したのでしょうか?それとも…、私にはわかりませんでした。
映画をどのようにして終わらせるのかが非常に興味深くなりますが、単純でした。
夫が関係を持たれた同僚の女性と共同生活を始めるところで終わります。
セックスシーンは過激ではありませんが、たくさん描かれます。
そもそも私は、映画で、セックスシーンを生々しく見せる必要があるとは思いません。
実は、彼女の父親は多くの住民・少女を性的異常をもって殺戮し、終身刑で服役中しています。
彼女は、父親が殺した人々の衣服などを燃やす手伝いをしました。
その「異常」経験=トラウマは、彼女の倒錯した性欲や精神に影響を与えているのでしょうか?
それとも、彼女の性癖は、性的マイノリティの一種で、「異常」でもなんでも無い、とでも言うのでしょうか?
あれこれ屁理屈は想像できますが、さて、この映画、いったい何を言いたいのでしょう、
私にはさっぱりわかりませんでした。
訳がわからない映画を評価する癖の第69回カンヌ映画祭ではやはり高い評価を受けたそうです。
ちなみに、原題のELLE はフランス語で「彼女」だそうです。
ユベールの映画の私のブログは、 「未来よこんにちは」、そしてアスファルト です。  【1月22日】


映画/ローマ法王になる日まで

2018年01月19日 | 映画

新年の映画は、「夜明けの祈り」とこの「ローマ法王になる日」の宗教に関係する2本でした。
「ローマ法王になる日」は、アルゼンチン出身のフランシスコ現法王の半生映画です。
この映画の評価も難しいです。
1970年代初頭、チリでアジェンデ社会主義政権が生まれます。アメリカはこの政権を暴力で転覆します。
以後、中南米の多くの国々では、軍独裁政権が生まれ、恐怖政治が敷かれます。
この映画の舞台となったアルゼンチンでも1976年から約10年間軍独裁政権が支配します。
抵抗する市民はもちろん、貧しい人々を支援する教会関係の多くも逮捕、殺害されます。
飛行機から海に捨てられたりした彼らの多くの行方は今もわかっていないそうです。
いつの時代も軍隊は外国だけで無く自国民を弾圧しました。
2013年ベネディクト16世は、生前に退位しました。
新しい法王を決める選挙(コンクラーヴェ)で、フランシスコさんが選ばれました。
彼は、世界の表舞台ででは無く、アルゼンチンの田舎で質素な暮らしをしながら貧しい人々の
支援などをしてきたそうです。
欧州以外の出身者のそんな彼が266代法王に選ばれました。
映画では、アルゼンチンの軍事独裁政権時代、フランシスコさんは、人々に寄り添った活動をしたことに
なっていますが、その政権に「加担」したという評価、批判もあるようです。
Conclaveは、ラテン語の「鍵がかかった」と言う語意で、他国の干渉を防ぎ秘密を守るために作られた
仕組みだそうです。
若い時代のフランシスコさんと老年になった時の彼の顔が余りにも違いすぎたのはミスキャストでした。
映画のテーマは私にはよくわかりませんでした。
チリの軍独裁政権の弾圧を扱った映画=光のノスタルジアの私のブログ、です。 【1月8日】

映画/夜明けの祈り

2018年01月14日 | 映画




難しいテーマを取り上げたことは評価しますが、映画としては成功とは言えません。
描きたい、訴えたいことが多過ぎ、テーマを絞りきれなかったのだと思います。
ポーランドに侵入したソビエト兵は、修道女をレイプします。
彼女たちの多くは妊娠、修道女の一人が近くで活動してしていたフランス赤十字に助けを求めます。
若き女医・マチルダは危険を顧みず、その求めに応じます。
神に生涯を捧げた修道女は、出産するべきか、生まれた子どもをどうするのか、またこの事実を公表すると
修道院は閉鎖されるかもしれない、また修道女は行き場すらも困る等々の宗教的問いにどのように
向き合うのか、と言う深刻な問題に解答を見いだすのは至難です。
かなり倫理観があったと言われる中国紅軍もこの種の犯罪を犯したそうですし、労働者の解放を担った
ソビエト赤軍や中国紅軍がどうしてこのような犯罪を犯すのか…、への解答も簡単ではありません。
自身もレイプを受け、梅毒に感染させられた院長は、事実を隠し、生まれた子を殺す選択をします。
それは、彼女の保身なのか、皆を助けたいとの願いなのか、それとも彼女が梅毒に感染させられたことから来る
悲しみからなのか…。
修道女の個々人の内面に立ち入ってその苦悩を描くことは簡単では無いことは十分承知しますが、
出産した修道女が簡単に「母性」を取り戻してしまうことの評価も分かれる所です。
マチルダが町に帰る時、彼女もソビエト兵に襲われる危機を上官の制止で救われます。
このシーンは必要か不要かの判断も難しいです。この体験が彼女を修道女達の境遇への共感を深めたと
言えるかもしれませんし、その恐怖を乗り越えてなお修道女に支援したのは、彼女の強さ信念と言うより、
「神の思し召し」と言うことを言いたいのかもしれません。
この映画のもう一人の主人公は、シスター・マリアという修道女です。
彼女にはかつて恋人がいたそうですが、マチルダに「信仰は24時間の苦痛と1分の希望」と語ります。
この意味は、私には良く理解できませんでした。
修道院内に孤児院を作ることで映画は終わります。映画として、何らかの解答を出さざるを得ないのでしょうが、
いかにも安易な気もします。これがマリアが言った「一分の希望」なのでしょうか?
修道女が皆美人過ぎたのも不満です。
原題のLes inonocentes は、無罪、純粋などの意味があるようです。
今年初めての映画は、宗教にかかわる重い映画でした。         【1月8日鑑賞】

ニュージーランドの旅。総集編・再びオークランドへ

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

オークランド港・ドックライン・トラム
12月21日 
昨夜から雨で、今朝も寒く夜中に目が覚め、ヒーターを付けました。
前日私が早朝ホテルを発つと電話で告げていたので、ホテルのレセプションに、女性のスタッフが早朝出勤
してくれていました。無事、会計ができました。空港へのシャトルバスのピックアップ場所はホテル前、
7:10、ダニーデン空港へのシャトルバスが迎えに来ました。値段は忘れましたが20$ほどだったと思います。
国内線ですから出発の30分前にチェックインすれば良いのに、10時発のフライトに7:10の迎えです。
疑問が解けました。ダニーデンは大都市ではありません、シャトルバスを利用する人が少ないのです。
私の前に二人乗っていて、私が最後、三人の乗客でした。初老の女性運転手でした。
結構な距離でした。でも8時15分頃着いてしまいました。
ダニーデン空港                   空港内に寿司屋がありました。ドンブリ物でしたが。
  
10時発ですから、たっぷり時間があり、退屈でした。チェックインは、日本語で機械でできます。
年寄りの私がオタオタしていると職員が来て、さっさと手伝ってくれ、あっという間に終わりました。
手荷物検査は、一応しますが、実に簡単で、飲み物もオーケーです。
オークランド空港から市内へはスカイバスが便利です。18$でした。
事情は分かりませんが、途中で別のシャトルバスに乗り換え、えらく時間がかかりました。
ホテルは、前と同じ、スカイタワーの真ん前のスカイタワーチャーマーアパートメンとですが、これらのホテルを
斡旋する「マイホテル」の事務所が、移転していてわかりません。
更に、鍵の受け取りは、この事務所ではなく、別の場所の貸しロッカーの中にあります。
この貸しロッカーの場所も、良くわかりません。
ロッカーのあるWellsley St.Westは決して小さい通りではないのですが、みな親切に教えてくれるものの、
皆、正しくないのです。単純に、何々ストリートのペケぺケですから、わかってしまえば実に簡単です。
住所は、通りの名前の後に家の番号です。ビルの名前ではないのです。
坂の多い通りを重いスーツケースを押しながら1時間ほどうろうろして、コンビニの店主に聞くと、
彼はにっことして、知ってると言ってスーツケースを運んでくれ、「ここ」つまり隣でした。
やっとのことでカギを手に入れ、部屋に入りました。このホテルでは、鍵の入手は、事務所やレセプションを
介さない仕組みです。前回は、事務所で鍵を受け取ったので、貸しロッカーを使わなかったのです。
寒いダニーデンから暖かいオークランドに来て汗をかき、その上場所がわからず冷や汗もかき、どっと疲れた、
お腹も空いたので、近くの中華のレストランで中国の熱い海鮮ヌードルを食べました。
このホテルは、洗濯機と乾燥機があるのでセットして、スーパーに買い出しに行き、帰ってきて、ネットを申し込み、
あれこれ検索しました。(ここは有料、ネットで提供会社に申し込む必要があります。)
オークランドに1泊するのは、乗り継ぎだけが目的です。そのまま、その日の深夜の便で帰国することも可能と
思ったのは、NZに来てからで、日本ではそのことは全く思いも付きませんでした。
しかし、結果的には、やはり一日のんびり出来て良かったと思いました。
そのおかげで、在日NZ人のポールと会うことが出来るかもしれない機会もできました。
彼は、前日日本を発ち、午後にオークランドに着く予定です。
明日のチェックアウトは10:30ですから、その後、荷物を預かってもらうためにオフィス事務所を地図検索し、
探しに行きました。今度は比較的簡単にわかりました。ポールと会う時間と場所をメールで打ち合わせしてる内に、
夕方になってしまいました。もう一度スーパーに行ってお土産を買いました。
こうして、不可思議な一日が終わりました。 でも、街は眠りません。

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12月22日、ニュージーランド最終日
荷物をホテルのオフィスに預け、時々小雨が舞う港を散歩しました。
ヴァイアダクト・ハーバー 海の民NZ人は、多くの人がマリンスポーツを楽しみ、ヨットを持っているとか。
 
 
ウィンヤード・クローシング ヨットが通る時橋が跳ね上がる可動橋
  
                         コンテナは自由に置けるのでしょうか、またその値段は?
  
ウィンヤード・クオーター 雨模様でまだ朝なので客はほとんどいません。 
 
その後ろのビル、ユニークで遠くから目立つ壁です。
 
PALMAN                     War Memoriale Baccon 戦争を記念して作られた街灯
 
ニュージーランド海洋博物館(入りませんでした。)
 
船の形をしたプリンセス桟橋            クイーンズ桟橋
  
昔のブリトマート駅舎
 
コインランドリーは初めて見ました。
 

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港から、オークランド大学に向かったのですが、道に迷いここに迷い込んでしまいました。
エメリー・プレイス保護区というところのようです。マオリの聖地の一つのようです。
 
 
オークランド大学時計台  オークランド大学も広大です。どこまでがキャンパスか市街地かわかりません。
 
アルベルト公園で昼食をとり、休憩しているとキリスト教の勧誘を受け、困りました。
私は、ブッティストだと言うのに、折伏を試み、唯一の創造者神を認めろというのですから。
 

ニュージーランドに帰省中の在日ニュージーランド人のポールとは会えませんでした。二人は、200mほどまで
近づいていたのに、私はもう少し時間が遅いと思って、携帯のメールに気付くのが遅れたからです。
スカイタワーのインターシティのバス停で実に印象的出来事を体験しました。
一人の、中近東系の青年が血相を変えて、待合室に飛び込んできました。真っ先に私に助けを求めてきました。
しかし、私の語学力では、とうてい対処出来ないので断りました。いろんな人に助けを求めましたが、皆断りました。
一人だけ、彼の要請に応えました。どうもトラブルがあって、英語で電話を頼む、と言うことのようでした。
私の目の前で行われたのですが、私にはその話の内容は全くわかりませんでした。
2台の携帯電話を使って、ああだこうだ、でした。話がついたのは30分もたってからでしょうか。
その男性は、買い物に行っていた中学生くらいの息子を迎えに来ていたようでした。
別れ際、私と目が合うと、彼は「やれやれ」と言う顔でにっこりしてくれました。
ニュージーランド人の優しさを象徴する出来事に私には思えました。
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空港へのスカイバスはなかなか来ませんでした。その上、シャトルバスで出発点に運び、そこから正規のバスに
乗り換えます。バスは満員で、しかも道路はかなり渋滞していました。時間がない人は定めし焦ったことでしょう。
オークランド国際空港のチェックインも自動で、簡単で日本語で出来ます。
しかし、その後の出国手続きの窓口は二つだけ、ものすごい長蛇の列でした。
一方、ニュージーランドのパスポートを持っている人は、機械化されている窓口が10個位あり、
すごく早く簡単、スピーディです。指紋認証ではなく顔写真の認証だけでした。
7時45分頃には終わりました。搭乗時刻は10時20分ですからまだ2時間もあります。
余ったニュージーランドドルを日本円に両替すると、17000円、11NZ$が余りました。
11NZ$で小腹を満たすには、日本のきつねうどんがぴったりでした。
NZ航空では、1000円で非常口席が指定できます。座席が少し広いこと、トイレが近いので
この席を希望しました。出発はだいぶ遅れました。
現地時間深夜12時、日本時間では夜8時なので体内時計的にはとても良い時間です。
9時半ころ夕食が出ました。私はきつねうどんを食べたので、ウイスキーと赤ワインを寝酒程度にもらって、
11時頃寝ました。熟睡はできませんでしたが、かなり寝ることができました。
機内が少し寒かったのでブランケットをもう一枚要求したのですが、ありませんでした。
明け方、4時半頃電灯がつき、朝食となりました。私は少しだけ食べました。
こうして1ヶ月にわたる私のニュージーランドの旅は終わりました。
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さて、今回の旅の費用です。
今回私は、1100NZ$(96400円)ほどの現金を用意しました。使ったのは、約8万円と言うことです。
NZでは、ほとんどのところでカードが使えます。現金が必要なのは、バスだけくらいかもしれません。
私は、前半ちょっと過ぎまではほとんどカードを使い、途中から現金を使いました。
今回の旅行費用を大雑把でも計算しようと思ったのですが、バス代の資料が残っていません。
私は、今回10回ほど長距離バスを利用しました。
また、カード支払いの明細もまだ届いていませんので、現時点で計算するのは困難です。
見積もり段階では、ホテル代は約33万円、飛行機代は、日本~NZ間が96400+スカイコーチ代8万円、
+NZ国内便が約37000円計約21万円、現地ツアー代が約52000円、保険が約1万円というところです。
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今回の旅に出る前は、持病の痛風も座骨神経痛などを案じていましたが、異常はありませんでした。
15kmほど歩いても筋肉痛・腰痛等もありませんでしたので、少し安堵しました。
長期の外国個人オリジナル旅行は、これが最後になるかもしれないと思っていたのですが、この分では
今しばらくは、無理をしなければ大丈夫ではないかというのが、一番の収穫でした。
次に、私が今回の旅で一番強く感じたのは、ニュージーランド人の優しさでした。
それは日本人の「おもてなし」とは違うもっと心からでる優しさと感じました。
日本の「おもてなし」は、いかにもマニュアルティックで、外形的で商売的な感じを私は感じます。
それに比べ、NZ人の優しさは心からの親切心と感じました。
おそらくそれは、日本とZNの時の流れの違いのように思うのです。
日本の場合は、時間通りきちっとしなければの度合いが強す過ぎるので、余裕がないのです。
おそらくそれは、日本社会では、効率が何よりも優先されているからではないでしょううか。
NZの場合は、例えば、バスの本数は一日1本とか2本と、少ないです。
待機している時間にも余裕があり、バスから降りて観光客に教える余裕が十分あります。
高齢者が重い荷物を持ってバスに乗ろうとすると、ドライバーは席を立って荷物を運ぶのです。
乗客は、降りる時ドライバーに「ありがとう」とほとんどの人が声をかけます。
スーパーのレジも、NZでは、何十人もが文句を言わずに行列を作って待っています。
日本では3人でも並べば「遅い」と怒るのですから、それは信じられない感動的光景でした。
スーパーで、量り売りでトマト1個、ハム100gから、買えるのです。
レジで、私の会計処理がもたついても、キャッシャーも次の客も平然としています。
私も、数々のNZ人にたくさん助けられました。一番は、私がホテルの部屋のカギを忘れたとき、
全く無関係の人がホテルに連絡の電話をかけてくれたことです。
私のバスのチケットがキャンセルされていて、私がバスに乗り遅れた時、私が助けを求めた別のバスの
運転手は、そのバスの運転手に電話し、次のトイレ休憩の所で私が乗れるように手配してくれました。
「英語は上手くありません」と言うとニコっとして、聞き取れるようにゆっくり話してくれます。
しかし、以上のことは、実は現象的であって、本質的根本的には違うところにその訳がありそうです。
マオリ文化は、ハカが有名ですが、それに劣らず彫刻が素晴らしいです。
マオリの人々の、自分たちの歴史、アイデンティティのこの上ない大切な思い、からと私は思います。
イギリス帝国主義はそれらの略奪を試みたと思います。しかし、マオリの人々はそれを許さなかった。
また、他民族とその歴史・文化に尊敬を持たないアメリカ人が来なかったことも幸いでした。
マオリの人々は、マオリ戦争と言われるイギリス王国の侵略と略奪に果敢に抵抗、戦いました。
1840年のワイタンギ条約の評価は分かれるところですが、この条約によって、両者は一先ずの和平を
見ますが、二枚舌のイギリスは、英語の条文を自分たちに都合よく解釈、利用して彼らの権利を軽んじ、
蹂躙しました。また、マオリの人々を取り巻く環境は決して良いものではありませんでした。
言語、就職、土地所有、都市と農村などを巡りマオリの人々は、粘り強い戦いを行ってきました。
私は、旅に出るに当たり、
【ニュージーランドは、世界で初めて女性参政権(1893年)を認めました。
先住民で少数民族(15%)のマオリ語を公用語にしています。
また、同様に手話も公用語です(ちなみに韓国もそうです)。
以上三点でだけでもニュージーランドは世界の尊敬を受けるに値する国と私は思います。】
と、書きました。人口比15%ながら、マオリの人々はマオリ語の公用語を勝ち取りました。
私は、マオリの人々のこうしたアイデンティティの希求と創造、イギリスとの抵抗、戦いの歴史こそが、
ニュージーランド社会の優しさ、少数者や弱者と言われる人々の権利の擁護に結実したのだと確信します。
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ニュージーランドも車社会です。
駐車場は、たくさんあります。路上では、メーターがあって有料のところが多いです。
また、家の前などは、おそらく駐車許可証が発行されて、路上駐車が多いです。
大都市では、信号がほとんどの交差点にあり、時間が短いので、車はスピードを出せません。
信号が黄色に変わると、急ブレーキをかけてでも止まります。
人々は、赤信号でも車が来ないと半数が無視して渡ります。
横断歩道はめったにありませんが、道に迷ってうろうろしているのに、止まります。
ちょっと危険なのは、左折車です。信号に関係なく、左折できるからです。
しかし、郊外では信号はなく、一般道でも、50km、80km、なんと100kmのところもあります。
高速道路もありますが、無料なので料金所はなく、渋滞は皆無です。
自転車は、少数派です。でも、変速ギヤ数が多くすごいスピードで疾走する自転車もいます。
スケボーは、子どもも大人も乗っています。傑作はモーターつきのスケボー、それで坂を上るのです。
ヘルメットは皆かぶっています。私が、歩いていて自転車のライダーをいいなぁと見ていると、
にっこりする人が多いです。おそらく、自転車も歩行もエコなんだという意識ではないでしょうか。
ただ、自転車専用道路は、日本から比べればはるかに多いですが、ヨーロッパと比べるとはるかに少ないです。
バスは、公共交通機関の主役です。鉄道を作っても、乗客数が少ないので採算は取れないでしょうから。
バスの中の改札はなく、乗車する時運転手に名前を告げると、運転手がスマホで名前を確認します。
荷物がないからとこのチェックインをしないで乗ると怒られます。
荷物を終点の方から順に乗せるので、並んでいても関係ありません。
運転手は、おおむね年配者が多いです。旅行者の荷物は多く重いのでその積み卸しは重労働です。
もう完全にリタイアしていると思える女性が「新人研修」の見習いをしていました。
長時間のバス移動もトイレ休憩、ランチ休憩、写真スポットなどかなり頻繁に止まるので心配はありません。
バスの中で飲食は出来ません。
大都市市内は、複雑に路線が走っていて、旅行者には難しいです。
混みあっているバスを私は経験しませんでした。日本の鉄道やバスの満員さを見たら目を回すのではないでしょうか。
バス料金で面白かったのは、カードと現金では料金が違うことでした。
また、カードなのに、乗車する時一々行き先を告げて、レシート=チケットをもらうのです。
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ホテルはロケーションが良いところを選んだので少し高かったが、電子レンジ、冷蔵庫、食器類
があったのがとても良かったです。スーパーで総菜や少し食材を買えば良いからです。
歯ブラシ、ひげそりはありません。
大きいホテル以外は、レセプションは常時開いていません。何かトラブルがあった時は不便でしょう。
ウォシュレットがないのが一番不便でした。シャワーで洗うのは面倒で不便でした。
公衆トイレは、かなりありました。大きなバスターミナルにも無料のトイレがありました。
また、大型スーパーも便利でした。ミニコンビニは使いませんでした。
さて、旅の時PCはいつも持って行きますが、今回はスマホかタブレットが欲しいと思いました。
日本でも持っていないので、外国でだけ持っても上手くは使えないと思いますが、地図検索、
翻訳、バスなどの時刻表検索は便利で必要と思いました。
テレビは、時間も無く面白くないので見ませんでした。NHKの海外放送はありませんでした。
日本食ブームは、かなり広がっていました。寿司屋、日本食堂はどの街にもかなりありました。
外国人も箸を使うのを楽しんでいるようでした。
私は、海外で寿司やラーメンを食べたいとは思いませんが、値段は決して高くはありませんでした。
最後に、今年は、日本の地方を少し歩き、お寺を巡りたいと思っています。  【ニュージーランドの旅終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・モエラキ・ボルダー、ダニーデン/ボルドウィン・ストリート

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

モエラキ・ボルダー

ボルドウィン・ストリート

12月20日
ダニーデンへのバスのピックアップは8:15。ホテルの朝食は、質素なので前日スーパーでサンドイッチや
果物やサラダ材料買ってきて作り、朝食を静かに済ませ、外に出るとやはり寒いです。
股引をはき、長袖Tシャツにレインコートを着ました。
12人乗りの小さな車で、後ろに荷物を載せるコンテナ車を牽引します。
あちこち回ってピックアップし、また宅配の様に荷物も預かり運ぶようです。片道30$往復50$でした。
総勢10人でした。インターシティのバスは、昼と夜の2本しかありません。
このバスは、大きな病院のあるダニーデンに午前中に行きたい人などが利用するようでした。
観光客は、私だけで、途中のモエラキ・ボルダーで降り、見たのも私だけでした。
時間もたった5分です。いわばトイレ休憩です。ボルダーとは、丸い石という意味らしいです。
オアマルに1泊したのは、たただこの海岸の不思議な岩を見るためです。
 
 
 
ボールをひっくり返したように丸い岩です。何十とあるわけではありません。成長過程の小さいものもありました。
インターシティのバスは、ここでトイレ休憩するのでしょうか。そうなら、オアマルに泊まらなくても良いかも
しれませんが、それはわかりません。この景色を見るためだけに、オアマルに泊まる価値があるかの判断は、
人様々かもしれません。私は良かったと思っています。
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ここから、ダニーデン
このバスは、なんと、わたしの泊まるホテルの前で降ろしてくれました。10:30過ぎでした。
ホテルは、まさにモーテルで、レセプションは留守でしたが、先日のメールで鍵がドアにかかっているので入って、
荷物を置いて良いとありました。でも、部屋は広く、設備は申し分ありません。
 
 
昼ご飯は用意してきましたが、夕飯と明日の朝食の食材を市の中心のスーパーにまず買いに行きました。
そして、部屋でお昼を食べて、真っ先にダニーデンの目的である、ボルドウィン・ストリートに向かいました。
途中の風景
 
 
ボルドウィン・ストリート この坂、ギネスブックに登録されている世界でもっともきつい坂道と言われています。
私は、テレビでこの坂の存在を知って、是非行きたいと思ったのです。
市の中心のオクタゴンと言う所のバススタンド2からバスが出るとのことですが、どこにもこのスタンド2なる表示は
ありません。バスが止まっていたので運転手に聞くと、そこはスタンド3でした。運転手は、わざわざバスから降りて
右に行って曲がった後ろだと教えてくれました。
#8のバスでNormanby行きでした。運転手に、ボールドウィンストリートに来たら教えてと頼んだのに彼は忘れて
しまいました。しばらく行って終点でした。私は通りの名前が見えたのでOKと言って歩いて戻りました。3.4$でした。
 
 
私も一枚撮ってもらいました。
 
長さは、確かに100m程ですが、きつかったです。階段の所は不思議とつらくないです。
どうってことのないただの坂ですが、話の種としておもしろいものです。
上からの景色
 
一番上にベンチがあります。その脇に、一番速く上った人の名前などが記されていました。この上にも家があります。
 
坂の上に、住宅があります。さて、高い方が高級なのでしょうか、おそらくそうでしょうね。移動は車でしょうか?
 
走っている人もいました。もっとも登りではなく、下りでしたが…。
 
息が出来ないほど辛くはないけど、こうした馬鹿げたことを共有すると、人と人の距離はとても近くなり、
興奮気に「面白いね」とか「最も急だ」、「クレイジー」などとにっこりしながら言葉を交わし合うのも面白いです。
帰りは、バスの運転手にオタゴ大学近くで降ろしてと頼んだのに彼も忘れて知らせてくれませんでした。
オクタゴンまで行って、戻りました。
ノックス教会
 
 
オタゴ博物館 無料です。ここもマオリコーナーの彫刻が素敵でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外には、モエラキ・ボルダーの岩がありました。

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オタゴ大学のキャンパスも広く、校舎はいくつにも分かれているので、そのうちの一つです。
 
ダニーデン駅 昔はやはりずいぶんと栄えたようです。
 
                          裁判所は工事中でした。
 
HMオールドPRISONとありました。現在は商業施設のようです。   オタゴ入植者博物館
 
オタゴ入植者博物館正面から ここも無料です。
 
 
 
                         全面人物の肖像写真です。
 
 
ファースト教会は工事中でした。            市の中心・オクタゴン
 
ダニーデン市立美術館 ここも無料です。
 
 
 
 
 
伊藤若冲の作品がありました。

私は、うれしくなって、警備中のスタッフに、彼は今日本でも大人気です、などとお話ししました。
オクタゴン広場のRobert Lord像           市議会議事堂
 
セントポール大聖堂
 
                         セントポール大聖堂の鐘
 
未来劇場とありました。               この急な坂の先遠くに、オタゴ男子高校校舎
 
カジノ                      ニュージーランドの有名なチョコレート会社            
 
 
 
この他にもダニーデンの街には、魅力的な壁画がいくつかありました。ダニーデン駅舎2階にあるスポーツの殿堂
スポーツ・ホール・オブ・フェームは忘れて行けませんでした。
ホテルに戻ってもレセプションに人はいません。私は、マネージャーに明日早いと電話を掛けました。
後で行くという返事でしたがとうとうこの日は来ませんでした。
ダニーデンは、ボルドウィンの坂だけでなく、望外におもしろかったです。
ちなみに、ダニーデンの名の由来は、スコットランドからの移民が開いた街で、「ダン・エデン」(エデンの城)だ
そうです。また、オタゴ大学は、NZで最初に設立された大学で、今でも若者が多いそうです。 
明日は、飛行機でオークランドです。             【12月20日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・オアマル

2018年01月04日 | 2017ニュージーランド旅行

オアマルの町並み
12月19日  
7:45発のバスで、オアマルに向かいました。
オアマルとダニーデン訪問は、ちょっとマニアックです。
オアマルとダニーデンの間に、海岸にある奇岩のモエラキ・ボルダーとダニーデンの世界一急な坂=
ボルドウィン・ストリートに行き、歩くのが私の興味だからです。
バスに乗る時、荷物がないからとチェックインしないで乗ってしまうと怒られます。
チェックインが日本式改札に当たります。チケットを見せる必要はありません。名前だけでOKです。
オアマルのアクセントが、ルーにあるので私の発音をドライバイーは聞き取れませんでした。
私は、かなり後から乗ったのですが、やはりドライバーの後ろの席が空いていました。85%ほどの乗車率で、
最後は100%になり、私の隣はかなりの年配の女性が座りました。ダニーデンの先に住んでいて、
息子のところに行って帰りだと言います。私が、英語はよくわからないというと、時々大きい川だとか、
ニュージーランドの特有の木だとか、オアマルではランチ休憩があるなどガイドをするのでした。
途中のティマルの町のトイレ            長距離バス停は、旧鉄道駅の近くでした。
 
 
今は、一部が中華レストランになっていました。
オアマル11:45予定通り着きました。予想していたより大きい町でした。
港が整備された19世紀後半、冷凍技術とこの地の特産品・良質な石灰岩で繁栄したそうです。
特に、良質な石灰岩の運搬のため、鉄道が作られたそうです。冷たい強い海風が吹き、時々雨です。
ホテルは、歩いて10分くらいでしたが、すぐわかりました。これが私の泊まるホテル、見事な歴史建造物です。

でも、入口の扉はしまったまま、隣の店で聞くと、案内してくれました。脇に看板もないドアがありました。
ホテル経営が本業ではなく、一階はバー・カフェで、普通のホテルのレセプションがありませんでした。
私は、荷物を預けたいと言うと、良いですよと言います。
寒いのでレインコートを出そうとすると、チェックインは1:00だけど部屋に荷物を入れていいと言います。
部屋は、3.5畳ほどでとても狭いです。ベッドと小さい引き出しがあるだけです。トイレ、シャワー、台所、
食堂は供用です。朝食は無料だそうです。
 
 
廊下です。奥が私の部屋です。
ホテル前の通り、昔は倉庫街だったようです。

すごいオブジェのスチームパンクビル(レストラン)    横から見たところ
  
セント・ルークス英国国教会
 
旧郵便局(時計台)         オタゴ博物館、ここも無料ですが、展示室はすごく狭く展示物もわずかです。
   
オタゴ地区裁判所(閉鎖中です。)            オペラハウス
 
コミュティハウス                 アートギャラリー、無料ですが、狭く作品数も少ないです。
 
 
  
                         普通の会社のオフィスでした。
 
現在の郵便局                  図書館
 
  
セント・パトリック教会
 
 
日本の寿司屋                   リサイクルショップ
 
ホテルに戻ってチェックインしました。かつての倉庫街、かつて列車の車庫や操車場だったのでしょう。
 
今は、子どものスペース・遊び場になっています。
 
 
パブリック・ガーデンに行きました。         日光の神橋を真似た橋だそうです。
 
ここは、少し高台にあります。オアマルは海の町です。

iSITE
 
以外に広いと冒頭に書きましたが、実際に歩くと狭いです。急な坂の上は、新市街地で高級地なのでしょう。
オアマルは、ペンギンのコロニーで有名だそうですが、ペンギンがコロニーに帰るのは夕方、その頃から始まる
ツアーが人気だそうです。私は興味がないのでパスです。
オアマルに歴史的建造物があるのは、ここの特産品・「オアマルストーン」という石灰岩が建材として優れ、
この産出が一大産業へ発展したからだそうです。
ホテルは、歩くと床がきしみ音のする古い建物で、部屋は3.5畳にベッドだけ、バス・トイレ、キッチン・食堂も
共用でしたが、昔の宿とはこんな感じだったのだろうと楽しみました。バスローブがありました。
一階バーとホテルのオーナーの女性ボスも女性スタッフも親切でした。明日、朝早いというと、わざわざ
入り口のドアまで来て、ドアを締めて、郵便ポストから鍵を入れ落としてくれ、と実演してくれました。
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次の問題は、明日のホテルからのメールで、カード決済が拒否されていると言うのです。
予約しているのは明日なのですから、おかしい話です。その旨、早速メールしたのですが、返信はありません。
おそらく先方の勘違いか、チェックイン時間や部屋番号のお知らせのメールではないかと思います。
ダニーデンは、予想していたよりは大きく、しかも坂の街で、到着バス停とホテルまではどうも1.5kmほどありそう、
坂の町なので、タクシーかなと思いました。問題は、その翌日は、ダニーデン空港からオークランド空港へ戻ります。
ダニーデン空港は、市内から距離があり、タクシーでは高すぎます。シャトルバスがあるらしいのですが、
大都市の普通の空港シャトルバスではなく、申し込みが必要らしいのです。予約していなかったので、試みました。
このネットでの申し込みにも時間と労力が必要とされました。
飛行機は10時発なのですが、ホテル近くのピックアップ場所の時間は何と7:10と指定されました。
明日は、モエラキ・ボルダーを経由して、ダニーデンです。【12月19日終わり】


ニュージーランドの旅。総集編・クライストチャーチ/クエイク・シティ、フェリミー歴史公園、アート・ギャラリー

2018年01月04日 | 2017ニュージーランド旅行

クエイク・シティ
12月18日
午前中、フェリミード歴史公園に行きました。

クライストチャーチセントラルから南西に約10kmほど行ったところにあります。

この公園は、エイボン川の広大な三角州に広がる40haに及ぶ広大なフェリミード公園の一角にあります。
天気予報は、前日の真夏から、気温17度、小雨がぱらつくかも、でした。冷たい風が吹いて、時々パラパラしました。
しかし私は、特別厚着はしないで、長袖Tシャツと靴下を履いてサンダルでした。
「地球の歩き方」のここへのアクセスは説明は、不正確で分かりづらいです。
公園入口近くに行くバスは直通がなく、本数が少ないのです。セントラルステーションから#80のバスで
Eastgate Shopping Mallに行き、そこで#525に乗り換えなければなりません。
バス代は乗り換えても一区域料金の4$です。
#80も#535も本数が少ないので、PラインバスでEastgete Shopping Mallに行き、そこから歩いたほうが
はるかにわかりやすいです。公園入口まで15分、歴史公園まで更に10分ほど歩きますが。
Eastgate、Ferrymeadの名が付くバス停は複数あるので、運転手としても教えづらいと思います。
それでも、ドライバーはみな親切で丁寧です。バスを降りて、#535のバスまで案内してくれました。
この地は、1863年にニュージーランドで初めて公営鉄道の線路が敷かれた歴史的地だそうです。
 
 
 
19~20世紀前半の街並みを再現しています。
普通の博物館では古いものを部分部分で見ますが、ここは実物の街を見、歩いている感じです。
鉄道車両や、古い自動車なども展示されて、乗り物ファンにはたまらない魅力だと思います。
とてもユニークな歴史公園なのにほとんど知られていないのは、アクセスが非常に悪いからでしょう。
私は、鉄道マニアではありませんが、十分に楽しみました。
第一日曜日には、実際に走る蒸気機関車に乗ることができるそうです。
私は、11時頃着いたのですが、客は私一人で、ちょっと不気味でした。入場料は10$でした。
入り口                       教会
 
                          山小屋
 
 
トイレ
 
学校                        印刷所
 
留置場 うめき声がします。
 
床屋                        パン屋
 
映画館                       雑貨屋
 
郵便局
 
 
消防署                       ホール
 

 
ガレージ                       鍛冶屋
 
Butter Chure
 
  
 
コロニアル小屋                   遊び場
 
Tram Barm                     半鐘
 
植物園
 
駅                        
 
Rural History
 
 
 
 
お弁当を作って行ったのでゆっくり食べました。こんな面白い施設なのに人気が無くちょっと残念です。
帰りは、ショッピングモールバス停まで歩いて、セントラル直通のPラインで帰りました。
ハグレー公園手前にあった聖ミカエル教会・スクールは地震で無くなっていました。
エイボン川のボート小屋               バンティングと呼ばれる舟遊び
 
 
この校舎もカンタベリー大学です。
 
  
iSITE                        一部ギャラリーになっています。 
 
クライストチャーチ・アート・ギャラリー

2017年新装オープンしたそうです。無料です。豪華で、広くきれいですが、作品数は多くはありません。
 
 
 
 
 

 
                         水中でのハカのパフォーマンス映像
 
本棚の本は写真です。
 
 
 
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                       クライスト単科大学、は地震の被害が少なかったようです。 
 


 
 
 
  構内は、自由に見学できます。
Quake City Exhibition、シニアは16$でした。    右は、リニューアルされる前のものと思います。
  
展示品は多くはありませんが、破壊された施設や断層の写真など興味深い写真がありました。
 
 
 
 
                          クライストチャーチ大聖堂のものです。
 
 
ジョン・レノンこのタイトルの歌があります。
 
 
 
 
 
私が、一番気に入った写真です。  立ちすくんで、涙を浮かべる人々がたくさんいました。
 
ビデオの上映などもあります。クライストチャーチの最後に、ここを訪れることができました。
クライストチャーチの復興は、まだ道半ば、町中で工事が行われていました。
日本なら、壊れた跡地に新たな施設を作りますが、NZは広いためでしょう、とりあえず仮設の施設を作り、
本格的施設は、別のところに作っているように感じました。
傷んだ建物の壁にたくさんの絵やイラストが描かれ、街角にはいろんなモニュメントが作られていました。
 
最後に、クライストチャート大聖堂とカードボード大聖堂を再掲してクライストチャーチを終えましょう。



明日は、早朝からダニーデンに移動です。            【12月18日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・クライストチャーチ/カンタベリー博物館、ボタニック・ガーデン

2018年01月03日 | 2017ニュージーランド旅行

カンタベリー博物館 
12月17日
ホテルを出る時、昼寝をしたいのでハウスキーピングを早めにして欲しいと言うと、日曜は休みと言うことでした。
午前中は、市センターの南側を歩きました。
カトリックキャセイドルは壊れ、立ち入り禁止です。   正面から
 
かつての写真です。                 併設するカトリックハウス
 
地震の爪痕
 
 
 
地震で崩壊した後、更地となり手つかずになっているところ
 
スケートボードパークで遊ぶ人々
  
 
図書館                      Boxed Quater(コンテナ風ショップ)
 
公園のトイレです。                 時計塔
 
路上図書館
 
墓地
 
消防署
 
民家(歴史的建造物)
   
おそらく地震前のファミリーグランド公園(昨日の児童公園)
  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  
日本食ファストフード店で、お弁当を買おうとしましたが、早くも売り切れでした。
仕方なく、唐揚げ焼きそばを買いました。ホテルに戻って昼食の後、初めて昼寝をしました。
クイーンズタウンやマウントクックは、夏とは思えないほどで、うすら寒い感じです。
テカポもそうでしたが、クライストチャーチは、日本の初夏のよう、天気予報では29度でした。
日差しが強いので、長袖です。涼しくかなり強い風が時々吹くので、汗だくと言う感じではありません。
昼寝はいいものです。小一時間寝て、午後2時ホテルをすっきりしてを出たのに、方向を間違え15分もうろうろしました。
エイボン川 橋の先が追憶の門です。市の中心を蛇行して流れる岸辺はこんな感じです。
 
カンタベリー大学 中に自由に入れます。多くの歴史的建物が被害を免れたようです。  


 
中庭に建つモニュメント               講堂でしょうか、グレイトホール 
  
 
それでも、工事中のカンタベリー大学校舎 あちこちで、補強工事、修理が行われていました。
 
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カンタベリー博物館 無料です。
 
マオリコーナーはため息が出る美しさです。写真は、ほんの一部です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
………………………………………………………………………………………………………………………………………
偉大な50人の写真家のコーナーも素晴らしかったのですが、写真は撮りませんでした。
  
アジアコーナーは貧弱です。日本関係は、仏像と焼き物と浮世絵と侍の像でした。
 
 
  
                         ゴミで出来た作品もおもしろいです。
 
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ハグレー公園 ボタニックガーデン

カンタベリー博物館、カンタベリー大学に隣接する広大な公園で、165ha、日比谷公園の15倍の大きさだそうです。
 
 
このポンプを回すと噴水が出、人の顔が回ります。
 
ヨガをする男性                   着ぐるみの人
 
この大きい球は何なのでしょう?          アジサイでしょうか?
 
棒を持って踊る人々
 
ここからニュージーランドガーデン
 
 
  
 
 
                         飛び込み台のようなモニュメント(NZガーデンを出ました。)
 
温室もありましたが、写真は撮りませんでした。
こんなエキシビションも
  
地震復興事業として各国から送られた街灯 中国、シドニー、日本も贈った様です。
 
シドニーから贈られたもの             これはレストランの広告
 
英国国教会(閉まっていました。)           時計塔
  
カジノ                      この建物は?です。
 
お店の広告
 
 
かつてここでイベントが行われたようです。 
  
ここでもかつてイベントが行われたようです。     この建物も?です。
 
メソジスト教会は全壊したようです。         地方裁判所 
 
Quake City Exhibition(今日は遅くなり、疲れてきたので入りませんでした。)  シェアサイクルもあるようです。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
街を歩いていて、壁に書かれた絵は、心が和みます。   私が泊まったホテルの壁
 
 
 
 
 
 
  
【12月17日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・再度クライストチャーチへ/テカポ湖、そしてクライストチャーチ市内

2018年01月03日 | 2017ニュージーランド旅行

善き羊飼いの教会、(1935年)

12月16日 
朝6時頃目が覚めました。外を見ると朝焼けでした。
 
クライストチャーチのバスは12:50です。
テカポの町は、狭く観光スポットも無いので、時間をつぶすのも一苦労です。9:30にチェックアウトし、アース&
スカイ社のオフィスに向かいました。1.2kmほどですが、途中砂利道なので結構大変です。スーツケースをショルダー
出来るヒモを持って来て正解でした。アース&スカイ社のオフィスがバスまで荷物を預かってくれました。
町の様子 iCITE
 
サーモン丼は有名です。               消防署
 
                         バウンダリー犬の像
 
開拓時代、牧場の柵はまだ作る暇が無く、境界線(バウンダリー)を守った犬たちの活躍に感謝して1968年
この像が造られたそうです。
遠くにマウント・ジョン天文台が見えました。
 
 
ルピナスの花も旬を過ぎたようです。
 
 
かつての橋脚跡                      
 
最新式のトイレでした。昨夜遅かったので、無理をしないで湖畔の木陰でのんびりしました。

12時半にアース&スカイ社で荷物を受け取りバスでクライストチャーチに向かいました。ほぼ満席でした。
途中、数カ所で休憩しました。
 

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クライストチャーチの到着バス停は、バスセンターではなく、市センターからちょっと離れた所で、少し
あわてましたが、クライストチャーチと一度来ているし、大聖堂を聞けば大丈夫なので安心でした。
私は、すぐ聞き、迷わずホテルに着きました。
前の部屋より良いです。荷物を置いて、夕飯の買い物と散歩程度に出かけました。窓から外を見ると、
 
 
壁画を撮りました。
 
 
 
 
 
再建された児童公園、とても工夫された素敵な公園でした。
  
 
 
 
子どもの遊園地・ファミリープレイグラウンドはとても良くできています。地面は、転んでも痛くなくけがしないように
工夫された緩衝剤の床でした。噴水も自動ではなく、ポンプを自分たちで回します。
 
 
左:クライストチャーチギャラリー、右:The Piano Center for Music and the Arts      市議会
 
  
地震で傷ついてそのままの建物、補強工事で持ちこたえている建物、完全に壊れ更地となり、リストラクチャー
の工事が行われるなど、様々な風景です。
 
 
【12月16日終わり】
                      

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクック/レッド・ターンズ・トラック、テカポ湖・星空ツアー

2018年01月02日 | 2017ニュージーランド旅行

12月15日 目を覚ますと、マウントクックが朝焼けでした。   ハーミテージホテルの標高
 
しばらくすると、雲に覆われました。
チェックアウトは10時ですので、8時からゆっくりたっぷり朝食を食べました。
チェックアウトの延長は、1時間20$なので止めました。
9時半にチェックアウトしました。ドアの前に荷物を出しておけば、バスまで運んでくれるとのことですが、
そうすると出発前に荷物の詰め替えが出来ないので、レセプションに預けることにしました。
チェックインするとき丁寧に対応してくれた、フィジー出身Seokula さんでしたので、とても助かりました。
ホテルに隣接する『サー・エドモンド・ヒラリー・アルパイン・センター』を少し覗こうかと思ったのですが、
なんと有料で20$もするので止めました。
テカポ湖行きのバスは、14:30ですから、それまでは時間をつぶす必要があります。
午前中は、レッド・ターンズ・トラックに行くことにしました。往復2時間ですが、ガイドブックによると、
行きはかなりきつい上りの連続というので少し、躊躇したのですが、トライすることにしました。
クック山を背にして、反対側に歩きます。
VisterCenter これは立派で、ミニミニ博物館でした。しばらく見学し出かけました。
 
 
 
 
 
トラックの入り口、10:15でした。しばらく平坦な道を行くと、小川にかかる橋です。
 
橋を渡ると、急斜面と階段の道になりました。途中疲れ、振り返ると
 
しばらく行って振り返ると、眼下にクック村が一望できました。

ゆっくりした足取りです。ちょっと歩いてすぐ休憩を繰り返しながら、上りました。
 
曇りで、少し冷たく強い風が吹いています。今日は、手袋を持ってきました。体は熱く汗が出てきたので
一枚脱ぎ、一枚脱ぎでしたが、手は冷たいから。正解でした、でした。
ずいぶんと休み休みゆっくり上ったのですが10:45には着きました。
頂上の先に、赤い小さな池があります。このトラックの由来で、ターンとは小さな池の意味らしいです。
水の色が赤いのではなく、赤い植物が茂っているためです。


  
         右は、クック山にもあった案内板です。板に書かれた名前に合わせると、その先がその場所です。 
 
脇に小さい池もありました。
 
11:00には、そこを後にして、降りました。
上ったのは、真ん中の山のようです。
 
このトラックで出会ったのは15人ほどでした。きつい登り坂と階段に二の足を踏むのはわかります。
11:35に下に着きました。まだ、時間がたっぷりあるのでガバナーズ・ブッシュ・ウォークに入りました。
 
まさにブッシュで、所々に植物を紹介するプレートが置かれていました。
 
行きは緩やかな上り、帰りは緩やかな下りでした。ずっと日陰です。もっとも陽は差していませんが。
ここも45分の予定と書かれていますが、ゆっくり歩いたのに30分で終わりました。
12:15にはホテルに戻り、食堂で昼食を取りました。
アルパインセンターは、なんと20$、止めました。これは、エドモンド・ヒラリーさんが泣きます。

預けていた荷物を引き取り、パソコン作業をロビーでしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14:25発のバスでテカポに向かいました。バスは混んではいましたが、満席ではありませんでした。
クイーンズタウン発マウントクック・テカポ経由クライストチャーチは確か一日1本です。
時折、小雨がぱらついてくる最悪さです。今晩は、星空ツアーを予約しているからです。
日本語を話す添乗員が乗っていました。
ドライバーが英語で観光案内をし、日本語音声ガイダンスが付きます。私は、短時間ですので借りませんでした。
途中の景色は、これまでとはちょっと違って大草原と言う感じですが、写真はバスの中からはうまく撮れませんでした。
15:40テカポ着 バス停前に、スーパーがあり、その前にアース&スカイのオフィスがあります。
星空ツアーは、天候問題等があるので催行するか、ツアー開始時間は何時からなど事前にオフィスに立ち寄って、
直接確認することが求められています。
このままでは星は見えませんので、マウント・ジョン天文台を訪れ、スライドショウなどを見ることになりそうです。
ピックアップ時間は、夜の9:50ホテルレセプション前となりました。
申し込み時は、ピックアップ場所がオフィス前でしたので良かったです。
ところが、今晩泊まるホテルは、ロッジ風で、車使用者が使うモーテルで、バス停からかなり離れているのでした。
その間1kmほどで、急坂を上った所にレセプションがあります。
私が、車でないのに驚いた表情でした。私が安上がりで健康にも良いというと笑っていました。
ロッジはそこからさらに徒歩5分の所、私は一番入り口でしたが重いスーツケースを引っ張ってかなり大変でした。
オークランド、クイーンズタウンも急坂でした。
 
 
 
ワンルームの一戸建てです。結構広く、大きなダブルベッドと2段ベッドがあり、四人で使えば割安でしょう。
冷蔵庫、電子レンジ、食器などがそろっています。
キャンピングカーで来た人は、ロッジを使わず、供用のシャワー、トイレやキッチンを使えます。
大型スーパーがバス停にあるので、食材を買い、キャンピングカーで寝るスタイルも人気があるようです。
キャンプする人は、シャワーは10分2ドル、Wifiは1週間で2$です。
ニュージーランドは水道水を飲むことができるのでとてもいいです。
ホテルには、電気ポットや電子レンジがあるので温かい飲み物も不自由しません。
かなり人気で、にぎわっています。
部屋からの景色は素敵です。晴れていれば、部屋の中から満天の星を楽しめそうです。

スーパーで、夜の総菜と明日の朝食を買ってきました。早めの夕食をいただきました。
宣告までの雨模様が嘘のように晴れ、夕日もきれいでした。
 
 
テカポの町は、とても小さい町で、人口も450人ほど、しかしそのうち50人が日本人だそうです。
テカポは、晴天率が高く、「ダークスカイ・レザーブ(星空保護区)」に指定され、星空の世界遺産登録を目指しているそうです。
外灯も、出来るだけ押さえ、しかも下を向いています。テカポの天気はめまぐるしく変わるそうです。
人気が高まるにつれて、ホテルや観光施設の建築ラッシュも増し、環境と経済の矛盾が進行しているようです。
特に、自動車の夜間通行は大きな問題になって来つつあるようです。
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星空ツアー
テカポ在住日本人の小澤さんが作った「アース&スカイ」社が行うツアーです。150$と少し高いです。
夜9:50ピックアップ、まだ明るいです。この時、また少し雨が降っていました。その後3ヶ所のホテル回って、
総勢20名弱の皆日本人でした。一度オフィスに戻り、しばらく待機し、山頂の天文台からの電話を待ちます。
山頂は雲が多いが晴れ間があるので催行が決まりました。
希望者には、分厚いダウンのコートが貸与され、足下を照らす赤いランプが手渡されました。これはお土産です。
大型バスで、山頂に向かいます。天文台に近づくと、車のヘッドランプも消されました。
山頂に着くと、雲間が見る見る晴れ、50%ほどになり、少しずつ星々が見えて来ました。
その後、どんどん晴れ間が広がり70%程になったのではないでしょうか。
レザー光線を使って、星座などの説明が行われました。
偽南十字星や、真の南十字星やオリオン星座などくっきりと見えました。
色々星座の説明が行われたのですが、私は星座名には興味がないので全く覚えていません。
天体望遠鏡でいくつかの星座を見せてもらいましたが、私には余り興味が湧きませんでした。
中程で、ホットココアが出されました。天の川やマゼラン星雲なども見えました。
最後に、天文台に入りました。

私は、再三写真撮影をしましたが、ほとんど使い物にならないので廃棄しました。
最後に記念撮影が行われました。15秒か30秒ほど身動きしません。帰国後、無料でダウンロードできます。

ホテルに帰ったのは12時半頃だったと思います。また小雨でした。寒さは余り感じませんでした。
遅いので、シャワーはしないでウイスキーを少し寝酒に飲んで休みました。
私がこれまで星空で一番感動したのは、ピースボートで訪れた、ベネズエラのギアナ高地でした。
まさに満点の星とはよく言ったもので、天の川がカラーの川でした。
今回の、星空ツアーは、残念ながらそれにははるかに及びませんでしたが、昼、そして出発時には
小雨がパラついていたのですから、良し、です。 明日は、クライストチャーチへ移動です。 【12月15日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクック/フッカー・バレー・トラック

2018年01月02日 | 2017ニュージーランド旅行

12月14日
「待てば海路の日よりあり」と言います、今朝は早朝から晴れでした。
今日はフッカー・バレー・トラックのウォーキングを楽しみます。
一番ポピュラーで人気がある厳しくなく、特に良いのは、進む先にマウントクックがいつも見えることです。
朝の風景
 
 
7時に朝食をゆっくりたっぷりいただき、8時半にホテルを出ました。

マウントクックに向かって、細い1本の道がつながっています。
KeaPointoとの岐路 ホテルから20分、右に行くとフッカー・バレーです。 振り返るとホテルが見えます。
 
駐車場、シェルター(トイレ、キャンプ用の炊事場などがあります。)
 
ここまでは舗装されている道路もありますが、小道が整備され、このキャンプ駐車場に合流します。
Freda's Rock(1910年女性で初めてこのルートを開拓し写真を撮りました。) AlpineMemorial(ケルン)
 
                           Mueller Lake 9:25
 
第一の吊り橋(LowerHobs)


 
第二の吊り橋(Blulf) 9:50
 
 
途中に簡易緊急トイレが二つありました。       案内板(動かすと山の名前がわかります。)
 
第三の吊り橋(upper)10:25

ここから、最後の点までは徒歩5分です。10:30に到着




 
 
こんな小さい時から山に親しんでいるんです。   10:50出発
行きは、手袋が欲しくなるほど冷たい風でした。少し寒かったです。
遠くに見えるのは、ミューラー湖でしょうか。

                         吊り橋の下の私の陰
 
 
振り返ると

キャンプ駐車場に帰り着いたとき、12時頃でした。日差しがじりじり、今日は傘を差しました。大正解でした。
ところが、ここで私は、ミスをしました。
 
KeaPointに行くつもりが、が、Sealy Tarms Track の方に行ってしまったのです。
後15分、そこでランチにしようと思ったのですが、一向に着きません。すごい坂と階段になりました。
ここで道を間違えたと気づき少し行ったところで、ランチを食べ戻りました。
年寄りの爺さんが傘を差してサンドイッチを食べているので、不思議がって声を掛けてくれました。
後で調べたら、このコースは最も険しいコースでした。でも、赤ん坊をおんぶした若い夫婦も二組いました。
気を取り直して、15分のKeaPointへ向かいました。
湖を前に、セフトン山の氷河とマウントクックが見える絶景ポイントでした。
 

時々、氷河が崩れる音がしました。ベンチで隣に座っている初老の夫婦は英語ではありませんでした。
すいませんが、ドイツですかと聞くとそうでした。少しお話ししました。

すれ違った人と、マウントクックが、「人の顔に見えるね」と言い合いました。

ホテルに戻って、洗濯でもしようと思ったのに清掃が終わっていません。
ロビーで写真をパソコンに取り込み編集していたら、眠ってしまい、編集がボツになってしまいました。
4時になったので部屋に戻ったのですがまだ清掃が終わっていませんでした。
夕焼けのマウントクックでした。



マウントクックとつきあった一日でした。明日午前中はここで、その後、バスでテカポに向かいます。
【12月14日終わり】                                    

ニュージーランドの旅。総集編・マウントクックへ移動/マウントクック

2018年01月01日 | 2017ニュージーランド旅行

12月12日
クイーンズタウンからマウントクックへ移動。今日は大変な一日でした。
クイーンズタウンの長距離バス発着ターミナルには、7:10に着きました。
しかし、予約していた7:30発のバスが来ません。 来るバス来るバスに予約券を見せたのですが、違うというのです。
何かの事情で遅れているのだろうと思っていました。とうとう7:30を過ぎたので待機しているドライバーに
聞いて見ると、バスはもう出発したというのです。
私は、彼に、乗り遅れたのでバス会社に電話してくれますかと聞くと、彼は親切にも電話してくれました。
すると、何と私の予約はキャンセルされているというのです。
何か方法を教えてくださいと彼に頼むと、電話してくれ、次のトイレ休憩のところで合流できるかもしれないと、
言うのです。そして発車直前のクライストチャー行きのドライバーに乗せていってくれと頼んでくれました。
このバス、たまたま席が2つ空いていたので乗ることが出来ましたが、満席ならタクシーを使うしかありません。
30分後、見事に合流できました。このバスは、席が三席空いていたので乗ることが出来ました。
インターシティの系列のGreatSightsと言うバス会社で、日本人の添乗員が乗っていました。
彼女が言うには、私の名前は載っていないし、これ以降の私の予約は全てキャンセルされていると、言います。
私は、4月頃からホテルやバスを予約していて、いずれもキャンセルしたことはありません。
途中から、二人乗ったので、残っていた一つの座席だけです。ラッキーと言うほかありません。
私は、余裕も出来て、その添乗員さんにマウントクックを背景に写真を撮ってもらいました。

マウントクックへは12:15着予定でしたが、着いたのは1時でした。
マウントクックは、Hermitageという豪華ホテルに3泊します。
1泊2万円以上もする上に、朝食はバッフェ式で30$、インターネットは1日5$、しかも、ADSL並みの遅さなのです。
近くに、スーパーなどなく、食事はすべてこの高い施設を利用しなければなりません。
チェックインは直ぐ出来ました。  ホテルに隣接するサー・エドモンド・ヒラリー・アウパイン・センター     
 
ヒラリーさんの銅像
 
私は、部屋にも入らず、ホテル内のアクティビティディスクの所にまず向かいました。
キャンセルされているバスの予約をしなければなりません。そこには、日本人スタッフがいました。
私は、事情を話し、私のバスの予約がキャンセルされているかを電話で問い合わせてほしいと頼みました。
彼女は、連絡を取ってくれました。なんと、残りの3枚の予約はキャンセルされていませんでした。
大安堵して、ホテルのレセプションに戻り、朝食や夕食の予約などをしました。
 
 
部屋は、広く、テラスもあり、バスタブもありました。冷蔵庫はありますが、電子レンジや洗濯機はありません。
私は、持参したサンドイッチなどで昼食を取り、PCでメールの確認や送信などをした後、
ホテル周辺を少し散策しました。明日以降時間があるので、すぐ部屋に戻り、日記やブログを作成しました。
なぜ私のバスの予約がキャンセルされたか、調査はしませんでした。
眼前の景色は、雄大です。
 
【12月12日終わり】

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12月13日
今日は、朝から強くはないが本格的な冷たい雨、しかも気温は12℃ほどです。
こんな感じです。
 
午後から、氷河見物のクルーズツアーを申し込んでいました。午前中は近くを散策するつもりでしたが、雨なので
ホテル内でのんびりすることにしました。朝食は、30$バッフェ形式です。
メニューには、海苔巻きなどもありましたが、実際はなく、おかゆや白米、味噌汁と納豆があるのには驚きました。
味付けは、塩気が強く、ソーセージなども独特のハーブの癖のある味でした。
野菜サラダの種類は、少なくがっかりしました。レタス、キャベツ、オニオン、キャロット、ブロッコリー、セロリなど
お決まりのものがありませんでした。
日本人が3分の一の感じで、中国人が少しいて、非アジア人は少なく感じました。
Wifi事情は全く悪いです。ホテル滞在者が少なくなった時だけ、何とか普通の半分くらいの速度で作動しますが、
使用者が多いと思われる時間は、ADSL以下でしかも時々切断してしまう状況です。
このHerimitage ホテルは豪華で有名ですが、室内設備も古く、あちこち痛みが生じています。
部屋の照明が暗いのが昔のホテルであることを示しています。
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防寒と防雨の重装備をしてツアー集合場所のホテル内のアクティビティディスクに向かいました。
今日予定していた『氷河ボートクルーズ』は中止と告げられ、残念やら、反面ほっとするやらでした。
午後になって雨は小振りになりましたが、いつ豹変するか分かりませんから、中止は妥当でしょう。
部屋に帰って、装備を解いて、明日の天気予報を調べると、晴れ時々曇り、明日の計画をたてました。
今日は一日中ホテルの中かと、あきらめかけた、3時頃、急に完全な晴れ間になりました。
思い切って外に出て、明日のフッカーバレーへの道の入り口を探しました。
15分ほど歩きました。雄大な裾野の中を一本の狭い筋が山に向かっていました。
先ほどあれほど降っていたのに、道はぬかるんでいませんでした。
途中で、気温が高くなり暑くなったので、ホテルに戻り、売店で明日の昼用のサンドイッチを買いました。
市街地では5$のが7$でした。この程度なら許せます。
薄着に着替えて、今度はホテル周辺を歩きました。
Chaletsロッジ            子ウサギが死んでいました。 雨で体温が奪われたのでしょう。
 
ハーミテッジホテル裏側              アルペインロッジ
 
ガソリンスタンド                 そしてなんとスポーツジムもありました。
 
スポーツジム
 
プライベート地域、マウントクックレッジ (地域住民の集落)
 
Public Shelter
 
Motels Lodge
 
 
そして小さいながらも小学校もありました。メインと遊具のある校舎
 
  
この頃、サザンアルプスのシルバーホーン山山頂の雲がすべてなくなりきれいな頂上群を見せてくれました。
 
野兎が私の足音に驚いて逃げ回ります。
 
バスの中で、道路上にはねられて死んでいるウサギを沢山見ました。ウサギは、直進のみでバック出来ないようです。
10分後、天候は急転、あっという間に曇りだし、すごい雨が降り出しました。
私は、雨具を用意してこなかったのですが、ホテルに戻りかけていたので、少し濡れるだけでホテルに駆け込むことが
出来ました。みるみる気温が下がりました。
あぁ、遭難する時ってきっとこんな感じなんだろうなと、山の怖さを感じました。
ホテルの窓から外を見ると、 でした。
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明日早朝から往復5時間のフッカーバレートラックをした後、今日中止となった午後1時40分集合の氷河ボートクルーズ
ができるかもしれませ。しかし、トラックで道を間違えるなど、何があるか分かりません。
ここは無理をせず、申し込みはしないで、このツアーはあきらめることにしました。
3000mを越える19のピークと多くの氷河によって形成されるサザンアルプスは、年間4000mm、年150日の降水日数
だそうです。マウント・クックの頂を見ることは難しいと言われているそうです。
10年前、私がニュージーランドを訪れた時も12月のクリスマス頃でした。私はヘリコプターで氷河を空から見、
氷河に降り立つツアーを申し込んでいたのですが、やはり悪天候で中止でした。
明日晴れて、雄大なマウント・クックに抱かれてトラックできるだけでヨシです。
この夜、私はレストランで、ステーキだけの1品でしたが、高い食事を奮発して予約していました。
ところが、席について45分後にやっと料理が運ばれてきました。
私が、不機嫌な顔をしていると、日本語を話せるスタッフが来て、「デザートをサービスします。」です。
私は、もうあきれて「結構です」と断りました。肉はおいしかったですが、怒っていたので全体はまずかったです。
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[ちょっと休憩]
一人旅?」と、怪訝顔で時々言われます。やはり、一人旅はかなりの変人と思われています。
おそらく、一緒に行ってくれる人がいないとか、わがままだからと思われているからでしょう。
私は「日蓮宗徒」ではありませんが「同行二人」の言葉はなんと安らかでしょう。
一人旅は、当然良い面もありますし、悪い面もあります。
今回の旅で、私がした失敗やミスは人と一緒ならしなくて済んだものかもしれません。
しかし、負け惜しみで言うとそういう失敗やミスだって旅の一面さと敢えて言うこともできます。
日本ではしないだろう失敗を海外ではたくさんあります。
一番は、交通です。電車に乗り遅れるとか、反対方向に行ってしまったりとかは日本でもしますが、
日本ではその対処は何とかなります。でも、外国ではそうはいきません。
日本には、交番と言う便利で親切なインフォメーションもありますし、日本のコンビニほど安くて
便利で親切なお店は外国にはありません。外国にもコンビニはありますが、日本のように総菜から
お酒まで売っていて、ほとんど町中にあり、しかも最近はトイレまであり、困ったときは店員に聞くと
親切に教えてくれるというのは、おそらくお店と言う範疇を超えて、ある種の有用な社会システムに
なっていると言えると私は思っています。
また、時間通りの日本の近距離、長距離の交通システムも素晴らしいものです。
日本でも、市バスを乗りこなすのは簡単ではないですが、ほとんどの日本の公共交通機関では、
行き先、今どこを走っていて、次はどこに止まるかなどの情報がうるさい程提供されます。が、
外国ではそれらがほとんどない場合が多いので、とても神経を使います。
今回、私は、パソコンは持参しましたが、スマホやタブレットはそもそも持っておりません。
私には、パソコンは必需品ですが、街中で使うことはできません。
今回ほど、タブレットやスマホの必要性を感じたことはありません。
位置情報と連動した地図検索、バスの路線や発着時間、停留所位置などの路線検索、そして翻訳機能は
ぜひ欲しかったです。
時間があって、ホテルで事前に調べるゆとりがあればいいのですが、街中で「困ったときはスマホ頼み」
かもしれません。
私が、道に迷って人に聞くとき、地元の人でも、以前は「知らない、わからない」が多かったです。
地元の人でも、小さなホテルや地元の人が気にかけない教会など知らないのが当然ですから。
それが今回は、住所と名前がわかればスマホで検索して教えてくれるのです。
スマホを持っていれば、自分で検索して迷うことは少ないかもしれませんが、そうすると
現地の人と話す機会はますます少なくなります。道に迷って人に聞いたり、バスに乗ったり、
チケットを自分で買ったりなど、ささやかでも現地の人と言葉を交わすのは、やはりヨシとしたいです。
英語について
通常、ニュージーランド人の会話はすごく早く、私にはほとんど聞き取れません。
私は英語がうまく話せません、と一言断ると、にっこりして非常にゆっくり話してくれます。
パードンも2、3回までなら大丈夫です。そして最後に「あなたの英語は良いですよ。」と言ってくれます。【12月13日おわり】