風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

鶯谷~西日暮里①

2007年03月29日 | ウォーキング
鶯谷~西日暮里 2007/3/26



赤線は、歩いた道ではなく、歩るいただいたいの範囲。
南北1.5km、東西1km位の本当に狭いに、まさに庇を連ねるように沢山の寺院があった。決して小さくはなく、境内の手入れも行き届き、
特に浄名院=八万四千体地蔵は境内、地蔵だらけでとても素敵な古刹であった。
これまで寒かったので、暑いくらいで春の上着も脱いで、久しぶりの歩きであった。

東京国立博物館裏・寛永寺の別院か
100m×150mほどのブロックに寒松院・見明院・福聚院・元光院など12の院が並ぶ。
寛永寺はとても大きい寺で、僧侶も沢山いて彼らが家族と住んだ後ではないか。


国際子ども図書館[こんな立派な施設があるとは全く知らなかった]


鶯谷駅前は全部寛永寺の墓地だ。
徳川綱吉霊廟勅額門


寛永寺

寛永寺は流石に大きい、
左:入り口、右:本堂[間口奥行きとも7間・7.4m]、
本堂の真ん中・左の白いのは人である、建物も大きく、境内は広いが、境内は草木も少なくおもしろみなく殺風景。
一角で幼稚園を経営していた。

虫塚[とても珍しい名前の塚だ、虫ですら弔い供養し慕う]


浄名院=八万四千体地蔵

左:六地蔵巡りの第一地蔵、背景は地蔵群。
写真ではよくわからないが、境内はほとんどが地蔵、地蔵だ。

左は六地蔵巡りの六地蔵、右は水子地蔵。
本堂も公開されていて[入れないが]、

浄名院、お薦めスポット 、とても気に入りました。
もう一度訪れてのんびりと沢山のお地蔵さんを見よう。

大雄寺:しだれ桜がもう満開で、
高橋泥舟[維新の三舟と言うらしいだ私は知らない:勝海舟、山岡鉄舟]の墓があった。


一乗寺大行寺仏心寺

妙泉寺

貧乏かえる像、という。漫画オバタリアン・ファミコン桃太郎電鉄の悪魔に顔が似ていて思わず撮った。

妙福寺延寿寺

谷中蓮華寺[六三除去対立寺]


領玄寺
しだれ桜がとてもきれいだった。


宗善寺[真宗大谷派・護憲九条守ろうのポスターや横断幕があちこちに]


大名時計博物館[旧勝山藩下屋敷跡]

残念ながら冬場はお休みで入れず、4月1日から開場とのこと。

玉林寺


本寿寺瑞松寺

臨江寺


碩神禅寺本妙院久成院正行院

日本美術院


躰仙院浄延院

瑞輪寺

右手前から久成院、正行院、躰仙院、浄延院、後方のビルは学生僧の寮、
この通りの先は瑞輪寺、躰仙院の対面に日本美術院

法蔵院金嶺寺

自性院[愛染かつらゆかりの地、だとか]


大泉寺長久院感応寺妙雲寺

多宝院[谷中吉祥天]


総持院

飯匙祖師堂[江戸十大祖師安産しゃもじの祖師]

包丁塚


観智院[初音幼稚園]永久寺明王寺龍谷寺本通寺天竜院

余生庵
円生の墓

弘田龍太郎[童謡:春よ来い、叱られて等の作曲家]

山岡鉄舟の墓

松本楓湖の墓

そして巨大な


福相寺
妙法寺


妙円寺


長久寺立善寺

お豆屋さん[間口1間、奥行き1間ほどで、豆だけを売っていた]


大国寺

鈴木春信[江戸時代の錦絵画]の碑


谷中小学校


養泉寺常在寺功徳林寺長安寺

了ごん寺

筑地塀[古瓦を泥で敷き詰めて塀にしている]


みしま地蔵尊[東京大空襲でこの地一帯で70人ほどが死んだという]


東京成田山別院


岡倉天心記念公園[旧宅跡]

岡倉天心像[上の建物の中にある]


宗林寺・浄行菩薩像[法華経の教えを広め、人を救う菩薩]


長明寺

右下に自転車に乗った子どもがいる。

本授寺
谷中銀座


延命院[幹回り7.55mのシイの木]


経王寺


本行寺[日暮里駅真ん前にある]

左赤丸:一茶の碑「陽炎や道灌どのの物見塚」、右赤角:三頭火碑「ほっと月がある 東京に来ている 三頭火」

啓運寺

養福寺[とてもきれいだ]


法光寺修性院

浄光寺[雪見寺]
江戸六地蔵の一[江戸六地蔵は他にもある、浄光寺再建の際に造られたもの高さ3mほど]


諏訪神社[大きな神社]

銭降稲荷神社という珍しい名前の神社は、京浜東北線から見える小さな神社。

高村光太郎の碑“正直親切”[第一日暮里小卒・さくら門前にある]


青雲寺

滝沢馬琴の碑


延命地蔵


容量が多くなったので、②に続く。

鶯谷~西日暮里②

2007年03月29日 | ウォーキング
鶯谷~西日暮里②続き 2007/3/26
容量が多すぎてしまったので、続きとした。

西日暮里は、30年前に住んだことのある懐かしい町だ。
窓を開けると墓地で、陽のあたらない、じめじめしていたが、気に入っていた。
私の記憶力は驚くほど悪く、どこで買い物したのか、銭湯はどこだったか、などまるで記憶になく、今回もじっくり探したのだが、どこだったのか全くわからなかった。
当時は路地も狭く、日暮里に向かう路地は両側が黒塀で、長屋も多かった。
有名な落語家が長屋住まいと言うことでも有名であった。
テレビなどで何十年も前の町並のことをしっかりお話しする人もいる、すごいことである。
見えた墓地は、果たしてどこの寺だったのだろうか。
駅前の西日暮里公園も登ったことがない、どうも日常的生活が希薄だったのかなぁ。
きっといろんなことに余裕がなく、生活そのものを楽しむなんて発想そのものがなかったんだろう。
別のことに一生懸命だったのだろう。

イスラームのモスク、キリスト教の教会などは、信者が日常的に集うようだ。
神との出会い・交流はおそらくその場でなくても出来るとは思うのだが、人々は集まり、そこで自分が信じ・信仰する神=絶対者と向き合い、交流する。
おそらく昔の仏教の寺院もそうだったのではないだろうか。
本尊・菩薩・地蔵、仏と向き合い交流していたのではないだろうか。
今日の仏教の寺院はそれとはかなり異なり、葬式・法要などのあまり日常的ではないできごとへの関わりに限られてきたようになったように思う。
日本に仏教が渡来したときも、民衆に広まったのではない。
時の支配階級が民衆統治・支配の道具として、宣伝・流布された。
それまでのすべての宗教・呪術・信仰は一掃されたのではなく、こちらの方が強かったはずだ。
民衆は表向きは仏教に帰依したかのような素振りであったか、共存=両方信じたか、内容によって使い分けてきたのではないだろうか。
今日でも身の回りにあようだ。
神と言ってもそれは決して神道ではない。
大きな寺や神社には、社は一つではなく沢山の神社が共存している。
明治時代仏教は弾圧され、仏教はその生き残りのために境内内に神社を造ったのかもしれない。
とまれ、日本では仏教・神道が混在している。
そして、仏教も広義の神教も多神教。
イスラーム教もキリスト教も元はユダヤ教で、それらは絶対神=一神教だ。
古代ギリシャ・古代ローマは多神教であった。
古代ローマには夫婦喧嘩の神まで存在したと言うから私には楽しい。

古代ローマ人の死生観には、無理してまで長生きしない、避けがたい死が近づいた時は、自ら食さず餓死=衰弱死を選ぶこともあり、それは悪ではなく良きこととされていたという。
そのためきれいな水を確保・保障し、入浴して体を清潔にし感染症を防いだという。
そのことを過日妻に話したら「あなたは人の食べ物まで奪って食べて長生きするわよ」であった。
私は、日本的仏教の教えに近しさを感じはするが宗教・仏教の信仰はない。
人は無意識のうちに仏の力に導かれているとの日本的他力本願の考えなどは、一神教の神に近いのではないだろうか。
「神の思し召し」と言う思想だ。
いずれにしろ、これほど沢山の寺社が存在しているのは、人々の信仰があるからだろう。
今回いろんなことを考えながら歩いた。
楽しいウォークだった。





3.21反戦集会

2007年03月24日 | 学習
武力で平和はつくれない イラク占領まる4年 WORLD PEACE NOW 3.21 
    
3月21日 日比谷野外音楽堂 13:30、パレード出発15:00 銀座コース
■発言:奈良本英佑(法政大教授)、郡山総一郎(ジャーナリスト)、藤屋リカ(日本国
際ボランティアセンター)、櫛渕万里(ピースボート事務局長)、加藤泉(原子力空母の
横須賀母港化を止めよう神奈川実行委員会事務局長)/ピースコンサート:「寿」
2000~2500人、


ブラッド・ダイアモンド

2007年03月20日 | 映画
ブラッド・ダイアモンド
2007/3/19:NTTコミュニケーションズ主催の試写会・中野サンプラザ



期待はしていなかったが、やはりというかB級の上映画。
アカデミー賞5部門ノミネートと前評判だが、アカデミー賞なるものはそもそも全くのインチキとしか言いようのない代物。
ノミネート=良、と言うことでは決してないのだが、騒がれると一見したくなる。
『硫黄島からの手紙』は、『父親達の星条旗』とテレビ広告で予想がついたので流石に行かなかったが。
ストーリーのディティールについて文句を言ってもしかたないのだが、
二人の主人公が絶体絶命の危機を、激しい戦闘を何度も生き抜いたり、
そのくせ、敵側=非政府軍や傭兵部隊は野心と暴力の残虐さだけで、細心の警戒心もないし・その間抜けさぶりなどは、愛敬としても、
ソロモンがたまたま見つけたピンクのダイヤをいとも簡単に監視の目を盗むことができ埋めることもできる、
その地は内戦の戦闘が激しく何の目印もないその場所にほとんど難なくたどりつき、
ダイヤを掘り返し・奪い返してしまう。
おかしいのは、埋めた時は素手で10cmほどの深さに埋めたのに、掘り出す時はスコップを使ってもなかなか出てこない深さにはあれあれ。
掘り出した後、いとも簡単にイギリスに運び込んでしまう
[ここまでに時間を使ってしまったので、アーチャーが死んだ後は“あっ”という間にストーリーが展開し終わってしまう]、
主人公の男女が簡単に恋に落ちてしまう、
など、あまりに無理が多い。



それにしても2時間半は長すぎる、ストーリーに関係ない戦争戦闘シーンなどははらはらドキドキのためとしか思えない。不要だ。
問題を、ダイヤ利権・少年兵問題・内戦・食料援助問題などあれもこれも入れたいとの思いはわかるのだが、編集・ストーリー展開が荒っぽすぎて、後一・二カット入れた方がわかりやすいと思うか所で、パッパッとシーンが変わってしまいのがいくつかあった。
結局、生き抜き、勝利するのはソロモン、つまりは家族愛、というわけ。
家族愛で生き抜けるならこんな悲劇はない、
どんなに家族を愛していても悲劇は、出来事はそんなこととは無関係に容赦なく残酷に襲いかかるのであって…。
そもそもこの映画のモチーフはそんなとこにはないか。
主人公のアーチャー[ディカプリオ]の役は宝石の密売人なのだが、悪人に徹しきれないのだ、マディーも騙し・利用し、最後にダイヤ発掘者のソロモン親子を殺し、追っ手を皆殺しにして見事に逃亡し、“TIS=This is Africa”と煙草をくゆらす方がよい。あるいは、その後巨大な組織から密かに抹殺される、と言う展開の方がいい。

先進国は、これまで、アフリカをさんざん食い物にし、侵略・略奪し放題であった。
奴隷・象牙・毛皮・石油・ダイヤ・金。
特に奴隷については先進国は果たしきれない責任を負っている。
アメリカの今日の礎を築いたのは彼らであり、彼らなしに今日のアメリカはない。
象牙・絶滅危惧種などについて今日欧米諸国はもっともらしく保護を言うが、
これまで、そして今も地球環境を破壊し生物を絶滅に追いやっているは彼らではなかったのか。

この映画も、少年兵問題・ダイヤの密輸問題・アフリカの食料問題を確かに問題提起しているが、それらはどうも付け足し、つくづくアメリカの商業映画のうすぺっらさ、ヒューマニズムのいやらしさに嫌気がさす。
娯楽映画であるならそうした問題はもっと付け足しというか、背景であって良いのに、「いかにも」って感じがヤなんだな。
この映画はデカプリオのための映画なのだから、そこにもっと工夫と力を注げばいいのに。
ダイヤの密売の真相を追うジャナリスト・マディーのジェニファー・コネリーはとてもきれいだが、彼女がどうしてアーチャーに恋してしまうのかはご愛敬として、
ベッドシーンがなかったのは何より良かった。

中野サンプラザはとても大きい、2000人以上入るようだ。
7分くらいの入りだろうか、試写会としてはかなりの盛況で、開場時には長蛇の列だった。
スクリーンは意外と小さい、これは映写機が2階席にあるからか。
右後方の席に座ったが、スピーカーが近かった。
右後方からサブ音声が聞こえるはとても良いのだが、
効果音がどうもステロタイプでまたやたら大きいだけのような気がする。

寒い日が続いていてウォーキングする気がおきない。





王子~赤羽を歩く

2007年03月03日 | ウォーキング
王子~赤羽を歩く2007/3/3

JR上中里駅から歩きだした。



                  
  


西方[上中里]不動尊
 

平塚神社[源義家祀る]
 

城宮寺
 

東京ゲーテ記念館
 
 左白い建物がゲーテ記念館[土曜は休館]、
 信号右はゲーテ・ポケット・パーク、レリーフやゲーテの詩のモニュメントが。

西ヶ原一里塚
 
 道路は本郷通り、右手前に滝野川警察署、その脇を通りしばらくすると
七社神社
 

妙見寺
 

◎飛鳥山公園内
  渋沢家庭園
   

  兜稲荷社跡[渋沢家庭園隣接]
   

  渋沢資料館[渋沢家庭園前]
   
  平和の女神像

  北区飛鳥山博物館
   
   今日は見学しなかった。

  児童公園
   

  紙の博物館
   
   以前来た時は違う場所にあって今にも壊れそうな建物だったと記憶するのだが。
   児童公園のSLの向こう側にある。
  【渋沢資料館・飛鳥山博物館・紙の博物館】の三つは隣接している。

音無橋交差点を通る東京で唯一の“都電”
 

王子神社
 
境内に、髪の祖神[関神社]
 
 毛・髪と言うよりカツラを祀っているようだ。
 何でも祀ってしまうのだから面白い。

音無川・橋
 

正受院
 
 左は正受院の鐘楼門、右は滝不動[脳病をや和らげてくれると言う]、この右奧には水子地蔵[別名赤ちゃん寺と言うそうだ] 何人かの参拝者がいた。


音無さくら緑地の緑の吊り橋
 

金剛寺[源頼朝布陣伝承地]
 

願徳寺
 

王子稲荷神社
 
 この階段の右は、いなり幼稚園で、幼稚園の入り口は神社の門。
 右は、狐穴神社[階段上って右奧上]

金輪寺
 

名主の滝公園
 
 左は入り口、中は女滝、右は男滝、この他独鈷の滝、湧玉の滝とある。
 敷地はけっこう広い、敷地内に老人いこいの家もある。

地福寺
 
 とても手入れが行き届ききれいだ、右は母娘遍路像・88番札所。

真光寺
 

十条冨士塚{冨士神社}
 

篠原演芸場[都内には大衆演芸場は二つ{ここと浅草大勝館}しかない、その一つ、東京で最も古い歴史を持つ]
 

西音寺
 
 檀家以外立ち入り禁止とあった。

清水坂公園
 
 左:自然ふれあい情報館、左白い建物:清水小学校、右:老人ホーム

鳳生寺
 
 広い敷地であった。

法真寺
 

香取神社[法真寺に隣接]
 

普門院
 
 敷地があまりに広く、入り口がわからず一週してしまった。

静勝寺
 
 地図ではここは稲付城跡地となっているのだが、その説明文は見あたらなかった。

亀池弁財天
 
 次の宗泉寺を探してわからず迷ってふと行き当たった。

宗泉寺
 
 ここから赤羽駅はすぐ近くだ。

王子・飛鳥山はいろいろの思い出がある。
20年以上も前、保育園の遠足が飛鳥山公園だった。児童公園の円形滑り台で子ども達が喜んで滑っていた。
そのころは展望台もあったが、現在はなくなった様だ。
花見も何回かしたことがある。
渋沢資料館方面の桜は鬱蒼とした桜というイメージである。

『名主の滝公園』近くに、自衛隊十条駐屯地がある。
そこは1960年代末、ベトナム戦争で死んだ米兵の遺体をきれいにして本国に送還するために、また米兵の治療のため“王子野戦病院”として使われた、という。
激しい抗議デモが行われた。

都内では唯一の路面電車=都電も走る。
数年前に地下鉄南北線が開通し都心に一直線、田舎のイメージもだいぶ変わった。

王子から、東十条・赤羽に入ると急に道が狭く入り組み、急勾配の坂・階段、しかも車も通れないほど狭い。
寺社の入り口は地図だけではわからない。
この感じは横須賀に似ている。
急坂をさっそうと下ってくる自転車。帰りはどうするのだろう。

出かける時は曇っていたが、出かけた。
曇っていたが暑いくらいで、途中で上着を脱いだ。
前回の反省で、今回は歩き急がないで、ゆったり見た。
R京浜東北線西側・南北6kmほどの狭い所なのに道の感じがすごく違うことがとても印象に残った。
寺社を目印に歩いている。
その数はかなりある。
しかし、そこを訪れている人は決して多くはない。
ほとんどの寺では本堂内・ご本尊は開放されていない、見ることはできない。
檀家以外は出入り禁止という寺もある。
イスラームのモスク・キリスト教の教会、仏教の寺との違いのようなものを感じた。
一神教とは違う多神教=外れクジ・カツラまで神とする、その中で特に多いのが稲荷で、狐信仰は民衆のどんな生活慣習から生じるのだろう、と強く感じた。



飯田橋~新宿/2007.2.27

2007年03月02日 | ウォーキング
飯田橋~新宿/2007.2.27 新宿山手七福神一部[鬼王神社・太宗寺除く]





神楽坂若宮神社

ほとんど理科大キャンパス内と言って良い。

善国寺[新宿山手七福神・毘沙門天]


筑土八幡神社

庚申塔・雌雄の猿と桃の木の庚申塔は珍しいという


安養寺[左階段の上に大仏薬師堂がある]


南蔵院


袖摺坂


大信寺 正定院 円福寺

竜門禅寺

右白いノボリは身代わり地蔵

正蔵院 清隆寺

赤城神社

右ノボリは出世稲荷
神楽の白梅


宗相寺

右の虹色の碑は・ペット虹の橋

済松寺


宗源寺 竜善寺

宗参寺

山鹿素行の墓[本堂左、右奧]

苗木南春寺


多聞院


浄輪寺
江戸時代の数学者関孝和の墓


緑雲寺


宗門寺


経王寺[新宿山手七福神・大黒天]


常楽寺

柱の奧の一・二階が寺でその上14,5階の高層マンション
塀に隣接して地下鉄大江戸線牛込柳町駅、その右隣に
瑞光寺


幸国寺


法身寺

「鉄道唱歌」作詞・大和田建樹がこの寺で最晩年療養したという。

宝禄稲荷[外れクジ供養の稲荷とは何とユニーク]


積徳寺 専行寺 常立寺 専念寺

大竜寺

左下モニュメントは若き日の道元が道端のキノコに説法している所。

常泉寺[大竜寺隣]


宝祥寺


感通寺

建物の前・左隅石は、大阪万博で展示された“さざれ石”だとか。

本松寺 妙泉寺 

清源寺


大願寺

厳島神社[新宿山手七福神・弁財天]

小さな神社で社務所は無いが、宮島厳島神社のように三方水路で囲まれている。

専福寺


法善寺[新宿山手七福神・寿老人]=写真は失敗した。

西向天神社

大きな神社で、境内に『新宿の女』の歌碑があった。

花園神社

不思議な神社である。当たりは新宿の繁華街なのに人はほとんどいない、写真の前方は工事用パイプ様で囲まれて立ち入り出来ない。故無く立ち止まってはいけないとの無粋な立て看板、ホームレス対策かなと思われるが、大きく立派な神社なのに。
境内に『圭子の夢は夜開く』の歌碑があった。

すぐそばに伊勢丹・三越、そして新宿駅。

ちょっと欲張りすぎたかもしれないな、新宿山手七福神のうち鬼王神社・太宗寺は回りきれなかった。
大都会繁華街を歩いた、特に常楽寺・瑞光寺は象徴的・衝撃的だった。
超高層マンションの一、二階一部が寺の本堂で、そのすぐ脇は地下鉄の駅、そのすぐ隣は寺だった。
大きな寺社[済松寺の境内は広大であった]ではなく、個人経営のような感じの小さな寺社が多かった。
かなりモダンな感じな建物も多かった。
それは、新宿という土地柄なのか?
かなり省略して回ったのだが寺はとても多かったように思う。
江戸時代は、この界隈はだいぶ郊外で寺社町だったのかもしれない。
神楽坂は昔「置屋」街だったそうだが、それは江戸時代なのか、明治時代なのか。
歩いた所は全部が超高層マンション・高層ビルの繁華街ではなく、どことなく下町風の街の方が多かったのではあるのだが。
でも、やはり公園・緑地は目に入らなかったほど少なく感じた。