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風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ドイツの旅28/フランクフルトから帰国

2016年07月09日 | ドイツの旅2016年

オレンジジュースのセルフスムージー、野菜・果物は1個から量り売り
6月6日 ベルリンからフランクフルトに移動
12:21発、16:44着 通常135ユーロの所早割りで半額の63.25ユーロ、しかも1等車でした。ホテルは、フランクフルト中央駅の目の前、150mのミュンヘナー・ホフホテル、5415円でした。

窓から、フランクフルト駅(右の丸屋根)が見えます。 真ん前に1ユーロショップが
 
帰国は、6月7日、12:10の飛行機です。ベルリンからではアクセスが大変なので、前日にフランクフルトに来ました。しかし、最後にまた大きなミスをしてしまいました。ベルリンからの電車は昼過ぎなので、観光に出ないでホテルでのんびりと写真などの整理をしたのですが、私の腕時計のヒューズがずれて時計が止まっていたのです。11時頃に気づいて慌ててホテルを出立したのでした。ベルリン中央駅はすでにわかっているので、慌てることはありませんでした。最悪の場合は、次の電車に乗れば良いと思いました。事情を話せば、早割切符でも乗せてくれると思いました。ドイツの特急は、自由席もありますし、指定席も空いていれば座ってOKですから。フランクフルトでも観光はしないで、スーパーでお土産のチョコレートを買ったり、ホテルの前の1€ショップで孫達のお土産を買いました。結構面白いグッズもあり楽しみましたが、幼子の喜びそうな物は見当たりませんでした。ホテルは大通りに面し、駅に近いので、夜遅くまで路面電車と酔っ払いの声が聞こえました。-----ドイツのスーパーの様子。日本のスーパーよりはるかに「エコ」の感覚が進んでいるように思いました。冒頭の写真のようなオレンジジュースのセルフ絞り器には驚きました。容器は別売ですが、持参することもでき、トマトなどの野菜や果物なども1個でもレジで量り売りで買うことが出来ます。また、私はサラダバーも連日のように使いました。好きな野菜をパックに詰め、好きなドレッシングを掛けてレジの秤で重さを量ってくれます。100g1€ちょっとだった思うのですが。パンコーナーは扉を開けて自分で袋に入れます。
 
パンスライサー、私は使いませんでしたが…。 ペットボトルなどの回収機、おそらく目方ではないでしょうか。
 
ホテルでは、飲み終わったペットボトル容器をゴミ箱に捨てないと持って行きません。まだ客の物だからでしょう。わずかな額だとしても、その「徹底さ」に私は、少し驚きを覚えました。容器は値段に含まれているようです。レシートのような物が出てきてレジで料金から引いてくれるようです。街、駅、特に観光地では大きなビニールバックを手に、ゴミ箱からペットボトルを回収する多くの人を見ました。ちょっと語弊がありますが、日本のような大型普通スーパー、デパート地下のちょっと高級観のあるスーパー、そして下町の大量商品スーパー、そして個人商店のミニスーパーの4種類のスーパーがありました。食品スーパーの他に、日本のマツキヨのようなドラッグスーパーもたくさんありました。ここは、日常使う石けんなどの日用品や高級ベビー用品、ちょっとした食品もありました。車で行くような日本の大型ショッピングモールがあるかは分かりません。--------6月7日フランクフルト空港12:10発、羽田着6月8日午前6:35 行き帰りとも、日本で座席を希望できたので最後尾の席にしました。私は真ん中の3座席の列の右端でした。左端は使用禁止で、真ん中は空席でしたので、窮屈でしたが少し横になれることが出来ました。出発は日本の深夜、ドイツ着は早朝の直行便を選びました。26万円とかなり高い料金でしたが、飛行時間が11時間ほど、時差の関係では、それが私の体には良いと思ったからです。ドイツへは直行便以外にももちろん複数のルートがありますが、トランジットやトランスファーにすると24時間以上かかる便が多いからです。もしヨーロッパを訪れる次ぎの機会があるなら、ビジネスクラスが良いかなと少し弱音も覚えました。2機内食がでました。 ウイスキーとワインをもらい寝酒としました。
  
~~~ さて、今回のドイツの旅は出発日時を間違えるというとんでもない失敗から始まりましたが、全体とすれば「良」です。ミュンヘンは一日少なく、ベルリンはもう一日多くても良かったかも知れません。
フランクフルト・ケルン・ミュンヘン・ハンブルクは大都市ですが、市内観光は1~2日でOK、そこから電車で近郊の都市に出かけるのはとても良かったです。ベルリン市内は観光スポットが多いので、もう少し事前の調査・準備が必要でした。
私は美術に特別の関心がある訳ではないので多くの美術館・博物館は入りませんでした。また、興味がある人でも、多すぎるので取捨選択は苦労するのではないでしょうか。天候は、概ね恵まれ、大雨は二日ほどだったと思います。ただ「ドイツウエザー」とは良く言ったもので、折りたたみ傘は決して手放せませんでした。気温は、真夏日は二日ほどで、日本の初夏・晩春の感じで、しのぎやすかったです。今回、日本で4000円ほどのサンダルを買い、持って行きました。軽くて、大正解でした。かなりたくさんの都市を訪れました。市としては広いのですが、観光スポット・旧市街地は狭く、数時間で回ってしまいます。イタリア、フランス、スペインの地方都市は、交通の要衝地にびくびくして城壁で囲まれた城塞都市でしたが、ドイツでは、ほとんど城壁らしき物はありませんでした。戦争で焼失したのでしょうか。古代ローマの名残が残っているのは「さすが」と言う感じです。ケルン、マインツなども古代ローマが作った交通の要衝地で、ローマの先見・先進さを感じました。マルクスが生まれたトリーアには立派なローマ時代の古代遺跡が残っていました。
  
二つの大戦争で、多くの街が壊滅したと聞きます。イタリア、スペインやフランスのように千年、二千年に亘る歴史的建物は残っていないのかも知れません。たかだかと言っては語弊がありますが、18世紀プロイセンのフリードリヒ2世時代が華やかだったようです。私は行ったことがありませんが、ワルシャワなどは、瓦礫を集めて市街を再建したと聞きますが、ドイツではそのようなことはないようです。
二つの大きな印象  一つはヒトラー・ナチス、ユダヤ人弾圧とベルリンの壁撤去、です。前者は負の遺産ですが、後者は勝者としての矜持です。ベルリンの壁は、同時にナチスに通じる「抑圧」の象徴でもあり、その撤去・残骸・壁画はまさに勝者・解放者の証しです。私には、負の遺産より、「勝者としての証し」の"壁"への比重・宣伝が強く高いように感じました。ザクセンハウゼン強制収容所は、ユダヤ人弾圧の歴史的証人ですが、ユダヤ人弾圧の実態・歴史を十分に保存、
伝えているとは、私にはとうてい思えません。私は、アウシュビッツ収容所に行ったことが無いのでどのように保存・伝えているのかわかりませんが…。ドイツは、ナチス・ユダヤ人弾圧の歴史的を世界遺産レベルで保存・記録しているとは私には思えませんでした。
    
それら全てが戦争で破壊されてしまったと言ってはいけないと思います。そうした負の遺産を破壊されたままでももっともっとそのまま残すべきだったと思います。同時に、ドイツは一週遅れの帝国主義でしたが、帝国主義的略奪も行ってきました。ベルガモン博物館、新博物館、旧博物館、ボーデ博物館などそれらを誇るかのように展示していました。
      
お金、食事について
12万円ほどのユーロを持って行ったのですが、交通費などが結構かかり手持ちが寂しくなり、最後はケチケチというか、カード支払いを多用するようになりました。大手デパート地下・スーパーはカードが使えるので良かったです。食事については、外食は少なかったです。夜出るのはイヤだったのが一番の理由ですが、写真の整理と日誌の作成は、しておかないと帰国してから何の写真か忘れてしまうので、とても大事ですが、結構時間もかかるからです。私は、グルメではないので、デパート、スーパー、駅などで惣菜などを買ってくれば十分です。ホテルの朝食は、タンパク質が少し少なかったですが、ほとんどのホテルで十分豊富でした。私は途中から、少量のシリアルを食べるようになりました。野菜が少し足りないかと思ったからです。これが結構いただけるので私には面白かったです。果物のないホテルもありましたが、その時はバナナ、リンゴ、オレンジなどを買いました。ミルク、ヨーグルトなどの乳製品は安かったです。冷蔵庫がなかったので買い置きできないが残念でした。ソーセージ、ハンバーグ、チキンはやはり塩分過多です。魚類は燻製が多く、これも塩っぱかったです。朝食は、ゆっくりたっぷりいただき、その時昼用のサンドイッチを作ったこともありました。ドイツでは、水道水を飲めるそうです。ホテルに電気ポットがあれば沸かして飲めるのですが、ドイツの3つ星ホテルにはありませんでしたので、りミネラルウォーターを買いました。ヨーロッパは、
炭酸入りミネラルウォーターが多いのですが、私は好みません。概ね赤いフタがノンガスでした。ビールは、あまり飲む気が起きませんでした。日本から持参したウイスキーを飲み、なくなった時はスーパーで買いました。
大まかな費用
飛行機代:約26万円 ホテル代:約24万円 鉄道交通費(近郊線・地下鉄等除く長距離、日本での支払い含):約9万円 現地ツアー(ミュージアム3日券含):約1.75万円 スーパー買い物:約1.7万円 保険:1.35万円 現金:約11万円 計:約75万円 
言 葉
言葉に困ることは余りありませんでした。ほとんどの人が英語を話すことが出来ました。ドイツもたくさんの移民をが住んでいるそうですが、彼らの多くも英語を学習しているように感じました。私の口癖は、「I can't speak German. English not well. Slowly Please.」 です。すると、相手はにっこりしてゆっくり話してくれました。道を尋ねると、親切に対応してくれました。しかし、実は知らないのに知ったかぶりをして間違った事を言う人も少なからずいて愛嬌物です。ドイツ語の辞書はやはり持って行くべきでした。看板や案内などの標示はドイツ語だけの場合が多いので、これは何の意味かなぁ、と再三思いました。わかればより楽しかったでしょう。万歩計も忘れました。
乗り物
国内、市内の移動の多くは鉄道でした。鉄道網は発達しているのですが、几帳面なドイツ人と言われますが、遅延はほとんど常態で、そのアナウンスは不親切でした。おそらく一々言っていたらキリが無いからだと思いました。遅延の原因は、何度も触れますが、線路・ターミナル駅の構造にあるので、その克服は容易ではないでしょう。特急の切符などは日本で事前に買えるのでとても便利です。早割もお得です。長距離バスは乗りませんでした。鉄道近郊線、地下鉄は十分発達していますが、路線(ライン)標示は分かりづらかったです。ホームで前の駅名・次の駅名が標示されているだけでそれはほとんど解決されるのですが…。自動券売機の数が少ないこと、また故障していて紙幣が使えなかったり、キャッシュカードが使えないなど、
地方ではほとんど無人駅の感じですし、ターミナル駅でもインフォ・チケットカウンターを除いて職員が少なく、リストラの行きすぎと思いました。特急の列車を除くと、車両の多くは古く、きれいではありませんでした。車内のストリートミュージシャンは時々いましたが、車内販売と物乞いがいないのは静かで良かったです。日本の鉄道の最大の利点は、時間通り(最近は遅延が多いですが)・きれい・トイレ・安全です。スイカなどのプリペイド型電子マネーの便利さも素敵です。しかし、日本の鉄道の最大の難点は、情報提供・アナウンスの過剰過多の騒音です。ドイツの地下鉄は、日本のモノレール型で狭いので飲食が禁止です。年寄りに席を譲るという「儒教的」マナーは、スマホの普及ですっかり無縁となったのは世界共通で、最近は韓国でもそうなりつつあり、隙あらば席をと狙っています。車内の化粧はありませんでしたが、老若男女関係無い飲食は凄まじいものです。路上に目をやると、酔っ払いと物乞いは多いです。イタリア・フランスほどしつこくないのは良いです。それは、キリスト教的施し文化・精神の影響と思いますが、どうでしょうか。路上喫煙と吸い殻のポイ捨ても多く、本当に私は嫌いです。
自転車についての特記
自転車専用道路の普及・充実は目を見張ります。自転車専用道路だけを使ってドイツ一周が出来るのではないでしょうか。自転車専用道路に立ち止まっていると、サイクリストに「怒られ」ます。地方の鉄道線路脇には、トレイル(自動車入れない細い道、自転車も可)が並走していました。
                  
自転車を鉄道(特急などは除く)に持ち込めます。女性も歩道橋や駅の階段などは担いで上っていました。小さい子は、補助輪無しに足を地面に付けて乗っていました。電動アシストは少なかったですが、変速ギヤがいくつも付いているのでスピードが速いので、注意が必要です。雨でも、合羽を着ないで濡れて走っている人が多かったです。駐輪場の写真を撮り忘れましたが、あちこちあり充実していました。レンタサイクルは、事前の申し込みと携帯電話が必要なので私は利用できませんでした。 横断歩道の信号について 横断歩道はたくさんあり、その多くは、「使用」のボタンを押します。信号が変わるのはとても早いです。30秒位です。道路が広いので、一度では渡りきれない事がほとんどですが、中程に分離帯があるので大丈夫です。ですから、黄色信号では駆け足しないで待ちます。車も同様です。黄色信号で横断歩道に入ると猛烈に歩行者に怒れます。幹線道路もも30秒ほどで信号が変わるので、車も歩行者も無理をしません。このことは車は概ねスピードを出さないでかなりゆっくり走っていると言うことです。私は横断歩道で「危険」を感じたことは、ほんの数回でした。信号の無い交差点で立ち止まるとほとんどの車は止まります。日本では、車は黄色信号だとスピードを上げて猛スピードで通過ですし、横断歩道で車を止めようならクラクション、ひどい場合はにらまれます。~~~ オーストリア、北欧、東欧、バルト海三国、南アジアにも行きたいと思っているのですが、果て、どうなることでしょう。【ドイツの旅終わり】
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ドイツの旅27/ベルリン7・ベルリン最後の一日

2016年07月06日 | ドイツの旅2016年

ノイエ・ヴァッヘ  6月5日 ドイツ・ベルリン最後の一
今日でドイツ、ベルリン市内の散策は事実上終わりです。7日12時31分の飛行機で帰国します。ベルリンからフランクフルトへはICE(特急)で4時間かかるので前日にフランクフルトに移動します。ベルリン市内で行き忘れた所をいくつか訪れることにしました。初めに6月17日通り[スターリンの死後の1953年6月16日から6月17日にかけて東ベルリン地域で発生した大衆行動の名が付けられたそうです。]で土日行われる蚤の市を見に行きました。中は撮影できません。

蚤の市                              
 
ビスマルク通り駅で一日券を買おうとしたら、またも紙幣の使える自動券売機は故障です。コインで7ユーロは持ってないので仕方なく1回券(2.7ユーロ)を買いました。ポツダム広場駅に移動しました。3回目ですからもう迷いません。左は、ポツダム広場にあるドイツで一番高いコルホフビル、右はドイツ鉄道(DB)本社ビル テロのトポグラフィ ここはゲシュタポとナチス親衛隊(SS)の本部があった場所で、まさにテロ・恐怖政治の中枢だった所です。戦後はベルリンの壁が作られました。2010年に展示館が完成しました。無料です。

 
 
その近くに遊覧気球乗り場[約20ユーロでした]があります。気球は、上昇するだけで移動はしません。

そこから歩いて10分ほどの所にユダヤ博物館があります。右の灰色の金属製の建物もそうです。一駅ですが地下鉄で移動し、そこから「博物館島南側」に向かい、歩きました。ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクト広場

真ん中にコンツェルトハウス・ベルリン、右にフランスドーム、同じような形をしたドイツドームがあります。 
   フランスドーム[背後の建物は尖って赤い屋根]
 
フランスドームの教会部分 フランスドーム内部のユグノー博物館
 
コンツェルトハウス・ベルリン ドイツドーム
 
少し雨が降りましたが傘を差すほどではなくすぐ止みました。
ベドウィヒ教会 自転車です  ベルリン国立歌劇場
  
ドイツ歴史博物館 ノイエ・ヴァッヘ (Neue Wache=「新衛兵所」)ドイツ歴史博物館の左にあります。
 
中には人物大の一つの像があるだけであとは何もありません。 この文末に感想を書きました。

次の二つはフンボルト大学の巨大な校舎です。
 
その脇に、きれいなドーム教会がありました。 Shedwieisフリードリヒモニュメントとありました。

パイプオルガンを演奏していました。 地下の棺 彫刻ラピュタ
  
ドイツ歴史博物館前の運河に開門式橋が架かっていました。 一帯は工事中で行き止まり、回り道などで苦労して、ニコライ地区に入りました。 エフライム宮殿
 
路上に巨大な案内地図が ニコライ教会 中は市立博物館になっていて有料でした。
 
ニコライ教会の入り口 噴水 信号待ちしていたら
  
ビールを飲みながら自分たちで自転車のペダルを漕ぎながら移動する屋台、大声でかけ声を掛けて漕いでいました。酔うでしょうね。 これは何の建物か分かりません。
 
赤の市庁舎 
 
マリエン教会とその内部
  
マリエン教会内部・手作りのモザイクが
 
  
  
アレキサンダープラッツ駅前の広場で 移動販売            
  
世界時計 時刻は3時ちょっと前で東京では22時と言うことでしょう。
 
ハッケシェマルクト駅前にユニクロと無印が並んでいました。 ショッピングモール・ハッケシェ・ヘーファとその中庭
 
ハッケシェ・ヘーファの中庭 ベルリン・シナゴーグ 今日は路上の清掃員をたくさん見かけました。
  
動物園駅に戻ってきて カイザー・ヴィルヘルム記念教会 中は狭く天井と壁一面にモザイク画がありました。記念教会は空襲で多くが破壊されましたが、残った塔の部分、塔の先端などはそのまま保存されています。
 
 
 
 
カイザー・ヴィルヘルム記念教会と記念ホール[右の建物] 外に出ると立派な口ひげを蓄えたおじさんがいたので写真を撮らせていただきました。
 
記念ホール内の2万の枚青いステンドグラスは目を見張る美しさです。
 
 ギターとフルートの演奏が行われていました。
 
ベルリンの最終日に、カイザー・ヴィルヘルム記念教会と記念ホールを再訪できて良かったです。ザクセンハウゼン強制収容所ツアー前に写真を撮ったのですが、開館前でしたし、記念ホールの存在を知りませんでした。今日も私はその存在を知らなかったのですが、ホールに何気なく入ったらブルーのステンドグラスに圧倒されました。 また、私は、ノイエ・ヴァッヘも知りませんでした。ウィキペディアによると19世紀初頭プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が衛兵所として作られ、その後紆余曲折があり、ドイツ再統一後の1993年、11月の第3日曜日を「国民哀悼の日」と定め、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」に改装したそうです。ドイツの全ての人々の追悼については「加害者と被害者を共に追悼するのか」との議論もあったそうです。かなり大きく豪華な建物の中は、天井に明かり窓のドームがあり、その下に人物大の一つの像がただポツンとあるだけで、後は広い空間があるだけです。入口に、数カ国語で、「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」のプレートがあるだけで、後は何もありません。このあと1ユーロショップに行って孫のお土産を買う予定でしたが日曜なので止めました。ドイツでは、日曜日はファストフードと小さな個人レストラン、バー、スナック、カフェなどが開いていますがデパートやスーパー、大きな商店はほとんど休みです。  【6月5日終わり】 
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ドイツの旅26/ベルリン6・ポツダム

2016年07月05日 | ドイツの旅2016年
サンスーシ宮殿
6月4日 ベルリン市郊外(南西に30km)ほどのポツダムを訪れました。 今日は、米・英・ソの3ヶ国がドイツの戦後処理について会談した所です。会談した場所は、ツェツィーリエンホーフ宮殿で、ポツダム中央駅から北に5kmほど行ったところで交通の便が良くないので、ここは行きませんでした。

ビスマルクス通り駅からは、地下鉄で一つ行った駅で鉄道線に乗り換えるのですが、地下鉄の駅と鉄道の駅がちょっと離れていて別の駅名になっています。4番線が乗り場なのですが、4番線は長距離線で近距離線のホームを通り過ぎて地下通路を通って上に出るのでした。(高崎線ホームが、京浜東北線ホームを通って別の駅にある感じです。)10分ほど余裕を持って出たのですが、4番ホームがわからず苦労し、通りすがりの男性に聞くととてもわかりやすく説明してくれて無事乗れました。
電車は土曜のせいでしょうか大混雑でした。でも、二つ目20分ほどですから。5分ほど遅れて10:10頃に着きました。駅で昼用のサンドイッチを買いました。さて、ポツダムの駅も大きかったです。左右どちらの出口でしょうか。私の予想ははずれでしたが、ツアーチケット売りのお兄ちゃんが反対側と親切に教えてくれました。

私の計画では、一番端の新宮殿まで695番のバスで行ってそこから歩く計画です。
 
あちこち探すと電光掲示板に、バス路線番号と行き先と後何分かが表示されていました。チケットは、車内の自動販売機で1.9ユーロでした。終点で降りました。とにかく巨大としか言いようのない広さです。新宮殿かと思ったら違っていて反対側の方が新宮殿(裏側)でした。
 
 
インフォで地図をもらったのですが、無料の地図は本当に使い物にならないほど大雑把で分かりづらいです。トイレは0.7ユーロでした。
新宮殿裏側  表側
 
 
さて、シャルロッテンホーフ城に向かうのですが、うろうろ探すうちにCharlottennhof城0.9kmという小さい表示を発見し、しばらく行くとカフェがありました。そこに小さなゲートがあり、大雑把な地図があったのでゲートをくぐってしばらく行ってもそれらしきものが目に入りません。乳母車を押した男性が来たので聞くと、戻ってゲートをくぐって左だと言います。宮殿と言うにはちょっと大げさな小さなものでした。
 
次の目標はローマ風浴場です。古代ローマの浴場を予想していたので通り過ぎたのに気が付きませんでした。カフェの女性に聞くと「民家」と思ったそこだと言うのです。
  
ローマ風浴場入口に  しばらく行くと、この地の教会が目に入ったので行きました。結婚式が行われていました。
  
次の目標物は中国茶館ですが、場所が分からず、うろうろしました。モスクでしょうか。宮殿敷地の端・つまり入り口のブランデンブルク門まで戻ってしまいました。
 
ブランデンブルク門の脇のオベリスク。 平和の教会
 
大変な遠回りになりましたが、ここからはかなり一本道なので何とかなりました。
絵画館(ピクチャーギャラリー) サンスーシ宮殿
 
サンスーシ宮殿ドーム
 
New Chambers 後ろに風車が 中国茶館[やっと辿り着きました。]
 
Orangery宮殿
 
この宮殿の左半分、右に同伴分があります
 
正面に、フリードリヒの銅像でしょうか 歴史的風車ミル
  

サンスーシ宮殿に戻ってきました。
 
ブランデンブルク門前広場ではキルトスカートの男性の集団がビールで大騒ぎ 門反対側
 
門から聖ピーター教会
 
城門でしょうか
 
聖ピーター教会                           
   
 ニコライ教会
 
ポツダム博物館 建物の左にシナゴーグの文字が、単なるお知らせでしょうか
  
映画博物館
 
遺跡跡でしょうか
  
時計を見ると15時、電車の時刻は15:25 その次は15:55なので急ぎました。ホームのベンチでうとうと、電車が来ました。電車に乗って、打刻していないことに気が付きました。これは違反です。ちょっと疲れて集中力が散漫になっていたようです。乗車時間が20分で二駅、検札は来無かったので助かりました。シャルロッテン駅で乗り換えるときたった一駅ですが打刻しました。今朝、朝食を食べているとレセプションの男性が私の部屋番号を聞きます。私が日本人だと確かめると話しかけて来ました。昨年の10月二週間ほど日本に行ったそうです。日本の街がとにかくきれいなことが一番気に入ったと言ってました。東京、日光、富士山、大阪、姫路、京都などを巡った事など、私はドイツの旅について話しました。お礼に、日本の煎餅をあげました。【6月4日終わり】
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ドイツの旅25/ベルリン5・絵画館など

2016年07月04日 | ドイツの旅2016年

6月3日 いくつかの博物館、美術館を訪れました。 今日でSMB(ミュージアム3日券)の最終日、残ったいくつかの博物館、美術館を訪れました。

まず、ポツダム広場近くのかつての監視塔跡に行きました。ポツダム広場は私には鬼門で方向が全くわかりません。広場が不規則な形をしている上に広く、道路が複雑で通り名の標識がわからないのです。
 
目印はソニーセンターなのですが、私が間違った要因は、ソニーセンターの看板・標識はは二つあって、私の目に入ったのは、裏側の方でしたので、地図上と見当違い・勘違いしてしまったことです。大きいと思っていたのですが小さいものだったことも見つけだすのを難しくしました。やっとの事で見いだし、自分の立ち位置と地図がわかり一安心でした。慣れれば、どうってことないです。
監視塔 ポツダム広場の壁跡
 
一番に絵 画 館に行く計画です。5月30日初めてベルリンに来て歩いた所で、ポツダム広場から徒歩12分ほどの所です。こちらは裏側入口です。
 
私が入ったのは絵画館の裏側の入り口でした。写真は、正面入口で、新ナショナルギャラリーとフィルハーモニーの奥に建設された文化フォーラムの中核をなす絵画館です。有名画家の絵がたくさんです。パンフレットの館内案内図は閉鎖中の部屋もその旨記載されていないのでわかりにくかったです。全部をゆっくり見ていたら時間がかかりすぎるので、有名画家の所だけを選びました。

ポツダム広場駅に戻り、ベルリン中央駅から徒歩10分のハンブルク駅現代美術館に向かいました。ベルリン~ハンブルク間の鉄道ターミナル駅だった建物を再建し美術館にした広々としたスペースに展示しています。特に目立ったものはありません。でもがらんとしたこの風景はおもしろいです。
 
 
これもベルリン中央駅です。                
  
自然科学博物館(恐竜などが展示され子どもの人気だそうです。入りませんでした。) 駅の中です。
 
ここを通り越すとU6の自然科学博物館駅です。この写真は駅の中のテーラーの店先です。次は、博物館の島の中の旧博物館を訪れました。博物館島のボーデ博物館 
  
ハインリッヒ通り駅で降りる予定が乗り越ししまい次のHackescherMarkt 駅で降りたのですが、この駅からの方が近くわかり易いです。一昨日訪れている上に目的物が密集しているのでもう迷うことはありません。
旧博物館 19世紀の建築家・シンケルの代表作だそうです。古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻などが展示されています。
  
形が整いきれいなのを選んで撮りました。作品名は記録しませんでした。ローマの皇帝の像はおもしろかったです。

最後の方の珍しい茶色の大理石 パピロスに描かれた人物画 皇帝達は、カエサル、アウグストゥスでしょうか。近郊線・地下鉄を乗り換えホテルのある駅・ビスマルク通り駅でU7に乗り換えベルクグリュン美術館に向かいました。道すがらベルリンから1マイルのマイルストーンが
   
ベルクグリュン美術館
 
パリで画商として活躍し、ピカソとの交友のあったユダヤ系ドイツ人ベルクグリュンさんがそのコレクションをベルリン市に貸与し、それをベースにした美術館だそうです。入る前はたいしたことはないだろうと高をくくっていたのですが、2階に上がってびっくりこれでもかこれでもかとピカソの作品です。私は絵への造詣は皆無なのですが、ピカソさんの絵は不思議に好きです。


ピカソさんの絵は見て彼のだとわかるのが何より良いです。ここには、ベルクグリュン美術館、シャルフ・ゲルステンベルク・コレクション、ブレーハン美術館の三つが隣接しています。私は、ダリさんの作品が展示されている美術館を訪れようと思ったのですが、間違ってブレーハン美術館に入ってしまいました。
 

それは広い道路を挟んだ東側にあるシャルフ・ゲルステンベルク・コレクションでしたが、時刻は夕方5時を過ぎたので、ホテルの戻りました。ちょっと残念でした。ベルリンのミュージアムパス3日券(SMB)は、24€で、ベルリンの50余の美術館・博物館に入ることが出来ます。私は、途中ザクセンハウゼン強制収容所に行ったので使用したのは二日間でしたが、面白かったです。特に、絵画館、ベルクグリュン美術館は見応えがありました。と同時に、ドイツ帝国主義やナチが美術品を略奪して来た歴史も目の当たりにし、複雑な気持ちでした。イギリス、スペイン、フランス、ロシア、アメリカ、オランダそして日本は略奪して来た宝物をそれぞれの国々に無償で返還し、展示する博物館建設を援助するべきだと、つくづく思います。【6月3日終わり】
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ドイツの旅24/ベルリン4・ザクセンハウゼン強制収容所跡

2016年07月03日 | ドイツの旅2016年
 ザクセンハウゼン強制収容所
6月2日 今日は、ザクセンハウゼン強制収容所に行きました。 日本で申し込んだ現地ツアー=「ザクセンハウゼン強制収容所ウォーキング」(インサイダーツアー会社)に参加しました。料金は17ユーロと格安です。行きのザクセンハウゼン駅までの交通費3ユーロは自費で、帰りの交通費はツアー料金に含まれているので実費20ユーロです。ザクセンハウゼン強制収容所の入場料は無料です。ユダヤ人の強制収容所というとポーランドのアウシュビッツ収容所が有名ですが、ベルリンから北にわずか30km行ったオラニエンブルクに総面積190ヘクタールほどでの広大さのザクセンハウゼン強制収容所がありました。
 
この収容所は、初めは共産党員や社民党員などの政治犯が多かったのですが、次第にユダヤ人の強制収容所ともなり、最終的には20ヶ国20万人のユダヤ人が収容されたそうです。朝9:50、集合場所は動物園駅前のマクドナルド前、とてもわかりやすい所で、着くと大勢の客がいました。私が参加したのは英語ツアーで参加者は18人、スペイン語ツアーは多くて25人ほどでしたでしょうか、その他ベルリンの壁を訪れるツアーなど格安の10程のウォーキングツアーがあるようです(毎日でないツアーもあります)。日本語のツアーはないようです。私は、ビスマルク通り駅9:10の電車に乗ったので早く着いたので、近くのカイザー・ヴィルヘルム記念教会の写真を撮りに行き、帰りに無料トイレがあったので入りました。
動物園(ツォー)駅 カイザー・ヴィルヘルム記念教会
 
動物園駅を10:10に出発し、10:45発の電車でザクセンハウゼン駅に向かいました。
ザクセンハウゼン駅
 
11:12着でした。 そこから30分ほど歩くと現在では閑静な住宅街の中に、 変哲もない壁が現れます。入り口です。
 

第二キャンプ(強制収容所)入り口 ビジターセンター
 
一辺600mの三角形をした敷地・トライアングルと呼ばれたそうです。

キャンプ通り 壁と監視塔
 
 
真ん中の肖像写真はレーニンです。ソビエトがここを解放したようです。 SS Troop Camp
 
中央司令棟の入り口 収容所への入り口
 
「労働は自由をもたらす」という収容所のうそぶいたスローガンが描かれた扉
 
収容所の周囲は高電圧の鉄条網と柵、2.7mの高さの壁で囲まれていました。鉄条網と壁の間は2mほどは看守の巡視路でした。さらにサーチライトと機関銃が備わった監視塔もかなりの数が設置されていました。
  
ナショナルメモリアル塔                  
      
慰霊碑 Infirmary barracks
 
囚人の洗濯棟と集会室                 
 
囚人服 むち打ちの道具 身長を測ると言って背後から銃殺したそうです。
   
ロッカーとベッド 一辺10cmほどの非常に小さいチェス盤 ガスマスクでしょうか。 
  
キッチン棟 野菜などを洗った部屋
  
建物の番号を示す標示跡、まさにバラックと呼ばれていたのですね。
 
犠牲になった人々の写真
 
遺体安置場所
 
遺体等を処理する施設   25Execution trench 26番Burial ground with ashes of victims 1,2 27 Station Z 27全景 
  
遺体を焼く施設
 
Station Z [最後のステーション]とありました。                 
 
メモリアル

監視塔
   
電柱 絞首刑柱跡
  
15barack38(ユダヤ人囚人棟・展示室)
 
VIP棟の囚人室とトイレ跡 三段ベッド
 
この収容所には、特殊技術を持った「囚人」達もいて、偽札作り等の特殊な仕事をしたとも言われています。
洗濯室 囚人たちが描いた絵の一枚
  
地下資料室[亡くなった人々の写真や経歴などがファイルされています。]
  
vip囚人室 死んだ人というプレート
  
地下の狭い懲罰室跡
 
1時15分から15分ほど自由時間があって昼食、私はサンドイッチと水とココアとバナナを持っていきました。3時にガイドは終わり駅に向かい、15:45の電車に乗って、16:05中央駅に着きました。天気予報ではこの日も一時雷雨とあったので傘や合羽を用意したのですが降りませんでした。しかし気温は高く、日差しは強かったです。そして、夜9時頃5分ほど強い雨が降りました。ザクセンハウゼン強制収容所跡は、事前に鉄道[近郊線、チケット、ダイヤなど]を調べればもちろんツアーではなく、
個人で行くことも出来ます。入場料は無料です。午前と午後、英語とスペイン語のガイドツアー[14ユーロ]もあります。レストランや店はないので自分で用意する必要があります。駅からの道にも食べ物屋は土産物屋はありません。
---

ドイツから帰ってきてすぐ、この映画を見ました。強制収容所で、ゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人「囚人達」は、遺体処理などの特殊な仕事をさせられた後、彼らのほとんども殺されました。しかし、彼らはその事実を紙などに書いて瓶などに埋めて記録したそうです。ユダヤ教では、遺体を焼却すると死後「復活できない」と信じるそうです。サウルは、残された二日間、一人のユダヤ少年を自分の息子と信じ、彼をユダヤ教に従って埋葬しようと奮闘します。この映画は、そんな歴史の二日間の断面を描いています。私は、映画を見ながら、ザクセンハウゼン強制収容所に思いを馳せました。普通の人々が、想像を絶する残虐性を発揮することは、やはりあり得ると言えます。ナチやファシズム、日本軍国主義、ポルポトなどの事実を私達は知っています。冒頭の写真の「労働・勤勉は自由をもたらす。」は何ともむごい"標語"です。昨年、タイのカンチャナブリー戦争博物館を訪れた時、日本軍の同様の標語がありました。"…If you work hard you will be treated well but if you do not work hard you will be punished" さて、大袈裟ではなく、人々・人類は学び、賢くなり、進歩しているのでしょうか。そして、私達はこれからの人々・人類の未来を「希望」として語ることが出来るのでしょか。【6月2日終わり】
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ドイツの旅23/ベルリン3・「博物館の島」

2016年07月02日 | ドイツの旅2016年
 旧ナショナルギャラリー
6月1日 「博物館の島」を訪れました。
初め、ポツダムかライプツィヒを訪れる予定でしたが、明け方から本降りの雨でした。予定を変更して、博物館見学にしました。博物館見学はとても疲れるので、昼には一度ホテルに戻りホテルで少し休憩してから再び訪れようと思ったのですが、
雨脚が一向に弱くならないのでそのまま博物館の島に一日中いました。

ビスマルクストラッセ駅の自動券売機で一日チケット(7ユーロ)を買おうとしたのですが、カードはもちろん紙幣も使えません。コインで7ユーロは持っていなかったので近くの商店で両替を頼みましたがけんもほろろで買えてくれません。仕方なくホテルに戻ってホテルで買えてもらいました。



私は、ボーデ博物館を最初に訪れたので近郊線(S)ベルリン中央駅から二つ目フリードリッヒ通り駅で降りたのですが、次の駅のBerlin Hackescher Markt駅の方がわかりやすいです。どちらの駅からも徒歩10分ほどです。ボーデ博物館で『ミュージアムパス3日券』を買いました。24ユーロ、3日間有効、約50の美術館・博物館に入れる超お得のチケットです。裏に、氏名・最初の日付などを記入します。  ボーデ博物館 宗教画が多いです。
 
 
 
 
 
 
新博物館 戦争で破壊され2009年に再建されたそうです。内部はエジプト博物館とパピルスコレクションがメインです。ああ、ドイツも侵略して美術品を略奪してきたのだなとつくづく感じざるを得ません。
  
 
 
 
この博物館の至宝『王妃ネフェルティティの胸像』(撮影出来ないのでウィキペディアから引用です。) 警備は厳重で、ガラスケースに入れられ、かなり周辺から写真撮影が禁止です。この写真の一番奥の部屋です。
   
 
 
ルターの肖像画はどこかで見たような気がするのですが。
 
マルクスの肖像とマルクスの肖像画が紙幣になっていました。
  
   
 
旧ナショナルギャラリー
  
雨は相変わらず激しく降っています。 入り口の彫刻にこんないたずらが
  
 Merzelの一部消された絵が気になります。  
 
外を見るとベルリン大聖堂が                 
 
Segantine ゴッホ
 
Moret セザンヌ
 
 Roroir Lautivec
 
ルノアール ゴッホ(風車)
  
Lieherman
   
Kopish Friedrich(この絵の下にムンクの絵があるという。) どこかで見たことのあるヘーゲルの肖像画(Schhlesingero)
 
私は、てっきり写真だと思っていたのですが、絵だったのですね。驚きました。 
ベルガモン博物館入り口(この日は入りませんでした。) 旧博物館(この日は入リませんでした。)
 
本降りだった雨が嘘のように快晴となり、暑くなりました。
大聖堂 大聖堂ドーム
 
 
 
 
大棺 地下一面墓所、94の棺があるそうです。
 
ベルガモン博物館  ミソポタミヤやバビロニアなどの古代文明の遺跡品が多く展示されています。古代ギリシャの『ゼウスの大祭壇』のあるホールや北翼館は工事中で閉鎖中で、南翼館だけが見学できます。
 
 
 
ミレトスの市場門[こんな大きなものまで略奪ししてきたのですね。]
 
  
  
コーランやメッカの方向を示すモスクのミフラーブまで略奪してきたのかヨと思うと私はぞっとしました。
 
  
    
旧ナショナルギャラリー入り口 雨も止んだのでボーデ博物館の写真を撮りに行きました。ボーデ博物館前 
 
ベルリン中央駅外  反対側です。
 
これもベルリン中央駅外です。              
   
---- ビスマスクス通り駅の自動券売機は紙幣が使えなかったり故障していたりしているので、ベルリン中央駅で途中下車して明日の電車の切符を買ことにしました。ベルリン中央駅には紙幣を使え、英語バージョンを選べる券売機があるからです。明日は『ザクセンハウゼン強制収容所』を訪れるツアーですが、電車のチケット(ABゾーン・2.7ユーロ)は自分で準備しなければならないからです。また明後日にはポツダムを訪れる予定ですがポツダム行きのチケットはABCゾーン(3.3ユーロ)が必要だからです。 ベルリンの近郊線のチケットは、中心地のA、郊外のB、ちょっと遠いABCの三種類あります。とても安いです。朝、電車のホームでスリ未遂がありました。私がビスマルク通り駅で電車に乗ろうとホームに向かうとき小脇に抱えたリュックの外側のチャックが引っ張られる気がしました。私は振り返り「何するんだ!Don't Touch me!」と言うと濃いあごひげをはやした西アジア系の若い男が、ぶつぶつ言いながら離れていきました。私が後を追うとスマホを使う振りをして更に逃げ仲間の所に行きました。現行犯では無いのでそれ以上の追求は出来ませんし、かえって危ないのでそこで止めました。用心用心。リュックのチャックは空いていました。薬、飴、爪切り、ティッシュなどの入った袋が入っているだけですが無くなれば困ることはもちろんですが、それ以上に油断した自分に悪い気分になります。油断は禁物です。スリなどは地方都市ではなく大都市ほど危険です。でも、ベルリン中央駅からから離れたターミナル駅ではない駅で
スリに会うとは想像だにしませんでしたので、とても驚きました。 【6月1日終わり】
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ドイツの旅22/ベルリン2・ベルリンの壁を巡る

2016年07月01日 | ドイツの旅2016年
 イーストサイドギャラリー
5月31日 午前中はシャルロッテンブルク宮殿、午後はベルリンの壁を巡りました。
午前中は、ホテルから歩いてシャルロッテンブルク宮殿に行き、戦勝記念塔まで歩き、午後は一度ホテルに戻り、
昼食をホテルで食べた後少し休んでベルリンの壁・3箇所を電車で訪れる計画です。



ホテル近くの教会 シュルフ・ゲルステンベルク・コレクション
 
宮殿前広場から宮殿 そこから振り返っていわば宮殿への「参道」
 
ベルクグリュン美術館 その南側のブレーハン美術館
 
シャルロッテンブルク宮殿[入りませんでした。] 
 
 宮殿左側 同じものが右側にもあります。
  
宮殿入り口から、右がベルクグリュン美術館、左がシュルフ・ゲルステンベルク・コレクション 歩いて戦勝記念塔に向かいます。
 高い建物は?です。
   
教会二つ
 
普通のビルの壁に ベルリンオペラの通りを挟んだ公園にシュエイクスピア像が
 
ベルリンオペラ その前の像
 
ドイツで初めて見つけた1ユーロショップ 店内写真はだめでした。 シラー劇場
  
ルネサンス劇場 ベルリン工科大学
 
戦勝記念塔に向かう通り
 
ベンツ社 ベルリン王立磁器製陶所
 
ベルリン王立磁器製陶所2
   
 
大統領官邸 警護の職員がにっこりしてくれました。 戦勝記念塔に登りました(3€だったと思います。)
   
  
 展望台の途中に休憩用椅子が
 
戦勝記念塔展望台から                       大統領官邸
 
 
ちょうど正午になったので、予定を変更してホテルに戻らずに、この緑の公園でお弁当を食べました。電車でイーストサイドギャラリーのあるオスト駅に向かいました。

イーストサイドギャラリー 近郊線オス駅から約1.5kmに渡ってオープンギャラリー、内外の画家が壁画を描いています。
 
汚れを取り修理しているグループがいました。
 
 
 

  
有名なブレジネフとホーネッカーの口づけ ベンツ社の建設中のアリーナ(壁画の反対側に)
 
オーバーバウム橋 その入口にお化け屋敷が
  
電車でベルリンの壁記録センターに向かいました。 近郊線Nordbahnhof駅 旧東ベルリンのベルナウアー通りは、壁建設直後、壁に面した建物から飛び降りて西に逃げた人が多く、この地が保存されているそうです。記録センターの展望台から、壁・壁の背後の緩衝地帯・監視塔などが見えます。  記録センター 右側が展望台
 
壁の跡に鉄柱のポールで壁があったことを示しています。
 
記録センター内
 
壁を越えられず無くなった人々の慰霊碑がいくつかありました。 これは無くなった人々の写真でしょうか。
 
近くのビルの壁

壁 博 物 館 近郊線Kochstr.駅 
  
国境検問所チェック・ポイント 米軍の帽子などを被り星条旗をバックに有料の写真が撮れますが、「下品な」感じです。   
  
アメリミリタリー小物の土産屋 壁博物館近くの広場
  
 
3:40頃、急に雷雨が、雨宿りして5分ほどすると止みました。昨日から学んで傘を持参しましたが差しませんでした。昨日より温度が高いとの天気予報でしたが、午前中は時々冷たい風が吹き、薄手のヤッケが必要でした。午後はだいぶ気温が高くなりましたが、汗をかくほどではありませんでした。午後は、近郊線(S)、地下鉄(U)を乗り継いでの移動でした。外国の駅は、前後の駅名がホームに表示されていないので上り・下り(つまり行き先)の確認が大事です。でも、間違っても地下通路でホームがつながっていれば戻れるのですが、フランスでは、回転式自動改札口があって、通路を使って反対側ホームへの移動がほとんどの駅で出来ませんので、間違うと一度駅を出なければなりません。ドイツは、改札が皆無ですし、地下通路でつながっていたり、概ね小さい駅ではワンプラットホームですから、この点安心です。行き先がなかなか覚えられないので、ひっきりなしに路線図を確かめます。車内放送はありません。一日切符を買おうとしたら、ベルリン駅で使った券売機と違う機械でその上ドイツ語だけです。仕方なしに近くの男性を呼び止めて教えてもらいました。A・B(近・中距離)ゾーンだと7ユーロ[1回券は2.7ユーロと高いです。3回乗るなら一日券が断然得です。]、長距離市内Cゾーンだと8ユーロほど、鉄道、地下鉄、バス共通です。4時過ぎとなり、帰りました。電車、地下鉄とも大混雑でした。----今日は、盛りだくさんな一日でした。戦勝記念塔は、フランス凱旋門からの風景を思い出し、おもしろかったです。後半の三箇所の「ベルリンの壁」を私が選らび、歩いたことは今回の旅の出色でした。イーストサイドギャラリーのベルリンの壁は様々なメッセージがあり、ユニークでした。ベルリンの壁記録センター前の壁は地味でしたが私には、往時の「恐ろしさ」、「悲劇」が静かに伝わって来ました。イスラエルの現代の壁は、まさにこの「ベルリンの壁」を想起・連想させます。アメリカではトランプさんが、メキシコ国境に「壁」を作ると言い、朝鮮半島では、39℃線の「壁」があります。そして私達の心の中にもたくさんの見えない「壁」が潜んでいます。【5月31日終わり】
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ドイツの旅21/ベルリンへ移動

2016年06月30日 | ドイツの旅2016年

ユダヤ人犠牲者記念館
5月30日 ベルリンへ移動 ベルリンに移動しました。ハンブルク発8:54(日本で購入した切符には8:51でしたので駅に聞きに行きました。) 10分も遅れたので、次の列車が8番ホームに到着しました。通りかかった職員に聞くと「Next」の返事、しかし実際は反対側の7番ホームに変更になっていました。いい加減な職員が多いです(変更が多いのです。) この列車は昨日、今日だけの臨時列車のようで一等の6ボックス席でした。37.85ユーロ(早割りです。正規では約倍のようです。) ベルリンには15分遅れの11:10に到着しました。ベルリン駅はさすがに大きいです。4階建てのようですが、写真を撮るより、まずホテルに向かうことの方が大事です。鉄道近郊線(S)、地下鉄(U)、バスなどの一日乗車券の購入しようと思うのですが、自動券売機ではうまくいかず、結局、DBインフォに行くと、「DBチケット売り場に行けだけ」、とこっちは愛想がありません。DBチケット売り場に行くと職員が数名自動券売機の前にいました。目があった若いハンサムな青年に聞くと、自動券売機を操作を教えてくれました。その後で一人で試しましたがクレジットカードは×印が付いていました。短距離券は1.60ユーロ(3駅まで)、1回乗車券は2.70ユーロ、1日乗車券は7ユーロ、4回回数券は9ユーロなど色々な切符があります。次は乗り場です。動物園駅までは近郊線で行って、そこで地下鉄U2に乗り換え、3つ目のビスマルク通りで下車です。別の中年女性に動物園駅はと聞くと16番線ですべてOKとのこと、後は順調でした。フランスやイタリアでは自動券売機の近くで旅行者を待っていて、操作を教えるからとお金を要求する人、お釣りをくれと言う人、使用済みの切符を使わなくなったと言って切符を渡し金を要求する人などがいましたが、ドイツではDBの制服を着ているので安心です。
ビスマルク駅駅から徒歩5分、途中にスーパーやレストランもありました。でも結局ホテルに着いたのは12時でした。ホテルは新しくきれいで、レセプションの女性は親切でした。部屋はツインでした。広くシャワーの出も、湯加減も良いです。冷蔵庫はありません。セキュリティボックスは部屋にはありませんが、レセプションで無料で預かってくれます。部屋にあるよりはるかに良いです。デポジット無し無料です。部屋でランチを食べ、1時過ぎに出かけました。この部屋の難点は、西日が当たって暑いことと、レースのカーテンがないので通りを隔てて向こう側の窓が丸見えなことでした。
 
天気予報では、20℃以上というのでTシャツとベストサンダルの軽装で出かけました。地下鉄U2でポツダム広場駅に向かいました。



出口はわかったのですが、方角がまるでわからず、あっちうろうろしてやっと方向がわかりました。ポツダム広場はとても広く、道路が複雑で通りの名前などがとても分かりづらく、自分の立ち位置がよくわからないのです。あっちうろうろ、こっちうろうろしました。DB本社ビルとソニーセンタービルがランドマークなことは後日わかりました。ポツダム広場には、韓国式の東屋、壁の一部がありました。
 
アルカーテン(ショッピングモール) ポツダム広場劇場
 
ブルーマックス劇場 国立図書館
 
このとき急に雷雨が、カフェの店員が「ドイチェ・ウエザー」とウインクしながらテーブルクロスを大急ぎで片づけていました。アーケードで20分ほど雨宿りしていると嘘のように晴れました。ニュースではヨーロッパでは落雷で多くの人が亡くなっているとか。
マチイ教会 Kunstbibliothek博物館
 
カルチャーフォーラム Kammernusiksaal
 
新ナショナルギャラリー(工事中) 絵画館
 
工芸美術館 壁で死んだ人のモニュメントでしょうか
  
 
ベルリンフィルハーモィ
  
楽器博物館 ソニーセンター
 
レゴランド
 
映画博物館 ポツダム広場に戻って来て壁の一部
 
ユダヤ人犠牲者記念館[冒頭の写真] 何の説明も表示もありません。広く、ブロックの大きさ、高さは全くまちまちです。高いものもあり、まるで迷路のようです。私が通った所には落書きが皆無でした。
 
ブランデンブルク門広場で ビールを飲みながら自転車のペダルを漕ぎます。かけ声を掛けていました。酔うでしょうね。
 
ブランデンブルク門
 
ブランデンブルク門の上部 ブランデンブルク門から戦勝記念塔(2kmほどか)
 
今、17時半また急に雷雨です。約40分後に止みました。
連邦議会 シュブレー川から連邦議会。
 
これも壁のモニュメントでしょうか 森鴎外記念館
 
ドイツ劇場 フリードリヒ・シュタット・パラス劇場
 
ベルリーナ・アンサンブル劇場
 
地下鉄・近郊線のフリードリヒシュトラーゼ駅が目の前なのでここで帰ることにしました。帰りのルートは調べていなかったので少し迷いましたが、中央駅、動物園駅は覚えていたので近郊線で中央駅を経由して動物園駅で乗り換え無事帰りました。ブランデンブルク門は大観光地ですが、私は『ユダヤ人犠牲者記念館』をお薦めします。ブランデンブルク門から南に100m程先です。2711本の、「ただのコンクリートブロック」が林立するだけで、ちょっと「無機質」な感じですが、心穏やかになりました。銘も個人の名も、そして何の説明もありません。[地下の情報センターに犠牲者の氏名などが展示されています。]建設に当たって、ユダヤ人だけで無く障害者や同性愛者や全ての戦争犠牲者の慰霊とすべきか、こんな巨大さが必要か、について大きな論争があったようです。この地は、かつて政府高官官邸、官庁街でベルリン市街戦後は廃墟だったそうです。2005年に完成しました。ウィンドウズ10には全く困ったものです。まさにウイルスのようにアップロードしてしまうのですから。1時間以上も無駄な時間を余儀なくされましたが、すぐ削除し、前の状態に(ノートはW7です。) 【5月30日終わり】
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ドイツの旅20/ハンブルク5・ブレーメンを歩く

2016年06月29日 | ドイツの旅2016年

5月29日『ブレーメンの音楽隊』のブレーメンを訪れました。
ハンブルクから急行で1時間10分位です。ハンブルクに次ぐ大きな港町だそうですが、海からヴェーザー川を遡ること50km以上も内陸です。

天気予報では午後から雨なので早めに出ようと8時半に駅に行って往復切符(25ユーロ)を買いました。窓口はすいていてすぐ買えました。少し涼しかったのでホテルに一度戻りジャンパーに着替えホテルの部屋で待ちました。9:15発に乗ってしばらくすると、ものすごい雨が降り始めました。ブレーメンに着くと雨は止んでいました。
ブレーメン駅 海外博物館
  
駅を出てすぐ右にあります。正面に赤い鳥居があるのにはびっくりしました。海外博物館前の像 しばらく歩くと、ピストルや刀などの店がありました。値段を見ると100ユーロもしていました。
 
 旧市街に向かって歩き出すと公園の中に風車があります。
 
 しばらく歩くと旧市街の入り口に冒頭の『豚飼いの像』があります。
   
リープフラウエン教会が目に入り込んできますが、工事用のシートで覆われていました。 ブレーメンの音楽隊像
  
現在は商工会議所として使われている建物。 
 
ローラント像[平和と権利のシンボルと言われています。]  市庁舎も工事中でした。
  
とうとう雨が降り始めました。  聖ピトリ大聖堂 行事があるのか中は入れませんでした。
 
 
聖ピトリ大聖堂(横から)
 
Am Markt21の壁飾り マルクト広場では朝市とイベントが行われ、試食会等が行われていました。
  
ベットヒャー通り入り口 わずか100mの小路に小ギャラリー・博物館・小物屋・土産屋・カフェ等がひしめいています。
  
 
 
ロゼリウスの家とパウラ・モーダーゾーン・ベッカー美術館 ベットヒャー通り出口
  
マルチニ教会
 
ヨハン教会 (工事中でした。)
 
シュノーア地区の路地、ガイドブックでは小さいアトリエや小物点やカフェなどのしゃれた路地とありますが大したことないです。 
  
 ヨハン教会(工事中で閉鎖)
  
ヴァーザー川に出てみると、この雨の中、ボートやカヌーで遊ぶ人が
 
 Forum an Wall(右の入り口には警察とも)
 
クンストハレ博物館 シアター
 
ブレーメン・デザインセンター 通りで
  
   
路上に東京への距離が記されていました。 不気味な像でした。

雨足と風が強くなってきたので帰ることにしました。急行は1時間に1本、特急も1時間に1本、14:33の電車に乗れました。
~~~以下、私の独断的感想 ドイツ人の雨についての考えは私には全く理解できません。かなりの雨が降っていても傘を差す人は断然少数派なのです。防水のレインコートを着ている人もいますが、普通のコートの人もいて、それでいて寒そうに震えているのですから。
ドイツの街角について 昼間からビール瓶を片手に歩いている人もたくさんいます。酔いつぶれている人もかなりいます。物乞いもたくさんいます。ホームレスも多いです。老若男女の差無くです。特に若者が犬を連れて物乞いをしているのです。何か事情があるのかも知れませんが、私には理解できません。私は、かつてヨーロッパのホームレスと福祉とキリスト教との関係について書いたことがあります。簡単に言うと、キリスト教に限らず多くの宗教に言えることですが「富める者は貧しき者に施し」の精神があるのではないかと言うことです。それがヨーロッパでは特に強いと思うのです。アメリカの富豪の「慈善活動」は、有名ですが私は「偽善」を感じます。ヨーロッパでは、路上パフォーマーや路上演奏家なども多いのですが、それは彼らがそれで生活できているということです。しかし、狭い車内での楽器の演奏など私には迷惑この上ありません。ヨーロッパは福祉が充実していると言いますが、果たして本当はどうなのか私は疑問に思います。喫煙者もすこぶる多いです。これも老若男女の差無くです。特に学生風の若い男女が目に付きます。オフィス内での喫煙は禁じられているのでしょう、ビルの外の入口にたむろして立って喫煙しています。喫煙者の多くは、路上で、鉄道のホームで見境なしに吸い、その上吸い殻は路上にポイ捨てです。路上を汚せば清掃する人の仕事を作ることが出来るという考えもありますがそれはどう見ても屁理屈です。路上の煙草の臭いは私には臭く全く不快で気持ち悪いです。歩きスマホや歩き電話も普通です。とにかく忙しいのでしょう。歩きながらの飲食は普通のレベルを通り越して異常な程多いです。これも場所を選ばずで、路上、ホーム、車内、バス、ひっきりなしに食べているという感じです。しかし、カフェで一杯のグラスビール・コーヒーで何時間もおしゃべりしているのですから「多忙」は無いと思うのですが…。また、肥満の人が多いです。これも老若男女なしです。それはセックス魅力があると言うより異常な「肥満」と感じます。愛犬家もいますが、「犬たちの粗相」も多くの人がそのまま放置です。道路については、ヨーロッパには独特の考えがあるようです。中世のパリなどは、家屋内にトイレはなく、道路に捨てていました。それがペストや赤痢など感染症と伝染病のパンドミックにつながったと聞いています。水洗トイレときれいな水道水と風呂が普及していた古代ローマの驚くべき文化はヨーロッパに根付かなかったのでしょうか。これらについては「キリ」がないので、いつかまた考えましょう。 【5月29日終わり】
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ドイツの旅19/ハンブルク4・リューベック

2016年06月28日 | ドイツの旅2016年

聖霊養老院
5月28日、ハンブルクの北50km・急行で45分ほどのリューベックに行きました。 リューベックは、13~14世紀のハンザ同盟が栄えた頃の中心としてもっとも栄えた町と言われています。昨日訪れた塩の産地リューベックは南に80km行ったところでその塩とリューベックの海産物が合流し、ロシアや北欧に運ばれ栄えました。トーマス・マン、ギュンター・グラス(文学賞)、ウィリー・ブラント(平和賞)ら三人のノーベル賞受賞者を生まれた町だそうです。

朝ちょっとのんびりし過ぎて、予定していた9:04分の電車に間に合いませんでした。安い急行(14.1ユーロ)10:04にし、リューベック中央駅に10:48に着きました。電車はかなり混んでいました。なんと後ろに座った人に「リューベック?」と聞かれました。彼も心配だったのでしょう。
リュベック駅
 

ホルステン門(旧市街地入口)、大きく傾いています。
 
かつての塩の倉庫群 人形劇場
   
通り 聖ペトリ教会
   
 
エレベータ(3ユーロ)で展望台へ 市庁舎
 
展望台からマリエン教会 ヤコビ教会                      
 
 カタリーネン教会
  
市庁舎  市庁舎右部分
 
市庁舎旧扉 マリエン教会(参拝料2ユーロ)
  
受付の女性が日本語のリーフレットのコピーを探し出して追いかけて来て手渡ししてくれました。マリエン教会内部、1941年英軍の空襲で破壊された塔の鐘(鐘のチャペル) ユーケルの十字

死踊りのチャペル 祭壇 天分の時計        
   
世界最大級の8512本のパイプを持つパイプオルガン 
  
光の樹     ブッデンブロークハウス(マン兄弟記念館)[トーマス・マンの小説『ブッデンブロー家の人々』の舞台となりました。]
 
通り
 
ヤコビ教会
  
  
地下礼拝場 日本で言う賽銭箱
 
聖霊養老院(13世紀に建てられた福祉施設兼病院) 開放されている内部の一部は教会の様です。
 
 
私は、この建物の名前が分かりませんでした。職員が昼休みで扉を閉めようとしていましたが、私がこの建物の名前を聞くと、彼は答えてくれたのですが、聞き取れなかったので書いてもらいました。彼は扉を開け、遠方から来た私を見学させてくれました
船員組合の家(現在はレストラン) 路地からのヤコビ教会
 
ヤコビ教会の全景 北の城門
 
城門の外は運河で港でした。 聖霊養老院の塔は明らかに傾いています。奥はカタリーネン教会、右はヤコビ教会
 
ウィリー・ブラント記念館
 
ギュンター・グラスハウス カタリーネン教会(2ユーロ)
  
 
 
 床は、墓になっているようです。
 
 
マリエン教会全景 聖アンネ博物館
 
Judische Gemeinde  聖アンネ教会
  
聖アンネ教会内部
 
大聖堂全景
  
 
 
  
 
自然史博物館
 
民俗博物館 Propste Jesu教会
  
 教会内では結婚式が行われていました。
  
帰り道、マリエン教会が見えました。
      
16:04の急行(14.1ユーロ)で帰って来ました。
ハンブルク市立美術館は入る時間が無いので写真です。  白い建物「TheCube」カフェやレストランだそうです。
 
ハンブルク中央駅 ドイツ劇場
 
夜9時だと言うのこの明るさです。ホテルの部屋から外を撮りました。
   リューベックは、地図にあるように、四方の川が天然の要塞になっています。そして、トラーヴェ川を経て、バルト海に出ることが出来ます。バルト海南部は、不凍海であることが多く、海洋貿易にとても有利です。13~14世紀ハンザ同盟の中心地として最も栄えた事は十分想像できます。  ~~~リュベックで撮ったユニークな写真
           【5月28日終わり】
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ドイツの旅18/ハンブルク3・ツェレとリュ-ネブルク

2016年06月27日 | ドイツの旅2016年
 ツェレの木組みの家
 リュ-ネブルクの給水塔
5月27日 ツェレとリュ-ネブルクの二つの小さな町を訪れました。 ツェレは、木組みの家がカラフルで「北ドイツの真珠」と言われている町です。リューネブルクは、塩の産地として昔から栄え、リューベックに至る「塩の道」の出発点でした。
ハウプトバーンホテルの朝食 ツェレ駅
 
ハンブルク8:28発の急行で9:37ツェレに着きました。本数は多くないので早い時間の電車となりました。小さな町です。歩いて15分ほどで市の中心地に着きました。石畳の道は、石畳の間に細かいゴミやポイ捨てのたばこの吸い殻が入り込んでしまうので掃除が大変そうです。
  
ドイツも自転車王国、実に色々の種類があって、これは子ども車が付いています。城のイメージとは異なるツェレの城 左の塔がバロック、右の塔がルネッサンス様式だそうです。ボーマン博物館
 
市教会                               
 
 教会前の像
  
市庁舎
  
世界初の24時間オープン美術館と言われるtェレ美術館(夜間は館内が照明されて窓の外から鑑賞するそうです。)
 
この町で一番美しいと言われる木組みの家・ホッペナーハウス(二つ並んだ右)
 
街角図書館(市民は自由に本を借りられるそうです。)
 
小さい町で見所は木組みの家以外は無いので小1時間で巡ってしまいました。11:06発の電車でリューネブルクに向かいました。
~~~ この時間は各駅電車しかなく、途中のUelzenと言う駅で乗り換え無ければなりませんでした。その待ち時間を含めて1時間半もかかり、リューネブルクに着いたのは12:24でした。Uelzen駅はきれいでした。ドイツでは新幹線を除いて、自転車を車内に持ち込めます。有料です。
 
通常は、車両の半分ほどが自転車・乳母車・車椅子スペースですが、この車両はその専用車です。エスカレーターも乗れます。
リューネブルク駅 古いクレーン、運河・川を運行する船の荷物の乗せ下ろしに使ったようです。
 
船着き場と昔の船
 
聖ニコライ教会
 
 
地下の礼拝場 ダビンチの最後の晩餐を真似したレリーフ
 
市庁舎 市庁舎の塔にはマイセン焼きのグロッケンシュピール(組鐘)があります。
 
市庁舎前で結婚披露宴が、お二人の赤ちゃんも参席していました。
 
ハイネの家  途中でこんな標識が、後で説明しましょう。もちろん日本の鳴門です。
 
聖ミヒャエル教会 パイプオルガンの仕組みの説明
  
 
地下礼拝場
 
 
塩の博物館 入り口右は大きなスーパーでした。 市立劇場
 
塩の博物館の場所が分からず、近くの大きなホテルで聞きました。受付の女性は外に来て教えてくれました。アム・サンデ広場の聖ヨハニス教会と反対側の木組みのお店 聖ヨハニス教会の左右にファーサードがあります。
 

聖ヨハニス教会の中にはいると教会関係者の老人が声を掛けて来ました。お布施の催促かと小銭入れを探していると「ドイツ語、英語」と聞くのです。私が日本人だと分かると女性職員(ボランティアの感じでした)が部屋の中から日本語の説明書探してきてを手渡してくれました。
 
  
 
  
 
  
帰りに説明書を返すと感想を聞かれたので、「よくわかりました。素敵です。」 と答えました。パイプオルガンもきれいで豪華でした。南に向かって少し塔が傾いているそうです。また、塔の上からは毎朝10時にトランペットで時刻を知らせるそうです。
聖ヨハニス教会の全景
 
給 水 塔 56mあり、エレベーターで上れます。(4ユーロ) 展望台からの景色
 
展望台からの景色

聖ヨハニス教会 聖ミヒャエル教会
 
  
展望台にあったこのプレートは塔整備の寄付者の名前でしょうか。 階段で下りると、昔の給水設備が
 
塔の中程に『鳴門の寄付者』と日本コーナーが設けられていました。給水塔は長い間、痛んだまま放置されたままだったそうです。整備されたとき鳴門の市民が寄付を寄せたそうで、その名前が記され、日本コーナーが設けられたそうです。途中で見た『鳴門』の標識の意味がわかりました。
    
ビルの壁画  確かに聖ヨハニス教会は傾いています。
 
駅前のリューネブルク博物館
 
15:12の急行で帰りました。約30分、8.70ユーロでした。ドイツは、鉄道の整備が発達しているので旅行者にはとても都合がいいです。幹線・長距離は利用者も多いのですが、ローカル線は利用者も少なく廃線を余儀なくされている路線もあるようです。車の勢いに負けているので様々な割引サービスを試みているようです。私も「早割購入」の恩恵を大分受けました。しかし、ヨーロッパの鉄道システムには私にはかなりシステム的欠陥があるように思います。致命的弱点は遅延です。その第一は、ヨーロッパ独特の駅の構造です。ターミナル駅は、線路が通過するのでなく、熊手型になっているのです。昔の上野駅がそうでした。

東京から名古屋経由で大阪に行くとすると、名古屋はスルーするのでなく、一度名古屋駅で終点し、来た方向とは逆に走り、大きく迂回して大阪に向かうという感じです。ホームを並列してたくさん作れるのですが、進入と出発の線路数が一致しないので運行がスムーズに行かず、遅延はほぼ必至と言わざるを得ません。次は、改札システムです。日本では、ホームの出入りは必ず改札口を通らなければなりませんが、ヨーロッパの多くはホーム・電車内への乗り降りは、ほとんど自由です。ホームで切符を打刻します。日本の「スイカ」は便利この上ありません。実質的チケットレスですから。急行や新幹線は車内検札がありますが、ローカル線は地下鉄・トラムを含めてほとんど検札がありません。無賃乗車が可能で、有効にチケット料金を回収していない感じです。次は、チケット購入の方法です。自動券売機で買うことが出来るのですが、その台数がきわめて少ない上に機械によってはクレジットカードが使えなかったり、ひどい場合はコインのみと言うのもあります。行き先を、キーボード式に入力しなければならない機械もあります。近距離・ローカル線は良いのですが、長距離(高額)・急行などは窓口で買わなければなりません。チケットの種類・形も何種類もあるようで、飛行機のような、eチケットやスマホにGコードにしているものなど色々あるようです。急行も自由席車両と指定席車両とが分かれていないで混在していたり、指定席でも空いていれば座って良いとか複雑です。車両の停車位置も日本のようにきちんとしていない上に、何号車はどこに停車するかなどの情報も分かりづらいです。ドイツの鉄道網はとても整備されていますが、チケット購入の不便さ、遅延、到着ホームの変更、停車位置に分かりづらさ、駅構内に職員がほとんど見当たらないこと、ローカル駅の多くが無人駅なこと、そして、駅構内にトイレのないこと、等はとても不便でした。 【5月27日終わり】

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ドイツの旅17/ハンブルク2・ビートルズプラザ、運河街

2016年06月26日 | ドイツの旅2016年
 ビートルズプラザ
5月26日 ハンブルク市内を散策 今日は朝から傘を差さないとしっとり濡れる程度のこぬか雨より弱い雨が一日中降っていました。私は、もちろんずっと傘を差して歩きましたが…。

朝一番で、ビートルズプラザを訪れました。ハンブルクは、ビートルズが売れる前に活動した町です。ハンブルク中央駅からローカル線(Sバーン)で4つ目の駅・Reeperbahn駅前にビートルズプラザがあり、ビートルズのオブジェがあります。(冒頭の写真)
  
この手前の道を入って150m程の所にビートルズが演奏したクラブカイザーケラーがあります。
 
この通りはちょっといかがわしいまさにピンク繁華街です。私は夜はとうてい来られませんので朝一番で来ました。観光客が数名いただけです。ビートルズのオブジェの前で昨夜酔いしれたのかおじさんが寝ているのが印象的でした。新宿のピンク繁華街の朝と同じようにすいた臭いとゴミが散らかり人通りはありません。午前中は、ここから、川まで下って、そこからハンブルク中央駅に向かって川沿いを歩く予定です。ハンブルクの港は、海と見まごう感じです。エルベ川の河口から100kmも遡っているとはとても思えません。日曜には大にぎわいのフィッシュマルクト(魚市場)のようですが、人はほとんどいませんでした。
 
フィッシュマルクトの広場のオブジェ
 
冷戦時代の名残・旧ソ連製の潜水艦U434、今は博物館で中に入れるようです。
 
ハンブルクは、13世紀から15世紀に栄えたハンザ同盟(通称や公益上の権益を守る目的の都市同盟)の拠点でした。そんな訳か、ビルのあちこちに船をモチーフにした飾りが。
 
教会が見えたので丘を少し登ったのですが、木々の中にあり写真は撮れませんでした。
 
ザンクト・パウリ・エルベトンネル[ここはお薦めの観光スポットです。]  中洲のような所に向かうトンネルがあります。車も人も巨大なエレベーターで地下20メートルほど下がります。長さは420m程だそうです。海面下なのに無料なのは驚きです。
 
  
 中央の白い物はトラックです。 
 
港の時計台  リーックマーリックマース号
 
消防艇 建設中のエルブフィルハーモニーの建物を撮っていると女の子が撮ってとばかりにカメラの前に
 
まだ建設中のエルブフィルハーモニー 旧市街の聖ニコライ教会と聖カタリーネン教会
   
倉庫街 Speicherstadt博物館
 
運河と倉庫街 ミニチュアランド
 
所々、木製のデッキ見たいな遊歩道や跨線橋があります。 郵便配達の自転車
  
Haus der Photographie  Deichtorhallen Deichtorahllen
 
ちょうど12時、予定通りハンブルク中央駅前に戻ってきたので、ホテルに戻り昼食を食べ少し休憩しました。1時半頃、近郊線で3つ目のLandungsbrucken駅(Reeperbahn駅の一つ前の駅)まで行きそこから再び歩きました。
小高い丘の上に巨大な像が ハンブルク博物館
 
ブラームス博物館(場所がわからず苦労しました。) ミヒャエル教会
 
 マルチン・ルターの像
  
教会内の地下  地下室の意味です。
 
 教会の塔の時計の針のようです。
  
"ピースボート"がハンブルクに寄港してようで、多くの日本人がツアーで来ていました。その後、数組の人に、市庁舎の行き方やスーパーがあるかなど聞かれました。旧商工組合福祉住宅跡(商工組合員を無くした妻たちのための住宅) その看板
 
レストラン脇の細い路地から入ります。(白いビルの隣、右から三件目の左のドアのような所)
 
タイヒ通り(狭い路地に木組みの家が数軒残っています。)
 
クライネ・ヴァル公園入り口 テレビ塔はすっかり雨にかすんでいました。
 
 
ハンブルク国立劇場

この場所がわからず苦労しました。最後に聞いたのはこのビルから出て人で、聞かれた人もびっくり顔で「ココ!」、地元の人も、実は知らないのに知ったかぶりして間違ったとんでもないことを言いますし、教え方が全く下手です。私は、この前を何度も行き交っていたのに分からなかったのです。計画ではここから、ハンブルク市立美術館に行き、入ろうと思っていたのですが、5時を過ぎてしまい、それどころではありませんでした。デパートによって夕食を買いました。小雨でしたが街歩きを十分堪能しました。特に、ザンクト・パウリ・エルベトンネルと運河・倉庫街は魅力たっぷりでした。【5月26日終わり】
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ドイツの旅16/ハンブルク1

2016年06月25日 | ドイツの旅2016年

ハンブルク市庁舎 手前は運河です。
5月25日 ハンブルクへ移動 ドイツ南北の中央・西の端のドレスデンから北部・東西の中央のハンブルクへ移動しました。朝食をゆっくりたっぷり食べて、9:20発の電車です。傘を差すほどではない靄のような雨が時々降りました。余裕を持って40分前にホテルを出ました。ポストプラザからトラムです。切符を前日買っておきました。11番のトラムはすぐ来ました。乗ってすぐ打刻しました。早く着いたので、駅構内の写真やツーリストインフォの写真などを撮りました。9:20発の予定が5分遅れで到着。車掌がいたので、チケットを見せると最後尾だというのです。車掌は、私の身なりを見て、二等車と思ったのでしょう。最後尾に行くと、51席は座っていました。チケットを見せると私の席は「一等車だ」と言うので、また最前列の列車に舞い戻りました。今度は違う車掌がいてチケットを見せて「一等車だ」と言うと、空いている席に案内してくれました。一等車の51席とチケットに書いてありますが、席は自由なのです。扉のある6人のボックス席の一等車に一人でした。
 
トイレは、きれいで広かったです。途中の景色は殺風景そのものです。
 
電車は5分遅れで出発し、ハノーファに13:30着、乗り換えの電車は13:36発なので乗り遅れないように急いで移動です。ところが、エスカレータがありません。ハンブルク行きの電車はなんと20分も遅れて到着したのでした。ハノーファからハンブルク中央駅までは駅二つで1時間ちょっとです。ハンブルクの名が付く駅は、Hbf(中央)の他に、ダムトーア駅・アルトナ駅・ハートブルク駅の四つもあります。

ハンブルク駅も実に巨大です。ホテルは、繁華街とは逆の東側出口で、駅から徒歩3分というロケーションです。
 
ホテルについて、パスポートを胴巻きから出そうともぞもぞするとレセプションの女性が「トイレですか?」に大笑いでした。ノボム・ホテル・クロンプリンツ・ハンブルク・ハウプトバーンと言う長い名前のホテルです。
   
部屋はきれいですが、やはり一長一短があるものです。ドイツのトイレはウオシュレットで無いので、シャワーで洗うのですが、ここのは蛇腹式蛇腹式ではなく、天井に付いているのでお尻を洗うと体全体が濡れてしまうのです。その代わりセキュリーティボックスが部屋にあり、15ユーロのデポジット、鍵式、とてもいいです。冷蔵庫はありません。Wifiは無料です。ヘアドライヤーのコンセントが見つからないのでレセプションに行ったのすが、理解してもらいません。部屋に新しいヘアドライアーをもって来て、コンセントを探しますが見当たりません。あちこち触って、蛍光灯の端にカバーが付いていてそれを開けるとコンセントが出てきました。16時過ぎになりましたが出かけました。

美術工芸博物館 この建物は?です。
 
聖ヤコビ教会
  
 
 
ペトリ教会
 
 
聖カタリーネン教会
  
 
聖ニコライ教会廃墟(工事中の感じ)
  
 
何の建物か?
 
市庁舎 市役所時計台の入り口上部
 
市役所中庭 中庭から時計台・入り口上部
 
中ではどうも旧社会主義時代の秘密警察や悲劇についての展示が行われているようでした。
 
多くの人々で賑わっていました。
内アルスター湖
 
デパートで水と果物と夕食用惣菜(魚の薫製とサラダとパン)などを買って帰りました。ホテルのロケーションが良いです。近くにスーパーなどがあるかは調べませんでしたが、今日歩いた市役所への道が繁華街で大きなデパートなどがありますし、駅の中にもファストフードがたくさんあります。エルベ川はとても広く、海の様です。海岸から100kmも内陸に入っているとは思えません。しかし、雰囲気は海岸の港町の感じです。運河がたくさん走っています。地下鉄、鉄道近郊線などの便も良いようです。 5月25日終わり】
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ドイツの旅15/ドレスデン2

2016年06月24日 | ドイツの旅2016年

新市街地から旧市街地を望む[合成]
5月24日、ドレスデン市内を歩きました。 午後から雷雨との天気予報でしたなので、午前中は新市街地、午後は旧市街地のツヴィンガー宮殿とドレスデン城を見学することにしました。ドイツに来て一週間ほどは時差の関係で明け方に便意がありましたが、その後はだいぶ落ち着いて来ていました。それでも、やはり早朝に便意があるので早起きしていたのですが、昨日は5時半起きだったせいでしょうか、珍しく7時過ぎに目が覚めました。ゆっくり朝食を食べ、10時前にホテルを出ました。朝食は、どのホテルもほとんど同じです。ヨーグルトはカップ入りだったのでランチ用にももらい、果物ももらい、ランチ用にサンドイッチも作り、持ってきました。

聖十字架教会を再訪し、写真を撮りました。 ツーリストインフォメーションがあるビル[赤い部分]
 
聖母教会再訪 路上でマップを販売する人
 
城壁の外・エルベ川沿いからStaalicheアカデミー・ドレスデン要塞 城壁
 
新市街地のザクセン民芸博物館 アウグストゥス橋[橋の向こうが新市街地です。]
 
このアウグストゥスは、古代ローマのアウグストゥス帝ではなく、17世紀ドイツザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世
左:ドレスデン城入り口右:カトリック旧宮廷教会 Oberlandesgericht Dresdenと言う建物
 
ドレスデン城入り口 アウグストゥス橋から旧市街地を臨む
 
冒頭の写真の景色
 
橋を渡り終えて、新市街地へ

日本宮殿 巨大な日本宮殿外観、日本宮殿の中身は不明です。
 
同中庭  Senckenberg Naturhistonische博物館が入っています。
 
 黄金色のアウグストゥス帝像
  
屋内市場
 
三王教会(工事中で入れませんでした。)
 
ビルの中に三角の家がありました。何かは不明です。
 
ケストナー博物館 ケストナー博物館の塀
 
Kunsthaus 博物館 アウグストゥス橋から旧宮廷教会(左)とセンパーオペラ座(右)
 
橋の中程に北斎の波の絵の看板が、その先はセンパーオペラ劇場(センパーとは建設者の名) オペラ劇場
 
オペラ劇場発注者・ザクセン王ヨハン像 ツヴィンガー宮殿
  
旧宮廷教会とツヴィンガー宮殿 旧宮廷教会内部
 
ユニークな二つの彫刻
  
旧宮廷教会とツヴィンガー宮殿を結ぶ廊下
 
ちょうど12時頃、ホテルは目の前なのでホテルの部屋で朝作ったお弁当を食べました。部屋で少し休憩し、出かけました。
ツヴィンガー宮殿の王冠の門 ツヴィンガー宮殿入口[上は、陶磁器コレクション]
  
ツヴィンガー宮殿中庭

市内博物館の共通券=SKD-Museumを申し込むとドレスデン城は火曜日は休館なので無駄になるので、ツヴィンガー宮殿内の三つの博物館券(10ユーロ)を薦められました。陶磁器コレクションの建物外観 陶磁器コレクション(陶磁器は興味がないので素通り)
 
 
  
 
数学物理学博物館建物 時計・顕微鏡・計算機・天体等が陳列されています。
 
 
  
 計算機
  
アルテ・マイスター絵画館 広いです。確か年代別に4階になっていました。
 
次の三つが有名な所蔵品です。フェルメールの遣り手婆 フェルメールの手紙を読む少女 ラファエロのシスティーナのマドンナ   
  
  
レンブラント
 
 
手荷物はロッカーに入れます(1ユーロ入れますが戻ります。)トイレもチケットのバーコードを読み取り機にかざして入ります。 再建された中世ドレスデン城シュタルホ-フ(武芸競技場)の外側の君主の行列の壁画の裏側
 
ドレスデン城の入り口を入った中庭の天井屋根 ドレスデン城外観1
  
ドレスデン城外観2[広いので一枚に収まりません。] ンケルヴァッヘ(センパーオペラチケットオフィス)
 
ドレスデン城の入り口の一つ、まるで仁王門です。
 
市立博物館 市庁舎
  
市庁舎前の像(東ドイツ時代の女性労働者のイメージ) トイレ二つ
  
4時を過ぎ、明日はハンブルクへの移動なので、デパートにより夕飯の食材とウイスキーを買い、ホテルに戻りました。ドレスデン城内部の閉館は残念でした。雷は遠くで光っただけでした。大雨にはなりませんでしたが、時々降りました。ドレスデン城とツヴィンガー宮殿一体のドレスデンの旧市街地は見応えあるエリアでした。特に、エルベ川に架かるアウグストゥス橋からの旧市街地の景色は美しく、印象的でした。第二次大戦で町のほとんどが壊されたのですが、残った資材なども利用して再建・復興したそうです。時間が十分なく、また雨に降られてゆっくり散策できなかったのは残念でした。【5月24日】
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ドイツの旅14/ドレスデンへ

2016年06月23日 | ドイツの旅2016年

君主の行列
5月23日 ドレスデンに移動 かつてザクセン王国の首都だったザクセンも空襲でほとんど壊滅したそうです。しかし、1985年頃からいくつかの歴史的建物の再建が進められ、フラウエン教会は東西統一後再建作業がはじまり、2005年に完成したそうです。
途中乗り換えのライプチヒ駅
 
ミュンヘン発を7:20にしたのは、大失敗でした。時間はあるし、電車の本数もあるのにこんなに早い時間にしてしまいました。ホテルの朝食はとれないので前日にサンドイッチなどを買って来て、早起きして食べました。12:10にライプチィヒで乗り換え、ドレスデンに着いたのは13:37でした。新幹線2等の指定席で106.85ユーロでした。

ドレスデン駅
 
隣の男性が、どこから来たのかと話しかけて来ました。漢字を少し教えたりし、ドイツの感想などを聞かれました。ドイツの特急・新幹線では通過駅時刻、到着ホーム、乗り換え列車案内などが細かく載ったリーフレットが配られます。ホームには、列車毎の客車号数の位置などが掲示されることを知ったのですが、この情報が間違っていることが多々あります。ドレスデンに着いて、SKD-Museumチケット(明日回るツヴィンガー宮殿やドレスデン城の共通チケット)を買うために、ツーリストインフォに行こうと思ったのですが、場所がよくわからず、ドイツ鉄道のインフォに聞くのですが、ここは鉄道については親切なのですが、他の案内についてはきわめて無愛想でぶっきらぼうです。よくわからないので何人かに聞いたのですが知ったかぶり、勘違いの回答あり、あっちこっちうろうろして行き当たりました。灯台もと暗し、駅構内すぐそこにあったのですが、何度も通り過ぎていました。

このチケットは、ここでは買えず、各博物館などで買うとのことでした。さて、次の問題は、今日のホテル、モーテル-ワン・ドレスデン・アム・ツヴィンガーという長い名前のホテルは駅からちょっと離れているのですがタクシーでは乗車拒否されそうな距離でなので、トラムで行くことにしました。11番のトラムで三つ目のポストプラザで降りるとのことですが、乗り場は一つで行き先毎に選ぶのかと思ったら、行き先によってホームが違うのでした。乗ったとたんに車内検札がありました。トラムを降りた200m程先にこのホテルはあったのですが、ホテルらしからぬ建物で、通り過ぎてしまいました。途中から引き返し、ホテルの看板が目に入ったので、ここで聞こうかと思ったら当のホテルでした。
  
朝食込み2泊で167ユーロと結構高いです。チェーンホテルで他の都市でも見かけました。新しくきれいですが、設備は特にいいわけではありません。バスタブ、冷蔵庫はありません。シャワー室は扉が無く半分ガラスがあるだけです。ミュンヘンのホテルと同じ設備でした。こちらの方が広く明るく鍵がカード式だけがいいです。ここまでに時間がかかってしまい、結局出かけたのは4時頃になってしまいました。

まず夕飯と水などを求めて近くの巨大なショッピングモールに行きました。スーパーもありました。
マルクト広場 文化宮殿は工事中
 
聖十字架教会
  
 
 
聖母教会 マルチン・ルター像
  
 
マルチン・ルター像 聖母教会の後ろ側
 
Festungドレスデン博物館の一部
 
  Festungドレスデン博物館
  
Kumshalle im Lipsiusbau博物館                   Dresden Academy of Fine Arts
   
Gottfried Semper 像 Ludwig Richter 像
 
新ユダヤ教会
 
君主の行列壁画
 
 
戦災を奇跡的に免れたマイセン磁器タイルの壁画、101m、20㎠2万5千枚のタイルで出来ているそうです。ドレスデン城北東側の中庭にあります。欧州最古の武芸競技場だったシュタルホーフが再建され、外壁にこの壁画があります。
 
聖母教会を再訪しました。
  
まだまだ明るいので回りたかったのですが、便意を催したのでホテルに帰りました。ショッピングモールで、夕飯を買いました。深夜、かなり激しい雷雨で目が覚めました。【5月23日終わり】
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