風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ベトナム・カンボジアの旅=現地発ブログを一つに

2011年11月25日 | ベトナム・カンボジアの旅
11月26日から12月15日の20日間、ベトナム・カンボジア観光旅行に行って来ました。
現地から発信したブログを一つにまとめました。
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2011-11-25
11月26日から12月15日の20日間、ベトナム・カンボジア観光旅行に行って来ます。
ベトナム・カンボジを訪れたことがあります。
4年ほど前のピースボートでは、ベトナムのダナンに一日だけの滞在でした。
その後、ホーチミン市内をフランス旅行の往路のトランジットで二日、帰路のトランジットで一日観光したことがあります。
カンボジア・アンコールワットは、ピースボートで3泊4日のツアーで観光しました。
今回は、妻と二人でハノイ、フエ・ホイアン、アンコールワット遺跡の観光をします。
ホーチミン市は2泊だけ、メコン川クルーズだけです。
ベトナム・カンボジアは移動手段が限られ、また言葉の問題もあるので全くの個人旅行は私には難しく、
南北縦断鉄道も魅力でしたが、本数が少なく予約も簡単ではないのであきらめました。
現地でのツアーに参加することにしました。
お金がちょっと高いですが、ホテルまで迎えに来てくれ、日本語のガイドが付きます。
飛行機、ホテルの予約等は私がしました。



インドシナ半島の旅行は、雨季より乾季つまり夏より冬の方が良いと言われているのでこの時期にしました。
ところが、中部のフエ・ホイアンは今が雨が多く、月500mmの雨量だそうです。
北部のハノイはほぼ東京と同じ気温、中部のホイアンは雨季、そしてオーチミン市・カンボジアは真夏のようです。
簡単なブログを毎日発信したいと思っているのですが、ネット事情や体調の問題があるのでどうなるかは分かりません。
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2011-11-26
無事、ベトナムのハノイに着きました。
かなりの綱渡りで、ちょっとあわてました。
成田を10時30分に立ち、ハノイ空港に着いたのは午後2時10(時差2時間)でした。
しかし、手荷物が出て来たのは40分後でした。
あわててタクシー乗り場に急ぎましたが、猛烈な客引きでした。
英語が通じなかったのですが、25ドルというので乗りました。
ちょうどホテルに着いたのは4時でした。
4時からシクロでの市内観光ツアーの予定でした。
ベトナム人のガイドが待っていて、あわててチェックインして、4時15分に出発しました。




約1時間シクロで旧市街地の市場街を観光しました。
ガイドが、果物屋に案内してくれたのですが、生ものなのでパスして、
食事ができるところを案内してもらいました。
ホテルの目の前で、日本語のメニューがあるレストランでした。
フォーと野菜入り焼きフォーをつまみにビールを飲みました。
ホテルは、旧市街地の真ん中できれいではありませんが、バスタブ・冷蔵庫があり、
室内でネットもできるので、問題ありません。
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2011-11-27
11月27日、今日はハノイ市郊外、車で2時間ほどの所にある仏教寺院・パヒュームパゴダに行きました。
現地のツアーです。
7時45分ホテルピックアップの予定が30分以上も遅れました。
あちこちで客を拾って来たからです。
ハノイ在住の日本人3人、ドイツ人4人、スペイン人3人で、英語と日本語のガイドがそれぞれ付きました。
かなり山に分け入るとそこからは道が無く、泉=細長い川状の湖をボートで行くしか無いようです。
鉄製のボードで大波がくればすぐ転覆しそうなボートです。
川ではないので流れも、波もありませんし、水深もそれほど深くはありませんが、
救命胴着なしですから日本では許可されないでしょう。
手こぎで約1時間、のんびりと景色を見ながらです。


船着き場から参道をしばらく歩くとロープウエイがあります。
更にしばらく歩くとパヒュームパゴダ(仏教寺院)があります。
1946年(確か)フランスの空爆で消失し再建されたそうです。
旧正月のお参りの時はすごい混みようだそうです。
味わいあるお寺でした。


そこから120段の急な階段を上ると、大洞窟があります。


長時間でしたが、過密スケジュールではなく、私たちは下りもロープウエイをオプションしたのでそんなに疲れませんでした。
昨夜のレストラン前を通ると店員が顔を覚えていて声をかけられ、そこで食事しました。
そこからホテルまでは100メートルです。
無事二日目も終わりました。
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2011-11-28
11月28日、今日はハノイ市内をウォーキングしました。
ホーチミン廟やホーチミン博物館を見学する予定でしたが月曜日はお休みなので、
それは後日に回し、ハノイ市の東側を縦横無尽に歩きました。
最初に、フランス植民地時代から多くの独立運動家が逮捕・収用されたホアロー収容所を見学しました。
ここは月曜ですが開いていました。
場所が分からなかったので、ガイドブックを示すと指さしで教えてくれました。


ほぼ、市東側の中央にあるホアンキエム湖、湖に浮かぶ玉山祠


ベトナム人、特に女性は誠実に働いています。
天秤で担いで、自転車に積んで、1メートル四方があいていれば路上で商売をしています。
それは実に感動的です。


午後2時半頃から小雨が降って来、まただいぶ疲れてきたのでホテルの帰りました。
いくつかのお寺も訪れましたが、ほとんど小さく、戸が閉じられていました。
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2011-11-30
11月29日~11月30日、ハロン湾一泊クルージングに行って来ました。
ハノイからハロン湾までは、約160キロ、朝8時にホテルを出て、正午少し前に着きました。
途中すごいスコールでしたが、ハロン湾に着く頃には止みました。
ハロン湾に桟橋が無いので、小型ボートでジャンク船で行きます。
ジャンク船の設備・キャビンはきれいで良かったです。
トイレ・シャワー付きです。
着いてすぐランチ、その後水上生活をしている漁民の村を訪問し、乗船しました。
テレビもあり、トイレも水洗でした。
若い人々がたくさんいるのには驚きました。

夕飯は、ディナーという名がぴったりの豪華な食事でした。
このころから雲が少し晴れ、月が見えました。
船は全く揺れませんでした。
翌日は、モーニングティ、軽朝食の後、鍾乳洞に入りました。
船に戻って、第二ブランチでした。

ハノイに戻り、夕方は水上人形劇と食事のツアーでした。
人形劇は楽しく、食事もとても美味しかったです。
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2011-12-01
昨夜鑑賞した水上人形劇


12月1日、ハノイから焼く100キロほどの山の中にあり、
陸の「ハロン湾」と言われるホアルー・タムコックを訪れるツアーに参加しました。
朝から、猛烈な雨でした。
雨の中、ボートに乗って、石灰岩の山にできた洞窟を通りました。
晴れていたら、洞窟内に入る日の光が水面に反射しとてもきれいだそうですが、
写真を撮るのも難しい雨でした。
水温は驚くほど高く、ぬるま湯のようでした。
おそらく水が流れないので暖かいのでしょう。
少しでも早く戻れるように、私もカヌー用のようなオールでこぎました。

この女性のこぎ手は、傘を差して、足でこいでいました。
雨でしたが、ボートをこぐ体験もしてそれなりに楽しみました。
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2011-12-02
12月2日、予備日で、ハノイ市北西部を歩きました。
ホテルから2~3キロと遠いのでタクシーで行きました。
50ベトナムドン(50000ドンだが、後ろの三桁は略します)、2.5ドルです。
ホーチミン博物館、ホーチミン廟、ホーおじさんの家、文廟、民俗学博物館などを見ました。
ホーチミン廟(月・金は閉館)

ホーおじさんの家(と言っても新しい)

民俗学博物館はホーチミン博物館から更に西に3キロほど行った所にあります。
ベトナムの少数民族の衣装や生活用具や住居が展示されています。
ベトナムはものすごい数の多民族国家だと分かりました。
とても魅力的博物館でした。

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2011-12-03
12月3日、ラオス国境近くの山岳地帯の少数民族のマイチャウ・ラック村を訪れました。
ハノイから車で約4時間、山岳地帯なので寒いと思いましたが、
サトウキビ畑が広がり、長袖Tシャツ2枚で、暑くもなし寒くもなしでした。
このツアー、参加者は私一人、妻はお腹の調子が悪くキャンセルしました。
乗用車ドライバー、日本人ガイド、私の男三人でした。




着いてすぐ昼食でした。食べきれない量でした。
素朴な庶民的ベトナム料理で、特別のごちそうではありませんが、味はシンプルで薄味でした。
食事の後、そのお店で民族舞踊と楽器のショウを見ました。

最初は、ガイドと私の二人だけで恥ずかしかったのですが、音楽を聞きつけた
この村を訪れていたベトナムの学生らが無料見学してくれて助かりました。
踊り子たちの美しさに目を見張りました。
村全体が、観光村です。
旅館、お土産屋、レストランを経営しています。
観光化しすぎているとの批判もあるようですが、
少数民族が独自の文化・アイデンティティを保持する一つの方法と私は思います。
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2011-12-05
12月5日、フエの北西200キロにある、世界遺産・フォンニャ洞窟を訪れました。
遠いので、ツアー出発はホテル7時発です。
ベトナムに来て、早寝・早起きなので、7時出発でも問題ありません。
ツアー客は、私たちだけ。
四時間後着きました。


まず、朝早かったので早お昼となりました。
とても二人では食べ切れ無い量です。
香辛料が強め、更に甘さと塩味も濃かったですが、美味しかったです。
こんな田舎でも、ウオシュレットのトイレです。
大きめのモーターボートで30分行くと洞窟に着きます。

はじめは、これまでのハロン湾やホアルー・タムコックの洞窟と同じかな、
このツアーを選んで失敗したかな、と思ったのですが、予想は違いました。
世界一の規模という洞窟だけあって、雄大できれいでした。
オフシーズンで、観光客も数人だけ。
現地滞在は2時間だけですが、途中ベトナムの稲作農村風景なども堪能し、良かったです。

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">2011-12-06
12月4日、ハノイ市に別れを告げて、ベトナム中部のフエに来ました。
出発まで少し時間があるので、ホアンキエム湖の周りを少し散歩しました。
日曜の朝なのに、炉端で朝市うぃ開く人が多数いました。

飛行機の搭乗手続きはとても簡単でした。
行列もなく10分で終わり、飛行時間も50分でした。
天気予報では、雨でしたが快晴で、少しむっとする暖かさでした。
ホテルにチェックインして阮朝王宮を訪れました。

とても広い王宮でしたが、痛みがひどく、保存状態が悪いようです。

宮廷料理を食べ、フォーン川クルーズ船でフエの民族音楽を鑑賞するツアーに参加しました。
隣に座った、カナダ人ご夫婦とたくさんお話ししました。
[昨日は、更新し忘れました。]
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2011-12-06
12月6日、フエ・ホイアン2泊3日のツアーに参加しました。
若い女性ふたりのグループと一人旅の若い男性の5人でした。
2代・12代皇帝の墓=廟を訪れました。



阮朝王宮を訪れた後、仏教寺院・霊姥寺を訪れました。


その後、40分ほどフォーン川でボートに乗りました。


ホテルのチェックイン後、レストランでの食事となりましたが、
おとといと同じレストランの宮廷料理でした。
美味しかったので問題はないのですが、二度も食べに行く人は珍しいでしょうか。
ボーイさんが覚えていて、ニコッとしてくれたのは良かったです。
私は、歩き足りないのでしょう、十分空腹でないので全部は食べられませんでした。
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2011-12-10
12月10日、午後4時頃、カンボジア・アンコールワットの入り口・シュムリアップに入りました。
午前中はハノイ市内を歩き、11時のホテルチェックアウト後、ホーチミン市博物館を見学し、
ホテルの戻って、ホテルのレストランで昼食を取って、空港に向かいました。
ホーチミン市のバイクの様子


ホーチミン市サイゴン川


飛行機から見た、カンボジアのトンレサップ湖


カンボジア、シュムリアップは、アンコールワット遺跡の入り口の町です。
ハノイ・ホーチミン市の雑多・喧騒が嘘のようです。
全てがゆったり流れている感じです。
バイク、車が少なく、排気ガスの臭いもせず、自転車が多いです。
車も、バイクも自転車もそのスピードは実にゆっくりしています。
[もっとも、4年前訪れたときのプノンペンはベトナムの町のようにオートバイの群れでしたが]

フエ、ホイアン、ホーチミン市とインターネット事情が悪くブログ更新ができませんでした。
シュムリアップに入り、復活できそうです。
シュムリアップは、想像していたよりは暑くありませんでした。
飛行機か降りたときは午後4時でしたので、気温も下がったようです。
晴れた日中は32度くらいになるそうですが、疲れたら昼寝時間=シエスタもとれるようなので安心です。
カンボジアでの4泊5日のツアーは、私たち二人だけなので、わがままもできそうです。
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2011-12-11
12月11日、朝は肌寒い位でした。
8時半ホテルを出発して、15分ほどでアンコールワットの入り口に着きました。
チケット売り場で、4デーイズチケット(40ドル)を求めました。
その時、カメラで顔写真が撮られ、しばらくすると、顔写真入りのチケットができあがり渡されます。
更にしばらく車で行くと、アンコールワットの入り口です。
4年前に訪れたときは、9月の雨季で、水たまりがあちこちあり、ムッとする暑さでした。
それ以上の驚きは、土産物売りが圧倒的に少ないことでした。
ベトナムもカンボジアも、教師と教室が足りないので二部授業です。
ですから、授業のない多数の子供がお土産売りにくるのです。
顔を見ると同情してしてしまうので、無視するのが一番です。
アンコールワット


近くでランチを取るレストランもあるようですが、私たちはホテルに戻り、
ホテルのレストランでカレー味のイエローヌードルをつまみにビールを飲みました。
午後2時45分までシエスタです。

午後2時半過ぎ、日射しも和らぎ、気温も高くなく過ごしやすいです。
アンコールトム遺跡に行きました。

夕焼けに染まるアンコールワット


午後5時、再びホテルに戻り、シャワーを浴び、その後、レストランでディナーショウでした。
ゆっくりワインをいただき、食事を楽しみました。

この店は、ピースボートの時も訪れました。

2時間ほど観光し、その後ホテルで休憩し、また2時間ほど観光とゆっくり穏やかに時が流れます。
ディナーも2時間ですから本当にのんびりです。
食べ過ぎないよう、生ものを食べないよう気を遣いましたが、スイーツも豊かでした。
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2011-12-12
12月12日、午前中、タ・ケウ、バンテアイ・クディ、タ・プローム、スラ・スラン、プラサット・クラヴァンの遺跡を訪れました。
ガジュマルの木が遺跡に食い込むタ・プローム遺跡はとても不思議です。


ホテルに戻り、食事し、昼休みを取り、2時45分から午後の遺跡散策に出ました。
午後は、プリア・カン、ニャック・ポアン、プレ・ループ遺跡を訪れました。
プレ・ループでアンコールワットを臨むサンセットを見ました。

アンコールワットは遙か彼方でカメラでは収まりませんでした。

夕飯のレストランに向かう途中、最近のシュムリアップの新開発地予定地を訪れました。
一帯は、広大な平地で、広いとおりには街頭が設置されていますが、
新開発が開始されるまでは、市民の憩いの場となっているようです。
夜だけ開かれる様々な食べ物の屋台や、古着や古靴などの市場となっているようで、
小さなメリーゴーランドや観覧車がありました。
かつての深刻なポリポト時代の内戦を乗り越えた新生カンボジアの息吹を感じ、
私は、トキメキを覚えました。


影絵芝居(スバエク)を鑑賞しながら夕食をとりました。

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2011-12-13
12月13日、アンコールワットのサンライズを朝4時起きして見に行きました。
しかし、東の空は雲がかかって日の出を見ることができませんでした。
朝のアンコールワット


バンテアイ・スレイ遺跡には、「東洋のモナリザ」と言われるレリーフがあります。


遺跡近くで遊ぶ子供


稲刈りが行われた広大なたんぼがありました。


サンライズを見た後、ホテルに戻って食事をして、遺跡巡りを再開しました。
昼休みを取らないで三つの遺跡を巡り、今日のツアーを終えました。
午後1時過ぎに、ランチを取り、近くの仏教寺院に立ち寄って、ホテルで昼寝をしました。
夕方になってもお腹がすかず困りましたが、ワインとともに軽い夕食をとりました。

いよいよ明日は、トンレ・サップ湖でのボートクルーズとオールド・マーケット散策等で
この旅行も終わり、シュムリアップを8時過ぎの飛行機でハノイに向かい、
深夜0時10分のハノイ発で成田に朝7時に着く予定です。
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2011-12-16
12月14日夜8時半過ぎ、カンボジア・シュムリアップを発ち、
日付が変わった深夜0時半頃ハノイを発ち、朝7時成田に着きました。
時差は2時間ですから、4時間ちょっとのフライトでした。

12月14日は、午前中はトンレサップ湖でボートクルーズをしました。
 

水上生活をする人々の様子を見、シュムリアップに戻り、オールドマーケットを見た後、


レストランで食事後、日本人が作った織物工場に行ったのですが、
午後2時まで昼休みと言うことで、新マーケットで1時間、時間つぶしをしました。
その後、障がい者が多く働く石彫刻、木工、漆工芸などの工房を見ました。
そこで、手話で会話する人がいたので、日本手話で「こんにちは」を送ると、
こんにちは、ありがとう、友達と返ってきました。

カンボジア国立博物館まで送ってもらい、カンボジアのツアーはひとまず終わりとなりました。
見応えがある博物館でした。
ガイドブックには、博物館内にレストランがあると書いてあったのですが、
ティルームだけでした。
近くには適当なレストランが無く、ホテルのレストランが開いていたので、入ったのですが、
ピザやフォーはなく、ハンバーグだけがありました。
時間が迫っていたので、何十年ぶりかのハンバーグ(3.5ドル)を注文しました。

ハノイの国内空港では、食べ物はインスタントラーメンだけでしたので、
シュムリアップ空港でも十分な食事が出来ないと、勝手に思い込んでいたのです。
シュムリアップ空港は国際空港で、ちゃんとしたレストランがありました。

ハノイからの飛行機ではウイスキーを戴き、ウトウトすると確か3時頃、朝食でした。

大きな失敗も無く、予想・期待していた以上の喜びと感動を戴いた旅でした。
これからじっくりブログを綴って行こうと思います。              【終わり】



法然と親鸞展(東京国立博物館)

2011年11月23日 | 学習
11月22日、東京国立博物館で行われている『法然・親鸞展』に行ってきました。
これまで既に10万人の観客があったそうです。終わりの12月4日が近づいたせいか初めて入場制限が行われれました。
15分ほど並びました。日射しが射して来て、少し寒さが和らいで助かりました。[特別展1500円、オーディオガイダンス500円]


   館内で写真撮影はできないので、以下は全て引用です。


   
国立博物館の特別展は十分な満足が得られないことが多いのです。
その理由は、羊頭狗肉で、迫力・規模不足が多いからです。今回もそうでした。
仏像・宗教は静かなブームなのでしょうか。
阿修羅展・空海展に続き、法然・親鸞展も大盛況でした。

前回の空海さんの真言密教と今回の法然・親鸞さんの浄土・阿弥陀仏とはその趣がだいぶ違って感じました。
空海さんは、入定によりその肉体は滅んでも即身成仏となり、その命は今も生き続けていると信じられるように神秘主義が強く、
絶対的な存在です。
真言宗の信仰する大日如来は、曼荼羅の中心に座り、絶対的真理宇宙である中心仏であり、一神教の絶対者=神のような存在です。
法然さんの浄土宗、親鸞さんの浄土真宗では、信仰の中心は阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、一億光年の十億倍もの彼方にある西方浄土を司る仏です。
平安末期から鎌倉時代は、全てが滅ぶ末法の時代と信じられていました。
民衆は、生きていても塗炭の苦しみにあり、死して後も地獄に堕ちると希望を失っていました。
輪廻の世界から抜け出すには、寺を建立したり豪華な仏像や経本等を寄進する等の功徳を積むか、
厳しい修行を経て、解脱・悟りに達するしかないと言われて来ました。
貧しき民衆にはそれは出来ないことでした。
法然さんは、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、死の床に阿弥陀如来が来迎し、極楽浄土に連れて行ってくれると説きました。
親鸞さんは、法然さんの考えを更に進めて、南無阿弥陀仏と心に念ずれば、極楽浄土が約束されると説きました。
春をひさぐ遊女も、子どもを間引いた人々も、盗みや殺人を犯した人々も、阿弥陀仏を信じれば救われると説いたのです。
その教えは民衆の心を捕らえました。
複雑な曼荼羅の世界から、阿弥陀来迎の世界は、とてもシンプルで、現実的でした。
そんなことが背景にあるのでしょうか、浄土宗・浄土真宗のお寺は、豪華な仏像等は少ないです。
しかし、東本願寺本堂は極めて広い広間です。
ちょうどイスラームのモスクのようではないでしょうか。
大勢の信徒が広い本堂で一斉に南無阿弥陀仏と唱える光景はきっとスゴイ迫力と一体感を持っていたことでしょう。
時の権力者と既存仏教界は、法然さんと親鸞さんの教えを「邪教だ」と、都から追放しました。
彼らは、その教えが民衆の間に広まり、民衆が反乱を起こすと直感し、恐れたのだと思います。
その予感は見事に的中します。戦国時代には信長・秀吉・家康らの権力者と拮抗する力を持ち、彼らを恐れさせました。

4、5世紀の中国で浄土教が生まれました。
おそらく法然さんの浄土宗とその教えは法然さんのオリジナリティではなく、中国の浄土教から生まれたと思いますが、
だからといって、法然さんの素晴らしさがいささかでも損なわれるものでは無いことは確かだと私は思います。
末法の世に、民衆に希望を与えたのですから。

この日は、展覧会だけで帰りました。
西洋美術館では、スペインプラド美術館のゴヤ展をやっていました。                               【終わり】

佐野洋子さんの本/100万回生きたねこ・死ぬ気まんまん

2011年11月21日 | 読書ノート

読みたかった、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を図書館で借りて読みました。
ごらんのようにちょっと怖い主人公の"ねこ"は、王・船乗り・泥棒・おばさん・女の子などにかわいがられましたが、彼は彼らが嫌いでした。
彼は、100万回死んで、100万回生き返りました。
自分のネコになった彼は、美しい白い猫と出会います。
彼女は彼を見向きもしませんでしたが、彼は彼女のそばにいつも一緒にいました。
彼女は彼の子どもをたくさん産みました。
白い猫が死んだ時、彼ははじめて泣きました。
彼は100万回も泣き、そして静かに動かなくなり、生き返りませんでした。

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佐野さんの最後のエッセイ集とお医者さんとの対談集。
彼女にしては軽妙さや毒舌が少し薄れた印象です。
「立派な死」という魅惑的な言葉に私は大変引っかかりました。
生にこだわるあまり、"がむしゃらな延命治療"などを求めない意味ならわざわざ「立派」と言う必要はないのになぁっ、と思います。
生きよう・生きたいと懸命に頑張るのも良し、でも私はそれをしません、の方が私は「潔い」と思うのですが。
人は生まれ、生き、そして死ぬ。
そこに、「格好いい」、「立派な」、「ぶざまな」、「立派でない」などの形容詞は要らないと私は思いたいです。
もっとも、佐野さんが言うように、「命は地球より重い」とか「命は何にもまして優先される」などとは私も決して思いませんが。
ガンとわかってからも喫煙し、麻雀するのは豪快かも知れないけど、とりたてて自慢することでもないとも思います。
日教組、戦後民主主義が日本を駄目にしたなどというのもちょっと的外れというかやけっぱち気味だなと思います。
対談の相手の平井達夫医師の「人の脳は全てを支配しているのではない」は、もっともなことなのですが、ハッとしました。
人が自分の生命維持活動について意識的にすること、出来ることは本当に少ない、いやほとんど無いのですね。
呼吸・血圧・体温・消化・髪の毛が伸びたり抜けたりすることなど体のほとんどのことは自分の意志や感情とは無関係に行われています。
暴飲暴食を控えたり、栄養や肉体の鍛錬やなど、私たち人は健康=死を遠ざける為の努力を大変にします。
でも、自分の意志と全く無関係に行われる動物的生と死に関わる営みは、それと比較にならないほどはるかに偉大です。
若い頃は、自分の運命は自分が切り開くことが出来る、傲慢的に言えばどうすることも出来る、と思ったものですが、
人は、出来ないことの方がはるかに多いのであって、出来ることを慈しんだ方が良い、そうフッと思うと急に気楽になりました。
おそらく、こうした思いが「老い」なんだろうな。                                                【終わり】

飯田橋~小石川後楽園・後楽園を歩く/映画・水曜日のエメリア

2011年11月15日 | ウォーキング
11月14日、午前中は飯田橋ギンレイホールで映画を見、その後飯田橋~後楽園周辺をウォーキングしました。
映画は期待はずれだったので、ブログの"カテゴリー"は映画ではなく、ウォーキングにしました。
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牛込橋(右後ろはJR飯田橋駅前)                  富士見町教会
 

東京大神宮
 

白菊稲荷                               東京ルーテルセンター教会
 

真ん中は線路の名残です。昔、飯田橋操車場がありました。   新選組屯所跡    
   

三崎神社                                            東京ドームホテル・後楽園・文京区役所
  
水道橋駅付近は、ボクシングの後楽園ホール、場外馬券売り場などユニークな施設があり、パチンコ店もケバケバです。
後楽園と反対側には、キャンパスが無く学部毎に建物が分散している日大、専修大学、古本屋街があり、「ごった煮」の感じです。

水道橋稲荷                              金比羅東京分社(松平頼重屋敷跡)
 

宝生能楽堂                               昌清寺(浄土宗)
 
宝生能楽堂は月曜日は休館と言うことですが、特徴のない建物で拍子抜けでした。

興安寺                                三念寺(真言宗豊山派)
 

区立本郷給水所公苑[この下は、水道給水施設です。]
 
  

東京ドーム                               後楽園遊園地          講道館
  

文京区役所              文京区役所展望台(25階・無料)からの景観     文京区役所展望台から(小石川後楽園)
       
文京区役所展望台から(上野公園)
 
皇居側は展望レストランです。

礫川公園の春日局像(春日町の地名が残っている)     東京都戦没者霊園
  

西岸寺(浄土宗)                           西岸寺日限不動尊 
  

常泉院(真言宗豊山派)
  

牛天神北野神社                           源頼朝が腰掛けた岩
  
北野神社御神木(もっこく)                               
   

小石川後楽園
江戸時代、水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭で、国の特別史跡及び特別名勝に指定されています。
中国的、儒教的な趣好が濃厚と言われ、南北それぞれ340mと広大です。300円]
     

今日は、都心をのんびり歩きました。暖かく、気持ちよかったです。
文京区役所は、異様です。区役所がこんなに広く、豪華な必要があるのでしょうか。
まるで現代の天守閣で、庶民を見下ろし、威圧しているように感じました。
しかし、25階展望台からの眺望はきれいです。土日もオープンし、無料です。そんなに混雑していません。
今日は、小石川後楽園をメインに歩いたのですが、実に広大で、大名の権力の大きさもわかります。
権力者とは、洋の東西を問わずこうした無駄遣いをする人々のことを言うのでしょうね。
紅葉と思いましたが、まだまだでした。後2週間後でしょうか。


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私には、ありふれた作品で、決して佳作とは言えませんでした。
エミリアは、弁護士事務所に新人弁護士として就職します。
彼女は、妻子ある上司ジャックに一目惚れしてしまいます。
ジャックと旧妻との離婚後、エミリアは彼と結婚し出産するのですが、赤ん坊は生後3日で突然死してしまいます。
彼の8歳の子ども・ウィリアムは、母親とジャックの間を行き来するのですが、エミリアにはなつきません。
でも、8歳の男の子が新しい継母になつかないのは当たり前ことなのに、エミリアは彼に冷静に対応できないのです。
エミリアは、自身が子どもというか、幼稚で、すぐヒステリーになって、失言・暴言するのです。
ざっとこんなストーリーに私はイライラが募りました。
彼女は、赤ん坊が死んだのは自分の過失だと思い、その罪の意識から逃がれられない、というのがこの映画のミソですが、
何とも安易なスクリプトで、取り立てて新鮮味や工夫があるとは言えません。
ユダヤ人で、医者や弁護士と言ったアメリカの上流階級・金持ちのかなりのイヤミさは窺い知ることが出来ます。
主演のナタリー・ポートマンは2009年、並映の"ブラック・スワン"でアカデミー主演女優賞を得たそうですが、
予告遍で面白くなかったので、見ないで帰りました。                                【終わり】

鷲宮を歩く

2011年11月12日 | ウォーキング
11月12日、久喜市鷲宮を歩いた。家を出る時は少し肌寒かったのですが、鷲宮駅に着いたらまさに小春日和で少し暑い位でした。

東武伊勢崎線鷲宮駅は、大宮から宇都宮線で久喜駅に出、そこで東武伊勢崎線に乗り換えて次の駅です。
大宮~久喜間は約20分ほどですが、太田行きは1時間に2本位です。

鷲宮神社                                本殿
 
  
鷲宮神社は境内はとても広いです。七五三参りで賑わっていました。

民家の軒先に
 

霊樹寺[曹洞宗]
  

鷲宮図書館・郷土資料館[2階・無料]
 
  

迦葉禅院
  
        

この一帯は、コスモス街道と言われています。           西大輪神社
 

百観音・百観音温泉
 
 

勝蔵院
     

薬王院                                                         香取神社
   

正蓮寺
 

宝昌寺[田んぼ・畑の中にぽつんとあります。]
  

弦代公園遊水池
  
沼井公園


先日の群馬・世良田ウォーキングを少し反省しました。
道端の風景にも目を注ぎ、ウォーキングを楽しむというより、たくさん歩くことが目標みたいになって来たのでは無いかと思った次第。
今日は、田舎道をのんびり歩くようにしました。周辺に小さなお寺もあったのですが、パスしました。
鷲宮町も久喜市に吸収合併されました。
鷲宮神社は、関東最古の大社と言われます。七五三参拝者で「少し」賑わっていました。
この地は、大昔から豊かな田園で、鷲宮神社はそのシンボル的存在だったのかもしれません。
鷲宮郷土資料館は小さいですが、神楽などの展示物があり、往時の賑わいを偲ばせてくれます。
しかし、鷲宮駅前、東鷲宮駅付近の街も、土曜日と言え、人通りは本当に少ないです。
歩いた所も畑の田舎道が多かったです。
弦代遊水池、沼井遊水池はきれいでしたが、不思議な光景でした。
その由来は知りませんが、おそらく人工の池で、この一帯には豊かな水があったのだとうかがい知れます。
数年前、"駅からハイキング"で、鷲宮の「コスモス街道」を歩いたことがあります。
柿の実があちこちでたくさん実っているのですが、収穫されていません。
渋柿でも、渋抜きしたり、干し柿にすれば食すことが出来るのに収穫されないのはどうしてなのでしょうか。
小春日和で、暑い位でした。でも、日陰に入ると爽やかな風に触れ、ひんやりして穏やかでした。                      【終わり】

群馬県・境町~世良田~木崎を歩く

2011年11月07日 | ウォーキング
11月5日、薄曇りとの天気予報だったので群馬県・太田市近くに遠出しました。
足利市・太田市は、新田氏一族発祥の地であり、世良田新田荘は徳川家発祥、縁の地とも言われています。
東京から、新幹線・JR在来線特急で群馬県へは便利なのですが、桐生、伊勢崎、足利、太田などへは交通の便が良くありません。
浦和か大宮で久喜に出、そこから東武伊勢崎線で館林か太田に出ます。
今日行く境町・世良田・木崎は、太田から更にローカル線に乗り換えます。
私は、久喜駅東武線ホームに電車が停車したのでそれで良いのか確かめているうちに電車が発車し、乗り遅れてしまいました。
境町に着いたのは予定より45分遅れの12時でしたが、気を取り直して歩き始めました。


瑳珂比神社
  

長光寺[真言宗智山派]
  
  

愛染院
 
  

法養寺[真言宗豊山派]
 
 

弘教寺[浄土真宗]                         境稲荷神社
 

総持寺[新田館跡]
 
  

清泉寺[真言律宗](無住職のようで荒れていました)        悪源太義平の墓
  
宝篋印塔                                            清泉寺に向かう途中で 
  

八坂神社
 

長楽寺/東照宮[天台宗]

本堂                                  鐘楼
 
太鼓門                         開山堂
 
徳川義季公累代の墓
 
三仏堂
  
   
蓮池                                  渡月橋
 
総門                                  勅使門
 
宝蔵庫                                
 

東照宮御黒門                             東照宮拝殿(入りませんでした。)
 
東照宮・宝物所と井戸                         東照宮・鉄灯籠
 
新田荘歴史資料館 (小さい写真は引用)[次の満徳寺資料館など4つ施設の共通入場料は一年間有効で300円]


閻魔堂
 

普門寺(天台宗)
  
  
  

満徳寺に向かう標識           キウイが実っていました。        満徳寺に向かう畑道 
  

満徳寺 [満徳寺資料館]                      再建された本堂

満徳寺の敷地境内跡                        縁切り門
 
縁結び厠と縁切り厠の模型が展示されています。          
 
徳川会館[徳川義季公館址]


永徳寺
   
永徳寺はさつき寺とも言われているようです。その自慢の庭園
 
永徳寺の庭                                諏訪太郎記念美術館
 
私は、諏訪太郎さんを知りません。すでに故人となられた画家で、ご家族が建てられた私的美術館のようです。
日・祝のみ開館で、無料ですが事前の申込が必要とのことです。
だが、私の時計は、既に3時を射していて、木崎駅からの電車時刻にぎりぎりの時刻なので素通りでした。
ここからは、猛スピードで歩きました。
大和神社                                東楊寺
 

明王院(新田觸不動尊)
 
明王院境内                   
   
大師堂                    明王院本堂
  
木崎駅までまだかなり距離があるのに、15時半頃になっていたでしょうか。
木崎発16時10分の後の電車は調べていませんでした。その前の電車は15時11分ですので1時間に一本、乗り過ごしたら大変です。

亀岡神社(多分、時間の余裕が無く確かめる余裕もありませんでした) 木崎駅
 

初めの予定では、この後四つほどのお寺を訪れる予定でしたが、キャンセルし、とにかく木崎駅に向かいました。
気持ちの半分は乗り遅れを覚悟したのですが、懸命に歩きました。
おそらくスピードは時速6kmを越えていたのではないでしょうか。バスもタクシーも通りません。
16時に、木崎駅らしきものが見えた時は、ホットしつつも、どっと疲れが出ました。
往きに電車に乗り遅れなくても、当初の計画通りには行かなかったでしょう。
それは、距離感を間違えたこともありますが、一つ一つのお寺が、広くそして撮影したいものも多かったからと思います。
特に長楽寺・東照宮は広大でしたし、新田荘歴史博物館や満徳寺資料館なども入館したので時間がかかりました。
太田市も歩きたいと思っていますが、かなり広いので、太田市も一日では無理かもしれません。
いつか太田市を訪れた時は、今日見ることが出来なかった所を含めて歩きたいと思います。
東武伊勢崎線の太田~伊勢崎間は、1時間に1本位の電車本数ですが、学生が多く乗っていて大混雑でした。
列車数も2~3両ではなく、5両ほどはあったと思います。
田舎に行って思うのは、交通の利便さの違いから来る、不平等です。都会は恵まれ、田舎は条件が悪いです。
長い待ち時間とそれに規制・拘束される時間は私には大き過ぎる負担と思わずにいられません。

長楽寺は古刹で、徳川家発祥・ゆかりの地と言われる割には手入れが行き届いていないようで、荒れはてた感じでした。
国道354号線は、"東国文化歴史街道"との別名があり、街道沿いには寺社も多くあるようです。
道しるべの立て札が随所に立てられているのはとても助かりました。

いくつか失敗しましたが、結果オーライの楽しいウォーキングでした。                     【終わり】

春日部を歩く

2011年11月04日 | ウォーキング
11月3日、春日部を歩いた。
天候は、薄曇りで時々ポツリとは来たが傘を差す程ではなく、ウォーキングにはちょうど良い天候でした。

東武野田線豊春駅で降り海善院を参拝して豊春駅に戻り、再び電車で次の駅、八木崎駅まで行き、歩きました。

やじま橋[1737年頃古隅田川にかかっていた橋]  古隅田公園、今は道は高くなり奥100m先がやじま橋
  
海善院
  

八木橋駅で降りて、歩いた。
春日部八幡神社                            江戸時代からの鳥居
 
春日部八幡神社奥の院              春日部八幡神社境内
  

春日部の地名の由来・粕壁        妙信寺[本門独立宗]
 
日光街道の粕壁宿、また鎌倉時代にこの地に地頭・春日部氏がおり、合併などを経て春日部市となったが、粕壁の地名は残っています。

玉蔵院
  

妙楽院                                                  妙楽院第二墓地
  

成就院大日寺
  
大日寺本堂
  

最勝院                                本堂
 
                         春日部重行公御霊古墳[南朝の武将](最勝院境内)
 

普門院                                山中千手観音堂
  

粕壁神明社                    春日部市郷土資料館
 

春日部の市内にブロンズの彫刻があちこちにありました。これらは歩く途中出遭ったもので探したのではありません。
 

源徳寺(浄土真宗大谷派)
 

東陽寺(曹洞宗)
   

東八幡神社(樹齢600年の大欅)           本殿                        雷電神社(東八幡神社境内)
  

真蔵院(真言宗智山派)
  
 

賢住寺(日蓮宗)
 

村社女体神社女躰官                       農作物の自動販売機
 

牛島の藤(シーズン中[4月下旬~5月上旬]のみ、1000円) 
   [咲いている藤の写真は引用です] 
 

寶光院
  
  
何かなと思って近づくと、壁などの製作会社の宣伝でした。


何滴かの雨粒の落下はありましたが、絶好の気温・ウォーキング日和で、出かけて良かったです。
春日部は日光街道沿いの古い町のようです。
江戸を早朝に発つと、最初に泊まる宿が"粕壁宿"だったようです。現在、その町並の名残は残っていませんが。
大きな寺社はないのですが、手入れが行き届いた古刹が多かったように思います。
真言宗智山派のお寺が多かったです。
多くのお寺で、無縁仏となったものなども境内に大切に保管されているようでした。
通りには、庚申塔や仏像などがひっそりとあり、通りのあちこちにある彫刻はとても良いものです。
それらは歩いている途中に目に入ったもので、それを目当てに言ったものではありません。この他にもたくさんあるのでしょう。
牛島のフジ・藤花園は知りませんでした。オフシーズンで閉館中でしたので、塀越しに撮影しました。
藤の花が咲いている時は、きれいでしょう。まわりは畑です。                           【終わり】

映画/ヤコブへの手紙とBIUTIFUL(ビューティフル)、大和の尼寺(三門跡寺院)展

2011年11月01日 | 映画
10月31日、映画/ヤコブへの手紙・BIYTIFUL(ビューティフル)を見ました。
その後日本橋高島屋で行われている『大和の尼寺(三門跡寺院)展』を見ました。
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フィンランド映画、75分の小作品ですが、文句なしの秀作でした。
上画面では見づらいですが、多くの賞(第82回アカデミー賞外国語部門代表選出、フィンランド・カデミー賞、
第33回カイロ国際映画祭グランプリと脚本賞など)を受賞したそうです。
出演者は全部で7人ですが、主に登場するのは盲目の牧師ヤコブとレイラと郵便配達人の三人だけです。
ストーリーはとてもシンプルです。
レイラは、赤ちゃんの時、母親から虐待を受けます。レイラの姉は身を挺してレイラを守りました。
大人になったレイラは、姉を虐待する夫を刺し殺してしまい、終身刑を受けます。
レイラの姉は、彼女の恩赦を願う手紙をヤコブ牧師に送り続けます。
しかし、姉の幸せを奪ってしまったと深く思い悩むレイラは生きる望みも無く、自ら命を絶とうとしています。
恩赦を受けたレイラは、ヤコブ牧師送られて来る手紙を読み、返事の代筆をして欲しいと言うヤコブ牧師の誘いを受け、そこで暮らし始めます。
他方、ヤコブ牧師への手紙もいつしか途絶えるようになり、ヤコブも次第に生きる希望を失っていきます。
牧師への手紙を井戸に捨ててしまって来たレイラは、届いていない偽りの手紙を読み始めます。
そして、自分の罪の懺悔の手紙を「語り」始めるのでした。
ヤコブは、姉が送り続けてきた手紙の束をレイラに見せるのでした。
レイラはブスなのですが、それまで暗かった彼女の表情がみるみる輝きを増し、美しくなって行きます。
素敵な映像でした。
二人の心が通い始めたつかの間、ヤコブは死んでしまいます。
レイラは姉からの手紙を携えて、姉の住むヘルシンキへ旅立つのでした。
私は、シンプルな制作方法にも驚きました。
レイラや彼女の姉が受けた虐待、レイラ姉の夫の殺害、彼女の服役時代、手紙を書き続ける姉などの映像は全く描かれていません。
普通なら、こうしたシーンを頻繁に登場させます。
そうした禁欲は、それらのシーンから受け取るだろう心象・イメージ・先入観は必要ない、
手紙=言葉をありのまま、感じるように信じ、受け取って良いんだよ、と言っているようです。
そう、映像はあるとき充分刺激的で、そのことによってかなり先験的イメージを作ってしまいがちだから。
映画は短いのだが、それぞれのシーンの時間はゆっくりと流れ、その間にイマジネーションを膨らませることが出来るのです。

さて、"東京公園"の私のコメントについて、「馬鹿者に、この映画の良さは分からない」とのコメントが私に届きましたが、
『ヤコブの手紙』は、私にはとても心が和み、癒される映画でした。
多額の制作費・長時間・有名俳優・アクションと過剰なセックス・突飛なストーリーなどのハリウッドと対極にある映画でした。
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スペインを舞台にした映画で、第63回カンヌ国際映画祭主演男優賞受賞、アカデミー賞主演男優賞などを受賞しています。
始めどこの街か分かりませんでしたが、バルセロナの目抜き通りラ・ランブラで分かりました。
その後、カタルーニャ広場や水道局タワー、サグラダファミリアなどが映し出されました。

事故で亡くなった多くの移民中国人の死体が捨てられたのはArtsホテルのモニュメント前のきれいなビーチでした。
焼き場はモンジュークの丘にあるとか広大な港湾が映像されますがほとんど一瞬で、いわゆる観光案内ではありません。
だが、映像が全体にスモークがかかったように暗く、そしてきれいでないのはとても残念でした。
私の見たバルセロナは明るく、きれいでしたから。
主人公のウスバルは躁鬱症を病む妻と別居し、二人の幼い子供と暮らしています。
彼は、露天で商売するアフリカ系移民達のブローカーのような仕事をしています。
彼は、突然、余命2ヶ月・末期癌の宣告を受けます。
一時、彼は妻とヨリを戻しますが彼女の病は重くそれは長く続きません。
彼の配下の移民達の一部がヤクに手を出し、警察に捕まり、その後始末などで彼は穏やかに死の準備を迎えられません。
寒さに震える移民中国人達に彼は安い暖房器具を贈るのですが、不良品のため事故が起こり多くの中国人が死んでしまいます。
朦朧とする意識の中で、彼は母親から聞いた父親との別れのシーンを思います。
父親は、ファシスト・フランコの圧政を逃れてメキシコへ亡命しますがメキシコに着いてすぐ肺炎で死んでしまいます。
自分より若い父親と雪の林の中で会話を交わしながら、「そちらはどうなの?」と彼の方に歩み寄って、映画は終わります。
ウスバルがあまりに良き人に描かれ過ぎ、それに反して妻の描き方はちょっと悲しすぎます。
良き妻・母親になりたい、なろうとすればするほど彼女はその重圧に打ちのめさせられます。
私は、彼女が不条理な格差や貧困と無知に苦しみ・もがき・格闘する民衆の象徴にさえ思えました。
私は、彼女の中には「希望」は見えなかったのですが、娘アナ(超美人ではない)が垣間見せる表情は「Biutiful(ビューティフル)」そのもので、
彼女なら父親の死、病気の母、逆境に耐え抜いて生きて欲しいし、出来る、という希望を見いだすのです。
おそらく「Biutiful(ビューティフル)」にそんな意味があるのではないでしょうか。
と、私は書いたのですが、どうも違うようです。
英語では、「美しい」はbeautifulです。私はてっきりbeautifulのスペイン語表示だと思ったのですが、
その意味は、「石ころ」で、同時に"旅立つ"=死 の意味があるらしいのです。
映画の中で、ウスバルは子ども、確か娘のアナに、ビューティフル=美しいのスペルは?と聞かれ、
それは、音の通り、biu ti fulだよと答えます。でも、それはおそらく間違いで、正しくはbeautifulなのです。
死が間近な彼は霊能力者に救いを求めます。彼女はウスバルの二つの石ころを渡します。
ウスバルは、子ども達に、それは"お守り"=私の思い出なのだよ、と手渡すのでした。
映画のタイトル=「Biutiful(ビューティフル)」には、こんな深い意味があるようです。

イタリア・スペイン・フランスなどの地中海諸国では、多くのアフリカ系移民達が路上で商売をしています。
彼らは、お土産や、鞄や、サングラスやおもちゃなどを路上で売り、雨が降ると彼らは雨宿りして、どこからとも無く傘売りが現れます。
彼らの生活の実態はほとんど知られていませんし、この映画でもそれを描くことが目的ではありません。
シーツのような風呂敷に商品をたくさん詰め込んで商売し、地下鉄で移動する彼らに暖かい視線を送っています。
「私の見たバルセロナは明るく、きれいでした。映画は暗かった」と書きましたが、
"明るいバルセロナ"だったら、この映画の雰囲気は伝わらないかな、とも思えます。
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日本橋高島屋8階ホールで開催されている『大和の尼寺 三門跡寺院の美と文化展』を見ました。
入場料は800円ですが、無料のチケットをもらったのです。


何十年ぶりかで入るデパートは、目がくらむようなまぶしい照明でした。
門跡とは、天皇家と関係する寺院のことですが、展示されている三つの尼寺に残された文物は非常に華やかでした。
映画の画面が暗かっただけに、そのまぶしさと華やかさが私には奇妙に印象深かったのです。
映画の後でなかったら、おそらく全く違った印象だったかもしれません。                    【終わり】