風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

川口~戸田を歩く

2007年04月30日 | ウォーキング
川口~戸田を歩く 2007/4/30



川口不動尊


川口神社

たくさんの神社があり、その内の一つ・梅の木天神社[しだれ梅]


錫杖寺

川口七福神・福禄寿


妙山寺


吉祥院


横曽根神社

荒川土手まではすぐだ。

本覚寺


正眼寺[川口七福神・寿老尊]

十六羅漢[=人々に尊敬される修行僧]


常福寺


正覚院


今日訪れた寺社はいずれも大きかった。
川口駅前は再開発され、戸田は埼京線開通で倉庫の町から新マンション群立の町に。
訪れた場所は少ないが、歩いた距離は10kmは越えたと思う。
荒川の土手でお昼を食べた。
暑さでとても疲れた。

浅草よしもと

2007年04月25日 | ウォーキング
浅草花月・よしもと に行って来た。
「笑うシニアどっとこむ」の無料招待券にあたって。
よしもとが入っている浅草雷5656会館[浅草寺裏門前]


2007/4/22/11:00~13:00、前から6列目のほぼ中央の良い席だった。
チケットは、前売り3500円、当日4000円。
一階は300席弱で、7~8割の入りだろうか。

HPより無断転載
出演は、2丁拳銃、 ニブンノゴ!、 ルート33、 博多華丸・大吉、 ジョニー広瀬、コメディNo.1、 中田カウス・ボタン、 笑福亭仁鶴
若手漫才はひいき目にも面白いとはいえないし、中田カウス・ボタンは最近のゴシップのせいか精細がない、仁鶴はおしゃべりは流石に上手いのだがその内容たるやおそまつなひどい漫談だけ、コメディNo.1は面白いが何度も観たことのあるネタだけ、イヤハヤこれではもう一度来たいとはとうてい思えない。
出演者と次の出演者の間がほとんど無く・暗転だけでせわしないし2時間で見終えて疲れた、って感じ。
何より悪かったのは、日曜で子どもも何人か来ているのに、どの出演者も前の方の一人の女の子のことだけに触れて、彼女個人に語りかけるのだ、マジックのジョニー広瀬にいたっては舞台に上げてまでしまう、他にもたくさん子どもが来ているのにである。全くの興ざめだ。
もっと気にくわないのは、飲食の禁止だ。館内で買った物は食べて良いなんてセコすぎる。寄席では飲み食い自由。
東京に「よしもと」が根付かないのはその笑いの違いにもあるが、テレビ出演で顔がちょっと知られた芸無し大声だけ漫才、トリをとれる古典落語家は桂三枝・桂文珍だけという狭さ、そして何か息苦しい会場・セコい商売にあるのではないだろうか、と思った。
帰りに、ロック通り、浅草演芸場前を通ったら、4時間で2800円で、出演者の多彩であった。


ロック座通り

「よしもと」か寄席か、と言われ、断然寄席の方に軍配だ。

赤羽2007/4/14

2007年04月17日 | ウォーキング
赤羽を歩く一部[2007/4/14]




真下を新幹線・埼京線トンネル[右写真の右]が通る。
この後方は星美学園、そこは第二次大戦当時は陸軍第一師団が駐屯していた。
この坂、今でも師団坂と呼ばれているらしい。
赤羽台団地や社会保険病院なども旧陸軍の敷地だったのか。

諏訪神社


宝憧院[左に京浜東北線の青い電車が走る]


真頂寺[荒川沿いにあり、京浜東北線の電車から見える]


大満寺・幸福地蔵

岩淵不動明王尊が隣接


正光寺[境内はとても広く、草が茂り荒れた感じがする、本堂は中央大木の左奥]


梅王寺


八雲神社と水神社[荒川はすぐ、昔は荒川の氾濫が度々あったらしい]


荒川、新荒川大橋、ビル群は川口市

堤防には桜が植えられ、市民の桜守が世話をしているようだ。
桜の季節は終わり、葉桜の下でお昼を食べた。
赤羽岩淵駅で地下鉄に乗った。

初夏のように暑いくらいであった。
以前赤羽を歩いた時、回れなかった所を歩いた。


奥飛騨・白川郷を歩く①

2007年04月05日 | 国内旅行
奥飛騨・白川郷を歩く その一日目2007/4/1~2
阪急トラピストツアー:奥飛騨温泉と木曽路・白川郷

容量越えたので、①②と2回に分ける

2007/4/1
7:52大宮発あさま505~上田着8:40、バスで塩尻経由


馬籠[まごめ]宿

馬籠観光協会HPより転載


枡形[ますがた]常夜塔

清水屋資料館

藤村家墓[藤村の墓は確か一番右]

永昌寺

藤村記念館

馬籠脇本陣資料館

高札場

馬籠宿を上から見る


妻籠[つまご]宿

妻籠観光協会HPより転載

南木曽町博物館

妻籠宿本陣                         

光徳寺

延命地蔵[汗かき地蔵]

桝形・椛ノ木=桝形[敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げた]

妻籠の町並

鯉石

口留番所跡[関所跡]


寝覚め床[水力発電のために木曽川の水位が下がって現れた、手前の線路は中央本線]


奥飛騨温泉郷・新平湯[本日の宿泊地]
新平湯の町並[夕方5時半頃だった、通りには全く人がいなかった]

神明神社

宿・美山荘


4/2
飛騨古川市
円光寺

瀬戸川と白壁土蔵街

真宗寺

光本寺

秋葉大明神

恋の水

公衆トイレ

三番叟

弁財天堂

JR飛騨古川駅

跨線橋[線路反対側にある飛騨文化村(飛騨の山憔館・郷土民芸会館など)につながる]


飛騨高山
古い町並

藤井民芸美術館

からくり人形

『定』

人力車

宮川に架かる中橋

高札場跡

日枝神社

秋葉神社

陣屋朝市[ここは野菜などが多い]

高山陣屋

山桜神社

JR高山駅[駅前は繁華街とは言えない、賑わっているのは旧市街地=宮川の両岸だ]

飛騨国分寺[左]、     [右]:飛騨国分寺のオオいちょう(樹齢1200年)

 [左]:飛騨国分寺三重の塔、  [右]:飛騨国分寺塔跡

手長像

宮川朝市[宮川沿いにかなり長く続く、野菜などより土産や民芸品などで、川側は屋台で道路を挟んだ反対側は店舗]

宮前橋[後景は八幡神社とその大鳥居]

屋台会館

八幡神社

  八幡神社境内内  [左]:狂人石                [右]:筆塚
  
 
奥飛騨・白川郷を歩く②に続く 

奧飛騨・白川郷を歩く②

2007年04月05日 | 国内旅行
奥飛騨・白川郷を歩く[続き]



相応院

からくり人形獅子会館


豊明組保存区域:[左]吉島家住宅、              [右]日下部民芸館

瑛芳寺

高山別院[左]・                           [右]高山別院門


白川郷

白川郷観光協会HPより転載、81番が神田家
展望台から白川郷を臨む


荻町城跡(展望台)まではシャトルバスで[200円5分]

白川郷から展望台を臨む[赤丸で囲ったところが展望台]

和田家

神田家[入場料300円][左]・                     [右] 横から見たところ

  [左] 二階       [右]女性は、ガイド~駒尻=屋根を支える材で強風や地震の影響を分散させる
  
  [左] 屋根など構造の説明    [右] 火見窓中二階にある小部屋から一階いろりの火を用心するための小窓
  
  [左] 四階の小窓から稲架倉(はさぐら)を臨む=北側、[右] 南側
  
秋葉神社[この先は、であい橋]

であい橋[下は庄川、右が白川郷、左は案内所など白川郷入り口]

合掌造り民家園

焔仁美術館


これで見学は終わり、バスで北陸自動車道・上信越自動車道を通り、上田に。
そこから21時13分の長野新幹線。
本当なら、行きは新宿から中央線で塩尻に行き、帰りは直江津から上越新幹線を使った方がはるかに早いのだが、それが出来ないのは、交通費がかかりすぎてしまうからだ。
これだと、おそらく交通費は1万5千円以上になってしまうだろう。
長野新幹線だけだと1万円ほど、団体割引やその他の割引で実際はもっと安くなるだろう。
このツアー料金は一人2万2千円。
で、交通費を抑えるには、バスで移動・新幹線は早く遅い時間・阪急の他のツアーと一緒の電車を使用するなど工夫と我慢が必要というわけ。
バスに乗った距離は、一日目が350km、二日目が400km。
だが、不思議に疲れなかった。
それは交通量が少ないこと、運転手の運転がとても上手いこと、多くの場所を見ないこと、散策は団体行動でなく自由で自分の計画・ペースで回れることなど、によるのだろうか。
だが、やはり時間が足りないので有料の施設の多くは入ることが出来ず素通り、は残念。
ゆとりとお金は比例する、かな。
食事は豪華ではなかったが、私達には多すぎずそれで良かった。

この旅行で訪れた、飛騨古川・飛騨高山・白川郷はいずれも古い街であった。
展望台からの白川郷の鳥瞰は予想以上の美しさで、写真でもその雰囲気は十分伝わる。
安いデジカメだが、良い写真が撮れた。
茅葺き屋根は日本ではかつてはそんなに珍しくはなかった。
だが、白川郷は木造の3階・4階建て、屋根が60度の切り妻、である。
一軒の広さは昔の農家ではそうであったろうかと思われる広さと思う。
白川郷の屋根葺きは“結い”がなければ金がかかりすぎ伝承・維持されて来なかったろう。
“結い”の気持ち・感情・生活の様式は今日の日本では極めて珍しくなった。
だが、私には“結い”は面倒で煩わしい、そのつきあいは息苦しい。
結いに参加しない場合は、「村八分」されるのだろう。

古川も高山も古い町並地区だけでなくその周辺もかなり住宅は工夫されていたように思う。
条例による規制なのかはわからないが、壁や屋根は極端な色を使わない、近代・現代的デザインを取り入れない、高層ではない、周りの風景・住宅に合わせるなどの工夫と努力がいろんなところでされているように思えた。
だが、そうした要請がぬるかった時代に建て替えられたと思われる建物も中には、少しあって、それだけが妙に場違いで浮き上がっている。
現在にいたっては、伝統的町並を残すための不便・我慢の方がはるかに自分たちにも都合が良く、利益になると共通の思い・感情になっているのだろう。
そこまで人々の気持ちが成るにはどんな人のどんな試みがあったのだろうか。
だが、昔の家は本当に寒かったろうとつくずく思う。障子一枚の向こうは外で、しかも豪雪地で、冬場は二階から出入りすることもあるというのだから。
寒がりの私はとうてい住めないと思った。
また、いろりで火を焚いていたが煙が家中に充満し、息苦しくもあった。
その煙が家を長く保存させるそうではあるが。
気になったのは、道路脇の用水・小川、所々覆われていない、
子どもは酔っぱらいは落ちないのだろうか、不思議だった。

一方、泊まった新平湯温泉は観光客は見なかった。
廃業・廃屋になっている旅館もいくつかあり、車もほとんど通らなかった。
「ひなびた」と言う感じではなく、過疎という寂しさを感じた。

総じてとても満足した旅であった。
個人で、もう一度ゆっくり訪れたいが、おそらくその時は無いだろうな。
山には雪・雪渓があちこちかなり残っていた。

夕食は松代PAで取るようにと添乗員から言われた。
どうして上田駅で夕食にしないのかと思ったが、20時半頃上田駅についてわかった。上田にはJRの在来線はなく、私鉄の上田電鉄別所線があるだけ、駅ビルは小さく、店の多くはすでに閉まっていて人影はほとんどいないのである。
ここでは、時間調整をかねた食事・買い物は無理なのだ。
新幹線駅内には小さな売店があるだけで、改札前に入れてもらったら閉店は20時40分とのこと。
あわててウィスキーとつまみを買った。