風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

レッドクリフ

2009年03月29日 | 映画
 を見た。2009/3/23・中野サンプラザ

gooの試写会だった。
三国志の世界をどう映画化するのか、は興味があった。
残念ながら、B級映画であった。

男装の女スパイが曹操軍に簡単に潜入し、しかも敵の兵士を好きになり彼に助けられ簡単に脱出する、
彼は、そのスパイが女とは気づかない、
冒頭、サッカーもどきの蹴鞠の試合が延々と描かれ、
曹操軍の総攻撃の時期を遅らせるために、孫権の美人妻が単身曹操の元に赴き曹操を零落し、時間稼ぎをする、
孫権は、単身曹操と一騎打ちし、妻を生きて奪還する、のである。
制作費100億円と宣伝され、そのスケールが前評判だが、CGらしい炎上のシーンは最初は迫力があったが、
そのシーンがこれまた延々と続き、工夫がなく、あきてくる。
下の写真の船の戦闘シーンも、ちゃちな模型、CGである。
どうせCGを使うなら、両軍の配置やその移動などをイラストで描いてほしかった。
三国志の世界をもう少し歴史的に描くのかと思ったが、赤壁の戦いだけを描いただけ、しかも第二部はほぼ全編最後の戦闘だけ。
戦闘シーンはリアリティ皆無で、もう劇画の世界。
かつてのハリウッドの映画は制作費をふんだんに使い、この映画もそうらしい。
だが、中国史のスケールはそれとは全く比較しようがほど偉大で、スクリーンには収まらない。
その数の精確は不明だが、曹操軍80万、孫権軍6万の激突といわれる。
以降、中国は三国志の時代に入っていく。

試写会のチケットは一枚で二人入れるので、娘を誘って行った。
広い中野サンプラザが満員ではあった。



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江ノ島 4月3日妻の実家、稲村ヶ崎に行った。

稲村ヶ崎公園から、江ノ島を見る。画面まん中に富士山が映っているのだが、かすんでいてよく見えない。
この公園でお弁当を食べた。トビが音もなく滑降して餌を狙う。家の近くを散歩した。
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中山道を歩く/浦和~上尾

2009年03月25日 | ウォーキング
中山道を歩く/浦和~上尾 2009.3.24 中山道69次を歩くの第3回



クラブツーリズムの『短期完歩シリーズ/中山道69次を歩く第3回』に参加した。
この日は、前日とうって変わって寒かった。ツアーでなければ歩かないのだが。

JR浦和駅前8時半集合出発。
玉蔵院  そして、その桜

9時に開門とのことで中に入れなかった。

星野本陣跡を通って、二七市場跡[豊臣秀吉この地に市を認めたという]、奥は慈恵稲荷


成就院


廓信寺


与野駅前の大ケヤキ


火の玉不動尊[左]、お女郎地蔵

さいたま新都心駅前、この一帯は灌漑用水の高台橋があった。

さいたま新都心駅を過ぎしばらく行くと、武蔵国一宮[氷川神社]石柱・一の鳥居


塩地蔵、右は子育て地蔵


涙橋跡(高台橋付近には形状があり、この橋付近までは見送りが許されたという)/第四銀行大宮支店の敷地内


大宮本陣跡[今は、居酒屋]


台座に獅子が彫られた灯籠


氷川神社門・拝殿[右]


東光寺


安政7年の道しるべ


東大成庚申塔


加茂神社・本殿壁の彫刻


南方神社


庚申塔=道しるべ、左は川越に行く道、この右に中山道がある


庚申塔岩槻から来た道、川越に行く道が付近にある、右奥は愛宕神社



井上脇本陣の瓦屋根


鍬神社、入ってすぐ右に浅間神社、その先に聖徳太子像碑


民家の屋根の上に鍾馗[しょうき]

家の前の屋根に鬼瓦があると、商売が繁盛しないというので、鬼に勝つ“鍾馗像”を置いたという。
鍾馗に勝つのは、笑いの「お多福」だとか。
落語の人情話に、左甚五郎を題材にした、ネズミに勝つ猫の話がある。

今では、浦和・大宮・上尾は大きな町だが、江戸時代は蕨宿より小さな宿だったようで、
浦和:1200人、大宮は1500人、上尾は800人ほどの人口だったという。
氷川神社は、大きな神社ではあるが、この他には街道沿いに特に大きな神社・寺院はない。
歩いたのは、16~20km位だろうか。
大宮で昼食となり、解散は4時半であった。

最近は、漢字検定などで漢字表記の正偽にうるさいが元々はかなりいい加減というか、要は通じる・分かる事が大事で、
時代とともに表現はいろいろ変化したらしい。
例えば、中山道は山が正しいと言われるが、仙でも間違いではなく、JRなどは今も仙を使うというし、
“栄”が付く地名の元々の意味は「境」から転じたという、
“久保”は「窪」、“浦”は「裏」などの地形上から付き、転じたそうだ。
また、稲荷神社には狐が祭られているが、それは稲の敵にネズミがおりそのネズミを食べるのが狐だからと言う。
狐の好物はイナリと言われ、その理由に諸説あるそうだが、狐は天ぷらが好きだったというと言う説が有力らしい。
とまれ、狐は玉・巻物・鍵の三つを持って、神社を守る。

さて、このシリーズ7回まであり、その後は2泊3日となるようだが、私は今回でおわりとする。
本シリーズはもう少し街道からそれて観光もするそうだが、日帰り短期シリーズは、歩くことだけが目的かのように、
大急ぎで歩き、時には小走り、信号ではかけ足、皆が集まりきらないのにガイドは説明を始めるし、
2列3列歩き・左側通行・道路をふさいでの説明はお構いなし、楽しみ方は色々だが、私は今回で止めることとした。
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陽春の尾道名刹と国宝・明王院仏教美術特別拝観

2009年03月18日 | 国内旅行
陽春の尾道名刹と国宝・明王院仏教美術特別拝観 3/15(日)~16


クラブツーリズムの仰々しい名のツアー『陽春の尾道名刹と国宝・明王院仏教美術特別拝観』である。
参加者は25名であった。

集合場所の東京駅日本橋口

9:30発の新幹線であった。

福山駅の目の前は福山城であった。

バスで、安国寺に向かう。

安国寺

門を入ったところ、奥は本堂、左は方丈

本堂

本尊[阿弥陀三尊]

本堂跡

庭園

茶筅塚


以下はツアーに入っていない所、一人で大急ぎで歩いた。
正法禅寺[安国寺の隣]

 ・不動明王
  
 ・この寺にはたくさんのひな人形が
  
 ・仏像群
  
 ・庭にかわいい仏像が
  
善行寺

沼名前神社

目の前は、鞆の浦海岸。そこになぜか阿久悠の歌碑があった

この近辺にはたくさんの寺社がもっとあるのだが、時間が無くここで引き上げ、ツアーに合流し、明王寺に向かう。

明王院
参道

山門

本堂と五重塔

本堂内天井[曲線は唐様という]

三十六歌仙の額[確か護摩堂内]



護摩堂

護摩堂不動明王

護摩堂弥勒菩薩

本堂・五重塔・方丈

国宝五重塔

五重塔内部

草戸七福神・奥は弁財天

山門前にある水掛不動明王


一日目のツアーはここまで、バスで福山駅前のホテルに向かう。
5時前に着いたので、福山城近辺を少し歩いた。
日曜の夕方のせいか、人影がほとんど無かった。
福山城天守閣


福山八幡宮


(うしとら)神社


妙政寺[広い境内で、女の子が二人遊んでいた]


福山護国神社[旧阿部神社]


居酒屋でお酒を少し飲んで、駅前の福山オリエンタルホテルに泊まった。
小さな部屋であったがきれいであった。
朝食はビュッフェ式だったが、おかずも豊富でおいしかった。

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二日目は、尾 道


二日目出発時間はなんと7:40、なんでこんなに慌ただしい日程を組むのだろう。

浄土寺
山門

本堂

阿弥陀堂

 ・阿弥陀堂内部の梅の間
  
庫裡

 ・秀吉も来て、秀吉の馬印・ひょうたんの瓦
  
工事中の方丈

庭園

露滴庵

宝物殿

 ・涅槃図と源氏絵巻
  
 ・涅槃図[釈迦が没するとき、母親=真ん中上部、赤い着物が薬を天上から投げたそうだ、それで投薬という]
  
包丁塚

子安堂

足利尊氏碑

護摩堂

両明神

多宝塔


海龍寺[浄土寺の隣、ツアー外]



一回分の容量を超えてしまったので、以下は、No.2(この下)に続く
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陽春の尾道名刹と国宝・明王院仏教美術特別拝観2

2009年03月18日 | 国内旅行
続・陽春の尾道名刹と国宝・明王院仏教美術特別拝観 3/15~16

浄土寺から西郷寺に向かう、奥は川ではなく、瀬戸である。


西郷寺

西郷寺は、一遍上人が開いた時宗の寺、時宗の寺は壁がないのが特徴という。
一遍上人と言えば踊り念仏、窓を開けていると中で楽しげに踊る人々が見えたろう、
人々は何事かと不思議に思い、覗いたのかもしれない、一遍上人は尾道で布教活動をし、時宗の寺がいくつかあるという。

ツアーでの次の寺は、常称寺だが、
道すがら、西国寺[当初行く予定だったが寺の事情で常称寺に変わった]【立ち寄らない】が見えた。

浄泉寺

正念寺

八坂神社参道

この寺の前が国道、その手前に山陽本線。第二次大戦前は、この国道には家々があった。
鉄道が空襲されると言って、その家々は立ち退きされたという。
戦後、その空き地は国道になった。それまでそこにあった参道は、国道で断ち切られたという。
尊光寺


常称寺

瓦は、珍しい龍が

観音堂


天寧寺
山門

入って山門を見上げるとそこは鐘楼

本堂

本堂内部

三重の塔

五百羅漢

隠れキリシタン灯籠、下部にマリア像と十字架


光明寺
本堂

扁額

方丈

宝物殿内部[右は、金銅聖観音像]

12代横綱陣幕の墓、右は陣幕の手形

蟠竜[ばんりゅう]の松


千光寺公園
千光寺HPより無断転載
千光寺公園展望台から瀬戸内を


文学の小道

子規の歌碑

左の岩が志賀直哉の歌碑・暗夜行路

林芙美子の歌碑、右はそこからの眺望

その他計25名の古今の歌碑が石に刻まれている。

鏡岩[太陽や月の光を反射するという]


干支の本尊、11面千手観音


玉の岩


撫松庵


梵字岩


本堂と玉の岩


三重岩


本堂


石鎚山


千光寺入り口[我々は、逆のコース=山を下る道を歩いた]


頼山陽像


尾道市立美術館


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
尾道は初めてである。
尾道の海岸沿いの町は狭い。海から、平地が無くすぐ山(低いが)になる。
道は狭く、うねっている。
新しく整備された石畳の道を歩くと寺社巡りができると言う。
狭い地域にたくさんの寺社が立っている。
訪れたのは一部である。
だが、そのいずれも手入れが行き届き、往時から民衆の支えがあったのであろう。
だが、明治時代の廃仏毀釈の弊害はやはりあったようで、痛みが進んでいる。

ここはかつての水上水軍の支配地であった。
水上水軍は、単なる海賊ではない。武装した集団で瀬戸を通る船から航行通行税を取っていた。
瀬戸は、浅瀬も多く水先案内人がいなければ航行できないので、この通行税はいわば水先案内料と言える。
彼らは、戦国大名より遙かに広い経済圏活動をしていたが、後の信長・秀吉らの近世の自由経済と衝突することになる。
だが、尾道のこの時代は足利尊氏の名があちこちに登場する、まだ中世であった。
鎌倉末期・中世と戦国時代・近世との狭間で、仏教が、水上水軍が栄えた。

さて、帰りは福山発14時半の新幹線で、東京着は18時15分と早い帰京であった。
もう少し帰りの出発を遅らせれば、もう少しゆっくりと他の所も散策できる余裕はあったはずだが、
その辺の事情はわからない、若干の不満は残る。

新幹線からの車窓はきれいであった。
山が、緑が、多い。そして家もたくさんだ。
4時間の間、風景は特別の変化を見せないで、一様である。
こうして風景を眺めると、海外の風景と比べている。
どちらが良いとか悪いとか、というのではない。
それぞれ、良いところ、悪いところがあるのだから。
新幹線の座席のゆったりさ、トイレの美しさ、は格別だ。
町中にはトイレがたくさんある、その安心も良い。
落書きがないこと、ゴミが落ちていないこと、も私には心地よかった。

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中山道を歩く/板橋宿~浦和

2009年03月12日 | ウォーキング
中山道を歩く/板橋宿~浦和
2009.3.10 中山道69次を歩くの第2回

蕨宿入り口

クラブツーリズム主催の『短期完歩シリーズ/中山道69次を歩く第2回』に参加した。
このコースは、かつて一人で歩いた事があるが、
クラブツーリズムの『歩こうシリーズ』がどんなものか興味もあって歩いた。

埼京線・板橋駅8時半集合であった。
何でこんなに早いのかと思ったが、解散は4時過ぎだった。

板橋駅前、“むすびのけやき”


東光寺

宇喜多秀家の墓[関ヶ原で家康に負けた]

追分地蔵

この一帯は、加賀藩の広大な下屋敷跡地。

板橋宿入り口


観明寺
境内の豊川出世稲荷


偏照寺[現在は廃寺、右奥に成田山新勝寺道場がある]


文殊院
左は延命地蔵尊
子の大権現堂[足腰の守り神]

遊女達の墓


板橋[この地が板橋となった所縁という]

板橋宿・2440人。

縁切榎[樹皮を水、酒で飲むと別れられると言われた]


南蔵院


志村一里塚[日本橋から数えて三里目の一里塚]


荒川[橋を渡ると埼玉県]


戸田水神社


戸田の渡し跡


蕨宿入り口

蕨宿・2220人。
【人口資料は、1610年頃らしい】

歴史民俗資料館・分館


歴史民俗資料館[左の建物、右は本陣跡の碑]

宿屋の様子


三学院

全景

馬頭観音

地蔵群[子育地蔵、疾地蔵、六地蔵など]

川にかかっていたはね橋[夜は橋を跳ね上げ出入りが出来ないようにしたという、
だがこんなに短ければ飛び越すことが出来る、本物か?]

投稿後、調べた。このはね橋は田畑への出入り用として使われていたもの。

辻の一里塚[日本橋から5里目の一里塚]


浦和・調(つき)神社[律令時代の租庸調=特産品の集積場]

狛犬の代わりにウサギが鎮座している

旧殿

この神社には、鳥居が無い。
浦和宿・1230人。

ここから解散地点の浦和駅まではすぐ近くである。

戸田橋を渡ったところで食事、私はお腹がすいたのでロイヤルホストのランチを食べた。
ポークのソティだったが、すこぶるおいしくなかった。
だが、そこで10分ほど昼寝できてよかった。
21人の参加者であった。2列、3列になって歩くのがよくない。
この催しの目的は中山道を完歩することにあるのだろう、
街道の近くに寺社があってもそこには寄らない、当然ではあるが私には不満だ。
解説のガイドさん、説明が細か過ぎ、長過ぎである。
このシリーズ、短期は日帰りで7回、8回目からは2泊3日となるそうだ、全部で何回になるのかはわからないが、
私は、短期を何回か歩こうかと思っている。
16~18kmの距離を7時間以上はかかりすぎである。

久しぶりのウオークで疲れた。
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