風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

真言・高野山・東寺、天台・比叡山を巡る1

2009年08月25日 | 国内旅行
真言宗本山・高野山、東寺と天台宗本山・比叡山を歩いてきた。2009.8/20~8/22

クラブツーリズムのツアー『世界遺産の二大霊峰 高野山・比叡山を巡る3日間』に参加した。
【大まかな日程】
8/20: 東京駅8:33~名古屋駅着10:21、高野山;奥の院 高野山宿 
8/21: 高野山;金剛三昧院、徳川家霊台、金剛峯寺、壇上伽藍、大師教会、女人堂、赤松院、霊宝館 京都宿
8/22: 東寺、比叡山;東塔地区、西塔地区、横川地区、京都発17:56、東京着20:40 


さて、冒頭に少し説明。
高野山は空海・弘法大師が開いた真言宗、比叡山は最澄・伝教大師が開いた天台宗のお寺である。
真言宗、天台宗ともに密教である。
密教では仏の教えや真理は言葉で伝えることはできない、師から弟子へと直接伝授されていくものである、と言う立場に立つ。
他方、顕教では、仏の教えや真理は言葉などによって説明し伝えることができると言う立場に立つ。
顕教には、浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗・時宗など多くの宗派があり、密教は天台宗と真言宗だけである。
密教の本尊は大日如来である。
大日如来は全宇宙の中心に存在する絶対的真理であり、全ての仏の中心である。
この有様を表現したのが曼荼羅[まんだら]で、図で表した物、文字[梵字]で表した物、仏像群で表した物などがある。
一方浄土宗などでは、阿弥陀如来が人々をその死後西方浄土に導いてくれると考える。
また、密教では悟りは厳しい修行によって得ることができるとするいわば自力解放の道をとる。
断食のまま死んで仏になる即仏成仏や千日行などの荒行が知られる。
他方、浄土真宗では全ての人間を救うことを自分の本願とする阿弥陀如来、
その阿弥陀如来を人々が絶対的に信じることが救いの道だとする他力本願の考えである。
以上、非常に乱暴な整理ではある。もちろんそれほど単純ではなく様々な考えが入り組んでいる。

最澄、空海とも平安時代の同時代の人で、遣唐使船で中国に渡り中国仏教を学び日本に伝えた。
密教は、日本の伝統的宗教である山岳宗教・山岳信仰との近似を感じさせる。
また、加持祈祷の儀式などはシャーマニズムも連想させる。
インド仏教も、ゾロアスター教[拝火教]を取り込んだとの説もある。

一日目:
新幹線が名古屋に着いたのは10時半頃、バスで高野山に向かった。
高野山奥の院=空海の霊廟がある所についたのは3時であった。
高野山には大阪から入るのが普通らしいが、費用を安くするたか名古屋から入った。これは明らかな大きなミスである。

高野山奥の院入り口[南無大師編照金剛とは空海のことである]

ここから約2kmに渡り様々な供養塔・墓・碑が連なる。
企業や団体などのものから、近世・現代の有名人、そして戦国武将や様々な歴史上の人々。
それらを一々取り上げたらキリがないほどだ。
喜劇人のもの                         シロアリ駆除の団体の物

これは韓国式墓という                        与謝野晶子のもの






橋の向こうは奥の院御廟[写真は禁止:橋の上の石畳の縁を踏んで歩くのが作法とか] 水向地蔵

死期が近づいた空海は堂に籠もり断食したまま入定したと言われる。
空海は生きたまま仏となり、今なお生き続けていると信者には信じられている。
従ってここは信者にとっては聖地である。
巡礼者の傘などに書かれた同行二人の一人は空海のことであると言われる。

釣り鐘の代わりに使われていたという石               英霊殿


本日の宿・金剛三昧院[こんごうさんまいいん]に向かう。
この寺は、宿坊の一つで、約800年前北条政子が夫源頼朝菩提の為に創建した。
世界遺産に泊まったと言うことになる。庭に国宝の多宝塔がある。
                                多宝塔[国宝]

庫裡は工事中                          

頼朝の等身大で作ったと言われる愛染明王を本尊とする本堂                   愛染明王[引用]

夕飯[精進料理、酒類も販売されていて、私はビールを飲んだ]、部屋はバス・トイレなしの和室、襖を挟んで隣室          経堂
                 
                           
食後、ライトアップされている金剛峯寺等に向かった。
大塔[赤枠内は人]                          鐘楼

大門                                仁王像


一日目は、金剛峯寺の宿坊の一つ金剛三昧院に泊まった。

二日目:
六時半から本堂で行われた朝のお勤めに参加し、その後、阿弥陀堂、護摩堂、愛染明王などを参拝して、
朝食



金剛峯寺
山門                             門には、二つの龍・右がア形、左がン形、そしてしめ縄も

金剛峯寺[屋根に防火のための水桶が]

台所[二石釜]                            天井から吊されたネズミよけの棚

鐘楼                              駕籠塀[門脇]

六時の鐘                            塀[筋が寺の等級を表すという、五は最高ランクとのこと]


壇場伽藍
全景[左手前、准胝堂、御影堂、根本大塔、三鈷の松、金堂]  准胝堂[じゅんていどう]  

御影堂                               根本大塔

金堂                          不動堂[屋根の四隅の形がそれ座ぞれちがっていると言う]

西塔                                 六角経堂

孔雀堂                              


女人堂
昔はこれから先は高野山で女人禁制だった             女人堂

女人堂に至る参道[建物はトイレ]

女人禁制:さてこれをどう捉えるか。
明治時代になると戒律が厳しい高野山には子どもが沢山いて、子ども達の教育のことがその解禁の一因であったとも言われる。
浄土真宗の親鸞聖人は、僧の結婚を認め、自らも結婚し子どもがたくさんいた。

徳川家霊台
徳川家康の霊屋


赤松院[金剛峯寺宿坊の一つ、左甚五郎の虎の彫り物で有名]

[引用] 昼食

真言・高野山・東寺、天台・比叡山を巡る:2

2009年08月25日 | 国内旅行
以下番外[昼休み中に近くを歩く]
ビルマ塔[太平洋戦争ビルマ戦関係者が建立]

ビルマ塔内部の真っ暗な地下展示室                  距離標識        お札を作るお店に版木が       
    
刈萱堂


昼食後、大師教会内で、灯りを消して行われる受戒式[=十の戒めの言葉を聞き、瞑想する]に参加した[500円]。金剛峯寺霊宝殿

ここには多くの収蔵品があり、お薦めである。 金剛峯寺霊宝殿のホームページはこちら をクリック。

宿泊の京都東急ホテルまでは、バスで約1時間

夕食は付いていないので、京都駅近くまで出かけて、うどんで酒を飲んだ。
店を出ると小雨が降っていたのでタクシーで帰った。

三日目:
東急ホテルの朝食


教王護国寺・東寺
五重塔                              五重塔の入り口

通常、塔内は非公開だが特別に拝観が許された。
東寺の写真禁止は異常であった。五重塔の開いている扉を映そうとしたらダメであった。柵の外から。
信仰の対象であり、聖なる仏像を映像化するのは許されないというのか。
それならどうして東寺のリーフレットに仏像が映っているのであろうか。
版権の問題であるというのなら一理あるが、それはあまりに拝金で心が狭い。
光を当てたり、フラッシュをたくと文化財が痛むというならわかる。
除き穴から写真を撮るのもダメという東寺の思想は全く理解できない。
【高野山奥の院のように聖地だから写真はいっさい禁止、公開もされていない、これならわかる】
【エジプトの考古学博物館・ツタンカーメンの墓では、入り口でカメラを預けなければならない】
東寺のホームページは素晴らしいできばえで、沢山の仏像が美しく映っている。 東寺のホームページはここ 

講堂                                金堂

納経所                               太子堂

大日堂                               夜叉神堂

宝堂                               


比叡山延暦寺  次のイラストは比叡山振興会議のホームページから引用

比叡山延暦寺は、一つの寺・山ではなく、全体を言い、西塔・東塔・横川[よかわ]の三つに大きく分かれる。
比叡山は、京都の北東に位置し、陰陽道の鬼門にあたる。

東塔地区
大講堂                               法然上人・親鸞聖人                         一遍上人

阿弥陀三尊                             道元禅師・栄西上人                       親鸞聖人

比叡山は、写真撮影には寛容で、根本中堂の中以外すべてOKであった。

国宝殿                              根本中堂


阿弥陀堂

延暦寺会館で昼食                             【以下はツアー番外・昼休み中に歩いた】鐘楼は100円で撞くことができる。
    
    大黒堂                               文殊楼
    
    法然堂                              宮沢賢治碑
      
    法華経以外は邪教とする日蓮宗の信徒だった賢治は、浄土宗を信仰する家族と対立していた。その宮沢賢治親子が比叡山を訪れていた。

国宝館                               開運平和の鐘

20数年前、比叡山で世界の宗教者による平和についての集まりが開かれたと言う。

西塔地域
常行堂                                法華堂[弁慶のにない堂]
 
この二つは回廊でつながっていて、その下を通って釈迦堂に行く。
釈迦堂[屋根の脇、色が変わっているのは台風で壊れ、修理した。右]


横川[よかわ]地域
元三大師堂[元三慈恵大師]

雞足院潅室[普段は入ることができない]                履き痛んだ草鞋が掛けられていた。

雞足院潅室では、かつて部屋の四方の壁に曼荼羅の仏が掛けられていて、真っ暗闇の部屋の中、
目隠しをされ、先達に手を携えられて部屋を巡り、手にしていた花が落ちた所の仏を自身の本尊とする秘事が行われたという。
痛んだ所の修理が終わり、近々公開されるという。我々は特別に拝観した。暗くはない。

角大師[魔除け]

また、おみくじ発祥の寺とも言われる。

横川中堂

三方が舞台作りは珍しいと言う。屋根のひさし部分が遣唐使船にぶつかる波形をしていると言われる。

以上で高野山・比叡山の旅は終わり、バスで京都駅に向かった。17:56発~東京20:40着。
出発まで1時間ほどあったので、西本願寺に行ったが、境内には入れたが本堂は入れなかった。


高野山、比叡山、東寺ではそれぞれそこの専属のガイドが説明した。
そのガイド、しゃべり過、しかも親に孝、人に親切、何事にも感謝、スリッパきちんと並べよう等々、
まるで儒教の教えや倫理などのお説教がほとんどでうんざりだった。
私は、今回のガイドにもつくづく落胆した。
高野山・比叡山は涼しかった。雨は、京都で夜少し降っただけだった。
京都市内はすごく暑かった。
高野山と比叡山を一度に巡るツアーは珍しいそうだ。
個人の外国人が少なからずいた。
新幹線の新大阪・名古屋間は4000円程違うようで、ツアー料金を安くするため、名古屋から高野山に入ったが、これは大失敗であった。
今回初めて宿坊に泊まった。私としては特別の感慨はない。


―――――――― さて、以下は私のかなり個人的な感想、蛇足である。

即身成仏の思想と他力本願の思想とは私には両立しない。
即身成仏は断食などで生きたままで仏になるといった自己の救いの道のこと、壮絶な自力解放である。
他力本願は民衆をどう救済するのかという宗教者の思想・道と思う。
浄土真宗の他力本願の思想の私の理解は、自分の努力・修行・良い行い=自力で煩悩を脱し悟りに至るのではなく、
ひたすら阿弥陀如来に帰依[=全面的に依存]する思想である。
阿弥陀如来は、全ての民衆を救済することを自分の本願とする如来である。
失敗も喜びも阿弥陀如来の導きなのだから、それに一喜一憂しないでひたすら阿弥陀如来の導きに身を任そうと言う思想である。

仏像と仏教の教えも考えさせられた。
ユダヤ教、イスラーム教はいっさいの偶像を認めない。
唯一絶対の真理=神は形にできないとの考えは理解できないではない。
ユダヤ教から生まれたキリスト教は偶像のはん濫である。
一方、密教の大日如来は宇宙的絶対真理で実体はないのだが、人の形の大日如来像で表現される、不思議と言えば不思議である。
また、密教ではそれらを曼荼羅図として顕現し、それが信仰の対象ともなる。

弥勒菩薩は、釈迦の入滅後56億4000万年後に現れ人を救う、その間は地蔵菩薩が民衆を救済するのである。
菩薩像、地蔵とも人の形で表され、人々の尊敬と信仰を得ている。
観音菩薩は、様々な姿形に変化して人々の前に現れ人々に救いの手をさしのべる。
十一面観音は11の顔を持ち、千手観音は千の手と千の目を持つまことに異形である。
これらは雄大な思想ではあるが、私には複雑で理解はむずかしい。

仏と神々の関係も少し考えた。
仏に、どうして四天王・12神将・明王などの守り神が必要なのか。
仏教が土着の神々や悪霊を従えたと言うことは、周辺の部族を統合していった歴史の反映であることは理解できる。
だが、それらが信仰の対象になるのかは私にはちょっとむずかしい。

密教では、本尊は秘仏とされることが多い。
私は、この思想もよくわからない。
密教の加持祈祷にはシャーマニズムの影響が残り、神秘主義的である。
また、教えは師から弟子へ秘事的に伝えられると言う、そうした神秘性から秘事・秘仏となるのか。
だが、私は民衆に見られてこその仏像だと思うのだが。
仏像と写真撮影の問題はいつも考えさせられている。
どうして写真撮影してはいけないのか、納得いく説明がないと思う。

法然・一遍・栄西・親鸞・道元・日蓮など皆この比叡山で若い頃修行した。
そして彼らは、下山し新しい宗派を起こして行った。
それは当時仏教を学ぶ場が少なかった事情もあるのかもしれない。
それ以上に密教の教えに疑問や批判を感じたのは疑いのないことだと思う。
一番の問題は、自己の悟りの問題と苦しむ民衆をどう救済するのかと言う矛盾であったと思う。
                                終わり

閑話休題・仏教について

2009年08月11日 | 学習
仏教について大まかなことは知っていると思っていたが、実は意外と知らないことが多かった。
以下、私のメモである。【写真は、東大寺大仏を除いて、他からの引用】

釈迦はインドに実在した人で仏教の基本を作ったが、彼が仏教の全てを作ったとは言えない。

彼は、悟りを開いて仏=如来となった。
如来とは、インドの古語サンスクリット語で真理に達した人という言葉の中国語への音写=訳である。
【中国語への意訳ではなく音写であった。それがそのまま日本に移入された。後述するがこのことが理解をむずかしくした。】
釈迦如来を表す梵字[インドの古語サンスクリット語]


釈迦如来とは、仏(如来)になった釈迦と言う意味である。
日蓮宗・法華宗では、釈迦如来を信仰する。
法隆寺の釈迦如来像       室生寺の釈迦如来像


仏になることが出来るのは人間だけでない。
阿弥陀如来は西方浄土にいて人を救う仏であり、毘盧舎那如来は宇宙的真理のことである。
浄土真宗は、阿弥陀如来を一番に信仰する。
鎌倉の大仏は、阿弥陀如来像である。


京都東大寺の大仏は毘盧舎那仏像で、華厳経がこの如来を詳しく説いている。

その教えを最高とするのが華厳宗である。

真言宗などの密教においては、毘盧遮那如来を大日如来と呼び、それを信仰する。
真如園の大日如来像


釈迦如来だけを現世の唯一の仏とする仏教は小乗仏教と言われ、主に南方に伝わった。
他方、大乗仏教では、釈迦如来は多くある仏の中の一つの仏であり、その他にも仏は沢山あるとし、北方に伝わった。
[小乗・大乗の違いはこれだけでなく多岐に渡っているが。]

密教では、真理・仏の教えは言葉では表現・伝えることができない、
それは師から弟子に直接伝えられる秘密の教えとされる。
密教以外の宗派を顕教と言う。
顕教では、真理・仏教の教えは言葉に表すことが出来、そこから学び人々に伝承できるとされる。
日本では真言宗とやや密教度が薄い天台宗が密教と言える。
天台宗の最澄、真言宗の空海は、奈良から平安にまたがる時代に中国の密教寺院で修行し日本に仏教を伝えた。
当時の仏教はまだ貴族の間だけの貴族仏教であった。
平安末期から新しい仏教の波が起こり、鎌倉時代になると新しい仏教が民衆の間に急速に広がった。
浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、臨済宗(栄西)、 曹洞宗(道元)、 時宗(一遍)、 法華宗(日蓮宗、日蓮) 等が次々生まれた。

さて、如来等をはじめ多くの仏教用語は元々は古代インド語に由来するのだが、
それらの言葉が中国語に音写・当て字化され、日本には漢文でそのまま伝わった。
中国語の文字の読み方は日本式に変化し、そのことがかえって理解の難しさを増した。
例えば南無妙法蓮華経の南無だが、それは帰命[=帰依するの意]の音写であって、南無の漢字そのものには意味はない。
文字を読めなかった民衆にとって、経本を見たり、お経を聞いたりしてもそれを理解することはむずかしかった。
念仏を唱えるだけで救われるという新しい宗教が生まれた背景には、仏教用語の難しさという事情も関係していると私は思う。

さて、釈迦のような生物の人間ではなく、宇宙・実体のない自然の真理や摂理のようなものも仏と言う。
先に紹介した、阿弥陀如来や毘盧舎那如来のような。
キリスト教でも、人間としてのキリスト、神の子としてのキリスト、そして宇宙的絶対真理としての神が存在する。
一神教では、唯一絶対神だけが神である。
仏教では神々もいち仏であり、また釈迦のような人間も悟り、そして仏となることができるのである。
宗派によっては、全ての人間に仏性が宿っていて、念仏を唱えることで極楽往生できると説く宗派もある。

悟りを得て仏に至る前の存在を菩薩という。
例えば、観音菩薩、地蔵菩薩などはそのままではまだ仏ではないが、いずれ仏になることが約束された存在であり、
それらは次々と姿・形を変えて民衆の前に現れて民衆を導き・救う存在で、民衆の身近な信仰の対象となった。
聖観音像         法隆寺の観音像


チベット仏教のダライラマは、観音がダライラマの姿となって現世に現れ、人々を導くと信仰されていると言われる。
弁財天や韋駄天等天と天がつくものは、元々はかつてインドや西アジアに存在した神々だった。
それらの中にはかつては仏の敵であったが、仏に帰依し従い、仏の守り神となり、そして信仰の対象となっていった。
不動明王や阿修羅などはかつて仏と対立した存在だったが、同様に悔い改め仏の家来となり、仏の守り手となり、信仰の対象となっていった。
キリスト教でも、キリストの弟子達・母は神ではないが、聖人・マリアとして信仰の対象となるのとよく似ている。

一神教でも多くの宗派に分裂していった。
仏教の場合は、信仰対象が唯一絶対神ではないのだから分裂と言うより新しい宗派が次々生まれるのは必定と言えるかもしれない。
だが、宗派間の争いは血を流して争う時代もあった。
抗争は今も当然あるが、今日はだいぶ落ち着いてはいるようだ。
仏教の考え方の違いは、読む経も違い、本尊も異なり、合掌の方法も異なり、
戒名と言ったり、法名と言ったり、入棺に際していわゆる死に装束を着たり着なかったり、
線香の建て方や仏壇の整え方などの儀式も宗派によって色々のようである。

さて、私は、個人的には密教は少し肌が合わない。
曹洞宗などの禅宗は、いわば救いを求めないみたいな思想で好ましくも思うのだが、
座禅と言う形にかえって拘り過ぎるようでいて違和感を感じるし、
権力に迎合した臨済宗は、わびさびを言うが逆に貴族趣味的華美に感じる。
私には、浄土宗や浄土真宗の教えが一番あっているように感じるのだが、それが絶対的であるとか唯一の真理とはとうてい言えない。
いずれの考え方にも共感性と違和感が同時にある。
だが、私はそれ以上にキリスト教やユダヤ教イスラム教のような一神教には絶対的違和感・拒否感を感じる。

日本三大霊場・恐山、弘前・八戸名刹巡り

2009年08月03日 | 国内旅行
恐山と弘前・八戸のお寺を巡った 2009/7/29・30・31

クラブツーリズム歴史街道を歩くツアーだった。
大宮発9:22新幹線で盛岡[11:22]、バスで弘前市内を巡り、弘前パークホテルに泊まった。
翌朝7時50分に弘前を出て、バスで下北半島の恐山へ、バスで八戸、八戸第2ワシントンホテルに泊まった。
八戸市内の寺を巡り、八戸14:57発の新幹線で帰る、大宮17:42着。
以上、バスの移動が非常に長くかった。

一日目 東北に入ると雨であった。盛岡には昼前に着き、弘前まではバスで2時間。バスの中でおにぎりを食べた。

大円寺
大日如来堂に安置されているのは阿弥陀如来坐像なのだが、「大鰐の大日様」と言われ、慕われている。
三門                            大日如来堂


大鰐の大日様

本堂                                阿弥陀三尊                                
地下広間の襖絵

阿弥陀堂                              地蔵堂                 金比羅堂

三十三観音


最勝院 三門                           平和の鐘                                 太子堂

六角堂                護摩堂

本堂

五重塔            


真教寺[現地で追加となった]


長勝寺
三門                            全景[右:庫裡、中:本堂、左:蒼龍窟]

庫裡                         大黒天                ほう         
                   
本堂                                 釈迦三尊

蒼龍窟


鐘楼                     藩主の墓                        第四代以降の墓


弘前パークホテル[3階以上がホテル]に泊まる。
普通の信号は横だが、積雪を防ぐため縦になっていると言う。
夕食付き。メニューから好みを注文するオーダーブッフェと言う方法。
注文してから届くまで少し時間があり、ゆっくり・食べ過ぎず、が私には良い。1700円で飲み放題。


二日目
下北半島に向かう道の駅で、
ホタテ観音                             ネズミ短檠[たんけい]=灯り取り-一帯は菜種の産地
 

常念寺 三門                              本堂
 
本堂阿弥陀三尊 勢至菩薩                阿弥陀如来            観音菩薩 

脇侍が膝をつき、ここまで前屈みなのは珍しいと言う  曼荼羅図説

観音堂


恐山・菩提寺
 
慈覚大師円仁によって開かれた。現在、寺務所・宿坊・地蔵殿は回廊で結ばれている。
1総門                              2総門脇
 
3常夜灯                   4三門                                5

6本尊安置地蔵殿 
 
円仁さん                 十一面観音

7トイレ[回廊内]前の賽銭箱の横
 
8本堂                               9塔婆堂                             塔婆堂内
                              10                                11冷抜の湯[男湯]:手足を洗った

12慈覚大師堂          13水子供養                         15血の池地獄[最近は火山活動が弱まり、赤くなくなった]

14八角円堂                        参拝者が置いていく


《続く》

日本三大霊場・恐山、弘前・八戸名刹巡り/ つづき

2009年08月03日 | 国内旅行
16極楽浜                          

17                                  18延命地蔵尊

名前を書いた石・表札・墓のようなものを置いていくのは最近の流行という     19六大地蔵


またバスで3時間かかって八戸へ。第2ワシントンホテルに泊まる。

夕食は付かなかったので、街に出た。
八戸市内は、翌日は三社祭り前夜祭とのことで、その練習の太鼓の音などが聞こえた。
神明宮                         山車

子供達が練習していた                        屋台村があったが私は別の静かな店に入った



三日目
三光寺~このお寺は南部家累代のお墓で有名である。
南部利康霊屋[たまや]
引用
内陣正面[引用]                             内陣天井[引用]

南部利直霊屋                            本堂

大銀杏


法光寺
                                    三門                            三門天井には羅漢像が

本堂、左には回廊で鐘楼がつながる

開山堂[本堂の後ろ]                                     観音堂

りんご観音    仏舎利塔                 水子地蔵堂                龍神堂                


三重の塔           中                                 三光稲荷


三十三観音                       宝物殿


櫛引八幡宮

本殿                   拝殿から本殿に至る階段の上に鳳凰の彫り物     脇に鷹が河童を捕まえている彫り物    三本杉

大国主社                神明宮                明治記念館(旧八戸小講堂)

国宝館[青森には国宝は三つしか無く、内二つがここに]   国宝・赤糸縅鎧[いんよう]        国宝・白糸縅鎧[いんよう]


南宗寺

横枕観音[横枕とは地名]          八戸南部家累代の墓


八戸駅に着いたのは14時半で、新幹線[14:57発]発車間際であった。大宮着は17:42。

ほとんどのところで撮影が許された。【[引用]の所は駄目な所】
一日目はあいにくの雨であった。二日目は曇り、三日目は晴れであった。気温は低く過ごしやすかった。
宿はビジネスホテルで、快適であった。
今回のツアーは34人の多数であった。初日は並んで座ったが、2、3日目は一人がけだったので助かった。
かなり長距離移動であった。バスガイドは休みなしに話すので本当に困った。
ツアーで一番の難点はこれだ。

下北は確かに過疎であった。
だが、ここに再処理工場・核廃棄物貯蔵所を持ってくる根拠にはならない。
恐山は、かつての荒々しさが無くなったという。硫黄臭はするが噴気はほとんど上がっていない。
箱根大涌谷や別府温泉ほどの荒々しさは無いと思う。
千年前、湯治場として利用はされてはいたろうが、円仁さんが来た時、ほとんど人は居なかったであろう。
地獄に思えたかもしれない。そのすぐそばに穏やかな宇曽利湖が優しい山陰を映している。

私は、盲目の津軽三味線弾き手・高橋竹山を映画化した林隆三主演の『竹山一人旅』の映画、
竹山がボロを着て雪が舞う冬の日本海の海岸を三味線を抱えて歩く姿・映像=だが顔は林ではなく、竹山=が鮮明に思い出された。

死んだ人々と出会いたい・一言言葉を交わしたい、との願いは人から無くならない。
確かに、日々、その人々の思い出や映像は薄れて行くのだが。
私は、自分の生きてきたどんな歴史の場面・思い出・感情を思いながら死んで行くのだろうか、等と思っている。