真言宗本山・高野山、東寺と天台宗本山・比叡山を歩いてきた。2009.8/20~8/22
クラブツーリズムのツアー『世界遺産の二大霊峰 高野山・比叡山を巡る3日間』に参加した。
【大まかな日程】
8/20: 東京駅8:33~名古屋駅着10:21、高野山;奥の院 高野山宿
8/21: 高野山;金剛三昧院、徳川家霊台、金剛峯寺、壇上伽藍、大師教会、女人堂、赤松院、霊宝館 京都宿
8/22: 東寺、比叡山;東塔地区、西塔地区、横川地区、京都発17:56、東京着20:40
さて、冒頭に少し説明。
高野山は空海・弘法大師が開いた真言宗、比叡山は最澄・伝教大師が開いた天台宗のお寺である。
真言宗、天台宗ともに密教である。
密教では仏の教えや真理は言葉で伝えることはできない、師から弟子へと直接伝授されていくものである、と言う立場に立つ。
他方、顕教では、仏の教えや真理は言葉などによって説明し伝えることができると言う立場に立つ。
顕教には、浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗・時宗など多くの宗派があり、密教は天台宗と真言宗だけである。
密教の本尊は大日如来である。
大日如来は全宇宙の中心に存在する絶対的真理であり、全ての仏の中心である。
この有様を表現したのが曼荼羅[まんだら]で、図で表した物、文字[梵字]で表した物、仏像群で表した物などがある。
一方浄土宗などでは、阿弥陀如来が人々をその死後西方浄土に導いてくれると考える。
また、密教では悟りは厳しい修行によって得ることができるとするいわば自力解放の道をとる。
断食のまま死んで仏になる即仏成仏や千日行などの荒行が知られる。
他方、浄土真宗では全ての人間を救うことを自分の本願とする阿弥陀如来、
その阿弥陀如来を人々が絶対的に信じることが救いの道だとする他力本願の考えである。
以上、非常に乱暴な整理ではある。もちろんそれほど単純ではなく様々な考えが入り組んでいる。
最澄、空海とも平安時代の同時代の人で、遣唐使船で中国に渡り中国仏教を学び日本に伝えた。
密教は、日本の伝統的宗教である山岳宗教・山岳信仰との近似を感じさせる。
また、加持祈祷の儀式などはシャーマニズムも連想させる。
インド仏教も、ゾロアスター教[拝火教]を取り込んだとの説もある。
一日目:
新幹線が名古屋に着いたのは10時半頃、バスで高野山に向かった。
高野山奥の院=空海の霊廟がある所についたのは3時であった。
高野山には大阪から入るのが普通らしいが、費用を安くするたか名古屋から入った。これは明らかな大きなミスである。
高野山奥の院入り口[南無大師編照金剛とは空海のことである]
ここから約2kmに渡り様々な供養塔・墓・碑が連なる。
企業や団体などのものから、近世・現代の有名人、そして戦国武将や様々な歴史上の人々。
それらを一々取り上げたらキリがないほどだ。
喜劇人のもの シロアリ駆除の団体の物
これは韓国式墓という 与謝野晶子のもの
橋の向こうは奥の院御廟[写真は禁止:橋の上の石畳の縁を踏んで歩くのが作法とか] 水向地蔵
死期が近づいた空海は堂に籠もり断食したまま入定したと言われる。
空海は生きたまま仏となり、今なお生き続けていると信者には信じられている。
従ってここは信者にとっては聖地である。
巡礼者の傘などに書かれた同行二人の一人は空海のことであると言われる。
釣り鐘の代わりに使われていたという石 英霊殿
本日の宿・金剛三昧院[こんごうさんまいいん]に向かう。
この寺は、宿坊の一つで、約800年前北条政子が夫源頼朝菩提の為に創建した。
世界遺産に泊まったと言うことになる。庭に国宝の多宝塔がある。
多宝塔[国宝]
庫裡は工事中
頼朝の等身大で作ったと言われる愛染明王を本尊とする本堂 愛染明王[引用]
夕飯[精進料理、酒類も販売されていて、私はビールを飲んだ]、部屋はバス・トイレなしの和室、襖を挟んで隣室 経堂
食後、ライトアップされている金剛峯寺等に向かった。
大塔[赤枠内は人] 鐘楼
大門 仁王像
一日目は、金剛峯寺の宿坊の一つ金剛三昧院に泊まった。
二日目:
六時半から本堂で行われた朝のお勤めに参加し、その後、阿弥陀堂、護摩堂、愛染明王などを参拝して、
朝食
金剛峯寺
山門 門には、二つの龍・右がア形、左がン形、そしてしめ縄も
金剛峯寺[屋根に防火のための水桶が]
台所[二石釜] 天井から吊されたネズミよけの棚
鐘楼 駕籠塀[門脇]
六時の鐘 塀[筋が寺の等級を表すという、五は最高ランクとのこと]
壇場伽藍
全景[左手前、准胝堂、御影堂、根本大塔、三鈷の松、金堂] 准胝堂[じゅんていどう]
御影堂 根本大塔
金堂 不動堂[屋根の四隅の形がそれ座ぞれちがっていると言う]
西塔 六角経堂
孔雀堂
女人堂
昔はこれから先は高野山で女人禁制だった 女人堂
女人堂に至る参道[建物はトイレ]
女人禁制:さてこれをどう捉えるか。
明治時代になると戒律が厳しい高野山には子どもが沢山いて、子ども達の教育のことがその解禁の一因であったとも言われる。
浄土真宗の親鸞聖人は、僧の結婚を認め、自らも結婚し子どもがたくさんいた。
徳川家霊台
徳川家康の霊屋
赤松院[金剛峯寺宿坊の一つ、左甚五郎の虎の彫り物で有名]
[引用] 昼食
クラブツーリズムのツアー『世界遺産の二大霊峰 高野山・比叡山を巡る3日間』に参加した。
【大まかな日程】
8/20: 東京駅8:33~名古屋駅着10:21、高野山;奥の院 高野山宿
8/21: 高野山;金剛三昧院、徳川家霊台、金剛峯寺、壇上伽藍、大師教会、女人堂、赤松院、霊宝館 京都宿
8/22: 東寺、比叡山;東塔地区、西塔地区、横川地区、京都発17:56、東京着20:40
さて、冒頭に少し説明。
高野山は空海・弘法大師が開いた真言宗、比叡山は最澄・伝教大師が開いた天台宗のお寺である。
真言宗、天台宗ともに密教である。
密教では仏の教えや真理は言葉で伝えることはできない、師から弟子へと直接伝授されていくものである、と言う立場に立つ。
他方、顕教では、仏の教えや真理は言葉などによって説明し伝えることができると言う立場に立つ。
顕教には、浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗・時宗など多くの宗派があり、密教は天台宗と真言宗だけである。
密教の本尊は大日如来である。
大日如来は全宇宙の中心に存在する絶対的真理であり、全ての仏の中心である。
この有様を表現したのが曼荼羅[まんだら]で、図で表した物、文字[梵字]で表した物、仏像群で表した物などがある。
一方浄土宗などでは、阿弥陀如来が人々をその死後西方浄土に導いてくれると考える。
また、密教では悟りは厳しい修行によって得ることができるとするいわば自力解放の道をとる。
断食のまま死んで仏になる即仏成仏や千日行などの荒行が知られる。
他方、浄土真宗では全ての人間を救うことを自分の本願とする阿弥陀如来、
その阿弥陀如来を人々が絶対的に信じることが救いの道だとする他力本願の考えである。
以上、非常に乱暴な整理ではある。もちろんそれほど単純ではなく様々な考えが入り組んでいる。
最澄、空海とも平安時代の同時代の人で、遣唐使船で中国に渡り中国仏教を学び日本に伝えた。
密教は、日本の伝統的宗教である山岳宗教・山岳信仰との近似を感じさせる。
また、加持祈祷の儀式などはシャーマニズムも連想させる。
インド仏教も、ゾロアスター教[拝火教]を取り込んだとの説もある。
一日目:
新幹線が名古屋に着いたのは10時半頃、バスで高野山に向かった。
高野山奥の院=空海の霊廟がある所についたのは3時であった。
高野山には大阪から入るのが普通らしいが、費用を安くするたか名古屋から入った。これは明らかな大きなミスである。
高野山奥の院入り口[南無大師編照金剛とは空海のことである]
ここから約2kmに渡り様々な供養塔・墓・碑が連なる。
企業や団体などのものから、近世・現代の有名人、そして戦国武将や様々な歴史上の人々。
それらを一々取り上げたらキリがないほどだ。
喜劇人のもの シロアリ駆除の団体の物
これは韓国式墓という 与謝野晶子のもの
橋の向こうは奥の院御廟[写真は禁止:橋の上の石畳の縁を踏んで歩くのが作法とか] 水向地蔵
死期が近づいた空海は堂に籠もり断食したまま入定したと言われる。
空海は生きたまま仏となり、今なお生き続けていると信者には信じられている。
従ってここは信者にとっては聖地である。
巡礼者の傘などに書かれた同行二人の一人は空海のことであると言われる。
釣り鐘の代わりに使われていたという石 英霊殿
本日の宿・金剛三昧院[こんごうさんまいいん]に向かう。
この寺は、宿坊の一つで、約800年前北条政子が夫源頼朝菩提の為に創建した。
世界遺産に泊まったと言うことになる。庭に国宝の多宝塔がある。
多宝塔[国宝]
庫裡は工事中
頼朝の等身大で作ったと言われる愛染明王を本尊とする本堂 愛染明王[引用]
夕飯[精進料理、酒類も販売されていて、私はビールを飲んだ]、部屋はバス・トイレなしの和室、襖を挟んで隣室 経堂
食後、ライトアップされている金剛峯寺等に向かった。
大塔[赤枠内は人] 鐘楼
大門 仁王像
一日目は、金剛峯寺の宿坊の一つ金剛三昧院に泊まった。
二日目:
六時半から本堂で行われた朝のお勤めに参加し、その後、阿弥陀堂、護摩堂、愛染明王などを参拝して、
朝食
金剛峯寺
山門 門には、二つの龍・右がア形、左がン形、そしてしめ縄も
金剛峯寺[屋根に防火のための水桶が]
台所[二石釜] 天井から吊されたネズミよけの棚
鐘楼 駕籠塀[門脇]
六時の鐘 塀[筋が寺の等級を表すという、五は最高ランクとのこと]
壇場伽藍
全景[左手前、准胝堂、御影堂、根本大塔、三鈷の松、金堂] 准胝堂[じゅんていどう]
御影堂 根本大塔
金堂 不動堂[屋根の四隅の形がそれ座ぞれちがっていると言う]
西塔 六角経堂
孔雀堂
女人堂
昔はこれから先は高野山で女人禁制だった 女人堂
女人堂に至る参道[建物はトイレ]
女人禁制:さてこれをどう捉えるか。
明治時代になると戒律が厳しい高野山には子どもが沢山いて、子ども達の教育のことがその解禁の一因であったとも言われる。
浄土真宗の親鸞聖人は、僧の結婚を認め、自らも結婚し子どもがたくさんいた。
徳川家霊台
徳川家康の霊屋
赤松院[金剛峯寺宿坊の一つ、左甚五郎の虎の彫り物で有名]
[引用] 昼食