風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

3/30北大宮を歩く

2006年03月30日 | ウォーキング
JR大宮東口

①実相寺(大宮天沼)


②稲荷大明神(駐車場脇民家敷地)


③白山神社


④大宮稲荷神社


⑤天満神社(氷川神社参道沿いにあり、左方向が氷川神社二の鳥居)


⑥さいたま市立博物館

原始時代から近代までコンパクトに展示してある。
地下は、昔のおもちゃがたくさん展示されていて、子供が手に触れて遊べる。
無料。

⑦東光院(大きな寺)



⑧氷川の杜文化館 裏門・奥は竹林、竹林の奥が文化館

文化館入り口

この施設は、能、日本舞踊、三曲、茶、華道などのサロンになっている。

⑨氷川神社
本堂

能楽堂・夢殿(中央奥が本堂)


氷川神社境内は広大で敷地内に
宗像神社


伏見稲荷神社

伏見稲荷を一周すると、鳥居様木に良宮・震宮・巽宮・離宮・坤宮・兌宮・乾宮・坎宮が額に書かれてあった、何か分からない。

天津神社 松尾神社の他、御嶽神社・門人客人神社等かなり大きな神社があり、その他に、小さい石神・雷・愛宕・山祇・神明・住吉神社(これらは一つにまとまっていた)があった。

氷川神社参拝の人はウイークデーにもかかわらずたくさんだった。
また、大宮公園は桜が満開で公園内はたくさんの人だった。


⑩多子稲荷大明神


⑪四恩寺[日蓮宗]


⑫護国神社(大きい)(鳥居手前は大宮公園)


⑬日本山妙法寺

住宅街で、良隣は民家。

花冷えで、風が冷たかった。
大宮公園・氷川神社には赤ちゃんから年寄りまでたくさんの人であった。
氷川神社では、柏手を打ちながら社を回る何人もの人を見た。
東武鉄道・大宮公園駅。

3/26与野東口~北浦和

2006年03月26日 | ウォーキング
JR与野東口~産業道路~領家

①明圓寺(天台宗)


若い住職が幼子をだっこして寝かしつけていた。

②神明神社[児童公園になっていた]



③御室神社


県総合教育センター前を通り~

④氷川神社(個人宅内にあり、遠くから見ただけだった)
場所が分からず、通りがかりの人に聞いてやっとわかった。

⑤名前の分からない神社


⑥名前の分からない神社(高さ1m位の小さな神社)


⑦文殊寺(大智山)


六地蔵の紹介がしてあった。右から
日光地蔵(天上能化) 除蓋障地蔵(人間能化) 
持地地蔵(修羅能化) 宝印地蔵(畜生能化) 
宝珠地蔵(餓鬼能化) 檀陀地蔵(地獄能化)

⑧名前の分からない神社(文殊寺脇にあり『榛名山満行宮大権現』とあった)



あちこちでいろんな花が咲いていた。

⑨報恩寺(天台宗)



この後、総合教育センター・木崎中・浦和高校などを通って北浦和駅に向かった。
三室地区あたりは昔は農村だったのだろう。
今は、桃・梅などの木々などが植えられた畑がたくさんあった。
そのすぐわきで、建て売り住宅の分譲販売がたくさん行われていた。
49坪で3000万円であった。
昔農家の大邸宅、その脇に作られた高層マンション、建て売り住宅、畑がせめぎ合っている。
今日は大きな道路を歩き、日曜で車がたくさん走っていた。
曇りで、寒くなく、暑くなく、風なく、でちょうど良かった。

大宮西側を歩く

2006年03月22日 | ウォーキング
3.22大宮西側を歩く
西福寺
ユニークな外観で入り口手前に六地蔵があって、やっぱ寺なんだ、納得する。


17号を横切って、
切敷稲荷神社


並木氷川神社

三橋中、三橋小の間にある。
改築前の鬼瓦が展示してあった。1億数千万円で改築したそうだ。


ここから先、方角を90度間違えてしまいだいぶ遠回り、大変であった。
鴨川・大宮バイパスを越えて、さらに西に向かう。

永泉寺
禅寺でとても味わいのある、落ち着いた感じの寺であった。

ほほえんでいる親子石仏があった。

本堂

永泉寺本堂左奥の墓地を抜けると「青葉園」であった。

永泉寺の墓と青葉園の墓は隣り合っている。
永泉寺の墓は縦長の古風な墓石で、墓石の後には卒塔婆が立つ。
青葉園の墓は、ほとんどどれも一様な近代的お墓様で横に長い墓石。卒塔婆は全く立っていない。
青葉園は広く、霊園内に、三重の塔と青葉神社やいろんな像が置かれている。


右が青葉神社。園内には乃木希典や山下奉文などを祀る碑がある。
青葉園正門前には近代的ビルの管理事務所や青葉会館やたくさんの駐車場があった。
禅寺と近代霊園の対照がおもしろい。

正願寺[浄土宗大谷派]、住宅地の中にあり、普通の民家という感じであった。


正願寺後方に社らしきものが見えたので回ってみると、
原神社 であった。[佐知川下(古い地名らしい)の氏神様と説明してあった]

こんなに大きく古い神社だけど地図には載っていない。
本社後ろに八雲社があり、[天満、御嶽、厳島、戸隠、琴平、神明]と言った珍しい神社が一緒に祀られていた。

午前中・昼過ぎ暑いくらいであった。
方向と道を間違えてエラい苦労をしてしまった。
しかし、午後1時過ぎになると日が陰り、肌寒い風が吹いて来た。
地図を見ると、青葉園一帯南北渡って家が建っていない。
鴨川添いの低地・湿地帯だったのだろうか。



2006年3月読書ノート

2006年03月21日 | 読書ノート
3.「ローマの街角」~塩野七生著・国際情報誌『フォーサイト』に1994年春~1999年の冬間(5年)のコラム集。一コラム新書判3~4頁。

・マキャベリは、1000年もの間キリスト教で指導してきたのに人間性に少しも進歩も向上も見られないのは、人間自体がもともと宗教によってさえ変わり様もないほどに「悪」に対して抵抗力がないからであると考えた。ゆえに、そういう人間達が住む世の中を変えて行くには、この人間性を冷徹に直視することが第一と、主張する。
・勝った武将はいずれも、自軍のハンディを埋めることなど考えず、不利を有利に変えることができた人である。司令官に最も必要な資質は想像力なのである(マキャベリ)  ~不利を有利に一変させるには発想の大転換を求められる以上、想像力しかない。
・人種差別は、宗教上の理由からでもイデオロギィーからでもなく、ただ単に生活上の不都合から生まれる。経済的余裕を持たない「貧しい白人」が他のどの階級よりも先に人種差別主義者に一変する。
・イタリアでは、高校でも大学でも試験の半分以上が口頭試問である。
・優れた人物とは、不測の事態への対処ができた人であったと言うことを歴史は教えている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が突きつけたもの
~人智による話し合いでは解決できず
 アメリカが断固として介入しない限り国連軍にもNATOにも紛争解決は不可能という事実
 だが、アメリカは世界の安全保障に自国人の血を流す決意はないこと
 冷戦時代には大国のエゴ[意向]と非難されたが、今ではそれさえ明確ではないといこと
 ナチスドイツとともに葬り去ったと思っていた異民族、異宗教、異文化への民への非寛容が不死鳥のようによみがえったこと。非寛容な人間の精神はこの50年、形を変え場所変えて生き続けている。
・動機の正否などは関係ない~動機ならば皆良き意志の発露だ、問題はその良き動機がなぜ悪い結果につながってしまうか、だ。
 「どれほど悪い事例とされていることでもそもそもの動機は善意によるものであった」(マキャベリ)
・韓国と日本は自分たちのことばかり話題にするからケンカするのです。第三国の、しかも遠い昔の第三国を話題にしたら意外と同意見になるかもしれない。
・全てを決するのは持てる力の多少ではなく、その効率よい活用にある。
・民族の「生命」の長さとは、ある時期に真のリストラ=再構築をやれたか否かにかかっている。
第二次世界大戦の日本の敗北の原因は
 ~日本人自体のものの見方とものの考え方と事への処し方にあった。=古代ローマと反対のことをした。
 日本は侵攻した所では必要品を現地調達した~ローマでは基本は本国からの補給でやむを得ない場合でも銀・銅で支払った
 ローマでは玉砕戦法は無縁だった~最少の犠牲で最大の戦果を得ると言う常識。
マザー・テレサを評価する
 救いの手をさしのべた貧しい人たちに対し、キリスト教への帰依を求めなかった
 彼女が与えようとした救いは、貧困や病気からの脱出よりも、その中での安らかな死の方であったこと。
 事前に要する費用を集めるために積極的にマスメディアを利用した冷徹さ。
・“思い遣り予算”なんて英語にもできない形容で自国民を騙すのやめて属国税とはっきり言ってはどうであろうか。
・ローマでは、敗因は細部に至るまで追求された。ただし、敗因は追求したが責任者の処罰は行われていない、敗者復活の機会まで与えられている。失敗は誰でもする。同じ誤りを繰り返さないことのみが勝者と敗者の分岐点になることを歴史は教えてくれている。
外国語という道具を手にする前に修得しておくべき事
 哲学や歴史に代表される一般教養を学ぶこと。
 自らの言に責任を持つ習慣。
 完璧な母国語の修得。
通訳を介さなければならない時の心得
 なるべくなら相手方と同じ国出身の通訳を使う。
 相手の方に身体を向け相手を見て話す。通訳は無視して良い。
 センテンスを短くする。長くなりそうな場合は動詞で切る。~通訳に要約させないため。
 英語が不得手出あることを公表しておく。
構成の歴史家ならば、20世紀をどう見るであろうか。人間は平等であるべきと言う信念を現実化しようとして、様々な実験を試みた世紀、と見るかもしれない。
・覇権国家とは、コンピュータではインプット不可能な「敬意」とか「尊敬」とかいう概念がないと、存続不可という面白い生き物である。
憲法について
第96条のみ改正する。~必要となれば常に改正が可能な状態にしておくべきだから。
=各議院総数の二分の一プラス一人の賛成を必要とする。[絶対不可侵は弊害が多い]
ユダヤ・ローマ法について
 ユダヤ法~神が人間に与えたもの~神聖にして不可侵、改めることは不可。
  法に人間を合わせる。
 ローマ法~人間が定めたもの~神聖不可侵ではない、必要に応じて改める。
  人間に法を合わせる。

【感想】
味わい深く読み応えある一冊である。
投げかけている問題・問は多岐に渡る。
彼女の発想はとにかく柔軟で創造性に富んでいる。
イデオロギィの色目で見ることの誤り・おかしさに気付く。
彼女の考え=提言に全て賛成とは言えないしそれをそのままマネしてもダメであり、現実を“冷徹”に見つめ、現実的解決策を自分の頭で考える事の重要さを痛感する。
『最後に』の「5年間書きつづった提言がどれ一つとして聞き容れられていない」の一言に何と言えばよいか。

2.『イタリアからの手紙』・塩野七生著

エッセイ集
[マフィア]はおもしろかった。
シチリアマフィアが第二次世界大戦後一大勢力になり今日なお絶大な力を保持するのは~
ムソリーニは法手続きなしにマフィアを壊滅まで今一歩の所まで追いつめたが、戦況は変わり、連合国がシチリアに侵攻する。アメリカ(FBI)はムソリーニを攻める時にシチリア上陸への手助け・道案内をマフィアに頼んだのが功を奏し、電撃的に進撃勝利する。イタリア解放後もアメリカの庇護のもとに密輸(酒は安いのでタバコ)・野菜果実市場(オレンジとレモンの輸出)・建設業・住宅・道路・港湾・工場、そして今では水道まで支配下に置いている、と言われる。現在では与野党中枢まで影響力を持っている、と塩野は書く。

1.『ローマ人の物語』[3]勝者の混迷[文庫版上・下]塩野七生著

ポエニー戦争・カルタゴ戦争に勝利し、地中海の覇権国となったローマは政治・経済諸処ほころびが生じてくる。改革に挑むが「内なる敵」もいる。

この巻の前半、ローマの経済について記述されている。
これまで疑問に思っていた経済的仕組みが理解できた。

【騎士階級】[ラテン語:エクイタス]
~ローマ軍に騎士を提供する義務を負う第一階級の属すほどの資産家という意味。
 国政より経済活動に専念する道を選んだ人々と言っても良い。
 ・その重要な仕事の一つは租税徴収の請負(落札すると手数料が入る)。
 ・金貸し業[租税を変わりに払い、後で借金として取り立てる]
 ・軍団に必要な物資の納入
 ・公共事業の請負[この頃セメントが発明された]
  =元老院議院は「商」に携わることは法律で禁じられ、〈裏で:自分の配下の解放奴隷などにさせていた〉
 ・富んだ騎士階級は土地の投資した。

【国有地】~同盟国にした国の土地の一部は没収し国有地とした、紀元前140年当時は国有地総数は50haで全領土の七分の一であった。
国有地はローマ市民に貸与された(借地料は小麦=年収益の十分の一、オリーブブドウ畑=五分の一)、借地権は相続・譲渡も認められた=ほとんど私有地。
~牧畜業やブドウ栽培などは
収穫まで年月を要するので先行投資を要し、兵役義務のある農場と多数の奴隷を使う大規模農園との価格競争で小規模農民は苦境に陥り借金をし次第に土地を失い、ローマに流れ込んだ。
=元自作農の失業者の出現と“農業の構造の変化”
:兵役を務める資格資産を下げても兵役免除者(プロレターリ)が増え、市民(兵役負担がある)がが減った。

「失業者とはただ単に職を失った・生活の手段を失った人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。福祉を充実させれば解消する問題ではない」(塩野)

【グラックス法・改革】
・国有地の相続は認めたが、譲渡は認めない。
・広大な国有地を借用している者は、補償金をもらいそれを国家に変換しなければならない。
・返還された国有地を希望する農民に再配分する。
 ↓
無産者に落ちた農民に再度農地を与え自作農に復帰させる=失業者救済・社会不安解消・兵士の獲得。
この借地権がローマ市民の間で譲渡されている限りでは問題はなかったが、実際はローマ市民以外[ローマ連合加盟の市民]の多数譲渡されていた。

「人間とは食べていけなくなるや必ず食べて行けそうに思える地に移動する」(塩野)=ケルト(ガリア)人の移動

【マリウスの改革】 徴兵制から志願制の軍政改革
・総司令官の使える軍団数が伸縮自在になった、~防衛型かた攻撃型に変化
・資産の多少に分かれていた軍団分類が無用になった、同時にバラバラであった隊旗も廃止となり銀製の鷲旗となった。以後鷲がローマを象徴する。
・軍団内の〈ローマ市民-ローマ連合参加兵〉の区別=ローマ市民権の有無の消滅
・これまでは荘官や幕僚は市民集会で選出されて来たが総司令官の任命になった
・歩兵間の区別・武装の区別が消滅し、同じ投げ槍と盾と剣をを持つようになった
・騎兵団[これまでは上流階級の子弟の士官学校的であった]は、乗馬の上手いヌミディア・スペイン・ガリア人によって構成されるようになった。
・近衛兵[これまでは同盟諸都市からの選抜兵]は、全軍団から選抜した。
 ↓
・失業者の吸収、長期に兵を使える
・軍団内では資産による階級制度は消滅した
・ローマ市民と同盟諸都市市民の区別は希薄になった
・最高司令官の権力の増大[軍団数の伸縮・将官階級の任命制導入]
・最高司令官を頂点とする将官階級・一般兵士の関係がより緊密になった
 ↓↓
{マイナス面}:
・ローマ軍団の私兵化
・平時における兵士の過剰

「改革とはもともとマイナスであったから改革するのではなく、当初はプラスであっても時が経つにつれてマイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ」(塩野)
「法律とは厳正に施行しようとすればするほど人間性との間に摩擦を起こしやすいものだが、それを防ぐ潤滑油の役割を果たすのがいわゆる義理人情ではないか」(塩野)
「恵まれた階級以上に頑迷な守旧派と化す‘プアー・ホワイト’はいつの世にも存在する」

【紀元前一世紀のローマ人口】
成年男子(市民権):90万人
イタリア半島全体人口(60歳以上老人女子供);650万人
奴隷:250万人(俗習民やシチリアは含まない)

【奴隷】~高い順
教師(家庭教師)・熟練技術者(医者、建築家、彫刻家、画家)・上級技能者(交易、農園経営、秘書)・一般職人(店のマネージャー、職人、芸人、剣闘士)・芸能(舞踏、奏楽の女奴隷)・家事労働の男女奴隷・非熟練(農園、鉱山)
最高値と最低値の格差は100対一
・自由民の二分の一から三分の一いた奴隷だが大規模蜂起したのは、
大規模農園の多いシチリアで2回で、国内ではスパルタクスの反乱だけだった。


3.18平和集会

2006年03月18日 | 学習
◎イラクにも日本にも軍事基地はいらない・◎9条は世界への不戦の誓い3.18集会 (土)13:30~パレード出発15:30 コース:銀座コース
日比谷野外音楽堂 ■発言:石坂啓(漫画家)、中島通子(弁護士)、糸数慶子(参議院議員)、ほか 


アメリカのイラク侵略戦争から3年がたった。
事態は悪化一方だ。
ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、アメリカはビンラディンを支援してそれに対抗した。
その後アフガニスタンを侵略し、国土を破壊し、多くの民を殺した。
イランに対してはハーレビ独裁政権を支援し石油を収奪した。
シーア派のイラン革命に対しては、スンニ派の隣国・イラクのフセインを支援し、イラン革命を失敗させようとした。
そしてイラクを侵略し、国土を破壊し多くの民を殺し、石油を奪っている。
アメリカは、いつも目先の自分の利益しか考えない。
アメリカに追随する日本は今もイラクに自衛隊を派兵している。
この事態に2000~3000人ほどの集会であった。

フランスでは大学生・高校生夜デモ=『26才までの労働者は理由無く解雇できる法律』に反対して25万人のデモが行われた。


3.16大宮東側歩く

2006年03月16日 | ウォーキング
JR大宮東口~

倉屋敷稲荷〈大宮区役所隣接〉


妙法寺〈普通の民家〉写真なし

大宮氷川神社参道入り口〈中山道・さいたま新都心ちょっと大宮より、ここから約2キロにわたって氷川神社の参道が直線で続く〉


楢姫稲荷と奉安殿〈看板がないので違うかも知れない〉


庚申神社


浅間稲荷神社〈幼稚園隣接し丘の上にある〉


宗泉寺・真宗大谷派〈2fは住居〉


慈光院〈大きい寺だが路地が入り組んでいてわかりにくかった〉


天沼神社〈大きな神社で、境内に学童室と集会場ある、次の大日堂と隣接する〉


東光寺分院大日堂〈大きな寺で、川(新芝川)を挟み自治医大大宮医療センター〉


法勝寺・日蓮正宗〈大きい寺で、入り口の扉に「創価学会員の立ち入りを禁じる」とあった〉


大宮高校入り口


JR線路を横切って西側=高層ビル街に出る

安楽寺・浄土真宗東本願寺派〈とても大きな寺で写真左奥は高層ビル〉


庚申神社〈安楽寺の隣〉


天気予報では3時頃から雨模様なのでこれで終わり、大宮駅に向かうと安い床屋があったので髪を刈った。
時折少し冷たい風が吹いたが暖かであった。
駅周辺は道路も広く大きな建物が立つが、氷川神社参道から東側は少しの間道路が碁盤目状となるが、そこに斜めに道路が交差して不思議な道路事情になる。
この氷川神社参道は立派なケヤキ並木で、二本の道路からなっている。
その間隔は15~20メートルと狭く、その間に民家がほぼ一軒ずつ立つという不思議な道路だ。
どういう事情でそうなったのだろう。
そしてしばらくすると川になる。
今日歩いた範囲は狭いが、形容しがたい町並みだ。

さいたま新都心西口~大宮を歩く

2006年03月11日 | ウォーキング
3.11新都心~大宮を歩く

新都心西口ス-パーアリーナ脇を通って地図に載っている〈勲成寺〉を探すがない。
次の目的地に向かうと、新幹線を挟んでスーパーアリーナの反対側に曹洞宗地蔵堂があった。
地図には載ってないが住職もいるかなり大きな寺で、地蔵のいわれが書いてあった。

この世には地獄道・餓鬼道・畜生・修羅道・人間道・天上道の六つの世界があって、それぞれの世界で人を救う・導く地蔵がある、それで地蔵は六つ並ぶことが多い、という。
右に六地蔵、左に庚申塚、その後ろが本堂。

長伝寺・大きな寺で本堂内仏像をとったが失敗だ。



正円寺~与野七福神=福禄寿で、以前参った。[写真はない]

出世稲荷・これも以前参った。[氷川神社のまん前にある]


上町氷川神社・これも以前参った。


日枝神社


天台宗慈宝院・大きな寺だが本堂扉が開き本尊を映した。


このあたり地名・円阿弥といい高速与野の出入り口・巨大なジャンクションが円を描いて空を覆う、
高速道路・大道路は住民の生活勝手をとても不便にしている、
横切るのは大変な時間・距離[横断歩道が少なく、歩道橋であったりする]が必要で、とても不便だろう。
騒音・排気ガスもすごいだろう。

鴨川というかなり大きな川を横切る。
このあたりからやっと畑が多くなる。

林光寺・これも大きな寺で写真は手前から仁王門・参門・本殿と続く


真言宗観音寺・これも大きな寺であった。


足立神社・古く大きな神社で、隣に墓地があった


慈眼寺・水波田[みずはと]千手観世音・とても大きな寺だ


彩の国音かおりの里・鴨川みずべの里が隣接


この写真はHP『ひでたろうの家』より転載
広くはないが、聞き耳の椅子[小鳥の声を聞く]・かおりの小径[花が咲く]・夕日のテラス[夕日を眺める]・ささやきの道[石塀が弧を描きそこで話すと響く]・かおりの花壇・風の産声を聞く小径などが作られ音とかおりを楽しむ工夫がされていてなかなかユニークだが、手入れが良くなく草ぼうぼう。

上小町氷川神社・写真右側の木は「モッコク」といい、推定樹齢150年とのこと。


さいたま新都心駅ができる前は大宮~与野間は大宮操車場で距離が長く、
そこに新幹線もでき、新しい街・超高層ビル・広い道路が走るが400メートルもしないで普通の町並みになる。
さらに鉄道を離れるように西に歩くと高速道路・大宮バイパスが走り、そして川となり、畑になる。
昔はおそらく田圃だったのだろうがその面影は全くない。
散在する寺社は数は多くないがいずれも大きく、歴史があるようだ。
鴨川沿いには古墳跡もあるようだが今回は回れなかった。

春のようなような陽気でYシャツでも汗がでた。

ホテル・ルワンダ

2006年03月08日 | 映画


2004年/南アフリカ・イギリス・イタリア/122分
■2004年アカデミー賞 主演男優賞・助演女優賞・脚本賞ノミネート
■2004年度トロント国際映画祭 観客賞受賞
■2005年度ゴールデン・サテライト賞(ドラマ部門) 作品賞受賞/主演男優賞受賞/オリジナル主題歌賞受賞

有楽町シネカノン  佳作である。

ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地、
1962年に独立を果たしが、かつての宗主国は少数派民族であるツチ族を優遇、多数派フツ族を冷遇、分裂支配する国家が成立した。抑圧されて来た多数派フツ族を中心とする勢力が1973年にクーデターを起こし、逆にフツ族がツチ族を支配する。こうして1990年10月に内戦が勃発した。
1993年8月和平合意に至ったものの、1994年4月フツ族のハビャリマナ大統領を乗せた飛行機が撃墜されたことに端を発して、フツ族によるツチ族の大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも50万人が虐殺されたとされる。
ソマリア内戦で介入・失敗したアメリカを中心とした国連は、ルワンダへの介入には消極的となり、撤退した。
ルワンダには特別な鉱山資源・石油やダイヤモンドなどがないことから介入しても利益はないと判断したのだ。国際的な対処が遅れたことがこの悲劇を拡大させた。
しかし、根は帝国主義の植民地分割・支配、独立後もその支配力を持続させようとして分断支配した大国の無責任さこそがこの悲劇を引き起こし、拡大させたことは疑いがない。

さて、映画はこの悲劇を極めて抑制して描く、虐殺描写はない。
また主人公のポールの生い立ちや、その家族の歴史にも全くふれない。
ツチ族・フツ族の対立の歴史もふれない。
大統領の乗った飛行機の墜落を機とするフツ族の乱暴が始まる。
言いたいこと・描きたいこと・説明したいことはたくさんあるだろうに、それは触れない。
『白バラの祈り』もそうであったが、説明したいことを描かないで、生起する現実を坦々と描く、そこに迫力と緊迫感がある。
フツ族だけを一方的に悪く描かず、責めることもしない。
内戦終了後ポール達家族はベルギーで生活することになるが、そうした後日談も映像で描かないで、短い文章だけで表現したのも良かった。
映画製作は「南アフリカ・イギリス・イタリア」となり、出演俳優はアメリカ・イギリス他となっている。
どのような経過でこの映画は作られたのだろう。
最後に流れた「歌」は良かった。
「アフリカ合衆国、アフリカキングダムはどうしてできないの?」との問は、アフリカだけでに向けられた問ではない。

だが、使われる言葉が英語、は残念。

水曜日で1000円、約180人くらい。








3/5与野~さいたま新都心を歩く

2006年03月05日 | ウォーキング
3/5与野~さいたま新都心を歩く

JR与野駅から、
1.正樹院


2.地蔵堂[地図に載っていない]



3.秋葉神社


4.宝蔵院[墓が道路の両側、民家に沿ってあってちょっと不思議な感じ]


5.「成田山(正式な名前はわからない)」[地図に載ってなくまた看板もない。額には成田山とあった、左側に二つの小さな神社があった]


6.白衣観音堂


7.阿夫利神社


8.東漸寺


9.さいたま市立浦和博物館:埼玉県師範学校校舎を復元したとか、見学した。
人は誰もいなかった。写真左隣は、さいたま市立病院。


10.相之谷堂


11.ぽっくり安楽往生地蔵堂[おもしろい名前がついている]



12.正福寺[地蔵堂の真ん前にある大きな寺だが地図に載っていない]


13.延喜式内足立神社[大きな神社で、八雲社・稲荷社・浅間社・風天社・神明社とあった]


14.景元寺[大きな寺で本堂左南北にシイノキ(幹回り4m)一対・写真左側]


15.天満宮[両側は民家、前面は三菱マテリアル]


16.高台橋お女郎地蔵[さいたま新都心駅真ん前]


暑いくらいであった。
京浜東北線与野駅から垂直に東方向、障害者交流センター方面を通り越し、さいたま市立病院でタ~ンして、さいたま新都心駅に戻って来た感じ。
国道1号線は初めて通った。
結構アップダウンがあって、昔は水田地帯だったのだろう。
昔地主だったのか、富農だったのかとてつもない屋敷がたくさんある。
しかし、かなり大きな新築の住宅はかなり遠くまで続いていて、
大きな農地はなく、貸し出されている家庭菜園様がたくさんあった。
さいたま新都心駅東側は、駅ができる前は、三菱マテリアルなどの広大な敷地の回りに住宅地が点在し、その他は農地だったのだろうか。

お彼岸近くでお墓参りする人が結構いた。
本堂の戸も引いて見ると開く寺が2つあった。

さいたま市は広い。
政令指定都市のメリットはあるかも知れないが、地域のコミュニティとしてのまとまりはないのでは、と思う。



イノセント・ボイス 12歳の戦場 

2006年03月02日 | 映画
『イノセント・ボイス 12歳の戦場』

■2005年ベルリン国際映画祭 最優秀作品賞受賞<児童映画部門>
■2005年アカデミー賞外国語映画部門メキシコ代表

3/1シネスイッチ銀座・映画デーで1000円、1回目約50人。

ベルリン国際映画祭 最優秀作品賞受賞ということで少し期待したが、映画としてはA級とは言えない。
「ちょっとした反米映画」だから、ではない。

第二次世界大戦以後アメリカが軍事介入、侵略、謀略、支援した戦争でアメリカ側に「正義」は全くと言っていいほどない。
エルサドバドル内戦については、知識がないので軽々には言えないがエルサドバドル内戦への介入もそうなのでろう。
映画は政府軍に抵抗する立場で作られているがそれを割り引いてもそのことはわかる。

アメリカが支援する政府軍は12才になった少年を徴兵する。
主人公の少年・チャドは11才で、内戦の悲劇・徴兵に恐怖している。
写真は、政府軍の不正義に憤り反政府勢力の根拠地に向かうチャドたちが、その後を着けられ、捕まり処刑場に連行されるシーンで、映画の冒頭と終了間際に流さる。
[僕たち何の罪なの?の声が流れる、するとイノセントは無実、と言う意味か、でも無邪気という意味もあるらしいのでそれが混じったものかも知れない]
捕まった四人のうち三人は射殺されるが、チャドだけは反政府勢力の反撃でかろうじて救われ逃げる。【チャドだけが奇跡的に助かるのは、何とも映画的なのだが…】
逃げる途中彼は銃を拾うが目の前の政府軍兵士を撃つことができず、逃げ去る。
映画のメッセージはここにある、と感じた。

少年兵の悲劇は、カンボジア・アフリカの内戦で部分的に報じられてきた。
たが、私は映画としては、日常的に起きているかもしれない銃撃戦や徴兵の乱暴のシーンをたくさん描くよりも、子ども達の日常のありふれた姿をたんたんと描いて[たしかにたくさん描いてはいるのだがその印象は薄い]、そのことが瞬時に破壊される恐怖[チャドのガールフレンドの住む街が破壊されることなどで描いているが]、また徴兵をいやがっていた少年兵が残虐になって登場する姿[部分的には表現していたが]、などをもっと淡々と叙情的に描く方がいいなぁと思いながら見ていた。
政府軍の悪の描き方が単純・一面的で、これにも不満が残る。
チャドだけが徴兵を逃れて、アメリカに亡命=逃亡するが、なぜアメリカなのか、アメリカ以外には無いと言うことなのか。

チャドの母親が美しい、美しすぎる。姉の「オナラ姉さん」は太っているがかわいい、よちよちの弟はなんともうまい。
チャドが亡命した後、その弟が「これからは僕が頼りだね」は、とてもかわいく印象的だった。