風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

イタリアを旅してきます

2010年09月27日 | イタリアの旅
しばらく妻とイタリアに旅して来ます。9月28日出発し、10月22日に帰ってきます。
9月28日成田を発ち、香港で乗り継ぎ、9/29早朝ローマ空港に着き、
ベネチアへ。~10月3日。
フィレンツェ、10/4~10/8。
ナポリ、10/9~10/13。
ローマ、10/14~10/20。10月22日午後成田に帰ってくる予定です。
四都市間は電車で移動し、ホテルは、二人で一泊朝食付き・6000円の安宿です。
現地のツアーにいくつか参加し、後は全て自由な旅です。



古代ローマは、私の憧れで、イタリアを旅したいとずっと思って来ました。
その思いを強くしたのは、塩野七生さんの『ローマ人の物語』です。
古代ローマについては、諸説ありますが、紀元前7~8世紀頃から紀元4世紀頃でしょうか。
その後、ローマは東西に分裂しますがその時代を含める人もいますが、華やかな時は紀元前1世紀~紀元2世紀でしょうか。
アジア・中国では始皇帝の秦の時代、日本は吉野ヶ里遺跡時代で、ローマではキリストとキリスト教が誕生します。
古代ローマは、ギリシャと同じように多神教です。
私は、多神教の世界は多様的・相対的な気がします。仏教も多神教です。
多神教の神々は実にユニークで、「人間的」で浮気したり・喧嘩したり、ローマには人間の夫婦喧嘩を仲裁する神もいるそうです。
その考え方は、日本の八百万の神々と似ています。
天照大神が隠れた時、女神達がストリップする天の岩戸神話なんて傑作ですよね。
これに似た神話は世界各地にあるようです。
とまれ、唯一絶対がない、それを信じないというのは穏やかな気が私はします。

古代ローマは実にユニークな社会でした。
ユニークと言いましたが、極めてまっとうな社会であったと私は思っています。
帝政ローマの礎を築いたのはユリウス・カエサルですが、彼は志半ばで暗殺されます。
その後を次いだのはアウグストゥスですが、彼はカエサルの実子ではなく、養子でした。
カエサルにはクレオパトラとの間に男子がいましたが、カエサルは若い時からアウグストゥスを養子にして教育したのでした。
アウグストゥスが帝政を作り初代皇帝になったのはカエサルの子であったからではなく彼の実力によってでした。
アウグストゥスは帝政の基礎を築き盤石なものとしました。
英語のJuly(7月)はユリウス・カエサルから、August(8月)はアウグストゥスから付けられたそうです。
カエサル像[ルーブル博物館] アウグストゥス胸像[アテネ国立歴史博物館]
 
ローマの皇帝は世襲ではなく、議会のような元老院で選ばれました。
世の多くの王政・帝政はただ血筋だけによる世襲で、跡目争いなどで腐敗しました。
ローマの皇帝は終身制ですが、信頼・支持を失った時は暗殺されました。
ローマもその後、何人かの皇帝が子に世襲させ、腐敗・暴政となりました。
ヨーロッパ中世の王は、キリスト教によって戴冠されるという壮大な儀式=虚構を必要としました。
王とは言うが、もともと正統性などないのですから、神・宗教の権威によって権力の権威を偽造する以外に方法はなかったわけです。
このことは宗教と権力の癒着をうみ、それは必ず両者の腐敗をもたらしました。

ローマはもちろん他国を侵略しますが、侵略された地域が恭順を示せば、虐殺や奴隷にしないで、地元の神=宗教も是認しました。
もちろん奴隷もたくさんいました。
だが、奴隷は一定の条件をクリアすれば解放奴隷となり、市民権を得ることが出来、皇帝にまでなった者もいます。
ローマ圏に入った地域では、本国と同様の税制がしかれ、円形劇場や公衆浴場と水道と街道などが整備されました。
街道は、直線でした。道は舗装され、並木道や里程標や宿場町も整備されました。
それは侵略を防ぐことより、侵略された時はローマ軍が瞬時に進軍できる道路だったのです。
ヨーロッパの都市の多くは城壁で囲まれていますが、ローマは防衛のための閉ざされた城壁は造りませんでした。
また、軍隊は常備軍・徴兵制ではなく、市民の志願兵でした。
“パックス・ロマーノ”(ローマによる平和)のほうが、各都市にとっては自力で防衛するよりはるかに安全で、経済的でした
無料の公衆浴場と水道は市民の衛生と健康のためであり、広場には今なお公共の井戸=水飲み場や噴水が設置され、円形劇場は市民の娯楽場でした。

イギリスのチャーチル首相は、「カエサルの来英でイギリスは文明国になった」と演説したそうです。
ヨーロッパ各地の今日の大都市の多くは、ローマが造った都市でした。
フランスのリヨン、ドイツのケルン、スペインのバルセロナなどみなそうです。
今日ではプロバンス地方とは「しゃれた街」ですが、もともとの意味は『ローマの属州』だそうです。
今日のフランス料理などもオリジナルはローマでした。
ただ、美食家となったローマ人は満腹になると吐きだして、また食べたと言います。

ローマにまつわることわざもたくさんあります。
すべての道はローマへ通じる。 All roads lead to Rome.
ローマは一日してならず。 Rome wasn't built in a day.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ。 When in Rome, do as the Romans do.
ナポリを見てから死ね。 See Naples and then die.
賽は投げられた。
ルビコン川を渡る。
舗装道路は最強の武器。
ブルータスお前もか。

これはことわざではないですが、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」は、カエサルの言葉です。
西洋では、結婚式の後、新郎が新婦を抱えて家に入る風習があるそうですが、これも源はローマだそうです。
ローマの建国をしたのは次男三男の独身男性集団だったそうで、近隣の村を襲っては花嫁を略奪した、と言うのです。

とまれ、「人類は今、2000年前のローマより豊かになっているのか」、が私の“思い”なのです。
もちろんイタリアへの旅でこの思いへの解答があるわけはないのですが、“ローマの豊かさ”を味わって来たいと思っています。

これはかなりマニアックなのですが、古代ローマから続くローマの紋章をいくつか撮ってきたいと思っています。
それは"SPQR"のことで、ラテン語"Senatus Populusque Romanus"(元老院とローマの市民)の略称で、あらゆる地域で公共物に刻まれたと言います。
それは現代のローマ市内を走るバスやタクシー、マンホールの蓋にも入れられていると言います。
 

今回の旅のために、小さいノートパソコンを買ったのですが、ホテルのラン事情はわかりませんし、
ブログを作成する余裕はないと思いますので、私のこのブログの更新はしばらくありません。

【参考】
私のブログに、
古代ローマの遺産展
ポンペイ展・横浜美術館 があります。
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代々木八幡~神泉、大崎~品川

2010年09月25日 | ウォーキング
家を出る時は、霧雨が降っていたが思い切って出かけた。
代々木八幡駅を降りた時は、雨も止み、涼しい風が吹き、散歩には最高のコンデションだった。


コートジボアール大使館                           モンゴル大使館
 

麻生太郎元首相の家{ニュージーランド大使館の隣}
 
地図には何も乗っていなかった、一人の警官が立哨していたので、近寄ると麻生さんの家だった。

ニュージーランド大使館                           聖泉院
 

観世能楽堂                              戸栗美術館
 

鍋島松濤公園

紀州徳川家の下屋敷を鍋島藩が購入し、明治時代、平民となった武士の殖産のために開いた茶園の跡。

京王線神和泉駅まで歩き、京王線で渋谷駅に。山手線渋谷駅から大崎駅に向かった。
山手線渋谷駅プラットホームに、「タマホーム」の店舗には驚いた。



私は間違って五反田駅で降りてしまった。地図と風景があわないので少し慌てたが、また電車の乗った。
大崎駅は、すっかり新しくなっていた。
大崎ニューシティ                                                  目黒川
  
カナダインターナショナルスクール
 
 学校はいくつにも分かれていた。

ミャンマー大使館                             翡翠原石館
 

モーリタニア・イスラミック共和国大使館                       セルビア大使館
 

ソニー歴史資料館                            ブルネイ大使館
 
この周辺は、ちょっとしたソニーの城下町の様であった。

アイスランド大使館
 
アイスランド大使館は地図に記載されていなかった。しゃれた建物だなと近寄るとアイスランド大使館であった。

高山稲荷神社                                品川駅のトイレ
 
プリンスホテル一帯にひっそりとあった。不思議な空間だ。目の前は品川駅。電車の中では爆睡であった。

近々、イタリアに旅行する。この夏は暑かったので、散歩の街歩きは出来なかった。
ジムで運動はしたのだが、それは実際に歩くのとは違うのではないかとちょっと心配だった。
それで少し天候が良くないのだが調子を確かめるために無理気味に出かけた。
風が少し強かったが、ワイシャツだったが汗はかかずとても気持ちよかった。

国の名前は、実は簡単ではないようだ。
地図にはセルビア・モンテネグロ大使館とあるが、モンテネグロは独立し、今ではセルビア共和国とようだ。
モーリタニアは、実際はモーリタニア・イスラミック共和国と言うらしい。
中国も中華人民共和国だし、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国だし、シリアはシリア・アラブ共和国と言うらしい。
日本は日本国である。           
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六本木辺りを歩く

2010年09月16日 | ウォーキング
9月15日、ようやく涼しくなり、ウォーキングに出た。
9時15分頃家を出た時は少し寒いほどであった。
地下鉄南北線の六本木一丁目駅を降りると少し日が射し、暑くなりそうで、失敗したかなと思ったが、
涼しい風が吹いて絶好の散歩日和であった。
それでも1時間も歩くとかなりを汗が出て腰回りは少しぐっしょりしてきた。

谷町ジャンクションは高速道路の高架が三角形を作り、地上は広い駐車場、長い横断歩道橋を降りるとすごく狭い路地で、予想外の神社が見えた。
久国神社                            永昌寺
 

妙像寺                                 シリア大使館
 
 

桧町公園                                西光寺                                 道源寺
  

スウェーデン大使館                         スペイン大使館
 

ミクロネシア大使館                         澄泉寺
 

林誓寺                                 正福寺
 

常国寺                                 陽泉寺
 

この後ろ一帯は、広大なアメリカ大使館である。ことの真偽はわからないが、ネット情報ではアメリカはこの土地代を払っていないという。
さもありなん、とは思う。
アメリカ大使館の前はホテルオークラである。
創設者は、大蔵財閥二代目大倉喜七郎、この敷地はその邸宅敷地であったという。
大倉集古館[入場料はなんと800円、どんな事情で集めたのか知らないが、安く公開しろと思う。]
 
 

光明寺                                                            焼死人の墓(江戸時代の大火)
  

オランダ大使館
 

専光寺                                 八幡神社
 

モルジブ大使館
 
飯倉交差点で、フィジー大使館を探すがそれらしきものが見あたらない。
ユニークなノアビルを写真に撮ろうか考えていると、そのビルの中かもしれないと思い思い切って入ると、14階にあった。
辺りを見渡している時、その前のビルの上の方に窓から旗が掲げられているのが目に入った。
入り口に行ってみると8階にモリジブ大使館が入っていた。

フィジー大使館[この魅力的ビルはノアビルと言う、その14階にある]
 
入り口もユニークで中に入ると薄暗いがシックなエントランスで古風なエレベーターが並んでいた。  

一乗寺                                 真浄寺
 

アフガニスタン大使館                         ロシア大使館
 
アフガニスタン大使館は、今その本国で生じている現実が想像できない静かできれいだった。

外務省飯倉公館・外交資料館                           飯倉片町交差点
 
この交差点を右折した軽トラックが荷物を落とした。
おそらくロシア大使館警備に当たっていたのだろう多数の警察官がこぼれた荷物を片付けていた。
心和む風景であった。

フィリピン大使館                           六本木五丁目付近の交差点の無料喫煙場
  

六本木共同寺墓地                          五大山不動院
   

おもしろ看板                              教義寺                      朝日神社
  

法典寺                                  俳優座劇場
  

光専寺                                  法庵寺
 

ガーナ大使館                             長幸寺
 

妙善寺                                 グランドハイアット東京(手前)・六本木ヒルズ
 

久し振りのウオーキングだった。
この間スポーツジムだけしか行っていなかったので、体力が落ちていないかとすこし心配していたが大丈夫であった。
汗はだいぶかいたが、涼しかったので疲れは感じず、気持ちもすこぶる良かった。
やはり、ウオーキングマシンと実際の道を歩くのはずいぶん違う。
マシンは、本当に"デジタル"の世界である。
歩幅は何センチ、歩いた時間は何分、距離は何キロ、消費カロリーはどれだけ、という感じの世界である。
マシン上ではほとんど思考・思索は難しく、デジタル相手に後何分、後何カロリと言うことが主な関心事になってしまうような気がする。
はて、ここで曲がろうか、あの看板は何かな、あの人は何しているのかな、ちょっと疲れたから一休みしようか、
道を間違えたから引き返そう、ここは昔はどんな建物だったのだろうか、などが入り込む余地は全く無い。
だが、雨の日や夏の日射しの強い日になどはジムはすこぶる良い。
どんなに汗をかいて他人の目や鼻を気にしないでいいのだし、終わればお風呂に入ってうんとさっぱり、なのだから。
月並みだが、物事には表と裏、良い面と悪い面が共存していると言うことなのだろう。
私は、この年になってこういう単純で味わい深い考えがやっと出来るようになってきたようだ。

桧町公園一帯の様子は全く一変していた。防衛庁はなくなり、全く新しい街となり昔の面影は皆無であった。
小さな寺が、高層ビルに圧迫されながらひっそりと場違いなように静かに、落ち着いてたたずんでいるのもおもしろい。
六本木というときらびやかで華々しいイメージが強いのだが、そんなことはない。
大きな道路の路地に入れば、車が通れないような狭い道もたくさんあって、大都心と下駄履き路地が雑居する日本独特の景観だ。

秋は一時で、しばらくは残暑に戻るという。
秋になって涼しくなったらウオーキングは実際の街、筋肉トレーニングとストレッチはスポーツジムでしようかな等と思っている。
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