風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

北本~鴻巣を歩く

2014年04月28日 | ウォーキング
 野宮神社 
4月24日、北本から鴻巣を歩きました。
バスで石戸小学校入口まで行き、そこから歩く予定でした。
北本駅から乗るのが正しいのですが、私は全く迷わず桶川駅で降りました。
バスの運転手さんに聞くと、桶川駅からのバスは、石戸小学校入り口は通らないとのことです。
終点の北里大学メディカルセンターに行き、そこから北本駅行きのバスに乗るのが良いとアドバイスしてくれ、そうしました。
幸いなことにこの二つのバス路線の本数は多いのです。
一時はどうなるかなと案じましたが、たいして時間もかからず11時過ぎには歩き出すことが出来ました。
いやはや、思い込みとは恐ろしいものです。


バス停・石戸小学校入り口近くに11面観音堂がありました。
  
                                    氷川神社
 
厳島弁財天                               須賀神社
 
この付近、「緑のトラスト保全」に取り組んでいるとか
 
阿弥陀堂 (住職はいないのですが、立派な鐘楼の三門です。)
  
近くは「高尾さくら公園」、今はすっかり葉桜です。        道ばたに、庚申塔・馬頭観音などが随所に。
  
妙音寺
  
   
地蔵院
   
北袋神社                                愛宕神社
  
街道で
    
薬師堂
  
聖観世音菩薩堂                           太子堂                                
   
これは特別の人のお墓ではありません。このように古い先祖の墓石が祀られています。土葬のお墓も残っていました。
  
雷電社                                この先は荒川です。
 
妙楽寺・真言宗
  
  
観音堂
 
権現堂
  
氷川神社                                野宮神社
 
稲荷神社
  
谷津不動尊
  
常勝寺・真言宗
    
   
常勝寺・不動堂
  
宝篋印陀羅尼塔                        歴代住職墓
   
 
阿弥陀堂
  
                     氷川神社
   
鴻巣駅                                鴻巣の荒川川幅は日本一の長さという。
 
出鼻から、降りる駅を間違え、一時はどうなることか、でした。
方向が北里大学の病院で、バスの本数が多いのでほとんど問題なく、バスの中からも街を見ることが出来ました。
今日歩いた所も、大きな寺は真言宗の常勝寺と妙楽寺の二つだけで、後は、小さな祠や堂でした。
それらは、常勝寺の末寺のような存在なのだと思います。
私は、漠然とした仏教徒で、先祖崇拝の思いも強くはありません。
農村では、田畑の合間に集落・があり、その周辺に共同墓地や一族の墓地があり、
そこに地蔵や観音などを祀るお堂や祠を作ったのでしょう。
街道沿いには、地蔵や馬頭観音や庚申塔なども多く、人々の信仰がうかがえます。
かつて日本では土葬でした。現代になって火葬になり、立派な墓石を備えた墓地に埋葬されるようになりました。
墓地と墓石は新しくされていましたが、その時、数代前からの祖先の墓石などがそのまま保存されていました。
昨今、世知辛い世の中になり、地蔵や仏像が盗まれるようになってしまい、多くの寺や堂では鍵が掛けられ、
それらをなかなか目にすることが出来なくなりました。
扉に5、6センチの穴が開けられ、中を見ることが出来る寺や堂に巡り会えるととてもうれしいです。
さくらの季節も終わり、木々の緑がすっかりまぶしくなりました。
お寺より神社の方が木々で覆われています。
小さい神社は、集落で皆が集まる鎮守のようであったり、街道の分かれ道にあったり、
庶民の日常の信仰でした。
太平洋戦争の空襲で、防火の役目も果たした神社の森は少なからずあったようです。【終わり】

映画/SAYAMA-見えない手錠をはずすまで

2014年04月24日 | 映画

映画『映画/SAYAMA-見えない手錠をはずすまで』を見ました(4月22日)。
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狭山事件が起きてから50年、半世紀が経ちました。
石川一雄さんは、第一審で死刑判決、控訴審で無期懲役、31年余の服役後、1994年に仮出獄となりました。
最近、袴田事件の再審決定、足利事件の無罪判決、布川事件の無罪判決などえん罪事件の無罪判決が相次いでいます。
しかし、石川さんの再審要求は全く無視されています。
えん罪事件に共通する最大の問題は、検察が持っている証拠が開示されないことです。
袴田事件と同じように、狭山事件でも証拠のねつ造が行われたことは疑いの余地がありません。
狭山事件当時は、DNA鑑定がまだ普及していませんでした。
サスペンス風や法廷裁判劇風に映画化することも可能かもしれませんが、この映画はそれを廃し、ドキュメントに徹しています。
そして、事件と裁判の経過については極めて禁欲し最小限度にしか触れません。
権力や裁判所を糾弾したり、批判をしていません。そして運動への参加を要求したり、「一切の煽動」も皆無です。
それが成功しています。
映画は、石川さん夫妻の全くありふれた日常生活を淡々と描いています。


そこから醸し出される二人が、石川さんの無実を見事に雄弁に語っています。
布川事件の桜井さんは映画の中で、「人は罪を犯していたら10年15年と無実を叫び続けられない」と言っています。
早智子さんの故郷・徳島の海で浮き袋で戯れる石川さんが映っています。
スニーカーを履いて、はげ頭の石川さんが浮き袋でフワフワしているのはとてもユーモラスなのですが、

石川さんは、このシーンの採用を渋ったそうです。「遊んでいていて良いのか」と思われないかと案じると言うのです。
"お花見"もしたことが無いと言います。
無罪になった暁には、「ケニアに行って動物を見たい」、「夜間中学に行きたい」そうです。
石川さんは貧乏で学校に行けず、ほとんど字が読めず、書けませんでした。
二人の日常は本当に質素で慎ましいです。朝食は、一雄さんがミルクとトマトと豆腐とパン、早智子さんがサンドイッチとミルクとトマト。
晩ご飯は、おそばと豆腐とイチゴ、一雄さんのイチゴは2個、しかし早智子さんのイチゴは5個でおそばには納豆が乗っています。

そして早智子さんは、後で菓子パンを食べるから太るのよと笑います。
私は、早智子さんの明るさがとりわけ印象的で、素敵だなと思いました。
彼女のその明るさが無かったら、この映画は「深刻過ぎ、重過ぎ」になってしまったでしょう。
この映画では、"笑い"が溢れ、映画館でも笑い声が溢れていました。
そんな彼女が、おじいさんが語ったことについて、「そうだね」と頷かないで、口答えしたことを悔いていました。
とても素敵なシーンでした。
映画館では、笑い声と同時に涙も溢れていたのでは無いでしょうか。
現地調査と若者との交流シーンがありましたが、私はこれらを禁欲して割愛した方が良かったと思いました。
とにかく説教的、啓蒙的にならなかったのが何より良かったです。
映画の途中で、何度か枯れたヒマワリが映されました。そして映画の最後は、きれいに咲いたひまわりでした。
 
私は、監督の金聖雄を知りませんが、在日の人だと想像します。そのことも私はうれしいです。
映画館は、下高井戸シネマ、京王線下高井戸駅すぐ、座席数126のミニシアター、色々な割引があります。

  【終わり】
           

北本市を歩く

2014年04月22日 | ウォーキング

北本自然観察公園
4月18日、北本市の一部を歩きました。
JR高崎線北本駅西口から、10:47のバスで北里大メディカルセンターに行き、そこから歩き始めました。
 
北里大メディカルセンター構内にコッホ北里神社があります。
北里柴三郎さんが尊敬したドイツのコッホさんの死後、その髪の毛の一部を持ち帰り、その後二人を祀る神社が作られたそうです。
 
八雲神社                          石戸神社
  
東光寺                                石戸蒲ザクラ(東光寺境内)
 
  
善照寺・日蓮宗                            北本市子供公園
 
放光寺
 
  
  
天神社(放光寺に隣接)                        薬師堂
 
北本自然観察公園[1992年(平成4年)7月にオープンした32.9haの広さを持つ、埼玉の里地里山の自然環境を残した公園] 

桜堤(サクラは終わっていました。)
 
 
自然学習センター
 
阿観堂
   
      
浅間神社[荒井の富士塚]                      浅間神社の目の景色                        手水石には1703年とあるそうです。
  
八雲神社                                地蔵堂[木造の半跏地蔵]                                     
  
                                    こうした墓地が各所にありました。昔、集落内に墓地が作られたのでしょう。
 
大蔵寺・天台宗                                                    大蔵寺に至る小道の入口にありました。
   
                       氷川神社 
 
真福寺・天台宗
  
真福寺・本堂
   
  
解脱会 [北本市出身の岡野聖憲により1929年開設された新宗教団体で、北本駅前に広大な敷地です。]
社殿
   
  
足洗い場
  
今回も少し花々を撮りました。

北里大学のコッホ北里神社はユニークですね。
日本では死後、墓以外に神にされ、神社に祀られる有名人は多く、これはかなり独特の宗教観と思います。
古代ローマでは、夫婦げんかを諫める神もあったとのことです。
一神教と違って、多神教の社会はおおらかで良いなぁと思います。
日本の靖国神社では戦争で死んだ兵士が神として祀られています。問題は、太平洋戦争の戦犯も神として祀られていることです。
さて、今回歩いた所には小さい観音堂や薬師堂が多くありました。
おそらく農村の集落・は集落内に独自にお寺を作り、維持して行く余裕は無かったのでしょう。
それぞれの集落の周辺に死んだ人々を埋葬し、墓を造り、観音や薬師如来や地蔵や菩薩を祀る祠を作り、
それらが今日まで守られて来たのでしょう。
墓石は新しく、整備されているのですが、江戸時代の墓などが新しい墓地の脇に祀られていました。
道ばたには、観音堂や地蔵堂が無く数個の墓地だけの所もありました。それはかつての農村のありふれた風景でした。
かつて、日本では土葬が一般的で、まさに土に帰る、でした。
今日、大都市周辺では条例などで土葬が禁じられているようです。
最近では、都市部で無くても火葬が一般的になったようです。
今日でも土葬は可能なのですが、どこにでも埋葬して良いわけでは無く、事前のいろんな準備が必要なようです。
天皇家は、ずっと土葬でしたが、今の天皇は火葬を選ぶようです。
そんなことを思いながら歩きました。             【終わり】


映画/ペコロスの母に会いに行く、さよなら渓谷

2014年04月19日 | 映画

ペコロスとは、3~4センチ程のタマネギのこと、主人公の頭は禿げていて、彼のあだ名です。
彼の母親がだんだんボケだし、その日常を描いています。
前半は、テンポ良く、コミカルで面白い味を出していたのですが、後半は人情話物になってしまい、面白さが激減しました。
シリアスさを排除してコメディに徹っしたら良かったのに。
記憶がまだらになって行く日常はどんな物なのでしょうか。この恐れは、今日本の高齢者にとって一番深刻な問題では無いでしょうか。
昔から幼児期のことも、青春の思い出もその鮮明さは失われている私ですが、この先どうなるのでしょうか。
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極端な設定で、リアリティは皆無です。
尾崎俊介と一緒に住んでいるかなこは、高校生の時、俊介らに集団レイプされました。
その二人がその後巡り会った経緯と一緒に生活するようになった経過も説得的には描かれていません。
かなこは言います。「あなたが私より幸せになることは許さない。」と。
セックス描写は過激ではありませんが、不要です。
また、一つのショットがやけに長いのです。その必要性もよくわかりません。
おかげでストリーの展開も間延びし過ぎ、2時間近い長い映画となってしまいました。
何か奇をへつらうようで私にはよくわからない映画でした。             【4月14日鑑賞】

原さんの墓参り

2014年04月17日 | ウォーキング
4月13日、原勲さんの墓参りをしました。
原勲さんは、1978年3.26三里塚空港反対、管制塔占拠闘争で逮捕され、長期拘留により精神的苦痛を受け、1982年自死しました。
原さんは、1954年4月1日生まれ、今年60歳、33回忌を迎え、成田空港の中[赤い部分]・三里塚の大地に眠っています。    右は拡大。
  
江口さん[左]、上坂さん[右]もここに眠っています。
 
鉄塔からの風景
  
 
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お墓参りの前に、JR成田駅の写真を撮りました。

JR成田駅です。                                            JR成田駅東口に権現神社があります。
  
  
  
  
この日は、成田山で『成田山太鼓祭り』があり、多くの人が出ていました。   【終わり】

 

お誕生日会と若松河田の散歩

2014年04月14日 | ウォーキング
4月12日、誕生日会をしました。
場所は、『トラットリア・コリーナ・ピッコラ』と言うイタリアンのお店です。
イタリアファンの私としては初めてなのに懐かしい感じがしました。
地下鉄大江戸線・若松河田駅3分、大久保通りと抜弁天通り交差点の良いロケーションです。隣はパチンコ屋です。
 

 
壁には、フィレンツェのベッキオ橋が描かれていました。
 
お店でバイトをしていた芸大の学生がフレスコ画風に描いてくれたそうです。
シェフの小倉さん                     ワンプレートランチ(パスタは選べます。1450円)ちょっと奮発したワインです。
  
ランチタイム(11:30~15:00)、ディナータイム(18:00~23:00)で、色々なオプションも出来るようです。
昼のワインでだいぶ酔っ払いましたが、ランチ後、戸山公園あたりをゆっくり散歩しました。
東京は、めまぐるしく変貌し、近代的高層ビルがひしめいています。
東新宿駅(確か)から地下鉄で帰りました。
 
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ランチ前1時間ほど近くを散歩しました。新宿七福神の一部です。
大願寺・日蓮宗                            抜弁天交差点と厳島神社
  
   
専念寺・浄土宗
   
  
永福寺・曹洞宗
                                                                   福禄寿堂
   
専福寺・真宗大谷派
   
法善寺・日蓮宗
  
西光庵・浄土宗、後ろのビルは関係ありません。
 
 
この付近は、江戸の下町でたくさんのお寺があります。私は何度か散歩したことがあります。   【終わり】

北上尾~桶川を歩きました。

2014年04月13日 | ウォーキング

荒川の土手から泉福寺
4月10日、北上尾~桶川を歩きました。

北上尾西口駅前から市内循環バスで出発地{大石北小学校西}まで行く予定でした。
私が調べたのは10時発でした。来たバスの運転手に聞くとコースと時間は間違っていたようでした。
バスの本数は少なく、電車の都合もあまり良くないので9時頃家を出たのに失敗でした。
歩くと2kmほどあるのでタクシーで行くことにしました。910円でした。
北上尾駅                               照誠寺・真宗大谷派
 
照誠寺の西側は、広大な大宮ゴルフコースです。ゴルフ場の中を公道が走っています。

右にあるこうした雑木林が切り倒されてゴルフ場になったのでしょう。ごくわずかな人が楽しんでいるだけなのに。私は、ゴルフが嫌いです。
ゴルフ場を抜けると、畑地帯です。
東栄寺・曹洞宗                            祈りと誓願の鐘
 
誕生仏                         山門
    
本堂                               
  
講堂                                  サルスベリ                              
   
涅槃像                                子安観音               ケヤキ
  
                     車道が急に狭くなり、車がスピードを出せないような工夫です。良いですね。外国には、段差になっている道がありました。
  
薬師堂                          東光寺・天台宗
   
東光寺本堂
   
東光寺新御堂、毎月念仏の会が開かれているそうです。この日の午後がその日だとか。
    
  
熊野神社                                                           道端に、兵隊だった人のお墓が一つ
  
樋詰氷川神社[新しいお堂が造成中]
 
雙龍堂
   
松原八幡神社                             ホンダ・エアポート(民間の飛行場)
 
泉福寺・天台宗                                  
  
山門にある左甚五郎作と言われる龍                奉納された草履
  
山門の仁王像
    
阿弥陀堂                               宝物庫(阿弥陀堂の阿弥陀仏が保存のためにここに移されました。)
 
本堂                                  新門
  
   
   

 
泉福寺山門を出た外に、右は荒川河川敷に通じます。
 
氷川大明神
 
堂坂霊園
 
歴史民俗資料館(桶川市川田谷生涯学習センター内にあります。無料)
   
きれいな板石塔婆                           松山以奈リ道しるべ
   
富士塚                                 弥勒院
  
                                                     愛宕神社
  
砂ケ谷戸観音堂
  
                                     ゴミ捨て禁止の看板(あちこちゴミが捨てられています。)
 
密厳院・臨済宗
  
門の脇に
   
                                                     薬師堂
   
薬師堂内                                                 藤波天神
  
知足院・真言宗
  
梵語学者・盛典(1602年生まれ)の墓[知足院住職]
  

途中の公園で
 
さいたま文学館(さいたまゆかりの文学者の資料などを収集している。)     駅西口公園
 
桶川駅西口

さて、今回は、歩いた場所が郊外・田園地帯の春で、花々がたくさん咲いていたので写真に撮りました。

私は無粋者ですので、花の名前は皆目知りません。
民家の庭々には、チューリップなどたくさんの花々が咲いていましたがそれらは撮りませんでした。
菜の花がたくさん咲いているところはとても香しかったです。桜は終わり、花びらが舞い、地面はそれが積もって白いです。
また、小鳥たちのさえずりもたくさん耳にしましたが、彼らの撮影は難しいです。
今回のウォーキングで特徴的に感じたのは、各所に墓地があり、薬師堂・観音堂など、そして小さな神社があったことです。
自分たちが住む周辺に墓を造り、そこに薬師などを祀った小さな祠・お堂・神社などを作ったのでしょう。
でも、豊穣の神社・稲荷神社は少なかったように思うのですが、なぜでしょう。
おそらく日本の農村・では、このようにお寺では無く、居住の周辺に墓地を作ったと思います。
東光寺の新御堂では、毎月「お念仏」が行われているとのことでした。
天台宗の東光寺と泉福寺は古く大きく古刹という感じした。
遠く離れた松山以奈り道しるべも、江戸時代の庶民の物見遊山が感じられておもしろかったです。
太平洋戦争で亡くなった人の碑に刻まれていた兵隊の階級が将校でなかったのも印象的でした。
泉福寺、東栄寺は以前訪れたことがありました。
今回、一番気に入ったのは、
  の二枚です。
北上尾駅でバスのミスで出鼻をくじかれましたが、楽しいウォーキングでした。
最近は1時間も歩くと、腰痛が出てくるので、たくさん休憩し、その度に足腰のストレッチをしています。【終わり】
            

桶川~北本を歩く

2014年04月09日 | ウォーキング

浄念寺                                    島村家の土蔵
4月7日、桶川駅から北本駅(中山道)を歩きました。3月28日、桶川を歩いて、中山道桶川宿を歩こうと思いました。



武村旅館(ビジネス旅館)
 
浄念寺・浄土宗 [再訪]
  
絵師・狩野法眼伊白の碑       板石塔婆
  
本堂                                
  
不動堂(左)と太子堂                                                    隠岐守ゆかりの供養塔   徳本名号碑
    
供養塔群
 
島村家                                島村家土蔵(第一土曜日公開とのこと)1838年築
 
小林家                                矢部家
 
桶川本陣遺構(月曜休館)                      本陣跡(引用)
 
桶川中山道宿場館                                           観光トイレ、手前に「お茶博士・辻村みちよ顕彰碑」が見えます。
  
氏神神社            稲荷神社、 岩槻の三ノ宮卯之助がこの610kgの大石を「足差し」(寝転んで足で)持ち上げたそうです。
   
大雲寺・曹洞宗
  
  
                       右は、桶川小学校内にある松山以奈リ道の道しるべ
                       [東松山箭弓(やきゅう)稲荷神社(江戸時代商売繁盛などで庶民信仰があったと言います。1836年)]
      
本学院・本山修験宗 [熊野三山を拠点とし、聖護院を本寺とする天台宗系の修験道の宗派]
 
 
修験道堂                  弁天堂
   
天神堂の道しるべ                          東光院(住職はいないようです。)一帯は、バイパス建設の工事中です。
   
東光院本堂
  
光明寺                                医王寺・真言宗の大銀杏(墓地だけで本堂等はありません。再建中なのかわかりません。)
  
八幡宮(狭い農道の先にあり、わかりづらかったです。真ん中に小さい祠があります。)   光照寺・真言宗
        
光照寺・本堂
    
不動堂
  
天神社
  
                         グリコ北本工場
      
安養院・真言宗
  
 
遍照寺(伽藍等はありません。)古い墓や観音などは、新しく作られた個人の墓地内は移されて保存されているようです。
   
 
氷川神社
 
観音堂
  
多聞寺・真言宗
  
  
本宿天神社                              勝林寺・浄土宗
  
浅間神社                   北本駅
      
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桶川は、旧中山道の宿場町の一つです。桶川駅近くに、古商店舗がわずかに残っていました。
武村旅館は、現役のビジネスホテルで、値段も一般のビジネスホテルと同様リーズナブルのようです。
天台宗のお寺が多く、古い町であることを教えています。
中山道を少し離れると、すっかり田園地帯で、小さな寺社が点在していました。
城下町では無いので、お寺の数も多くは無く、規模も小さいです。
桜の満開はほぼ終わりです。かなりの距離を歩きました。
遠い東松山の箭弓神社への道しるべが、小学校の敷地内に残っていて面白かったです。

私は、以前、箭弓神社は行ったことがあるのですが、印象に残っていません。
ブログを探すと小さく載っていました。
さて、このあたりの地図を検索すると、小さい寺社があるので、しばらくこの近所を歩こうかなどと考えています。 【終わり

映画/もう一人の息子、少女は自転車に乗って

2014年04月04日 | 映画

2012念東京国際映画祭、グランプリ&最優秀監督賞受賞
秀作です。
ストリーは、シンプルです。
湾岸戦争勃発時生まれた男の赤ん坊が、病院で入れ替わってしまいます。
一人はユダヤ人、一人はパレスチナ人。思秋期を迎えた二人の青年とその二つの家族のドラマです。

写真上・右は、入れ替わった二人の青年ですが、どちらがユダヤ人かパレスチナ人かは区別がつきません。
左の男性は、サイモンとガーファンクルのガーファンクルのような風貌、右の男性はアフリカ系の男性の感じです。
ユダヤ人もアラブ人も人種ではなく、言語・文化・宗教などによるので外見からは見分けることはできないと言われています。
肌・髪・目の色なども様々、使う言語も様々で、ユダヤ人の定義は単純では無く、「誰がユダヤ人か」は複雑と言われます。
また、パレスチナ・イスラエル問題も単純では無く、複雑です。
私の考えでは、一番責任があるのは、第二次世界大戦処理を巡る、二枚舌・三枚舌のイギリス帝国主義とアメリカ帝国主義です。
しかし、この映画のテーマは、いわゆるパレスチナ・イスラエル問題ではありません。
人々の「アイデンティティとは?」 が投げかけられていると私は思います。
「アイデンティティ」と言う言葉・概念は日本語にはなじみが無いのですが、様々なもので説明される「私」の総体とでもしておきましょう。
そう、それは決して一つの概念では無く、ステレオタイプの概念では断じてありません。
日本人、アジア人、男、団塊の世代、……と無限と思える修飾語が連なり、それらの総体まさに"社会的歴史的諸関係の総和"で、
考え出すとキリがありません。
だいぶ脱線気味したついでに、最近の日本の歴史認識の問題について。
日本政府は、安重根(アン・ジュングン)をテロリストと言いますが、当時日本は紛れもなく朝鮮を併合し、朝鮮では、
合法的独立運動など許されない状況下でした。今日の尺度で「テロリスト云々」で非難するのは全くおかしいのです。
従軍慰安婦問題も同様です。官憲が関係した確固とした証拠は無いと日本政府は言いますが、敗戦時、多く資料などを焼却したのです。
官憲は一切関係しなかったという証拠を日本政府がまず挙証しなければならないので、被害を受けた人々に挙証責任があるなどとは
本末転倒・逆立ちしています。
南京虐殺問題もそうです。60万人虐殺の証拠は無いと日本政府は言います。
ナチスが何人のユダヤ人虐殺したかの証拠が必要というのでしょうか。
私は、これらの問題は今の私と私たち日本人のアイデンティティに関わる問題だと思うのです。
さて、映画に戻りましょう。2時間でこうした問題への解決などはあり得ません。
また、パレスチナとイスラエルの市民レベルの交流が問題の解決の糸口だ、と軽々に言っているのでもありません。
私がこの映画で感じたのは、ユダヤ・アラブに対するステレオタイプの見方・感じ方を捨てよう、と言うこと、
それは先に述べたキャスティングにも現れていますし、この映画はフランス映画ですが、多くの言葉が飛び交い、
たくさんの「ナショナリティ」の人々が携わったのだろうな、との思いでした。
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秀作です。
ストーリーはシンプルです。
サウジアラビアは、アラブ諸国のなかでも、イスラームの宗教的慣習が強いと言われています。
私を含め多くの日本人は、サウジアラビアとそこの人々の生活をほとんど知りません。映画に描かれている日常生活が、
現実を反映しているのかも私にはわかりませんが、その一端を知ることは出来るのでは無いでしょうか。
原題のWadjda は、主人公の10歳の女の子の名前です。
サウジアラビアでは、女性・女の子がしてはならないしきたりが多くあるようです。

禁じられているスニーカーを履き、ヒジャブ(スカーフ)を被らず、「お転婆」、「問題児」と言われるワジダは、
自転車がほしくてたまりません。塀の上を走るような自転車、車の上に積まれて店に運ばれるあこがれの緑の自転車です。

彼女は、一念発起して、自転車を手に入れようとします。一等賞金1000リヤル(3万円弱)のコーランの暗唱大会が開かれることになりました。
彼女は、見事優勝するのですが、自転車を買うなどとはとんもないと、賞金はパレスチナへの寄付を強制されるのでした。
落胆するワジダに彼女の母親は、緑の自転車を用意していました。
ワジダの父親は、他の女性も妻に迎えます。ワジダの母親も、自立の道を選ぼうとします。
監督はサウジアラビア初の女性監督となったハイファ・アル=マンスールさん。
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アラブ・ユダヤの世界を描いた今日の二本の映画は、私たちには珍しい映画でした。
「二人の息子」はちょっとヘビィだったので、「少女は自転車に乗って」は少し軽快に見ました。
「自転車」は自由の"象徴"と言うのは大げさで言い過ぎですが、すがすがしさは十分に伝わってきました。 【3月31日鑑賞】

桶川市・菖蒲町(旧)を歩く

2014年04月02日 | ウォーキング
柴山伏越
3月28日、桶川市・旧菖蒲町を歩きました。今回の特筆は、上の"柴山伏越"です。
見沼代用水が立体交差して元荒川の下を通ります。
桶川駅  桶川駅前はすごく狭く、バスがUターンできるスペースが無いので、タワー駐車場などにある転車台で転換していました。
 
桶川駅からバスで、下栢間(しもかやま)に行きました。栢間は、なんと「かやま」と読むんですね。



正法院・真言宗
 
十一面観音堂
  
文殊菩薩堂
  
  
すっかり春です。                                     柿
   
薬師如来堂・天王山塚古墳の上
 
善宗寺・浄土宗
  
  
   
幸福寺・曹洞宗 裏門
 
  
 
幸福寺境内(広い境内にたくさんの木々の花が咲いていました。お寺の名前もユニークです。)
  
                                                       幸福寺表入口
  
                                    弁財天堂
 
妙楽寺・真言宗
 
 
妙楽寺・地蔵堂
  
天照寺
  
天照寺・地蔵                                天照寺一帯の風景
 
柴山伏越 
  
伏越とは、用水路と川の立体交差のこと。見沼代用水路は、元荒川より高いところを通っていて、ほぼ直角に交差するので、
見沼代用水路が川の下をサイフォンの原理で、潜り抜けるそうです。原型は、江戸時代に造られたと言うから驚きです。 この下を用水が通ります。
  
柴山伏越の脇に常福寺・曹洞宗があります。            柴山伏越を造った井沢弥惣兵衛為永の墓があります。
  
 
私は、「伏越」なるものが存在することは、ここに来るまで、全く知りませんでした。
低く流れている元荒川のさらにその下を用水が流れているとは、外観からは全く想像できません。
ヨーロッパの運河が川の上を橋のように交差するのは映像で見たことがありますが、伏越はもっと感動的でした。
観音堂(由来はよくわからないそうです。)   小さい薬師如来堂があり、墓がたくさんあります。
      
                                     諏訪八幡神社が隣接しています。
 
正泉寺
   
ここから菖蒲町まではかなりの距離があるので、歩くのは無理です。

バス停・小川橋からバス停・上丸谷までバスを利用する計画でしたが、ここまで時間がかかったので、バスで新堀まで行くことにしました。
蓮田駅から菖蒲車庫行きのこのバスは、1時間に1本。バス停・小川橋に着くと運良く13:30頃発のバスがありました。
20分ほど待つと乗れ、良かったです。乗客は私一人でした。
新堀の近くに、菖蒲総合支所(旧菖蒲町役場)があり、かつてこの近くに菖蒲城があったそうです。
観音寺
   
    
西願寺・浄土宗                                         本尊は円空作如来立像(写真は看板)
     
西願寺・本堂                                          久伊豆神社
   
永昌寺・曹洞宗、菖蒲城主佐々木一族の墓
  
   
白木蓮の花
 
市神神社                        三箇神社
 
永勝寺・曹洞宗
   
永勝寺・裏門
  
  
長龍寺・曹洞宗 
  
                                     菖蒲七福神
      
   
道元上人像
    
歴代住職墓
  
菖蒲神社
  
吉祥院・真言宗
 
  
弁財天堂                         不動堂
 
薬師如来堂                                 馬頭観音堂
   
吉祥院前
        
菖蒲仲町のバス停からバスで桶川駅に向かいました。

浄念寺・浄土宗
  
   
  
板石塔婆(1315年~1580年)              不動堂
  
板石塔婆の保存状態は良くきれいでした。
太子堂                                   供養塔
  
江戸時代絵師狩野法眼伊白の碑
   
桶川宿本陣遺構(この日は未公開)
 
お茶博士・辻村みちよ顕彰碑
 
大雲寺・曹洞宗
  
  
桶川・中山道宿場館
 
小林家住宅                              矢部家住宅
 
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菖蒲町は、2010年久喜市、栗橋町、鷲宮町と合併し、久喜市になりました。
戦国時代、菖蒲城がバス停・「新堀」付近にあったそうです。竣工が5月5日で菖蒲城と命名されたとのことです。
北条氏の小田原滅亡後廃城となり、その後栢間陣屋(5700石)が置かれ、幕末まで続いたそうです。
今日歩いた所は、桶川市、蓮田市、久喜市が入り組んでいます。
柴山伏越は行くまで知りませんでした。とてもユニークで壮大で、私はとても感動しました。
引用
外観だけでは、用水路が元荒川の下を通っているとはわかりません。私も、説明の看板を見るまではわかりませんでした。

川の上をローマの水道橋の様に通した方が工事としては簡単かなと思いますが、果たしてどうでしょう。
見沼代用水路は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために造られた灌漑農業用水で、
総延長は約70km(支線水路を含めると約100Km)に及ぶそうです。
埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水と日本三大農業用水の一つと称され、埼玉県行田市付近の利根川より取水され、
東縁代用水路は東京都足立区、西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区に至る壮大なものです。
すっかり春、木々は緑に、花が咲き、鶯も鳴いています。楽しいウォーキングでした。     【終わり】