野宮神社
4月24日、北本から鴻巣を歩きました。
バスで石戸小学校入口まで行き、そこから歩く予定でした。
北本駅から乗るのが正しいのですが、私は全く迷わず桶川駅で降りました。
バスの運転手さんに聞くと、桶川駅からのバスは、石戸小学校入り口は通らないとのことです。
終点の北里大学メディカルセンターに行き、そこから北本駅行きのバスに乗るのが良いとアドバイスしてくれ、そうしました。
幸いなことにこの二つのバス路線の本数は多いのです。
一時はどうなるかなと案じましたが、たいして時間もかからず11時過ぎには歩き出すことが出来ました。
いやはや、思い込みとは恐ろしいものです。
バス停・石戸小学校入り口近くに11面観音堂がありました。
氷川神社
厳島弁財天 須賀神社
この付近、「緑のトラスト保全」に取り組んでいるとか
阿弥陀堂 (住職はいないのですが、立派な鐘楼の三門です。)
近くは「高尾さくら公園」、今はすっかり葉桜です。 道ばたに、庚申塔・馬頭観音などが随所に。
妙音寺
地蔵院
北袋神社 愛宕神社
街道で
薬師堂
聖観世音菩薩堂 太子堂
これは特別の人のお墓ではありません。このように古い先祖の墓石が祀られています。土葬のお墓も残っていました。
雷電社 この先は荒川です。
妙楽寺・真言宗
観音堂
権現堂
氷川神社 野宮神社
稲荷神社
谷津不動尊
常勝寺・真言宗
常勝寺・不動堂
宝篋印陀羅尼塔 歴代住職墓
阿弥陀堂
氷川神社
鴻巣駅 鴻巣の荒川川幅は日本一の長さという。
出鼻から、降りる駅を間違え、一時はどうなることか、でした。
方向が北里大学の病院で、バスの本数が多いのでほとんど問題なく、バスの中からも街を見ることが出来ました。
今日歩いた所も、大きな寺は真言宗の常勝寺と妙楽寺の二つだけで、後は、小さな祠や堂でした。
それらは、常勝寺の末寺のような存在なのだと思います。
私は、漠然とした仏教徒で、先祖崇拝の思いも強くはありません。
農村では、田畑の合間に集落・があり、その周辺に共同墓地や一族の墓地があり、
そこに地蔵や観音などを祀るお堂や祠を作ったのでしょう。
街道沿いには、地蔵や馬頭観音や庚申塔なども多く、人々の信仰がうかがえます。
かつて日本では土葬でした。現代になって火葬になり、立派な墓石を備えた墓地に埋葬されるようになりました。
墓地と墓石は新しくされていましたが、その時、数代前からの祖先の墓石などがそのまま保存されていました。
昨今、世知辛い世の中になり、地蔵や仏像が盗まれるようになってしまい、多くの寺や堂では鍵が掛けられ、
それらをなかなか目にすることが出来なくなりました。
扉に5、6センチの穴が開けられ、中を見ることが出来る寺や堂に巡り会えるととてもうれしいです。
さくらの季節も終わり、木々の緑がすっかりまぶしくなりました。
お寺より神社の方が木々で覆われています。
小さい神社は、集落で皆が集まる鎮守のようであったり、街道の分かれ道にあったり、
庶民の日常の信仰でした。
太平洋戦争の空襲で、防火の役目も果たした神社の森は少なからずあったようです。【終わり】
4月24日、北本から鴻巣を歩きました。
バスで石戸小学校入口まで行き、そこから歩く予定でした。
北本駅から乗るのが正しいのですが、私は全く迷わず桶川駅で降りました。
バスの運転手さんに聞くと、桶川駅からのバスは、石戸小学校入り口は通らないとのことです。
終点の北里大学メディカルセンターに行き、そこから北本駅行きのバスに乗るのが良いとアドバイスしてくれ、そうしました。
幸いなことにこの二つのバス路線の本数は多いのです。
一時はどうなるかなと案じましたが、たいして時間もかからず11時過ぎには歩き出すことが出来ました。
いやはや、思い込みとは恐ろしいものです。
バス停・石戸小学校入り口近くに11面観音堂がありました。
氷川神社
厳島弁財天 須賀神社
この付近、「緑のトラスト保全」に取り組んでいるとか
阿弥陀堂 (住職はいないのですが、立派な鐘楼の三門です。)
近くは「高尾さくら公園」、今はすっかり葉桜です。 道ばたに、庚申塔・馬頭観音などが随所に。
妙音寺
地蔵院
北袋神社 愛宕神社
街道で
薬師堂
聖観世音菩薩堂 太子堂
これは特別の人のお墓ではありません。このように古い先祖の墓石が祀られています。土葬のお墓も残っていました。
雷電社 この先は荒川です。
妙楽寺・真言宗
観音堂
権現堂
氷川神社 野宮神社
稲荷神社
谷津不動尊
常勝寺・真言宗
常勝寺・不動堂
宝篋印陀羅尼塔 歴代住職墓
阿弥陀堂
氷川神社
鴻巣駅 鴻巣の荒川川幅は日本一の長さという。
出鼻から、降りる駅を間違え、一時はどうなることか、でした。
方向が北里大学の病院で、バスの本数が多いのでほとんど問題なく、バスの中からも街を見ることが出来ました。
今日歩いた所も、大きな寺は真言宗の常勝寺と妙楽寺の二つだけで、後は、小さな祠や堂でした。
それらは、常勝寺の末寺のような存在なのだと思います。
私は、漠然とした仏教徒で、先祖崇拝の思いも強くはありません。
農村では、田畑の合間に集落・があり、その周辺に共同墓地や一族の墓地があり、
そこに地蔵や観音などを祀るお堂や祠を作ったのでしょう。
街道沿いには、地蔵や馬頭観音や庚申塔なども多く、人々の信仰がうかがえます。
かつて日本では土葬でした。現代になって火葬になり、立派な墓石を備えた墓地に埋葬されるようになりました。
墓地と墓石は新しくされていましたが、その時、数代前からの祖先の墓石などがそのまま保存されていました。
昨今、世知辛い世の中になり、地蔵や仏像が盗まれるようになってしまい、多くの寺や堂では鍵が掛けられ、
それらをなかなか目にすることが出来なくなりました。
扉に5、6センチの穴が開けられ、中を見ることが出来る寺や堂に巡り会えるととてもうれしいです。
さくらの季節も終わり、木々の緑がすっかりまぶしくなりました。
お寺より神社の方が木々で覆われています。
小さい神社は、集落で皆が集まる鎮守のようであったり、街道の分かれ道にあったり、
庶民の日常の信仰でした。
太平洋戦争の空襲で、防火の役目も果たした神社の森は少なからずあったようです。【終わり】