goo blog サービス終了のお知らせ 

風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

5.20戸田公園駅周辺を歩く

2006年05月20日 | ウォーキング
戸田公園駅周辺を歩く

曇り空なので外出したが、昼前から真夏のよう。
昨日までは寒い位だったのに、急激な気温上昇はとても疲れたので、2時間ほど、予定の半分でやめた帰った。

戸田には昔、戸田城[城主:桜井直和]があったそうだ。
今日歩いたのは戸田公園駅西口と大宮バイパスに挟まれた狭い地域[東西約1キロ南北700m位]に過ぎない。
こんな狭い範囲だけ歩いただけで言うのはあまりにも乱暴だが、戸田市財政が唯一赤字でないのは倉庫や物流などたくさんの企業の法人税のおかげではないかと思う位、企業が多かった。
オリンピック通り、中央通りを歩いた。
大きな寺が3、4あり、氷川神社も大きかった。
倉庫街は昔は田圃だったのだろう。

埼京線戸田公園駅・西口
多福院[真言宗智山派]

右・馬頭観音菩薩、左・子育て地蔵


桂林寺[法華宗]

戸田市は倉庫街がたくさんあるが、この寺もオリンピック通り周辺の倉庫街にあった。ほとんど民家様。

妙慧寺

この寺もほとんど民家様であった。

氷川神社[古くから新曽村の鎮守様であった、と言う。
拝殿・本殿の扉が開いていて本殿まで筒抜けで参拝できた=これはとても珍しいことだ]

鳥居左には神楽殿もあり、境内は広い。
鳥居手前にも参道が続いている。
・夫婦柿[鳥居右側、この柿の木には雌型・雄型の二つの柿の実がなるという。
雌型は丸形、雄型は細形。
普通雄花には実はならないが、この柿は突然変異によって雄花にも実がなるのだという、ちょうど花が咲いていた]

・秋葉大神、稲荷大神、神明大神、八幡大神の四つがまとまって収められていた。


金剛院[真言宗智山派]


妙顕寺[大きい寺で古く大きい門と仁王門があった]

写真右の黒い部分は仁王門の柱。

観音寺[この寺も大きく立派な仁王門と本堂・阿弥陀堂・弁財天堂他があったが、写真は失敗した]ここでお昼を食べた。木陰にいるとかなり強い風が吹いていて涼しかった。

帽子を忘れ日射しが強く汗びっしょり、疲れたので観音寺前から西川口駅までバスに乗った。
バスは冷房が効きすぎて寒くシャツを着るしまつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5/12取手七福神ならぬ六福神

2006年05月12日 | ウォーキング
5/12取手七福神ならぬ六福神
七福神五の明星院は目前まで行ったのに、勘違いして素通りしてしまった、ザンネン。

駅からハイク・「春の取手散策『七福神巡り』」コースを歩いた。
JR常磐線取手駅出発。

七福神=『七福神の成立は室町時代に、“仁王経”の「七難七福」に基づいているといわれています。庶民に根付いたのは江戸時代に入ってからで、末期には各地で七福神詣が盛んになり、お正月の巡拝で一年の福徳を願うようになったのが七福神めぐりです』(以下『』は取手市HP引用)

①光明寺[寿老尊]『長寿の神様。千五百歳をこえた鹿を連れています。鹿は禄に通じるといい、鹿の肉 を食すると二千年の長生きができるとされ、「お前百までわしゃ九十九まで」と、笑みでいっぱいの姿は健康を授けてくれます。 ◆健康』


一本刀土俵入り像[長谷川伸ゆかり]


昌松寺

同入り口

とても手入れが行き届いている、七福神ではない。
とてもゆったりしているのでのんびりしていると、墓参りを終えて車で退出したご婦人が、ざわざ戻ってきて「門がとても古いので見てくださいね」とお声を掛けてくれた。ありがたくうれしい交流である。

②普門院[布袋尊]『布袋尊・実在の禅僧です。大きなお腹を出し、常に日用品を入れた布袋をかついで喜捨を求めながら歩き、人に弥勒菩薩の化身として尊ばれました。信仰心の厚い人には金銀財宝を限りなく与える神様です。◆幸福』

布袋尊



埋蔵文化財センター

開館中なのに展示物無し?

青柳鹿島神社


かたらいの郷
ここで昼食をしたが、よくわからない施設であった。

村社面足神社[おもたる]
参道

本堂

平成8年火災で焼失、14年再建、利根川を見下ろす高台に新たに造られた。

③明星院[恵比寿] 直前まで行ったのだが「大師霊園」と勘違いして素通りしてしまった。
『恵比寿・風折烏帽子をつけ、右手に釣竿、左手に鯛をもつ姿に描かれ、漁民の神様。笑顔は 「えびす顔」として庶民に人気があります。大漁を祈るうちに海産物の売買から市の神となり、商売繁盛の神となりました。◆商売繁盛』


④福永寺[毘沙門天]『毘沙門天・四天王の一人で北方を守護し、財宝を守る神様。また、苦境を乗り切る勇気と悪霊 を退治する力を与えてくれる神様。別名、多聞天。インドの軍神で武将姿の毘沙門天は日本の武将、足利尊氏なども信仰しました。◆勇気』




⑤東谷寺[弁財天]『弁財天・毘沙門天・大黒天はインド生まれ、福禄寿・寿老人・布袋尊は中国生まれ、恵比寿は日本生まれ。国を異にした神々が和合しました。弁財天=七福神唯一の女神です。学問・弁舌の神、弁才天として日本に入ってきましたが、 福徳、財物の神が加わって、弁財天と称されました。別名を妙音天、美音天。音楽の神様ともいわれ、琵琶をもって弾いています。◆学問』

門を造っていた。


急な階段を下り、利根川河川敷、鶯他の鳥が鳴く。初夏のような気温日差しだが、背中から吹く風は冷たい。河川敷を延々1キロほど歩く。

利根川の流れ

[海まで約82キロ地点]

⑥念仏寺[福禄寿]『福禄寿・中国では南極星の化身とされます。別名、南極老人。短身、長頭であかざの杖を持 ち、鶴と亀を従えた仙人で、年齢は数千年。福(幸福)、禄(生活と経済の安定)、寿(健康にして長命)の三徳をそなえた長寿安泰の神様。◆長寿』

本堂の扉はすべて開放され、本尊がお参りできる。これはうれしい。
防犯上からほとんどの寺で本堂は閉められている。
この寺は開放され、「土足でのぼらないでね」は禁止・命令ではなく、お願いのやさしさ。


旧取手宿本陣

茅葺き屋根、とてもよく保存され、内部を見学した。

⑦長禅寺[大黒天]『大黒天 インドの神様。日本に来て大国主命(おおくにぬしのみこと)と合体しました。有福の権化・勤労の神様、商売繁盛の神様です。頭巾をかぶり、大きな袋を肩にかけ、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立っています。◆勤労』
急な階段の上にある。
三世堂


大黒天


取手駅すぐ、小高い丘の上にあり古刹である。

取手市は初めての訪問。古い街のようである。
駅は両口とも大きい。NECとキリンビールの大工場がある。
郊外に出ると水田地帯であった。
初夏のような気温、日射しだが、背中から吹く風は冷たい。
入浴したら腕が灼けていて痛かった。
利根川はゆったり流れているが、延々1キロの河川敷のウォークは、疲れも出てきたので単調で退屈だった。

取手市内も郊外も人通りはほとんどいない。
連休はほとんど仕事だったので、今週は休みが多く三回もウォークに出た。
とても疲れたが、楽しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川越パートⅢ 5.9

2006年05月09日 | ウォーキング
昨日に続き川越の残りを歩いた。
一日で終わらないと思っていたが意外に早く終わった。

JR川越駅から、クレアモール[川越駅と本川越駅を結ぶショッピングモール]を通り、中央通りに入り、
熊野神社

写真右の建物、秋葉社と大鷲社という珍しい神社

蓮馨寺[れんけいじ]第5番・福禄寿

本堂正面に・おびんづるさま=インドから来たの僧像

境内に水子・子育て地蔵(たくさんの人がお参りした跡が残っていた)


法善寺[真宗大谷派]

境内に「虫食い奴」[瀬川嘉右衛門問大酒のみの石碑]酒を飲んでいる


行傳寺


雪塚神社[鳥居奥右建物]・三峯神社[鳥居奥左下小さい社]


長喜院[雪塚神社のすぐ左に隣接]

境内に「苦行の釈迦像」(インド、ラホール美術館の原寸大レプリカ)


養寿院


菓子屋横丁


六塚稲荷神社


見立寺[けんりゅうじ]・第6番布袋尊・浄土宗

境内に、旅立ちの法然像(13才)


新河岸川・高沢橋を渡って
観音寺(天台宗)


本応寺(日蓮宗)

仁王が守る力神門・奥が本堂・写真右は一切経蔵
一切経蔵(全ての教典が収まっている蔵)


再度、高沢橋を渡ってもどって
大連寺

境内に、災厄払稲荷社という珍しい神社があった。

大連寺入り口の門に隣接してすぐ左に
出世稲荷大明神[すごく小さい]


そのすぐ左に隣接して 高沢不動尊[真言宗醍醐派川越分教会]


再び高沢橋を渡って新河岸川沿いに
八坂神社[小さい社・写真撮らず]
熊野神社


栄林寺[僧洞宗]


十念寺[時宗]

境内に稲荷神社があった。

妙養寺

門は古く立派で、しまっていて入れず、違う入り口から入る。
そこにとても古い“七面堂”の社、名前の読めない社があった。

妙昌寺[日蓮宗・弁財天]


栄林寺、十念寺、妙養寺、妙昌寺はほとんど隣接していると言ってよいほど、いずれも古刹で大きい寺だ。

東武東上線の川越市駅前を通り、川越駅まで歩き、本日は終了。

4/19、5/8、5/9と三日間歩いた所は、東西2キロ、南北3キロの狭い地域だ。
三本の鉄道が走り、
この狭い地域を新河岸川が蛇行して取り囲む(南は流れなていないが)、
川越城は新河岸川を天然の堀としていたかのよう。(そうなのかわからないし、ちがうかもしれない)、南側はちょうど鉄道になっていて、川と鉄道で囲まれた所にたくさんの寺社・店が引きめいている。
土塀や蔵や格子窓の屋敷などが軒を連ねる。
銀行等の建物も古い時代を残している。
道路は決して広くは無く、路地が入り組んでいるが、古い町並みを残す努力が感じられる。
たくさんの寺社や観光名所、そして新しい店と古い店が同居し、
二つの大きな駅ビルとそれを結ぶショッピングモール、たくさんの学校もある。
新河岸川を越えると街の雰囲気は一挙に変化する。
農村ではないが急に華やかさが失せ、他の市の閑散とした町並みに変わる感じだ。

どちらかというと大きな神社は少なく、
寺の境内に小さな神社が併存していることが多いように感じた。

歩いていてあきなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5/8川越パートⅡ

2006年05月08日 | ウォーキング
4/19に続き、川越に行った。
降り出しそうな曇り空であった。連休も終わり人通りはまばらだった。

JR川越駅
出世稲荷神社



喜多院
本殿

喜多院東照宮[仙波東照宮]4.19にも立ち寄った。
格子門の隙間から撮った。

鐘楼門

多宝塔

慈眼堂

木遣塚

大黒天

苦抜地蔵

厳島神社

五百羅漢[拝観料必要]

喜多院境内はとても広く、以上以外にもいろいろあった。
人は少なく、とても静かであった。

門を出たところに
白山権現


道路の向かいには、国宝・日枝神社[赤坂日枝神社の本社]

神社左後方は高台になっていて、6世紀頃の古墳。

川越歴史博物館

小さい博物館で、以前見学したので前を通るだけ。

成田山川越別院

境内広く、
えびす天

本堂正面から右に回廊を進むと
「おびんづるさま」[インドの僧]

縁結び七福弁財天[本堂右側]


浮島神社


冨士見稲荷神社

左建物は浅間神社 

その後、川越城富士見櫓跡をみて、
川越城本丸御殿


道路を挟んで
三芳野神社


三芳野稲荷橘神社・とても小さい


氷川神社

高さ15m、木製の鳥居としては日本最大とか、杉。
本殿

柿本人麿神社・右石碑は山上憶良歌碑


埼玉地方裁判所川越支部・検察庁を通り、
東明寺[時宗・一遍上人]

川越夜戦跡=1545北条氏との戦闘、北条が勝ち関東の覇権を取る。

広済寺(左:本堂、中:門、右:鐘楼)

境内に立派な金比羅大社、神仏合一。

埼玉県信用金庫川越支店の屋根の上の看板


重要文化財・大澤家住宅


川越まつり会館を通り、
川越時の鐘


薬師神社

シルバーガイドが研修していた。

川越市倉造り資料館


この通りは、店がこのような建物でずうっと続き、いろんな楽しい店がある。

埼玉りそな銀行


広済寺から川越駅に向かう帰り道、見たい寺社、面白い店などまだたくさんあるのだが、空模様がだいぶ怪しくなってきたし、写真もたくさん撮ったので、立ち止まらないで本川越駅(西武新宿線)、川越駅(JR・東武池袋線)へと歩いた。
川越市のこの街作りいつ頃からどのようにして行われたのだろうか。
ディティール(看板や店先や商品)もおもしろい。
古い造形・建物などを生かそうとしている。


川越はそんなに広くはないのだが、見る寺社も多いし映像的にもきれいで回りきれなかった。たぶんあと1.5回は必要かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皇居一周

2006年05月04日 | ウォーキング
皇居一周 2006/5/3
[追加:他の日にも歩く]

有楽町駅構内の有楽大黒


日比谷交差点から馬場先門方向・右低い建物は帝国劇場・並木は銀杏と柳


祝田橋から桜田門方向・並木はユリノキと柳

左:ユリノキ、右:柳

ユリノキの花 ちらちらと咲き始めた、蜜が地面に落ちている。


旧法務省・向かいは警視庁


左:警視庁・旧法務省90度向かい、右側小さい三角は国会議事堂。


桜田門(警視庁・旧法務省90度向かい)


憲政記念館(加藤清正江戸藩邸跡)・国会前


憲政記念館内ヒメツメタゴの木[右下三角コーンに人がいる]


憲政記念館内日本水準点


三宅坂交差点から皇居(半蔵門方面)


社民党本部


最高裁判所


最高裁前銅像


国会議事堂


三宅坂から皇居(有楽町)


国立劇場


半蔵門[入れない]


イギリス大使館


乾門[入れない]


北桔橋門[きたはねはもん]ここから皇居東御苑に入る・通行証をもらい、返す


天守閣跡

楽部庁舎


汐見坂


百人番所


同心番所


大手門



平川門


平川橋


和気清麻呂像


和田倉橋


東京銀行協会ビル[古い建物の上にビルを建て増ししている]


桔梗門[入れない]


宮内庁


坂下門[入れない]


二重橋


日本工業倶楽部ビル[古い建物の上に新しい巨大ビルが乗っている]


東京駅丸の内口



日比谷公会堂で行われた憲法集会への参加後、
仕事の都合でパレードには参加できなかったので、皇居周辺を少し歩いた。
その後、日を改めて、一周した。
皇居は、約4㌔、信号が全くない、少しの勾配はあるが、ほとんど平だ。
江戸城が復元されるとおもしろい。
その頃は海岸線はおそらくずっと手前だっただろう。
八重洲等という地名はその名残では。
そうだとすると、高潮や津波の恐怖は相当ではなかったか。

皇居となって、天皇のすみかとなってこの一等地を占有している。
日本で唯一、姓を持たず住民票も持たずその住んでいるところは住所もないという。

だが、散歩地としては十分楽しめる。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5.3憲法集会

2006年05月04日 | 学習
5/3憲法集会
日比谷公会堂・1時半~4000人

外の会場、中央の黒い部分がオーロラビジョン


昨年は開場時間間際に行って満員で入れなかったので今年は12時前に行ったのだが、既に長い列であった。
会場内2000人以上(定員2000プラス=空きは無し)、会場外の人数は分からないが2000人弱であろうか? 会場には入れない人にはオーロラビジョンというのか大型スクーンが用意されていたが、4000人位が予想されるのだから他の会場、例えば野音とかが用意されるべきだと思う。

仕事の都合でパレードには参加しないで、皇居お堀端を歩いた。

以下、ついで。
4.29連合メーデー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする