風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

古河市内(一部)を歩く

2011年09月25日 | ウォーキング
9月24日、気温が涼しいとの予報で少し遠出して、東北本線・古河(こが)市を歩くことにしました。
だが、大宮9:54発の湘南新宿ライン快速(宇都宮行)に乗ると古河駅に着いたのは26分後の10:22でした。
古河駅の写真を撮ろうとすると、カメラにメモリーが入っていませんでした。
駅前のスーパーでメモリーを買うことが出来、助かりました。メモリーはすっかり安くなり、2GBで720円でした。
タクシーで歩き始めのポイントまで行く予定だったが、メモリーを買ったりしているうちにバスの時刻になったのでバスで行くことにしました。
このバスは、10時台1本、11時は無く、1時間1本、乗客は3人でした。
本数が少ないので、乗客の数も少なくなりそれが更に減数の要因となってしまうのか。台町三叉路まで160円、5分ほどでした。
 

古河駅                                   浄善寺
  

香取神社
 

鳳桐寺
  

渡良瀬川(利根川の支流、新三国橋から)

先日の台風で、河川敷はかなり水没し、水は黄土色に濁っていました。
利根川を渡ると、埼玉県から茨城県に入ります。

時宗・一向寺
  

子ノ神社


長谷観音
 
 

古河歴史博物館                            博物館前噴水
 
鷹見泉石(蘭学者)記念館[武家屋敷](無料)
 
古木「楓樹」(現存する古木は珍しいと言う)
 
奥原晴湖(幕末の女流画家)記念館[鷹見泉石記念館の奥にある]     彼岸花が咲いていました。
 
古河文学館                             古河城遺跡碑
 

浄土宗・了正寺                            大工町恵比寿神社
 

福法寺
  

肴町・米銀蔵(江戸時代からの店)
  

日蓮宗・妙行寺
  
                        妙行寺の馬頭観音(1718年)
 

浄土真宗・宗願寺
  
本堂の参拝を終えて、靴を履いている時お寺の人が「ご苦労様です。ご供物です」とお菓子の"コアラのマーチ"と印刷物をくれた。

頼政神社
 

曹洞宗・永井寺
 

浄土宗・正定寺                            本堂/土井利勝像(右)然上人像(左)
  
                弁財天堂                                黒門
  

福寿稲荷神社                             浄土宗・隆岩寺
 

雀神社                                 下宮八幡宮
 

徳星寺
  

正麟寺                                  古河市は古い町であちこちに土蔵があった
  

本成寺
 
  
尊蔵院大日堂(上の右の写真・本成寺参道にある小さいお堂)


神宮寺
 

尊勝寺                                竹駒稲荷神社
 

浄土宗・宝輪寺
 
天井には四天王像が         法然上人像
  

西光寺                                  古河大仏
  

浄円寺                                  聖徳殿
 

八幡宮
 
次の大聖院に向かう時、時刻を見ると15時3分頃であった。
古河駅発湘南新宿ライン快速(逗子行)は15時17分で、その電車に乗りたいと思ったので、大聖院には小走りだった。
快速は1時間に1本、大宮まで3つほどの駅しか止まらず、ものすごいスピードで走り27分で大宮に着くのです。

大聖院
  
大聖院は大きな古刹でもっとゆっくりしたかったのだが、電車に間に合うように大急ぎで写真を撮りました。
周辺にはちょっと楽しい店もあったのだが、そんなわけで素通りでした。
電車には充分間に合いました。電車はかなり混んでいましたが座ることが出来、ウトウトしているうちに大宮駅に着き、京浜東北線に乗り換えました。

お彼岸で、お寺にお墓参りの人々がいました。
いつもはおそらく閉められているのだろう本堂の扉が多くのお寺で開放され、本堂に上がり参拝でき、とても良かったです。
残念ながら心なき人がいたりするので、今日多くのお寺では安全のため本堂は開放されていません。
お盆・お彼岸の時は、読経のテープが流れたり、本堂内には線香の煙が漂いとても良いです。
家を出る時は、長袖ティシャツ一枚ではちょっと涼しかったが、古河に着き歩き出すとちょっと暑くなりました。
でも、汗をかく程ではなく、日陰に入ると涼しく、快適でした。
5月にスペインを訪れた時のような感じの気候でした。
日射しが強かったので、大きいツバの帽子が良かったです。
古河は、江戸時代古河藩・古河城があり、旧日光街道と利根川の交通の利便が賑わいを作ったようです。
それらの名残りの跡は今日は気がつきませんでしたが、多くはないが土蔵や茅葺きの民家も見られました。
古い商店も今風の新しい建物に建て替えられていますが、どこか落ち着いた感じがしました。
浄土宗のお寺が多いようでした。浄土真宗、真言宗、曹洞宗、時宗、日蓮宗などいろいろな宗派のお寺がありました。
特別大きな神社やお寺はありませんが、たくさんありました。
約4時間程歩き、簡易万歩計で2万3千歩ほどでした。外歩きの時は、大股歩きではなくかなりゆっくりですので、
一歩50センチとして10km程は歩いたことになりますか。ちょっと疲れました。
ジムも良いですが、やはり外の方がもっと良いですね。
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さようなら脱原発集会

2011年09月20日 | ウォーキング
9月19日、東京千駄ヶ谷・明治公園で『さようなら脱原集会』が開かれました。
呼びかけ人は、内橋克人・大江健三郎・落合恵子・鎌田慧・坂本龍一・澤地久枝・瀬戸内寂聴・辻井喬・鶴見俊輔氏ら。
私のブログには似合わないのですが、載せましょう。
 
会場の明治公園は、明治神宮外苑の一角にあり、横約200m、縦100mのコンクリートだけの殺風景な公園です。
辺りは、国立競技場や、神宮野球場、秩父宮ラグビー場などがあります。

周辺の歩道や、明治青年館(ホテルや会議室)辺りにも身動き出来ない程人々が集まりました。
友人からの携帯の音に気づかず、友人と合流できませんでした。
主催者は6万人、警察は3万人といい、その実数は分かりませんがこの種の集まりでは空前の集まりだったことは確かでしょう。
最近はどこでも中高年者が多いのですが、私はこの日は若い家族連れや赤ちゃんを連れた人々を少なからず見ました。
残暑厳しかったですが、炎天でなかったことと時折涼しい風が吹いたのには救われました。
トイレがすごく少なかったのは最悪でしたが、日本青年館は文句も言わずトイレを開放し、とても素敵でした。
マイク・スピーカーの状態が悪く、演説などは全く聞こえませんでした。

これは、毎日新聞の上空からの写真[引用]
 

千駄ヶ谷駅構内もすごい混雑でを出るのに30分以上もかかりました。 国立競技場前
 
ミーハーですが左は奥から、鎌田慧・大江健三郎  落合恵子   山本太郎      
   
                                     私の扇子プラカード
 

東北大震災・福島原発爆発から約半年、この集会は連絡先が原水爆禁止日本国民会議(原水禁)になっていますが、
特定の政党や、政治団体でなくいわば数名の知識人の呼びかけから作られた実行委員会が主催し、
そこに政党や労働団体や市民グループが合流し、今はやりの"ツイッター"で広められたと言う。

折しも『日本原子力学会』の大会が開かれたが、これまでの原発推進や安全神話や隠蔽や秘密主義などへの反省はほとんど見られなかったという。
「想像力が乏しかった」との発言もあったそうだが、「命や人や自然環境・謙虚さ」への彼らの想像力は皆無であったと言うべきでした。
今最も問われている、「除染」と「住むことが出来るのか」についての発言や提言があったかは分かりません。

また、福島県産の花火を使う予定だった愛知県日進町の花火大会では、「放射性物質をばらまくのか」と言う、
たった20通の電話とメールで"福島産花火"は使用されなかったそうです。
福島と名が付けば全て放射能に汚染されているという恐るべき「想像力」です。

これだけの人々が集まると、交通整理の警官は事実上ほぼ何も出来ません。
イタリア・フランス・スペインなどでは、一帯の交通をほぼストップし、道路をデモ隊に開放するのですが、
日本では、道路一車線だけの通行しか認めず、しかも車を通すためいくつもの梯団に分け、大交差点などでデモ隊を足踏みさせます。
そのため、全体がバラバラにされ、全体の規模は分からないだけでなく、かえって交通渋滞が長時間続いてしまいます。
日本では、集会やデモ・パレードは人々の権利と言うより、秩序に反する治安・規制の対象なのでしょう。
シリアでは今なお悲惨な状況だと言うことです。

秩父宮ラグビー場
 
 
デモ・パレードは三コースに分かれ行われ、私は渋谷コースにしました。
表参道ヒルズ一帯の華やかさに驚きました。
ファッション誌から飛び出てきたような人々が、ヴィトンやグッチやディオールなどの店が居並ぶ通りを闊歩していました。
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猪苗代湖・五色沼自然探勝路を歩く

2011年09月12日 | 国内旅行
9月8・9日、猪苗代湖・五色沼自然探勝路を歩いた。
 
9日は、私の誕生日で、妻が小旅行を計画してくれ、楽しんだ。
福島への旅は、ささやかながら震災へのお助けになればとの思いで福島に行くことにした。
福島県にはあまり知られていないかもしれないが温泉が少なからずある。
また、スキー場も多くあるようだが、寒さ・ウインタースポーツを好まない私はスキー場に行ったことはない。
私は何度か福島、会津地方を訪れたことがあるが、妻はまだ無い。
王子駅から10時45分のJR高速バスに乗ると、羽生・阿武隈川PAで休憩し、14:25にはJR猪苗代駅に着いてしまう。
高速道路はとても空いていた。バスの座席はゆったりし、車内にトイレも着いている。
時間通り出発し、予定通りの時間に着く、トイレの心配は皆無と日本の交通システムは本当に「素晴らしい」。
昼の早割・インターネット申込のバス代は、一人なんと往復で4680円。

猪苗代駅
   
駅前広場(この町は野口英世が生まれた町)
 

路線バスで猪苗代湖遊覧船の出る長浜に行った。乗客は4人、バス代は440円だった。 磐梯山
 
遊覧船は1000円、乗客は30人ほど、30分ほど湖を遊覧した。           稲が豊かに実っていた。
 
野口英世記念館(バスの中から)                  野口英世生家
 
バスで、猪苗代駅まで戻り、そこから宿まではタクシー(1600円)
はやま温泉/ペンション・コージーイン
 
食堂                                  露天風呂
 
檜風呂[温泉です。硫黄臭が無く、つるつるになります。窓から湖と稲田が見えます。] ペンションから少し登ると湖と稲田が見えます。 
 
各部屋にバスが付いています、その他に無料貸し切りできる温泉垂れ流しの露天風呂と檜風呂があります。
泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉、肌に優しく体が芯から温まります。硫黄臭はしません。
効能は、皮膚病、婦人病、火傷と言われます。
はやま温泉 コージーイン
〒969-3102 福島県耶麻郡猪苗代町葉山7105-356 TEL 0242-62-3470 FAX 0242-72-1450
JR磐越西線・猪苗代駅/磐越道猪苗代磐梯高原ICより車で7分
このペンションはお薦めです。
ペンション・コージーインの楽天のホームページは、コージーイン クリックして下さい。
コージーイン独自のオリジナルホームページは、コージーインHP をクリックして下さい。
楽天トラベル経由の申込、早期特割値段で1泊9450円でした。
食事も美味しかったですが、穏やかなご夫婦の人柄が素敵で、私たちよりだいぶ年下のご夫婦でした。
庭のローズガーデンも素敵でした。
学生時代のスキー好きが高じて、約25年前にこの地に移り住んだそうです。お名前を聞くのを忘れました。
近くに名所・観光地はないですが、裏磐梯スキーゲレンデはすぐ近くです。
この日、客は私たちだけでした。

夕食は豪華で、美味でした。私たちにはちょっとボリュームがありすぎでしたが、全部頂きました。
ハーフボトルワインを二本飲んでしまいました。
オムレツ                                  野菜たっぷりスープ
 
クラブ入りコロッケ              豚肉の煮込み             手作りデザート(私は一つで十分でしたが)、その他に手作りパン
  
私は食については淡泊で、仏・伊・西を旅した時、高級レストランは入りませんでしたが、本場で食べたよりはるかに美味、繊細でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
二日目
朝食

急ぎ旅ではないので、朝食後、ご主人から震災のお話を聞きました。
直接的被害は無かったそうですが、感慨はいろいろだそうです。
戊辰・会津戦争の影響・トラウマは現在も色濃く残っているお話が印象的でした。
薩長政府の会津に対する仕打ち・制裁はほとんど復讐と言っても良いほどで、「僻地」へのお国替えは過酷でした。
家老・河井継之助で有名な長岡藩や会津は豊富な稲作でかなり裕福だったことが「自立志向」が強く、それが反薩長の一因と私は思うのです。
福島県は沿岸部の浜通り、中通り、そして会津地方の三つに分かれ、気候が著しく異なるという。
気候から来ることと、江戸時代の藩での分断・閉鎖がそれぞれの地域で独特の風習や生活様式を生み出し、
ユニークな土着感情を醸成したとも言われます。
都会人の我々には、コミュニティ・共同体感情はもうほとんど希薄で、彼らの思いはなかなか理解しづらいのですが、
彼らには、今日に至ってもそれが残り、集団移転を希望する根にあるようです。
おそらく言葉遣いや、食やその他の日常の仕草や慣習などにも色濃く残っていて、微妙に違っているのだろうと思う。
今回の震災で、会津に浜通りから多くの人々が避難して来たが、そうした事情も被災者には重くのしかかっているそうだ。
都会に住む我々には、結婚や職場や学校や住宅の価格などで自分の住居を変えることはそんなに難しいことではないのだが、
長い年月で培われた人々のこうした生活感覚を変えるのは簡単ではないはずだ。
こうした人々の感情の機微を想定しない機械的復興では、人々の第二次不幸を招くのかもしれない。

ご主人が車で、五色沼入り口まで送ってくれました。
9時半にペンションを出て、五色沼入り口に着いたのは10時でした。
毘沙門沼 雲が磐梯山・火口壁を覆っています。       人工的魚は棲めるようです。 
 
 
五色沼はアルミニウムや珪酸などからなるアロフェンにより緑青色をしています。
磐梯山の噴火口から五色沼へ流れ出る酸性の水は温泉のアルカリ成分によって中和されますが、金属を含むので魚には棲みづらいようです。
赤沼 [赤沼の周囲の草木は赤い鉄錆色に染まります。]    みどろ(深泥)沼
 
竜沼
 
弁天沼
 
瑠璃沼                                青沼
 
これも青沼[水面近くの白いのは花ではなく、葉が白く変色しているようだ。]
 
柳沼
  
五色沼自然探勝路の道は、とても整備されています。
ぬかるみには、木製の渡り廊下があり、大岩には階段が掘られていました。
これらの資材は、おそらく人力=歩荷(ぼっか)=強力が運んだのだろうと感心します。
エベレスト等の登山にシェルパが欠かせないように、日本の各地の歩荷の足跡も偉大です。
    

桧原湖
 
土産屋の蛙の置物、棒で背中を転がすと「ころころ」と蛙の鳴き声のような音がする。
桧原湖畔でのんびり湖を眺め、近くの食堂で喜多方ラーメンをつまみにビールを飲んだ。
暫く時間をつぶしたが、帰りの適当なバスがないので来た道を引き返すことにした。
アップダウンは少なく小さく、気温もそれほど高くなく木陰で、のんびり歩いても1時間半ほどなので。
子どもが小さい時は、あちこちの山に出かけたが最近はめっきり減ったね、です。
猪苗代駅からのバスの時間までだいぶ時間があったので食堂でビールを飲んで時間をつぶすことにしたのだが、適当なつまみが無く、
漬け物だけなのでした。会津は漬け物の名産地なのに出て来た漬け物は"粗悪品"でした。
私たちの後に入ってきた二人の女性外人は、日本語がぺらぺらで、枝豆を注文したが無く、やはりビールとお新香でした。
彼女たちは私たちと同じバスでした。JRキオスクで夕食用のおにぎりを買ったのも同じでした。
王子駅でバスを降りる時、運転手に向かって「鈴木さん、ありがとう」と大きい声で言っていました。
陽気なお嬢さん達でした。

この旅で、気になったことは、猪苗代駅付近の過疎化、です。
夏休みが終わったばかりとは言え、観光客の少なさです。五色沼、桧原湖はそこそこ観光客がいましたが。
そして、何より原発事故の影響です。
原発周辺では、人々は生活できないことは明確なのにそのことを与野党とも言わないことです。
そのことを政争の具にしてはなりません。
ましてそう遠くない時期に戻ることが出来るなどの幻想は断じて言ってはなりません。
復興財源についても政争してはなりません。
多くの国民は、震災復興についての応分の負担(=増税)を引き受ける気持ちが十分あります。
無駄を削って等という悠長なことを言っている余裕はありません。
財政赤字解消、社会保障と税制、小さな政府か大きな政府かなどこの時期に、与野党で合意できれば申し分ありませんが、
それをひとまず棚上げしてでも、5年・10年の時限的措置でも構わない、復興のための措置を早期に作らなければならない。
原発を推進し、財政赤字を拡大してきたのも歴代自民党のなのですから真摯に反省し、彼らは揚げ足とりではなく、協力するべきです。
共産党・社民党も大衆への増税反対を言うならば、増税無しに復興できる展望を明示するべきです。
とまれ、十分楽しみました。
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映画/キッズ・オールライト、ブルーバレンタイン

2011年09月06日 | 映画

アカデミー賞にもノミネートされ、国際的映画祭の賞をいくつかとった映画です。
ニックとジュールスは熟年の女性、同性愛者、二人は結婚している。
二人は、精子バンクで、同じ男性から精子の提供を受け、年頃の娘と息子を共同で育てている。
その二人の子どもは、思春期になって医学上の父親に興味を持ち、医学上の父親・ポールに会うことになる。
精子バンクが提供者の氏名や連絡先を明かすかは私は知らないが、初めてあった彼ら三人はかなり意気投合してしまう。
ガーデニストで自立を目指すジュールスは、ポールの家の庭のガーデニングを引き受け、彼と関係を持ってしまう。
同性愛者がいとも簡単に男性を好きになりセックスしてしまうのはどうも安易すぎる無理筋なんだけど、喜劇と思えばまっいいか。
英語圏では、男か女かは名前だけでは分からないがニックとはよく付けたものだ。
ニックとジュールスが、ゲイのセックスビデオを見ながら、セックスするシーンは何ともあっけらかんと軽妙で傑作です。
一方、ジュールスとポールのシーンは過激で、この対比は私にはかなり意味深かなと思いましたが果たしてどうなのでしょうか。
倦怠期夫婦にふと忍び寄った欲求不満の浮気だったと言うことの暗示のように私は感じました。
一家崩壊の危機となるのですが、ジュールスは「浮気」を後悔・反省し、彼女らは元の鞘に収まるのでした。
一方、ニックは医者で立ち居振る舞いなどとても男性っぽいのだが、彼女の浮気に嫉妬し、彼女の優しい言葉に涙したり…。
そんな彼女も、ポールのレコードのアルバムを見て、意気投合したり…。
私としては、彼女はポールにメロメロになるのだが、若いポールは中年になりかけの彼女に飽き、結局若い女に走り、
「やっぱ男はダメ」と、ニックの所に戻る方が面白いと思うのだが、どうだろうか。
シリアスでなく、コメディなのが良かった。
40代と思われるポールはオーガニック野菜を育てレストランを経営するやり手で、セクシーで女性に持てるのだが、
独身で、ちょっとお調子者の感じ。
お調子者でちょっぴり危険な異性に引かれるというのがミソかもしれないが。
同性愛者のカップルという刺激的設定ですが、全体としては極めてノーマルで道徳的です。
まだ、同性愛者は少数派ですから、あまりに過激なストーリーにすると、かえって反発を買いかねないという計算でしょうか?
それでも私は、十分楽しみました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これもサンダンス映画祭、カンヌ国際映画祭、トロント国際映画祭などを受賞したと言うが、私には退屈だった。
こちらの映画でも、主役の女性シンディは成績優秀で医師となり、夫ディーンは引っ越し屋。
二人がつきあい始めた時、シンディは医大生で彼女は他の男性ともつきあっていて、
その後、彼女は妊娠していたことが分かるが、誰の子かは分からず堕胎を試みる。
しかし手術台に登るが、やはり手術を止め、子を産む。
診断で、初体験が13歳、それまでに20人の男性と関係を持ったと医師に告げる。
この数字、平均的数字なのでしょうかねぇ。
シンディを除いて、当のディーンを含め周囲は二人の結婚は「不釣り合い」と反対されるが、結局ディーンはシンディと結婚する。
三人は幸せな家庭生活を過ごすが、7年ほどの時の経過は二人の間に埋めがたい溝が出来はじめ、二人は離婚することになる。
おそらくシンディにとっては、「現状が幸せ」とずっと感じてきたディーンに不満を抱いてきたのだと思う。
彼女は、ディーンには豊かな感受性があるのだから新しいことに挑戦して欲しいと思っている。
この思いは、おそらくごく些細で自然なことなのだが、反面、それは現状に対する不満・批判でもある。
ディーンは、「夫・父親」で十分ではないのか、この上僕に何を求めるの、というわけ。
映画は、過剰なセックスシーンに多くの時間を割き、互いに対する悩みや・不満や・不安やなど二人の内面を掘り下げない。
彼女の意識の底には、引っ越し屋の仕事は、単純労働で肉体労働で「現状維持で、創造性がない」との思いがあるのかもしれない。
そうではないかもしれない。もっと気楽に目を外にも向けてと言うだけかもしれない。
いずれにしてもこのわずかな思いの違い・亀裂が日常の生活の積み重ねで大きくなっていったのかもしれない。
「この価値観の相違はどうしようも大きい隔たりない」なのか、「歩み寄り可能な差異」なのか、それはわからない。
おそらく映画としてそこまで描くとかえってつまらなくなるかもしれないのだが、
『とことん純粋でありながら残酷になりうる恋愛』と言う宣伝文句はきれい事過ぎるというより、嘘っぽく不正確。
いずれにしても、収拾不可能な所まで行ってしまう。
私には、佳作とは思えなかった。
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「空海と密教美術」展に行って来ました。

2011年09月04日 | 学習
9月3日、台風が来るって言うので、東京国立博物館で行われている「空海と密教美術」展に行った。
東京国立博物館は、本館・東洋館・平成館・表慶館・法隆寺宝物館・資料館・庭園、そして敷地外に黒田記念館があり、
本館では9月4日まで『孫文と梅屋庄吉展』、「空海と密教美術」展(9月25日まで)は平成館で行われている。
黒田記念館は正門を出て右に行った交差点にあり、入場無料だが現在夏休み(2011/6/30~10/12)、
入場料は600円、特別展は1500円だが、通常展も見ることが出来る。
館内は基本的に写真撮影出来るが、特別展など博物館所蔵でないものは撮影出来ない。

台風なので空いていると思ったのだが、人は思うことは同じ様でかなりの混雑でした。
雨は降っていなかったが、風が強くものすごく蒸し暑かった。
JR上野駅構内には、上野公園内の博物館・美術館等のチケット売り場がある。[空いていたらここで買うのがお薦め]


始めに法隆寺宝物館を訪れた。                    灌頂幡(建物の飾り)
 
第二室[金銅仏(個人所有だったと思われる小さい仏像)・後背等](次の写真は引用)


   

第三室[伎楽面]  

伎楽とは朝鮮半島から伝わった仮面を付けて練り歩く仏教儀式という。
異様に高い鼻は、天狗なのか西洋人なのか、男性のシンボルの強調なのか、いずれにしても極東アジアの感じはしない。

阿弥陀三尊像(小さい)              エントランスにある灌頂幡(レプリカ)
 

第五室[[金工]
国宝・鵲尾形柄香炉             国宝・竜首水瓶     国宝・墨水滴匙                 第四室 国宝・海磯鏡(対、8世紀)
   
資料室                                 黒門
 

表慶館[アジアギャラリ]                                          エントランス
  
インド
   
エジプト・仁像浮彫     西アジア・イラクの前22世紀の楔形文字土製品(10cm位)   中国・如来三尊仏龕(がん)
   
西アジアイラクの楔形文字の遺物はとても小さいものですが、感動です。紀元前25世紀のものなどもあります。
アフガニスタン・イラクなどの地中にはまだ多くの遺物が埋まっているかもしれません。
アメリカの軍事侵攻はこうした遺物を数多く破壊し、これからも破壊し続けるのだろうと思う。
アメリカは、金銭的価値が高いものは求めるが、そうではない人類の人類の貴重な遺物などには全く無神経のようだ。

この後『空海と密教美術展』の平成館に行った。
 

特別展は写真撮影出来ないので以下の写真は引用。
金念珠・伝空海所持                         飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょ)
 
国宝・密教法具                    国宝・諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」        国宝・錫杖頭(しゃくじょうとう)
  
如意輪観音菩薩坐像       国宝・阿弥陀如来および両脇侍像        国宝・帝釈天騎馬像
  
国宝・薬師如来および両脇侍像                  国宝・大威徳明王騎牛像        国宝・金剛業菩薩坐像
  
国宝・梵天坐像            国宝・増長天立像          国宝・降三世明王立像         国宝・金剛法菩薩坐像
    
国宝・持国天立像           国宝 兜跋毘沙門天立像   毘沙門天に踏みつけられている邪鬼        
   
展示の様子

私は、かなり疲れたので本館の通常展示は見ないで帰ることにした。
台風の強い風が吹くが天気は晴れ、形容矛盾だが湿気たっぷりのフェーン現象のような高気温で、どこも寄らず帰った。
上野公園には多くの人が出ていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、私は密教についてはよく知らない。知らない私が批判というか疑問を抱くのは変なのだが。
日本では、確かに空海さんと天台・真言宗が広まっている。
私は、日本史と日本仏教について詳しく調べ、学ぼうとは思わないが、日本で空海さんと天台・真言宗が広まっている事情には、
日本人が一番早く伝えた仏教宗派という事情・背景があるのかもしれないと思っている。
宗教の教えが言葉や絵などでは説明できず、師から師へ伝承としてのみ伝えられる秘密の密教と言うのが私にはどうにも理解出来ない。
仏像も秘仏とされ公開されないし、公開される仏像なども写真の撮影も許されない。
偶像崇拝を非とするなら仏像を作らなければいいし、NHKなどのテレビ撮影なども許さず、ホームページや写真集でも公開しない方が良い。
力のあるものには写真撮影を許すのに、民衆には秘仏・写真は禁というのはどう見てもおかしい。
釈迦は、バラモン教とそれを批判したインド哲学・インド古代宗教に疑問を抱き、批判し、大衆をいかに救済するかに心を砕いた。
だが、仏教はインドでは広まず、東南アジアに広まった。
広まる過程でいろいろ分派して行った。
大乗仏教、小乗仏教、チベット仏教、そして中国の独自の宗教、儒教・道教などの影響を受け、融合・変容して行った。
密教は、空海が中国に渡った当時のかなり特異な仏教を移入したと私は思っている。
宗教は大衆と共にあって大衆を救済するものだと私は思うのだが、密教はどうもそれとは違うように思える。
平安末期から鎌倉時代にかけて、日本の仏教は大変貌・革命期を迎える。
宗教が民衆と向き合う時代の到来である。
21世紀に至っても釈迦が格闘したバラモン教のカースト・輪廻思想は今でもインドを支配し、大衆を縛り付けている。
六道や輪廻の考えはわたしはどうにも理解しがたい。
生きて苦しみ、死して後も苦しみ続けるのでは人に救いはない。
私には、真言仏教は釈迦の説く仏教では無いように感じるし、大衆仏教とも無縁のように感じる。
さて、だいぶ横道にそれてしまったが、密教の説く曼荼羅と大衆仏教の極楽浄土とは関係があるのだろうか。
似ているが、かなり異なものと私は感じているのだが。
修行・苦行は必要ない、念仏を唱えれば極楽浄土に行ける、念仏を唱えなくても阿弥陀仏を信じれば救われると説く大衆仏教が私は好きだ。
そんな違和感を感じながら、展示会場を巡った。
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