風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/すれ違いのダイアリーズ

2016年10月24日 | 映画


面白かったです。
原題は、KidTueng Wittaya(คิดถึงวิทยา)、「科学を考える」だそうです。珍しいタイ映画で、タイで大ヒットしたそうです。
昨年、私はタイを訪れたので懐かしかったです。わかったタイ語は「サワディ・カップ」(今日は)だけでした。
ストーリーはとてもシンプルです。
タイ、チェンマイ地方の湖上の小学校分校が舞台です。携帯も、パソコンも在りません。
 
4人~6人の子どもと先生がそこで月~金、共同生活をしています。
前任の若いが優れた女性教師が都会に戻ったため、若い男性の新米教師が新任してきます。
彼は、彼女が忘れていった日記が目にとまり、読み始め、時折感想を記していきます。
彼は、いつしかその女教師に恋心を抱いてしまいました。
映画の主人公は、その男性教師ですが、実は日記の書き手の女性こそ主人公です。

タイの教育も垣間見れて面白かったです。
小学校で一次方程式を学んだり、期末試験にパスしないと進級出来なかったり、校長の権限がかなり強そうだったり…。
一年後、男性教師は再契約とならず分校を去ります。
子どもの個々の生徒と密着しながら、その生活と経験を大切にしたいと願う彼女と、彼女の恋人との関係は揺れ動きます。
エリートコースに乗っている彼は、効率主義と画一的教育の考えの持ち主で彼女とはどうしてもあわないからです。
彼女が、そんな彼を恋人に選び、揺れ動くのかはわかりませんが、彼女はとうとう彼と決別し、分校に舞い戻ってきます。
作り物過ぎるストーリーですが、日本の名作・「二十四の瞳」を思い出させる映画で、心和みました。
子ども達の表情もとても良かったです。        【10月17日鑑賞】
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映画/神様メール

2016年10月19日 | 映画



予告編を見て、大いに期待したのですが、ちょっぴり期待以下でした。
私は、余命を知った人々が引き起こすパニック・たくさんの悲喜劇・大騒動コメディを想像していたからです。
ストーリーは、全くの作り事ですから当然リアリティはありません。
さて、原題は、Le Tout Nouveau Testament=The Brand New Testamentは、最新約聖書と言う意味だそうです。
神様は、なんと妻と死んだ一人息子[キリスト]と娘の家庭があって、ベルギーのブリュッセルに暮らしています。
キリスト教の神様の娘が、父親=神様に大反発して、人間に「余命幾ばくのメール」を送信してしまいます。

娘は、地上に現れ、新たに6人の使徒を見つけ出して、「新・新約聖書」を作ることになります。
神様は実はパソコンを通してしかその「全能」の力を発揮できません。
つまりパソコンがないと全くの凡人で、それ以外の「神的」能力は皆無なのです。
壊されたパソコンの修理のためには娘が必要で、彼女を追って地上に降りてきます。
彼は人間の俗物以下の悪態をつきます。霊力はないのですからなす術なく、まして天上に戻ることも出来ず、
あちこちでひどい目にあい、結局警察に逮捕され、イスラム教のウズベキスタンに強制追放されてしまいます。
さて、キリストには12人の使徒がいました。
その理由は、何と神様がアイスホッケーが好きでその人数だというのです。
娘は何故か新たに6人の使徒を選び「新・新約聖書」の作成を思います。
私は、キリスト教についての知識は詳しくありません。
使徒12人の12の数字の意味を知りませんでした。
ネットで調べたらイスラエルには12の部族があり、使徒はその普及のために送られたという説もあるようです。
仏教には「天」がいます。釈迦はインドの諸部族を折伏・帰依・統合させ、彼らの神を仏教の守護神=天としたと言う説があります。
似ているなと思いました。
少女に選ばれた新たな使徒は、ちょっぴりユニークです。
いずれも余命がわずかになった人々が、残りの時間を歩み始めます。
ターゲットの女性に惚れてしまった保険屋を辞めて殺し屋になった男性
 
雄のゴリラに恋した熟女とその彼氏のゴリラ

その他、鳥を追い求めて北極まで行ってしまった老人、セックス依存症の男性、女の子になりたい男の子、
そして、殺し屋と一緒になった、子どもの時左腕をなくしたモテモテの美女の6人でした。

以下ネタバレですが、女神が神様の部屋を掃除機をかけるためにパソコンの電源を切ってしまいます。
掃除が終わって、パソコンの電源を入れます。
野球が好きな彼女は娘が加えた6人の使徒を加えて18人とします。
そして再起動によって、それまでの余命寿命がリセットされてしまいました。
結果、「めでたし・めでたし」で終わります。
ここで私の疑問です。
余命がリセットされた時、彼ら・彼女らは、「ギリギリで選んだ」選択に悔い、やり直しはなかったのでしょうか?
制作者の結論は、殺し屋が彼女の子を宿し、熟女がゴリラとの赤ちゃんを産んだり、でした。
一番の悲劇は、余命100年と言われていた青年です。
彼は、それまで何度も自死的行為をして来たのですが、その度に偶然の奇跡で助かって来ましたが、
パソコンがリセットされた後は……でした。
キリスト教の伝統的教え=タブー、絶対的存在者としての神、つまり伝統的西洋文明の価値観をここまで茶化します。
ここには、神はどうして男なの?という根本的問も潜んでいるようにも思います。
原始宗教では、神は聖人では全くなく、「人間の欲望そのもの」の顕在的存在だったと思います。
だからこそ、釈迦やキリストやモハンマドのような「如来」が生まれ、新しい宗教が生まれたのだと私は思います。
12人に使徒では足りない、新たな6人の使徒が必要というのでしょう。
私は、現代ではそれではまだ足りないと思うのですが…。
今日では、パソコンと携帯・スマホが「神」のようになっていて、人々はそれに依存しきっています。
まさに新しい「ユーロ」的世界を垣間見たと言っては大袈裟すぎますか?  【10月17日】
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映画/レヴェナント(蘇えりし者)

2016年10月01日 | 映画

「レヴェナント(revenant)」とはフランス語から派生した「黄泉の国から戻って来た人、亡霊」といった意味だそうです。


舞台は、1823年、西部開拓時代のアメリカ北西部だそうです。
江戸時代末期の日本の社会も私達はほとんどイメージできないのですから、その当時のアメリカ社会がどんなだったか
全く想像できません。
この映画は、作品内容以前に、これまで再三アカデミー賞にノミネートされながら無縁であったディカプリオが、
主演男優賞を取ったこと、撮影の自然環境の厳しさ、出演者・スタッフがその厳しい自然と真っ向から向き合ったこと、
撮影・カメラワークの特筆さ・見事さ、などの方が話題になりました。
そして坂本龍一の音楽です。風の音のように重厚の低音がズンズンと響き、体を刺激します。
当初カナダでの撮影が予定されていたそうですが、地球温暖化の影響でしょうか雪不足のため、ロケ地が急きょ、
南アメリカ大陸の南端部のアルゼンチンのティエラ・デル・フエゴに変更されたそうです。

グリスビーに襲われるシーンはどのように撮影したのかわからないほど巧妙でしたし、
凍れる川の中にながされるシーンなどの撮影はどのようにしたのでしょうか、

それらはとても迫力の在るリアリティーさでした。
ストーリーは実話にベースを置いているそうですが特別工夫されているとは言えません。
余りに超人的生命力に作り物過ぎるとの印象がぬぐい得ません。
息子を殺した男への復讐への執念だけが彼の生の支え、源なのですが、その根底にはネイティブへの差別・偏見に対する
彼の怒り・抗いの精神性があると私は思います。
彼らが英語を話さず彼らの言語を使い、英語の字幕が付いたのはとても良かったと思います。
そこには、制作者の彼らへの優しさ・尊厳があると感じました。しかし、157分は長過ぎます。  【9月26日鑑賞】
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