風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

鳩ヶ谷~草加を歩く

2014年01月29日 | ウォーキング

街角で                               "草加"と言えば煎餅、駅前の像

1月27日、埼玉高速鉄道鳩ヶ谷駅から東武線草加駅まで歩きました。
先日まで暖かい日が続いていましたが、この日は最高気温が7℃の予報でしたが出かけました。
蕨駅10時頃のバスで鳩ヶ谷駅まで行きました。かなりの本数が出ています。200円でした。
鳩ヶ谷駅前で降りたのですが、地下鉄の駅は見つけにくいです。
出発点が間違うと大変なので、通行人に駅を教えてもらいました。

「設置台数日本最大級」と言われる巨大なパチンコ店です。この建物すべてがパチンコ店かは知りませんが、驚きました。

法福寺・真言宗
 
 
真光寺・曹洞宗、この独特の門で以前来たことがあることを思い出しました。
 
川口市役所鳩ヶ谷支所(合併前の鳩ヶ谷市役所なのでしょうか、巨大で立派でした。)  冨士浅間神社
 
千手院・曹洞宗
 
福寿院・真言宗                           御嶽神社
 
円通院・曹洞宗
   
妙典石経塚                                                         文化放送送信所のアンテナ
  
昌福寺・曹洞宗
 
  
普門寺・真言宗
 
普門寺観音堂
 
 
西願寺・浄土宗
 
  
街角で
    
徳性寺・浄土宗
 
泉蔵院・真言宗
   
    
泉蔵院焔魔堂
   
正源寺・真言宗
  
   
正源寺イボ地蔵
  
真蔵院・真言宗
 
  
浄捷寺・浄土宗
 
宣行寺・日蓮宗
 
稗田稲荷神社                            草加駅前
 
草加駅                                草加駅前の「草加煎餅」の像
  
今日歩いた地域は、観光地ではなく普通の市街地です。おそらく半世紀前までは田んぼや畑の農村だったでしょう。
古村だった面影はありません。通りに小さな祠や地蔵や庚申塔などは少なかったです。
現在も所々に、まだ畑と農家が残っていますが、首都圏のベッドタウン・近郊都市で、こぎれいな小住宅がたくさんです。
首都高、国道4号線、県道34号線が通っています。車で移動するには便利かもしれませんが、歩行・自転車では不便です。
これらの道路を横切るのが一苦労なのです。横断歩道が少なく、歩道橋の所もあります。
名目は歩行者の安全のためですが、実際は横断歩道があると車のスムーズな通行が妨げられるのでそれを避けるためです。
それらは大きな"壁"のように横たわり、車いすや小さい子を連れた時は特に不便で、私には生活しづらいかなぁと感じました。
車で来る大型ショッピングショップがあちこちにありました。
特別に大きな寺社はありませんでした。浄土宗、曹洞宗、真言宗のお寺が多かったようです。
それぞれ地域に密着しているようなお寺と感じました。所々便所があり、助かりました。
家を出るときは冷気で、ニット帽を被りましたが、そのうち暖かくなり、一枚脱ぎ、一枚脱ぎでした。
草加市の東側、綾瀬川・松原団地あたりは以前歩いたことがあるので、今回は西側を歩きました。
息子夫婦が草加市に住んでいます。帰りに突然、寄って夕飯をごちそうになりました。
帰りは、電車で帰りました。電車は座れましたが混んでいました。
寒い日でしたが、ウォーキングを十分楽しみ、息子夫婦の家も訪れて良かったです。              【終わり】
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遊行寺(時宗総本山・藤沢市)を歩く

2014年01月26日 | ウォーキング
1月24日、妻の実家に新年のご挨拶に行きました。その途中、藤沢市にある時宗総本山の遊行寺を訪れました。
一遍上人像      大イチョウと遊行寺本堂

時宗について、遊行寺では次のように説明しています。
『時宗は、七百年の昔、一遍上人がお開きになった念仏宗です。
平安末期、法然上人が浄土宗を開きました。一遍上人は、浄土宗の一つの流れです。
その頃、修行僧は「時衆」と呼ばれました。一日を六時(四時間づつ)に分けて、
仏前でお念仏と六時礼讃というお勤めをました。これを時間毎に交代します。
その人々は時の衆、つまり「時衆」と呼ばれました。
この言葉は他の宗派では、次第に使われなくなりましたが、一遍上人の流れをくむ教団では現在も使われ、
この教団の呼び名になりました。』(要約)


永勝寺・浄土宗                                                                法然上人像
  
飯盛り女の墓(旅籠屋の女給・遊女)とても珍しです。       太子堂
  
荘厳寺・真言宗                            宝篋印塔
  
妙善寺・日蓮宗
 
妙善寺境内の稲荷                          子宝の岩
 
常光寺・浄土宗
 
  
庚申供養塔(右1659、左1669年)                  詩人・野口米次郎の詩碑
 
東海道の古商                            藤沢駅近くのパチンコ店
 

遊行寺=清浄光寺・時宗
境内図

総門                                  国定忠治物語の板割浅太郎の墓
 
赤門真徳寺
 
 
真浄院
 
真浄院無縁仏供養塔                        遊行寺宝物殿(ウイークディは閉館)
 
遊行寺本堂
 
 
 
   
  
  
 
中雀門(1866年の火災から消失を免れました。奥は社務所です。)
 
南部右馬頭茂時(鎌倉時代の武将)の墓             放生池
  
宇賀神(徳川家の祖先の守護尊)                 弁財天
   
歴代上人の墓
 
長生院・小栗堂                                           板碑(1356年)
  
長生院の説明文に板碑のことが書かれてありました。探しましたが見つからなかったので、思い切ってインタホンで聞くと鍵を開けてくれました。
とても保存状態が良くきれいでした。
小栗判官と十勇士の墓(小栗判官は室町時代の武将で足利尊氏に滅ぼされました。芝居などで有名です。) 名馬・鬼鹿毛の墓
 
照手姫(小栗判官の妻)の墓            判官目洗池
  
犬猫慰霊碑                          
   
敵味方供養塔(1418年)、
 
室町時代、上杉氏憲(禅秀)が足利持氏に対して反乱を起こしました。幕府の支援を受けたは持氏によって禅秀は敗れました(禅秀の乱)。
この乱の双方の死傷者をこの寺が供養したそうです。
私は、遊行寺は二回目の参拝です。
境内は広いですが、大寺院としては「華やかさ」がなく、一見殺風景な感じがしますが落ち着いています。
法然さんが開いた浄土宗は、阿弥陀仏を信じ、念仏を唱えれば唱えるほど極楽浄土への往生も可能になると説きました。
時宗では、さらに進んで、阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説きました。
仏の本願力は絶対なので信じない者にまで及ぶという解釈です。
仏教はそれまで貴族や支配階級の宗教でしたが、鎌倉時代に入ると仏教も民衆の中に急速に浸透していきます。
法然さんが開いた「念仏」は、民衆の支持を受け広がりました。
一遍さんは、寺を構えること無く、全国を布教=遊行したので、"遊行寺"と言われるようになったそうです。
宝物殿は、土日祭日のみで、見ることができず残念でした。

諏訪神社

感応院・真言宗
 
寿老人                                              感応院内三島大明神
   
藤沢橋
  
 
予定していたよりだいぶ時間がかかりました。まるで小春日和のような暖かさで、汗が出てきました。
初め、大船駅から藤沢駅まで歩く予定でしたが、藤沢駅周辺だけにして正解でした。
江ノ電からの相模湾がまぶしくきれいでした。帰りには、江ノ島がライトアップされていました。
東海道線は夕方のラッシュで大混雑でなかなか座れませんでした。               【終わり】
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映画/孤独な天使たち(Io e te)、トゥ・ザ・ワンダー

2014年01月22日 | 映画


原題の、"Io e te" は "私と君"でしょうか。
秀作です。
イタリアの巨匠・ベルトリッチ監督の50周年記念の映画と言われます。
主な出演者は、異母姉弟のオリビアとロレンツォの二人だけです。
14歳のロレンツォは、両親に嘘をついて学校の一週間のスキースクールに行ったように装い、
その間、アパートの地下室で過ごそうとします。
麻薬中毒から抜け出そうとしていた異母姉のオリビアは、そこに偶然出くわし、居座ります。
周囲となじめず孤独で日々煩悶としていたロレンツォは、麻薬の激しい禁断症状と戦うオリビアの姿を見ます。
それは、オリビアの自分の再生のための必死の戦いでした。
上左の写真は、映画のラスト、地下室から出た二人が新たな門出に出発する姿です。
二人の視線は異なり分かれていくのですが、二人の確かな足取りは私たちにやすらぎと安堵感を与えます。
実はオリビアは、禁断と戦っている最中、耐えきれず、クスリを手に入れます。
しかし彼女はそれには手をつけずに地下室から出て行きます。
彼女のサングラスには、その後ろめたさや危うさが隠されているのでしょうか。
私は、オレンツォが人生の成功者や専門家の説教や恋人との出会いや家族によってではなく、
落伍者・駄目人間のオリビアへの反発・交流の中で「大人への旅立ち」を始める意味を考えます。
そして何より私は、彼よりもオリビアの「大人への旅立ち」に強い印象とこの映画への共感を覚えました。
ロレンツォは地下室にガラス容器に入れたアリの巣を持ち込んでいたのですが、
ふとしたことでオリビアがその巣を壊してしまいます。
彼は、たいして怒ることなく淡々とアリたちを戸外に捨てます。
私にはそれが、ロレンツォ達の地下室=暗闇・閉塞からの脱出を暗示していると感じました。
イタリア映画ですが、イタリアの名所は出てきません。
地下室に面した石畳の無名の通りが何度か出てきます。
でも、『孤独な天使たち』のタイトルは頂けません。
原題通り、『私とあなた』の方が良いのでは。             
昔、ベルトリッチ監督の映画を見たことがあります。
『1900年』と言うタイトルで、20世紀初頭から第一次世界大戦、ファシズムの台頭から第二次世界大戦の終了までの
イタリア現代史の一エピソードを描いた映画でした。その感想は、私のブログ、『映画:1900年』 にあります。
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                                 【1月20日鑑賞】
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下曽我~国府津を歩く

2014年01月15日 | ウォーキング



下曽我~国府津(こうづ)を歩きました。
昨年末、小田原を歩いたのですが、その時は、国府津に気が向かず歩きませんでしたので。
東京駅9:15発の電車と早出でしました。
東海道線は電車の本数はとても多いのですが、国府津から下曽我までのJR御殿場線は、1時間1本ほどしかありませんので。
国府津着10:23、国府津発10:28、下曽我着10:33です。
曽我一帯は、梅林です。まだ小さい蕾ですが、もう少しほころび始めています。
 
大日如来堂
 
竺土寺(とくどじ)・曹洞宗
 
鐘楼の下に切り干し大根が                                       保命神社
  
この寺からの景色                          
 
瑞雲寺・曹洞宗
 
 
本堂内
 
不動尊
 
 
瑞雲寺境内から小田原市内と相模湾
 
天津神社                               岸の石地蔵
 
宗我神社、城前寺などは前回訪れたので今回はパスしました。
東光寺・真言宗                           東光寺徳本の名号碑(門の前)
 
 
  
街道沿いに
  
法蓮寺・日蓮宗                             鬼子母神像
  
法蓮寺毘沙門堂
 
津島神社                               金蔵寺・真言宗
 
玉泉禅寺・臨済宗
 
  
  
田島地蔵堂
 
一徳寺・臨済宗
 
 
 
田島横穴古墳群(一徳寺の裏手の山の中)
 
八幡神社                               寶金剛寺・真言宗
 
寶金剛寺本堂
  
寶金剛寺境内歴史保存建物とか
 
国府津建武石碑(浄土教信仰の板碑、1338年)
 
寶金剛寺門                                 山地蔵尊(寶金剛寺裏の山の中)
     

蓮台寺・時宗
  
 
 
菅原神社                               茅輪くぐり
 
撫で牛、天満宮では牛が信仰されます。
 
神木のムクノキ(樹齢800年)
  
安楽院・真言宗 (本堂は工事中です。)
  
光明寺・時宗
  
                                     永代供養塔
  
真楽寺・浄土真宗                          法秀寺・日蓮宗
 
常念寺・浄土宗
  
  
長泉寺・臨済宗
 
 
 
諸戸邸(諸戸家の別荘だったとか、公開されていません。使用も、手入れもされていません。)

天気予報では気温が低かったのですが、寒くはありませんでした。
歩き始めるとすぐ体が熱くなり、次々服を脱いで、下着・ワイシャツ・ウインドブレーカーとなりました。
昼過ぎからは、雲が多くなり、風が冷たくなって、ニット帽を被りました。
歩いたメイン通りの県道72号線は片道1車線の狭い道です。車は多くなく、歩いている人はごくわずかでした。
勾配が急の山道と思っていたのですがそれほどではありませんでした。
国府津は、かなり古い町で、平安時代から港町だったそうですが、
海岸からすぐ丘陵地になり、海岸沿いの平地はすごく狭いです。
東海道がありますが、広くはありません。

祝日のせいか東海道沿いの店の多くがしまっていました。
1887年(明治20年)に東海道本線が国府津まで開業しました。
また、小田原から箱根にかけては急勾配の線路になるため、国府津駅で機関車などの増結が行われ、
車両基地のような線路が長泉寺近くまで広く続いています。
珍しい時宗のお寺が二寺ありました。
あちこちに小さな古墳があるようで、そのことがそれを示しています。
また、随所に道祖神、石造物、地蔵や祠などがあり、往時の人々の往来が感じられます。
もう少し時間がかかる思ったのですが、意外に時間がかからず、国府津発15:19の電車に乗り帰りました。
もっとも後半は、腰に少し疲れを感じました。電車の中では熟睡でした。
少し寒かったですが、丘に登ると海が見え、畑にはミカンや大きなミカン、レモンなどが実り、
広い梅林はまだ花は咲いていませんが、のんびりした風景が続き、楽しく歩きました。
特に大きなお寺や神社はありませんでした。
玉泉禅寺の「書」がユニークでした。
  【終わり】
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映画/永遠の0

2014年01月10日 | 映画

話題の"永遠の0(ゼロ)"を見ました。
タイトルが何とも哲学的です。
しかし結論的には、佳作とは言えず、普通のできです。
ゼロの意味は零戦戦闘機のゼロ、そのゼロは紀元2600年から来ているとか。
うがって言うと「零戦戦闘機は永遠」です。
ストーリーに、リアリティ・リアリズムはありません。
二人の姉弟が、祖母の死をきっかけに祖父とは血縁がなく、実の祖父がいると知り、
彼の姿=ルーツの探し出しを始めます。この導入部が饒舌で何とも退屈です。
この映画のストリーの一番の疑問は、家族が祖父の存在と家族の歴史をずっと封印してきたのはなぜと言うことです。
それは決して隠すべきことでは決して無いのにです。
彼らの祖父、この映画の主人公・宮部は零戦の天才的パイロットです。
彼は、妻と娘に生きて再会するためにひたすら生き抜くことを信念としています。
戦闘機同士の乱戦になると彼はその現場から離脱しました。
当時、それは「臆病者」ではなく「敵前逃亡・戦線離脱」とされ処罰されたのではないでしょうか。
その後、そんな彼は戦闘機の指導教官になり、教え子が次々に特攻となって死んで行きます。
彼は、自ら生き延びることと教え子の死の狭間で追い詰められます。
そして、彼は自らも特攻となります。
彼は、自分の搭乗する機に欠陥があることを知り、教え子の機と交換します。
教え子の機は、事故を起こし不時着し、彼は生き延びます。
そう、宮部が特攻に志願した時点では、彼の機に欠陥があることを彼は知らないのですから、
その教え子が生き残るというのは、とても無理のある話なのですが。
天才的飛行機乗りの彼は、アメリカ軍の攻撃をかいくぐって、天空から空母の真ん中に一直線に突っ込みます。
私は、この後、死んで行く米軍兵士の縁の人々の顔が浮かびました。
さて、今、靖国が問題となっています。
私は、靖国の詳しい歴史などを知りません。
日本と日本人は、東京裁判を受け入れる形で14名を太平洋戦争の戦犯としていますが、
私たちは自らの手では、「太平洋戦争の戦争責任者・戦犯は誰なのか」を裁いていませんし、罰してもいません。
戦犯は、14人だけなのでしょうか?
断じて否で、第一は昭和天皇・天皇制です。
第二は、もっと多くの当時の戦争指導者です。
岸信介などの戦犯は戦後すぐ開放されてしまいました。
ドイツ国民もナチスを自分たちで裁くことはできませんでしたが、彼らはナチスを擁護することは許さない、
それは犯罪であるとしました。
ハーケンクロイツは掲げることも許されません。
しかし、旭日旗は、今日も自衛隊で使われていますし、朝日新聞の社旗はそれに酷似しています。
第二次大戦では、解放戦争を戦った「植民地諸国の人々」のみに正義があるのであって、
英米仏ら第二次大戦の戦勝国に全面的な正義があったのでは決してありません。
彼らにも戦争責任があり、戦犯はいます。
しかし、戦勝国の彼ら国民も、自国の戦争責任、戦犯を裁いていません。
その歴史的負が、ベトナム戦争、イラクやアフガン戦争、各国へのクーデーターの関与に引き継がれているのです。

さて、映画の話に戻りましょう。
映画のかなりの場面がCGグラフィックスなのは仕方ないですが、戦闘機の戦闘場面はちゃちでした。
特攻隊員が死に直面して叫ぶ映画の言葉の多くは、「天皇陛下万歳」、「お母さん」でした。
この映画では、それらを全く言われず、多くが言葉を発しませんでした。
私には、それはとても印象的でした。
出演者の多くがすぐ声を荒げ大声を上げ、過剰な演技を求められているようでした。
三浦春馬は相変わらず上手くなく、私の好きな風吹ジュンのただ一人押さえた演技が素敵でした。
映画の最後に、協力か支援者の名前の中に防衛省を見て、私はぞっとしたのでした。
感動の涙、「潔い、優しい、かっこいい」の先に「英霊」、そして「靖国」が見え隠れするとは、私のうがち過ぎ、屁理屈でしょうか。
昨年から今年にかけて、日本で多くの戦争物映画が発表され、私は気分が良くありません。       【1月9日鑑賞】
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映画/逃亡者、サイドエフェクト

2014年01月09日 | 映画
今日の二本はサスペンス。


題材は、1960年代後半から1970年代初頭、アメリカでのベトナム反戦運動から始まった社会運動の極左グループ・
ウエザーマンのその後に関わる一つのエピソードです。
アメリカのベトナム戦争エスカレーションは、全世界に反戦運動とそれを契機とする社会改革の運動が広まりました。
アメリカにも共産主義やマルクス主義のグループが生まれました。
またキング牧師の公民権運動も次第に分裂し、黒人を主体とする過激なブラックパンサー党も生まれました。
アメリカや日本の運動は敗北を経て極左テロリズムとなり自滅していきました。
ヨーロッパのドイツ・フランス・イタリアでも極左が発生しましたが、消滅しないで環境派など新しい社会運動として残りました。
さて、映画の主人公、かつてウエザーマンの活動家であるジム・グラントは、銀行襲撃事件で訴追されます。
しかし彼はテロ活動に反対しその事件には加わりませんでした。
事件後30年を経て逃亡に疲れた仲間の一人が自首しました。
生き延びて来た彼に警察の手が迫ります。彼は無実を晴らすために「逃亡」します。
映画ですから、ストーリーには全くリアリティはありません。
例えば、この映画のもう一人の主人公の新聞記者が隠された事実をいとも簡単に解き明かします。
それまでの警察はまるで無能だった訳です。
グラントが警察の包囲網を簡単に突破して逃亡したり、グラントの元恋人が彼の説得を受けて簡単に自首したり、
彼らの娘が警察署長の養女になっていたり……、と。
そして残念ながらロバート・レッドフォードは70歳を越えていて事件後30年と言うにしては爺さん過ぎます。
2001年9.11、アメリカが攻撃された出来事から約10年後の2012年にこの映画がアメリカで作られました。
フランツ・ファノンやマルクスなどの懐かしい名前も出てきたり、でした。
普通作です。

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原題のside effects は副作用
映画前半は、精神科医のバンクスが高額の報酬に目が眩み、新薬の臨床試験に挑み、
罠にはまって窮地に追い込まれるお話。
後半は、彼がその罠を暴くお話です。
鬱病を患うエメリーは精神科医のシーバートは、エメリーの夫の殺害と金儲けを企みます。
エメリーは新しい精神科医バンクスのもとで新薬を飲み、心神喪失の状態で夫を殺害します。
一方シーバートはエメリーの鬱病の演技指導をし、製薬会社の株の取引で大きな利益を受けます。
そう、エメリーは鬱ではなく、鬱病患者を演じ、夫を殺害し、皆がだまされます。
彼女は無罪になり、バンクスはその責任を問われ、追い詰められていきます。
彼は、かなりの禁じ手を使って、エメリーとシーバートを罠にかけて彼女らの犯罪を暴いていきます。
しかし、ストーリーはリアリティがありません。
エメリーとシーバートが同性愛の恋人同士にはすっかり興ざめでしたし、
専門家や警察が、エメリーの芝居にいとも簡単に欺かれたり、
バンクスの無実の証明=復讐がたやすく行われたり、ちょっと無理筋のストーリーです。
最後にシーバートは逮捕され、エメリーは薬漬けと隔離施設を恐怖しながら、そこに閉じ込められます。
それはまさに現在のアメリカの象徴であり、精神医療の現実=恐怖と私は思いました。
エメリーを演じたのは、『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラとは知りませんでした。
普通作です。                        【1月6日鑑賞】
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映画/愛さえあれば、ローマでアモーレ、スカイラブ

2014年01月06日 | 映画

言葉がよくわかりませんでした。デンマーク語でした。デンマーク映画は初めて見ました。
ヨーロッパ人は英語もよく話し、映画では英語もたくさん。英国発音が耳に心地よかったです。
ストーリーは単純でリアリティはありません。ラブストーリーですから。
主人公のイーダは乳癌の手術を終えましたが、再発を恐れています。
彼女が病院から自宅に戻ると、なんと彼女の夫は自宅で新しい彼女とセックス中、あり得ない話です。
イーダは、とびきりの美人ではないけれど、揺れながらも芯を持った北欧の女性の強さを持っていて、
とても魅力的です。
相手は、かつてボンドを演じたアイルランド生まれのピアース・ブロズナンが演じるフィリップ、
彼は、イタリアに城のような家と農場を持つ金持ちですが、妻を失い、今は仕事人間。
彼らの息子と娘が恋人同士でイタリアのソレント(アマルフィの入り口)で結婚式を挙げることになります……。
イーダの夫は、浮気中の彼女を結婚式に呼んで「婚約者だ」と皆に紹介したり、
新婦は、自分はゲイのようだからと結婚式当日に結婚を破棄、とかなり変なストーリーですが、なぜか心温まりました。
おそらくイーダの潔さと強さと優しさの魅力せいでしょう。           【12月26日鑑賞】
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ウッデイ・アレンの映画は、見ているときは結構笑えるのだが、見終わるとストーリーを定かには思い出せない「不思議さ」があります。
特に今回は、オムニバスなのですが、それぞれのストーリーがほとんど映画のような作り話で、
見終わってその詳細をほとんど覚えていません。
各話の共通は、ローマでの地理を聞くことと、まさに「塞翁が馬」、悪いことも良くなり、また悪くなる日常。
ローマの有名観光地も少し紹介されます。 映画は良いできとは全く言えません。
アレンの毒舌も色あせて来た感じです。            【12月26日鑑賞】
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題名のSkylabは、昔のアメリカのアポロ計画で使われた宇宙ステーションでそれが落下するというエピソードのことです。
併映の「最後のマイ・ウェイ」(フランク・シナトラの歌を作ったフランス人クロード・フランソワの半生の伝記)は見ませんでした。  【12月30日鑑賞】
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初詣:新井宿から浦和美園へ

2014年01月03日 | ウォーキング
1月2日、初詣に行ってきました。
蕨から、新井宿、浦和美園あたりを自転車で回りました。
北風が少し吹いていたので、自転車も少し大変でした。



宝蔵寺・真言宗
 
 
氷川神社                               子日神社
 
多宝院・真言宗                   源長寺・浄土宗 
         
 
源長寺・浄土、法然上人像                      板碑
  
涅槃像
 
持宝院・真言宗
 
西福寺・真言宗[百観音]、観音堂                         
  
仁王と三重の塔[23m]                        地蔵
  
地蔵堂
 
  
西福寺は知りませんでした。だるま市が開かれ、多くの人が初詣。参拝に来ていました。
真言宗のお寺ですが、禅宗の祖である達磨像の市が開かれています。
稲荷(小さい)                             大門神社
 
JR武蔵野線東川口駅周辺に、いくつかのお寺があるのですが、来たことがあるので今日は素通り北上しました。
東大門地区に入ると、道が急に狭くなり、くねくねしました。

大門北周辺は、東北道の浦和インターでもう道は全くわかりません。
道路は車が使いやすいようにでき、新しい生活道路をあちこち工事中で、行き止まりだったり、
車が猛スピードで走るのでとても危険です。一帯は、畑と林です。
大興寺・真言宗
                                                               圓徳寺・真言宗
 
中野田不動堂
  
重殿社
  
重殿社入り口にある庚申塔

明照寺・曹洞宗                            仁王
  
  
七福神
 
本尊
   
この後、付近のいくつかのお寺を訪れる予定でしたが、地図を落としてしまったのであきらめました。
普通のところなら、自転車でうろうろできるのですが、先述したように至るところで工事中で、
かつアップダウンもきついので帰ることにしました。
片道14~15kmあったと思います。帰りはおしりが痛くなってきました。
私の自転車は電動アシストです。坂道や強い向かい風の時は電源をONにします。
ですから、息を切らすことはありませんでしたが、走り始めて20分もすると体が温かくなり、セーターを脱ぎました。
気温は低くはありませんでしたが、北寄りの風がかなり冷たく吹いていました。
耳は寒いので、耳が入る帽子を被り、手袋の異様さです。  
高速道路、幹線道路はたくさんの車でした。一般道は少なく歩いている人はほとんどいませんでした。
白馬の民俗学者・田中欽一さんは言っています。「歩かなくなった民族は滅びる」と。
もっとも正月早々、自転車で遠出の初詣する私もかなりの変人ですが。
訪れたお寺は少なかったですが、楽しかったです。
多くはないですが、お寺にお墓参りと初詣に来ていました。
帰り、浦和美園での眼科のユニークなカンバンが目に入りました。
                  【終わり】
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あけましておめでとうございます

2014年01月01日 | 雑談
 
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