風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/長いお別れ

2019年11月27日 | 映画


全くの期待外れでした。カマトト的だけど好きな蒼井優と離婚で一皮むけた感じの美人・竹
内結子とアクの強い山崎努がかろうじて支えただけの映画でした。おいおい、痴呆症の扱い、
切り口はこんなのでいいの、って感じ。長女の息子の描き方は蛇足を越えていました。
                                  【11月18日】

映画/洗骨

2019年11月22日 | 映画

秀作です。
予告編を見た時は、奇をてらう感じがしたのですが、とんでもありませんでした。素敵な映画でした。


左は、この映画の助演女優の大島蓉子さんです。テレビでは何度も見たことがあります。この映画の最も感動的
役を演じました。主演女優賞ものです。右は、監督・脚本の照屋年之、漫才コンビのガレッジセールのゴリです。
沖縄の先島諸島の一つ・粟国島が舞台です。ストーリーは決して複雑ではなく、極めてシンプルです。

テーマは、妻・母の「洗骨」を契機に家族の絆の回復と落ち込んでいたそれぞれの「再生」です。
洗骨とは、なじみがない言葉です。死者を一度、土葬や風葬した後に、死者の骨を海水や酒などで洗い、再度埋葬す
る葬制でだそうです。
この文化は、アジア、北米先住民、アフリカ、インド洋諸島、東南アジア、オセアニアなどにも広く分布したそうです。
私達の「日常的」では、火葬が一般的ですが、自然葬は、狭義には散骨と同義であり、広義には風葬、鳥葬、水葬、火葬、
土葬、樹木葬、冷凍葬など、自然に回帰するような葬り方全般を指すそうです。日本本土にはなじみのない洗骨です
が、深い意味があると思いました。大切な人の死の受容は難しいです。洗骨はおおむね4年後に行うようです。4年と
いう月日は、大切な人の死を静かに受容するのに適当な年月の長さなのかも知れません。
昨今では、海洋散骨や骨を粉にして「廃棄」するのもあるようです。
映画で洗骨を扱うとシリアス過ぎるキライがあります。脚本・監督の照屋は、まさに「緊張と緩和」の絶妙なバランス
でこの難問を越えました。
ただ、私は、洗骨と出産のシーンは長過ぎと思いました。このシーンをもっとさりげなくさらっとすればするほど良
かったと思います。久々に、素敵な日本映画でした。粟国島にも行きたいと思いました。      【11月11日】

映画/芳華・Youth

2019年11月17日 | 映画


 世界各地で数々の賞をもらったらしいですが、私にはイマイチの感じでした。
 巨大な製作費を使ったかつてのハリウッドの大作映画のようです。特に1979年の中国・ベトナム間の戦争シ
ーンに時間とお金をかけ過ぎです。映画の主役の一人小萍は、野戦病院の過酷な経験などから精神を病むので
すが、戦闘シーンも、過剰な血しぶきは必要とは思えません。また上映時間136分は長すぎです。
 中国の歴史は、複雑で難しいです。映画の舞台は、プロレタリア文化革命が終わりを迎えた1976年です。文化
革命の様々な残滓が色濃く残っています。一般大衆は、何よりもその出自が重視されて来ました。貧農や労働者
階級出身はそれだけで優遇されました。でも、知識階級でも革命に参加して、功績をあげるとエリートでした。
家族つまり父親の出身・経歴、つまり封建的戸籍制度が残酷なほど大きな役割を果たすのです。主人公たちが属
したのは、兵士・紅衛兵を慰問する歌劇団・文工団、です。出自の良い団員はその「威光」を借りて、そうでない人
を半端なくいじめを受けます。
 文革で弱まった軍隊は、ベトナムに完敗します。中国は、この敗北を一つの契機に毛沢東の死と文革の疲弊を
乗り越えるために「近代化」に舵を切り始めます。そうした時代背景の中で、青年たちの苦悩を描くのが本来な
らこの映画のテーマになのに…、残念ながらそれらの表現は全く不十分です。中国映倫はとても厳しいので、現
代中国の批判はとても難しいらしい中、皮肉的批判が随所に込められてもいるので頑張ったな、の印象もあり
ますが、冒頭写真にあるプールサイドの水着や下着シーンなどは全く不要で、興ざめでした。
 心を病んだ小萍と右腕を失った劉峰がホームのベンチで肩を寄せ合うラストシーンに、やっと静けさと穏や
か取り戻した二人に私は、少し心穏やかな気持ちになり、「良かったね」です。
 【11月11日】

映画/僕たちは希望という名の列車に乗った・The silent revolution

2019年11月15日 | 映画


評価が微妙に難しい作品です。
 1956年10月23日、ハンガリー蜂起を知った東ドイツの高校生の一クラスが授業前にその蜂起に共感し2分
間の黙祷をします。高校当局、政府、秘密警察による執拗な捜査が始まります。この映画の背景はハンガリー
蜂起ですが、その経過や評価などが直接のテーマではありません。様々で巨大な権威・権力が市民・個人・家族・
祖先を監視し、脅迫するサスペンスです。この点からの映画はよくできているのですが、高校生の内面の苦悩
の描き方が一面的過ぎるのです。もっともそれはこの映画の直接のテーマではありませんが。高校生を演じた
俳優がどう見ても高校生には見えないのが一番の難点でした。頑強に見える恐怖のシステムは、いつかは崩壊
せざるを得ないと予感させます。
 時代は、本格的な冷戦が開始されます。当時の社会主義社会は「希望という名の列車」でした。ハンガリー市
民の民主主義を求める蜂起に、「希望であったソ連」の戦車が介入し、市民を虐殺します。この出来事は、世界に
大きな衝撃を与え、日本では「反スターリニズム」と日本共産党の批判勢力、いわゆる「新左翼」が生まれ、また、
ベルリンの壁が作られる遠因の一つになりました。
 ベルリンの壁が作られたのはこの蜂起の5年後1961年、その壁が崩壊したのは約30年後の1989年、東西ドイ
ツ統一はなんとその1年後でした。当時のベルリンの東西を分ける壁はまだなく、比較的自由にその往来がで
きました。このクラスの生徒の多くが、警備が緩やかになるクリスマス休暇で列車に乗って西ベルリンに脱出
しました。
 今、世界は大きく揺れています。「希望であったEU」、香港と中国、北朝鮮、そしてアメリカ合衆国などなど。
                                         【11月11日】

会津若松の旅、④、左下り観音など、2019.10月

2019年11月08日 | 国内旅行

今日の、そして今回の旅で一番素敵だった、左下(さくだり)観音
10月30日
7:55七日町駅発、あまや駅8:09着、上り電車は10:44、13:20、慌ただしいです。天気予報では晴れ、なのに途中から雨、
ほとんど一日中降ったり止んだり、折り畳み傘にしたので濡れました。七日町~西若松間はJR只見線、西若松~あ
まや間は私鉄の会津線、同じ車両なので乗り換えはありません。460円 あまや駅は田んぼの中にポツンとあり、
駅舎もなく無人駅です。
 

左下漢音は、あまや駅からおよそ6kmほど、遠いです。10:44に間に合うか気が気ではありませんでした。

気温12度の中、大股で大急ぎで歩き、汗をだいぶかきました。道があっているかも心配でした。滝壺稲荷神社が目
に入ったのは、1時間ほど過ぎでした。       滝壺稲荷神社裏の風景


  
                    しばらく行くと左下観音への案内板があり、一安心しましたが、
  
  
 
ここからの参道はかなり急こう配の山道なので間に合わないだろうなとあきらめ始めました。でも道は舗装され
てはいませんが、しっかりしていて落ち葉ではないので助かりました。左下観音堂が見えた時は、感動しました。
 
 

 
中に入ることができます。管理者はいません。古く傷んでいるので足を踏み外したら大けがです。中に入り、下に
降り、さらに進むと小さな洞窟があり、そこに首なし観音が。
   外から撮影

 
 
人々の信仰を感じました。ここからの眺望も素敵でした。



帰りは下りなので、急げば10:44に間に合うだろうと判断し、また大急ぎで歩き帰りました。少し余裕ができたの
で、道端の風景を撮る余裕もできました。
  
霧とちょっぴりの紅葉です。
 
 
10:44の電車に間に合いました。電車は、空いていました。一人の男子学生が乗りました。11時に七日町駅に着き、
11:09のバスで会津風雅堂(イベントホール)に向かいました。これまで回れなかったところを歩きました。うどん
屋があったので早目の昼食にしました。市内巡回バス    
  
建福寺・臨済宗妙心寺派               善龍寺・曹洞宗 山門
 
本堂
  
善龍寺・地蔵堂                   津島神社
 
恵倫寺・曹洞宗 山門 仁王
 
  
宝積寺                      小田山忠霊堂 昔陸軍基地があったところだそうです。
 
旧会津領主葦名家廟所
  
ここからは農道でした。クマに注意の看板が、それよりもこの道が正しいのかが心配でした。
 
ネパール博物館が併設されている料理屋、入りませんでした。   奴郎ケ前の地蔵群
 
子安地蔵尊                    熊野神社
 
 
天寧寺(曹洞宗) 参道
 
天寧寺・本堂 
 
近藤勇の墓はかなり奥の山の中、左:近藤勇墓、右:土方歳三慰霊碑 山道を行くと愛宕神社
  
愛宕神社参道は険しい急勾配でした。 
 
伊勢宮                       松栄時・真言宗
 
                         正法寺
 
正法寺・境内                    正教寺・浄土真宗
 
若松城天寧町門外堀土塁              浄光寺・浄土真宗本願寺派
 
今日の予定はここまでと、本堂前で疲れたのでおやつを食べながら、帰りのバスを調べていると、予定していた
御薬園バス停は七日町駅行きは通らないので、どうしようかと悩んでいると、「お困りですか?」と住職の奥様に
声を掛けられました。事情を話すと娘さんと住職も出てきて「商工会議所前が近い」と教えてくれました。「座頭
市のお墓があります」と奥様が案内してくれました。旅の終わりに人々の優しさに触れて、良い思い出になりま
した。私の好きな親鸞さんの縁でしょうか、良かったです。

今日の歩数計は、3万を越えました。20kmほどでしょうか。足の指先は痛くなりましたが腰は大丈夫でした。
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10月27日~31日の4日間会津若松を歩きました。会津地方は母の故郷で、子ども時代何度も訪れました。当時の上野
駅は、ヨーロッパのターミナル駅の様に、プラットホームがいくつの並んでいた様に記憶してい
ます。プラットホームへの入場は、発車時刻の直前で、一斉に電車に駆け出して席を確保するような凄まじい様相で
した。大変な混みようで私は網棚や床で寝たような思い出もあります。夜行で行くと郡山で朝となり磐越西線に入
るため長く止まり、ホームで洗面などをしました。SLの煤は凄まじいもので特にトンネルに入る時は窓を閉めなけ
ればなりませんでした。懐かしい思い出です。今では、郡山までは新幹線で1時間、会津若松にはそこから1時間ちょ
っとです。磐越西線は1時間に1本ほどですのでちょっと時間がかかりますが。
 1週間前にこの旅を計画した時は、ホテルが全く取れませんでした。今回も会津若松駅周辺では予約が取れず、七
日町の大阪屋だけが取れました。観光スポットは七日町周辺の方が多くまた1週間前は大雨でしたので結果オーラ
イでした。ホテルの予約後、ネットを検索すると会津33観音巡りがありました。いくつか魅力的な観音もあるのです
が、その多くがアクセスが良くないので2、3か所となりました。城下町なので寺は多いのですが、とりわけ大きな寺
社や神社も少なかったです。城下町の場合は、曹曹洞宗や臨済宗などの禅宗系が一般的に多いのですが、会津は特に
多い宗派は目立ちませんでした。これらは、明治維新・戊辰戦争の影響があるのでしょうか。私は、明治維新・戊辰戦
争については重要な事柄なのですが、難しく良くわかりません。勝者から書かれた歴史は一面的に美化され、官軍や
天皇制の作り上げた歴史を強く感じます。同時に、幕府軍にも親近感を覚えません。とりわけ美化されたいわゆる少
年兵や武士の家族の自刃には大きな抵抗を覚えます。
 今回の旅の特筆は、左下り観音(さくだり)です。アクセスが非常に悪いです。公的交通機関は皆無で、最寄りの鉄道
駅から6km、しかも電車は日に数本です。駅は無人駅ですからタクシーもありません。管理者はいません。拝観料もな
いです。山の中腹にある岩を切り開き構築した見事な三層閣で8.5m四方、高さは16m程だそうで、廻り縁があります。
足を滑らせて転落したら、ひょっとしてそのまま「死」かもしれません。見ごたえあるのにウエブでの検索情報も少な
く、その由縁などの紹介も見当たりませんでした。私は、この歴史的建物がこのままでは朽ち果ててしまうのを恐れ
ます。
 私は、地方に行くとつくづく思います。通学のアクセスは大変です。大都会の学生とのこの不平等、大学入試には地
方学生には絶対プラスアルファの付与が必要と思います。ローカル鉄道は学生でもっている面もあります。町も農村
も、歩いている人とほとんど会いません。道を尋ねようにもできません。その変わり自動車の往来は多いです。しかも
猛スピードです。会津地方は、ほんの少し紅葉が始まり、霧が多く、柿がたくさん実っていました。想像、期待していた
以上にこの旅を楽しむことが出来ました。                       【会津の旅終わり】


会津若松の旅、③、中田観音、鶴ヶ城など、2019.10月

2019年11月06日 | 国内旅行

中田観音
29日
午前中から雨というので、また予定を変更し、朝一番で中田観音に行くことにしました。
魅力的なところですが、やはりアクセスがすごく悪いのです。7:41七日町駅発会津川口行きの電車に乗り、
根岸駅に向かいました。次の電車は13:10です。電車は、高校生でいっぱいでした。通学にはこの電車1本しか
ないわけです。思い切って、隣に座った男子学生に聞くと、始業時間は9時ということでした。地方の学生は、
大変だなと思いました。根岸駅8:07着、上りの時間は8:35、次は10:08です。8:35に間に合うよう大急ぎでした。
そんなわけで、昨夜は10時就寝、6時起床、6:40からホテルのレストランで朝食を慌ただしく食べ、出発しまし
た。ホテルの貸し傘は小さいので、コンビニで大きな傘を買いました。
240円、無人駅なので車内で車掌から切符を買います。

只見線根岸駅
 
中田観音に向かう道で
  
弘安寺・中田観音堂 本堂は、冒頭の写真です。
山門
 
 
                         旧だきつき柱
 
弁天堂 
 
駅から、すぐでした。十分間に合い、良かったです。帰りの電車はガラガラでした。
白鳥だそうです。

10時過ぎに七日町駅に着き、巡回バスで鶴ヶ城に向かいました。今日のコースは、雨が降っても歩くことが少ないこと、
移動にはバスを利用するので、巡回バスの一日券・600円を求めました。一回210円ですので3回以上乗るとうんとお得
です。でも、この切符、バス内では買えないので不便です。
鶴ヶ城周辺
山鹿素行生誕地                  会津藩校日新館天文台跡
 
                       西出丸から入ると、綾瀬はるかさんのメッセージありました。
 
鐘撞堂                      武者走り
 
天守閣、天守閣入場料は茶室・麟閣ともで460円、天守閣内は撮影できません。
 
 
 
御三階跡(阿弥陀寺に移転)              御三階跡は阿弥陀寺本堂の左の建物
 
茶室・蒲鶴亭麟閣入り口
  
躙り口(にじりくち)                 蹲踞(つくばい)
 
 
                          馬洗石
 
表門(鉄門)                     桝形
 
シルクロード文明観                 桜ケ馬場跡(鶴ヶ城会館)
 
照姫稲荷
 
福島県立博物館(巡回バス一日券割引で220円)


 


12時半ころ博物館を出るとかなりの雨が降っていました。博物館の入り口で、バスを待つ間お昼を食べました。
バスで、会津武家屋敷へ。家老(西郷頼母=戊辰戦争で一家自刃)屋敷跡、割引で750円、屋敷内に入ることはできず、
羊頭狗肉の感です。
 
トイレ
  
雨戸を90度回転させるために金具           風呂
 
水車で脱穀するところ
 
 
ここから覗くと城が見えます。
 
射的コーナー                    弓の試技場
 
 
会津天満宮
 
室井東志生の宗教画を展示する心の美術館
 
バスで大龍寺へ
大龍寺・臨済宗
 
 
長命不動堂 
 
山本(新島襄の妻の実家)家の墓
 
小笠原長時(馬術・礼儀・弓)の祖の墓
 
 
バスで白虎隊記念館(320円)
 
この付近で、こんな表札が目に入りました。      白虎隊伝承史学館
 
バスで七日町・白木屋資料館前に戻り、ホテルで少し休憩し、周辺を少し散策しました。
鍵型交差点(敵の進出をさせにくくする城下町特有の交差点) ホテルの部屋から 
 
イエス・キリスト末日聖徒教会            八角神社
 
若松城甲賀町口部門跡               会津若松市役所
 
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写真が多くなりすぎました。移動した距離は、長いですが、雨なのでバスで移動しました。
中田観音は見ごたえがありました。早朝でもあり、参拝者は私一人でした。
鶴ヶ城の石垣などは見事でした。天守閣内は残念ですが撮影できません。
福島県立博物館は、その建物の巨大さに驚かされました。展示も豊富でした。特記すべきは、前方後円墳などの文明が
栄えていたことです。私は、知りませんでした。おそらく阿賀野川の河川なども使って各地との交流も盛んだったの
でしょう。青森の三内丸山遺跡をはじめ平泉などの東北や蝦夷地は豊かな古代文明を作り上げていたことは間違い
ないと思います。
私は、戊辰戦争時の少年兵や武士家族の自刃については、共感を覚えません。明治維新、戊辰戦争については勝者か
らだけの歴史記述と天皇制の作り事の蔓延にはそれ以上の違和感お感じます。興味深い歴史ではありますが、私に
はちょっと難しすぎて手に負えません。
会津武家屋敷は、屋敷内に入れないので、欲求不満が残ります。冬の寒さをどう過ごしていたのでしょう。
雨の予報でしたが、午前中は晴れでした。冒頭にも書きましたが、地方の学生のハンディキャップは想像を絶します。
大学入試に際して、地方学生には若干のプラスポイントが絶対必要です。       【10月29日3日目終わり】                     

チャランケ祭り

2019年11月04日 | ウォーキング
11月3、4日、中野区役所前広場で『チャランケ祭り・2019』が行われました。

アイヌと沖縄人の出会いから始まった祭りで、1994年から続いているそうです。今年から、
新たに在日ニュージーランド人のパフォーマンスグループの『Nga Hau E Wha - Japan』(4つの風)が新たに加わ
ったそうです。私は所用があったので、4日のナハゥエフグループの『マオリの歌と踊り』だけを見学しました。
 
















アイヌの人々の踊りと歌
 
 
 

会津若松の旅、②、飯盛山など、2019.10月

2019年11月02日 | 国内旅行

さざえ堂
10月28日 明日の天気予報、雨というので予定を変更しました。
9:04白木屋資料館前市内巡回バスで飯盛山へ

飯盛山スロープコンベア250円、かなりの急勾配でした。 
 
白虎隊記念館(今日は入りませんでした。)       白虎隊19士墓
 
慰霊広場 白虎隊自刃の地
 
飯盛山から市内

供養車
 
 
さざえ堂を望む、旧正宗寺三匠堂、上りと下りが別々になっています。 正面  400円
 
 
                         少女が、広場で剣舞を踊っていました。
   
トイレです。
   
厳島神社                     戸ノ口堰洞穴
 
                         白虎隊伝承史学館(入らず)
 
旧滝沢本陣
 
大熊中、東北大震災で避難中
 
妙国寺・日蓮宗                  
  
妙国寺・白虎隊士仮埋葬地              
  

八幡宮                      八幡宮拝殿
 
観世音堂観                    世音堂内部
 
西光寺                      菅原神社
 
聖観音堂
 
 
                         密蔵院
 
達磨大師堂                    聖観音堂
 
国生寺                  農道に寝転ぶ猫を眺める女性
 
神指城跡
 
神指城跡の桜と大ケヤキ              福昌寺・曹洞宗
 
高瀬観音堂
    
福寿稲荷                     正法寺
 
昭明寺                      文殊堂
  
田んぼの中に
 
如来堂                      八幡神社
   
この後道がわからず迷い、やっとのことで七日町駅が見え一安心しました。ホテルに一度戻り少し休憩して、近くの
野口英世青春通りを歩きました。

なつかし館
 
司梁田家屋敷跡
 
野口英世旧会陽医院跡 1fは店 2f          福西本店(うるし)
 
青春広場                     志を得ざれば再び此地に戻らず
 
モンゴル物産館(青春広場内)
 
日本キリスト教団若松栄町教会           神明神社、左は神楽殿
 
興徳寺・臨済宗                   蒲生氏郷墓
  
面白い看板
 
さざえ堂はユニークです。上りと下りが別々です。同じようなものが全国にもいくつかあるようです。
神指城跡は素敵でした。城址跡の名残はほとんどありませんが、田んぼの中にぽつんと立っています。ケヤキの大
木は見事です。あたりに人影は皆無で、ゆっくり昼食をいただきました。このあたりの地図がよくわからず、何人か
に聞いたのですが知らない人も多く苦労しました。この後、如来堂以降は、もっともっと大変で、道に迷って大苦労
でした。疲れ切って、七日町駅が見えた時は、すでに黄昏時で、本当に安堵しました。
神明通りの興徳寺前あたりにスーパーがあり、そこで夕飯を買いました。      【10月28日、二日目終わり】

会津若松の旅、①、2019.10月

2019年11月01日 | 国内旅行
10月27日から31日の4日間、会津若松を歩きました。少し寒かったです。

左下(さくだり)観音 今回の旅で一番素敵なところでした。

出発の1週間前、ホテルの予約を試みましたがどこも満室でした。1週間延ばしましたが、会津若松駅周辺は予約が取れず、
七日(なぬか)町の大阪屋だけが取れました。結果、1週間だったら大雨でしたし、七日町の方がいわば「歴史地区」で観光
スポットも多く、ホテルからバス停も近く、結果的には良かったです。
9:22大宮発 郡山10:13着 10:44磐梯西線郡山発 11:50会津若松着 只見線12:04七日町12:06着
磐梯西線は1時間に1本でアクセスが良くないです。車内は満席で、私の隣は、外国人の女性でした。思い切って話しかけ
ました。オーストラリア人たちのグループで21日間の日本旅でした。北海道、東北、東京、京都、広島などを訪れるそうで
す。オールインワンのツアーではなくスイカなどを使った旅だそうです。ホテルに荷物を預け、早速散策に出かけました。



白木屋(漆器の商店)資料館              清水屋旅館跡
 
信遠寺・本門仏立宗                 見性寺・浄土真宗大谷派
 
西蓮寺・真宗大谷派                 興性寺・真宗大谷派
 
正蓮寺・真宗大谷派                 大運寺・浄土宗
 
 
長命寺・真宗大谷派
 
                         極楽寺・浄土宗
   
諏訪神社                     七日(なぬか)町駅
 
阿弥陀寺・浄土宗 左;御三階(外観は3階、内部は4階)
 
阿弥陀寺・大仏台座                 新選組記念館(骨董屋)
 
 
野球工房・昔呉服屋で今はスポーツ用品店       常光寺・天台宗
  
定光寺・めぐりあい観音               金剛寺
 
光明寺                      威徳院・真言宗
 
観音寺・真言宗                   弥勒寺・真言宗
 
時宗・東明寺、西軍墓誌のみ             融通寺・浄土宗
 
会津町方伝承館                  実成寺・日蓮正宗
 
桂松院・真言宗                   日本イエスキリスト教団待望教会
 
会津若松駅前
 
蚕養国神社                    法華寺・日蓮宗
 
蓮華寺・浄土宗                   妙法寺・顕本法華宗
 
久遠寺・日蓮宗                   自在院・真言宗
  
自在院・庚申塔                   実相寺 高巌寺・浄土宗
 
但心寺・真宗大谷派                 高巌寺・浄土宗
 
満腹寺・真宗大谷派                 本光寺・真宗本願寺派                
  
福證寺・真宗本願寺派                清林寺・浄土宗
 
紫雲寺・曹洞宗                   専福寺・真宗本願寺派
 
日本キリスト教団会津若松教会           放射能測定器
  
真龍寺・真宗本願寺派                本覚寺
 
少し欲張りすぎて5時を過ぎ、つるべ落とし、でした。用意した地図が不十分で、方向がホテル方向がよくわからず
苦労しましたが、ホテルを発見して、ほっとしました。コンビニで弁当を買い、後はゆっくり入浴、洗濯、旅のメモな
どを作成し、ラグビーワールドカップ、ウェールズ対南アフリカ戦を見ながら食事をし、10時過ぎには床に就きま
した。初日としては、まずまずの出だしでした。                 【10月27日一日目終わり】