2009年の元日、米サンフランシスコのフルートベール駅で22歳の黒人青年・オスカーが警官に銃で撃たれ死亡しました。
オスカーは「薬の売人」で前科者ですが、母親の誕生日でもある大晦日を機に足を洗うことを誓います。
誕生パーティを終えて仲間と新年のカウントダウンが行われる花火会場に電車で向かいます。
車内で、刑務所で見かけた白人男性にイチャモンを付けられ殴り合いになります。
駆けつけた警官たちは、白人は放置し、黒人たちだけを拘束し、抗議するオスカーを背中から射殺します。
映画は、大晦日から元日までの彼の24時間を淡々と描きます。
取り立てての大事件はありませんが、彼が麻薬の売人を止める下りは印象的でした。
冒頭の港のシーンです。
彼が殺された後の社会の反応などを描かなかったのは良かったです。
彼の24時間の生活の描き方ももう少し工夫があれば良かったと思います。
この映画の事件の約10年後の2014年10月8日、米ミズーリ州セントルイスの路上で、
18歳の少年が警察官により射殺されました。
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原題は、奴隷の12年間、でしょうか。
この映画には、二人の印象的な名前が登場します。
一人は、監督・制作のスティーヴ・マックィーン、「大脱走」のスティーヴ・マックィーンではありません。
ロンドン生まれのマルチアーチストです。
もう一人は、彼と共に制作に携わった、ブラッド・ピットです。
アメリカの奴隷制が公的に廃止されたのは、1865年です。
つまりわずか150年ほど前までアメリカには全くの非人道的奴隷制度が存在していたのです。
日本の幕末の時代ですから驚きです。
17世紀後半からおよそ200年の間にアフリカからおよそ1,200万人のアフリカ黒人がアメリカ大陸に連行され、
このうち、5.4%(645,000人)が現在のアメリカ合衆国に連れて行かれたと言われています。
1860年にはアメリカの奴隷人口は400万人に達していたと言われます。
黒人やネイティブの人々の富の略奪無しに、アメリカの今日の繁栄はあり得ません。
しかし、アメリカ社会も歴代の政府も彼らへの感謝や、彼らへの根本的謝罪と賠償をしたとは私は聞いていません。
それどころか今日でさえ、彼らへの偏見や差別はなくなっていません。
アメリカは、今日自分たちは一番民主的で人権的で自由だと言っていますが、断じてそんなことはありません。
中国への人権批判や「イスラム国」への批判をする資格など彼らにはありません。
さて、映画の主人公・ソロモンは、バイオリン奏者です。
黒人ですが奴隷ではなく、「自由証明書で認められた自由黒人」でした。
演奏会の帰り、彼は突然、白人に拉致され、奴隷商人に売り渡され、奴隷とされてしまいます。
彼は生き残るために生きます。
彼は、農場主の農園で小屋を建てる大工とたまたま一緒になります。
この大工は、奴隷制を疑問に思う活動家で、ソロモンのために一肌脱ぎます。
ソロモンが自由国人であることが証明され、彼は12年間の奴隷から解放されます。
大工を演じるブラッド・ピットは、この映画の共同プロデュースをし、「社会派」をアピールしています。
映画としての出来はもう一つと言うところです。
ところで、奴隷はどれくらいの値段で取引されていたのでしょうか。
映画では1000ドル云々でした。
当時の庶民の年収は200~400ドル程度とも言われますので決して安くはない価格と思われます。
そんな高価な生産手段を、奴隷主は、生殺与奪出来るからと言って決してむげに殺しはしなかったはずです。
映画では、演出上からか黒人を過激に過酷に扱って居るように感じましたが…。
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いずれにしても、今日の二本の映画は、アメリカの「黒人差別」問題を描いています。
『フルートベール駅で』は、背筋が凍るような恐怖を覚えました。
『それでも夜は明ける』は、決して大昔の歴史ではなく、ほとんど近代の出来事です。
アメリカは、自由の国などと称していますが、彼らの歴史は黒人・ネイティブ・第三世界諸国の人々への暴力・
収奪・抑圧と言っても過言ではありません。 【10月20日鑑賞】