風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ニュージーランドの旅。総集編・再びオークランドへ

2018年01月05日 | 2017ニュージーランド旅行

オークランド港・ドックライン・トラム
12月21日 
昨夜から雨で、今朝も寒く夜中に目が覚め、ヒーターを付けました。
前日私が早朝ホテルを発つと電話で告げていたので、ホテルのレセプションに、女性のスタッフが早朝出勤
してくれていました。無事、会計ができました。空港へのシャトルバスのピックアップ場所はホテル前、
7:10、ダニーデン空港へのシャトルバスが迎えに来ました。値段は忘れましたが20$ほどだったと思います。
国内線ですから出発の30分前にチェックインすれば良いのに、10時発のフライトに7:10の迎えです。
疑問が解けました。ダニーデンは大都市ではありません、シャトルバスを利用する人が少ないのです。
私の前に二人乗っていて、私が最後、三人の乗客でした。初老の女性運転手でした。
結構な距離でした。でも8時15分頃着いてしまいました。
ダニーデン空港                   空港内に寿司屋がありました。ドンブリ物でしたが。
  
10時発ですから、たっぷり時間があり、退屈でした。チェックインは、日本語で機械でできます。
年寄りの私がオタオタしていると職員が来て、さっさと手伝ってくれ、あっという間に終わりました。
手荷物検査は、一応しますが、実に簡単で、飲み物もオーケーです。
オークランド空港から市内へはスカイバスが便利です。18$でした。
事情は分かりませんが、途中で別のシャトルバスに乗り換え、えらく時間がかかりました。
ホテルは、前と同じ、スカイタワーの真ん前のスカイタワーチャーマーアパートメンとですが、これらのホテルを
斡旋する「マイホテル」の事務所が、移転していてわかりません。
更に、鍵の受け取りは、この事務所ではなく、別の場所の貸しロッカーの中にあります。
この貸しロッカーの場所も、良くわかりません。
ロッカーのあるWellsley St.Westは決して小さい通りではないのですが、みな親切に教えてくれるものの、
皆、正しくないのです。単純に、何々ストリートのペケぺケですから、わかってしまえば実に簡単です。
住所は、通りの名前の後に家の番号です。ビルの名前ではないのです。
坂の多い通りを重いスーツケースを押しながら1時間ほどうろうろして、コンビニの店主に聞くと、
彼はにっことして、知ってると言ってスーツケースを運んでくれ、「ここ」つまり隣でした。
やっとのことでカギを手に入れ、部屋に入りました。このホテルでは、鍵の入手は、事務所やレセプションを
介さない仕組みです。前回は、事務所で鍵を受け取ったので、貸しロッカーを使わなかったのです。
寒いダニーデンから暖かいオークランドに来て汗をかき、その上場所がわからず冷や汗もかき、どっと疲れた、
お腹も空いたので、近くの中華のレストランで中国の熱い海鮮ヌードルを食べました。
このホテルは、洗濯機と乾燥機があるのでセットして、スーパーに買い出しに行き、帰ってきて、ネットを申し込み、
あれこれ検索しました。(ここは有料、ネットで提供会社に申し込む必要があります。)
オークランドに1泊するのは、乗り継ぎだけが目的です。そのまま、その日の深夜の便で帰国することも可能と
思ったのは、NZに来てからで、日本ではそのことは全く思いも付きませんでした。
しかし、結果的には、やはり一日のんびり出来て良かったと思いました。
そのおかげで、在日NZ人のポールと会うことが出来るかもしれない機会もできました。
彼は、前日日本を発ち、午後にオークランドに着く予定です。
明日のチェックアウトは10:30ですから、その後、荷物を預かってもらうためにオフィス事務所を地図検索し、
探しに行きました。今度は比較的簡単にわかりました。ポールと会う時間と場所をメールで打ち合わせしてる内に、
夕方になってしまいました。もう一度スーパーに行ってお土産を買いました。
こうして、不可思議な一日が終わりました。 でも、街は眠りません。

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12月22日、ニュージーランド最終日
荷物をホテルのオフィスに預け、時々小雨が舞う港を散歩しました。
ヴァイアダクト・ハーバー 海の民NZ人は、多くの人がマリンスポーツを楽しみ、ヨットを持っているとか。
 
 
ウィンヤード・クローシング ヨットが通る時橋が跳ね上がる可動橋
  
                         コンテナは自由に置けるのでしょうか、またその値段は?
  
ウィンヤード・クオーター 雨模様でまだ朝なので客はほとんどいません。 
 
その後ろのビル、ユニークで遠くから目立つ壁です。
 
PALMAN                     War Memoriale Baccon 戦争を記念して作られた街灯
 
ニュージーランド海洋博物館(入りませんでした。)
 
船の形をしたプリンセス桟橋            クイーンズ桟橋
  
昔のブリトマート駅舎
 
コインランドリーは初めて見ました。
 

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港から、オークランド大学に向かったのですが、道に迷いここに迷い込んでしまいました。
エメリー・プレイス保護区というところのようです。マオリの聖地の一つのようです。
 
 
オークランド大学時計台  オークランド大学も広大です。どこまでがキャンパスか市街地かわかりません。
 
アルベルト公園で昼食をとり、休憩しているとキリスト教の勧誘を受け、困りました。
私は、ブッティストだと言うのに、折伏を試み、唯一の創造者神を認めろというのですから。
 

ニュージーランドに帰省中の在日ニュージーランド人のポールとは会えませんでした。二人は、200mほどまで
近づいていたのに、私はもう少し時間が遅いと思って、携帯のメールに気付くのが遅れたからです。
スカイタワーのインターシティのバス停で実に印象的出来事を体験しました。
一人の、中近東系の青年が血相を変えて、待合室に飛び込んできました。真っ先に私に助けを求めてきました。
しかし、私の語学力では、とうてい対処出来ないので断りました。いろんな人に助けを求めましたが、皆断りました。
一人だけ、彼の要請に応えました。どうもトラブルがあって、英語で電話を頼む、と言うことのようでした。
私の目の前で行われたのですが、私にはその話の内容は全くわかりませんでした。
2台の携帯電話を使って、ああだこうだ、でした。話がついたのは30分もたってからでしょうか。
その男性は、買い物に行っていた中学生くらいの息子を迎えに来ていたようでした。
別れ際、私と目が合うと、彼は「やれやれ」と言う顔でにっこりしてくれました。
ニュージーランド人の優しさを象徴する出来事に私には思えました。
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空港へのスカイバスはなかなか来ませんでした。その上、シャトルバスで出発点に運び、そこから正規のバスに
乗り換えます。バスは満員で、しかも道路はかなり渋滞していました。時間がない人は定めし焦ったことでしょう。
オークランド国際空港のチェックインも自動で、簡単で日本語で出来ます。
しかし、その後の出国手続きの窓口は二つだけ、ものすごい長蛇の列でした。
一方、ニュージーランドのパスポートを持っている人は、機械化されている窓口が10個位あり、
すごく早く簡単、スピーディです。指紋認証ではなく顔写真の認証だけでした。
7時45分頃には終わりました。搭乗時刻は10時20分ですからまだ2時間もあります。
余ったニュージーランドドルを日本円に両替すると、17000円、11NZ$が余りました。
11NZ$で小腹を満たすには、日本のきつねうどんがぴったりでした。
NZ航空では、1000円で非常口席が指定できます。座席が少し広いこと、トイレが近いので
この席を希望しました。出発はだいぶ遅れました。
現地時間深夜12時、日本時間では夜8時なので体内時計的にはとても良い時間です。
9時半ころ夕食が出ました。私はきつねうどんを食べたので、ウイスキーと赤ワインを寝酒程度にもらって、
11時頃寝ました。熟睡はできませんでしたが、かなり寝ることができました。
機内が少し寒かったのでブランケットをもう一枚要求したのですが、ありませんでした。
明け方、4時半頃電灯がつき、朝食となりました。私は少しだけ食べました。
こうして1ヶ月にわたる私のニュージーランドの旅は終わりました。
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さて、今回の旅の費用です。
今回私は、1100NZ$(96400円)ほどの現金を用意しました。使ったのは、約8万円と言うことです。
NZでは、ほとんどのところでカードが使えます。現金が必要なのは、バスだけくらいかもしれません。
私は、前半ちょっと過ぎまではほとんどカードを使い、途中から現金を使いました。
今回の旅行費用を大雑把でも計算しようと思ったのですが、バス代の資料が残っていません。
私は、今回10回ほど長距離バスを利用しました。
また、カード支払いの明細もまだ届いていませんので、現時点で計算するのは困難です。
見積もり段階では、ホテル代は約33万円、飛行機代は、日本~NZ間が96400+スカイコーチ代8万円、
+NZ国内便が約37000円計約21万円、現地ツアー代が約52000円、保険が約1万円というところです。
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今回の旅に出る前は、持病の痛風も座骨神経痛などを案じていましたが、異常はありませんでした。
15kmほど歩いても筋肉痛・腰痛等もありませんでしたので、少し安堵しました。
長期の外国個人オリジナル旅行は、これが最後になるかもしれないと思っていたのですが、この分では
今しばらくは、無理をしなければ大丈夫ではないかというのが、一番の収穫でした。
次に、私が今回の旅で一番強く感じたのは、ニュージーランド人の優しさでした。
それは日本人の「おもてなし」とは違うもっと心からでる優しさと感じました。
日本の「おもてなし」は、いかにもマニュアルティックで、外形的で商売的な感じを私は感じます。
それに比べ、NZ人の優しさは心からの親切心と感じました。
おそらくそれは、日本とZNの時の流れの違いのように思うのです。
日本の場合は、時間通りきちっとしなければの度合いが強す過ぎるので、余裕がないのです。
おそらくそれは、日本社会では、効率が何よりも優先されているからではないでしょううか。
NZの場合は、例えば、バスの本数は一日1本とか2本と、少ないです。
待機している時間にも余裕があり、バスから降りて観光客に教える余裕が十分あります。
高齢者が重い荷物を持ってバスに乗ろうとすると、ドライバーは席を立って荷物を運ぶのです。
乗客は、降りる時ドライバーに「ありがとう」とほとんどの人が声をかけます。
スーパーのレジも、NZでは、何十人もが文句を言わずに行列を作って待っています。
日本では3人でも並べば「遅い」と怒るのですから、それは信じられない感動的光景でした。
スーパーで、量り売りでトマト1個、ハム100gから、買えるのです。
レジで、私の会計処理がもたついても、キャッシャーも次の客も平然としています。
私も、数々のNZ人にたくさん助けられました。一番は、私がホテルの部屋のカギを忘れたとき、
全く無関係の人がホテルに連絡の電話をかけてくれたことです。
私のバスのチケットがキャンセルされていて、私がバスに乗り遅れた時、私が助けを求めた別のバスの
運転手は、そのバスの運転手に電話し、次のトイレ休憩の所で私が乗れるように手配してくれました。
「英語は上手くありません」と言うとニコっとして、聞き取れるようにゆっくり話してくれます。
しかし、以上のことは、実は現象的であって、本質的根本的には違うところにその訳がありそうです。
マオリ文化は、ハカが有名ですが、それに劣らず彫刻が素晴らしいです。
マオリの人々の、自分たちの歴史、アイデンティティのこの上ない大切な思い、からと私は思います。
イギリス帝国主義はそれらの略奪を試みたと思います。しかし、マオリの人々はそれを許さなかった。
また、他民族とその歴史・文化に尊敬を持たないアメリカ人が来なかったことも幸いでした。
マオリの人々は、マオリ戦争と言われるイギリス王国の侵略と略奪に果敢に抵抗、戦いました。
1840年のワイタンギ条約の評価は分かれるところですが、この条約によって、両者は一先ずの和平を
見ますが、二枚舌のイギリスは、英語の条文を自分たちに都合よく解釈、利用して彼らの権利を軽んじ、
蹂躙しました。また、マオリの人々を取り巻く環境は決して良いものではありませんでした。
言語、就職、土地所有、都市と農村などを巡りマオリの人々は、粘り強い戦いを行ってきました。
私は、旅に出るに当たり、
【ニュージーランドは、世界で初めて女性参政権(1893年)を認めました。
先住民で少数民族(15%)のマオリ語を公用語にしています。
また、同様に手話も公用語です(ちなみに韓国もそうです)。
以上三点でだけでもニュージーランドは世界の尊敬を受けるに値する国と私は思います。】
と、書きました。人口比15%ながら、マオリの人々はマオリ語の公用語を勝ち取りました。
私は、マオリの人々のこうしたアイデンティティの希求と創造、イギリスとの抵抗、戦いの歴史こそが、
ニュージーランド社会の優しさ、少数者や弱者と言われる人々の権利の擁護に結実したのだと確信します。
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ニュージーランドも車社会です。
駐車場は、たくさんあります。路上では、メーターがあって有料のところが多いです。
また、家の前などは、おそらく駐車許可証が発行されて、路上駐車が多いです。
大都市では、信号がほとんどの交差点にあり、時間が短いので、車はスピードを出せません。
信号が黄色に変わると、急ブレーキをかけてでも止まります。
人々は、赤信号でも車が来ないと半数が無視して渡ります。
横断歩道はめったにありませんが、道に迷ってうろうろしているのに、止まります。
ちょっと危険なのは、左折車です。信号に関係なく、左折できるからです。
しかし、郊外では信号はなく、一般道でも、50km、80km、なんと100kmのところもあります。
高速道路もありますが、無料なので料金所はなく、渋滞は皆無です。
自転車は、少数派です。でも、変速ギヤ数が多くすごいスピードで疾走する自転車もいます。
スケボーは、子どもも大人も乗っています。傑作はモーターつきのスケボー、それで坂を上るのです。
ヘルメットは皆かぶっています。私が、歩いていて自転車のライダーをいいなぁと見ていると、
にっこりする人が多いです。おそらく、自転車も歩行もエコなんだという意識ではないでしょうか。
ただ、自転車専用道路は、日本から比べればはるかに多いですが、ヨーロッパと比べるとはるかに少ないです。
バスは、公共交通機関の主役です。鉄道を作っても、乗客数が少ないので採算は取れないでしょうから。
バスの中の改札はなく、乗車する時運転手に名前を告げると、運転手がスマホで名前を確認します。
荷物がないからとこのチェックインをしないで乗ると怒られます。
荷物を終点の方から順に乗せるので、並んでいても関係ありません。
運転手は、おおむね年配者が多いです。旅行者の荷物は多く重いのでその積み卸しは重労働です。
もう完全にリタイアしていると思える女性が「新人研修」の見習いをしていました。
長時間のバス移動もトイレ休憩、ランチ休憩、写真スポットなどかなり頻繁に止まるので心配はありません。
バスの中で飲食は出来ません。
大都市市内は、複雑に路線が走っていて、旅行者には難しいです。
混みあっているバスを私は経験しませんでした。日本の鉄道やバスの満員さを見たら目を回すのではないでしょうか。
バス料金で面白かったのは、カードと現金では料金が違うことでした。
また、カードなのに、乗車する時一々行き先を告げて、レシート=チケットをもらうのです。
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ホテルはロケーションが良いところを選んだので少し高かったが、電子レンジ、冷蔵庫、食器類
があったのがとても良かったです。スーパーで総菜や少し食材を買えば良いからです。
歯ブラシ、ひげそりはありません。
大きいホテル以外は、レセプションは常時開いていません。何かトラブルがあった時は不便でしょう。
ウォシュレットがないのが一番不便でした。シャワーで洗うのは面倒で不便でした。
公衆トイレは、かなりありました。大きなバスターミナルにも無料のトイレがありました。
また、大型スーパーも便利でした。ミニコンビニは使いませんでした。
さて、旅の時PCはいつも持って行きますが、今回はスマホかタブレットが欲しいと思いました。
日本でも持っていないので、外国でだけ持っても上手くは使えないと思いますが、地図検索、
翻訳、バスなどの時刻表検索は便利で必要と思いました。
テレビは、時間も無く面白くないので見ませんでした。NHKの海外放送はありませんでした。
日本食ブームは、かなり広がっていました。寿司屋、日本食堂はどの街にもかなりありました。
外国人も箸を使うのを楽しんでいるようでした。
私は、海外で寿司やラーメンを食べたいとは思いませんが、値段は決して高くはありませんでした。
最後に、今年は、日本の地方を少し歩き、お寺を巡りたいと思っています。  【ニュージーランドの旅終わり】


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