風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

大宮~北浦和を歩く

2011年04月27日 | ウォーキング
4月25日、大宮~北浦和を歩いた。
北浦和で英語教室の仲間との昼食会があるのでそれまでの時間歩いた。
大宮駅にある両替屋で5月連休後に行くスペイン旅行のために、ユーロに両替し、北浦和駅まで歩いた。
[ここは、以前にも歩いたことがあるのだが]


安楽寺                                 庚申神社[安楽寺の隣]
 

長伝寺
  
聖観音堂 
  

正圓寺
 

円乗院
二天門
  
山門
  
山門後ろ側                           多宝塔                納骨堂
    
本堂                                  大黒天
  
                      誰かのお墓           途中に、庚申堂
      

円福寺
  
本堂
  
釈迦堂                                 釈迦如来坐像   おそうじ小僧
  

さいたま市障害者総合支援センター               さいたま市保健所
 

妙行寺
 
板碑塔婆                             途中に
      

弘法尊院[二度栗山弁天](お寺はない)
   

北浦和駅が間近になってきた所で、冷たい風が吹き降り、西の空が黒灰色になってきた。
もう少し近くのお寺に寄る計画だったが、目の前のバス停にバスが止まったので、
手を挙げて合図を送って走ると運転手は待っていてくれた。駆け寄って乗った。
すぐ、駅に着き、しばらくしたら雷が鳴り大粒の雨が降り、寒くなった。
二木屋という昼食会会場までタクシーに分乗して行った。しばらくして、雨は上がった。
私は、グラスワインを二杯戴いただけだったが、ちょっと歩き空腹だったせいか良い気分であった。
店内に五月人形と雛人形が飾られていた。
 
この武者人形は高さ30cmほどである。               常磐小学校の塀にこんな物が。
         

日射しはかなり強いのだが、時折冷たい風が吹いていた。
暑くもなしでちょうど良い気候であった。
訪れたお寺の数は少ないのだが、いずれも小さくはないお寺で、多くの無縁仏や地蔵や庚申塔などを供養し、
境内も手入れが行き届いていた。
円福寺本堂、釈迦堂はいずれもガラス越しの仏像だったがきれいだった。
円乗院は、地震の影響か立ち入り禁止のテープが多く貼られていた。

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さて、どうでもよいことなのだが、外貨両替について
2月22日にアルハンブラ宮殿のチケットを申し込んだ時は、1ユーロ=115.65円、
4月12日にアンドラ行きのバスを申し込んだ時は、1ユーロ=124.37円でした。
ユーロは、これまでギリシャ・トルコ・ポルトガルなどの経済危機でその値を下げてきたのだが、
日本の原発事故問題で、円とユーロの立場は一挙に逆転したようだ。
日本での外貨両替は、銀行・郵便局・カレンシーショップ・空港の銀行など色々な所で出来るのだが、
一番便利でレートの良いのは空港の銀行のようなのだが、私にはそれはちょっと慌ただしい。
三井住友銀行の場合、8万円以上の両替をすると無料で宅配してくれ、便利なのだが、
私はイタリアを旅行した時のユーロがかなり残っている上に、
ちょっと高額の支払いの時はカードの方が便利で、多くを現金化する必要はないので、
今回の両替の金額は、8万円までには行かない。
三井住友銀行では、小額紙幣を多めになどのオプションも少しはできるのだが、やはりパックなので自由な注文は出来ない。
埼玉りそな銀行は、200ユーロのパックだけで、どこかの支店窓口だけでの扱い、
郵便局は地元の郵便局で受け取ることの出来る便利さはあるが、事前の申込が必要、だが5ユーロ紙幣は扱われていない。
外国では、小さなお店では、50ユーロ、100ユーロ紙幣は断られることもあるし、おつりの確認が大変だし等の理由で、
私は5ユーロ紙幣を多くしたいので、三菱東京UFJ銀行系のワールドカレンシーショップの窓口で行うことにした。
レートは123.62円であった。このレートが高いのか低いのかはわからない。
100万円も両替するならレートは重要だが、そうでなければレートはほとんど無視して良いと私は思う。
私は、海外でホテルや両替店で両替したこともある。
ホテルは、レートが幾分高いようだが、一番安心できる。
アジアでは、両替商はインド人が多かったように思う。
シンガポールのお土産店では、円・ドル・シンガポールドル・元の混用使用ができ、店員が暗算していたのには驚いた。 

足利市を歩く/パート2

2011年04月25日 | ウォーキング
足利市の再訪は、23日の土曜に計画していたのだがこの日は雨の気予報なので、前日の22日に訪れることにした。
薄曇りで、時々ひんやりする風が吹き、とても気持ちよかった。

ウイークデーと土曜では、宇都宮線のダイヤがちょっと異なっていて新宿湘南ラインの電車がなく、10分早い電車だったが、
東武伊勢崎線は同じダイヤなので、足利市に着いたのは、11時8分と同じだった。
ちょうど良い北方向の足利生活路線バスがないので、今回はタクシー(800円)を使って、まず法楽寺に向かった。
そこからJR足利駅まで南下し、続いて13時発の西方向のバスで乗念寺のある"通7"バス停まで行き、
そこから東武線の足利市駅まで歩こうという計画だ。

法楽寺[曹洞宗]
   

徳正寺[浄土宗]
 
 

カトリック足利教会


高福寺
  
                            権五郎大権現              ここの一帯で
   

鑁阿寺(ばんなじ=バンナはサンスクリット語の音で特別の意味はなく、大日如ということらしい)

山門・太鼓橋
 
     
本堂
 
多宝塔と大銀杏                                             不動堂
  
経堂                              御霊屋                                大酉堂
  
大黒堂(校倉)              蛭子堂                                        稲荷堂
   
本坊                                  東門                         西門
  
日本庭園
  
北山杉
  

かつての映画館                           利性院
 

八雲神社                               松村家住宅(松村記念館)
  

ここからJR足利駅まで歩いた。バスに乗ってから気づいたのだが、"バンナ寺西門"のバス停があった。
地図やバスの時刻表を詳しく調べれば、それはわかったかもしれないが、そんなに上手くは行かないものだ。
バスは、一度東武・足利駅まで行きあちこち巡り、バンナ寺まで戻って来るのに15分ほどかかった。
こうした遠回りは楽しくもある。

福厳寺
    
                                 道を間違えた途中に
 

常念寺[一遍上人の時宗]                     一遍上人像
  
脇の小山の上に観音堂か        そこからの足利の町並み
 

三宝院[浄土宗]
    

足利ハリストス正教会[東方正教会]


長林寺
  
福禄寿                                 銅製大日如来坐像       田崎(幕末の勤王派絵師)の墓
    

物外軒[茶室・非公開であった]  
 
柳田家住宅                              厳島神社[弁財天]          高徳寺は鐘楼のみ残し再建の工事中であった
  

八雲神社                           本殿
 

織姫神社("縁結び"の神社と言われている。かなり小高い丘の上にある)
 
足利市は八木節のルーツといわれ、その碑が                             織姫神社から見る足利市街地
   

時間的にも体力的にも余裕があったので、足利市の南側にも行ってみることにした
こちらは、北側とはかなり景色というか街並みが異なっていたように感じた。
東武線とかなり小高く広い丘に沿って道が緩やかにカーブを描き、街並みは繁華街ではなく、住宅街のような感じだった。

渡良瀬川                                門田稲荷神社
 

八幡神社[門田稲荷神社に隣接]               本殿には、武士の彫刻が三面にあった。
  

禅定院
  

八幡山古墳群
東武伊勢崎線足利市駅南側すぐに浅間台神社のある小高い丘があり、その更に南方に八幡山古墳群がある。
 
 

吐月庵医王寺
  

常行寺                                 足利市駅前に東武鉄道が作った像が
 

駅に着いたのは16時ちょっと前、16時ちょうどの久喜行き電車に飛び乗って、帰宅した。
帰りの電車の中は、高校生でいっぱいになった。
足利市には生活路線バスの他に、秋の季節だけの無料の"ぐるワンバス"が走り、文化財見学ツアーなども行われるとのことである。

さて、足利尊氏の評価は難しい。
その一番の要因は、明治以来の絶対主義天皇制による皇国史観の影響が大きいことにある。
足利尊氏は天皇に「叛旗」を翻したということで、長い間"国賊・逆賊"の「汚名」を着せられて来た。
だが、尊氏の評価が今後正しく行われ、その偉大さがだんだんと明らかにされていくと思う。
平家は、天皇・貴族によるそれまでの律令制度=古代社会に風穴を開け始めたが、本格的武家の時代を築くまでには至らなかった。
源氏は、武家社会を関東で作り上げたが、西国まではその勢力は及ばず、西国は依然と古代=中世への過渡期だった。
足利一族は、ついに古代社会から、西国・中部・関東に封建的土地所有制度の武家の社会(=中世)を作り上げた。
足利尊氏は、おそらく日本の歴史の中で最も日本全国を所狭しと移動・活躍した一番始めで唯一の人ではないだろうか。
頼朝も信長も家康も秀吉も、その活躍範囲からすると彼にはとうてい及ばない。
彼にまつわる"伝説"は日本各地にたくさん残されているという。
平家は、豪華絢爛な平家納経などを厳島神社などに納めるが、それは仏教の末法思想で貴族的仏教だったと思う。
源氏は、仏教より八幡神社への信仰の方がより強かったと思う。
古代から中世への過渡期は社会的混乱が甚だしく、民衆は飢饉や飢餓などの苦しみを強制され、
そこから民衆を解放・民衆の救いを求める新しい仏教が次々と生まれた。
時宗、浄土宗、日蓮宗、浄土真宗などである。
だが、権力者となった足利一族は、大衆的仏教とは異なる武家的仏教である臨済宗などの禅宗を庇護する。
こんなふうに私は思うのだが、足利市のバンナ寺はそれより古い時代のもので、大日如来を祀っている。
一つの宗派だけでなく、真言宗や曹洞宗や時宗や浄土宗などいろいろな宗派のお寺が混在しているのは、やはり良い。
足利市の少なくないお寺の背後には小高い丘があり、その丘のかなり広い範囲にお墓が段々畑のようにある。
それは足利市が昔から多くの人が住んできたと言うことなのだろう。
今回は、足利市の市街地だけで農業や林業の所には行けなかった。
そこには、違う風景が待ち受けているだろう。
足利一族ゆかりの地が足利市にはもっとたくさんあるようなのだが、少し離れているので、
今回はこれでひとまず終了にします。

足利市を歩く

2011年04月20日 | ウォーキング
4月16日、足利市の東部を歩いた。足利は歩きたいと思っていた町だ。
一泊するには近すぎる、でも日帰りではのんびり出来ないと踏ん切りが付かなかった。
だいぶ暖かくなってきたので、二日に分けて行くことにした。

足利市は、てっきり群馬県だと思っていたのだが栃木県であった。

大宮から宇都宮線、久喜で東武伊勢崎線に乗り換え、足利市駅で降りる。1時間30分~2時間位である。
JRの両毛線足利駅との間は直線で750m、歩くと1.2kmほどだろうか。
JRだけで有料特急を使わないで行くと高崎経由で3時間半ほどかかってしまう。
一日目の今日は、西部方向からと北部方向からのそれも一部だけを歩いた。
それでも全部歩くのは大変なので、始めにバスで東方向に行きそこから歩き始め、
一度足利駅に戻って後、そこから次にバスで北方向に行き、吉祥寺から南下して足利市まで歩こうと言う計画だ。
だが、足利市生活路線バスは何路線か走っているのだが本数は各3~4本なので、時間表をしっかり確かめなければならない。
長林寺方向のバスは、11:25、吉祥寺方向のバスは13:20なので、前半のこの間は余裕がなく、急ぎであった。

足利駅                                 駅前広場の風向計、奥は渡良瀬川の土手
 
渡瀬川と橋
 

長林寺[本堂は工事中]
 
    
   

境内の外に すくいの井戸                てんぐのねじり杉       白髭神社
  
観音寺
 

龍泉寺
  
本堂
   
本堂より立派な美術館[拝観料500円、撮影はできない]


足利織物記念館                                  八束穂稲荷神社
 

鹿島神社                               真教寺
 

定年寺
    
本堂
    
    
 
広い境内に、仏像などがたくさんありました。

伊勢神社                               JR足利駅
 
吉祥寺に行くバスの出発は、13:20、駅には10分位前に着きました。
巡回バスは、一律200円、乗客は4人、私が吉祥寺近くのバス停で降りると、乗客はいなくなりました。
運転手は、私が乗る前に、吉祥寺に行きますかと聞いたせいか、降りる時、「行ってらっしゃい」でした。

吉祥寺                                 伝教大師[最澄像と本堂]
   
聖観音菩薩堂
  
弁天堂
 

心通院
  

本城厳島神社                 美人弁天堂
   

樹覚寺
  

御影寺                           足利東教会            小児玉神社
  

松葉寺                                 厳島神社
 

善徳寺
  

足利学校

                入徳門                                 孔子像
  
学校門                                 旧遺跡図書館                      楷樹[ナンバンハゼの木]
  
杏壇門[孔子廟門]                           孔子廟門
   
収蔵庫                南庭園                                方丈
  
方丈と玄関                              脇玄関内
  
北庭園                                中庭
 
衆寮
 
木小屋[農業小屋]                   土蔵                          稲荷社
  
裏門

足利氏宅跡は鑁阿寺(ばんなじ)と言い足利学校のすぐ裏なのだが、次回訪れる予定だ。

足利まちなか遊楽館                        市立美術館
 

東武・足利駅まで歩き帰った。
足利市は、足利尊氏一族が生まれ育った所、私は古い町並みが残っているのを想像していたのだが、普通の町並であった。
空襲で焼けたのかと思ったが、そうでもなかったようだ。
もっとも、今日の日本では、昭和や明治時代ですら、その雰囲気が残っている街並みは残っていないのだから。
ヨーロッパ、トルコ、エジプト、クスコなどには2000年も前の建物や道路が残っていて、そこに人々が普通に住んでいる。
往時を思うのにそれほどの想像力は要らないのだが、日本ではかろうじて一部の寺社にのみそれが残っているだけで、
街全体にそれらが残っているのは皆無と言って良い。
外国に、それらが今日も残るのは、"石の文化"と言うだけではない、何がそうさせているのだろう。

足利一族が拠点とした足利市の北側は険しくはないが丘陵である。
彼らはそこを天然の防衛要塞とし、渡良瀬川・利根川の流れる南の豊かな広大な平野へと進出して行ったのだろう。
西は前橋を経て新潟や信州へ、北東は宇都宮や日光へとつながる。



映画/白いリボン・リッキー

2011年04月18日 | 映画

原題は、Das weisse Band.
カンヌ国際映画祭パルムドール、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞したと言うが、
私にはよくわからない映画だった。
舞台は、第一次世界大戦直前の1913年7月、北ドイツの小さな村。
大地主や医者や牧師達が村民・農民達を半農奴的に支配し、一家の家父長は絶対的権力で、
子ども達をプロテスタン的価値観で厳しく躾けていた。
牧師の子ども達は、ちょっとした"罪"を犯すと、むち打ちなどの厳しい"罰"を受けていた。
だが、大人の世界は、不倫・不道徳なことや犯罪的日常や弱者への抑圧がまかり通っている。
そんな村の中で、次々に不可解な事件が起きていく。
最後の犠牲になったのは、智恵遅れの男の子だった。
このエピソードは、確かに次代のナチスの優生思想や民族浄化思想が感じられるはする。
おそらく犯人は子ども達なのだが、
映画は、その謎解をするわけではなく、観客に問題を投げかけ、考えろと言っている様なのだが、
「これは難しいテーマなのだ」、と言わんばかりで、監督の独りよがりのような気がする。
子ども達へのこうした暴力的躾けなどが、子ども達に「社会や弱者や罪人達の浄化」に繋がったというのだろうか?
20年後にヒトラーを支えた世代が、この時代に子ども時代を過ごした、ということを言いたいのかもしれないが、
ヒトラーを生み出し、支えたのは決して青年達だけではないし、
封建的プロテスタンもドイツだけではない。
しかし、封建主義・絶対主義的思想を基底に宗教的原理主義が加わると、
優生思想・浄化思想・選別思想が芽生えるとは思う。
それは福音派・プロテスタント・カトリックの違いはないと思うがどうなのだろう。
また、キリスト教だけに限らないでイスラームや様々な原理主義的宗教にも言えることだと思う。
私にはとても後味の悪い映画であった。
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これもよくわからない映画であった。
シングルマザーのカティは、一人娘のリサと慎ましく暮らしていたが、
同じ工場で働くポコにナンパされ、いとも簡単に同棲を始め、リッキーが生まれる。
しばらくして、リッキーには天使の様な羽根が生え、空を飛べる様になり、一家とテレビ・マスコミ世間は大騒ぎになる。
リッキーをマスコミに披露していたある日、リッキーは空の彼方に飛んで言ってしまう。
彼がいなくった後日、新たに身ごもったカティが部屋で休んでいるなか、
ポコはスクーターの後ろにリサを乗せて、小学校・工場へ向かう所で映画は終わる。     [4/18]

吉川駅から越谷レイクタウン駅を歩く

2011年04月14日 | ウォーキング
4月11日、JR武蔵野線吉川駅から越谷レイクタウン駅間を歩いた。
越谷レイクタウンと珍しい名前が付いた駅は、2008年開通した武蔵野線で一番新しい駅という。
私は、つい最近までこの駅の存在を知らなかった。
駅前に洪水対策の巨大な貯水池があり、そのそばに巨大ショッピングモールが偉容を放っている。


日蔵院                                                           打つことが出来ます
   

鷲神社                                 智勝院
  
                                     中川
 

延命院
 
   

香取神社                               普門院
  

武蔵野御嶽神社                        薬王寺                    弥陀三尊種子板碑
   

中川
 

金剛寺
 
                        不動堂                       笠門神社
  

水神社                        途中で
 

清正光別院[左は地蔵堂、その右の建物が本院]      隣接する神社
 

中島諏訪神社                            正福寺
  

浄音寺                                 地震で倒れたのだろうか
    

観音寺
  

八坂神社            大相模久伊豆神社         日枝神社
  

大聖寺
山門
  
本堂                                  弁才天
 
地蔵堂                   聖天堂                       大師堂
  
庚申青面金剛像                                 両脇に庚申                  
  
                            喜多向不動尊
   
鐘楼                    びんずる尊堂[左下になでほとけ]  
   

ここまでかなりの距離歩いてきたのですが、調子が良かったのでもう少し歩こうかと、駅の南側に行きました。
駅前開発中の真ん中に、越谷南高がぽつんと立っています。
西の方向を見ると空が黒灰色で、風が冷たくなったので、引き返して帰ることにしました。
家の近くになって雨に降られました。[妻に傘を持っていった方が良いと言われ助かりました。]

以下、ちょっと番外編気味です、越谷レイクタウン駅前です。

1.堤防の様な上と下は道路で、その先右は旧市街地の方向です。

2.巨大ショッピング街、右側が駅です。

4.駅前広場から、越谷レイクタウン駅

6.反対側から駅を見る

7.駅のプラットホームで南側を見る

3.、5.ショッピング街の入り口と看板
 



越谷レイクタウンは、中川・綾瀬川・元荒川が合流する地域で、洪水で悩まされてきたという。
治水問題を解決するために、2000年頃から工事が始まったそうである。
レイクと言うが、もともとあったものではなく川の水量が多くなった時ここに入れる人工貯水池である。
私が歩いて来た元荒川沿いは古い街でしたが、それ以南はまさに新開発地域で、広い直線道路がずぅーっと続く。
新しい家や店や会社ビルがたくさ立ち始め、あちこち工事用フェンスで囲われている。
特に南側はまだほとんど手つかずで、どのようになるのか見当も付かない。
どこも新しくこれからの町だが、池の先の旧市街地入り口までは1km以上もある。
土地・住宅はすでにかなり供給の方が多くなって来ていて、新築マンションは多く売れ残っている、と言うが、
これから駅周辺には様々な住宅が建てられ、はたしてどの位の人々がこの地に移り住んでくるのだろうか。
駅から遠い旧市街地と、駅に近い新市街地との生活環境の違いが大きく、コミュニティは同一ではないような気がする。
冬、池沿いの道はきっと風が冷たいだろうな。
公共交通がどのように整備されるかはわからないが、自家用車がないと日常生活は不便だろう。
東京駅までは、武蔵野線・舞浜経由、南浦和経由京浜東北線、つくばエキスプレスで秋葉原経由の3ルートあり、いずれも1時間。

ショッピングモールには私は入らなかったが、実に巨大である。
私はこれからも訪れ、入ることはないだろうなと思うのですが。
元荒川
 

東京国立博物館を見学し、周辺を歩く

2011年04月09日 | ウォーキング
ウォーキングデーの土曜日、でも大雨の天気予報なので、上野の国立博物館に行った。
公開されていたのは、本館と平成館だけで、東洋館・表慶館・資料館・法隆寺宝物館・黒田記念館は閉館であった。
HPの閉館案内は、小さい字で書かれているだけ、それで通常の入場料と同じなんだからおかしいです。
地震の自粛とかで、開館時間が30分遅まり、1時間も早く閉館とするのも変な話。
庭園は、開放されていた。
雨のせいか館内にほとんど人はいなかった。

本館                                  本館から入り口を見る、ユリノキ
 

本館二階から
脱活乾漆造りの工程
原型塑造の心木を作る  原型塑造を作る        布着せ、土出し、心木入れ、縫い合わせ  成形    漆箔と彩色

"脱活乾漆造り"とは、土で作った型に漆を用いて麻布を張り重ねた後、中の土を取り除き、心木を入れる技法で、
唐招提寺金堂本尊の留舎那仏坐像などがある。

土偶                     菩薩坐像         舎利容器
   

国宝・花下遊楽図屏風                                         阿弥陀如来立像 国宝・十六羅漢像
  

空海像                国宝・扇面法華経冊子                  国宝・白糸威鎧
  

国宝・短刀(相州行光)     芦穂蒔絵鞍鐙                    
 

特別企画展
ニューギニアの精霊の仮面  左は、ビスマルク諸島、右はニュギニア  葬儀用飾り(ビスマルク諸島)
  

本館一階
羅漢坐像(五百羅漢寺)         羅漢坐像(五百羅漢寺)      円空作如来立像      木喰作自身像
   

天王立像              桜蒔絵硯箱            桜蒔絵手箱         土佐糸雛            飛騨一位雛
    

マリア観音像


平成館(一階の一部のみ)日本の考古遺物
土偶                                               国宝・銅鐸        土王権現像
    

表慶館(アジアギャラリー)・閉館                  東洋館・閉館
 

法隆寺宝物館・閉館                         平成館
 

黒門[旧因州池田藩江戸屋敷表門(丸の内辺りにあった)]
 

奈良市・旧十輪院宝蔵(校倉造り)         ジェンナー像[種痘を発明した人]"善那"とある
 

庭園[春と秋の二回公開される]
五重塔                     第二回内国勧業博覧会の碑     初代館長町田久成の碑
   

春草蘆[川村瑞賢が淀川改修で作った休憩所]     桜です                     転合庵
  

六窓庵                             応挙館(中に丸山応挙の絵があるという)
 

九条館
 
 

黒田記念館・閉館                          国際子ども図書館
 

東京芸術大学
 

旧東京音楽学校[奏楽堂]


上野動物園                             上野こども遊園地
 

上野公園の桜                           上野公園内交番
 

国立博物館は、東京、佐倉、奈良、福岡の四つある。
福岡はまだ行った事がない。奈良は館内写真撮影出来ない。
東京のは何回か来たことがあるが、今回は迫力を感じなかった。
それは法隆寺館や東洋館などが閉館していることも関係していると思うのだが、それだけではなと感じる。
私は、壺・書・古代土器などはあまり興味が無いのでほとんど素通りするが、
訪れた外国の博物館は、エジプト、フランス、ギリシャなどの国立博物館で、ごくわずかですが、
それらと比べると日本の博物館は、建物・館内は立派なのですが、内容は貧弱だと思うのです
それは、例えば日本の古代の遺跡や遺物は、上野の国立科学博物館などの方が充実しているように思うし、
また、仏像などは奈良の博物館がたくさんある代わりに、東京の博物館が少なくなる事情があるにしても、です。
ギリシャの考古学博物館などはほとんど彫刻だったような気がしますが、その量と質は圧倒的でしたし、
フランスのルーブルなどは絵画の方が多く美術館という感じですが、
ゆっくり見たら一日では回りきれないほどです。
しかし、展示室の順番はとても分かり易い。
ただ、パンフレットは本館だけ、他館はなく、また外国語版の数]は少ないし、
本館の日本語のパンフレットもボリュームがなく貧弱で、国宝などは簡単な解説がほしいです。
しかし、外国の博物館はパンフレットについては日本より事情は悪く、ない所もありますが。
ルーブルだけは内容も、外国人向け種類も豊富だったと思います。
小雨が降っていたが、国立博物館の周辺だけを少し歩き、それ以外はしなかった。
私が、上野駅に着く頃には雨が止みだし、人々の流れが大きくなってきて、
上野動物園入り口もたくさんの人出でしたし、花見の人々は身動き出来ないほどでした。

映画/人生万歳!・エリックを探して

2011年04月04日 | ウォーキング
二本とも喜劇、でもちょっとシリアスっぽさを加味しています。
傑作とは言えないかな、喜劇はよほどでないと"傑作"とはなかなか言えないのが微妙な所です。

原題は、Whatever works
冒頭から、ウッディ・アレン作品ってわかる。
機関銃の様なやたら屁理屈っぽい長台詞と、ちょっと「オレンジ」のフィルターがかかった様な画面、
風采の上がらない中年・初老の男性と、すごい美人か美人ではないがとびきり知的な女性。
今回は、アレンは出演していない。
ノーベル賞候補にもなったと自称する天才、禿で、結婚に失敗して自殺を試みたが足が不自由になって生き延び、
「厭世家」を装っているが実は、話し好きで、本質的にはかなり俗っぽいボリス、
21歳の家出娘、彼女かなりトンでいて変わり者の南部娘・メロディは、ひょんなことボリスと巡り会い、居座る。
ボリスは、一方的に彼女に好かれ、迷惑顔してたが、あっという間に結婚してしまう。
そこに、彼女の母が家出してきて合流。
彼女、南部の共和党支持の保守派だが福音派ほどの原理主義でもない。
これまで趣味的に撮ってきた写真が素晴らしいとボリスのこれまた一風変わった芸術家に評価され、
みるみる豹変し、ついにはその彼ともう一人の男性と三人との奇妙な同棲生活に入る。
その彼女の夫は、妻の友人と浮気していたのだが、精力がないと彼女に振られ、妻とよりを戻そうとボリスの所に出てくる。
元妻は、そんな彼に全く見向きせず、彼は寂しくバーで飲んでいると、
これまたゲイのパートナーに逃げられた男性に慰められ、実は自分もゲイであったと気づき、彼と暮らし始める。
ボリスの妻、メロディは母親の薦めで若いイギリス人俳優とデートし、彼も好きになってしまう。
メロディに捨てられたボリスはまたもや窓から飛び降りるが、占い師の美人の上に落下し助かり、
ボリスと占い師は瞬時に相思相愛になってしまう、とまことに奇想天外なストーリー。
これは"人生塞翁が馬"と言うことではなく、日常的・表面的な素顔の裏には全くそれと異なる本性や欲望が宿っている
ってことではないだろうか。
でも、隠れたものが真実で表面は虚とも言えないわけで、その両者の混合物が実際の私たちなわけで、
まぁ、とやかく言わず人生、何でもあり、楽しもうよ、って言ってるのかも。


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原題は、Looking for Eric
この映画は、喜劇なのですが、前半はまるでシリアス映画の様な錯覚に陥りました。
"Eric"が鍵です。実は、エリックは二人です。
一人は、郵便局員のエリック、もう一人はサッカーの名門マンチェスター・ユナイテッドのかつてのスーパースター・エリック・カントナ。
郵便局員のエリックは、カントナの熱烈サポーターで、最初に結婚し離婚した妻を今でも想い続け、
二度目の結婚で別れた妻の連れ子息子二人を育てている。
元夫婦の子どもから、孫の子守を頼まれたエリック、元妻の姿を物陰から見てすっかり動揺し、会わずに帰ってしまう。
その帰り道、エリックは自動車事故を起こしてしまう。
以来、彼の前には、他の人には見えないもう一人のエリック=カントナが登場する様になる。
この奇妙な二人の生活の中で、エリックは次第に自分の過去と現在を見つめ直し、再生に向かう。
そんな折、チンピラになりかけの長男はギャングの親分からピストルを預かり、そのことでエリック一家は親分から脅される。
エリックとカントナと郵便局員の仲間達は一計を案じて、親分を追い詰め、懲らしめるというお話。
親分に恥をかかせ、それをビデオに撮って"ユーチューブ"に流すという作戦は成功しめでたしめでたし、となる。
シリアス映画ではないので、それでいいのだが、恥のかかせ方はもう一ひねり二ひねり欲しかった。
イギリスの庶民の生活の実態を私は知らないが、サッカーサポーターや、職場労働者の仲間意識や、などは
こんな物なのかもしれないなと感じた。
カントナは有名な実在のサッカーストライカーだったそうだが、私は知らなかった。
サッカーを引退した後、彼は映画俳優になり、この映画で本人役で出演している。
しみじみとさせたり、陽気な仲間のとんちんかんなどけっこう楽しめました。

この二作は映倫でPG12に指定されている。12歳以下の子ども(小学生)は保護者の助言や指導が必要ということらしい。
アレンの映画は、性にまつわる台詞が氾濫し、ゲイや複数男女の共同生活もあったり、
エリックの方は、"ファック"などのスラングの多様もありますがね。

八潮駅~吉川警察署前を歩く

2011年04月04日 | ウォーキング
前回の続きというか、中川の反対側・左側の八潮市を歩きました。八潮市を訪れのは初めてでした。[4/2]
気温19度という天気予報でしたが、家を出る時はまだ肌寒く厚手の上着でしたが、歩き始めたらすぐ暑くなりました。
南浦和駅で武蔵野線に乗り換え、南流山駅でツクバエクスプレスに乗り換え、八潮駅で下車して歩き始めました。
 
ツクバエキスプレスに乗るのは初めて、駅・電車はどれもとても新しくきれいで、これぞテクノって感じでした。
筑波学園都市を訪れたのはおそらく30年ほど前だったでしょうか。
確か当時すでに廃線となっていた筑波鉄道の廃駅となった筑波駅があったと思います。
筑波学園都市は、まさに“人工”の町と強く感じました。
新しいツクバはまだ行っていませんが、すごい変わり様でしょうね。
 

妙法寺                                 円照寺
 

妙光寺                                 
 

観音寺                                長安寺[曹洞宗]
 
 

花蔵院不動堂                             立正寺[浄土宗]
 

ふるさとの森[恩田家屋敷林跡]                  普門院                             土手供養碑[左奥が、普門院]
   

来迎寺
 

氷川神社                               宝幢寺
  
  

持昌院                                 鶴ヶ曽根虚空蔵堂
 

医薬院                                 神光院
 

東漸院                                 天満宮
 

慈尊院                                 水神碑                 清瀧大権現
  

明学院[本山修験宗]                         清勝院
   
本山修験宗の総本山は、聖護院門跡。門跡とは、皇室に関係する寺で、修験道とは山伏等の修行のこと。聖護院の地名は、八つ橋で有名。

浄土宗大経寺                             綾瀬川放水路
 

今回、柄にもなく野の花を撮りました。



"吉川警察署入り口"のバス停でメートーバスに乗り、吉川駅まで行き、帰った。[前回は、吉川駅まで歩いた。]

八潮市を訪れ、歩いたのは初めてで、またツクバエクスプレスに乗ったのも初めてでした。
ツクバエキスプレスの他の駅は知りませんが、八潮駅と三郷中央駅はこれぞ"ツクバ"と、私は勝手に感じたのでした。
都営大江戸線・舎人ライナー・ツクバなど新しい路線はいずれも人工的というかテクノって言う感じで、良く言うと明るくゆったりできています。
ホームの開閉式乗降口は良いですね。
土曜の午前中というのに、秋葉原行き・上りのツクバエキスプレスは大混雑でした。

前回は、中川の右岸側、今回は左岸側を歩いたのでうが、町の様子は違っていました。
右岸側は、田園地帯に新興住宅が押し寄せ、混在する感じなのですが、畑は少ない、
他方、左岸側は、逆に畑や林がかなり残っているのですが、倉庫や会社も多く、市街地という感じがするのでした。
大きな寺や神社はありませんでした。
真言宗豊山派のお寺が多かったですが、浄土宗や曹洞宗や本山修験宗などのお寺もありました。
カメラの電池が切れたので予備電池を入れたのですが動かず帰ろうと思ったのですが、入れ直したらなぜか動きました。
今日は、ほとんど道を間違えることがありませんでした。
吉川警察署から、バスに乗って帰ったのは良かったです。ここから吉川駅まではまだかなりありますので。
次も、この周辺を歩こうと思っています。