風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

日進・清河寺を歩く

2010年04月30日 | ウォーキング
4月30日、日進を歩いた。

大宮駅からバスで埼玉運輸支局前まで行き、そこから日進まで歩いた。(25分310円)

観音寺
石のかわいらしい仁王像、しかも赤く塗られている。
  
 

永昌寺
 
                                                秋葉三尺坊神社(永昌寺に隣接)
  

法光寺
 

阿弥陀寺
  

清河寺
 

宮前ジャンクション(?)と言うのであろうか
 
冒頭の地図で、薄グリーンの道路はもう完成していたのだが、地図にはまだ載っていなかった。道に迷ったかと思った。
この道路、地域の住民の相互の交流・生活圏は完全に遮断されていると感じた。

興徳寺[宮前ジャンクション・西大宮バイパスの脇にある]   綺麗な顔の地蔵はそんなに大きくはない
 
                                       不動堂
  

金剛院

 
本堂の扉は開いていたが、中に入ることはできない。
 

満福寺(本堂は新築中)                                    日進神社
  

気温は高いようだが、風が吹くとうっすら涼しい。
ジャンクションは驚きました。上空から写真を撮ったらすごいのでしょうね。
大宮駅でのバス乗り場がよく分かりませんでした。迷った後、ゆっくり探したら分かりました。
大事な情報は、よく分かるように親切に、案内板を作って欲しいです。
川越線は単線、日中1時間3本でした。私は、駅のベンチで座ってウトウト。
来た電車は臨海線直通で満員でした。

浦安~南行徳=旧宇田川家住宅を歩く

2010年04月29日 | ウォーキング
4月29日、千葉県の浦安を歩いた。
京浜東北線で秋葉原、地下鉄日比谷線で茅場町、地下鉄東西線で浦安まで行った。約1時間強である。


豊受神社                               富士塚
 

花蔵院                                              清心大菩薩堂
  
                                                            公訴貝猟願成の塔 [江戸後期直訴した人の碑]
   

"おっぱらみ"(地名、境川の川幅が一番狭い所から)      東学寺
 

正福寺                                                                     しなび地蔵
  

旧大塚家住宅[江戸末期]
 

旧宇田川家住宅
 
ぼたん                                 黒漆喰
 
受付の女性が説明してくれました。
黒漆喰とは、漆喰に菜種油を燃やして作った油煙(すす)を紙一枚ほどの薄さで塗る方法で、
耐火性があり、鏡のように反射します。この技術が出来る人は現在は極まれだという。
無料にしている理由は、一人でも多くの人に見て欲しい事と、子ども達の再訪を期待してだそうです。
帰り際に、裏の庭にボタンの花が咲いています、とお声をかけてくれ、リーフレットを手渡してくれました。

清瀧神社                               宝城院
  

大蓮寺
  

浦安魚市場
 

慈悲地蔵尊 [災害などで川に水死体が流れそれを供養したという] この先はもう東京湾である
  

船入川(かつてここは小さな川)                   稲荷神社
 

延命寺
 

新井寺                                熊野神社
 

強い風が時折吹くのだが、気温は高く暑かった。
富士塚がいくつかあった。きっと昔は富士山が綺麗に見えたのだろう。

旧宇田川家の受付の女性は、素敵な人でした。
多くを語らず的確なアドバイスでした。
黒漆喰の話を聞き、家に帰ってネットで少し調べました。

浦安は海辺の町なのだなという様子をあちこちで感じました。
地下鉄東西線が旧江戸川を越えて地下を出ると、高層マンションではないが、戸建てではない高いビルの家が目に付きました。
東西線は他の鉄道との乗り換えが不便なのがネックです。

多くのお寺で小さい法事が行われていました。

和光市~朝霞を歩く

2010年04月28日 | ウォーキング
4月26日、東武東上線・成増駅から朝霞駅まで歩いた。


妙安寺
 

出世稲荷神社                            熊野神社 [次の清龍寺の隣=同じ境内にある]
 

清龍寺不動院                            乃木希典が修行したという滝[ご覧のように極小]
 
 

地福寺
 
筆塚 [寺子屋などの先生を慕って作られた墓]          神護寺
 

下新倉氷川八幡神社                        新倉氷川神社
 

聖イエス教会                               


金剛寺
 
                                     台雲寺
 

日英寺別院                              日英寺別院近くの観音像
 

神護寺の後は、線路沿いに和光市駅に向かう予定であった。
だが、線路沿いに道はなかった。
線路が高架にあり、起伏がある地域で、道路が上手く出来ていないようだった。
バイパス・大きな道路は、町の行き来を不便にすることがある。
それらを横断する時、うんと遠回りをしなければならなかったり、歩道橋を越えなければならないことがあるからだ。

線路沿いを行けばいいのだからと、ここを通る細かい地図を事前には用意しなかったのが失敗であった。
北西の方向に行けばいいと当てずっぽうに行ったのだが大きな間違いはなかった。
 

成田山新勝寺を参拝する

2010年04月27日 | ウォーキング
4月25日(日)、午前中佐倉市の国立歴史民俗博物館を見学し、午後、成田山新勝寺を参拝した。


新勝寺HPより引用

総門                                  光輪閣門
 

阿弥陀堂                               男子断食道場
 

三門[仁王門]                                                       広目天          多聞天
    

灯籠塔                  地蔵堂                      二宮尊徳開眼堂[この背後に水行堂]
  

壊れ不動堂[修理してもすぐ壊れてしまうと言う]         本堂                    
  

鐘楼(18世紀初頭)           一切経堂(18世紀初頭)                       三重の塔(18世紀初頭)
   

石摺不動                吒薯g尼天堂(開運稲荷)
 

釈迦堂                                 釈迦三尊
 

額堂                                  開山堂
 

光明堂                         奥の院[光明堂裏の洞窟の中に不動明王]、入口の左右に板碑(石の塔婆=14世紀のもの)
 

清瀧権現堂・妙見宮                        寄進者の名が刻まれたもの
 

平和大塔 [6階建ての巨大な塔、中に入ることができる]
 
                                     さわり不動
 
最上階・大日如来 [展望台となっている]
 

聖徳太子堂                             大師堂 [総門と光輪閣の脇にある]
 

薬師堂                                 参道から新勝寺を見る
 

新勝寺を新年早々訪れたのだが、大変な人混みだったので、参拝しないで帰った。
今回も、午前中に国立歴史民俗博物館を訪問したので、新勝寺も少し慌ただしかった。
新勝寺はとても広いので2時間はかかります。
18世紀の歴史的建物が多く残されています。
地図には、修得院・発信院などのながありますが、これら三学院は修行僧の為の施設で未公開です。
断食道場、写経、水行などの修行道場も用意されているようです。

日本民衆の不動明王信仰は根強く、広いですね。

家を9時に出て、帰宅したのは5時でした。

国立歴史民俗博物館

2010年04月26日 | ウォーキング
4月25日、佐倉市にある国立歴史民俗博物館を訪れた。

国立歴史民俗博物館
縄文のビーナス                                           人の顔が彫られている石
  

銅鏡                                  鎧(5C頃)
 

石棺                                  刀                                   日本語が書かれた刀
  

埴輪                                  沖の島遺跡発見現場の模型
 

銅鐸                                 銅鐸に描かれている模様
  
縄文人と弥生人の骨格                      仏像
 
経筒・経箱                              版木(16~17世紀) 
 
鉄製薬師如来像(13世紀)      般若心経版木
 
一向一揆・石山合戦の時の一向衆の旗             中世の芸能の様子
 

疫瘡地蔵と徳政令を勝ち取った碑文(15世紀・右下)      朱印状(家康が島津家に送った)
 

火縄銃                                17世紀時代の地球儀[ローマ製]
 

江戸時代ののぞきからくり                     貝などで作った二見浦の飾り
 

干物などで作った三尊仏                      江戸時代の道標
 

百姓一揆には作法がありその様子を記した絵巻物から    法善寺水掛地蔵
 

現世御利益への志向
 

農村の新しい信仰                         村境[魔物・よそ者を阻む]
 

オコナイ[関西で行われる五穀豊穣行事]        ジロアマボシ[北陸地方の乾燥器具]囲炉裏で乾燥させる、下に車がある
 

山の神々(河童やカラス天狗など)
  
 

鯨船                                 恵比寿信仰
 

南の島の神々                           他界に行く船
 

シーサー[沖縄の魔除け]                              行屋[行をする小屋]
 

お面の色々


他施設より借りているもの以外はストロボを使用しなければ撮影できる。
だが、いちいち撮っていたらキリがないほどの展示量である。
1時間位で回れると思っていたが、かなり急いでも2時間かかった。
博物館見学は好きなのだが、かなり疲れるもので、せいぜい2~3時間が限度だ。
解説文を読んでじっくり見て回ると4~5時間はかかるかもしれない。
音声ガイドは100円と安いが今回は試さなかった。
欲張って一度に全部見ようとしないで気に入ったところだけ見るのがコツかもしれない。
でも、決して何度も行くことは出来ない、特に外国などは。

近世・現代は興味が薄いので大急ぎで回った。
第1展示室の古代から第6展示室の現代までかなり充実し、上手な構成・展示であった。
その他企画展示室がある。
特に、私は第4展示室の"民俗"が興味深かった。
民衆の信仰が、古代では自然への恐れや崇拝などから、
時代がたつに従って五穀豊穣や大漁や等の現世御利益に変わっていくのがおもしろかった。

また、沖縄や各地の民俗的風習もとても興味深かった。
東京・奈良・福岡・佐倉の四つの博物館を見るとかなり日本の文化と歴史が理解できるのではないだろうか。
最も、福岡を私はまだ見ていないが。

展示物の多くはレプリカであった。それは仕方ないことだ。
だが、レプリカと言っても馬鹿にしてはいけない。
とても上手に作ってある。

歴史に興味がない人には興味がわかないと思うが、とても見応えがあり私としてはお薦めである。
京成上野から京成佐倉までは快速特急で約1時間、徒歩12分位である。

過日訪れた佐倉市内の私のウォーキングは、ここ

この後、私は、電車で成田まで行き、成田山新勝寺を参拝したのだが、それは項を改めよう。

下赤塚~和光市、東京大仏を歩く

2010年04月24日 | ウォーキング
4月24日 東武東上線下赤塚駅から和光市駅まで歩いた。


松月院
 
                                     高島秋帆[幕末の幕府軍の西洋式砲術家]の碑(砲筒の形)       豊川吒柷尼天
  

乗蓮寺・東京大仏
仁王門                                                                閻魔堂内
   
本堂                                  阿弥陀如来坐像=東京大仏(高さ約10m)   天保飢饉供養塔
  
 
                                     鉄拐仙人(足の病気)      役行者 [以下、これらの多くは津藩の藤堂家所蔵]        
   
我慢の鬼                        三途の川の奪衣婆       文殊菩薩像
  
弁財天                                福寿観音
 

赤塚植物園                             上赤塚観音堂
 

清涼寺                                旧本堂
 

氷川神社                               青蓮寺
 

東明禅寺・吹上観音
三門                                  仁王門
 
                                             本堂
  
百庚申塔[実際は150位あるそうだ]
  

妙典寺                           妙典寺法華堂          冨士大石寺(顕正会)~創価学会から分かれた宗派
  

金泉禅寺
 

満願寺                                観音堂
 

壹鑑寺                                五輪塔                                
 

長照寺
  

東林寺


乗蓮寺と東明禅寺はお薦めです。
特に、乗蓮寺は楽しいです。
我慢の鬼に見られる様に簡潔な説明も良いです。東京大仏はとても綺麗で美しいです。
乗蓮寺の地蔵・観音・庚申塔群と東明禅寺の百庚申塔は立派です。
いわば放置されていたそれらを集めるにはかなりの努力が要されたのは想像できます。

東武東上線、武蔵野線とも昼過ぎだというのに混んでいて座れませんでした。
学生が多いように感じました。私立の学校は土曜休みでは無いようです。

木陰に入ると風少し寒く、日向に行くと暑い不思議な気温でした。

映画/戦場でワルツを

2010年04月23日 | 映画
原題:VALS IM BASHIR/WALTZ WITH BASHIR(製作年度:2008年)。 4月23日、雨。
"戦場でワルツ"は、兵士が恐怖のあまり、ショパンのピアノでワルツを踊るように銃を乱射することから来ている。

主人公の彼は、戦友から犬に追いかけれる恐怖の夢を日々見ることを聞く。
だが、彼は戦友と同じ現場にいたはずなのに、彼には戦場での記憶がなかった。
恐怖やショックがあまりに強く大きすぎると記憶をなくすことが人間にはあるらしい。
彼は、医者に勧められて、かつての戦友を訪れ戦場での話を聞いていく。
彼は、徐々に断片的に記憶を取り戻していく。

これは、彼が友人と語り合うシーンである。
ご覧のように、この映画は「アニメーション」である。
だが、宮崎駿作品のアニメーションのような色彩鮮やかなものとはだいぶ趣・雰囲気が違う。
宮崎のはオールカラー、こちらはあたかもセピア色の二色のような感じだ。
それは、単に彼の記憶がセピア色だからと言うことではない。
オールカラーにしてしまうとあまりにも現実的過ぎるというか、生々しくどぎつくなってしまう。
また、動きが実際の動きのようになめらかではない。
テレビの"ゴルゴサーティーン"のアニメもそうであった。
その時も、ストップモーションのようなぎこちない動きがかえって良かった。
普通の実写の映画やアニメや3Dにする方がリアリズムがあるように思えるが、かえってリアリズムが損なっているのかもしれない。
つまり普通の映像にしてしまうと、見る側の想像力を損なってしまいかねないのだと思う。
場合によっては、色調や動きの制限・制約がある方が、かえって我々の想像力が膨らみ、台詞もより味わえることもあるような気がするのだ。
私は、予告編を以前見た時は、このぎこちなさに違和感・おかしいと思っていたのだが、
今回、本編を見てその試みはかえって成功しているとのだと思った。
彼が記憶を取り戻した時、実際の映像が流れ、映画はおわった。
少し不謹慎だが私にはかえって実際の映像の方がリアリティ・迫力が無く、かなり無機質に感じた。
確かにその映像はきめが粗く、色調・色彩はクリアではなかったのではあるが。

だが、映画の出来と言うとやはりイマイチであった。
それは、制作者を見れば明らかだ。
イスラエル・アメリカ・フランスのサイドが作った限界はとても大きい。
虐殺の一番の責任は本来イスラエルとアメリカにあるのに、キリスト教徒グループにその責任があると言わんばかりだ。
彼は、悲惨な現実に大きなショックを受けるのだが、彼はその現実にほとんど無関係・責任がないかのようなのだ。
虐殺されたパレスチーナの人々の悲しみや怒りとは無縁の所に彼らはやはりいるのだ。
私には何とも後味が悪かった。
多くの国際的賞を取り、佳作ではあるが、やはりオスカーには届かない・及ばない。
『シリアの花嫁』にも同様の思いを感じた。
大国・抑圧する側・人々を高見から見下ろす、そんな傲慢さを感じる。

もう一つの問題点は、ヘブライ語と言うことだ。
これは制作者の責任ではないが、この映画の重要なポイントは会話そのものにもあるのだから、
ヘブライ語が分からない私としては、字幕ではなく、日本語の吹き替えの方が良かった。
"指圧"はヘブライ語でもそのまま「Si-a-tu」だった。
怖い夢を見る友人に対して、「指圧をしたか?」と聞いていた。

この日のもう一本は『シリアの花嫁』であった。それ以前見たので『戦場でワルツを』だけを見た。
私の『シリアの花嫁』のブログはここ です。

狭山~小手指・狭山不動尊を歩く

2010年04月21日 | ウォーキング
4月21日

私の所から西武線はちょっと不便なのだが、出かけた。
南浦和でJR京浜東北線からJR武蔵野線に乗り換え、続いて新秋津駅で西武池袋線に乗り換えるのだが、
駅名が秋津駅に変わるのは良いのだが、この両駅コンコースで結ばれていない。
約5分ほど市街地を歩かなければならないのだが、行き方の表示が不親切・ないので初めての人にはわかりにくい。
もっとも、乗り換え客と思える人の帯に付いて行けば良いのだが。

西武池袋線で西所沢で西武狭山線に乗り換え、下山口で下車した。駅近くに二つお寺があるので。

来迎寺                                勝光寺三門[17世紀の物]
 

勝光寺本堂[17世紀のもの]                    鐘楼
  

下山田駅に戻り次の西武球場前駅まで電車で行った。
駅前は西武球場一色という感じ。だが人影はまばらでまるでゴーストタウンという感じ。


狭山不動尊
勅額門                                御成門
 
総門(毛利家江戸屋敷の門)                    第一多宝塔(桃山時代の物)
 
本堂[=不動院]                            本堂内不動明王[開放されています]
 
丁字門(1633年)                           鐘(志で撞ける)
 
弁天堂(彦根藩井伊毛のお寺から)                弁天堂内の弁財天      
                       
羅漢堂(中に入れないが、塀は隙間があり中を見ることが出来る)      第二多宝塔
 
大黒堂
 
桜井門[天誅組本陣御門跡]                    康信寺
 
狭山不動尊内の色々な建物は、各地から寄進されてこの地に移転されたものが多いようです。
華やかな色彩も残され、他とはすこし違う趣を楽しめます。
太平洋戦争中空襲で焼けずによく残ったと思います。

金乗院
三門
  
霊馬の堂[新田義貞の馬]                     堂内の奥に沢山の馬の彫刻が
 
本堂                                  大日堂
 
八体守護仏                             奥の院観音堂[五重塔]
 
布袋堂[七福神堂=右]                        ぽっくり地蔵[開山堂](=左)  
 
水子地蔵                               仏国窟   
  
焔魔堂                                 鐘の音[反対側から志(100円)で撞くことが出来ます]
 
西向釈迦堂[大日堂の後ろの竹林を抜ける]           玉湖神社
 
金乗院も味わい深いのですが、案内板・説明板がないのが残念です。
特に西向釈迦堂の案内は大日堂の背後にあるので見落とすと分からず、迷いました。

狭山湖                                 六斉堂
  

清照寺                                堀口天満神社
 

藤森稲荷神社                            全徳寺本堂
 
全徳寺三門の達磨禅師の像が                  観音堂
  
この一帯は、丘陵地で林と農地が入り組んでいて、地図では全く分かりません。
ウロウロしてあきらめかけたとろろで行き着きました。

北野天神社(この一帯を北野と言ったそうです)
 
小手指神社                  [その前に航空神社の標が](敗戦前米軍からの破壊を恐れここに移したとある)  昭和初期の寄進と思われる
  

白幡塚[新田義貞軍と鎌倉幕府軍との古戦場跡]
 

埋蔵文化財調査センター(白幡塚の隣)              能安寺
 

しだれ桜(満開の時期は終わっている)              入間自衛隊基地[米軍から返還された]があり頻繁に飛行機が飛来していた。
 

狭山湖は寄らなかった。
狭山不動尊・金乗寺[山口観音]は見所・お勧めです。
特に狭山不動尊は案内板・説明板も親切ですし、本堂も開放され、鐘も寸志で撞け、木陰も沢山あって素敵です。
鐘を撞くのは楽しいです。私は、恐る恐るでなく、思い切って撞きます。お腹に響く音色は素敵です。
金乗寺でも鐘が撞けます。

今日は、何カ所かで道が分からず大変困りました。
西向き釈迦堂、そこから六斉堂に行く道、藤森稲荷神社、白旗塚、西武池袋線をくぐる道が分かりませんでした。
特に、北野神社から白旗塚に行く道と、小手指駅の南側が分からずかなりウロウロして大変疲れました。
入間自衛隊基地の飛行機の騒音もとても気になりました。
市内で「全ての基地をなくそう」と言う看板をいくつか見ました。
特に、所沢西高の上空を飛行機が飛びます。
沖縄の米軍基地、普天間飛行場のことを思うと心が痛みます。
普天間基地を県外移転などと言わず、不要だ、安保はもう要らない、と言いたい。
私たちはそろそろ「抑止力幻想」から自己を解き放つ必要があるのではないかとつくづく思います。
「抑止力幻想」を持つ限り、核・米軍基地・自衛隊・軍隊は必要で、暴力の連鎖は断ち切れません。
私たちは、非武装・非核・無防備・仏の心を是とする、そんなことを考える日々です。
それは非現実的で夢想的と言われますが、これが一番現実的だと私は思っています。

私は西武池袋線と西武新宿線はあまりなじみがなく、駅名からでは位置関係がよく分からず困ります。
東所沢と西所沢の間は6kmも離れているのです。
武蔵野線の東所沢を過ぎ、西武池袋線に乗り換えてしばらくして西所沢となります。
思わず間違えたか、と電車の中の案内図を見ました。

"浦和"を冠した駅名も困ったものです。
浦和、東浦和、西浦和、南浦和、北浦和とあり、なんと中浦和、武蔵浦和、浦和美園と続くのです。
こうなると、シャレを通り越して、"異常"と貧困を感じてしまいます。
思わず脱線しました。
[今日は朝から雨で、書き足した次第。]

ポンペイ展=横浜美術館

2010年04月20日 | ウォーキング
4月20日 [1400円]

                                                        【ポンペイ展は写真撮影出来ないので引用】

 

海辺の風景                             マルクス・ノニウス・バルブスの彫像       ウェヌス像         
  

アキレスとキロー                   脛当                    剣闘士の小像        首飾り          
   

彩色画のある櫛                        三脚を飾るクピドたち            スキロス島のアキレス
   

踊るマエナス            メルクリウス小像     ゲニウス小像          イルカのモザイク[大きな物で風呂場の床]
   

ボスコレアーレ、ピサネッラ荘の高温浴室(部分)    葡萄を収穫するクピドたち  「イナクスとイオの家」出土の銀食器群より
  

カメオガラスのパテラ                       神託を伺うアキレスの表された円形浮彫      
 

ポンペイの当時(1世紀)の人口は1万人位と言われ、2000人がなくなったと言われている。
キリスト教時代になると絵画や彫刻なども宗教的な物になって私にはちょっと退屈だが、
古代ローマは、多神教でギリシャの影響も強く、神々もどことなく人間的で楽しい。
この秋に、イタリアを旅行する予定で楽しみにしている。
今回の特別展は壁画、彫刻、工芸品、日用品など約250点が展示されている。
だが、当時の生活ぶりや建物、展示されなかった絵画など全体像をビデオで紹介すると良いと思った。
音声ガイドを借りたが、500円は高すぎるし、一つの説明が長すぎる。
毎回思うことなのだが、どうして簡潔で分かり易い親切なリークレットが準備されないのだろう。
それを作ると、展示前で多くの人がそれを見・読むので人の流れが悪くなるのを恐れているからだと思う。
見る順番に、作品名・年代・簡単な説明・出来たら写真のリーフレットを作ればいい。
無料が無理なら100円で提供すればよい。
こ観客は多くなかった。

以下、常設展
こちらは撮影出来るが、展示されている作品は多くない。

岸田劉生               ピカソ                   セザンヌ
  

ノグチ・イサム                            
 

ダリ                                  ダリ                ダリ
  

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
横浜ランドマークタワー       旧横浜船渠第2号ドッグ跡[奥の建物はランドマークタワー]
 
旧横浜船渠第2号ドッグ跡は見応えがあります。
階段状の所の中はレストランなどで、あいている所はその窓です。
"近代化産業遺産"というものが全国に33あるそうで、その一つだそうです。 
                                     横浜みなと博物館など
 
雨が降ってきたので帰りました。

高坂=岩殿観音を歩く

2010年04月19日 | ウォーキング
4月19日(月)

東武東上線・朝霞台駅で10時2分発小川町行きの急行に乗って驚いた。
朝遅く、下りなのに混んでいて座れないのである。
たくさんの私立大学が東武線沿線にあるからと思われる。
東武東上線・高坂駅を降りてまた驚いた。
大東文化大学・東京電機大学のスクールバス専用乗り場が大きく案内されていたからだ。
そのバスは満員でしかもかなり頻繁に走っていた。
大東文化大学までは3kmほどあり、東京電機大学はもっと距離がある。

駅前から続く1kmほどの大通りは"彫刻通り"と言われ、高田博厚の32体の彫刻が両サイドに並んでいる。
正面の建物は高坂駅                        高村光太郎       ポール・ニック      タゴール        
    
棟方志功          新渡戸稲造         宮沢賢治       男のトハソ          高橋元吉       マハトマ・ガンジー       
     

常安寺
                                     観音堂
 
米山薬師堂
 

こども動物自然公園[月曜で休館]


大東文化大学
 
学生はたくさんいたのに不思議に写真には写らなかったようだ。
一帯はすべて大東文化大学のキャンパスと言うほど広大であった。

埼玉県平和資料館[月曜で休館]
 
この一帯は物見山公園と言い、山道を越えると大きな道路に出た。
するとそこに岩館観音の案内板と不思議な入り口があった。

正法寺・岩館観音
  
岩館観音堂
 

 
弁財天                                薬師堂
 
百地地蔵                               鐘楼から参道を臨む
 
境内では何か映画の撮影をやっていた。
 
制札(草木を採ることを禁じた高札)                仁王門
 

正法寺の仁王門前の急階段を下ると正法寺の長い参道であった。
熊野神社                              正存院
 
正学院・不動堂                           参道を振り返ると正法院の仁王門が遠くに見えた。
 

弁天沼                                阿弥陀堂の板碑など
  
坂上田村麻呂が悪竜を退治してその首をこの沼に埋めたと言う。以来、蛙が鳴かないという。

足利基氏の塁跡(足利基氏がここに立ち寄り屋敷を築いたという)

現在は何も残っていない。

彫刻通りを往きとは反対側を通って駅に向かった。
大東文化大学のバスは頻繁に往復していた。

風が心地よかった。
桜は終わったが、色んな花が咲いていた。




京成佐倉~JR佐倉を歩く

2010年04月18日 | ウォーキング
4月18日、寒い日・雨が続き、久しぶりに出かけた。
成田山に行く予定で、その前に少し佐倉に立ち寄ってと思った。
だがこれは失敗であった。
佐倉に国立歴史民俗博物館があることは知らなかった。
今回は中に入らず佐倉城跡だけを見て、しばらく散策してから成田山に行く予定であったのだが、
大幅に時間がかかってしまい、またも成田山は行くことが出来ず、JR佐倉に抜けて帰ってきた。


国立歴史民俗博物館・佐倉城趾~佐倉城跡に作られた立派な国立の博物館。
 
佐倉藩は、その所領は決して大きい大藩とは言えないが江戸の東に位置して江戸を守っていた。
また、藩主は譜代大名が勤め、老中などの幕府の要職を占めた。そのため失脚なども多く度々藩主が変わった。
馬出し空壕跡                             本丸跡
 
城跡から"城下"・佐倉を臨む                   幕末日米交渉をした老中・堀田とハリス       臼杵磨崖仏のレプリカ
   
                                                                (大分県臼杵市の石仏・大日如来)=博物館近く

重願寺                                海隣寺(時宗)
 

勝全寺                                嶺南寺
 

甚大寺(金毘羅尊)
 

堀田一族の墓(幕末老中の堀田正睦)              延覚寺
 

歴史生活資料館         教安寺
  

妙寺(金銅地蔵=1721年)
 

勝寿寺(曹洞宗)
 

妙経寺
 

三谷家住宅                             松林寺(阿弥陀如来)
  

おはやし館                              市立美術館(茶色の建物とその後ろ)
 

佐倉市武家屋敷{210円}
 
                                    児玉源太郎旧宅 
 

大聖院                                  周徳禅寺に行く途中の地蔵
 

周徳禅寺
 

さて、ここから帰るのだが、標識によるとJR佐倉駅までは500mとある、
また、京成線はかなり混むので佐倉から乗ると座れないことも予想されるので、
JR佐倉駅まで歩くことにした。
JR佐倉駅前は、広くゆったりしているのだが、店もなく人影もなく閑散としていた。
駅に着いたのは2時、東京まで行く快速は2時29分、千葉までの各駅は2時17分であった。
快速が東京駅についたのは、3時半、1時間もかかるのであった。
快速は1時間に一本、1時間もかかり、しかも料金でも高く、とても混んでいるのである。
これでは京成との競争に勝てないなと思った。

佐倉城は明治時代、陸軍に接収され、陸軍の駐屯地となった。
廃城令と言う法律は、城を陸軍の財産とし、建物等を壊して陸軍駐屯地とすることの出来るものだったという。
また、明治時代、廃仏毀釈(仏教を捨てて神道にする)によって、多くの寺と仏像が破壊された。
さらに、太平洋戦争時には多くの鐘や仏像が強制的に取り上げられ兵器や工業製品にされた。
こうして日本の歴史ある建物や文化的遺産の多くが国家権力によって破壊されたのである。
それはバーミアンの大仏破壊との比どころではないすさまじいものであった。

佐倉城の北には豊かな水源の印旛沼などが広がり、そこから用水路が流れ、一帯は今でも豊かな水田地帯である。
また、丘陵地があちこちにあって山林や林の緑地帯を造っている。

私には、江戸時代大名の石高と城下町の人口や経済力との関係は想像がつかないのだが、
佐倉藩は石高10万石と言われる。
その城下町の規模はどうだったか現在の姿からは想像できない。
豊かな水田地帯であった事をうかがい知ることは出来るのだが、
今日大きな寺社が少ないことは当時、大きな都市だったとは想像できないのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【以下、番外】
4月11日、三里塚に原さんの墓参りに行って来た。
暑いくらいであった。
墓の周辺は高いフェンスで被われている。           昔、沖縄の読谷村に「象の檻」と言われたアメリカの通信施設があった。
  【引用】
ここに至る道も金属性の高いフェンスで被われている。

これは友人が採ってきてくれたウド、帰りには沢山の筍をもらってきた。
 




東松山~吉見百穴を歩く

2010年04月14日 | ウォーキング
4月14日

昨日訪れたのだが、カメラの電池がすぐ切れ、あちこち見ないで帰ってしまい、4月14日再訪した。
鴻巣駅からバスで大沼と言う所まで行き[390円]、そこから歩いた。
鴻巣駅はすっかっり変容していてびっくりした。
以前は駅前が狭くバスの乗り入れが出来ず、駅舎も古くまさに田舎の駅だった。
新しい駅前は広いロータリーになり、バス停が4つもあり、ショッピングモールも出来ていた。
運転免許所の更新は以前は鴻巣に来る人も多かったのだが、更新システムが変わったので、
更新のための鴻巣駅利用者は減ったのではないだろうか。

鴻巣駅を出てしばらくすると、荒川にぶつかる。
「川幅日本一の看板」が立っていた。2537mあるという。
もちろん水の流れている幅ではなく河川敷の幅で、道路は一直線だった。

長源寺                                本尊・薬師如来[本堂は開放されていた。]
 

龍性寺                                弁財天堂
 

この一帯はすっかり農村地帯で、吉見百穴への道は野道であった。
 

吉見百穴
明治時代になって、古墳時代後期(7~8世紀)の群集墳墓であることが分かった。219個ある。[300円]
 

                                    自生しているというヒカリゴケ[赤枠内・写真では分からないが]
 

中島飛行機の軍需工場跡 
 
昭和20年に入り、中島飛行機が地下軍事工場を造ったという。
その労働力は強制連行された朝鮮人3000~3500人であったという。

資料展示館
 
子規の句碑があった「神の代はかくやありけん冬籠もり」
 
トルコカッパドキアの奇岩に少し似ている。


岩室観音堂
 
四国88札所
 
  

當選寺[廃寺になっているようだ] 虚空菩薩             尊神堂
 

松山城趾[赤枠は百穴]~城垣等は全く残っていない。上には神社があった様だが今はない。
前方は川が流れ、天然の堀だ。小高い丘だがあたりを一望でき城の立地が頷ける。
 

妙賢寺                                浄行菩薩
 

浄福寺
 

曹源寺
 

八雲神社[江戸末期19世紀中頃の彫刻という]         松山神社[左は大鳥神社]
 

福聚寺
 

なんじゃもんじゃの木                        宇迦之魂神社[箭弓稲荷神社の隣]
 

箭弓稲荷神社
 

牡丹園[箭弓稲荷神社に隣接]~まだ蕾であった。
  

東松山は埼玉県のほぼ中央にあり、荒川が流れている。
関東では、利根川・荒川の影響がとても大きいと思う。
吉見百穴、岩室観音堂の存在は知らなかった。
特に大きな観光地ではないが見応えがありました。
日本にこのような群集・横穴墳墓があったとは知りませんでした。
スケールは比較で出来ない大きさですが、トルコのカッパドキアを思い出しました。
松山城趾は石垣や建物跡は残っていませんが、昔城だったと言われると色々想起されて、想像力が膨らみます。
決して大きく、高い山ではないが険しい斜面で、川が蛇行して城の半分を取り巻き天然の堀となっています。
頂上からは百穴が見え、岩室観音堂が隣接しています。頂上付近の木々が伐採されていて市内がよく見えます。

昨日は夏のように暑く、今日は風が少し冷たかったが暖かで上着は不要でした。
私は花に特別の関心はないが、牡丹園は咲いていると思っていたので、咲いていずちょっと残念でした。
牡丹園は決して広いとは言えないが一斉に咲くと綺麗だろうな。

お寺ではほとんど人に会いませんでした。
城跡は誰もいませんでした。
町中や畑道でも人数は少なかった。

越生~五大尊を歩く

2010年04月10日 | ウォーキング
4月10日


越生(おごせ)町は結構遠い。
北朝霞(JR武蔵野線)=朝霞台(東武東上線)から急行で30分で坂戸駅に着く。
そこから東武越生線で20分位で終点越生である。
越生駅は群馬県高崎と東京都の八王子を結ぶ八高線の駅でもある。
バスで小杉と言う所まで行ってそこから歩いたのだが、このバスは数時間に一本しかない。
インターネットで時刻表を調べていったのだが、かなり季節的に変則的で正確ではなかった。
約30分待って、10時49分発、190円だった。

円通寺
 
本尊は釈迦如来                          薬師堂の身代わり薬師                       寿老尊
  

道ばたのあちこちに
 

健康寺
 

最勝寺
 
大師堂
  
医聖・田代三貴碑[15世紀中頃中国に留学し医学を伝えたと言う]  泰雲寺(建物はなく墓地だけだった) 
                         

梅園神社                越生梅林
   
地図には苗畝人形記念美術館があるがすでに廃館になっている。

高蔵寺                                八幡神社                   本殿
  

見正寺                                
  

弘法三観世音 参道         観音堂[これが本堂に当たる]
  
観世音堂境内の子育て地蔵                   途中にお堂
 

長徳寺五大尊                           イナフク様と𠮟柷尼尊(ダキニソン=インドの悪鬼で仏に帰依した)堂
 
五大明王は公開されていない。日本三大霊地の一つに数えられている。   イナフクとは群馬県の稲含山のことで五穀豊穣・養蚕の繁栄の神。
ここは丘の上にあり、町が一望できる。
 

持参した地図では道がはっきりしない、案内板では"世界無名戦士の墓"はすぐであった。
で、案内板に従って進んだのだが、険しい山道でまるでハイキングのようであった。
大汗をかいて林・山道を抜けると、更に険しい階段があり、登り切ると不思議な建物だった。

世界無名戦士の墓

 
参道にあった馬魂碑       越生駅越しの無名戦士の墓[水色の四角囲い]のある山である。
 
        
無名戦士の墓から急斜面を降りると正法寺があった。
正法寺                                閻魔・大黒天堂
  

越生神社
 

法恩寺
 

如意輪観音堂[如意輪観音の体内に1629年の銘があるとのこと、非公開・左の白い宝物庫の中か]
 
                                     右の階段を上った所にお堂がある。

山吹の里歴史公園[太田道灌ゆかりの地という]        龍台寺
 

バスの時刻表が正確でなかったのには困った。
歩いた道々では、山がかなり迫り、綺麗な川が流れ、色とりどり花々が咲いていた。
山に桜が咲いていて、遠くから見ると綺麗であった。
また、梅の里と言われる越生、至る所梅の木であった。今はもう咲いていないが。
梅の木畑の下草を刈っていてその香りが漂っていた。
桜の花びらが風でたくさん舞っていた。
そして各所に庚申塔や地蔵や古い墓地があった。
昔は、墓地は行政の許可など不要に、また寺とも無縁に作られ、人々の生活の近くにあったのだろう。
竹林も多くあった。

特段の大きな寺や神社はないが、歴史を感じる古いお寺が多かった。
かなりの距離歩いたと思う。
特に、五大尊から無名戦士の墓に至る道は大変で、大汗であった。

ところで、東武越生線はかなりの混雑であった。
土曜の遅い午後だというのに、沿線に高校や大学がいくつかあって学生がたくさん乗ってきた。
その混雑は東武東上線にも引き継がれ、立っている人が多いのである。
多くの若い学生が座り、身も蓋もない話を大声でし、多くの年寄りが立っていた。
私は良いウォーキングを楽しんで来て良い気分でウトウトしてだけに、この若者達に不快であった。
東武越生線は単線のワンマンカー、ホームには写真のようなセンサーが設置されていた。

電車が来ていて、ホームの端に人が立っていると運転手にそのことが知らされるのだろう。
人が立っていると電車が発車できない、また、人が立っていると電車がホームに入ることができないシステムではないようだが。

指扇~上尾=馬蹄寺・徳星寺を歩く

2010年04月09日 | ウォーキング
4月9日


清真寺[曹洞宗]


埼玉県総合リハビリテーションセンター                円通堂
   
森朴斉の墓と碑[桑名藩士で江戸時代ここに一時住み、人々に教えた](円通堂敷地内)  正覚寺寺子屋遺跡
 

地蔵院
 

平方河岸                               八枝神社
 
八枝神社境内内                          八枝神社前
 

村社橘神社


馬蹄寺
  
本堂[釈迦三尊]本堂は開かれ自由に参拝できた。

モクコク(椿)の大木


丸山公園(14.9haの広大な公園です)
 

小林寺                                薬師如来堂[十輪寺跡]                       堂内に小さな如来像が
  

徳星寺[真言宗から天台宗に変わったという]
  
                              大カヤの木
  
 

椿堂                                  しばらく行った所に太子堂(近隣の墓地)が
                       
椿堂[元は林蔵院(明治4年に廃寺)]、境内に椿の木があったという。
左前に、芭蕉の椿の句碑(1834年)、「うぐひすの笠したる椿かな」。

ここから上尾駅までは距離がありすぎるのでバスで帰ることになるのだが、
近くのバス停からは数時間に一本しかないので、東武バス車庫前まで歩きそこから乗った。

JR高崎線に沿って、中山道があり、上尾はその宿場町で栄えた。
今日歩いた所は、鉄道とだいぶ離れていて市街地ではない。
バスの本数は数時間に一本しかない、こういう所では自家用車は必要だなとは感じる。
中山道とはかなり離れているが荒川が流れていて、江戸時代は荒川の船便は活発だったのだろう。
江戸時代は田んぼだったかもしれないが、集落ごとに墓地や鎮守・神社があって栄えていたことが想像できた。
各所や寺に無縁仏となった墓石が集められ保存されていて、それがうかがい知れる。
郊外では、寺内の墓地と異なり、田畑の一角に墓があり、その敷地も広く先祖からの墓石が祀られている事が多い。

川越線は確か初めて乗ったと思うのだが、単線とは知らなかった。

馬蹄寺はその名の通りたくさんの馬頭観音像や塚があった。
何より本堂の扉が開かれているのは素晴らしかった。

【以下は余談である】
"ブログ"は、goo、Google、ヤフー、Biglobe等のポータルサイトが無料で行っているサービスで、特別なソフトは不要である。
私は、"goo"を使っている。使い勝手が良く気に入っている。
だが一つ不満だったのは写真のアップロードが面倒で時間がかかることだった。
私は4月から、"gooブログアドバンス"を申し込んだ。
それは月200円の有料サービスなのだが、写真の「アップロード」がすこぶる簡単にできるサービスが含まれている。
ブログに写真を載せるには、写真をインターネット上にアップロード[サービス会社のコンピュータ=サーバーに転送・保存]する必要がある。
無料ソフトでは一度に3枚しか転送できない、しかもそれぞれにタイトルをつけなければならず、結構手間のかかる作業であった。
"gooブログアドバンス"にすると、タイトルを自動で付けて一度に30枚を1分ほどで転送できるのである。
月200円は、安いかそれともとも高いか?

越谷=東福寺を歩く

2010年04月08日 | ウォーキング
 4月8日

観音寺                                稲荷神社
 

越谷市中央市民会館(越谷市役所前)
  引用
越谷市民には失礼かもしれないが、場違いというか、周囲を圧倒する巨大で超豪華建造物であった。

東福寺
  
 
観音堂
  

香取神社


建長板碑(1249年)[水色線で囲った所、手前に越谷御殿跡]                                 越谷御殿跡
  
越谷は、家康の鷹狩り=領地視察の地で、越谷御殿があったと言う。
江戸城が焼失した時、それが江戸城に解体移築されたと言う。
家康は、小まめに江戸各所に鷹狩り=視察に出かけたようです。

久伊豆神社参道[この参道は500mほどある] 左は天嶽寺入り口 沢山の庚申塚など
 

天嶽寺
 
 

久伊豆神社                             本殿
  

弘福院                                照光院
 

桜堤(日露戦争戦捷記念に植えたという)


浄光寺
 

少し時間も距離も少なかったです。
初めは空気が冷たく手袋を使いましたが、すぐ暑い位になり、楽しみました。
道・地図は迷うことなくうまくいきました。