風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ベトナム・カンボジア旅行/ハノイ・パヒュームパゴダ

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅

11月26日から12月15日の20日間、ベトナム・カンボジア観光旅行に行って来ました。
4年ほど前のピースボートで、ベトナムのダナンに一日だけ滞在しました。
その後、フランス旅行の往路のトランジットでホーチミン市内を二日、帰路のトランジットで一日観光したことがあります。
カンボジア・アンコールワットは、ピースボートで3泊4日のツアーで観光しました。
今回は、妻と二人でハノイ、フエ・ホイアン、アンコールワット遺跡の観光をします。
ホーチミン市は2泊だけ、メコン川クルーズだけです。
ベトナムの南北縦断鉄道は魅力でしたが、本数が少なく予約も簡単ではないのであきらめました。
ベトナム・カンボジアは移動手段が限られ、また言葉の問題もあるので全くの個人旅行は私には難しいので、
現地でのツアーに参加することにしました。ホテルまで迎えに来てくれ、日本語のガイドが付きます。
飛行機、ホテルの予約等は私がしました。
今回、ホテルのグレードをワンランク上げ、ホットなバッフェスタイルの朝食付き、
洗濯が便利なバスタブ付きにしました。それでも1泊二人で6000円ほどです。

ルートは、日本とほぼ同じ気候のハノイから入り、亜熱帯の南部へと南下しました。

インドシナ半島の旅行は、雨季より乾季つまり夏より冬の方が良いと言われているのでこの時期にしました。
ところが、中部のフエ・ホイアンは今の季節、雨が多く、月500mmの雨量だそうです。
北部のハノイはほぼ東京と同じ気温、中部のホイアンは雨季、そしてオーチミン市・カンボジアは真夏のようです。
ハノイは暑からず寒からず、中部は確かに雨が多かったすが大雨は一日だけで、後は傘を差せば大丈夫でした。
暑さを心配した南部ですが、30度を超える日はなく、朝晩はひんやりし、日中は長袖Tシャツでした。

11月26日、一日目

成田を10時30分に立ち、ハノイ空港に着いたのは午後2時10(時差2時間)、実際の飛行時間は4時間ちょっとです。

しかし、手荷物が出て来たのは40分後でした。
午後4時からシクロ[自転車タクシー]で旧市街を観光のツアーを申し込んでいたので少し焦りました。
あわててタクシー乗り場に急ぎましたが、ベトナムのタクシー事情は日本とはちょっと違います。
日本では、タクシー乗り場に並べば順番に乗れますが、
ベトナムではタクシー会社を自分で選ぶのが多いので、猛烈な客引きなのです。
空港で、円をベトナムドンに両替する時間がありませんでした。
英語が通じなかったのですが、メモのやりとりで25ドルというので乗りました。
メーターでも22~23ドルのようなので高くは無いと思いました。
ホテルに着いたのはちょうど4時でした。
ベトナム人のガイドが待っていて、遅れても良いと言われました。
あわててチェックインだけして、4時15分に出発しました。


約1時間シクロで旧市街地の市場街を観光しました(ツアー代金は1,600円)。ツアー終了時三人のドライバーに1$ずつのチップでした。
ハノイ大教会に入りました。その前で、アオザイを来たお嬢さんがいたので写真を聞くとOKでした。
 

旧家保存館[中に喫茶店があります]の中を見ました。
 
 
  
右端の服は、昔のベトナムの伝統的な服と言うことでした。
ガイドが、果物屋に案内してくれたのですが、生ものなのでパスして、食事ができるところを案内してもらいました。
ホテルの目の前で、日本人がオーナーで日本語のメニューがあるスポーツバー風レストランでした。
その後何度か利用しました。
フォーと野菜入り焼きフォーをつまみにビールを飲みました。
 
これで240,000ドン=12ドルほどだったと思います。
地元の人が使う屋台ではもっと安いと思いますが、私たちは衛生状態が良くない屋台は避けました。
以前のベトナム、カンボジアではビールは冷えて無く、氷を入れる所がありました。
氷入りビールは時々見かけるようですが、お薦めではないと言われています。
今回の旅では、かなり冷えていて栓付きのビールが運ばれました。
目の前で栓を開けます。不純物が入っていないと言うことです。気の利いた店ではグラスも冷えていました。
ビールは、ハイネケンや日本ビールもありますが、地元のハノイ、タイガービール[1ドルほど]の倍ほどの値段です。
昔は、封を切って、水道水を入れたペットボトル入りの水が売られていたこともあるようですが今はほとんど無いようです。
ベトナムの貨幣・ドンについてはあとでまとめて書きましょう。

ハノイ インペリアル ホテル
ハノイ旧市街地喧噪の真ん中にあり、ホアンキエム湖から200mほど、辺りは狭い路地に入り組み、街全体が市場という感じです。
 
決してできれいではありませんが、部屋数も少なく、バスタブ・冷蔵庫があり、室内でネットもでき、
日本語が出来るスタッフもおり、8泊するのですが、とても居心地良く、とても良かったです。
唯一の難点は、ホテル前の道路が狭く、タクシーなどの横付けに難があることです。

11月27日、二日目
ハノイから南に約70km程、緩やかな岩山の中にある香寺[パヒュームパゴダ]に行くツアーに行きました(ツアー代金は、4,300円)。
この寺は、香山に散在する13のお寺の総称で、旧正月は大変な混雑だという。
出発は、ホテル7:45のピックアップ。でも、あちこちで拾ってくるようで、私たちの所へは45分ほど遅れました。
ベトナムもカンボジアも朝が早いです。
夏は暑くなる前に一仕事、そして学校が二部授業のため始業が7持とか7時半と早いことが関係しているのでしょう。
自宅で朝食を取らず、路地裏の屋台で食べるのが一般的のようで、ホテルの朝食時間も6持、6時半からと早い。 
部屋には花びらが置かれ、良いにおいを発しています。
 
食堂は、最上階18階、そこからの景色
 

ツアーで訪れるハノイ郊外の地図

ツアー客は、日本人は私たちだけで、後はドイツ人、アメリカ人、スペイン人総勢9名で、英語と日本語のガイドが付きました。
車で1時間半ほど行き、そこから6人乗りの舟に乗って川を1時間半ほど上ると、香寺です。[ボートにはチップが必要と言われました。]
駐車場のトイレ、ここは水洗の水を桶から汲んで流します。
 
 
 
 
 
 
 
これは、混雑する旧正月の時の並ぶ所、これがない時は我先にと急ぐので大変だったそうです。
 
昼食(アジアに来るヨーロッパ人は箸の使い方も慣れたものです)
   
                                      レストランの男性トイレ
 
そこからゴンドラ[歩くと20分ほど、往復歩いた人もいました。帰りはオプションでしたが私たちは往復乗りました。]
  

洞窟寺院
急な階段を上り降りすると洞窟寺院に到着です。
 
    
 

香 寺[洞窟寺院の本院]














 
 
 
 

帰りのロープウエイは希望者で自費でしたが乗りました。再びボートに乗って駐車場まで戻り、ミニバスで帰りました。
船着き場で
  
川に浮かぶのはお墓です(一回目は土中に、数年後二回目のお墓だそうです)
  
これは神社                               川海老漁の漁師
  
夕焼けの田んぼ


ホテルに戻ったのは、夜7時半頃でした。
遅くなったので、ホテルの目の前にある、昨夜と同じレストランで夕食を取りました。
   
レストランは2階にあり、テラスで食事していると、夜なのに清掃していました。ベトナム人は、よく働きます。
                【二日目終わり】

ベトナム・カンボジアの旅/ハノイ市内を歩き回る

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
11月28日、三日目

この日は、ツアーの予定を組まず、一日ハノイ市内を自由に散策しました。
ハノイの中心部は、街全体が一個の巨大な市場のようです。
幹線道路・狭い路地裏に小さなお店がぎっしり詰まり、バイクが洪水のように走り回っています。
狭い路地は迷路のように入り組み、更に人一人がやっと通れるような路地もあります。
そんな小さな路地は入らず、比較的大きな通りには、名前が書いてあるので、道に迷うことはほとんどありません。
車は、大きくクラクションを鳴らしながら威張っています。
交通信号はほとんどありません。しかし、自転車が大きな荷物を担いで車道の真ん中を悠然と走っていますし、
天秤棒を担いだ人もゆったりと車道を横断しています。【このページ最後の方にその様子があります。】
信号がないので停滞渋滞とはならないで、バイク・車の流れは切れることなく流れています。
スピードが出ていないので、走らずゆっくり横断すればほとんど問題はありません。
ただ、バイクの排気ガスがひどく、女性はかわいいマスクをし、私は鼻炎に苦しみました。
以前は、バイクの5人乗り等もあったそうですが、現在は3人までと規制が強化されたそうです。
交通違反で捕まると、いろいろな手続きで丸一日かかるので、捕まった時は「賄賂」が横行しているそうです。

午前中、ホテル近くのハノイ大教会から歩き始めました。
その後、東西南北を縦横無尽に歩き回りました。
そんな交通事情ですので急ぎ足ではなく地図を片手にのんびり歩きました。

ホアロー収容所 フランス植民地時代から多くの政治犯が収容されました。


街の様子








玉山祠 ハノイ市の中心にホアンキエム湖があります。南北約650m、東西200m程です。
早朝は、体操やジョギングやウォーキングで賑わい、よるはライトアップされ多くの市民が散歩しています。
玉山祠はその湖に浮かぶ古刹です。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
気分転換に、ベトナム各地で撮った、物売りのスナップを
   
このエネルギーあふれるスナップ集はとても気に入っています。
路上に1メートル四方の隙間があれば、もうそこは即席のお店。
古タイヤに金色のテープを貼って、ビンに入ったガソリンを売り、空気入れだけで商売する人もいます。
ミシンで服を修理する人も、店舗ではなく、路上です。
天秤棒を担いでの果物や野菜売りは、近隣の農村から朝早く街に来て、商売だそうです。
そのほとんどが、女性です。船を漕ぐのも女性がほとんどでした。
町中では日長、道端でお茶とおしゃべりする男性を多く見ましたが、きっと彼らは見えないところで仕事しているのでしょう。
ベトナムの人々は、運動靴のほころびを修理・縫い、ゴムぞおりを修理して履いています。
路地に捨てられている、紙や段ボール、空きペットボトル、レジ袋などを清掃職員でない人がきちんと回収していました。
おそらく再利用しているのだろうと思います。
少し時間があると、自分の狭い店先を掃除していました。
市民は、日本のお風呂のイスみたいなイスに座って、朝昼晩と路上のお店で食べています。
そのプラスチックのイスは本当に小さく、いくつも重ねてしまえ、場所を取りません。
本当は、顔入りでもっと撮りたかったのですが、それはできません。
私には、では路上に店を出す権利は誰が、どのように認めているのだろうか、との疑問が残りました。
ベトナムは、ドイモイを掲げていますが、社会主義の国。マフィアみたいな人が管理しているのでしょうか、
それとも政府公認なのでしょうか、決して無秩序に行われているとは思えません。
でも、この疑問は誰にも聞けませんでした。次、ベトナムを訪れる時聞きたいと思っています。

夕飯は、ホテルの近くのベトナム料理レストランのハノイ・ガーデンで採った。
  
パイナップルに入ったチャーハンが美味しかったです。値段はリ-ズナブルでした。               【11月28日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ハロン湾

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
11月29日、四日目・五日目
ハロン湾1泊2日のクルーズのツアーに参加しました。
8時にホテルでのツアーピックアップがありました。参加者は、私たち二人だけ。
ハロン湾クルーズは、3時間、5時間コースなどいろいろあるようですが、1泊クルーズを選んで良かったです。
ツアー代金は、一人28,200円と、ベトナムでは豪華な値段ですが決して高くないと思います。
日本人の1泊のクルーズ参加は多くないそうです。
約3時間半、バイチャイの船着き場に到着し、他のツアー参加者の集合を待ちました。日本人は私たちだけでした。
小舟に乗ってジャンク船・バーヤ号に乗り込み、しばらくしてクルーズに出発し、ランチとなりました。


バーヤ号船内の様子


ハロン湾の景色
 

昼食後、ハロン湾で生活する 漁民の船上村 を手こぎボートに乗って訪れました。
案内されたのは、観光客用の公共スペースと思われます。
生活場所とは少し異なるかもしれませんが、雰囲気は通じると思います。
 
この船に、アメリカフロリダに住むガテマラ人のご夫婦が乗っていました。
彼女の息子の嫁が日本人で、彼女は猛烈な日本ファンでした。
私たちが日本人と思ってワイングラス片手に話しかけて来ました。
私が椅子を持ってくると彼女は座り、楽しい会話を充分楽しみました。
翌朝、彼女は二日酔いなのか洞窟散策には現れず、昼食に登場し、私たちのテーブルに座り、再び楽しい会話をしました。
しばらくして、彼女の夫も参加してお話ししました。
彼女は、私の英会話レベルを察して、ゆっくり話してくれました。
こういう出会いは本当に楽しいです。片言でも、英語を話せると良いなとつくづく実感しました。
11月30日、六日目
翌朝は、早朝太極拳で体をほぐし、お粥だけの簡単朝食の後、小型ボートで スン・ソット(愕然)洞窟 に入りました。
とても大きな洞窟でライトアップされ、迫力満点でした。出口からの景色が冒頭の絶景です。
この洞窟で、パヒュームパゴダツアーで会ったドイツ人父子に遭遇しました。お互い顔を覚えていて挨拶を交わしました。
 

バーヤ号に戻り、ビュフェの朝食=ランチを頂きながら、船着き場に向かい、12時頃船着き、
私たちだけを乗せた車はハノイに向かい、ホテルに午後3時半頃着いたと思います。

船内の食事、かなり豪華で、クルーたちも良く訓練されていて、丁寧なサービスでした。
 

クルーズを終えて、ハノイに向かう帰り道に撮ったものです。


さて、この日はもう一つ別のツアーを用意していました。
水上人形劇と食事 のツアーです。
6時過ぎガイドが迎えに来ました。劇場はホアンキエム湖の畔にあり、ホテルから500mほどで歩いて行きました。
この劇場、国立で、料金はランクがいくつかあるようですが、3~4ドルと驚くほど安いようです。席はほぼ満席でした。

公演は1時間ほど。演奏、歌も生で迫力あり、素敵でした。
一つの出し物の公演時間が短く、テンポが良く、日本語でのあらすじを事前に読まなくてもよくわかると思います。

水上人形劇を見た後、車でレストランに行きました。(代金は、劇と食事で2200円ほどでした。)

【11月29、30日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ホアルー・タムコック

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月1日、六日目
  
マイナー気味のホアルー・タムコックのツアー(一人4300円)を楽しみました。
日本人は私たち二人だけ、英語ガイドは5人の合同ツアーでした。
この日は朝から一日中かなりの雨でした。
ホアルーはハノイの100Km南にあり、968年から980年まで首都が置かれた場所です。
当時の王たちの廟や墓・遺跡が戦争の被害にあうことなく保たれているているのですが、手入れが行き届かずだいぶ傷んでいました。
タムコックは、陸のハロン湾と言わています。

ホアルー
  

タムコック
昼食後、船着き場から、ボートに乗ってタムコックに向かいました。
平底の小さな手こぎボートで1時間ほど入った所にあります。
雨でカルストが浸食され、大きく明いた洞窟をボートでくぐるのがウリですが、かなりの雨なので、
私は少しでも早く行って戻れるようにとオールを持って漕ぎました。
ボートの後ろにメインの漕ぎ手、その前右がもう一人の漕ぎ手、その左に座った私も漕ぎました。
約一時間漕いだのですが、ほとんど疲れませんでした。
妻はレインコートを着てオーバーシューズを履き、私はサンダルでレインコートを着ました。
パヒュームパゴダツアーであった若い一人旅のスペイン人男性が参加していました。
 
日本でなら、こんな雨ならツアーはキャンセルするでしょうが、一生一度の地だと思うと行ってしまうのですね。
私の隣に座った漕ぎ手は、洞窟に入るや、お土産品を見せて、セールスするのでした。
Tシャツもスカーフも要らないので買いませんでしたが、同時に登場した別の船のお土産売りは、
漕ぎ手に「お飲み物をどうぞ」と言う殺し文句には参りましたが、買いませんでした。
船着き場に着いた時、チップを要求されました。二人の漕ぎ手に1ドルずつ渡しました。
私もボートを漕いだのですが、チップもサンキュウのお言葉もありませんでした。
もっとも、私はボートを漕いだおかげで、すっかり体が温まりましたが。こんな経験も楽しいものです。 

来たルートを逆にハノイに戻りました。
雨だったので、夕食はホテルの近くのスポーツレストランでとりました。
【12月1日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ハノイ市内・ホーチミン廟・文廟・民俗学博物館など

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月2日、七日目
今日は終日フリー、ハノイ市の北東と西を散策しました。
妻はちょっと疲れたので休養日、遠出をしないでホテルの近くを散策しました。
タクシーでホーチミン博物館に行きました(17.5ドル)。
数年前まではベトナムのタクシーは不評でした。
メーターがなく、交渉制が多かったこととタクシー会社によって料金がちょっと異なったり、ぼったくりの悪質ドライバーがいたからです。
現在では、ほとんどのタクシーは安全・安心です。特に、マイリンタクシー、ハノイタクシー、ノイバイタクシー等は安全と言われています。
タクシー代をドルで支払うというとドライバーによっては困惑する人がいます。
それは当然なことで、基本はベトナムドンの支払いなのですからおつりが準備できなかったりするからです。
ドルで支払う時は、端数を切り上げておつりは不要と言えばOKですし、臨機応変なドライバーは、おつりをベトナムドンでくれます。
タクシー利用を私は、初めは躊躇していたのですが、決して高くないので利用した方が良いと思いました。

ホーチミン博物館 入場料は、25,000ドン、1.5ドル。タクシー代は$17。


一柱寺、ホーチミン廟[金曜日は休館]、ホーチミン博物館の目の前です。
 

ホーおじさんの家 入場料は、25,000ドン、1.5ドル。 


タイ湖畔                              鎮国寺


タイロン遺跡[世界遺産、しかしほとんどが工事中で未公開]
   
軍事歴史博物館[休館]
 
                                     国旗掲揚台
 
レーニン像
  

文  廟 入場料は、10,000ドン、0.5ドル。
 

一度ホテルに戻り、妻と昼食を取り、その後タクシーで民族学博物館に行きました。
かなりの距離があり、タクシー代は、500,000ドン、25ドルでした。
入場料は、25,000ドン(1.5$)、カメラ代は50,000ドン(2.5$)でしたが、チェックはルーズでほとんどフリーでした。
カメラ代を支払うと、カメラマークのシールをくれるのですが、それを付けている人は見かけませんでした。
民族学博物館
      
民俗学博物館屋外展示物
   
民俗学博物館は、ちょっとマニアックな感じがしますし、交通の便も悪いですが、絶対のお薦めです。
ベトナムが40以上の他民族国家であることがよくわかりますし、展示も工夫され、とても興奮しました。
本当なら、それぞれの民族名を紹介したいところですが、メモする余裕はとてもありませんでした。
屋外の民族家屋は、とても素敵でした。多産・豊饒の祈りの彫刻は素朴で、おおらかでした。
若いカップルは、静かに記念写真を撮っていました。
写真が多すぎ煩雑となりましたが、私としてはどうしても載せたかったです。
民俗学博物館を見学したおかげで、翌日訪れた少数民族のマイチャウ村も良く理解出来ました。
世界遺産・タイロン遺跡が工事中で見られなかったのは残念でした。

夕飯は、ちょっと高級レストラン・マダムヒエンで食べました。それでも二人で、$20.32でした。
  【12月2日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/少数民族・マイチャウ

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月3日、八日目
ハノイから南西に110km、ラオス国境に近い山岳地帯にある高床式の伝統家屋に住む少数民族・タイ族の村マイチャウ(MaiChau)
のラック村を訪れるツアーに参加しました。
ハノイから車で約4時間、山岳地帯なので寒いと思いましたが、
サトウキビ畑が広がり、長袖Tシャツ2枚で、暑くもなし寒くもなしでした。
ツアー代金は一人8,600円、しかし車で片道4時間もかかるので、妻はツアーをあきらめ、民族学博物館に行き、
結局、ツアー参加者は私一人という奇妙なものになってしましました。

峠付近から、道幅も狭くなり、ガードレールも不十分になってきました。
村が近づくにつれて、豊かな水田地帯になってきました。
村全体が、観光村という感じです。
高床式の住居は、レストラン・ホテル・住民の住居・お土産屋になっています。
ガイドのハさんは、同じ英語ガイド仲間の宿・レストランに出資しているそうで、その店を散歩の時紹介してくれました。
仲間の妹さんが出迎えてくれ、お茶をごちそうしてくれました。
この小さな集落に隣接して、他の少数民族の集落がありました。
観光地化されすぎているとの不満もあるようですが、テレビ番組の秘境の村を期待してはとんでもない的外れな文句です。
少数民族が独自の文化・アイデンティティを保持する一つの方法と私は思います。
少数民族の生活や・雰囲気にささやかであれ触れることが出来るだけで充分です。
この村では、女性は機織りが出来て初めて一人前の女性と認められるようで、各家に必ず織機があり、
花嫁衣装など全て自分で織って嫁いで行く習わしだと言います。
弓矢や、石を飛ばす道具や水鉄砲などとても魅力的小道具ですが、買ったら飛行場で大変だなと思いました。
昨日、民族学博物館に行ってほんのわずかですが、少数民族の知識を得ていて良かったと思います。
着いて、早速昼食となりましたが、広い部屋で私一人、おそらく二人分の量を前にして、ビールをゆっくり飲みながら頂きました。
いずれも、ちゃんと火が通っていて、生ものはありません。
ビールビンの影になっている緑色の野菜の炒め物は、サツマイモの茎だそうで、美味しかったです。
                  一番踊りの上手かった女の子でした

確か、このバナナの木の先は、違う少数民族の集落だったと思います。

食事の後は、別室で民族舞踊と音楽を楽しんだのですが、最初は私一人でバツが悪かったのですが、
途中から、音楽を聞きつけた若者がたくさん押しかけました。おそらく仲間と観光に来たベトナム人だと思います。
「主賓」の私より良い席に座り、ガイドのハさんにたしなめられていましたが、私としては大助かりでした。
輪になって踊る場面では私は参加しないわけには行かず参加したのですが、途中から登場した数名の西洋人も参加して助かりました。
最後に、壺に入ったお酒を、木の茎のストローで飲むのはお金を払っている私だけでした。
このお酒、少し甘酸っぱいが軽いと思ったのですが、結構アルコール度数があるようです。
長いストローだと、多くは飲めませんが。
参加者私一人は、私の責任ではないのですが、舞踊団に少し多めのチップをしました。
滞在2時間ちょっと、少し高めのツアーとなりましたが、楽しく良かったです。

ハノイに戻り、妻と合流し、夕食。
   【12月3日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ハノイからフエへ、フエ王宮/フォンニャ洞窟

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月4日、九日目
いよいよハノイとお別れ、ベトナム中部のフエに向かいます。
午前中少し時間がありましたので、ハノイの別れを惜しむかのようにホアンキエム湖周辺を散歩しました。
日曜の朝、バイクの量も少なく、排気ガス・クラクションの数も少なく感じました。
ホアンキエム湖の周回歩道は、太極拳・ジョギング・ウォーキング・体操など楽しむ人で賑わっていました。
そして、おそらくボランティアなのでしょう、道路を清掃している数名の人々を見ました。         電気自動車のトラム
 
タンロン水上人形劇場                        シルク通り
 

ハノイ発12:20の飛行機で、フエ着は13:30。
ベトナム航空は、「リコンファーム」(予約の確認)をする必要があります。
これをしないと予約が解約されても文句を言えないそうなので、面倒でもした方が良いようです。
でも、英語でしなければならないし、電話がなかなか繋がらなかったりと旅先では結構面倒です。
フランスに行った時は、電話が繋がらず苦労しました。
今回はホテルのレセプションに頼みました。
また、フエ空港でのタクシーも心配だったので、フエのホテルに電話してもらいピックアップサービス($20)を頼みました。
また、空港へのタクシーもホテルに呼んでもらいました。($20)
朝食をたっぷり食べたので、昼食は果物だけでした。
空港へ向かう途中で。交通事故を初めて見ました。死亡事故をはじめ多いそうです。


ハノイ空港・フエ空港の搭乗手続きはとても簡単でした。
行列もなく10分で終わり、飛行時間も50分でした。
天気予報では、雨でしたが快晴で、少しむっとする暖かさでした。
出口で職員が、手荷物に付いたタグと客のタグを一つ一つ確かめていました。
これは大事で必要なサービスで、全ての空港で実施するべきだと私は思います。
出口を出ると、ホテルの職員が名札を持って待っていました。ホテルには15分位で着きました。
フエのタクシーは問題無いようでした。20ドルは少し高めでしたが、便利・安心料です。
フエは、19世紀初頭、ベトナム最後の王朝・(グエン)朝の都でした。
ちなみに、ホーチミンがフランスに亡命した時の偽名は、阮愛国(グエン・アイコック)でした。
インペリア・ホテル・フエ(少し古いですが、初めて泊まる五つ星ホテルでした。\6,620)


休憩後、フエの街を散策、王宮に行きました。(王宮はツアーで行くのですがツアーではじっくり見られないだろうと行きました。)
ホテルと王宮は反対側、フォーン川にかかる橋は長く、王宮まではかなりの距離でした。     ホテルの目の前寿司店(入りませんでした。)


阮朝王宮
王宮は、約600m四方でかなり広いです。チケット入り口は一箇所だけ、55,000ドン($4)。
長い年月は経っていないのですが、修理・保存が行き届いていないようで、痛んでいました。
旧市街は、王宮の三倍ほどの広さがあります。初めてだと、王宮の入り口なのか旧市街の入り口なのか判然としません。
そう、この橋・門は王宮の入り口ではありませんでした。
    
ご覧のようにかなり見応えがありました。

夕方から、『フエ宮廷料理と民族音楽を楽しむ』ツアーを申し込んでいました。(一人約2800円)。参加者は私たちだけ。
フエ宮廷料理は、ご覧のように見た目も味も良かったです。ワインを飲みながら頂きました。 
   
   
後日、この「フエ宮廷料理」は、後日のツアーでも頂くことになりました。
食事の後は、フォーン川の船の中で民族音楽を楽しみました。
他の観光客も合流し、20名ほどでした。
隣に座ったのは、カナダ・バンクーバーに住むベトナム系カナダ人の夫と白人の奥様でした。
男性は、すこぶる日本・日本人ファンで、私たちに話しかけて来ました。
ショウの始まりがかなり遅くなったので、おかげでたくさんお話ししました。
   
日本人ガイドは、ホテルは近いから帰れるだろうと、帰ってしましました。
帰りの道で。
 
ホテルは高層なので、間違わないで無事戻ることが出来ました。
この日は、日曜日でチャンティエン橋はライトアップされ、家族連れも多く、狭い路地に入らなければ、心配はありません。【12月4日終わり】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

12月5日、十日目
2003年に世界遺産に登録されたフォンニャ洞窟を巡るツアーで、私たちだけでした(一人¥7800)。
フォンニャ洞窟は、フエから約100キロ北のドンホイ、そこから更に50キロ北西にあります。
2億5千万年前に形成された鍾乳洞で、ベトナム最大の規模だそうです。 
ドンホイへ行くまっすぐな道、トラックにサトウキビを積む人と子どもたち、気に入った一枚です。(車内から)
  

朝食                                  食堂は最上階にあり、そこからのスナップ
 

フォンニャ洞窟は、遠いので朝7時の出発ですが、食堂は6時から開いています。
統一鉄道と道路が交差、珍しく踏みきりで列車待ちとなりました。                  トイレ休憩
  

世界遺産フォンニャ洞窟の標識                  田んぼに水牛の群れが
 

昼食(大きく立派なレストランではなく、ごく普通のレストランでした。)
香辛料が強め、更に甘さと塩味も濃かったですが、美味しかったです。
こんな田舎でも、ウオシュレットのトイレでした。

 

ここから、ちょっと大きなボートに乗って洞窟に向かいます。ボートは手こぎではなく、エンジンでした。
 
 
 
さあ、ここからは歩いて洞窟です。
 

 

 

   
 

 
ベトナム一の洞窟の名に恥じない規模と美しさでした。訪れていた人は数名で、静かに楽しめました。
帰りは、別の船着き場まで山道を少し上り降りして行きました。
ツアー客が私たちだけで時間がかからなかったので時間つぶしのためでしょう、途中のお土産屋で休憩となりました。
何も注文しないわけにはいかず、お水を買いました。

渡し船です。      川は、ゆっくり流れ、行き交う船も少なく、ゆっくりと穏やかでした。
 
                                 帰り道、きれいな田んぼがありました。    
  
ゴム園だそうです。
  
始め、これまでのハロン湾やホアルー・タムコックの洞窟と同じで、このツアー失敗かな、と思ったのですが、違いました。
世界一の規模という洞窟だけあって、雄大できれいでした。
現地滞在は2時間ちょっとだけですが、途中、ベトナムの稲作農村風景なども堪能し、良かったです。
ベトナム中部のフエ・ダナンは今が雨季とのこと、フォンニャ洞窟の帰り、少し雨に降られましたが、
昨日、今日と天候に恵まれ良かったです。

夕食は、ホテルの近くで、『地球の歩き方』で紹介されているマンダリン・カフェで取りました。
日本語メニュウがあり、オーナーのクーさんが撮った写真が店の壁一面に貼られています。
絵はがきを買うと、クーさんが寄って来て、アルバムを見せてくれ、更に名刺大の写真や他の絵はがきもサービスしてくれました。
  
                                        これはホテルのロビー、ピアノ演奏をしていました。
       【12月5日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/フエ・ホイアンツアー

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月6日、十一日目
フエ・ホイアン2泊3日ツアーに参加しました。(一人\25,900)
一日目は、フエ市内一日観光で若い日本人女性二人と、若い男性一人、そして私たち夫婦の5人のツアーでした。
ミニバンに5人、車内はゆったり、スーツケースを車に積んで、朝9時のゆっくり出発でした。
フエは、朝から雨でした。

ミンマン帝廟
19世紀中頃作られた、中国風のミンマン帝の廟。
 
                                         ミンマン帝の功績をたたえる石碑
  
 
 
 
                                     ミンマン帝の墓
 
 

カイディン帝廟
1916年に即位したカイディンによって造られたフランス風帝廟で、
日本から輸入されたビールビンの欠片や中国から輸入された陶磁器などでモザイク様の装飾がされています。
  
 
 
                                     ビールやSAKAE(日本のビール)などの文字が見えます。
  
  
                                     有料トイレ(2000ドン)
 

お土産屋に寄りました。
線香                                              ベトナムの傘帽子・ノン
   

トゥドゥック帝廟
この廟は、トゥドゥック帝が余生を過ごすために、19世紀中頃作られたそうです。
 
 
 
 
庭には、南国の珍しい盆栽が、大きいです。
  
   
 
トゥドゥック帝廟の墓
 

ホイアン三大名物のランチ
左から、ホワイト・ローズ(米粉の皮でえびのすり身を包んだ蒸餃子) 
カオ・ラウ(日本の伊勢ウドンがルーツと言われる、米粉の麺に鶏やお肉、野菜でトッピング)
揚げワンタン(豚のミンチとエビのすり身を黄色い皮で包んで揚げます)
   
その他に、ベトナム風お好み焼き
  

阮朝王宮 (写真は、12月4日の所に)      宝物の展示
   
修復中の建物の屋根飾り
 
                                      王宮のトイレ
 

ティエンムー寺
ベトナム戦争中、仏教弾圧抗議と平和を求めて、ここの住職ティック・クアン・ドック師が焼身自殺しました。
当時の南ベトナム大統領の実弟の妻・マダム・ヌーは「あんなのは単なる人間バーベキューよ」とうそぶきました。
 
  
  
  
ドック師がサイゴンまで乗って行った車
 
                                     境内からフォーン川が見えます 
 

その後、フォーン川で40分ほどのボートクルーズを楽し見ました。
 
川で、体を洗っている人
   

また、刺繍工房なども見学しました。                                     刺繍です。
   
『フエの宮廷料理』を楽しみました。レストラン (料理は、過日と同じなので写真は略)。
 
美味しかったので問題はないのですが、二度も食べに行く人は珍しいでしょうか。
ボーイさんが覚えていて、ニコッとしてくれたのは良かったです。
私は、歩き足りないのでしょう、十分空腹でないので全部は食べられませんでした。

フエのホテル・Mondial hotel(ツアーなので料金は不明です。)
  
                                     部屋からの景色
   【12月6日終わり】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

12月7日、十二日目 フエ・ホイアンツアー二日目、ホイアンへ
朝食 これは飾り。
 
午前中は、自由時間。一度乗りたかったバイクタクシー。ホテルのレセプションに聞くと、2時間17ドルを紹介してくれました。
バイクタクシーを使って、フエ市内を散策。レインコート・ズボンを着ましたが、ちょっと寒かったです。
   
ホーチミンらが学んだクオック・ホック、ホテルの部屋から撮ったもの。市民はホーチミン高校と呼んでいました。
  
ファン・ボイ・チャウ記念館
日露戦争の影響から、フランスからの独立運動を戦った「東遊運動」で有名なファン・ボイ・チャウの墓や像があります。

まだ少し時間があったので、歩いて市内、特に朝市を散策しました

フエ、フォーン川沿いの朝市。(朝市の写真は再掲です)


レストランでランチの後、ダナン・ホイアンに向かって移動です。
若いお嬢さん達は昨日だけ、若い男性一人と私たちの三人のツアーでした。
ランチ

ダナン・ホイアンに向かう途中。ダナンでトイレ休憩に寄った大理石加工場とお店など。


夕方、ホテルに着きました。ホテルは、ホイアンの街の外れにある、リゾート風のホテルでした。

ホテルチェックイン後、夕食。レストラン。

その後、ホイアン市内をガイドと共に散策しました。ホイアンの街は、細い路地以外は夜も安全のようです。
【12月7日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ホイアン

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月8日、十三日目
朝食                                 ホテルで誕生日を迎えた人がいたようです。
 
ホテル近くを散歩しました。  

出発は、朝9時とゆっくりでしたが、時々激しく雨が降り始めました。
ミーソン遺跡
1時間ちょっとで、ミーソン遺跡に着きました。
ミーソン遺跡は、ホイアンの南西40kmにあります。2世紀末から17世紀、ベトナム中部に栄えたチャンパ王国の聖地です。
1999年世界遺産に登録されました。
詳しい歴史を私は知りませんが、クメールと並んで豊かなインドシナの中部も豊かで、チャンパ王国も栄えたのでしょう。
ダナンなど中部は、豊かな水と山岳とそして海洋貿易もさかんで、9世紀になると日本との交易も盛んで、
ホイアン市内には、日本人町があり、日本橋という小さな橋が今日のホイアンのシンボルとなっています。
ミーソン遺跡入り口の建物で、民族舞踊と音楽を見ました。
笛を吹く男性は、息をしながらフエの演奏が出来る特技を持っていて、10分間位吹き続けました。

ミーソン遺跡はいくつかのグループに分かれていますが、一帯はベトナム戦争の激戦地でした。
アメリカ軍の爆弾のクレーターや弾痕の傷跡、不発弾や地雷などの影響で、痛みがひどいです。
 

ランチ[ホイアン三大名物の揚げワンタン、ホワイト・ローズ、うどんのカオ・ラウ、、ミニシュークリーム]


ランチ後、ガイドの案内でホイアン市内を散策しました。
日本橋

廣勝家(クアンタンの家)
 
貿易陶磁器博物館(海のシルクロード博物館)
 
 
馮興家(フーンフンの家)
  
廣肇会館
 
福建会館                                                           看板を修理していました。
  

      
天后宮
 
国営シルク工場

その後2時間ほど自由時間となったので、私は単独でホイアン市内を散策しました。
実は、使い慣れたサンダルの鼻緒がちょっと臭ってきました。
そこで散策がてらサンダルを買おうと思ったのですが、いざ店を探すと意外と無いのでした。
やっと探し当てて、15ドルで買ったのですが、クッションが良くなく、靴擦れになりそうなので靴下をはかなければなりませんでした。
プロテスタント教会                           仏教寺院
 
文聖廟                                 棺桶屋さん
 
孔子廟
 
                                    子ども達がボランティア掃除をしていました。
 
職員が道路を消毒していました。   お土産屋さん
  
途中、有料トイレがあり、利用しました。(2000ドンでした。)
待ち合わせ場所のシルク工場に戻り、ツアーと合流しました。
さて、ツアーも終わり、フエ・ホイアン・ダナンともお別れです。ダナン空港まで送ってくれました。
ダナン空港19:10発、ホーチミン空港着20:20です。
所が、19:10発の飛行機は1時間延期とフライト情報がありました。
通訳のファーさんがあらかじめそのことを知らせてくれたのですが、
私は、夏時間の変更のことかと勘違いして、何度か聞き直しました。
空港事務局で、ファーさんは係員にフライト情報の変更について聞いてくれたようでした。
ファーさんと別れた後、しばらくして、空港職員が来て前の便に乗れそうだと話しかけて来ました。
私は彼とは面識が無く初めてですし、パスポートの提示を求められた時は、事情が飲み込めず一瞬「詐欺」かと思いました。
英語では普段使い慣れ無い場面ですし、少し話すうちにやっと正規の職員であること、事情が分かりました。
一度発券された搭乗券が破棄され、新しい搭乗券が届きました。
ベトナムの空港サービス、とても良かったです。
結局、予定通りのフライトとなり、一安心したので、夕食を取ろうと思ったのですが、
ダナン国内空港にはレストランは無く、あったのはインスタントラーメンだけでした。35,000ドン($1.75)

飛行機は予定通りの運行、手荷物引き取りもスムーズ、タクシーも順調でした。
タクシードライバーはマイリンの女性ドライバー、運転は上手なのですが、ひっきりなしに携帯電話がかかって着ました。
ホテルに着いて、お金を払う段になって、ドルではおつりがない、また空港入構の料金が加算されるようなど、上手く通じません。
その時、ホテルから出て来たおそらく韓国人が通訳を買って出てくれ一件落着、確か8ドルだったと思います。
チェックインし、インターネットなどを確かめ、シャワーを浴びると、排水口が詰まっていて、シャワー室からあふれそうになりました。
シャワーのホースの調子も悪いので、急いで体を拭いて、電話をしました。
「しばらくすれば排水されるでしょう」などと言うので、文句を言うと、メンテナンスが着ましたが、
なかなか良くならないので、再度レセプションに電話して部屋を変えてもらいました。
しばらくして、ボーイが来て、部屋を変えてくれました。ベッドに入ったのは、深夜となってしまいました。  【12月8日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/ホーチミンシティ

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月9日、十四日目
Golden Central Hotel Saigon(\7,900)
  
ベンタイン市場、統一会堂(旧大統領官邸)の近くにあり観光によいロケイションです。
朝食                                   食堂は最上階にあり、そこからの景色
 
 
今日は、メコン川クルーズに参加しました(¥4,300)。
8:30出発、日本人男性3人のグループと、若い男女のカップルの計7人のツアーでした。
2時間ほどで、メコンデルタの真ん中にある、ミトーに着き、船に乗って、あるタイソン島に向かいました。
船着き場
 
 
ランチ

永長寺(仏教寺院)

ホテルに3時半頃戻り、ツアーは終わり。

私は、一人でホーチミンの街を散策しました。
ベンタイン市場
 
ホーチミン市人民委員会                    ホーおじさんの像
 
サイゴン大教会(聖母マリア教会)
 
中央郵便局                                  中にはお土産物店もあります
  
統一会堂(旧大統領官邸、前回入ったので今回は外からだけ) 統一会堂前の通り、ベトナム労働党書記長・レ・ジュアンの名が付いています
 
ホーチミン作戦博物館(外観のみ)
 
 
動・植物公園                              駐車場
  
歴史博物館(外観のみ)                        フンブオン廟
 
ホーチミン市博物館(翌日再訪し、入館しました)
 
  

ホテルに戻り、「地球の歩き方」の載っているちょっと洒落たレストラン/テンプルクラブで夕食。
ワインを2杯ずつ頂いて46.5ドルでした。
場所がわからなかったので他のレストランの人に聞くと親切に教えてくれました。(他の都市でも同じ様に親切に教えてくれました。)
 
  
街は、賑やかです。                         ベンタイン市場前は夜市が開かれていました。
   
 【12月9日終わり】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

12月10日、十五日目
ベトナムの旅を終えて、カンボジアへ向かいます。飛行機の時間は午後4時なので、ホーチミン市内を散策しました。

朝食と食堂からの風景
 
ホテルの近くのお寺             ヒンドゥー寺院
 
市民劇場                              サイゴン川畔メリン広場、チャン・フン・ダオ像
  
チャン・フン・ダオは13世紀モンゴル軍を迎撃した英雄として有名
サイゴン川のフェリー乗り場、サイゴン川も雄大に流れています。
   
新市街地と言える高層ビル
 
ホーチミン博物館(外観だけ)                     国立銀行 
 
美術博物館(外観だけ)
 
ホテルの食堂でランチ。ちょっと高めですが、時間をゆっくりつぶしました。
妻はフォーとココナツジュース、私は焼きビーフンでした。
 
ベトナムは15日間までは、ビザが要りませんが、それ以上はビザが必要です。カンボジアは、ビザが必要です。
【12月10日、ベトナム終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/カンボジア入国とアンコールワット

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月10日、十五日目、カンボジア第一日 
タクシーで、ホーチミン・タンソンニャット国際空港に行きました。たしか8ドルだったと思います。
飛行場でのベトナム出国、カンボジア入国も簡単でした。
空港で、余ったベトナムドンをカンボジアリエルへの両替を試みましたが、扱わないそうです。
また、ドルからのリエルへの両替も少額は出来ません。
カンボジアでは、ベトナム以上にドルが流通しているので、全くの個人旅行でなければリエルは全く不要と言えます。
ただ、ドルで支払って端数のおつりがあるときは、リエルで来ることがあります。
カンボジアでは、チップがかなり必要とされます。
私たちは、日本で一ドル札を80枚ほど用意してきたのですが、不足してきたので、
ホテルのレセプションで両替してもらいました。おおよそ、100円=5000リエル、1ドル=4000リエルです。
タンソンニャット15:50発、カンボジア・シュムリアップ16:55着とわずか1時間です。

飛行機の中の様子                         わずか1時間なのにサンドイッチと飲み物のサービスがありました。
 
飛行機の中から、トンレサップ湖が雄大に見えました。
 
シュムリアップ空港

空港を出ると、カンボジア人のガイド Sarom さんと運転手の Na さんが出迎えてくれました。
カンボジア、シュムリアップは、アンコールワット遺跡の入り口の町です。
ハノイ・ホーチミン市の雑多・喧騒が嘘のようです。
ベトナムでは、バイクと自転車と車と歩行者が道路でひしめき合い、クラクションの音が絶え間なくしていましたが、
カンボジアでは、車は他の車をほとんど追い越さず、自転車はゆっくり走っています。
全てがゆったり流れている感じです。
バイク、車が少なく、排気ガスの臭いもせず、自転車が多いです。
車も、バイクも自転車もそのスピードは実にゆっくりしています。
[もっとも、4年前訪れたときのプノンペンはベトナムの町のようにオートバイの群れでしたが]
ベトナムでは、バイクの後ろに乗るバイクタクシーと自転車の前の部分に乗るシクロですが、
カンボジアでは、バイクがリヤカーを引くモトードップが移動の主な手段ですが、メーター制ではなく、交渉です。
シュムリアップは、想像していたよりは暑くありませんでした。
飛行機から降りたときは午後4時でしたので、気温も下がったようです。
晴れた日中は32度くらいになるそうですが、疲れたら昼寝時間=シエスタもとれるようなので安心です。
カンボジアでの4泊5日のツアーは、私たち二人だけなので、わがままもできそうです。(ツアー料金は、一人約38,000円でした。)
ホテルまでは15分ほどだったでしょうか。
Angkor Riviera Hotel は、シュムリアップ市の中心部、シュムリアップ川の畔にあります。


夕食は、ホテルから歩いて10分ほどの所にある「パブ・ストリート」のクメール・キッチンで食べました。カレーとカンボジアヌードル。
パブ・ストリートは、オールドマーケットに隣接し、200m×150m程のレストランエリアです。
  
【12月10日、カンボジア一日目終わり】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

12月11日、十六日目、カンボジア二日目
朝食                                    ホテル近くで
 
朝は肌寒い位でした。
8時半ホテルを出発して、15分ほどでアンコールワットの入り口に着きました。
チケット売り場で、4デーイズチケット(40ドル)を求めました。
カメラで顔写真が撮られ、しばらくすると、顔写真入りのチケットができあがり渡されます。
更にしばらく行くと、アンコールワットの入り口です。
4年前に訪れた時は、9月の雨季で、水たまりがあちこちにあり、ムッとする暑さでした。
それ以上の驚きは、今回は、土産物売りが圧倒的に少ないことでした。
ベトナムもカンボジアも、教師と教室が足りないので二部授業です。
ですから、授業のない多数の子供がかなり頻繁にお土産売りに来るのです。
顔を見るとつい同情してしてしまうので、無視するのが一番です。

アンコールワット遺跡
日本でアンコールワットと言う時、アンコールワット遺跡群とアンコールワット寺院の二つを兼ねています。
アンコールワット遺跡群の中心的・シンボル的遺跡がアンコールワット寺院です。
アンコールワット遺跡群は次の地図のようにかなり広大です。

アンコールワット寺院

          
遺跡の近くのレストランで食事を取り、休憩無しでそのままツアーを続けることも可能でしたが、
私たちは、2時間半ほどの休憩を取ることにしました。ホテルに戻り、ホテルの食堂でカレー味のイエローヌードルとチャーハン、
昼寝をするので、ビールを小瓶で1杯半飲みました。
ツアーは、私たち二人だけなので、移動やトイレや観光もスムーズ、そして私たちの好みでアレンジでき良かったです。
シエスタの後、アンコールトム遺跡などを訪れたのですが、その帰りにアンコールワットの夕日を見ましたので、
時間が前後しますが、夕焼けシーンを。
この日は、日曜日、市民が世界遺産でビールを飲んで宴会したり、家族が散歩したりとても和やかに賑わっていました。
私のお気に入りの一枚です。
 

アンコール・トム 広大です。
午後2時半過ぎ、日射しも和らぎ、気温も高くなく過ごしやすいです。
  
バイオン


バプオーン
 

王宮(入り口だけ、建物は木造だったため残っていない)  象のテラス


王のテラス・ライ王のテラス
 
                               ライ王とも閻魔大王とも言われる(レプリカで、本物はプノンペン博物館)

ライ王は、ライ病ににかかったと言われます。

午後5時、再びホテルに戻り、シャワーを浴び、その後、レストランで、伝統舞踊(アプサラダダンス)を見ながら夕食デでした。
ゆっくりワインをいただき、食事を楽しみました。

2時間ほど観光し、その後ホテルで休憩、また2時間ほど観光とゆっくり穏やかに時が流れます。
ディナーも2時間で、本当にのんびりです。
食べ過ぎないよう、生ものを食べないよう気を遣いましたが、スイーツも豊かでした。  【12月11日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/アンコールワット遺跡群2

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月12日、十七日目、カンボジア三日目    朝食

小回りルート
タ・ケウ、


タ・プローム
   

バンテアイ・クデイ


スラ・スラン


プラサット・クラヴァン


ホテルのレストランに戻り、ランチ。昼寝が出来るのでビールを飲みました。 シュムリアップ州病院
 

プリア・カン
   

ニャック・ポアン


プレ・ループ 夕焼け
 
「夕食まで少し時間があるので、取って置きの場所をご案内します」と、ガイドのサロムさん。

最近のシュムリアップの新開発地予定地でした。
一帯は、広大な平地で、広いとおりには街灯が設置されていますが、
新開発が開始されるまでは、市民の憩いの場となっているようです。
夜だけ開かれる様々な食べ物の屋台や、古着や古靴などの市場で、小さなメリーゴーランドや観覧車や
ゲームコーナーや子どものおもちゃ屋などがあって、市民達が本当に生き生き楽しそうでした。
かつての深刻なポリポト時代の内戦を乗り越えた新生カンボジアの息吹を感じ、私はトキメキを覚えました。

夕暮れのアンコールワット遺跡で宴会を楽しむ家族連れやこの不思議な遊園地市場は私の想像を超えていたものでした。
カンボジアは、ポルポト時代の何とも言えない悲劇を経験しましたが、人々は生活をしているのだと実感しました。
サロムさんは日本に行ったことはなく、地域の日本語教室や日本語の衛星放送等で勉強し、漢字は出来ないそうですが、
ピックアップの時などは、資料を一生懸命読んでいました。
今は日本語ガイドの仕事が楽しいが、日本の農業は目標です、将来は、有機の行の果樹園と農業をしたいと語っていました。

翌朝再びここを通ったのですが、昨夜の喧噪は嘘のようで、ショップなどは跡形もありませんでした。  【12月12日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/カンボジア・アンコールワット遺跡群3

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月13日、十七日目、カンボジア四日目
早朝、サンライズ(朝日)鑑賞でした。日の出は、6時半頃、朝4時に起き、5時15分ホテルを出発し、絶好ポイントを確保したのですが、
あいにく東の空の地平線は、薄雲に覆われていました。    早朝のアンコールワットです。                  日本語で世界遺産と
  
前回訪れた時は、雷雨でした。アンコールワットに稲妻が走るのは壮大でした。
いつか再訪して、ぜひ見ろよ!と言っているように感じました。 
ホテルに戻って、朝食を頂き、次のツアーに出ました。

イオン・上智大学博物館、この近くに夜間市場があります。
 

バンテアイ・スレイ
   

ロレイ


プリア・コー プリア・コーとは「聖なる牛」と言う意味、彫刻がきれいに残っています。


トイレは、水洗です。天井に大きな貯水タンクがありました。  
 

バコン
 

この日は、昼休みを取らないで三つの遺跡を巡り、今日のツアーを終え、後は自由行動となりました。
ホテルまで送ってもらい、午後1時過ぎにホテル近くのパブ・ストリートでランチを取りました。
近くの仏教寺院に立ち寄って、ホテルで昼寝をしました。
夕方になってもお腹がすかず困りましたが、ワインとともに軽い夕食をとりました。
  
  

私は、一人で近くのお寺を訪れました。
  
パブ・ストリートで夕食、お腹が空いていないので、ワインレストランでちょっとしたつまみでワインを頂きました。
「地球の歩き方」で紹介されているこのお店、探したのですが、なかなか見つからず、他のお店の人に聞いてやっとのこと、たどり着くと、
実は何度もこの前を通っていたのですが、AHAの看板が違って見えていたのでした。(つまみ一品、グラスワイン2杯ずつ飲んで28.6ドル。)

【12月13日終わり】

ベトナム・カンボジア旅行/トンレサップ湖

2011年12月30日 | ベトナム・カンボジアの旅
12月14日、十九日目、カンボジアツアー5日目
朝食

ホテルを9時にチェックアウトし、いよいよカンボジアのツアー最後のトンレサップ湖に出かけました。
東南アジア最大の湖で、水深は決して深くはないが、乾季と雨季では8m程の差があり、一帯を水浸しにしてると言います。
乾季でも琵琶湖の4倍、雨季では15倍にもなるそうです。
ベトナムもカンボジアも水豊かな土地と感じます。メコン川を始めとする大河とたくさんの川は、恵の潤いを与えています。
20日間ほど両国を旅してきましたが、乾季のこの季節にあってもどこでも豊かな水がありました。

トンレサップ湖
      
シュムリアップに帰る途中の村にあったお寺と村の様子
 


パブ・ストリートでランチ          今回お世話になったツアーの会社・ピースイン       シュムリアップ病院

午後一番、クメール伝統織物研究所に行ったのですが、2時まで昼休みでした。
オールドマーケットや新マーケットで時間をつぶすことになりました。

オールド市場


ヴィシュヌ神像のある橋と新マーケット                             

新マーケットは、ちょっと代わり映えのしないお土産屋街、こちらもほとんどが昼休みでした。

クメール伝統織物研究所
ポルポト時代にカンボジアの伝統的絹産業がほとんど壊滅状態になってしまったそうです。
日本人の森本喜久男さんは、カンボジアの伝統絹織物を復活させました。
この工房、子連れ出勤が出来るそうで、母親が仕事をする傍らで昼寝をしたり遊んでいました。
     

サラムさんは、時間が少し余っていると言って、別の工房へ案内してくれました。
木工、石工、漆工芸などをしている工房で、障害者自立を目指すNPOと行政などが協力して運営しているそうです。
 
この絵付け工房では、手話で話をしていたので、私が「こんにちは、ありがとう」等を手話で言うと、
「こんにちは、ありがとう、友達」と返ってきました。
漆工芸や石工、木工、彫金など
  
リンガと呼ばれる男性性器シンボル
  

アンコール国立博物館
入場料はカンボジアではちょっと高い12ドル、音声ガイド3ドルで、撮影禁止、全ての荷物も預けでした。
  

ガイドブックには、博物館に併設してショッピングモールがあり、食事も出来るとあったのだが、中華料理店だけしかありませんでした。
近くで、レストランを探したのですが適当なのが無く、老舗と言われるシン・ツーリストホテルのレストランに入りました。
メニュウには、ファーやスパゲティがあったのですが、出来るのはハンバーガーだけでした。
何十年ぶりでハンバーガー(3.5ドル)を食べました。注文を聞いて作るようで、少し時間がかかりましたが暖かく、美味しかったです。


アンコール国立博物館前で、6時のピックアップの約束でした。
車の中で着替えをし、シュムリアップ空港に向かいました。
私たちが帰る14日は、サラムさんのお嬢さんの誕生日だと彼が以前言っていたので、お嬢さんにお菓子でも買って下さいと、
これまでのお礼を込めてチップを少しはずみました。
ハノイの国内空港では、食べ物はインスタントラーメンだけでしたので、
シュムリアップ空港でも十分な食事が出来ないと、勝手に思い込んでいたのですが、
シュムリアップ空港は国際空港で、ちゃんとしたレストランがありました。

21:00シュムリアップ発、22:40ハノイ着
シュムリアップからのフライトで軽食の機内食が出ましたが、頂きませんでした。

ハノイ・国際線空港ではしばらく時間がありましたので、本を読んだり、運動のため空港内を散歩したりしました。
0:05ハノイ発、7:05成田着でした。ウイスキーを頂き、しばらくウトウトすると、3時半頃でしょうか、朝食が配られました。

日本の冬は、ちょっぴり寒く、服を重ね着しました。
スカイライナーは満席のようで買えませんでした。モーニングライナー特急(200円)がとれました。
大きな失敗も無く、予想・期待していた以上の喜びと感動を頂いた旅でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 【結婚式】 
各地で、結婚記念写真を撮っているカップルをたくさん見かけました。
ホアンキエム湖畔、博物館、教会などです。プロのディレクター、カメラマン、化粧係などのスタッフが撮ります。
映画俳優等のような芝居じみたポーズで撮ります。人気スポットでは、行列が出来ていました。
たくさん撮ったのですが、一部だけ紹介します。
 
 

 【ベトナムドン・カンボジアリエルについて】 
20,000ベトナムドン=1$です。0が多いので、レストランなどでは、カンマ以降を略して、20VDと書くことも多いです。

有料トイレは 2,000ドン(8円)でした。 タクシーのメーターなどは、20.00等と表示されるので慣れないと戸惑いました。
旅行客は、ほとんどのレストランでドルで支払いが出来ますが、セントは切り上がったり、ドンで支払われることがあります。
例えば、235,000ドンをドルで支払うと、11.75ドルですが、12ドルになったり、おつりが1,500ドンの時もあります。
慣れれば、おそらく計算は難しくはないので、ドンの方が便利でロスも少ないかもしれませんが、
長期滞在でなく、支払いもそれほど頻繁でなく、旅行客用店を多く使うのなら、少々の誤差・損はあるかもしれませんがドルも便利です。
私は今回、最高紙幣は20ドル札、1ドル札を60枚など計600ドルを用意し、70ドルほど残りました。
ベトナムのホテルで、5000円をドンに両替しました。
カードは使用しませんでした。
4,000カンボジアリエル=1ドルです。カンボジアでは、ほとんどがツアーでしたし、
ベトナム以上にドルが流通しているというので、リエルへの両替はしませんでした。
おつりのシステムはドンと同様、切り上げか、セントはリエルでした。
チップなどはドル単位ですし、パブ・ストリートなどは観光客用なのでドル表示が多かったです。

 【トイレ事情】 
概ね、良いです。
日本語ガイドツアーが多かったせいもあるのでしょう。3時間ほどの距離だと必ずトイレ休憩がありました。
適当なショッピング店などがない場合は、大きなガソリンスタンドでトイレ休憩がありました。無料です。
 
左の写真は、シャワーのようになったウォシュレットです。
日本のウォシュレットの使い方は簡単ですが、こちらはコツが必要です。上手くいかないと便座周辺に水がこぼれます。
右の写真は、足や頭を洗わないで、と言う注意書きです。この注意書きがあると言うことは、足や頭を洗う人がいると言うことです。
そんな事情からか、公衆トイレでは、便座周辺に水がこぼれているのをいくつか見ました。
この種のウォシュレットはトルコでよく見かけました。
ベトナムもカンボジアも水が豊かなのでしょう、水洗トイレで、概ねきれいでした。
ホーチミン市や遺跡では有料トイレもありました。2000ドンで、きれいです。
ヨーロッパでは、トイレが少なく、きれいでなかったのでとても気になり写真も多く撮りましたが、
今回は、トイレの数も多くきれいだったので、あまり気にならず、撮った写真の数も少ないです。

 【気  候】 
始め、ホーチミン市、カンボジアは30度を越すと言われていたので、心配していましたが、杞憂でした。
30度の日も一度ありましたが、概ね最高27度位、朝晩は15~16度だったと思います。
木陰に入ると、少しひんやりし長袖Tシャツとちょっと羽織るものがあれば大丈夫でした。
それでも日射しは強かったのでしょうか、帰国して腕時計の跡が白いのに気づきました。
日射し避けの帽子は必需品です。
ハノイでは雨も何回か降られました。それでも朝から晩まで一日中降り通しという日はホアルーとフエだけでした。
ホアルーで、妻はオーバーシューズの完全装備でした。私はサンダルなので問題ありませんでした。
雨季と言われるベトナム中部でも、雨は途切れ途切れでした。
レインコート、携帯傘も必需品です。
エアコンを使ったのは、湯上がりの時一回だけでした。
扇子を持って行きましたが、使用したのは一度だけでした。
腕時計型虫除けファンとパットを持って行ったので使いましたが、これは不要でした。

 【ホテル・食事】 
ヨーロッパ旅行より、ワンランク上げて三つ星以上を選びましたが、料金は安く、
アメニティグッズも完備で、トイレ・シャワー・バスなどはるかによく、全く問題ありませんでした。
今回、洗濯に便利なバスタブ付きホテルにし、正解でした。
観光に便利なロケイションを選び、これも良かったです。
朝食付のホテルを選び、とても良かったです。
ヨーロッパは、コンチネンタルブレックファーストなどとネーミングは良いのですが、トーストとコーヒーだけという感じですが、
今回は、ホットビュフェスタイルでバラエティに富み、十分な朝食で、食べ過ぎないように注意しました。
ヨーグルトは、置かれていないホテルもありましたが、注文すると持ってくれました。
果物、ジュース類も豊富でした。
サービスは、さすがアジアだなと言う細やかさでした。
 食  事
私は、グルメではありません。今回食べ物では全く困りませんでした。
私は、麺類が大好きなので、何かにつけてフォーを食べました。
日本のラーメンは美味しいですが、塩味・油分が多すぎますが、フォーはカロリーの心配は全くないです。
野菜炒めや春巻きなど中華系食材が多いのですが、ベトナム醤油の調味料も口に合いますが、
砂糖が多用される甘さは、私には不評でした。
蒸しごはんは、ちょっとぽろぽろですが、汁や野菜炒めをかけたりして食べる人が多いようでした。
チャーハンにはぴったりのお米のようです。
ガイドの人が言うには、日本のお米は美味しい、でした。
水道水は硬水のため生水は飲まない方が良いと言われています。
ホテルでは、一日1本のミネラルウォーターがフリーでしたが、買っても安いです。(一度買ったのですが値段は忘れました。)
ホテルには、湯沸かしポットがあり、私は水道水を涌かして飲みましたが平気でした。
前回の時は、道端で売られている水は、開栓された容器に水道水を入れて売られたこともあるようでした。
今回、ガイドからそれについて全く注意を受けなかったので、ほとんど心配はないのでしょう。
衛生的にも少し問題があるようなので、生野菜も注意が必要と言われます。
観光客用のレストランは、少し衛生的なので少しなら良いと思いますが。
ツアーの食事はデザートの果物と付け合わせのサラダ以外は、すべて加熱調理され、安心でした。
本当は、安く・庶民的な屋台やお店を利用した方が、市民の生活を理解し、交流はかれるのですが。
屋台では、食器は流水で洗っていませんので、それはちょっと冒険のし過ぎと思い、利用しませんでした。
ベトナムぜんざいは有名で、試したかったのですが、氷や生ものが入っているので、食べませんでした。
以前訪れた時は、ビールは、グラスに氷を入れて出されてきたのでびっくりしました。
ツアーで一緒になった男性は、氷入りビールが出され驚いたと言っていましたが、私は今回は目にしませんでした。
レストランでは、客の目の前で栓を抜いて、注いでくれました。
ワインを置いてない店もあり、値段も少し高めでした。フランス植民地時代がありながら、不思議だなと思いました。
A型肝炎については、戦争直後世代はほとんど心配ないらしいですが、若い人は注意が必要のようです。
ベトナム人のガイドの人も、お腹を壊したことがあると言っていました。

 【日本語ガイド】 
一流・流ちょうとは決して言えません。
しかし、コミュニケーションについては全く問題はありません。
ただ、私が聞きたいことの真意が伝わらず、私の求める内容の回答が無いこともありました。
私が驚いたことは、彼らの多くは日本語の専門的教育を受けていないと言うことです。
ガイドで一番多かったのは、日本で自動車メーカー、特にトヨタで働いた経験がある人々でした。
仕事が出来る様になるには、日本語を覚えるしかないと一生懸命勉強したそうです。
彼らの多くは、そう長くは日本に滞在していません。
わずか数年、日本で仕事をする間に日本語を習得し、母国に戻り、日本語ガイドをしているというのです。
高崎で車の塗装をしていたガイドは、埼玉県に友達が住んでいてよく遊びに行ったと話していました。
トヨタは、単に外国人労働者を安くこき使っただけでなく、こんな形で役に立っていたのかとちょっと複雑な気持ちでした。
日本には行ったこともない、と言うガイドの人もいました。
また、後輩の指導・学習のために後輩を連れて日本の観光地・ホテルに行ったという人もいました。
彼らの多くは、日本と日本人が好きで、街のきれいなこと、サービスの細やかさ等を学びたいと言っていました。
私は英会話を学んでいるのですが、彼らの姿勢にはつくづく頭が下がりました。

 【ベトナムとカンボジア】 
お隣同士ですが、お国柄はちょっと違うように感じました。
ベトナムは、南北に長く、一国に温帯・亜熱帯・熱帯の気候があり、山も多く、カルスト台地です。
ヒマラヤも昔は海の底だったのですから、ベトナムもカンボジアも昔は海の底で、カルストはその名残かもしれません。
長らく中国に侵略されてきたベトナムは、その抵抗精神はその後、対仏・対日・対米の独立闘争へと受け繋がれ、
誇り高き多民族国家ベトナム国民のアイデンティティを作ったと思います。
面積は日本の約90%、人口9000万人近く、大国です。
一方、クメールカンボジアは、他の国々に先駆けてこの地に文明国家を作り出したという矜持を持っています。
カンボジアの面積は日本の約半分、人口1400万人近く、大国ではありません。
両国とも、戦争や内戦で百万単位の想像を絶する多くの人々を失い、まだその損失は回復できていません。
また、ベトナムは戦争後遺症・枯れ葉剤被害や地雷被害など今なおその傷は癒えず、負の遺産をかかえ、
カンボジアも、経験豊かな年配者や働き盛りの知識人層を失う負の遺産を抱えています。
学校と教師が不足し、午前午後の二部授業を余儀なくされています。
前回カンボジアを訪れた時、土産品を売る子ども達の多さとしつこさに驚き、そして気が重くなりましたが、
今回は、子ども達の数も少なく、安堵しました。
私は、今回、カンボジアの都市部、特に首都プノンペンを訪れなかったので軽々のことは言えないのですが、
ベトナムは、車とバイクと自転車と天秤と、ドラえもんの「何でも・どこでも・いつでも」商売の活気とエネルギーにあふれ、
カンボジア・シュムリアップは、バイクタクシーが多く、車は車を追い抜かないのんびりさ、でした。
今回の一番の反省点は、プノンペンを訪れなかったことです。二日ほど訪れたら、カンボジアの印象も変わっていたかもしれません。
ベトナムは、日本ほど仏教寺院は多くはありませんが、仏教国と言えます。
フランス植民地時代に、ベトナムは中国の漢字文化・文字を捨て、ほとんど表音のアルハベットに変えました。
カンボジアの文字は、おそらくインドのヒンディ文字に似、インド・ヒンズーの影響が強いと思いました。
ベトナム航空は、リコンフォームが面倒、カンボジアはビザが必要で面倒。(ベトナムも15日以上はビザが必要です。)

ちなみに両国の国境の多くはメコンの流れです。
一年半ほど前、クラブツーリズムで9日間ほどのベトナムツアーがあり申し込んだのですが、希望者が少なく中止となり、
以来、密かにベトナムを再訪したいと思っていました。今回、現地ツアーが多いとは言え、ベトナムをゆっくり楽しくことが出来
本当に良かったと思っています。
無粋ですが、今回の旅行費用(一人)は、
 飛行機代:118,000、ホテル代:39,100、ツアー代金:125,700、ビザ:3500、現金:21600 計:約310,000円ほどでした。
 食事代が思ったよりかかりませんでした。お土産は、妻が少し買いましたが私はほとんど買いませんでした。
 チップは、少し使ったと思います。

カンボジア・アンコールワットも気候良く、ゆっくり楽しめました。
ツアー参加者は私たちだけも多く、特にアンコールワットツアーは私たちだけで、わがまま・のんびりも良かったです。
来年春にはギリシャ辺りの地中海、晩秋にはタイ辺りの東南アジアを旅したいと漠然と思っています。
その時は、これまでの旅行スタイルをちょっと変えて、街をのんびり歩きたいな、などと思っています。
そのためにも、旅できる体力・スタミナをつけたいと思っています。
             【ベトナム・カンボジアの旅終わり。ブログが長くなりすぎましたが年内にどうにか完成できました。】