風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

釜山を歩いています。

2014年05月14日 | 慶州・釜山の旅、2014
5月13日、キョンジュ(慶州)からプサン(釜山)に入りました。
プサンバスターミナルから通土寺に直行しました。
通土寺

梵魚寺

5月14日テグの世界遺産・海印寺に一日がかりで行きました。

大蔵経の版木が納められています。(直接拝観することは出来ませんので写真はパンフレットから)

韓国のお寺はとにかく広く大きく、そして市内から遠く離れています。
入り口から20~30分歩いて本堂にたどり着く感じです。
日本のお寺と趣や装いは大きく異なっています。
また、多くの信者が座ってお経を読んだり、五体投地のように参拝しています。

韓国/慶州と釜山を歩きました。

2014年05月11日 | 慶州・釜山の旅、2014
 仏国寺

5月7日~12日、慶州(キジョン)、13日~16日、釜山(プサン)を旅しています。

慶州は市全体が世界遺産に登録されているそうです。
決して広い市ではありませんが、落ち着いて静かな街です。
古墳の中に街があると言った感じで、あちこちに古墳があります。
 
市内に鉄道や地下鉄は無いので、移動はバスかタクシーです。
食事もバス代もとても安いですが、英語がほとんど通じ無いので困っています。
また漢字表記もほとんどなく、ハングルだけです。
私は、ハングルは読めないし書けないし見分けが着かないので言葉では苦労しています。
しかし、韓国人はとても優しいし、スリや置き引きの心配も全くありませんし、
きれいなトイレもあちこちあるので、街歩きは全く問題がありません。
レンタサイクルもたくさんあり、これも便利です。
 芬皇寺
では、とりあえずの第一報です。

テルマエ・ロマエ

2014年05月04日 | 映画

見てきました。
過日見た、ムード・インディゴとビフォア・ミッドナイトがあまりにもつまらなく欲求不満気味だったので。
文句なく楽しかったです。リアリティを求めるのは「野暮」です。
シリウスは、皇帝からこれまでに無い「理想の温泉郷」を作れと命じられます。
彼は、湯船の排水溝に引き込まれ、平たい顔をする日本の銭湯やスーパー銭湯にタイムスリップしてそれをローマに持ち込みます。
顔が太り頭に黒いズッキーニのような物を乗せている琴欧洲や現役の相撲取りも出演、前回以上におもしろい出来となりました。
曙が超強いグラディエーターで登場しています。
映画の半ば頃、「字幕に疲れたろうでしょうからと字幕無し=日本語にします。」と字幕が出ます。
見事な日本語を話すローマ人にも大笑いです。
この映画の面白さは風呂好きのイタリア人には通じると思いますが、他の外人には?かもしれませんね。
私の大好きな古代ローマの雰囲気もちょっぴり味わえます。
奴隷の描き方は、難しかったでしょう。必ずしもアフリカ系では無いですし。
ウォシュレットもマッサージ器も、その中に奴隷が入っていてサービスするのです。
モグラたたきのモグラの奴隷は顔を出すと頭をたたかれるので渋っているのですが、背中をつつかれ、頭を出してたたかれます。
鍼や灸も面白かったです。
ところが、後半、ローマの政争の話になって面白さは急に半減したのが残念でした。
浪越徳治郎の「指圧」も余分でした。
箱根の小涌園のいろんな温泉やミストやジェットバスなどの紹介などの方が良かったのでは。


以下は、公式サイトの"予告編"です。

【5月1日、川口MOVIXで。】

ムード・インディゴ、ビフォア・ミッドナイト

2014年05月01日 | 映画



あの"アメリ(オドレイ・トトゥ)"が帰ってきた、胸弾ませて見に行ったのですが、大期待外れでした。
前半は、ちょっとアメリカのコメディのパロディぽくテンポも良かったのですが、
クロエ(オドレイ・トトゥ)が、胸に「睡蓮の花が咲く」病気にかかって以降は、何ともつまらない映画になってしまいました。
主人公をコランではなく、クロエにするべきです。オドレイ・トトゥあっての映画なのですから。
彼女の現実的で無いきれいさとかわいさやおとぼけさをこれでもかこれでもかとたっぷり描いて、
奇病にかかってあっけなく死んで行くのが良いです。
コランが彼女のために意味不明な仕事に就いたりするなど全くの興ざめでした。
オドレイ・トトゥの魅力がほとんど引き出されず、大失敗作となってしまいました。
見終わって考えると、前半のコランの金持ちぶりも何のひねりもない子どもだまでした。
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見る前から、好きではない映画でした。
「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」(95年)、「ビフォア・サンセット」(04)の完結編の映画です。
柳の下を狙ったのでしょうが駄作で、全くつまりませんでした。
ウッディ・アレンの機関銃のような台詞の連続の場合は、皮肉や隠喩や似非ディレッタントだったりですが、
この映画では、ほとんど意味の無いどうでも良い会話を延々と繰り返すのです。
それがこの映画の「ウリ」なのですが、会話に真実みが無く、心に残る台詞は全くありません。
40歳の設定ですから、人生の機微や愛惜やを求めるのは無理だとしても、あまりにも二人が薄っぺらで幼稚すぎます。
途中で退席を考えたのですが、結論見たさに我慢しました。
何度もしょうも無い喧嘩をして、つまりは元の鞘に収まるだけでした。
「本物の愛に辿り着く」とは、なんと白々しい。
映画は、見てみないと良いか悪いかわからないギャンブルです。  【4月28日】