興法寺に残る戊辰戦争の時の砲弾の跡。
3月24日、栃木県の小山市を歩きました。
8:27大宮発東北本線(宇都宮線)で小山駅の一つ前、間々田駅に向かいました。9:33着。
間々田駅
車屋美術館(休館日) 下の写真は引用です。
琴平神社 龍昌寺・曹洞宗
龍昌寺本堂
龍昌寺不動尊堂
間々田八幡宮 間々田八幡公園 間々田八幡公園途中にあった祠・慈光堂
浄光院・真言宗
浄光院観音堂
行泉寺・浄土真宗
髑髏の碑 親鸞上人像
小山市コミュニティバス停・間々田4丁目から、芝内公園東バス停へ ビルの屋上にイスラーム・モスクの案内看板が
このコミュニティバス代100円ですが、1時間1本しかありません。小さいマイクロバスですがほぼ満員でした。
200円にして、1時間2本か3本にすると便利さが格段に上がるのになぁと思いました。
西林寺・浄土真宗
光明寺・天台宗
宝篋印塔(高さ86cmと小さい物です。1369年の古い物だそうです。)
村社八幡宮 小山市文書館
持宝寺・新義真言宗
戦前からの梵鐘(銘文中に天皇の名があるため供出が免れたそうです。) 持宝寺墓地内の観音堂
須賀神社、門 拝殿
須賀神社七ツ石(小山城落城後、夜鳴き声がしたが、須賀神社に運ぶと泣き止んだと言われます。) 須賀神社参道
妙建寺・日蓮宗 妙建寺本堂
妙建寺境内 愛宕神社
現聲寺・時宗 一遍上人像
常光寺・浄土宗 阿弥陀如来堂
光照寺・時宗
愛宕神社 興法寺・天台宗
興法寺門
13層塔(浅草浅草寺に安置されていたのがここに移転されたそうです。)
地蔵の右に戊辰戦争の時の砲弾の跡二つが残っています。
寶性院・真言宗
寶性院・不動尊
天翁院・曹洞宗
コウヤマキ(高野槙)
小山城(地元では祇園城と言われ、北条氏により滅ぼされました。江戸時代、本多正純が一時納めましたが後宇都宮へ移封し、
小山城は廃城になりました。)西に、思川が堀となっています。現在、土塁などが一部残っています。
思川 小さい祠がありました。
小山駅 駅前広場
左の看板に「開運のまち」、右に「結城紬ユネスコ無形文化遺産登録」とあります。
家康は、1600年上杉景勝討伐のため会津に向かっていました。石田三成の挙兵を聞き、この地で"評定"を開き、三成討伐に反転します。
この評定を、"小山評定"と言い、家康の"開運"となったと言うわけです。
小山市の道路は比較的広く、かなり碁盤目状になっています。太平洋戦争中米軍の空襲はあったそうですが、大被害では無かったようです。
江戸時代に、小山城が廃城になったため、城主などの菩提寺など大きな寺が残らなかったのでしょう。
時宗のお寺が二つありました。興法寺、西林寺は本堂が開放され、ご本尊を参拝出来ました。
本堂の扉が、開けられているとその寛容さに嬉しさと解放感、そして平穏を感じます。
また、興法寺の砲弾跡の残る地蔵は、お墓を工事している人が教えてくれました。
間々田駅から小山駅までは歩ける距離ではありません。
小山市にはレンタサイクルもあるようですが、小山駅~間々田駅の自転車での往復も厳しいと思い、バスを使いましたが、
1時間に1本しかありません。道を間違えたりバス停がわからなかったら大変なので、心配でのんびり出来ませんでした。
小山は、遠いようですが電車で1時間、うとうとしていると着きます。
木々の花々もやっと咲き出し、春を感じます。
歩き出すとすぐ暑くなり、ティシャツの上にウインドブレーカーでした。
ところが、今回、腰に少し違和感が生じて、途中何度かストレッチをしながらでした。でも、楽しく歩きました。 【終わり】