予告編を見て期待したのですが、独りよがりの駄作でした。
題名は、いつも同じことをするワンパターンの男と言うシャレかと思ったら、パターソンはPaterson、
ワンパターンのパターンはptternでした。
主人公のバスの運転手の俳優の名前が、アダム・ドライバーとこれまたシャレっぽいのは素敵です。
彼の妻は彼とは真逆のかなり「飛んで」いて、どうもイスラム圏系の異邦人のようです。
彼女のデザインは、アラビック模様のようでもあり、草間弥生の水玉のようでもありますが、
欧米人の東方「異邦」へのコンプレックスに感じました。
舞台はニューヨークから25kmほど、そう遠くないニュージャージー州の実在の町です。
かなりの田舎町ですが、他人種が行き交う町のようです。
町には、落差23メートル、豊かな水量を誇る町のシンボル・グレートフォールズあり、
この滝のエネルギーを利用して産業が繁栄したそうです。 写真は引用
映画の最後、日曜日のエピソードに永瀬正敏演じる日本人が全く唐突に登場します。
パターソンは飼っている犬に自分の詩作ノートを食いちぎられ意気消沈して、
グレートフォールズの公園のベンチで呆然としています。
公園にいるのは二人だけ、ベンチもたくさんあるのにパターソンの座っているベンチに見知らぬ
アジア人が「同席して良いか」と唐突に聞いて座るなんて、
不自然を通り越してこの奇異な演出って何、ってすっかり興ざめでした。
しかも彼がパターソンを慰め、白紙の詩作ノートを渡し、パターソンが生き返るというのですから…。
彼の相づちは人を小馬鹿にしたような強いアクセントの「アッ、ハァン」です。
私は、英語をなまじ知った日本人がネイティブらしく相づちをうつのを小馬鹿にしているように感じました。
最後に二人は握手して別れるのですが、日本人の右手の指二本は絆創膏が貼られていました。
この演出の意味は何なのでしょう?私はさっぱりわかりませんでした。
ちなみにパターソンが飼う犬は、第69回カンヌ国際映画祭のパルム・ドッグ賞(優秀な演技を披露した
犬に与えられる賞)を受賞したそうです。
何をか況んや、やっぱりカンヌは下らないですね。その犬は映画完成後死んだそうです。
パターソンが、道ばたにいる少女に話しかけるシーンなどパターソンは不審者そのものですし、
行きつけのバーで、失恋男がかつての恋人ににおもちゃの銃を突きつけるシーンなど笑えません。
この映画には、5、6組の双子が登場します。
深い意味があるのでしょうが私にはわかりませんでした。
映画の冒頭、二人は、双子がほしい、そして二人の個性に合わせて育てるのなどと言います。
二人は、毎日こんな狭いベッドで寝て、こんな風に目覚めます。
まるでツインのようです。しかしシンメトリックではなく、二人で一人のように。
一人の人間には、パターソンとその妻のようにシンメトリックで無い二人が混在して
一人の人間を作っているとでも言いたのでしょうか。
かように映画は屁理屈をちりばめますが、わたしにはさっぱり言いたいことはわかりません。
哲学さをさりげなく言いたいふりをした薄っぺら見え見えです。
2017年のキネマ旬報賞を受けたそうですが、私は「?」です。 【2018年2月19日】