風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

スペインの旅 最終日

2011年06月29日 | スペインの旅
6月5日 スペインの旅も最終日になりました。
アトーチャ駅9:30発の電車でマドリッドを発ち、1時ちょっと前にバルセロナに着いた。
朝食は、7:30から食べることが出来るので、きちんと食べました。
ホテルから地下鉄を使って、アトーチャ駅に行きました。

バルセロナで地下鉄に乗った時、奇妙な行動を取る若い女二人がいた。
私より先に乗り込んだ一人の太った女は私の行く手を阻むように邪魔するのである。
私は、スーツケースを引っ張り、肩にはショルダーバッグを背負っているのだから、十分自由にはなれない。
もう一方の女がおそらく私の財布をねらったのだろう。
だが、今回私は、きちんと備えていた。
バッグの中に小さいポッシェットを縫い込み、その中に財布を鎖でつないでチャックをしていたのである。
発車間際二人の女は車両から出ていった。被害は無かった。
近くいた外人旅行者が怪訝な顔をして私を見たので、ジェスチャーで"スリ"のマネをしたら、なるほどの表情であった。
今回、スリらしき物に遭遇したのは今回だけであった。

ホテルでチェックイン後、昼食を取り、日曜日は無料なのでカタルーニャ美術館に向かった。
スペイン広場からバルセロナ見本市会場入り口のゲートを見る。 見本市会場の一施設
 
バルセロナ見本市会場からカタルーニャ美術館入り口を見る。    カタルーニャ美術館正面 
 
振り返って、カタルーニャ美術館正面からバルセロナ見本市会場とバルセロナの町
 
 
だが、私がカタルーニャ美術館に着いたのは2:40、だが、カタルーニャ美術館は日曜は午後2時半で閉館だった。
しかし、前回来た時は、スペイン広場からカタルーニャ美術館に向かうバルセロナ見本市会場の通りは閉鎖されていた。
その事情は、私にはわからないが、今日は通ることが出来るのでいい写真が撮れたと思う。
次に、海岸のオリンピック村に向かった。地下鉄の路線を間違えてしまい、1km位歩いた。


   
おそらくここは埋め立てた人口海岸なのだろう。海水浴を楽しむ人々がいた。
1992年のオリンピックを機に開発され、他のバルセロナとはちょっと違ったイメージで、カジノや魚をイメージしたモニュメントなどがあった。
カジノ
 
トイレに行きたくなったので、BARに入ってビールを飲んだのだが、なんと、その店にはトイレがなかった。
海岸の売店で聞くと、ビーチにあるという。近いかと聞くと、1分だという。4分はかかった。
  
                                     左はArtsホテル、右はTorre Mapfre(保険会社)
 
                                     近くには、動物園もある
 
その後、サグラダ・ファミリアに行った。
サグラダ・ファミリアは正面前の通りを渡って所に池があり、その先からこのポイントがある。
だが、私はデジカメの画素数を豊かにしなっかったので、少し貧弱な写真になってしまい残念でした。
 
夕焼け時のサグラダ・ファミリアを見たいのだが、スペインでは夕焼けは10時半過ぎではないだろうか。
それまで待てないので、ぐるっと一回りして帰った。
ホテル近くに少し勝手を知った安い食堂があるので向かったのだが、3週間が経っていて記憶が曖昧で、海側に行ってしまった。
夕食(23.45ユーロ)                           アイスクリームのトッピング
 
冷たいレッドワインをハーフボトル飲んで、いい気分でおみやげを探したがいいのが無いので結局買わなかった。
それでも、黄昏迫るカタルーニャ広場は名残惜しい雰囲気を持っていた。 スペイン一のデパート・エル・コルデ゛・イングレス
 
男性同士が路上でキス、ちょっと失礼ですが撮らさせていただきました。ただ、カメラが少しぶれたようで。
 
カタル-ニャ広場は、夜遅くまでアフリカ系の人が店を開き、1ヶ月前には無かった「より良き社会を15M運動」のテントも建てられていた。
 
 
カタルーニャ広場には、たくさんの簡易トイレが設置されていました。
  
                                     バルセロナ一の繁華街・ランブラス通りを海側に。
 
BARの様子


ホテルでシャワーを浴びようとしたら、お湯が出なかった。
レセプションにそのことを言うと、すぐ見に来てくれた。湯の調節弁が左右逆だけだった。
洗面所では左、シャワーは右に回すとお湯でした。レセプションのお兄さん優しく、ありがとうに「ユーアーウエルカム」と言ってくれました。

6月7日 帰国へ、
11:05発の飛行機だったが、良い席を取りたいので早起きし、前日に用意した朝食を部屋で食べて出かけた。
ゆっくり歩いてカタルーニャ広場の空港行きバス停に行きました。空港行きバスはたくさん出ていて、4.30ユーロ。
バルセロナ空港では、エコノミー症候群に備えて散歩をたくさんしました。
アムステルダムの空港は警備が厳しく、スキャンするのだろう機械に入れられ3秒ほど万歳をし、その後、ボディタッチチェックが行われた。
オランダのスキポール空港は、小国オランダですが、私の印象ではパリ、バルセロナ空港より広かったように思いました。
成田や羽田はパリやアムステルダムと比べるとホントに狭いなという感じ、これでは国際競争には勝てないですね。
オランダ空港内のお店                         広場
 
搭乗手続きは日本語モードの機械で出来るのだが、座席指定はかなりインチキで、画面上では広い席だったのに実際は違っていて残念。
パスタの夕食と                             オムレツの朝食
 
隣の席が、空席だったのはとても幸いであった。ソ連上空を通るため飛行距離、飛行時間は10時間10分と短くとても良かった。
私は、約3時間に一回程、ジムのヨガ教室で習ったストレッチをし、手足のマッサージ、トイレも頻繁に行き、時々飛行機内を歩いた。
ぐっすり眠ることが出来る人は良いが、眠れない人は眠ろうとしないで飛行機内でトイレ・ストレッチ・散歩をする方が良いと思う。
私は、旅行中もストレッチを朝1時間ほど欠かさず行ったのも良かったと思う。
横に10座席もあり、2階もある巨大な飛行機が、時速950kmで飛ぶのだから驚きであり、危険この上ない。
乗ってすぐウイスキー、夕方5時頃の夕食にはワイン、その後夜8時頃にはアイスクリーム、飴などいろいろ配られた。

1ヶ月のスペイン旅行の終わり頃には、このままずっと外国にいても生活できるかななんて気分になった。
私のヨーロッパへの旅は、これでひとまず区切りである。
イギリス、ドイツはあまり興味が無いから。でも、イタリア・フランスは再訪したいと思う。
その時は、もう少しのんびり街歩きを楽しみたいと思う。
アジア、特にベトナムは訪れたい。ベトナム・ホーチミン市にトランジットで二日、ダナンに一日だけだったから。
韓国も地方都市を訪れたい。中南米は遠すぎるかな。

ホテル・朝食・買い物について
今回のスペイン旅行でのホテルは、二つ星・三つ星の安い(一泊5500~7000円)ホテルであった。
日本語で申し込めるインターネットサイトが数多くあり、手数料は料金に含まれているが決して高くなく、安いと思う。
日本語での説明ではバスタブ付きとあったが、実際はシャワーのみの所がほとんどであった。
私がバスタブにこだわる理由は、バスタブがあると洗濯が簡単だからだ。
外国でコインランドリーを使ったのは、フランスで一回だけだった。
イタリアでは、洗濯屋の一角にセルフランドリーの機械を置いてある店がいくつかあったが使わなかった。
安いホテルでは、コンチネンタル朝食付が多いようだ。
コンチネンタル朝食とはネーミングはよいが、パン(ジャムやバター)と飲み物(コーヒー・お茶・ジュース)が基本で、
スライスチーズやハム、ヨーグルトなどが付く場合もあり、場合によっては卵や果物が付くアメリカンタイプのこともある。
日本の旅館やホテルなどのいわゆるバッフェ=バイキング形式のスタイルではなく、いたってシンプルである。
ヨーグルトや果物などは、近くのスーパーやミニマーケットで買うことができる。
韓国や台湾には、日本のようなコンビニは結構あったが、ヨーロッパにはない。ローマやパリには超ミニスーパーがあった。
その経営者は中国系、韓国系、インド系が多かったように思う。
まだツテや語学が出来ないアフリカ系の人のように路上のお土産売りから、屋台や小さなお店からだんだん大きくして行ったのだろう。
バナナやリンゴなどの果物や野菜は一つ単位の測り売りで買うことが出来る。
だが、紙パック入りのジュースやミルク、ヨーグルトなどの小さい一つ売りはなく、大きいかいくつかのパックだった。
いずれにしても、これらの食べ物飲み物は、町中で簡単に手に入れることが出来る。
自動販売機もあるが私は、使わなかった。
冷蔵庫があれば申し分ないが無くても町中で安くくことが出来るので困ることは無かった。
ホテルでは、遠慮していてはダメである。相手から進んで情報を提供してはくれない。
例えば、インターネットを使うにはどうすればいいか、マップはあるか、地下鉄・バスの乗り方は、
タクシーは幾らか、〇〇に行くにはどうしたらいいか、など何でも遠慮無く聞いた方が良い。
聞かなければ相手からすすんでは言ってくれないが、聞けば親切に教えてくれる。
出来ないサービスは出来ないとはっきり言ってくれる。
言葉が十分ではないと遠慮したり恥ずかしがらずに、どんどん聞き、頼んだりした方が良い。

ヨーロッパの石の建物・都市
さて、スペインの観光だが、その評価は簡単ではない。
私は、自然の景勝地よりどちらかというと人が作ったものの方に興味がある。
ヨーロッパは、なんと言っても"石"の文化・都市である。
日本では100年前の建物はもうほとんど目にしない。
ヨーロッパでは、1000年前の建物が今なお現存し、そこに人々が今日もなお住んでいる。
町中の路地は、車一台がやっと通れる広さのでこぼこの石畳である。
ヨーロッパは古来より内乱や戦争が繰り広げられて来たのに、このように古い町並みが残されていることは驚きである。
日本で「もったいない」が流行語になったが、私はヨーロッパの古いものを大事に使う精神は、日本との比ではないと思う。
日本の"スクラップ&ビルド"はすざましい。住宅はリフォームするのではなく、30~40年で建て替える。
封建貴族や名家や王家帝国主義や教会権力が人々を搾取して蓄積した冨や財宝などには怒りも覚えるが。
日本の鉄道駅はどこも同じ、日本の町はコロニアル式の屋根・新建材の同じ家並み、どの町を歩いても同じ風景である。
ヨーロッパは、諸民族・王族の支配が入り乱れてきた。支配者の領土の境や国境は極めて変動的で、統一国家はなかなか形成されなかった。
国と言っても人口10万人ほどの都市国家が郡立し、それよりはるかに小さな村落がミニ国家のようにあった。
ヨーロッパの旧市街地の基本思想は「防衛」、「相互の不信」、「相互の相違」である。
外的の侵入に備えて、自分たちの住居を小高い丘の上や川や渓谷に囲まれた所を城壁で囲んで作った。
従って、町は狭く、万一敵に進入された時、敵が進みづらいように住宅は密集させ、迷路のように路地を作り、農地はその外に作られた。
庭は、道路に面さない中庭となり間口は狭くなった。
最も戸口が狭くなったもう一つの理由は、封建領主が間口の広さに応じて税を取ったという説もある。
[江戸時代、この政策が取られ、京都江戸の間口は狭くなったと言われる。]
新たに住宅やインフラを作る余地はほとんど無かった。
後の時代の鉄道や幹線道路は旧市街地の外を通るしかなく、そこに新市街地が作られるようになった。
新市街地と旧市街地の風景・雰囲気は大きく異なる。
おそらく若い世代の多くは徐々に交通の便の良い新市街地へ移入し、旧市街地は過疎化が進んで行くのではないだろうか。
だが、"便利"についてもヨーロッパには独特の考えがあるように思う。
私たちは、「安く・便利」を優先して、小売店より、巨大スーパー・量販店・ディスカウント店を優遇・多用している。
ヨーロッパでもちょっと大きく安いスーパーが出来はじめているが、小売店・専門店の方がはるかに多い。
多くの店のシャッターが閉じられている日本の商店街の風景をスペインで見ることはなかった。
刃物だけ売っている店とか、ブラシだけの店とかが店を構えて成り立っていることに驚く。
様々な日常品をを修理する店・工房のような店もある。
日本なら、古くなったり使い勝手が悪くなったら修理しないで捨てて、「百均」で簡単に済ませてしまう。
道路もそうだ。日本では、60年代後半の反戦平和運動で敷石が投石用の石に使われてから、歩道は全て舗装アスファルトに変わってしまった。
ヨーロッパの古い町では、歩道も車道も石畳が圧倒的に多い。
石畳の道は、ゴミがたまりやすく、車椅子は通れないし、車の乗り心地は悪く音がうるさいが今なお修理して使われている。
車と言えば、ヨーロッパも車社会ではある。
だが、フランスでは、歩行者が横断歩道の前で立ち止まると車はほとんど止まる。スペインは80%、イタリアは70%位の感じだった。
車が黄色信号で止まらないで横断歩道に入ろうものなら、年寄りの歩行者にものすごい剣幕でドライバーを怒る。
そのくせ、歩行者は赤信号でも車が来なければ信号無視して渡るし、信号のない所でも大いばりで横断する。
だがそんな場合でも、クラクションを鳴らす車はほとんど無かった。
駐車場が少ないのか、駐車場料金が高いのかは分からないが、ちょっとでも隙間があれば路上駐車する。
私には、道路・道はみんなのものだから勝手に使って良いという考えがあるのではないかと思う。
例えば、広場や歩道にイスやテーブルを数多く置いて、屋外カフェの店がたくさんある。
そこの店を出す権利は誰が認め、賃料や税金はあるのだろうか。
狭い所に止めるので、入庫・出庫の時に前後の車に触れることも多々あるようで、多くの車は前後左右に接触傷があった。
サイドミラーをガムテープでくっつけている車を多く見た。
日本の中古車市場や下取り制度などが普及しているとはとうてい思えない。
他方、ベトナム・カンボジアでは交通信号がほとんど無く、韓国も少ないので道路の横断は至難の業であった。
シンガポールは車ステータス社会で、猛スピードで走り、横断歩道などで止まる車は少なかった。
ちょっと脱線してしまったが、支配者が変わっても石の建物は残ることが多い。
キリスト教時代、イスラーム時代、そしてキリスト教時代と宗教も変化したが、町の一番大きい建物である教会は、
破壊して建て直すより、リフォームの方がはるかに安かった。
そんなわけで大聖堂[スペイン語でカテドラル、英語でカシィードラ]の外観はそのままに、内部が建て替えられた。
スペインのイスラームの最後の拠点だったコルドバには、メスキータが残っている。
メスキータとは、スペイン語でモスクのことである。内部にはモスクの柱の広間が残っているが、祭壇はキリスト教様式である。
メスキータを出るとユダヤ教の教会・シナゴーグとユダヤ人街があり、アラブ浴場跡もあり、キリスト教会があり、独特の街を作っている。
そこから30分も歩くと新市街地で今日的高層ビルが建ち、並木道の歩道の方が車道より広い、道幅40m位もあるメインストリートがある。

トイレ事情
トイレ事情は、すこぶる悪い。
ヨーロッパに公共トイレがないのには、二つの事情があると私は思う。
一つは、特に中世以降ヨーロッパには建物内にトイレは無く、オマルで用を済ませ、汚物とゴミは路上に捨てた、と言う。
おそらくそれは住居スペースが狭く、また石の高層建物では汲み取りトイレは構造的に作るのが難しかったのではないだろうか。
2000年前の古代ローマ人は水洗トイレを持っていたのにである。
人類の月日の経過は決して、人間社会・文明の進歩や発展では決してないということがよくわかる。
また、ヨーロッパの街は、坂が多いので汚物は雨水と共に坂を流してしまえ、と言うことだったのかもしれない。
こうした習慣・慣習の不衛生がヨーロッパのペストやコレラの蔓延と流行を産んだと言われている。
女性の長いスカートは、簡単にオマルを使えるという説もあるほどだ。
もう一つは、ちょっとややこしい話で、私の考えもまだ十分に整理されていないのだが、「公と個」に関わることで、
通りは公のものだから汚しても構わないと言う考えをヨーロッパ人は持っているのではないかと私は思っている。
トイレは個人の問題なのだから、公的機関が設置したりサービスしたりする必要は無いと思っているのでは無いだろうか。
鉄道とバスのターミナルには小規模なトイレがあったが、鉄道・地下鉄の一般の駅、広場や公園にトイレはない。
駅の中には、トイレの鍵を駅事務所に借りに行く駅もあった。
イタリアの駅は有料トイレが多かったが、スペインの駅では見かけなかった。
イタリア・トルコの鉄道内トイレはきれいでなかったが、スペインのは概ねきれいであった。
 
BARやレストランには、トイレはあるが絶対数が少なく、かつきれいではない。
このきれいではない理由の一つは、ちょっと前までヨーロッパも、水洗トイレの水圧が低くトイレットペーパーは便器に流さず、
備え付けのゴミ箱にすてるのが一般的であった。今日ではそんなことは無いのだが、その習慣の名残が残っているのだろうか。
飛行場やAVAの新しい駅にはきれいなトイレが作られているが。
スペインでは、有料の路上トイレをかなり頻繁に見た。いくらで使えるのか実際に試すべきだったと今は思っている。
    
博物館や美術館にはトイレはあるが、数がとても少なく、とてもわかりにくい所にある。
      
そして私が一番気に入ったコルドバ・メスキータのイスラーム式トイレ[戸が無いので使われていないのかな]

アジアのトイレもそうだったが、男子小便用の便器の高さはとても高く、背の低い私は多くの場合ドア付きの便座を利用した。
ギリシャやトルコ、中南米やインド、エジプト、イースター島などでは有料=チップトイレが多くあった。
それは、それで生活の糧を得ている人々が少なからずいるということで、今でもヨーロッパの一部に残っている。
ガイドブックには、街でトイレに困った時は、ホテルのを借りろと書いてあるが、私にはその勇気はなかった。
1番簡単なのは、BARやカフェやレストランに入って、一番安い水かエスプレッソ(1~2ユーロ)を頼めばいい。
長距離バスの中には、車内にトイレがあるバスもあったが、トイレの掲示はなく普通は使わないようで非常用と思う。
親も小さい子どもなどは車の影でさせるし、「BARを利用できない大人」は路上でしてしまうことになる。
早朝のゴミ集積場周辺はアンモニアの臭いがし、その後クレゾールの臭いがし、店頭は水で洗い流している。
今後ヨーロッパは公的機関・場所には無料の公共トイレを作り、市民も汚さないできれいに使うことが求められると私は思う。
ヨーロッパでは犬を散歩させる人を多く見た。犬はリラックスすると糞をする。
他人が見ていると糞の始末をするが、人がいないとほとんど放置のようである。
私は始末するフリをして立ち去った人も多く見たし、路上にたくさん糞が落ちていることを見れば明らかだ。
従って、町を歩く時は上の景色ばかり見ては行けない。下を見、スリ対策で後方にも目を配る必要がある。
また、ヨーロッパでは観光馬車や騎馬警官もおり、趣味で馬に乗っている人も一人見た。
観光馬車は馬のお尻に袋を付けて糞を回収しているが中には落とすものもいるし、騎馬警官はそのまま立ち去る。
また、ヨーロッパでは路上喫煙者がとても多く、若い男女が目立つ。彼らのほとんどは路上に吸い殻を捨てて行く。
そして、数多くの掃除人が早朝から深夜まで町を掃除している。
   
私には、動物の糞の放置や人が通りにゴミを捨てるなどのことは実は多くの雇用をう産んでいるとさえ思えた。
逆説的に言えば、人々が糞やゴミを捨てず、ボランティアで町を掃除すると多くの清掃人はその仕事を失うことになる。
日本では、ゴミ箱はほとんど撤去されてしまったが、スペインでは歩道、駅構内、公園などにはたくさんのゴミ箱が設置され、
その清掃も頻繁に行われているので、おそらくポイ捨てはだんだん少なくなって行くに違いない。

さて、無粋だが今回の費用
*飛行機:146,000、*ホテル:185,000、*電車代:54,000、*現地ツアー:29,000、*食事その他:142,000、*計:556,000前後か。
*ホテルは、「地球の歩き方」と「楽天トラベル」を使った。「地球の歩き方カード」使用は5%引きとなる。一部屋二人使用だともっと安くなる。
*現地の支払い現金は5、10、20ユーロ紙幣を主に750ユーロほど用意し、650ユーロほど使った。後は、カード支払い。

では、最後にいくつかのおもしろ写真を。
  
  
 
   
  
  
  
    
    
     【終わり】  
 

   

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