夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

精勇館

2012-09-17 21:17:42 | 剣道

私の剣道の最初の師匠だった鹿嶋孝先生は、名古屋に昔からある、山岡鉄舟命名の剣道場・精勇館館長・鹿嶋清治先生の弟に当たる方です。小学生の頃、担任だった先生の剣道部に半ば強引に入部を勧められて、嫌々入ったはずが、性に合っていたのか、卒業するまで続けて、高校でも同じように剣道部に入部する気持ちになれたのは、恩師のお陰でした。高校の剣道部で教えて頂いたのも、精勇館の指導を手伝われていた岩田先生ということで、私は大学で鷹尾先生に出会うまで、ずっと精勇館の鹿嶋流剣道を学んできました。そして、今年息子が通う中学校に、精勇館で剣道を学んでいる先生が赴任して来ました。私にとっては兄弟弟子みたいな関係です。もし剣道部が実現すれば、親子そろって鹿嶋流剣道の繋がりが出来るわけです。
今日は敬老の日だったので、それぞれの実家へ向かう途中に、近くを通りかかったので、精勇館の前を通って写真を2枚。趣のある建物で歴史を感じます。私の大叔父・故・東春雄範士八段もここで学んだことがある剣道家でした。繋がりを感じながら、我が子達に我が家の剣道の歴史を語ると、嬉しそうに聞いてくれました。偉大な大叔父を持ち、偉大な師匠に教えを受けながらも、全く芽が出なかった私ですが、大好きな剣道を、身体が動く限り続けたいという思いは、日頃から背中で見せているつもりでいます。今回二段を受けられなくなった長男も、この気持ちだけは繋いで行って欲しいと思う、今日この頃です。次男と長女は、今のところ下手なりに頑張っているんですけどね…。
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4 コメント

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こんばんは (東 剛志)
2013-06-21 22:34:40
記事拝見させていただきました。
私、東春雄の孫になります。
貴殿の記事を拝見させていただき私の知らない祖父のお話を知ることが出来まして、感謝いたします。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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親戚 (夢野翼)
2013-06-23 00:25:03
大叔父の孫ということは、私たちは曾祖父・東作太郎の曾孫同士ということですね。父方の祖母が、春雄叔父の姉に当たります。私が5年生で剣道を始めた頃、春雄叔父は範士の称号を合格し、私の剣道入門を大喜びで祝ってくれました。当時、親族で剣道を習ったのが私一人だったので、嬉しさも一入だったと聞いています。始めて間もない頃に、3尺6寸の竹刀の柄に、「贈・私の名前」と書かれたものを記念に戴きました。でも、私の名前より大きな文字で「範士八段・東春雄」と書いてあり、「誰の竹刀なんだ?」と笑った記憶があります。小学生の私には「範士八段」が何たるか、分からなかったのです。後に皇學館大学に入学したとき、三重県が生んだ最高の剣士・鷹尾敏文範士九段の教えを受けることになるのですが、それを喜んだ大叔父は大学の剣道場まで様子を見に来てくれたそうです。生憎、私は大学では剣道部員ではなかったので、道場にはおらず、大叔父をがっかりさせてしまったそうです。卒業後数年して、亡くなられたことを聞きましたが、曾祖父・作太郎が亡くなったときに尾鷲の東家の墓を四日市の楠へ移転して以来、お目にかかることなく日々が過ぎました。大叔父の名を冠した剣道大会が四日市にあることも、亡くなってから知りました。剣道をしている姿を直接見たことはないのですが、唯一、京都の名人戦に出場したときのビデオが市販されており、購入しています。三重県警に尋ねれば写真なども出てくるかも知れませんが、もう何年も経ってしまっているので、思い出を語るだけにしています。父に今回のコメントの話をしたら驚いておりました。いつか機会がありましたらお目にかかりたいものですね。私のブログを見つけてくださり、ありがとうございました。繋がることができて嬉しいです。
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びっくり (旧姓 東 雄一)
2014-02-09 07:43:57
初めまして、東春雄の孫です♪親戚なんですね(^-^)v
色んな知らない事書いてあってびっくりしました(^o^ゞ僕は祖父に、剣道、居合い、書道を教えてもらいました。
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 (夢野翼)
2014-02-09 23:11:29
縁とは素敵なものです。お目に掛かったことはなくても、お互い東作太郎の曾孫同士。剣道もやっていらっしゃるようで、きっと春雄叔父も喜んでおられることでしょう。ちなみに、私の弟は曾祖父:東作太郎にうり二つですよ。東家の血が紛れもなく繋がっている証拠です。私の父は作太郎の一番年下の孫として可愛がられていたので、名古屋へよく遊びに来てくれました。祖父のいなかった私たちは、曾祖父を慕っていました。なくなったときはショックでしたが、楠のお墓を訪れたときに、1度だけ、春雄叔父に会った記憶があります。でも、剣道を習う前でしたので、大叔父と何を話したか記憶がありません。師匠の鹿嶋先生や鷹尾先生が語る大叔父の姿しか、私も知らないのです。三重県剣道連盟に問い合わせたときにも、知らなかったことを教えていただくことができました。親族にこんなすごい人がいた、ということを語り継いでいくことが、同じ剣道を志すものとしての務めかなとも思うので、我が子たちにも、大叔父の話はしっかりと伝えています。本家の東家でも是非、伝えてあげてください。
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