世界の街角

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NHKスペシャル・御柱を見て・その4

2016-07-04 07:50:46 | 古代と中世
<続き>


番組は以下のように続く。
守矢家が守り続けてきたカミがいる。それは御左口神(ミシャグジ)である。12月の晦日、ミシャグジの前で平和を祈る。年が明けた元旦、ミシャグジの前で春祭りの当番を決める。
出雲から来た農耕のカミのもとで、世の太平を祈る諏訪の大地の精霊。縄文と弥生が争うのではなく、融和していく。神々が共存する諏訪で巨木の祭りが、絶えることなく受け継がれてきた。征服する征服される、そういう関係ではなく縄文的な祭り、縄文的な生活文化をしっかり残しながら、そこに米作りが部分的に入ってきて、山の縄文と低い土地の水田のカミ、それが共存しながらうまくきた。
諏訪大社で建御名方を祀り、土地のカミ(モレヤ)がそのカミ(建御名方)を祀っていくという構造は、融和の象徴ではないかと思われる。

社本宮から舟の形をした神輿が現れる。載っているのは諏訪明神となった建御名方。社を出て山のカミが宿る御柱を迎える。この儀式は縄文と弥生が融和した諏訪の歴史を伝えているであろう。人々は2つのカミの出会いを祝福し、暮らしの無事を願う・・・とのエンディングで番組は終了した。
この番組を見ていると、弥生と縄文は300-400年の幅をもって錯綜しているように思われる。縄文人と弥生人の戦乱と共存を垣間見ることができた。能登・真脇遺跡の環状木柱列は縄文の巨木文化のようにみえて、その祭祀址が意識する方角は東の日輪である。日輪は農耕民族つまり弥生人の祈りの対象である。
聖なる領域を囲む四角の御柱は、結界にほかならず聖と俗、或いは在所者と余所者の在処を区別する目印であったと思われ、今日の東南アジアの山岳少数民族の風俗につながるものがありそうだ。
吉野ケ里の墳丘墓へ向かう墓道脇の1本の柱。これと結界を示す四囲の御柱。巨木の文化は縄文のものであろうが、その巨木が弥生にも顔をだす。巨木は縄文特有のものではなく、汎世界的な現象であろうとの、印象を抱かせる・・・これらの印象や感想は次回にしたい。




                                <続く>



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