<続き>
タイのタマサート大学Pitiphat教授の著書「Ceramics」によると、その図録No,38,61を共にチャクラと紹介している。これらは共にシーサッチャナーライ窯(14-16世紀)で、No,38は陰刻文、No,61は鉄絵文である。
(図録No,38)
(図録No,61)
(図録No,94)
一方、同書の図録No,94は蓮華文としている。これらの3点はいずれも文様が似ているが、異なる点は中心文様で、前者2点が渦巻文ないしは同心円文であるのに対し、No,94の蓮華文においては、鉄絵で塗りつぶされた模様となっている。
このようなPitiphat教授の分類が、一般的であるかどうかは定かでないが、この分類にならうとすれば、本多コレクションの目録No,80と82(いずれもスコータイ窯)は、法輪文としてもよいと思われるが、No,78は法輪文というより、日輪文とした方が良さそうである。
(図録No,80)
(図録No,82)
それを写し取った図を掲げる。それによると中心文様は、目が二つに口と、まさにユーモラスな太陽を描いたものと思われる。このような文様の絵付けはシーサッチャナーライ窯に多く、サンカンペーン窯ではそのような事例をみない。
(図録No,78)
また別の書籍によると次の二つの文様を法輪文と紹介している。それはサンカンペーン窯の紹介の中でのことであるが、当該文様のサンカンペーン陶磁はなく、カロン窯と混同して紹介されているが、これまで含めて法輪文にするには疑問が残る。
以上、法輪文について触れてきたが、タイの陶磁であり、その呼称については、タイの研究者の説に従うのが妥当と考え、法輪文考としてまとめてみた。
<了>
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